江戸期版本を読む

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カテゴリ:狂言 > 幸田露伴校「狂言全集」(1903刊)

伯母酒(をばざけ)

▲甥「罷出たるは。此辺(このあたり)の者で御ざる。某(それがし)が伯母は。酒屋で御ざる。何時も某に。初酒をくれらるゝやうに御ざる。最早(もはや)あがり時分でも御ざる程に。参り食べうと存ずる。左右(とかう)申うちに。是で御ざる。伯母様。内に御ざりまするか。
▲伯母「甥殿か。好うおぢやつたなう。何と思ふて。お出やつたぞ。
▲甥「然れば何時もの如くに。最早あがり時分ぢやと存じ。初酒をたべに参つて御ざる。
▲伯母「なう。甥殿。今年は此辺に。芽出たいおしゆくらうが、有つたに依つて。初酒をおましたわいの。
▲甥「はア。それや。芽出度(めでたう)御ざりまする。
▲伯母「さればいの。
▲甥「したらば。二番酒をたべませう。
▲伯母「いや。今年は縁起を変て。汝(わがみ)にはもらぬ程に。重(かさね)ておぢや。
▲甥「はア。其の義なら帰りませう。
▲伯母「好うおぢやつた。
▲甥「はつ。扨も扨も。伯母が憎い事を申さるゝ。何と致さうぞ。いや思ひ付けた事が御ざる。是に鬼の面(おもて)が御ざる程に。是を被(き)て。威(おど)して見ませう。取つて噛も。
▲伯母「はゝ。悲しやの。免(ゆる)さつしやれませい。
▲甥「やい。汝(おのれ)は我(おれ)を見知つたか。
▲伯母「あゝ。いゑ。可恐(こはい)物で御ざる。
▲甥「やい。此酒屋に住む。酒甕ぢや。知らぬか。
▲伯母「はア。いや存じませなんだ。
▲甥「汝は。今甥が来たと見えたが。伯母一人。甥一人のものを。酒を飲ませ居らなんだ。残酷(むご)い奴は。取つて噛まう。
▲伯母「はア。免さつしやれませい。
▲甥「今度から。飲まし居ろか。
▲伯母「はア。飲ましませう。
▲甥「それ程は。身がまぶつてやらうに。飲まし居れよ。
▲伯母「あゝ飲ましませう。
▲甥「そんなら。我(おれ)も飲まう。
▲伯母「それに御ざります。参りませう。
▲甥「此方(こちら)向き居るな。汝やそれや此方向くげな。
▲伯母「あゝいや。見ませぬ。
▲甥「やい。今年は酒が好いわいやい。あゝ。汝此方(こち)向くな。此方向いたら取つて噛むぞ。あゝ。甚(いかう)酔(ゑう)た。これへ寄り居ろ。枕にして寝やうに。
▲伯母「あゝ。汝(おのれ)は甥では無いかいやい。
▲甥「あゝ。恥かしや。免さつしやれい。免さつしやれい。
▲伯母「やるまいやるまいぞ。」

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 四 伯母酒

二千石(にせんごく)

▲大名「罷出たるは隠れも無い大名。斯様(かやう)にくわは申せども。つるゝ下人なたゞ一人。一人の下人めが。某(それがし)に暇(ひま)をも請はず。何方(いづかた)へやらおりそへて御ざる。聞けば夜前(やぜん)帰りたる様子で御ざる。彼が私宅へたち越え。折檻の加へうと存ずる。程無う彼が私宅は是で御ざる。某が声で案内を請ふて御ざるならば。定(さだめ)て留守をつかふで御ざらう。作声(つくりごゑ)を致し。喚び出そと存ずる。物もお案内。
▲冠者「やら奇特(きどく)や。表に案内がある。お案内誰様(どなた)で御ざる。
▲大名「退去(すさりを)ろ。
▲冠者「は。
▲大名「汝(おのれ)は。主(しゆう)の声を聞き紛ふならば。不(ふ)奉公といふものではあるまいか。其上某に暇をも請はず。何方(いづかた)へ遊山で候ぞ。
▲冠者「いやはや。一人使はされまする冠者の義で御ざれば。御暇と申たり共。下されまいと存じ。かそう(掠う)で。京うち参りを致して御ざる。
▲大名「ふん。京うち参りをすれば。主に暇を請はぬ法でおりそうか。ゑ。それに待ち居ろやれ。扨憎い奴で御ざる。只今手打にも致さうやうに存ずれども。京うち参りと申すれば都の様子も承りたう存ずる。先づ此度は差置ませう。やい其処な者。すつと是へ寄れ。問ふ事がある。
▲冠者「は。
▲大名「扨此度折檻の加へうずれども。重ねて折檻の加へうずる。都の様子は何と。
▲冠者「いやはや。天下治り。彼方(かなた)の花見。此方(こなた)の遊山と有(あり)。此処彼処(ここかしこ)にひら幕打たせられ。歌ひ。舞ひ。酒(さけ)もり。舞遊ばつさる事。夥(おびただし)い事で御ざりまする。
▲大名「ふん。然(さ)うあらうずる。それに付け。別(べち)に珍らしき事は無かつたか。
▲冠者「いや。謡を習ふて参つて御ざりまする。
▲大名「それは何と思ふて習ふて来たぞ。
▲冠者「いやはや。殿様はお大名の事で御ざりますれば。御一門の参会にも。上座(じやうざ)をつめさしやれまする。すは乱舞(らつぶ)也なりますると。下座(げざ)へ下(さが)らしやりまするのが見づらう存じて。おすへ(教へ)ませうと存じて。習ふて参つて御座りまする。
▲大名「はて扨。一段ういやつぢや。確(しか)と覚えて居るか。
▲冠者「中々。覚えて居りまする。
▲大名「然(さ)らば謡へ。聞かう。床机(しやうぎ)おくせい。床机おくせい。
▲冠者「はつ。
▲大名「して。囃子物を呼びに遣らうか。
▲冠者「いや。身共が心拍子で歌ひませう。
▲大名「一段の事であらう。急(いそい)で歌へ。
▲冠者「[上]じせんせきの松にこそ。千歳を祝ふのちまでも。其名は朽(くち)せざりけれ。[下]其名は朽せざりけれ。
扨も扨も。一段御機嫌に申合せたる事かな。も一つ歌ひませう。やれさて。一段の御機嫌に申合せたる事かな。
▲大名「退居ろ。其謡は。謂(いはれ)を知つて歌ふか。知らいで歌ふか。
▲冠者「ゑ。何と御ざるも存ぜぬ。
▲大名「いや。知らぬといふを討つて捨つればいかゞ。謂を語り。其後(のち)討つて捨てう。これへつゝと寄り居れ。
▲冠者「は。
▲大名[語り]「扨も某が親の親は祖父(おほぢ)よな。其親はひおほぢよな。とつとのあなたの代(よ)の事なるに。安倍の貞任は。奥州衣川にて城郭を構へ。せいじやうかいに任せらるゝ間。都よりも。討手の大将下さるゝ。其大将な。八幡殿にて有りしよな。攻めも攻め。耐(こたへ)も耐たる。前九年。後三年。合せて十二年三月(つき)といふ物を攻めらるゝ。或折に。御大将に御(ご)酒宴のはじまりし。先祖のおほぢ。お酌に参り。大将たぶたぶと受け。祝言一つと有し時。畏つて候とて。鎧の引合(ひきあはせ)より。扇抜き出し。銚子の長柄をたうたうとうち。じせん石(せき)の松にこそ。千歳をいはふ後までも。其名は朽せざりけれ。とおし返し三編歌ふ。大将斜(なゝめ)に思召。三盃くんでほし給ふ。程無う敵を平(たいら)げし。天下一統の御代を為し玉ふも。ひとへに謡の故なりとて。斯様なる御謡をば。戌亥の隅に壇の築(つ)き{*1}。石の唐櫃(からうと)きつてすゑ。一つ歌ふて。どうと入れ。二つ歌ふて。どうと入れ。石の唐櫃のふたの。ぶつとする程うたひ入れ。七重(へ)にしめを張り。南無謡の大明神と額を打つて崇(あが)むる謡をば。何ぞや汝(おのれ)めが。何時の間にか盗取り。歌ふた事は曲事(くせごと)。
▲冠者「いや。都に流行(はや)りまする。
▲大名「何。洛中まで歌ひ広ろげ居つた事。いよいよ汝は憎い奴の。それおなりそへ。やれ扨。只今討つて捨てうといふのに。ほゆるは国本に残し置(おい)たる妻(め)こ子供に。名残が惜(をし)いか。鎺本(はばきもと)切先に。申し分が有るか申せ。其後(そのゝち)討つて捨てう。
▲冠者「いやはや。お太刀に御難も御ざりませず。妻こ子供に名残も惜う御ざらぬが。殿様の。只今直れ。打つて捨てうと仰れまするお手許(てもと)は。おほぢ様のお前にて。御茶の給仕を致したる折
に。畳の縁に蹴躓き。茶碗を投げて御ざれば。扨もぶしつけの奴のとあつて。尺八をおつ取り直し。打擲なされたるお手許と。今殿様の。汝討つて捨てうと仰やるゝお手許が。あゝ。好う似まして御ざる。
▲大名「何と云ふぞ。親ぢや者の手許と。某が手許と。似たといふか。
▲冠者「あゝ。好う似ました。
▲大名「やい。汝(なんぢ)討つて捨てうと思へども。討つ太刀もよわる。最早(もはや)許するぞ。
▲冠者「それは誠で御ざりまするか。
▲大名「太刀を鞘に収むるぞ。
▲冠者「其如くに御心の早う直らしやれまするが。好う似さつしやれまして御ざる。
▲大名「やい。斯う廻るも似たか。行くも似たか。
▲冠者「あゝ好う似さつしやれました。
▲大名「此太刀を取らするぞ。
▲冠者「其下さるゝお手許は其儘で御ざりまする。
▲大名「此脇差も取らする。
▲冠者「其儘で御座りまする。
▲大名「余り似た似たとないふそ。昔が思ひ出されて悲しいよ。やゝ。大名とあらうずる者が。斯様に歎く所ではあるまい。いざ。目出たう笑うていのず。
▲冠者「是は一段で御ざりませう{*2}。
▲大名「これへつゝと寄れ。まだよれ。わはゝ。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 五 二千石

校訂者注
 1:底本のまま。
 2:底本に句点はない。

悪坊(あくぼう)

▲僧「罷出たるは。西近江から。東近江まで。所用あつて参りまする。愚僧で御座る。左様に御座れば。日和の好いに傘(からかさ)を担(かた)げたは。不思議に思召さう。出家に傘は似合(にやう)た物さうに御ざる。先づ徐(そろ)々参らう。
▲悪坊「なうなう御坊。何方(どれ)から何方へ行かします。
▲僧「いや。私が事で御ざるか。
▲悪坊「中々。
▲僧「いや。西近江から東近江へ参ります。
▲悪坊「某(それがし)も参る程に。同道申さう。
▲僧「いや。御前(おまへ)を見ますれば。お侍さうに御ざる。身共は坊主の義で御座れば。似合ぬ連で御ざる程に。先づ某は先へ参りませう。
▲悪坊「確(しか)として道連になるまいといふ事でおぢやるか。
▲僧「いや。左様では御ざりませぬ。似合ぬやうに御ざるにより。斯様(かやう)に申す。
▲悪坊「いやいや。其儀でおぢやるならば。出家侍といふて。いかにも親しうせいで叶はぬものでおぢやる程に。どうぢやあらうと儘よ{*1}。同道申さう。
▲僧「其儀で御ざりませうならば。先へ御ざりませい。
▲悪坊「いやいや。出家を供に連れると云ふ事は無い。其方先へおぢやれ。
▲僧「は。それなら参りまする。御ざりませい。
▲悪坊「なうなう御坊。さる御方(おかた)で酒を飲うだが。我(おれ)は酔はぬと思へども。歩かれぬ程に。手を引いておくりやれ。
▲僧「いやはや。手は引きませうが。其長刀が甚(いかう)危険(あぶなう)御ざりまする。
▲悪坊「ふん。杖についたが危険おぢやるか。持ちやうがおぢやろ。斯(か)うでは何とおぢやる。
▲僧「は。いやはや。それでは気遣も御ざりませぬ。
▲悪坊「御坊。かいこうだ長刀の出様(でやう)は。早からうか。遅からうか。
▲僧「何と御ざりませうぞ。
▲悪坊「手を離しやれ{*2}。一手使ふて見せう。
▲僧「は。いや。措(を)かしやれませう。
▲悪坊「はて。離しやれてや。
▲僧「はゝ。
▲悪坊「御坊。して。今のさへ(差)やうが面白うおぢやる。其傘の切口を見せう。
▲僧「はて。置かつしやれませい。
▲悪坊「あゝ。使はうとは思へ共。酒に酔うたによつて。脛(すね)がながれて使はれぬ。是では行かれまい程に。少(ちと)此処(このところ)にまどろも。御坊此小袖を。跡へ打掛けて。腰を打つてくりやれ。
▲僧「あ。
▲悪坊「やい其処な坊主。今のは何といやな打(うち)やうぢや。汝(おのれ)坊主で無くば。首をはねうずれども許す。扨疾々(とくとく)と打居(うちを)れ。
▲僧「あ。扨も嬉しい事が御ざる。まんまんと寝入らせました。扨々憎い奴かな。何と致した物で御ざらう{*3}。あゝ。思ひ付けた事が御ざる。先づ此長刀を。此方(こち)へ取りませう。おのれ代りに傘を呉(くれ)るぞ。はゝ。先づ。刃物は取ました。まだ刀が有る程に。これも取りませうず。さア取つたぞ。さ。代りにはぢよろをやるぞ。序に小袖も取らうぞ。さ。代りには。衣(ころも)を呉るぞ。此様(このやう)な仕合せの好い折には。早う先づ。退(のい)たが好う御ざる。
▲悪坊「ゑゝあゝ。扨も扨も。甚寝た事かな。茶を一杯おこせい。いや内かと思へば。様子が違うたわ。野中(のなか)に寝て居た。長刀は何処へいた。これはいかな事。傘が有る。刀は何処へいた。これはいかな事。此も無いわ。是りや何じや知らぬ。待てい。はて。可笑い物が有るが。あゝ。是は禅僧の持たせらるゝくふひんぶつ。なと(何ぞ)の有(ある)時に。から頤(おとがひ)に当てゝ。案じばしらのぢよろといふ物ぢや。小袖はどこへいた。こりや何ぢや。衣ぢや。はて合点のいかぬ物ぢや。あゝ。思ひ付(つけ)た。甚(いかう)路次で出家をとらまへて。悩めたが。某が悪(あく)をつくるをば。憫(あはれ)に思召し。釈迦か達磨の。心を和(やはら)げんが為に。斯様に遊ばしたと見えた。仰(おほせ)の教(をしへ)にまかせて。発心の起しませう。
[謡]思ひよらずの遯世(とんせい)や。小袖にかへし。衣を着。刀にかへし。ぢよろを差し。長刀にかへし。傘を担げて{*4}。頭陀にいぢよやう。頭陀にいぢよやう。
行脚の僧にはち(鉢)を。いれさつしやれい。はつちはつち。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 六 悪坊
「能狂言の滑稽」5  「能狂言の滑稽」目次  「能狂言の滑稽」7

校訂者注
 1:底本は「とうぢやあらうと儘よ」。
 2~4:底本に句点はない。

内沙汰(うちさた)

▲おこ「罷出たるは。当所に住居(すまゐ)仕る。おこと申す者で御ざる。左様に御ざれば。思ふ仔細が御ざる程に。女どもを喚び出し。談合を致さうと存ずる。これの。居やるか。
▲女房「妾(わらは)が事で御ざるか。何で御ざるぞ。
▲おこ「いや。其方(そち)を喚び出すは別義でもおぢやらぬ。もつけな事が出来た。
▲女房「なう。何事で御ざるぞいの。
▲おこ「いや。うへのゝ田をば。さこが牛が食らうたと思(おも)やれ。したによつて。腹は立ち。牛を。引取(ひきとり)にせうといふた。然(さ)れば。よこそまいといふ。したに依つて。己(おれ)が公事(くじ)に為(し)やうと云ふた{*1}。したればさこめが。公事になりとも。沙汰になりとも。せいと云ふ程に。己は地頭殿へ行く程に。好う留守をしやす。
▲女房「なう。おこ殿。さこが云ひ分な。腹は立てども。先づ待たつしやれい。
▲おこ「何でおぢやるぞ。
▲女房「彼(あ)のさこは。物言ひなり。こなたは。口不調法な程に。御前沙汰では。負になりませう。
▲おこ「ゑい茲(こゝ)な人は。理を持ちながら。負けると云ふ事は無いよの。
▲女房「いや。左様(さう)な仰(おつし)やつそ。理が非になるは。公事の常例(ならひ)で御ざる。
▲おこ「ゑ。余(よ)のいつけん(意見)な聴かうが。此の意見とては。えきくまい。いや。某は行くぞ。
▲女房「なう。おこ殿。其儀で御ざるならば。先づ内沙汰(うちざた)にして見さつしやれい{*2}。
▲おこ「おう誠に。これもかうでおぢやる。誰を頼うで。聞いてもらはうの。
▲女房「いや。妾が聞きませうわいの。
▲おこ「いや。可笑い事を仰る。其方(そなた)は己が為には女房なれば。物が心やすうて。是は役には立つまい。
▲女房「あの仰やる事わいの。地頭殿のやうに。様(さま)を代へて。聞きませうわいの。
▲おこ「おう。誠に是が一段でおぢやろ。さア。急いでこしらへい。
▲女房「てんでんに。てちだう(手伝)て下されい。
▲おこ「心得ておぢやる。先づ此烏帽子を着さしませ。地頭殿は太刀をはいて居さつしやる。先づ此太刀をはきやす。これこれ。是に腰を掛けて居させませ。地頭殿は。わがみは知りやるまいが。一段高い所に御ざるぞいの。
▲女房「なう。好う似ましたか。
▲おこ「はゝあ。其儘でおぢやる。
▲女房「さ。したらば云ふて。見さつしやれい。
▲おこ「えこ贔屓の無いやうに。好う聞きやれ。
▲女房「随分理分(りぶん)になるやうに。云はつしやれい。聞きませうぞ。
▲おこ「心得ておぢやる。先づ。地頭殿へ行くやうにして見たが好い。先づ此処が門にと。是からが番所。はア。歴々の御番で御ざりまする。訴訟の者で御ざりまする。
▲女房「訴訟は如何やうなるものぢや。
▲おこ「いやそのおこつて御ざりまする。当所に。おこと申す者が御ざりまする。彼れが田をば。少(ちと)身共が牛が。食べて御ざれば。牛を取らうと申しまする。何とも迷惑に御ざりまする。仰付けられて下されませい。
▲女房「ふん。今度の公事日に。両人共に参りませい。其折に分けて取らせう。
▲おこ「はア。辱(かたじけ)無う御ざりまする。なうなう。して今のを聞きやつたか。
▲女房「中々。聞きました。こなたは。物云はずかと思へば。なう。好い物云ひで御ざる。これでは利分(りぶん)になりませう程に{*3}。又今度は。こなたの言分を。随分云ふて見さつしやれい。
▲おこ「いや。人の事さへ以て。今の程に云ふた物をば。己が事は。何とやうにあらうと思やるぞ。先づ急いで。地頭殿のやうにして居さしませ。
▲女房「心得て御ざる。
▲おこ「扨も扨も。悧発な女房を持つは。好い物で御ざる。公事とざまの埒が明きさうに御ざる。又これも御門よと。はア。訴訟の者で御ざりまする。通りまする。許さつしやれませう。先づ。番所は過ぎた。はア。訴訟の者で御ざりまする。
▲女房「訴訟は何者ぢや。
▲おこ「は。いゑ当所に住居仕る。はア。おこと申者で御ざりまする。
▲女房「おこは。して何の為に来てあるぞ。
▲おこ「其御事で御ざりまする。大事の御年貢はかりまする牛をば。さこが田が来て。食べまして御ざりまする。
▲女房「いや。おのれが言ひ分では。埒が明かぬ。あの。狼狽(うろたへ)者奴(め)が。
▲おこ「はア。許さつしやれませい。
▲女房「縛れ縛れ。
▲おこ「はア。悲しや。
▲女房「なう。おこ殿。これや、何とさつしやれたぞいの。
▲おこ「其方(そなた)は此処へは又何として。おりやつたぞ。
▲女房「なう。何事を仰しやるの。内で御ざるわいなう。
▲おこ「して。今の地頭殿はわが身か。
▲女房「なう。其様に目をまはかすなりで公事はなりますまいぞや。おかつしやれい。
▲おこ「われがさう云ふも。此方(このはう)に思ひ付けた事がある。
▲女房「なう。思ひ付けたとは。何で御ざるぞいの。
▲おこ「贔屓めさる筈があるいの。
▲女房「なう。贔屓する筈は。何とした事で御ざるぞ。聞きたう御ざる。
▲おこ「いや。云ふたら恥であらうぞ。
▲女房「なう。恥な事は無い。仰(おし)やいの。
▲おこ「これ。おのれな。いつぞや。形部(ぎやうぶ)三郎が所に。神明講が無かつたか。
▲女房「おう。有つた。
▲おこ「其時よ。己が見ぬかと思ふて。さことつゝやき。さゝやき。聞いたぞいやい。
▲女房「おう。おこ殿。そりや誰が恥ぞいの。わが身の恥では無いかいの。
▲おこ「おのれが恥よ。
▲女房「おれも其様に。みづくさう思はれてからは。いらぬ程に。さこ殿の処へ行きまするぞ。
▲おこ「何ぢや。さこが処へ行かう。己ありながら。好う行きたうおりやつたの。
▲女房「何の行かいでは。
▲おこ「さア。行て見よ。やる事では無いぞ。
▲女房「わ。男腹立(はらたち)や。おのれがやうな奴は。まつかうしたがよい。
▲おこ「何故(なぜ)に。越し居つた。やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 七 内沙汰
 1:底本は「已(おれ)が」。以下も同様。
 2・3:底本のまま。

胸(むね)つき

▲八兵衛「罷出たる者は。此辺(このあたり)の者で御ざる。左様に御ざれば。七兵衛と申者に。米銭の引替(ひか)へて御ざれば。度々人を。遣りますれども。埒を明けぬやうに御ざる。今日は自身参り。算用を致そと存ずる。やれさて。憎い奴で御ざる。用の有る折には。種々(いろいろ)追従など申(まをし)。今は某(それがし)が前へ。面(つら)見せも致さぬ。遇ふとだに御ざるならば。思ふ儘に。算用を致そ。はや。左右(とかう)申す内に。彼が私宅は此でござる。某が声で案内を請(かう)て御ざるならば。定めし逢はぬで御ざろ。作声(つくりこゑ)を致し。喚び出そと存ずる。ものも。御案内。七兵衛殿内に御ざるか。
▲七兵衛「南無三宝。彼(か)のしてがわせた。留守をつかひませう。誰様(どなた)で御ざりまするぞ。
▲八兵衛「いや。八兵衛でおぢやるが。七兵衛殿へ。御目にかゝりたうて参りておぢやる。
▲七兵衛「今日は留守で御ざる。
▲八兵衛「左様仰やるは。誰でおぢやるぞ。
▲七兵衛「隣の者が。留守居りまする。
▲八兵衛「其儀でおぢやるならば。是まで用ありて参りたれども。御目にかゝらいで帰つたと。おむしやつて(仰しあつて)たまふ。
▲七兵衛「畏つて御ざる。おはいりなされませいで。好う御ざりました。
▲八兵衛「やれ扨。今のは七兵衛で御ざるが。留守をつかふて御ざる。彼奴(やつ)めは。何時も裏道へはづすと申す程に。裏へ向けて参らう。
▲七兵衛「やれ扨。直(すぐ)に逢はうと致したよ。彼(か)のしては。小戻(こもどり)を為(し)られまする程に。裏へ外しませう。
▲八兵衛「ゑ。こゝな。
▲七兵衛「ゑ、嬉し悲し。好う御ざりました。
▲八兵衛「ゑ。人にさし逢ふ身の言葉は。数多(あまた)おほからうに。嬉し悲しいとは。如何(どう)したことでおぢやる。
▲七兵衛「いや。只今帰りまして御ざれば。お前の御出の由を承り。御目にかゝりたいと存じて。表から出ましたら。遅からうと存じ。裏道へ向けて追(おつ)かけまするとて。蹴躓(けつまづき)ましたが。悲しう御ざるやら。遇ふたが嬉しう御ざるやらや。嬉し悲しと。申すで御ざる。
▲八兵衛「おゝ。はぢかみの食合せとやらで。そないな事もおぢやろ。いや。某が斯うして来るも。別義ではおぢやらぬ。彼(か)のいつぞやの算用を致そ。
▲七兵衛「いやはや。こなたの仰しやれぬとても。忘るゝといふ事は御ざりませぬ。頓(やがて)の内に算用を致しませう。
▲八兵衛「其方の頓も。いつぞやからの事でおぢやる。どうであらうとまゝ。今日は算用を致そ。
▲七兵衛「いや。左様(さう)仰しやつたといふても。無いものが。算用がしられませうか。
▲八兵衛「いや。左様仰しやつた物では。埒が明くまい程に。したらば某所(それがしところ)へおぢやれ。
▲七兵衛「いや。金こそ負うたれ。其方(そなた)の所へ行かう筈はおぢやらぬ。
▲八兵衛「して。実正(じつしやう)来まいか。
▲七兵衛「何の行かうぞ。
▲八兵衛「連れて行て見せう。
▲七兵衛「成らば連れて行け。
▲八兵衛「実正来まいか。
▲七兵衛「あ痛あ痛。あいた。人殺(ごろし)。出あへ出あへ。
▲八兵衛「なうなう七兵衛。何とめさつたぞ。
▲七兵衛「如此(このごとく)に引摺(ひきずり)倒して。肋骨(あばらぼね)が打折れた。出あへ出あへ。
▲八兵衛「なうなう七兵衛。先づ静まつてたもれ。利の分は免さう程に。堪忍の為(し)てくりやれ。
▲七兵衛「やい八兵衛。人の命が二百目や三百目やで。買はるゝものか。やい。人殺人殺。
▲八兵衛「なうなう七兵衛。利元共に免さう程に、堪忍のしてくりやれ。
▲七兵衛「よう汝(われ)がやうな者が免さうわいな。
▲八兵衛「弓矢八幡免するぞ。
▲七兵衛「それは誠で御ざりまするか。
▲八兵衛「中々。
▲七兵衛「あゝ。少(ちと)胸が寛(くつろ)いだやうに御ざる。
▲八兵衛「はて。嬉しや。好うおぢやるか。
▲七兵衛「あゝ。少好う御ざりまするが。短冊の巾ほどあいたあいた。人殺よ人殺よ。
▲八兵衛「あゝ思ひ付けた。此(これ)を出すからは。好うおぢやろぞ。
▲七兵衛「そりや何で御ざりまするぞ。
▲八兵衛「いや。御手前の手形でおぢやる。
▲七兵衛「一目見せさつしやれて下されい。いやはや。紛ふ所は御ざりませぬ。其身共が名版の所を。引裂かつしやれて下され。
▲八兵衛「おう。好(すき)なやうに仕ておませう。これこれ。
▲七兵衛「はゝ。最早。すきと好う御ざりまする。
▲八兵衛「はて。嬉しうおぢやる。
▲七兵衛「してまづ。銀子の義は。済みまして御ざりまするぞや。
▲八兵衛「中々。済んでおぢやる。
▲七兵衛「乍去(さりながら)。未(ま)だ済まぬ事がおぢやる。
▲八兵衛「何でかおぢやる。
▲七兵衛「いや。借銀を負ひ。胸板などを折られたなどゝ云へば。男もならぬ。其方(そなた)のを。折り返さねばきかぬ。
▲八兵衛「はて。荒い事を仰やる人ぢや。
▲七兵衛「何の荒い。打折つて見せう。
▲八兵衛「許せ許せ。
▲七兵衛「やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言全集 上巻 狂言記』「巻の二 八 胸つき

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