江戸期版本を読む

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カテゴリ:狂言 > 野村八良校「狂言記」(1926刊)

狂言記 目次

緒言

狂言記
巻の一
巻の二
巻の三
巻の四
巻の五

続狂言記
巻の一
巻の二
巻の三
巻の四
巻の五

狂言記拾遺
巻の一
巻の二
巻の三
巻の四
巻の五

狂言記外篇
巻の一
巻の二
巻の三
巻の四
巻の五

凡  例

  1:底本は『狂言記』全二巻です
  (。野村八良校。1925年有朋堂書店刊。国会図書館デジタルコレクション)
  2:底本の仮名遣いはそのままとし、旧漢字は現在通用の漢字に改めました。
  3:底本のふりがな・頭注は適宜省略、必要と思われるもののみ( )・{*}で示しました。
  4:二字以上の繰り返し記号(踊り字)はテキストにないため文字化し、適宜読点を加えました。
  5:底本の登場人物の発話の最初に「を加えました。
  6:底本の注・解題には適宜句読点等を加え、校訂者による注記は{**}で最後に示しました。
  7:底本の割注は《 》で囲み本文中に、頭注の一部は解題・校訂者注に示しました。
  8:読みやすさを考慮し、話者が交代する毎、割注毎に改行しました。
  9:各話冒頭に、『狂言記 下』末尾所載、校者による「内容細目(解題)」を付しました。
  10:現在では差別的とされる表現も、底本を尊重し一切変更を加えていません。ご了承願いますとともに、取り扱いには十分ご留意願います。

狂言記
緒言
一 中古以来行はれたる猿楽が、滑稽なる所作を事としたるは、物語草子の類にも散見する所なるが、室町時代に至りて、猿楽の能(即ち今日云ふ能楽)大に発達すると共に、本来の猿楽は却て狂言の名の下に其特質を発揮し、荘重厳粛なる能は、諧謔縦横なる狂言と相俟ちて演ぜらるゝに至れり。能の材料は多く古代の神話伝説史蹟等を主とせるに反し、狂言の資料は大抵日常俗間の事件に拠れり。彼は古歌古文の趣味を根柢とし、此は俗語俚諺を有体に伝へて、当時の世相を赤裸々に示せり。随て舞台上の人物亦その間に大差あり。狂言に於ける大名も坊主も山伏も目代も鬼も閻魔も、皆その知能力量に於ける弱点を暴露し、以て好笑の料に供せられざるなし。誰か能に比して異彩あるを思はざらむや。即ち狂言は、喜劇的文学として国文学中に価値を有するものと云ふべし。
一 狂言の詞遣には、独白と対話とあり。本文に於て此の二者錯綜す。これ最も読者の留意{**1}を要する点也。詞の外に語(かたり)の部分あり。小歌、謡、囃物など音曲的の部分もあり、又能がかりの物即ち仕舞狂言もあり。これらの諸体は、乞ふ之を本文につきて会得せられむことを。
一 狂言の役名は主なるをシテ又はオモと云ひ、脇役をアドと云ふ。其他役割の名前によりて、殿、太郎冠者など呼ぶこと多し。
一 狂言道には古来主なるもの三流あり。大蔵流、鷺流、和泉流これ也。
一 本書は則ち和泉流狂言の詞書を収む。絵入狂言記と題して元禄年間に大成せられたる刊本四部二十冊二百番あり。分つて狂言記、続狂言記、狂言記拾遺、及び狂言記外篇となす。本書は之を底本として編纂し、上下二巻に分ちて上梓す。
一 刊本狂言記は、漢字及び仮名の用法に於て頗る不完全なるものあるを以て、本書に於ては漢字は或は訂し或は補ひ、仮名も亦力めて語源的歴史的用法に従へり。但し「居(を)ろ」「致(いた)そ」「抱(かゝ)ゆ」「変(か)ゆる」の類は姑く元のまゝとなせり。
一 頭註は、語義出典の大略を掲げ、其未詳なるもの、又は疑はしきものは之を闕く。蓋し狂言記の註釈方面は、実に未開の荒蕪にひとしく、今後の研究に拠るべきもの多ければ也。
  大正三年二月      校訂者 野村八良
校訂者注
 1:底本は「留怠」。

解題
 一名「麻生」。大名、元旦の出仕に、烏帽子を取りにやる。使の冠者、藤六・下六、殿の宿を忘れ、囃事して帰る。

烏帽子折(ゑぼしをり)

▲大名「隠れもない大名。藤(とう)六をるか。
▲藤六「御前(おまへ)に。
▲大名「下六は。
▲藤六「両人これに詰めてをりまする。
▲大名「念なう早かつた。汝等、喚び出す、別義でない。明日(みやうにち)は正月元日、出仕にあがらうと思ふが、なにとあらうぞ。
▲藤六「まことに、国許にござりましてなりとも、御礼にあがらつしやれませいで、かなはぬ事でござりまするに、あがらつしやれたらば、ようござりませう。
▲大名「よからうな。
▲藤六「は。
▲大名「やい、して、それがしが烏帽子が、剥げてあつたが、何としたものであらうぞ。
▲下六「心得まして、此中(このぢう)塗りにやつてござりまする。
▲大名「一段うい奴ぢや。急いで取つて参れ。
▲下六「畏つてござりまする。
▲大名「急げ、えい。
▲下六「はあ。
▲大名「戻つたか。
▲下六「いや、まだ、御前を去りもしませぬ。
▲大名「油断のさせまいと云ふ事ぢや。
▲下六「はあ。
▲大名「急げ。やい、藤六、烏帽子はまづ折りにやつたが、して、烏帽子髪などといふものは、結(ゆ)ひつけぬ者は、え結はぬといふが、何としたものであらうぞ。
▲藤六「その御事でござりまする。若(も)し殿様御出仕などとござらう時に、御役に立たうと存じ、某烏帽子髪の結ひやうを存じて居りまする。
▲大名「何ぢや、知つたといふか。一段ういやつぢや。いかう暇のいるものぢやげなほどに、急いで、来て結へ。
▲藤六「畏つてござる。
▲大名「さあさあ結へ。
▲藤六「はつ。
▲大名「やい、そこな奴、某をば、打擲をしをるか。
▲藤六「いや其の御事でござりまするか。此の筒の中に、美男石(びなんせき){*1}が、ござりまする所で、御前の御頭(おつむり)へ、つけねば結はれませぬ。
▲大名「ふん、知らなんだ。さあさあ、来て塗れ。
▲藤六「はつ。
▲大名「やい、まづ離せ。痛いはな。
▲藤六「はあ、いや、ちと結ぼれてござりまする。
▲大名「やい、して、何と、明日(あした)の、襟付(えりつき)は、どうしたものであらうぞ。
▲藤六「まづ下(した)には、白小袖を召しませう。
▲大名「して又中には。
▲藤六「紅梅がようござりませう。
▲大名「上には。
▲藤六「熨斗目(のしめ)を召さつしやれたがようござりませう。
▲大名「おう、これは映合(はえや)うてよかろ。さあさあ、結へ結へ。
▲藤六「はつ、結ひましてござる。
▲大名「して、もよいか{*2}。
▲藤六「いやまだ、額に、おだいづけと申す物をつけまする。
▲大名「さあさあ、急いでつけい。
▲藤六「はつ。
▲大名「やい、其処なやつ、なぜにおのれが、むさい唾(つばき)をつけをるぞ。
▲藤六「いや、これでなければ、つきませぬ。
▲大名「つかずば、如何ほどなりとも、はきかけをれ。
▲藤六「はつ、ようござりまする。
▲大名「して、これははや、烏帽子が遅う来るな。
▲藤六「されば遅うござりまする。
▲大名「急いで、おのれは迎ひにゆけ。
▲藤六「畏つてござりまする。
▲下六「えい、殿の待ちかねさつしやれう。まづ烏帽子を持つて、急いで参ろ。
▲藤六「なう下(か)六、殿の待ちかにやる。急いで持つておりやれ。
▲下六「さうであらうと思ふたい。なうなう、某が出た迄は、七五三飾(しめかざり)門松がなかつたが、今は、七五三飾で、頼うだ御宿を忘れた。
▲藤六「まことに、某も忘れたが、はあ、これでおりやるは。殿様ござりまするか。なう、此処でも、おりやらぬわいの。
▲下六「あゝ、某が覚えた。此処でおりやる。殿様ござりまするか。わつ、此処でもおりやらぬは。何としたもので、おりやらうぞ。
▲藤六「某が思ひつけたは。頼うだ人の、国と名を申して、囃事(はやしごと)で尋ねうず。
▲下六「おう、まことに、これがようおりやらうぞ。して、何と云うて囃さうの。
▲藤六「物と云うて囃さう。信濃の国の住人、麻生殿(あさふどの)の御内(みうち)に、藤六と下六と、烏帽子折に参りて、主(しう)の宿を忘れて、囃事をして行く。
▲下六「あゝ、これが一段でおりやらうぞ。さあさあ、云うて見さしませ。
▲藤六「心得ておりやる。
▲下六、藤六「信濃の国の住人、麻生(あさふ)どんの御内に、下六と藤六が、烏帽子折に参りて、囃物をして行く。
▲藤六「あゝ。何とやらこれでは。後が淋しうおりやるわいの。
▲下六「某が思ひつけたは、あとで、実(げ)にもさあり{*3}、やよ実(げ)にもさうよのと、云うたらばようおりやろの。
▲藤六「さあさあ、囃いて見さしませ。
▲藤六、下六「信濃の国の住人{*4}、麻生(あさふ)どんの御内(みうち)の{*5}、下六と藤六と、烏帽子折に参りて、囃物をして行く。実にもさあり。やよ実にもさうよのさうよの。
▲大名「如何にや如何に、汝等、主の宿を忘れて、囃物をするとも、前代の曲者(くせもの)、身が前へは叶ふまい。
▲下六「はあ、これでおりやるは。
▲藤六「さあさあ囃しやれ囃しやれ。
▲藤六、下六「主の宿忘れて、囃事して行く。実にもさあり。やよ実にもさうよの、実にもさうよの。
▲大名「如何にや如何に、汝等、忘れたは憎けれど、囃事が面白い。
▲藤六、下六「実にもさあり。やよ実にもさうよの。
▲大名「何かの事はいるまい。先(ま)づこちへ、こきいつて、まづ烏帽子著せやれ。ひやろひやろ{*6}、とつばい、ひやろの、ひ。

底本:『狂言記 上』「狂言記 巻の一 一 烏帽子折」

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底本頭注
 1:美男石――美男蔓の油。
 2:もよいか――「もう善いか」。
 3:実(げ)にもさあり――「誠に然り」といふ意にて、囃しの詞なり。「さうよの」といふ囃し詞は、興福寺延年舞歌にも見ゆ。
 4:信濃国云々――曲にかゝる囃し物。
 5:麻生殿――此の大名のこと。
 6:ひやろひやろ――笛の譜にて、舞ひ納まるなり。

解題
 紺屋へ遣つたる肩衣を冠者に取りにやりしに、何か足らぬとて出来ず。それを冠者忘れ、殿、平家物語を読む。

[米索]糊(ひめのり){**1}

▲との「御存じの者。太郎冠者(くわじや)あるか。
▲冠者「御前に。
▲との「念なう早かつた。汝を喚び出すは、別儀でない。此中(このぢう)御前につめてあれば、新知をくわつと下された。何とめでたい事ではないか。
▲冠者「これはおめでたい事でござりまする。
▲との「それにつき明日(みやうにち)は、出仕に上らうと思ふが{**2}、彼(か)の紺屋(こうや)へ遣つたる、肩衣は張つて参つたか。
▲冠者「されば、取りに参りてござるが、何やらん足らぬと申して、張つてくれませなんでござる。
▲との「紺屋に足らぬ物ならば、籡(しんし)絹張のやうな物ではなかつたか。
▲冠者「いや、さやうな物ではござりませなんだ。
▲との「退(しさ)り居(を)ろ。おのれがやうなる鈍な奴は、物によそへて、聞いて来たがよい。
▲冠者「いや、よそへて参りました。
▲との「して、何によそへて来たぞ。
▲冠者「殿様の、いつも四畳半敷へ、取籠(とりこも)らしやれて、読ませらるゝ物の本の内に、有るかと存ずる。
▲との「ふん、某(それがし)が好いて読むのは、源氏平家の物語などを読むほどに、一つ二つ読まうほどに、有らば有ると、軈(やが)て答へ。
▲冠者「畏つてござる。
▲との「牀几々々。
▲冠者「はつ。
▲との「これへ寄つて聞け。扨も、赤馬関、速鞆(はやとも)が沖にて、おん身を投げさせ給ふ。西海、四海の合戦(かせん)のうちに、有らばあると軈(やが)て答へ候へ。いで其の頃は、寿永二年の事なるに、平家は時節の思(おもひ)をなし、津の国生田の森に陣を取る。その城郭は、前は海、後は嶮しき鵯鳥越、左は須磨、馬手(めて)は明石よな。大手には、生田の森をこしらへし、そのあひ三里が間は、満ち満ちたりしよな。陸(くが)に赤旗いくらもいくらも立てならべ、天地翻す有様は、宛然(さながら)錦を張つたるが如く、此の様な物ではなかつたか。
▲冠者「張つてだにござるならば、よこしませうが、その様な物ではござりませなんだ。
▲との「茲(こゝ)に又梶原が二度のかけと云つぱ、梶原平三景時、源太景季、後陣平山の武者所季重が一の木戸を切つて落し、分捕高名数をつくす所に、かくて、梶原本陣に帰り、源太はと尋ねしかば、源太は敵(かたき)の方(かた)よりも、押付(おしつけ)を見せうずる事を不覚と思ひ、深入をし、鎬(しのぎ)をけづり鍔を割り、攻め戦ふを見て、梶原取つて返し、前車の覆(くつがへ)すを見ては、後車の戒(いましめ)とする{*1}、一しように引けや、一しように懸(かゝ)れやと下知をなす所に、源太は兜をぬぎ、高紐にかけ、一首の歌はかくばかり、ものゝふのとりつたへにし梓弓、ひいてや人のかへすものかなと、詠じせは{*2}、梶原は西東、さんざんに撃つて廻りしが、よき敵(かたき)をば十七八騎、切つて落し、梶原が二度のかけと、呼ばはて{**3}、しんづしづと、ひいていりたる、所にてはなきか。
▲冠者「いや、さやうの物でもござりませなんだ。
▲との「こゝに又、御一門にとりては、丹後の少将忠澄か、無官の大夫敦盛か、知盛か、逆茂木切つて廻りしは、川原太郎か、川原次郎か、寄手(よせて)にも、亀井、片岡、伊勢、駿河、武蔵坊弁慶にてはなきか。
▲冠者「いや、さやうのものでも、ござりませなんだ。
▲との「こゝに又、主(ぬし)は誰とも知らねども、白糸縅の腹巻に、白柄の長刀かいこうで、鹿毛なる馬に打ち乗つて、渚を添うて落ち行くを、又味方の方(はう)よりも、岡部の六弥太忠澄と名乗りて、六七騎にて、追つかくる。よき敵(かたき)と見、馬の上にて無手(むず)と組み、両馬が間(あひ)へ、だうと落ち、上よ下よとしたりしが、六弥太やがて、取つて押(おさ)へ、乱れ頭(がしら)をつかみあげ、首かき切りて見てあれば、錏(しころ)についたる短冊に、花といふ字を題にすゑ、行(ゆ)き暮れて木の下かげを宿とせば、花や今宵の主(あるじ)ならましと、詠じ給ふは、平の薩摩の守忠度にてはなきか。
▲冠者「はあ、それでございました。
▲との「やい、そこな奴。おのれ言葉のすゑで聞いてある。紺屋に使ふは賤(しづ)がひめ糊にてある。
▲冠者「いよいよそれでござりました。
▲との「しさり居ろ。某が内にあらうずる奴めが、ひめ糊、忠度のわけ差別も知り居らず、大骨折らせ、大汗を流させる、前代末聞の曲者(くせもの)。この度折檻の加へうずれども、重ねて、折檻の加へうずる。其処立つて失(う)せう、えつ。
▲冠者「はつ。

底本:『狂言記 上』「狂言記 巻の一 二 [米索]糊」

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底本頭注
 1:前車云々――『説苑』『漢書』などに見ゆる諺。
 2:詠じせは――「せ」の字、原本、或は「て」とも読むべきが如し。

校訂者注
 1:「ひめ」の漢字、米偏に索。テキストになく、[米索]と示した。
 2:底本は「思ふが 彼(か)の」。
 3:底本のまま。

解題
 一名「音曲聟」。聟入りの聟、六兵衛に弄ばれ、舅の前でふやらのふん{**1}。

吟聟(ぎんじむこ)

▲しうと「罷出たるは、娘の親でござる。さやうにござれば、太郎冠者を呼び出し申し付けうと存ずる。太郎冠者あるか。
▲くわじや「御前に。
▲しうと「念なう早かつた。汝を喚(よ)び出す余の儀でない。今日(こんにち)は最上吉日、聟のわするげな。掃除などをいひつけ、えつ。
▲くわじや「はつ、皆々今日は、聟様の御出ぢや。いつものやうに、見苦しくしてござらずとも、上臈衆も、身だしなみを肝要でおじやる、申し付つけてござる。
▲しうと「聟のわせたらば、これへと申せ。
▲くわじや「はあ。
▲むこ「罷出でたるは、舅に可愛がらるゝ、花聟でござる。さやうにござれば、度々、聟入をせいとあつて、節(せつ)節の使が立ちまする。今日(こんにち)は何であれかし、聟入を致さうと存ずる。聞けば聟入には、色々の辞儀がござるげな。某(それがし)いまともにはじめでござる。こゝに又、六郎兵衛様とて、何もに功者(こうしや)な御方がござるほどに、これへ参り、辞儀の様子を習うて、参らうと存ずる。程なうこれでござる。ものも。お案内。
▲六郎兵衛「おもてに案内があるが、誰ぢや知らぬまでい{*1}。いえ、作兵衛、ようおりやつた。
▲むこ「はつ。
▲六郎兵衛「して又これは、いつもより、綺羅びやかにおりやる。
▲むこ「此の様子をば、目利(めきゝ)なされませい。
▲六郎兵衛「さればの、聟入などではおりやるまいか。
▲むこ「さればこそよ、物に心得さつしやれた程ござりまする。聟入でござりまする。
▲六郎兵衛「して又これへは、何として、寄りやつたぞ。
▲むこ「いや、その御事でござりまする。あまた聟入には辞儀があると承つてござる。こなたに一つ習はうと思うて参つてござる。
▲六郎兵衛「はてさて好うこそおりやつたれ。をすへてまつせう{*2}。それにお待ちやれ。さてもさてもをかしい事を申して参つた。おもふさま笑草(わらひぐさ)ををすへてやりませう。なう、ゐさしますか。
▲むこ「はつ。
▲六郎兵衛「そなたは、仕合(しあはせ)な人ぢや。聟入の書が、物の本のうへにおりやつた。
▲むこ「はれ、すりや又、仕合でござりまする。
▲六郎兵衛「さりながら、大昔、中(なか)昔、当風と云うて、三段おぢやるが、どれを習やるぞ。
▲むこ「されば申し、昔も高等にござらうず。さるから当世も悪うござらう、只中昔ををすへて下されい。
▲六郎兵衛「なう、こなたは聟入をめさるれば、分別までが上つた。中昔はまづ、舅の方(かた)へ行きやつたらば、案内を請(こ)やらうず。その時に、御内(みうち)の者が出るであらう。その時おしやらうには、舅内ゐらるゝか、聟が参りて候と、それそれ申せ、太郎冠者、ふやらのふやらのふんと、おしやつたがよい。さて、舅の前で、このき、きつ、そこで一つ廻つて、このて、て、てゝこてんのて、ふやらのふやらのふんと、おしやればよい。
▲むこ「畏つてござる。余のは皆合点でござるが、此のふんが、合点がまゐりませぬ。
▲六郎兵衛「おう合点のゆかぬこそ道理なり。もののあとでふんといふを以て、これを吟聟(ぎんじむこ)といふ。
▲むこ「あゝ合点でござりまする。かうさへ申すれば、好うござりますか{**2}。
▲六郎兵衛「なかなか。
▲むこ「したら、かう参りまする。
▲六郎兵衛「ようおりやつた。
▲むこ「はつ。やれさて、まんまと習うてござる。急いで参らう。程なうこれでござる。ものも。お案内。
▲くわじや「こりやどなたからござりました。
▲むこ「おのれは誰ぢや。
▲くわじや「御内の者でござる。
▲むこ「冠者か。
▲くわじや「はつ。
▲むこ「行(い)て申そずるには、聟が参りて候と、それそれ申せ。太郎冠者、やいやいおのれは、聞きも定めいで行きをる。大事の辞儀がある。
▲くわじや「はつ。
▲むこ「ふやらのふやらのふんと云へ。
▲くわじや「申し申し、ござりまするか。
▲しうと「何としたぞ。
▲くわじや「聟様の御出でござる。
▲しうと「なぜに此方(こなた)へと申さぬ。
▲くわじや「まづ待たつしやれませい。面白いお辞儀がござりまする。
▲しうと「何とした。
▲くわじや「聟が参りて候と、それそれ申せ、太郎冠者、ふやらのふやらのふんと、御意なされまする。
▲しうと「やい、冠者、聟殿は浮世人(うきよじん)ぢやによつて、さやうに御意なされたものぢやあらう。いて申そずるには、舅内にありまする、御這入りなされ、ふやらのふやらのふんと、いを{*3}。
▲くわじや「はつ。ござりますか。舅内にありまする、お這入りなされませいの。ふやらのふやらのふん。
▲むこ「さてもさても、太郎冠者奴(め)が、中昔のたゞ中を申した。やい冠者、ありや、どなたぢや。
▲くわじや「舅殿でござりまする。
▲むこ「鈍な奴の。しうと殿なら舅殿とは云はいで、辞儀が有る。や、このき、このき、きゝら、きんのき。あゝ、騒がしやんな騒がしやんな。辞儀でござる。この、こゝで、一つ廻つて、このて、てゝこ、てんのて。はゝ、あ、疾(と)うも参らうと、存じたれども、かれこれと致して、暇もえませいで、遅なはりましたるところ、御赦免あられませいのふん。
▲しうと「苦しうござらぬのふん。太郎冠者、盃出しませいのふん。
▲くわじや「まゐりませいのふん。
▲むこ「まづまゐれのふん。
▲しうと「たべて申すふん。
▲むこ「戴きますのふん。
▲しうと「舅受(うけ)持つてござる。聟殿に、一つ音曲を遊ばせと申せふん。
▲くわじや「申しまする。舅受持つてござる。聟様に音曲を遊ばしませいのふん。
▲むこ「やい、冠者、行(い)て申そずるには、是れヘ音曲を申し合(やは)せませぬ{*4}。
▲くわじや「申し、聟様、そりや何のことでござりまする。
▲むこ「音曲の事ぢやわいやい。
▲くわじや「音曲とは謡(うたひ)のことでござりまする。
▲むこ「謡なら謡と疾うは云はいで。
▲謡「親子の道となるからは、たゞ何事も、か事も、許したまへや舅殿。
▲しうと「も一つ参れ聟殿。
▲むこ「も一つ参れ舅殿。三三九献(こん)重(かさな)れば、後は酒宴の余りにて、
▲つれまひ「聟も舅も諸共に、聟も舅も諸共に、相舞(あひまひ)舞うてぞ帰りけれ。ふやらのふやらのふん。

底本:『狂言記 上』「狂言記 巻の一 三 吟聟

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底本頭注
 1:知らぬまでい――「までい」は「まで」を延ばせるにて、語句の終りに添ふ。
 2:をすへてまつせう――「教へて差し上げん」。
 3:いを――「云はう」の約。
 4:申し合せ――「持ち合せ」。

校訂者注
 1:底本は、「ふらやのふん」。
 2:底本に句点はない。

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