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カテゴリ:狂言 > 幸田露伴校「狂言全集」(1903刊)

狂言

芳賀矢一「能狂言の滑稽」(「心の花」第十三巻一号)引用演目

目次(上記記事引用順)

   01 膏薬錬    02 磁石     03 文相撲    04 二千石
   05 飛越新発意  06 悪坊     07 胸突     08 釣女
   09 鬮罪人    10 寝声     11 アカガリ   12 止動方角
   13 不立腹    14 布施無経   15 米市     16 さし縄
   17 成上り    18 鱸庖丁    19 石神     20 仏師
   21 二王(仁王)   22 伯母が酒   23 昆布布施   24 花子
   25 墨塗     26 二人大名   27 太刀奪    28 瓜盗人
   29 抜殻     30 狐塚     31 内沙汰    32 コンクワイ
   33 苞山伏    34 棒シバリ   35 婿貰     36 河原新市
   37 素襖落    38 三人片輪   39 樋の酒    40 枕物狂
   41 水汲新発意  42 とちはくれ  43 雁争     44 文山たち
   45 茶盃拝    46 文蔵     47 忠度     48 盗人連歌
   49 八句連歌   50 入間川    51 通円     52 楽阿弥
   53 末広かり   54 せんじ売   55 烏帽子折   56 俄道心
   57 手負山賊

(幸田露伴校『狂言全集』目次はこちら

狂言総合INDEX

凡  例

  1:底本は以下の通りです。
21 二王(仁王):『狂言五十番』(はしがき
(芳賀矢一 校。1926年富山房刊。国会図書館デジタルコレクション
上記以外全て:『狂言全集』全三巻凡例
。幸田露伴校。1903年博文館刊。国会図書館デジタルコレクション)
  2:底本の仮名遣いはそのままとし、旧漢字は現在通用の漢字に改めました。
  3:底本のふりがなは適宜省略し、必要と思われるもののみ( )で示しました。
  4:二字以上の繰り返し記号(踊り字)はテキストにないため、漢字及び仮名に直しました。
  5:底本にある括弧書き注記は( )、括弧のない細字注記は[ ]で示しました。
  6:底本の傍点は省略し、それが示す[囃][謡][上]などの範囲は改行により示しました。
  7:読みやすさを考慮し、話者が交代する毎に改行しました。
  8:校訂者による注記は{ }で示しました。
  9:現在では差別的とされる表現も、底本を尊重し一切変更を加えていません。ご了承願いますとともに、取り扱いには十分ご留意願います。

烏帽子折(ゑぼしを)り

▲大名「隠れもない大名。藤(とう)六居(を)るか。
▲藤六「御前(おまへ)に。
▲大名「下(か)六は。
▲藤六「両人これに詰めて居りまする。
▲大名「念無う早かつた。汝等。喚び出だす。別義で無い。明日(みやうにち)は正月元日。出仕にあがらうと思ふが。なにとあらうぞ。
▲藤六「誠に。国許に御ざりましてなりとも。御礼にあがらつしやれませいで。叶はぬ事で御ざりまするに。あがらつしやれたらば。好う御ざりませう。
▲大名「よからうな。
▲藤六「は。
▲大名「やい。して。某(それがし)が烏帽子が。剥げてあつたが。何とした物であらうぞ。
▲下六「心得まして。此中(このぢゆう)塗りにやつて御ざりまする。
▲大名「一段うい奴ぢや。急いで。取つて参れ。
▲下六「畏つて御ざりまする。
▲大名「急げ。ゑい。
▲下六「はア。
▲大名「戻つたか。
▲下六「いや。まだ。御前を去りもしませぬ。
▲大名「油断のさせまいといふ事ぢや。
▲下六「はア。
▲大名「急げ。やい。藤六。烏帽子はまづ折りにやつたが{*1}。して。烏帽子紙などといふ物は。結(ゆ)ひつけぬ者は。得(え)結はぬといふが。何とした物であらうぞ。
▲藤六「其御事で御ざりまする。若(もし)殿様御出仕などと御ざらう時に。御役に立たうと存じ。某烏帽子紙の結ひやうを存じて居りまする。
▲大名「何ぢや。知つたといふか。一段ういやつぢや。いかう暇のいる物ぢやげな程に。急いで。来て結へ。
▲藤六「畏つて御ざる。
▲大名「さアさア結へ。
▲藤六「はつ。
▲大名「やい。そこな奴。某をば。打擲を仕居るか。
▲藤六「いや其御事で。御ざりまするか。此筒の中(うち)に。びなんせきが。御ざりまする所で。御前の御頭(つむり)へ。つけねば結はれませぬ。
▲大名「ふん。知らなんだ。さアさア。来て塗れ。
▲藤六「はつ。
▲大名「やい。先(まづ)離せ痛いわな。
▲藤六「はア。いや。ちと結ぼれて御ざりまする。
▲大名「やい。して。何と。明日(あした)の。えりつきは。如何(どう)した物であらうぞ。
▲藤六「先下(した)には。白小袖を召しませう。
▲大名「して又中(なか)には。
▲藤六「紅梅が善う御ざりませう。
▲大名「上(うへ)には。
▲藤六「熨斗目(のしめ)を召さつしやれたが善う御ざりませう。
▲大名「おうこれははえやうて(映え合ふて)善かろ。さアさア。結へ結へ。
▲藤六「はつ。結ひまして御ざる。
▲大名「してもよいか。
▲藤六「いやまだ。額に。おだいづけと申(まをす)物をつけまする。
▲大名「さアさア。急(いそい)でつけい。
▲藤六「はつ。
▲大名「やい。其処なやつ。なぜに汝(おのれ)が。むさい唾(つばき)を。つけ居るぞ。
▲藤六「いや。是でなければ。つきませぬ。
▲大名「つかずば。如何程なりとも。はきかけをれ。
▲藤六「はつ。善う御ざりまする。
▲大名「して。これははや。烏帽子が遅う来るな。
▲藤六「されば遅う御ざりまする。
▲大名「急いで。汝(おのれ)は迎ひにゆけ。
▲藤六「畏つて御ざりまする。
▲下六「ゑい。殿の待兼さつしやれう。先烏帽子を持つて。急いで参ろ。
▲藤六「なう下六。殿の待かねある。急いで持ておりやれ。
▲下六「左様(さう)であらうと思ふたい。なうなう。某が出た迄は。七五三(しめ)飾門松が無かつたが。今は。七五三飾で。頼うだ御宿を忘れた。
▲藤六「誠に。某も。忘れたが。はア。此(これ)でおりやるわ。殿様御ざりまするか。なう。此処でも。おりやらぬわいの。
▲下六「あゝ。某が覚えた。此処でおりやる。殿様御ざりまするか。わつ。此処でも。おりやらぬわ。何とした物で。おりやらうぞ。
▲藤六「某が思ひつけたは。頼うた人の。国と名を申して。囃事(はやしこと)で。尋ねやうず。
▲下六「おう誠に。是が善うおりやらうぞ。して。何と云ふて囃さうの。
▲藤六「物といふて囃さう。
[上]信濃の国の住人。阿蘇(あそうどの)の御内(みうち)に。藤六と下六と。烏帽子折りに参りて。主(しゆう)の宿を忘れて。囃事をして行く。
▲下六「あゝ。之が一段でおりやらうぞ。さアさア。云ふて見さしませ。
▲藤六「心得てをりやる。
▲下六。藤六「[上]信濃の国の住人。阿蘇の御内に。藤六と下六が。烏帽子折りに参りて。囃物をしてゆく。
▲藤六「あゝ。何とやら是では。後が淋しうおりやるわいの。
▲下六「某が思ひつけたは。あとで。実(げ)にもさあり。やよ実にもさうよの。といふたらば善うおりやろの。
▲藤六「さアさア。早(はや)云ふて見さしませ。
▲藤六{*2}。下六「[上]信濃の国の住人。阿蘇(あそうどの)の御内(みうち)の。下六と藤六と烏帽子折りに来(まゐ)りて。囃物をしてゆく。実にもさあり。やよ実にもさうよのさうよの。
▲大名「如何にや如何に。汝等。主の宿を忘れて。囃物をするとも。前代の曲者。身(み)が前へは叶ふまい。
▲下六「はア。是でおりやるわ。
▲藤六「さアさア囃しやれ囃しやれ。
▲藤六。下六「[上]主の宿忘れて。囃事してゆく。実にもさあり。やよ実にもさうよのさうよの。
▲大名「如何にや如何に。汝等。忘れたは憎けれど。囃事が面白い。
▲藤六。下六「[上]実にもさあり。やよ実にもさうよの。
▲大名「[イロ]何かの事はいるまい。先(まづ)此方(こち)へ。こきいつて。先烏帽子着せやれ。ひやろひやろ。とつばい。ひやろの。ひ。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の一 一 烏帽子折り
「能狂言の滑稽」54  「能狂言の滑稽」目次  「能狂言の滑稽」56

校訂者注
 1:底本は「藤六。「烏帽子は」。
 2:底本に句点はない。以下同様。

抜殻(ぬけがら)

▲との「罷出(まかりいで)たるは御存じの者。太郎冠者(くわじや)在るか。
▲くわじや「御前に。
▲との「念無う早かつた。汝喚び出すは。別義で無い。彼様(かのさま)へ参りて。此うちはお人でもしんぜぬが。何事も御座らぬか。冠者を見舞に進ずると申(まをし)て。急いで行て来い。
▲くわじや「畏つて御座る。
▲との「急げ。
▲くわじや「はア。さてもさても。頼うだる人は。何時も彼様(かのさま)へ行く折は。酒をくれらるゝが。今日は何と致してやら。忘れられて御座る。ま一度もどつて。飲(たべ)るやうに致そ。申殿様。御座りまするか。
▲との「何としてもどつた。
▲くわじや「其事で御ざりまする。久しうて人をしんぜらるゝ程に。御状を遣はされたら好う御ざりまする。
▲との「いや。状まではいらぬ。急いで行て来い。
▲くわじや「畏つて御ざる。これは扨。何としても呉られぬ。いや。思ひつけた事が御ざる。申殿様。
▲との「何としてもどつた。
▲くわじや「其御事で御ざりまする。殿様は。何事もないかなどゝ問はしやる時には。何と申ませうぞ。
▲との「はてさて。いらざる念を使ひ居る事かな。はア。思ひ付て御ざる。何時も彼奴(きやつ)に酒を呉れまするが。今日は呉れずに遣れば。まひもどりまひもどり致す。飲ましてやりませう。やい。冠者。これへよつて酒を一つ飲うでいけ。
▲くわじや「はて。ひよんな事をおしやれまする。身どもが。かうして戻りまするも。酒がたべたいでは御ざらぬ。も。かう参りまする。
▲との「一つ飲うで行け。
▲くわじや「あゝ。そりや。よう御ざりませう。
▲との「さアさア。
▲くわじや「いや。御酌慮外に御ざりまする。これへ下されませう。
▲との「さアさア受(うけ)い受い。
▲くわじや{*1}「はア。
▲との「よい酒か。
▲くわじや「いや。何と御ざつたも。覚えませなんだ。
▲との「然らば。ま一つ飲め。
▲くわじや「はア。あゝ。御ざります御ざります。申殿様。身共に。此様にお気を付けられますをば。傍輩共もいかうけなりう思ひまする。も一つ。喫(た)んませう。
▲との「過(す)げう(過ぎやう)がな{*2}。
▲冠者「いや。数が悪う御座りまする。
▲との「さア飲め。
▲くわじや{*3}「はア。あゝ。甚(いかう)酔うたかな。いや。
▲との「急いで行て来い。やい。
▲くわじや「何処へ。
▲との「彼の様へ。
▲くわじゃ「行きまするわいの。
▲との「早う行てうせう。
▲くわじや「はて。行きまするていに。あゝ。甚酔うたことかな。これでこそなれ。ようその。此男が飲まずに行かうよ。
[ふし]{*4}。めがゆくめがゆく。おめがゆき候。
あゝ。甚酔うた。まづ少時(ちつと)寝て行かうず。
▲との「やれさて。冠者を使に遣つて御座るが。又彼奴めが酒に酔ひて。伏て居るかして。遅う御座る。行て見て参らう。然(さ)ればこそ。余念も無う寝て居る。何と致さうぞ。思ひ付た事が御座る。これに鬼の面(おもて)が御座る程に。着せて置きませう。まんまんと着せました。先づ急いで帰らう。
▲くわじゃ「はア。甚寝た事かな。枕下(さが)りに寝たかして。はア。顔が重う御座る。彼(あ)の清水へ行て。手水を使ひませう。なう。悲しやの。許さつしやれませい。扨も扨も。清水に鬼のあると事は。存ぜなんで御座る。さしまへが有ならば。彼奴を為留(しとめ)たう御ざるが。頼うだ人に為留させませう。さりながら。今一度。熟(とつくり)と見ませう。是は如何な事。己(おれ)が為(す)るやうに為るが。いや是は。己が鬼になつたげな。はア。悲しや。扨も扨も。人悪かれとも存ぜぬが。親。祖父(おほぢ)の報(むくひ)で御座るか。鬼になるならば。生(しやう)を替てなりとも、ならいで。生きながら鬼になる事は{*5}。何の因果で御座るぞ。乍去(さりながら)。是では何処へ参つたとも。抱人(かゝへて)は御座るまい。何と致さうぞ。何と致したとも。馴染のかどて御座る程に。頼うだ御方へ参り。どうぞ申て見ませう。殿様御座りまするか。
▲との「冠者戻つたか。
▲くわじや「はア。帰りまして御座る。
▲との「なう恐ろしや。鬼をば冠者には使はぬ。やれ其方(そち)へ行け。
▲くわじや「申殿様。冠者は冠者で御座る。何といふ因果で御座るやら。此やうに鬼になりました。今迄のやうにこそは使はされませずとも。門の番なりともさして下されませう。
▲との「やい。其処(そこな)者。鬼に番をさせたらば。人出入あるまい。其方へいてくれい。抱へる事はならぬぞ。
▲くわじや「お馴染のかどにさへ。さやうで御座る程に。身共も覚悟致して御座る。もとの清水へ行て身を投げませうず。さてもさても。此やうなる。因果の有様になりても。命と云ふものは惜しい物で御座る。是から寝転(ねころび)うつて。彼(あ)の池へはまるならば。難無く。身は投げませうず。ゑい。こゝな。抜(ぬけ)たわ。申々殿様。御座りまするか。
▲との「又こりや冠者が来たか。そつちへ行け。
▲くわじや「いや。申。本々(ほんほん)の冠者で御座る。
▲との「何としたぞ。
▲くわじや「是ごろん(御覧)じやれませい。鬼の抜売(ぬけがら)で御座る。
▲との「何でも無い事。退居(しざりを)れ。ゑ。
▲くわしや「はつ。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の一 四 抜殻

校訂者注
 1:底本は「くわしや」。
 2:底本は「過(すぎ)すげう(過ぎやう)がな」。
 3:底本は▲がない。
 4:底本に傍点はない。
 5:底本は「生きなから」。

こんくわい

▲狐[次第][上]「われは化(ばけ)たと思へども。われは化たと思へども。人は何とか思ふらん。
是は此所に住居(すまゐ)仕る。古狐のこつちやう。去程に。此山の彼方(あなた)に。猟師の候。我等の一門を。釣平(つりたひら)げる事にて候。何とぞして。彼が釣らぬやうにと思ひ。則彼がをぢ坊主に。白蔵主(はくぞうす)と申して御ざる程に。これに化て参つて。意見を加へ。殺生の道を思ひ止まらせうと存ずる事で御ざる。何と。白蔵主に好(よ)う似たか知らぬまでい。先づ水鏡を見ませう。(茲にて水鏡を見て。笑ふ。)あはゝ。はア。扨も扨も。似た事かな。まづ。彼が所へ急いで参らう。いや。急ぐ程に早これぢや。物も。甥子内におゐやるか。
▲をひ「いや。をぢの御坊の声がするが。物もは誰(た)ぞ。いゑこゝな。何と思召て。御出なされたぞ。
▲きつね「さればされば。此中(うち)は久(ひさし)く逢はいで。懐かしさに参つたが。何事もおぢやらぬか。
▲をひ「然(さ)れば然(さ)れば。誠に此中は。手前取紛れまして。御見舞も申さず。無沙汰致して御ざる。まづ御息災で。芽出たうこそ御ざれ。いざ内へ這入らしやれませい。
▲きつね「おう。はや内へも這入りませう。其方(そなた)に意見の為(し)たい事が有つて。是迄参つておぢやるが。聴きやらうか。聴きやるまいか。
▲をひ「いや。をぢの御坊様の意見を。聴かぬと事が御ざらうか。何事なり共聞きませう{*1}。
▲きつね「はア。おう。嬉しい。汝(そなた)は。狐を釣りやるといふ事を聞いたが。誠かいの。
▲をひ「いやいや。左様の物を。釣つた事は御ざらぬ。
▲きつね「いやいや。な御隠しやつそ。殊に。狐などゝいふ物は。執心深い物で。其まゝあたん(仇)を為すものでおぢやる。其上狐に就(つけ)て。とつと仔細の有る事でおぢやる。事大事のことでおぢやる程に。必(かならず)必。お止(とま)りやれ。
▲をひ「何しに偽申さうぞ。左様の狐を釣ると事は。なかなか。思ひもよらぬ事で御ざる。
▲きつね「よいよい。意見の聞くまいといふ事でおぢやろ。此上からは。甥を持たとも思はぬ。ふつふつと。中違(なかたがひ)でおぢやる。然(さ)らば然らば。罷帰る。
▲をひ「申々。まづ戻らしやれい。
▲きつね「厭ていは厭ていは。
▲をひ「平(ひら)に帰らつしやれい。此上は。何を隠しませうぞ。狐を釣りまするが。をぢの御坊の御意見に任せて。ふつふつと。止まりませう。
▲きつね「確(しか)とさうでおぢやるか。
▲をひ「はて。何の嘘をいひませうぞ。
▲きつね「おゝ。嬉しい。是も其方(そなた)の為ぢやぞや。夫に就て。狐の執心深い謂(いはれ)を。語つて聞かせう。
[語り]。抑(そもそも)狐と申すは。皆神(しん)にておはします。天竺にては。斑足太子の塚の神。大唐にては。幽王の后と現じ。我朝(わがてう)にては。稲荷五社の大明神にておはします。昔鳥羽院の御代の時。清涼殿にて。御歌合の御会(ごくわい)のありし時。ゑいその如くなる大風(おほかぜ)吹き来り。御前なる。四十二の灯火(ともしび)。一度にはらはらばつと吹き消しければ。東西俄に暗うなる。御門(みかど)不思議に思召。博士を召し占はせられ玉へば。安部の泰成参り申上るは。是は変化(へんげ)のものなり。祷(いの)らせいとありければ。承ると申。四方に四面の檀をかざり{*2}。五色(しき)の幣(ぬさ)をたて。祷らせらるゝ。玉藻の前はこれを見て。御前に堪兼(たまりかね)。御幣(ごへい)を一本おつとり。下野国那須野の原へ落て行く。疎略(おろそか)にしては叶はじと。上総介。三浦介に仰付けらるゝ。其後(のち)両人御請(おんうけ)を申。那須野の原へ下着す。四方を取巻き。百疋の犬を入れ。遠見撿見(けんみ)を立て。呼ばゝる。遠見申やう。胴は七尋(ひろ)。尾は九尋の狐にてありしが。囲(まはり)八丁おもてへ見ゆると。なう。おそろしい事の。其時三浦の大助(おほすけ)がひやうと射る。次の矢を上総の介がひやうと射た。彼(か)の狐を。終に射止(とめ)た其執心が大石(たいせき)となつて。空を翔(かく)る翼。地を走る獣(けだもの){*3}。人間を取ること数を知らず。斯様の恐しき獣などを。わごりよ達賤(いやし)き分にて。釣り括る事。勿体無い事。かまいて思ひ止らしませ。
▲をひ「はて扨。狐と申ものは。執心深ひもので御ざりまする。愈(いよいよ)止りませう。
▲きつね「おうおう。嬉しうおぢやる。其狐を釣る物を。少(ちつと)見たいの。
▲をひ「易い事。御目にかけませう。之で御ざりまする。(狐の罠を見せる)
▲きつね「はい。こゝな人は。此尊(たつとい)出家の鼻の先へ。穢(むさい)物を突着(つきつ)きやる。其竹の先なは何ぞ。
▲をひ「之は鼠の油揚で御ざる。此かざ(香)を嗅(かぎ)ますると。狐どのが。食ひにかゝられまする所を。此罠でひつしめて。皮をひつたくりまするが。甚(いかう)気味の好いもので御ざる。
▲きつね「こゝな人は。未(まだ)其つれをいふかの。其縄を捨てゝわたい。
▲をひ「畏つた。捨ませう。
▲きつね「いや。愚僧がこれに居る内に。前な河へ流しておぢやれ。気味の悪い物気味の悪い物。
▲をひ「畏つた。いやいや。何と云はれても。狐を釣り止(や)む事はなるまい。まづ此処もとに罠を張て置きませう。申々。最前の罠を。河へ流しまして御ざる。
▲きつね「おうおう。一だん一だん。意見の聴かれて。嬉しうおぢやる。何なりとも用の事が有らば。寺へいふてわたい。銭でも米でも。用にたちませう。
▲をひ「辱なう御ざりまする{*4}。御無心申までゝ御座らう。
▲きつね「然(さ)らば然らば。も。斯う帰りまする。
▲をひ「はて。御茶でもまゐりませいで。
▲きつね「又頓(やがて)参りませう。然らば。
▲をひ「よう御ざりました。
▲きつね「おうおう。扨も扨も。人間と云ふものはあどないものぢや。をぢ坊主に化けて意見をしたれば。まんまと騙されて御ざる。此上は天下は我物ぢや。小歌節でいのう。
[踊節]。いのやれふるつかへ。あしなかを。つまだてゝ{*5}。
(こゝにて罠を見付(みつけ)て胆(きも)をつぶして)はい。はつ。扨も扨も。人間といふものは。賢いものぢや。身共が戻る道中(みちなか)に。まんまと張つて置いた。様子を見ませう。いゑ。旨臭(うまくさ)や旨臭や。一口食はうか。や。此鼠は。親祖父(おほぢ)の敵(かたき)ぢや。一撃々(ひとうちう)つて食はう。
[節]。[ハル]うたれてねずみ。音(ね)をぞなく。我には晴るゝ胸のけぶり。こん[ハル]くわいの涙。[下]なるぞ。悲しき。くわい。
(中入)(鼓座(つゞみざ)へとび入る)
▲をひ「をぢ坊主の意見を。聴かうとは申たが。狐を釣らずには居る事はなるまい。罠を張つて。狐を釣りませう。(舞台のまんなか。向うの方(かた)に罠を張る)
▲きつね(出(いづ)る)「くわい。
(はし懸り。又は鼓座よりも出る。舞台のさきへ這ふて出で。罠を見て其後(のち)。人の居るか居ぬかを思ふて見廻し。てこにて立(たつ)て。腹鼓。種々(いろいろ)の曲をして。罠のうへを飛越し。手足にていろひ飛びかへり。又は横飛{*6}。色々の曲。口伝あり。其後罠に掛つてなく。)
くわいくわい。
▲をひ「さ。掛つたわ。
▲きつね「くわいくわいくわい。
▲をひ「どつこい。やるまいぞ。
▲きつね「くわいくわい。
▲をひ「どこへどこへ。
▲きつね「くわいくわい。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 二 こんくわい

校訂者注
 1:底本に句点はない。
 2:底本のまま。
 3:底本は「地を走り獣」。
 4:底本は「辱なう御ざりますれ」。
 5・6:底本に句点はない。

苞山伏(はしやまぶし){*1}

▲山伏[次第]「貝をも持たぬ山伏が。貝をも持たぬ山伏が。道々嘘をふかうやう。
罷出たるは。大峯葛城参詣致し。只今下向道(だう)で御ざる。扨も扨も。今日は平日(いつ)にかはつて。暑う御ざる。此処に涼しさうな所が御ざる程に。先づ此大木(おほき)の下(もと)に。先づ少(ちと)まどろみませうず。
▲柴刈「罷出たるは山人(やまうど)で御ざる。柴を刈りに参らう。何とやら。暑うおぢやる程に。先づ此涼しい処に。一寝入致さう。
▲侍「罷出たるは山の彼方(あなた)迄。少(ちと)用有(あつ)て参る者で御ざる。何とやら暑う御ざる程に。此木蔭で少休らひませう。ゑ。山人も。寝て居らるゝよ。見れば昼飯(ひるげ)がつけてある。あれを何であれかし。食べてから休らひませう。ゑゝおきなよ。まんまとたん(食)ました。いや某(それがし)も{*2}。此処に又。少寝ませうず。去乍(さりながら)。山人が起て。飯(めし)を食(く)たなどゝあれば。悪う御ざる程に。先づ参らうか。ゑ。あれに山伏が寝て居る。山伏の口の辺(はた)に。飯をにぢつて置きませう。ゑ。如斯(かう)して置いてからは。如何程寝ても苦しう御ざらぬ。
▲柴刈「あゝ最早(もはや)。はて扨。日が晩(ばん)して御ざる。先づ。序に涼しい処で。昼飯(ひるめし)を食べうず。いゑ。此処な。無いが。鳶が食たか。鳶が食たら。蓋がせずにあらうに。誰れが食たぞ。いゑ。此処に寝て居らるゝしてが食はれたものぢやあらう。起こしませうず。なうなう起(おき)やれ。
▲侍「あゝ。あゝ。甚(いかう)寝た事。何ぢや。
▲柴刈「いや。足下(そなた)は。我(おれ)が昼飯は。食やらなんだか。
▲侍「や。此処な奴は。侍に云ふやうな事を云ふたがよい。
▲柴刈「いや。侍といふても。ひだるい事は。堪忍はならぬよの。
▲侍「やい。其処な奴。四辺(あたり)を見て物をぬかせ。
▲柴刈「寝て居た者は。足下に我とかおぢやらぬわいの。
▲侍「彼(あ)れを見居れ。彼処(あそこ)にも。山伏が寝て居る。
▲柴刈「はア。誠に寝て居りまする。彼奴(あいつ)起して。問ひませう。
▲侍「行て問へ。
▲柴刈「なうなう。
▲山伏「あゝ。甚寝た事かな。して何ぢやぞ。
▲柴刈「いや。お山伏。起すのは別(べち)の事ではおぢやらぬが。某が昼飯をば。ようお食やつた。
▲山伏「あいつは。ありや。何事をぬかす。
▲柴刈「はてなあらがやつそいの。口の側(はた)に付(つい)てあるわいの。
▲山伏「ゑ。こゝな思ひ付(つけ)た事がある。食はぬ飯(いひ)が髭に付(つく)とは。此(この)やうな事であらうず。食たか食はぬか。山伏の手柄には。祈り出して見せう。
▲柴刈「したら頼みまする。
▲侍「やいやい。山人。いや某は埒が明いたぞ。最早往ぬるぞ。
▲山伏「なうなう。お侍。先づ。往なつしやんな。こなたも此処に休ましやつて御ざつたさうなり。身供も此処に伏せつて御ざる。ふせうながら。まそつと御ざれ。祈出して見せませう。夫(それ)山伏といつぱ。貴(たつと)い人なり。頭巾(ときん)といつぱ。一尺斗(ばかり)の布を。黒く染め。襞をとつて。額に当(あつ)るを以て。頭巾といふ。珠数といつぱ。誠の珠数であらばこそ。珠数玉を百八つなぎ珠数と為(す)る。一祈祈(いのりいの)つたり、ぼろおんぼろおん。あつたらけたを。はちがさす。ぼろおんぼろおん。
▲柴刈「なうなう。の。けくてそのぼろおんで。少し残つた飯が。減りさうに御ざるぞや。
▲侍「な。山伏が。可笑い事するな。
▲山伏「橋の下の菖蒲は誰(た)が植ゑたしやうぶぞ。ぼろおんぼろおん。やいやい。山人。彼(あ)れを見よ。お侍の物に狂ふを見よ。
▲柴刈「はア。誠に。狂ひまするわ。
▲山伏「山伏のてがらには。祈出してからでは無いか。
▲柴刈「何の彼(か)の仰しやれても。我(おら)が昼飯はよそへずい。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 三 苞山伏
校訂者注
 1:底本のまま。
 2:底本は「某(なれがし)」。

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