江戸期版本を読む

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カテゴリ:狂言 > 笹野堅校大蔵流狂言『能狂言』(1942--45)

校訂 笹野堅校大蔵流狂言脚本
(岩波文庫『能狂言』1942-45刊)


上巻
脇狂言 1~21
中巻
小名狂言 45~69
90 引括 91 因幡堂 92 伊文字 93 痩松 94 塗師
鬼山伏狂言 95~119
下巻
出家座頭狂言 120~139 
凡  例

  1:底本は『能狂言』全三巻です
  (。笹野堅校。1942~45年岩波書店刊。国会図書館デジタルコレクション)
  2:古文として読みやすくことを校訂方針としました。
  3:かなの清濁・送り仮名・仮名遣い・漢字等は適宜改め、いちいち注記しません。
  4:二字以上の繰り返し記号(踊り字)はテキストにないため文字化しました。
  5:底本の登場人物は▲を付して示し、呼称は適宜修正しました。
  6:読みやすさを考慮し、人物の交代毎に改行しました。
  7:底本の( )書きの注記は《 》で示しました。
  8:使用文字は、野村八良校『狂言記』の表記を基準とし、読みやすさを主眼としています。
  9:現在では差別的とされる表現も、底本を尊重し一切変更を加えていません。ご了承願いますとともに、取り扱いには十分ご留意願います。

例言

一 本書は、汎く能狂言の典拠として、また今の演戯の台本として定本ともいはれうる大蔵弥右衛門虎寛本を底本とした。
一 この底本は、狂言の大蔵・鷺・和泉の三流のうち、その主流ともいふべき大蔵流から撰んだ。そして大蔵流の諸伝本のうち、最も永い間行はれ現在の台本の親本ともいふべき、確実な詞章を伝へてゐると考へられる大蔵弥右衛門虎寛の自筆本を採つた。この本の定本といはれうる所以に就いては、解説のうちに之を明らかにしておいた。
一 底本は、狂言の主題によって七類七冊に分かつてゐるが、本書に於いては、これを便宜上、脇狂言之類、大名之類を上巻に、小名之類、聟女之類、鬼山伏之類を中巻に、出家座頭之類、集狂言之類を下巻に収めて、上・中・下三巻に排印した。
一 本書は、底本を忠実にうつすにつとめたが、大蔵流山本東次郎師の口伝を参照して、濁点・半濁点を附し、句読点を施し、脱字を〔 〕の中に補ひ、衍字を< >でくゝり、特殊な読み方、役人、囃子、謡物等を( )の中に注記した。但し、元来濁点のあるものには(マゝ)と附記して、新たに施したところのものと識別した。即ち、それ以外の濁点・半濁点、句読点及び〔 〕< > ( )等の括弧のものを除けば、底本に還元されうるのである。
一 本書に施した句読点は、実演上の詞の息つぎによるものであり、( )の中に記した特殊な読み方は、読み方の紛らはしい宛字、送り仮名が省略されて読みにくい漢字、今日の普通の読み方と異つてゐる言葉、他に読み方のある文字、注意すべき語句等で、実演上の言葉遣ひによるものである。また実演上の発音が文字のそれと異なるものは、特に片仮名で記した。それらを今日の実演上のものに拠つたのは、大蔵流の演戯が現在なほ古い伝統を正確に保持してゐると認められるからである。但し、一曲のうちに重出する同様な文字及び語句の振り仮名を要するものは、その初出のものに限ることにした。なほ括弧のない振り仮名は、元来あつたところのものである。
一 本書下巻の末に、底本に於ける漢字、仮名遣ひ、送り仮名の正誤表と、固有名詞、事項及び国語学上注意すべき語の索引とを、それぞれ五十音順に排列して読者の利便に備えた。
一 本書の排印について、文学士春日順治氏の労力に負ふところ多きを特記する。

昭和十七年三月三十日
笹野堅

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

解説

 能狂言は、いつ出来たか、誰が作つたか、何番あるかといふことは、この本を手にする人が必ず知らうとされることと思ふから、この本に就いて解説するに当たつて、まづこれらの要点を明らかにしておきたい。それが演劇史や辞典の類ですぐわかるものなら、こんな蛇足をそへることはないのだが、まだ簡単にわかる書物はないやうだし、実は、この本を汎く一般の研究者乃至鑑賞者のための定本としたいといふ事情に関連するところが多いことだから、それらに就いてのわたくしの見解を知つておいて戴きたいのである。
 わたくしの解するところでは、わが国の演劇は猿楽といふ底流の上に、中世以降、延年の能といふ演戯としてあらはれたり、田楽の能や猿楽の能といふ能芸として現出したり、また歌舞伎や浄瑠璃劇として浮き上がつたりしてゐるやうに見える。後のものは前のものを受け継いで出来たので、前のものは後のものを培養することになり、後のものは前のものを継承してゐるのだから、原始の形式も存続してゆくわけである。しかし世人の智能が進むに伴つて人々の娯楽も改まらなければならず、民衆に支持されてゐる演劇も時代の型に随つて、原始の形式は変化することも、また転生することもあるわけだが、いづれの時代の演劇にも原始の形式はなほ厳然としてゐるやうである。
 その原始の形式といふのは、滑稽なものと真面目なものとの両面を持つ物真似を主体としたらしい猿楽をいふのである。これが上世の民衆の要望によつて、或る時は其の滑稽なわざが強調されたこともあつたし、また或る時は其の真面目なわざが強調されたこともあつた。それらは宗教的な方便として成長を促されもしたが、いづれの世、いづれの処に於いても、人々はさうした戯れを要請するのであつて、宗教的な支援によつて成長したといふよりは、寧ろ民衆の渇望にこたへて成長せずには居られなかつたのである。そしてこの二つのわざが漸く成長して演劇と認められるやうなものになつた。まづ延年の能の時代があつた。その後、田楽の能の時代が続いた。そのいづれの演戯にも真面目なものと、滑稽なものとは存してゐた。それらが猿楽の能に発展した。猿楽の真面目なものと、滑稽なものとの二つの形式が明確にされてきた。われわれの謂ふところの能と狂言とがそれである。
 近世、狂言にたづさはる門閥といはれる家々では、家伝由緒書の類を子孫のために書き残してゐるが、天鈿女命を祖神とし、その庶流猿女の芸の伝統に立つものと牢く信じてゐる。実際は、その家族や門閥が由緒をつける為に語り伝へられ記録されたもので、他人は之を認めぬかといふに、天照大神が岩屋戸に御籠りなされた時、天鈿女命が桶の上で拍子をふみをかしい身振りをして神々を笑はせたといふ神話や、彦火火出見尊が潮満瓊で御兄火闌降命を溺らしめ給うた時、御兄の命は御助けを乞ひ、これより永く俳優になつて仕へようと仰せられて、顔を赤く染め水に溺れ 苦しむ滑稽な真似をされたといふ説話に、喜劇の起原を承認してゐる。それほど遠い過去の歴史に遡らなくても、乏しい記録の時代にも、その間に狂言の姿を容易に見出すことは出来るのである。堀河天皇の御時、内侍所に御神楽があつた夜、陪従家綱、行綱の兄弟が庭火に細脛をあらはしをかしい態をして、比類ない猿楽だとほめられたといふ話や、俊寛の鹿が谷の山荘で平家を亡ぼす密議をした夜の酒宴に、藤原成親があやまつて瓶子を倒したので平氏が倒れたと喜び、猿楽をしようといふので、平康頼が余りにへいじの多う候といへば、俊寛はそれをば如何仕候はむずるといふ、そこで西光が頚を取るにはしかじと瓶子のくびを取つて入つて行つたといふ話がある。たゞそれらと狂言とが相異するところは、その笑戯が演劇以前のものだといふことである。
 しかし、この猿楽にも人間の空想と意識とが働くやうになつて、終には最少限の芸の要素をもつものにまで成長したのである。最初は即興的なことで何人をも面白く思はせる滑稽なわざを主としてゐたのであるが、また僅かながらも芸の要素をもつやうになると、笑戯そのものの発展といふよりは、多少の芸の力は、真面目な歌舞、物真似をも其の名のもとに見られるやうにさせた。かうして演劇的なものに接近し、必然的に演劇に成長するやうなものになつてゐたのである。わたくしは狂言の成立を室町時代の初頭に考へてゐるのであるが、いや、狂言のやうなものは鎌倉の初期にも見える、いや、さうしたものは平安時代にも見えると指摘されても、決してそれを狂言の源流でないと否定するものではない。たゞ滑稽なわざを以て人を歓ばせることは、真面目なわざを以て人を楽しませるよりは容易であるが、芸術と見られるものになるには、滑稽なものは真面目なものより困難である。狂言の姿を想はせる滑稽な劇的動作は遠い昔にありながら、それが芸化することは、遠い人世にはそれほど必要があつたわけではなく、その劇的な進化は、真面目な劇的動作が人々に興味を与へるために芸化するよりは、ずつと後れてゐたのである。
 その滑稽な演劇への成長は、猿楽が延年の能としてひとまづ演劇的な段階をもつたものに於いても、まだ其の真面目な表芸のかげに蔽はれ、田楽の能として盛行した鎌倉時代の中頃に、その真面目な芸能に附随して漸く存在が明らかになつた。こゝにわれわれの謂ふところの狂言の形成を見るのである。そして室町時代の初頭、猿楽の能が社会に地歩を占めた時、狂言は能に対立するものとして完全に成立したのであつた。人の性情と之に働く世の力とは、笑戯をつひに芸化せずにはゐなかつたけれども、われわれが喜劇として許すところの狂言の形成も成立も、さう遥かな過去のことではなかつた。
 かくして成立した狂言はどんなものであつたか。それと今日の狂言との関係はどうなつてゐるか。それに作者のことも関連してくるであらう。もし遠い時代の記録に散見する猿楽の笑戯に狂言の原の形を混同する者があるならば、その理由は単に笑ひの戯れであるといふことばかりではなく、両者が人々を笑はせる内容にも共通なものが多いからである。たゞ猿楽の笑ひは当座限りの少数のものを納得させれば足りたのに比して、狂言の笑ひはなるべく多数、出来るならば全部の承認を得ようとしてゐるのである。狂言は猿楽の笑戯が進化したものには相違ないけれども、これは自然の推移ではなくて、中世期の新しい社会の状勢に動かされたものであつた。わが国の演劇の歴史は、猿楽の原始的な雑戯や、外国から輸入された演芸が、一部の階級の者の娯楽として持続されること久しく、絢爛たる文化を誇る平安時代にも演劇の創造は遂に成就しえなかつた。その時代は余りに偏し、その文化は余りに狭かつたからであり、大衆の需要に誘導され支持されなければならない演劇が創造されるには、それ以前と全く社会状勢を異にした鎌倉時代の民衆の力が必要であつたのである。そして民衆の興起した室町時代に至つて、その進展が一段と顕著になつた。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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 かうした経過からも判断されるように、古くからあつた 笑戯が進化した狂言は、個人が創造したといふよりは、寧ろ団体が作り上げたといふべきものである。狂言は、演者の協定によつて即興的に筋が選ばれ、或る様態のうちに自由な対話と動作とをもつて演ぜられた。それが繰り返し行はれてゐる間に、また演者によつて刪定され、やがて定着したと解されるのである。狂言の多くの本文は、かうして出来たもので、たまたま少しばかりの戯曲の作者は知られることがあつても、この成立に関して戯曲を与へた作者を考へることは出来ないのである。然るに、近世、狂言の門閥たる大蔵家の記録では、玄恵法印、金春四郎次郎、宇治弥太郎を狂言の作者に擬してゐる。
 玄恵法印は、後醍醐天皇の御代、叡山の名僧として御進講申し上げたこともあり、足利尊氏兄弟にも尊重されてゐた台禅儒の三学に亙つた学僧で、太平記や建武式目の述作にも与かつたといはれ、庭訓往来も其の作のやうに伝へられてゐる。金春四郎次郎は、後花園天皇の御時、金春流の能太夫として名声のあつた金春禅竹の末子であるが、大蔵家の養子となつたといひ、これより大蔵家が金春の姓の秦を襲つたと伝へられてゐる。この芸統は、金春万五郎から宇治源右衛門に、それから鷺家に及んでゐるといはれる。宇治弥太郎は、伊賀国名張郡阿保の城主島岡弾正の子で、大蔵家に入り宇治に住んで斯く名乗つたが、後に大蔵弥右衛門と改めた。大和多武峯で狂言太夫に輔任されたとある。
 この玄恵の作と伝へる狂言は五六十番、金春四郎次郎、宇治弥太郎二代の内の作と伝へる狂言は八九十番で、それらは現在まで演ぜられてゐる代表的な狂言である。これは大蔵家の者が古くから家に言ひ伝へられたところを記録したもので、徳川幕府にもかういふ申し伝へがあることを書き上げ、門党も大切に信じて之を書物に載録などしてゐるが、同じく狂言の門閥たる鷺家や和泉家の所伝には見当たらないやうである。
 この所伝は、どういふところから起こつてゐるのであらうか。狂言の本文が、個人の手に成つたものではないといふ疑ひを解かない限り、この人々が狂言の作者であるといふことは明らかにされないのである。しかし、この疑ひは玄恵その他に作者が擬された所伝によつて起こるところのもので、なほ狂言の性格や機構のうへから考へれば、その所伝は、戯曲を書き下ろした作者の意味としてならば、除去さるべきであらう。狂言は古い猿楽から進化し、そして 喜劇へと高まつたのであるが、その段階の境目といふものは、誰にもはつきりわかるものではなかつた。能が観阿弥、世阿弥の天才によつて大成されたといふやうなものではなく、猿楽が進化し洗練されて、漸く喜劇に到達したと解されるものである。
 そうした過程に於いて、狂言は常に流動してゐた。をかし味、機智、諷刺等の主な様態は動かないものであつても、それを生かすところの言葉も、それを行ふところの動作も、またそれに効果を与へる情景も流動して来たのである。それが真に現実的なものとして全部の観衆の笑ひを要求するためには、常に流動しなければならなかつたのである。即ち軽妙な洒落、鋭い警句、意味の深い機智、刺すやうな皮肉が喜劇の様態を創造するのであるが、それにはまづ当世語の自由な駆使が必要である。事実、狂言が近世に至つて固定するまでは、その言葉はいつも当世的に流動してゐたやうであるから、これが記録される暇さへ殆んどなかつたらうと思はれる。まして玄恵法印、金春四郎次郎、宇治弥太郎といつた一時期に生存した人々を、狂言の代表的な戯曲の作者と考へることは出来ない。たゞ其の本文、或いは狂言の様態にある刪定を与へた、これが永く規範となつたといふやうなことから、彼等が作者と伝へられたものではないかと思はれるのである。あたかも徳川時代に、謡曲の作者に就いての所伝が記録されたり、出版されたりしたが、近来、世阿弥が書き残しておいたものが現れてみると、謡曲のやうなものでも、その作者は世阿弥の頃でさへ必ずしも明らかではなく、何曲は誰が古い能を改作したといふとか、何曲は誰が新たに節附けをしたといふとかいつた伝へになつてゐて、厳密には一人の作者の創作であると定められないものが多かつたのと同じやうに考へられるのである。
 狂言は、個人の作者といふやうなものに指示されたものではなくて、多くの演者の管掌にあつて他人の勧説を待たず、おのづからなる変化成長が行はれつゝ室町時代の現実に立脚したものとなつてほぼ定着したのであつた。
 かやうに狂言が定着するまでには、多くの狂言の改変と興廃とがあつた。それまでの狂言が変化成長して、全く変貌したものもあつた。新しい筋立てが、演者の協定によつて成立もした。ある狂言が効果を収めると、それに類似したものが多く提出されもした。しかし観衆が興味をもたないもの、度々繰り返してゐるうちに、観衆に対する効果が薄らいだもの等は廃されもした。われわれは、応仁略記に見える「蟹が狂言」を、今日に伝はる「蟹山伏」によつて想定することは許されることがあつても、観応三年周防仁平寺の本堂供養に延年の能に行はれた「山臥説法」は、現在に伝はる「祢宜山伏」「犬山伏」によつて、その古型としては想到することを許されても、狂言の変化成長を認める限り、しかも狂言の定着する以前と以後とは事情を異にするが故に、その様態内容に就いては、全く想像にまかせられるものではないのである。
 かういふ改変や興廃のしばしば行はれる現象は、狂言が芸の洗練を経、劇術をもつやうになつても、狂言の負はなければならない運命であつた。そして幾つかのものは、常に繰り返し行はれて変化もし成長もして定着したのであるが、また常には顧みられなくなつたものでも、たまたま、取り出してみれば興味深く眺められるところから、定着しないまでも全く廃され忘れられてしまはなかつたものもあつたのである。その曲名は伝へられてゐながら、その内容が全く知られないものがある。その内容はわかつてゐながら、その演出が全く忘れられたものがある。また同じやうな類型のものが多く存してゐるが、そのうちには現在までも行はれてゐるものもあれば、全く演ぜられなくなつたものもある。
 それは、夙く或る土地なり団体なりで演じてゐるものでも、他の土地なり団体なりでは演じられなくなつたものもあつた。また或る土地なり団体なりでは、他の土地なり団体なりで見られない古い狂言の変貌したものや新たに作り上げられたものが、演ぜられてゐるといふこともあつた。これは単に狂言の曲目のことに止まらなくて、或る土地なり団体なりの演者と、他の土地なり団体なりの演者との間に、舞台に対する観念に相異した見解があらはれ、それが意識的に相異してゆく傾向さへ見られるやうになつた。
 さうなつて来ると、それらの相異は、勢ひ、相互の信條として固守されるやうになり、狂言の芸統として派閥を唱へ流派を称するやうになつたのである。それが明らかになつたのは、室町時代の末期、大蔵家と之に対峙した鷺家との進出からであつた。なほ其の他にも、京流、南都祢宜流等といふものもあつたらしいが、長く流派を樹立してゐたのは、大蔵流、鷺流及び近世、京流から出たと思はれる和泉流である。この三流は、時勢が変転して狂言が危うく退転しさうであつた徳川時代になつても、その幕府の庇護を受け封建的な支配のもとに、狂言を保守的に管理して現在まで持続してきたのである。たゞ鷺流は、明治一新後廃滅して今日は其の芸風を見ることは出来ないが、各流、芸風に多少の相異があり、上演の曲目に出入りはあつたけれども、その流伝には昔日の狂言を十分窺はせるものも保存されてゐるのである。
 そこで、かうした保管に委ねられて来た狂言にはどんなものがあるか。わたくしが、各流の伝書といはれる、厳格に古正本と認められるものを調査した結果を、五十音順に排列し表示しておく。これに採つた伝書は、大蔵流の古正本が十一本、鷺流の古正本が五本、和泉流の古正本が十一本である。なほ徳川時代に続刊された版本狂言記五種は、従来多く狂言の底本として複刊されてゐるので、参考のために其の曲目を附記する。
 この表の曲名欄で、曲名に〇を冠したものは代表的の名称と認められるもの、*を冠したのはその異名、異名の二つ以上あるものには**を冠して列挙した。
 「*内沙汰〇右近左近」の如きは、代表的の曲名「右近左近」の條にあることを示し、「△蝸牛(かたつむり)〇蝸牛(くわぎう)」の如きは、読み方による検索を考慮したもので、その代表的の曲名「蝸牛(くわぎう)」の條にあることを示す。
 また流派欄で、〇のあるのは、その流派のものが上段の 〇を冠した曲名で見えてゐることを示し、*のあるのは、上段の*を冠した曲名で見えてゐることを示す。従つて*〇とあるのは、両様の曲名で見えてゐることを示すものであり、その他は之に準じて承知されたい。
 なほ何の印もないのは、言ふ迄もなく其の流派の古正本には見えないといふ意味である。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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〇青海苔(おをのり) 大蔵流・鷺流
〇皸(あかゞり) 大・鷺・和泉流・狂言記版本
〇芥川(あくたがは) 大・和 *脛薑(すねはじかみ) 版
〇悪太郎(あくたらう) 大・鷺・和・版
〇悪坊(あくばう) 大・鷺・和・版
〇朝比奈(あさひな) 大・鷺・和・版
〇麻生(あさふ) 大・鷺・和 *烏帽子折(ゑぼしをり) 版{*1}
〇東大名(あづまだいみやう) 大・鷺・和
〇合柿(あはせがき) 大・鷺・和・版{*2}
*相合袴(あひあひばかま) 〇二人袴(ふたりばかま)
〇相合烏帽子(あひあひゑぼし) 大・鷺
〇相生神楽(あひおひかぐら) 鷺

い ゐ
〇祐善(いうぜん) 大・鷺・和・版
〇居杭(ゐぐひ) 大・鷺・和・版
〇生捕鈴木(いけどりすゞき) 版
〇石神(いしがみ) 大・鷺・和・版
〇射狸(いだぬき) 大・鷺 *腹鼓(はらづゝみ) 鷺
*暇(いとま)の袋(ふくろ) 〇引括(ひつくゝり)
〇因幡堂(いなばだう) 大・鷺・和・版
〇犬山伏(いぬやまぶし) 大・鷺・和・版
〇岩太郎(いはたらう) 大
〇岩橋(いははし) 大・和 *岩橋聟(いははしむこ) 鷺
〇祝獅子(いはひじし) 大
〇家童子(いへどうじ) 鷺
〇庵(いほり)の梅(うめ) 大・鷺・和
〇今神明(いまじんめい) 大・和 *栗隈神明(くりくましんめい)
〇今参(いままゐり) 大・鷺・和・版
〇伊文字(いもじ) 大・鷺・和・版
〇入間川(いるまがは) 大・鷺・和・版
〇以呂波(いろは) 大・鷺・和・版

*魚説経(うをぜつきやう) 〇魚説法(うをぜつぽふ)
〇魚説法(うをぜつぽふ) 大・和・版 *魚説経(うをぜつきやう) 和 **魚談義(うをだんぎ) 鷺
**魚談義(うをだんぎ) 〇魚説法(うをぜつぽふ)
〇鴬(うぐひす) 大・鷺・和・版 *鴬刺(うぐひすさし) 鷺
〇鴬聟(うぐひすむこ) 鷺
*烏塞翁(うさいをう) 〇笑祖父(わらひおほぢ)
〇牛馬(うしうま) 大・鷺・和・版 △牛馬(ぎうば){*3}
〇牛座頭(うしざとう) 大・鷺
〇牛盜人(うしぬすびと) 大・和
*歌争(うたあらそひ) 〇土筆(つくし)
〇歌軍(うたいくさ) 大
*歌相撲(うたずまふ) 〇土筆(つくし)
*内沙汰(うちざた) 〇右近左近(おこさこ)
〇氏結(うじむすび) 鷺
〇靭猿(うつぼざる) 大・鷺・和・版
〇浦島(うらしま) 大
〇瓜盗人(うりぬすびと) 大・鷺・和・版
〇右流左止(うるさし) 大・鷺・和

え ゑ
*餌差十王(ゑざしじふわう) 〇政頼{*4}
〇蛭子大黒(えびすだいこく) 大・鷺・和 *蛭子大黒天(えびすだいこくてん) 版 **福祭(ふくまつり) 鷺
〇蛭子毘沙門(えびすびしやもん) 大・鷺・和
*烏帽子折(ゑぼしをり) 〇麻生(あさふ)

お を
〇岡太夫(をかだいふ) 大・鷺・和・版
〇右近左近(おこさこ) 大 *内沙汰(うちざた) 鷺・和・版
〇おさひ 大
〇御茶(おちや)の水(みづ) 大 *茶水(ちやすゐ) **水汲(みづくみ) 大・鷺・和 ***水汲新発意(みづくみしんぼち) 鷺・和
〇鬼争(おにあらそひ) 大・鷺
〇鬼瓦(おにがはら) 大・鷺・和・版
〇鬼(おに)が宿(やど) 大
**鬼清水(おにしみづ) 〇清水(しみづ)
〇鬼(おに)の槌(つち) 鷺
〇鬼(おに)の継子(まゝこ) 大・鷺・和 *鬼(おに)の養子(やうし) 版
〇鬼丸(おにまる) 大・和
〇伯母(をば)が酒(さけ) 大・鷺・和・版
〇小原梅(をはらのうめ) 大
〇御冷(おひや)し 大・鷺・和 *冷(ひや)し物(もの) 大
〇大藤内(おほとうない) 和
〇折紙聟(をりがみむこ) 大・鷺・和
〇音曲聟(おんぎよくむこ) 大・鷺・和 *吟聟(ぎんじむこ) 版
〇御田(おんだ) 大 *田植(たうゑ) 和
*女山賊(をんなやまだち) 〇痩松(やせまつ)

〇柑子(かうじ) 大・鷺・和・版
〇柑子俵(かうじだはら) 大・鷺・和・版
〇膏薬煉(かうやくねり) 大・和・版 *膏薬(かうやく) 鷺
〇鏡男(かゞみをとこ) 大・鷺・和 *土産(みやげ)の鏡(かゞみ) 版
〇柿売(かきうり) 版{*5}
〇餓鬼十王(がきじふわう) 大・鷺
〇柿山伏(かきやまぶし) 大・鷺・和
〇隠狸(かくしだぬき) 大・鷺・和・版
〇此耕(かくすゐ) 大・和
〇此耕聟(かくすゐむこ) 大・鷺 *此耕(かくすゐ) 大・和・版
〇隠笠(かくれがさ) 大・鷺・和 *宝(たから)の笠(かさ) 大・鷺・和・版
*笠(かさ)の下(した) 〇地蔵舞(ぢざうまひ)
〇鹿島詣(かしままゐり) 大
〇蚊相撲(かずまふ) 大・鷺・和
〇歌仙(かせん) 大・鷺・和
△蝸牛(かたつむり) 〇蝸牛(くわぎう)
〇勝栗(かちぐり) 鷺・和
*羯鼓炮碌(かつこはうろく) 〇鍋八撥(なべやつばち)
〇金津(かなつ) 大・鷺 *金津地蔵(かなつぢざう) 大・鷺・和・版
〇金岡(かなをか) 大・鷺・和・版
〇蟹山伏(かにやまぶし) 大・鷺・和・版
〇鐘(かね)の音(ね) 大・鷺・和・版
〇川上(かはかみ) 大・和 *川上座頭(かはかみざとう) 鷺 **川上地蔵(かはかみぢざう) 版
〇河原太郎(かはらたらう) 大・鷺・和 *河原新市(かはらのしんいち) 版
〇鎌腹(かまばら) 大・鷺・和・版 *腹不切(はらきらず) 和
〇神鳴(かみなり) 大・鷺・和 *針立雷(はりたてかみなり) 版 **雷公(らいこう) 鷺
〇唐哥(からうた) 大
〇雁雁金(がんかりがね) 大・鷺・和・版
*雁大名(がんだいみやう) 〇雁盗人(がんぬすびと)
〇雁礫(がんつぶて) 大・鷺・和 *雁争(がんあらそひ) 版{*6}
〇雁盗人(がんぬすびと) 大・鷺・和 *雁大名(がんだいみやう)  和・版

△牛馬(ぎうば)  〇牛馬(うしうま)
〇祇園(ぎをん) 大・版 *太鼓負(たいこおひ){*7} 和
〇祇園参詣(ぎをんさんけい) 大
〇不聞座頭(きかずざとう) 大・鷺・和 *聾座頭(つんぼざとう) 版 **不見不聞(みずきかず) 和
*菊水祖父(きくすゐおほぢ) 〇薬水(やくすゐ)
*菊(きく)の花(はな) 〇茫々頭(ばうばうがしら)
*北野千句(きたのせんく) 〇千句(せんく)
〇北野参(きたのまゐり) 大
〇狐塚(きつねづか) 大・鷺・和・版
〇狐塚(きつねづか)小唄入(こうたいり) 大
*兄弟諍(きやうだいいさかひ) 〇舎弟(しやてい)
*清水座頭(きよみづざとう) 〇瞽女座頭(ごぜざとう)
*清水毘沙門(きよみづびしやもん) 〇毘沙門(びしやもん)
〇木六駄(きろくだ) 大・鷺・和
*吟三郎(ぎんざぶらう) 〇樽聟(たるむこ)
*吟聟(ぎんじむこ) 〇音曲聟(おんぎよくむこ)
〇金藤左衛門(きんとうざゑもん) 大・鷺
〇禁野(きんや) 大・鷺・和・版

〇茸(くさびら) 大・和 *茸山伏(くさびらやまぶし) 大・和・版 **叢(くさむら) 和
〇鬮罪人(きじざいにん) 大・鷺・和・版
〇口真似(くちまね) 大・鷺・和 *柳樽(やなぎだる) 版
〇口真似聟(くちまねむこ) 大・鷺・和・版
〇杭(くひ)か人(ひと)か 大・和・版 *人(ひと)か杭(くひ)か 鷺
〇首引(くびひき) 大・鷺・和・版
〇くも 大 *立山(たちやま) 大
〇蜘盗人(くもぬすびと) 大・和
〇鞍馬参(くらままゐり) 大・鷺・和 *福渡(ふくわたし) 鷺・版
〇鞍馬聟(くらまむこ) 鷺・和
*栗隈神明(くりくましんめい) 〇今神明(いまじんめい)
〇栗焼(くりやき) 大・鷺・和
〇懐中聟(くわいちうむこ) 大・鷺・和
〇蝸牛(くわぎう) 大・和 △蝸牛(かたつむり){*8}
〇勧進聖(くわんじんひじり) 和

〇鶏猫(けいみよう) 大・和
〇鶏流(けいりう) 大・鷺・和 *鶏流(けいりう)の江(え) 版
〇現在通円(げんざいつうゑん) 鷺
〇見物左衛門(けんぶつざゑもん) 大・鷺・版

〇小傘(こがらかさ) 鷺・和
〇腰祈(こしいのり) 大・鷺・和・版 *腰祈山伏(こしいのりやまぶし) 大
〇瞽女座頭(ごぜざとう) 大・鷺 *清水座頭(きよみづざとう) 和
〇子盗人(こぬすびと) 大・鷺・和・版
〇木実争(このみあらそひ) 和
*乞聟(こひむこ) 〇貰聟(もらひむこ)
*こんくわい 〇釣狐(つりぎつね)
〇昆布売(こぶうり) 大・鷺・和・版
〇昆布柿(こぶがき) 大・鷺・和・版
〇昆布布施(こぶふせ) 鷺・版 *布施昆布(ふせこぶ)

校訂者注
 1:底本は、「〇麻生(あさふ) 大・鷺・和・版 *烏帽子折(ゑぼしをり)」
 2・5:底本は、「〇合柿(あはせがき) 大・鷺・和 *柿売(かきうり) 版」「*柿売(かきうり) 〇合柿(あはせがき)」。しかし、版本『狂言記』には、「合柿」(『狂言記』巻一の四)「柿売」(『同拾遺』巻三の八)があり、それぞれ全く内容の異なる別の話である。
 3:底本に「△牛馬(ぎうば)」はない。
 4:底本は、「〇餌差(ゑざし) 大 *餌差十王(ゑざしじふわう) 大・鷺・版」。しかし、版本『狂言記』の「餌差十王」(『狂言記拾遺』巻四の十)のシテは「清頼」であり、「政頼」と同じ話である。
 6:底本は、「〇雁礫(がんつぶて) 大・鷺・和 *雁争(がんあらそひ)」
 7:底本は、「太鼓負(たいこおほひ)」
 8:底本に「△蝸牛(かたつむり)」はない。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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