江戸期版本を読む

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カテゴリ:狂言 > 笹野堅校大蔵流狂言『能狂言』(1942--45)

〇塞翁(さいをう) 大・鷺
〇賽(さい)の目(め) 大・鷺・和 *賽(さい)の目聟(めむこ) 鷺・和 **算勘聟(さんかんむこ) 版
〇財宝(ざいはう) 大・鷺・和
〇鷺(さぎ) 鷺
*桜争(さくらあらそひ) 〇花争(はなあらそひ)
〇酒講(さけかう)の式(しき) 鷺・和
〇左近三郎(さこのさぶらう) 大 *鹿狩(しかがり) 鷺・版
〇栄螺(さゞえ) 大・鷺
*差出祖父(さしでおほぢ) 〇孫聟(まごむこ)
*緡縄(さしなは) 〇縄綯(なはなひ)
〇茶子塩梅(さすあんばい) 大・鷺・和{*1}
*座禅(ざぜん) 〇花子(はなこ)
〇察化(さつくわ) 大・鷺・版 *見請殺嘩(みごひさつくわ) 和
〇薩摩守(さつまのかみ) 大・鷺・和・版
〇佐渡狐(さどぎつね) 大・鷺・和・版
〇猿座頭(さるざとう) 大・和 *猿替勾当(さるかへこうたう) 版 **花見座頭(はなみざとう) 鷺
〇猿聟(さるむこ) 大・和
〇三国百姓(さんごくのひやくしやう) 大
〇三人片輪(さんにんかたわ) 大・鷺・和・版
〇三人僧(さんにんそう) 大
〇三人長者(さんにんちやうじや) 大・鷺・和
〇三人夫(さんにんぶ) 大・鷺・和 *三人百姓(さんにんひやくしやう) 版
〇三本柱(さんぼんのはしら) 大・鷺・和・版

〇秀句傘(しうくがらかさ) 大・鷺・和 *秀句大名(しうくだいみやう) 版
〇鹿(しか)ぞなく 大・鷺
*鹿狩(しかがり) 〇左近三郎(さこのさぶらう)
〇獅子聟(ししむこ) 大
〇磁石(じしやく) 大・鷺・和・版
〇二千石(じせんせき) 大・鷺・和・版
〇七騎落(しちきおち) 版
〇七福神(しちふくじん) 鷺
〇止動方角(しどうはうがく) 大・鷺・和・版
〇痿痺(しびり) 大・鷺・和・版
〇清水(しみづ) 大・鷺・和 *野中清水(のなかのしみづ) 和 **鬼清水(おにしみづ) 版
〇舎弟(しやてい) 大・鷺・和 *兄弟諍(きやうだいいさかひ)  版
〇宗論(しゆうろん) 大・鷺・和・版
〇挂杖(しゆぢやう) 大・鷺・和・版
*春作(しゆんさく) 〇泥閑(でいかん)
〇真奪(しんばい) 大・鷺・和・版

〇素襖落(すあうおとし) 大・鷺・和・版
〇水練聟(すゐれんむこ) 大
*水論聟(すゐろんむこ) 〇水掛聟(みずかけむこ)
〇末広(すゑひろ)がり 大・鷺・和・版
〇双六(すごろく) 大・鷺・和 *双六僧(すごろくそう) 鷺・版
〇鱸庖丁(すゞきばうちやう) 大・鷺・和・版
*雀(すゞめ) 〇松山(まつやま)
*脛薑(すねはじかみ) 〇芥川(あくたがは)
〇酢薑(すはじかみ) 大・鷺・和・版 *酢辛(すがら) 鷺・和
*住吉(すみよし) 〇弓矢(ゆみや)
〇受法(じゆほふ) 大・鷺
〇墨塗(すみぬり) 大・鷺・和 *墨塗女(すみぬりをんな) 版

〇政頼(せいらい) 大・鷺・和 *餌差(ゑざし) 大 **餌差十王(ゑざしじふわう) 大・鷺・版{*2}
〇節分(せつぶん) 大・鷺・和・版
〇蝉(せみ) 大・鷺・和
〇千句(せんく) 大 *北野千句(きたのせんく)  大
〇煎(せん)じ物(もの) 大・鷺・和 *煎(せん)じ物売(ものうり) 版

〇惣八(そうはち) 大・鷺・和 *俄道心(にはかだうしん) 版
〇空腕(そらうで) 大・鷺・和
〇空腹(そらばら) 大

*太鼓負(たいこおひ){*3} 〇祇園(ぎをん)
〇大黒連歌(だいこくれんが) 大・鷺・和
〇太子(たいし)の手鉾(てぼこ) 鷺・和
〇大般若(だいはんにや) 大・鷺・和・版
*田植(たうゑ) 〇御田(おんだ)
〇唐人子宝(たうじんこだから) 鷺・和
〇唐相撲(たうずまふ) 大・鷺・和 *唐人相撲(たうじんずまふ) 大・和・版
〇唐薬(たうやく) 鷺
〇宝(たから)の市(いち) 大
*宝(たから)の笠(かさ) 〇隠笠(かくれがさ)
〇宝(たから)の瘤(こぶ) 鷺 *宝(たから)の瘤取(こぶとり) 鷺
〇宝(たから)の槌(つち) 大・鷺・和・版 *つち 和
〇竹子(たけのこ) 大・鷺・和 *竹子争(たけのこあらそひ) 版
〇蛸(たこ) 大・鷺・和・版
〇太刀奪(たちばひ) 大・鷺・和・版
*立山(たちやま) 〇くも
〇狸腹鼓(たぬきのはらづゝみ) 和
〇樽聟(たるむこ) 大・和・版 *吟三郎(ぎんざぶらう)  鷺 **無縁聟(むえんむこ) 鷺・和

〇契木(ちぎりき) 大・鷺・和・版 *花(はな)の頭(とう) 和
〇竹生島参(ちくぶしままゐり) 大・和・版 *奴良奴良(ぬらぬら) 大・和 **物真似(ものまね) 鷺
〇地獄僧(ぢごくそう) 大
〇児流鏑馬(ちごやぶさめ) 大・鷺・和
〇地蔵舞(ぢざうまひ) 大・鷺・和 *笠(かさ)の下(した)  大・版
〇千鳥(ちどり) 大・鷺・和 *対馬祭(つしままつり) 版
〇茶嗅座頭(ちやかぎざとう) 鷺
*茶水(ちやすゐ) 〇御茶(おちや)の水(みづ)
〇茶壺(ちやつぼ) 大・鷺・和・版
〇重喜(ぢゆうき) 大・鷺・和

〇通円(つうゑん) 大・鷺・和・版
〇月見座頭(つきみざとう) 大・鷺
〇土筆(つくし) 大・鷺 *歌争(うたあらそひ) 和 **歌相撲(うたずまふ) 版
〇筑紫奥(つくしのおく) 大・鷺・和
*対馬祭(つしままつり) 〇千鳥(ちどり)
*つち 〇宝(たから)の槌(つち)
〇筒竹筒(つゝさゝえ) 和
〇鼓座頭(つゞみざとう) 大
〇苞山伏(つとやまぶし) 大・鷺・和・版
〇釣狐(つりぎつね) 大・和 *こんくわい 鷺・版
〇釣針(つりばり) 大・鷺・和 *釣女(つりをんな) 版
〇弦師(つるし) 和
*聾座頭(つんぼざとう) 〇不聞座頭(きかずざとう)

〇泥閑(でいかん) 鷺 *春作(しゆんさく) 鷺
〇手負山賊(ておひやまだち){*4} 大・鷺・版
*手車(てぐるま) 〇鈍太郎(どんたらう)
〇天狗(てんぐ)の婚(よめいり) 鷺
*天神(てんじん) 〇連歌十徳(れんがじつとく)

〇時(とき) 大
〇野老(ところ){*5} 鷺・和
〇鈍根草(どごんさう) 大・鷺・和・版
〇東西迷(どちはぐれ) 大・鷺・和・版 *布施(ふせ)と斎(とき){*6} 鷺
〇飛越(とびこえ) 大・鷺・和 *飛越新発意(とびこえしんぼち) 和・版
△土筆(どひつ) 〇土筆(つくし)
〇丼礑(どぶかつちり) 大・鷺・和・版
〇吃(ども)り 大・鷺・和・版
〇鈍太郎(どんたらう) 大・鷺・和 *手車(てぐるま) 版

校訂者注
 1:底本は、「〇茶子塩梅(さすあんばい) 大・鷺・和・版」
 2:底本は、「〇政頼(せいらい) 大・鷺・和」。しかし、版本『狂言記』の「餌差十王」(『狂言記拾遺』巻四の十)のシテは「清頼」であり、「政頼」と同じ話である。
 3:底本は、「太鼓負(たいこおほひ)」
 4:底本は、「手負山賊(ておひやまぶし)」
 5:底本は、「野毛(ところ)」
 6:底本は、「布施(ふせ)と斉(さい)」

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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〇長光(ながみつ) 大・鷺・和・版
〇泣尼(なきあま) 大・鷺・和・版 *泣尼説法(なきあませつぽふ) 大 **泣尼法談(なきあまほふだん) 大
〇泣聟(なきむこ) 鷺
〇長刀応答(なぎなたあしらひ) 鷺・和
〇奈須(なす)の与一(よいち) 大・版 *奈須(なす) 和
〇茄子(なすび) 大・鷺
〇名取川(なとりがは) 大・鷺・和・版
〇縄綯(なはなひ) 大・鷺・和 *緡縄(さしなは) 版
〇鍋八撥(なべやつばち) 大・鷺・和 *羯鼓炮碌(かつこはうろく)  版
〇腥物(なまぐさもの) 大・鷺・和・版
〇成上(なりあがり) 大・和 *成上者(なりあがりもの) 版
〇業平狐(なりひらぎつね) 和
〇業平餅(なりひらもち) 大・鷺・和
〇鳴子(なるこ) 大・鷺・和
〇鳴子遣子(なるこやるこ) 大・和 *遣子(やるこ)

〇二九十八(にくじふはち) 大・和・版
*荷文(になひぶみ) 〇文荷(ふみにない)
△二人座頭(ににんざとう) 〇二人座頭(ふたりざとう)
△二人大名(ににんだいみやう) 〇二人大名(ふたりだいみやう)
△二人袴(ににんばかま) 〇二人袴(ふたりばかま)
*俄道心(にはかだうしん) 〇惣八(そうはち)
〇鶏聟(にはとりむこ) 大・鷺・和・版
〇若市(にやくいち) 大・鷺・和・版
〇仁王(にわう) 大・鷺・和・版

〇抜殻(ぬけがら) 大・鷺・和・版
〇塗師(ぬし) 大・鷺・和 *塗師平六(ぬしへいろく) 和・版
*盗人連歌(ぬすびとれんが) 〇連歌盗人(れんがぬすびと)
*奴良奴良(ぬらぬら) 〇竹生島参(ちくぶしままゐり)
*塗付(ぬりつけ) 〇早漆(はやうるし)

〇寝音曲(ねおんぎよく) 大・鷺・和 *寝声(ねごゑ) 大・版
〇寝替(ねがはり) 大・鷺
〇祢宜山伏(ねぎやまぶし) 大・鷺・和・版
〇寝墨(ねずみ) 大
〇寝取女(ねとりをんな) 大

*野中清水(のなかのしみづ) 〇清水(しみづ)
〇祝詞神楽(のつとかぐら) 大・鷺
〇のろひ男(をとこ) 大

〇庖丁聟(はうちやうむこ) 大・鷺・和 *料理聟(れうりむこ) 版
〇茫々頭(ばうばうがしら) 大・和 *菊(きく)の花(はな)  大・鷺・和・版
〇宝来聟(はうらいむこ) 大
〇萩大名(はぎだいみやう) 大・鷺・和・版
〇博奕十王(ばくちじふわう) 大・和
〇伯養(はくやう) 大・鷺・和 *琵琶座頭(びわざとう) 大 **琵琶借座頭(びわかりざとう) 版
〇馬口労(ばくらう) 大・鷺・和
〇蜂(はち) 大
〇八句連歌(はちくれんが) 大・鷺・和・版
〇鉢叩(はちたゝき) 大・鷺・和 *瓢(ふくべ)の神(しん) 大
〇花争(はなあらそひ) 大・鷺・和 *桜争(さくらあらそひ) 版
〇花軍(はないくさ) 大
〇花折(はなをり) 大・鷺・和・版 *花折新発意(はなをりしんぼち) 大・鷺・和
〇花合戦(はながつせん) 鷺
〇花子(はなご) 大・和・版 *座禅(ざぜん) 大・鷺
〇鼻取相撲(はなとりずまふ) 大・鷺・和・版
〇花盗人(はなぬすびと) 大・鷺・和
*花(はな)の頭(とう) 〇契木(ちぎりき)
**花見座頭(はなみざとう) 〇猿座頭(さるざとう)
〇蛤(はまぐり) 鷺
〇早漆(はやうるし) 大・鷺・和・版 *塗付(ぬりつけ) 和
〇囃子聟(はやしむこ) 和
*腹不切(はらきらず) 〇鎌腹(かまばら)
〇腹不立(はらたてず) 大・鷺・和・版
*腹鼓(はらづゝみ) 〇射狸(いだぬき)
〇張蛸(はりだこ) 大・鷺・和・版
*針立雷(はりたてかみなり) 〇神鳴(かみなり)
〇半銭(はんせん) 鷺

〇簸屑(ひくづ) 大・鷺・和
〇髭櫓(ひげやぐら) 大・鷺・和
〇引括(ひつくゝり) 大・鷺・和 *暇(いとま)の袋(ふくろ) 版
〇引敷聟(ひつしきむこ) 大・鷺・和
〇人馬(ひとうま) 大・鷺・和・版 *人(ひと)を馬(うま) 和
*人(ひと)か杭(くひ)か 〇杭(くひ)か人(ひと)か
〇独(ひと)り松茸(まつたけ) 大
〇樋酒(ひのさけ) 大・鷺・和・版
〇絹粥(ひめのり) 大・鷺・版
*冷(ひや)し物(もの) 〇御冷(おひや)し
〇ひろひ大黒(だいこく) 大
〇比丘桜(びくざくら) 鷺
〇比丘貞(びくさだ) 大・鷺・和・版
〇毘沙門(びしやもん) 大 *清水毘沙門(きよみづびしやもん) 大
*毘沙門連歌(びしやもんれんが) 〇連歌毘沙門(れんがびしやもん)
**琵琶借座頭(びわかりざとう) 〇伯養(はくやう)
*琵琶座頭(びわざとう) 〇伯養(はくやう)
〇琵琶聟(びわむこ) 大

ふ{*1}
〇武悪(ぶあく) 大・鷺・和・版
〇深草祭(ふかくさまつり) 大・鷺
〇吹取(ふきとり) 大・和
〇福(ふく)の神(かみ) 大・鷺・和・版
*瓢(ふくべ)の神(しん) 〇鉢叩(はちたゝき)
〇瓢(ふくべ)の神(しん)勤入(つとめいり) 大・和
**福祭(ふくまつり) 〇蛭子大黒(えびすだいこく)
〇梟山伏(ふくろやまぶし) 大・鷺・和・版 *梟(ふくろ) 大・和
*福渡(ふくわたし) 〇鞍馬参(くらままゐり)
〇富士松(ふじまつ) 大・鷺・和・版
〇附子(ぶす) 大・鷺・和・版
〇文相撲(ふみずまふ){*2} 大・鷺・和・版
*布施昆布(ふせこぶ) 〇布施昆布(こぶふせ)
*布施(ふせ)と斎(とき){*3} 〇東西迷(どちはぐれ)
〇布施無経(ふせないきやう) 大・鷺・和 *布施(ふせ)ない 版
〇二人座頭(ふたりざとう) 大・鷺
〇二人大名(ふたりだいみやう) 大・鷺・和・版
〇二人袴(ふたりばかま) 大・鷺・和 *相合袴(あひあひばかま) 版
〇仏師(ぶつし) 大・鷺・和・版
〇鮒(ふな) 和
〇船渡聟(ふなわたしむこ) 大・鷺・和 *渡聟(わたしむこ) 鷺
〇舟船(ふねふな) 大・鷺・和・版
〇文荷(ふみになひ) 大・鷺・和 *荷文(になひぶみ) 版 **文(ふみ)さき 大
〇文山賊(ふみやまだち) 大・鷺・和・版
〇文蔵(ぶんざう) 大・鷺・和・版

〇弁天参詣(べんてんさんけい) 大

〇棒縛(ぼうしばり) 大・鷺・和
〇鵬鳥(ほうてう) 大
〇謀盛種(ほうでうのたね) 大・和 *謀盛(ほうでう) 鷺
〇穂積(ほつみ) 鷺
〇骨皮(ほねかは) 大・鷺・和 *骨皮新発意(ほねかはしんぼち) 版
〇法師(ほふし)が母(はゝ) 大・鷺・和 *法師物狂(ほふしものぐるひ) 版
〇盆山(ぼんさん) 大・鷺・和・版 *盆山盗人(ぼんさんぬすびと) 鷺
〇本俵(ほんだはら) 大

校訂者注
 1:底本「わ」に「*渡聟(わたしむこ) 〇福渡聟(ふくわたしむこ)」の項がある(「流派」は全て空欄)。
 2:底本は、「〇文相撲(ふずまふ)」
 3:底本は、「*布施(ふせ)と斉(さい)」

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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〇枕物狂(まくらものぐるひ) 大・鷺・和・版
〇孫聟(まごむこ) 大・鷺・和 *差出祖父(さしでおほぢ) 鷺
〇松囃子(まつばやし) 大・和
〇松脂(まつやに) 大・鷺・和 *松(まつ)の精(せい) 版
〇松山(まつやま) 大 *雀(すゞめ) 大
〇松楪(まつゆづりは) 大・鷺・和・版
〇継子山伏(まゝこやまぶし) 大 *継子(まゝこ) 大
〇鞠座頭(まりざとう) 大・鷺・和 *鞠蹴座頭(まりけざとう) 版
〇饅頭(まんぢゆう) 大・鷺 *饅頭食(まんぢゆうくひ) 版

〇箕被(みかづき) 大・鷺・和・版
*見請殺嘩(みごひさつくわ) 〇察化(さつくわ)
**不見不聞(みずきかず) 〇不聞座頭(きかずざとう)
〇水掛聟(みづかけむこ) 大・鷺・和 *水論聟(すゐろんむこ) 版
**水汲(みづくみ) 〇御茶(おちや)の水(みづ)
***水汲新発意(みづくみしんぼち) 〇御茶(おちや)の水(みづ)
〇眉目吉(みめよし) 大
*土産(みやげ)の鏡(かゞみ) 〇鏡男(かゞみをとこ)

**無縁聟(むえんむこ) 〇樽聟(たるむこ)
〇百足(むかで) 大
〇聟入天狗(むこいりてんぐ) 大
〇胸突(むねつき) 大・鷺・和・版

〇目近(めぢか) 大・鷺・和 *目近込骨(めぢかこめぼね) 大・鷺・和 **目近大名(めぢかだいみやう) 版

〇餅酒(もちざけ) 大・鷺・和・版
**物真似(ものまね) 〇竹生島参(ちくぶしままゐり)
〇貰聟(もらひむこ) 大・鷺・和・版 *乞聟(こひむこ) 大・鷺・和

〇八尾(やを) 大・鷺・和 *八尾地蔵(やをのぢざう){*1} 版
〇薬水(やくすゐ) 大・鷺 *菊水祖父(きくすゐおほぢ) 鷺
〇痩松(やせまつ) 大・和 *女山賊(をんなやまだち) 和・版
〇楊柳梅(やなぎうめ) 大
*柳樽(やなぎだる) 〇口真似(くちまね)
〇八幡前(やはたのまへ) 大・鷺・和 *八幡聟(やはたむこ) 版
〇八幡祭(やはたまつり) 大
〇山家男(やまがをとこ) 大
〇山賊聟(やまだちむこ) 大
*遣子(やるこ) 〇鳴子遣子(なるこやるこ)

〇雪打(ゆきうち) 大・和 *雪打合(ゆきうちあひ) 和
〇弓矢(ゆみや) 鷺・和 *住吉(すみよし) 鷺
〇弓矢太郎(ゆみやたらう) 和

〇横座(よこざ) 大・鷺・和・版
〇米市(よねいち) 大・鷺・和・版
〇呼声(よびごゑ) 大・鷺
〇鎧(よろひ) 大・鷺・和・版 *鎧腹卷(よろひはらまき) 和

**雷公(らいこう) 〇神鳴(かみなり)
〇老武者(らうむしや) 大・鷺・和・版
〇楽阿弥(らくあみ) 大・鷺・和・版

*料理聟(れうりむこ) 〇庖丁聟(はうちやうむこ)
〇連歌十徳(れんがじつとく) 大・和 *天神(てんじん) 大
〇連歌盗人(れんがぬすびと) 大・鷺・和 *盗人連歌(ぬすびとれんが) 版
〇連歌毘沙門(れんがびしやもん) 大・鷺・版 *毘沙門連歌(びしやもんれんが) 鷺・和
〇連雀(れんじやく) 和・版

〇六地蔵(ろくぢざう) 大・鷺・和・版
〇六人僧(ろくにんそう) 鷺・和・版
〇呂蓮(ろれん) 大・鷺・和 *路蓮坊主(ろれんばうず) 版

〇若女(わかをんな) 大・和
〇若菜(わかな) 大・鷺・和
〇若和布(わかめ) 大・鷺・和
*渡聟(わたしむこ) 〇福渡聟(ふくわたしむこ){*2}
〇笑祖父(わらひおほぢ) 鷺 *烏塞翁(うさいをう) 鷺
〇笑不動(わらひふどう) 大

校訂者注
 1:底本は、「〇八尾(やを) 大・鷺・和・版 *八尾地蔵(やをぢざう)」
 2:底本に「〇福渡聟(ふくわたしむこ) *渡聟(わたしむこ)」の項はない。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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 およそ現在まで確実に伝へられてゐる狂言は三百五十五番である。但し、各流共に一部の伝書に収められてゐるところは、百番前後から二百番位のもので、その所収曲目は流派によつて相異し、また同じ流派のものでも、転写本でない限り、出入りが見られるのである。それらの伝書の内容は、大体、近世以前、狂言が定着したものの写本と、近世以後、狂言が固定したものの写本とで、近世以前の古く行はれた狂言を書いたものは稀であるが、近世以後の狂言が固定してから、それが写される当時に行はれてゐる狂言を書き留めたものは比較的多く、同じ流派のものでも、その写される時期によつて曲目に出入りがある。狂言が固定してからは、常に上演されるものは各流共に百五十番前後であつて、その曲目は流派によつて、大蔵流にない曲が鷺流にあり、鷺流にない曲が大蔵流にあるといつた 多少の異同があり、また同じ流派に於いても、将軍の代替りのような時期とか家元の代が替つた場合等に、稀に、或る曲を廃し或る曲を加へるといつた多少の出入りがあつたやうである。なほ時に有力者の所望によつて、常には観られない所謂遠い狂言が演ぜられることがあつて、当時としては珍しい古い狂言が書き残されるといふやうなこともあつた。
 また曲名は同じ狂言でも、その行はれてゐた時期によつて必ずしも一致してゐなかつた。元来、曲名は無雑作に考へられ、随時に名づけられてもゐたらしく思はれる。狂言の芸が確立する以前には、名を聴いただけで内容が察せられるやうなことは、未熟な喜劇のために有効なことではなかつたからで、永く定着しなかつたやうに考へられるのである。しかし狂言が固定しては自然曲名も固定して、同じ流派に於いては、およそ一致してゐたけれども、流派を異にしては、同曲でもかなり異名があり、同名でも読み方を異にしたものもあつた。
 こゝに表示した以外の異名を中世の諸記録から挙げてみると、「渋柿」(合柿)、「伊文字関」(伊文字)、「金光(きんみつ)」(右流左止)、「猿引」(靭猿)、「駄賃座頭・座頭牛に乗所」(牛座頭)、「高札聟」(蛭子毘沙門)、「鳥指」(餌差)、「糸縒」(お茶の水)、「蟹化物」(蟹山伏)、「柿喰山伏」(柿山伏)、「焙り狐」(狐塚)、「松の山鏡」(鏡男)、「三人百姓」(昆布柿)、「傘の秀句」(秀句傘)、「打身」(鱸庖丁)、「鬼の豆」(節分)、「唐の皇のすまい」(唐相撲)、「奪太刀」(太刀奪)、「宝買」(宝の槌)、「地蔵坊」(地蔵舞)、「浜千鳥」(千鳥)、「栂尾茶買」(茶壺)、「苞詞」(苞山伏)、「二人おさめ物」(筑紫奥)、「女楽阿弥」(鈍太郎)、「縄綯盗人」(縄綯)、「餅喰」(業平餅)、「鬼の抜殻」(抜殻)、「漆刷毛」(塗師)、「鉢棒」(鉢叩)、「十夜帰り」(花子)、「馬借座頭」(伯養)、「大名萩花一見所」(萩大名)、「髭垣立・おまきよせ」(鬚櫓)、「舟越舅」(船渡聟)、「袴裂き」(二人袴)、「深草」(深草祭)、「附子砂糖」(附子)、「石橋山の合戦」(文蔵)、「おいはぎ仕損令口論さしちがふる所」(文山賊)、「恋の祖父」(枕物狂)、「養老の洗ひ爺」(薬水)、「罪人」(八尾)、「米借り」(米市)、「若菜摘」(若菜)等がある。たゞ「座頭市に乗所」「大名萩花一見所」「おいはぎ仕損令口論さしちがふる所」等は果たして曲名とされたものかどうか。時には曲名を掲げずに演ぜられたこともあつて、その内容による勝手な思ひつきが記録されたやうにも考へられる。
 いづれにしても、近世以前、狂言が定着した頃の写本は、わたくしが博捜した限りでは唯一本しか見られないのだが、近世以後、狂言が固定してからの写本は、由緒の正しい伝書、精確な古正本と見られるものを厳選しても二十数本に上るのである。これによつて考へられることは、狂言が定着するまでの久しい伝承の遺風は、狂言が定着してからも演者の記憶に託して、容易に文字に移されなかつたといふことである。彼らは文書に依頼しようとはせずして、口頭伝承の任務を果たそうとしてゐたらしいのである。しかし狂言が固定するやうになると、近世の保守的な精神は一字一句をもゆるがせにさせなくなり、これを牢記することが困難に感じられると共に、書冊文化の進出に伴ひ記憶の特技に対する観念が淡くなつて、伝承の風習は要求されながらも、漸次これを記録に移譲するやうになつた。そして書かれない狂言の保存を不可能にしたのである。
 ただ筆に伝へられることの恐らくなかつたであろう狂言の定着した頃のものが、たまたま、寛永十九年大蔵虎明によつて忠実に書物に記録され、その退転されさうな災厄が防止されたのであつた。これの写されたのは近世初期であるが、その内容のまさしく近世狂言が固定する以前のものが、唯一本でも残されたのは幸ひであつた。われわれは之に室町時代の狂言の真の姿を見るのであるが、さうした書物に成りさうもなかつたものが文書に移管された動機には、その退転をおそれたといふことの半面に、他にも隠れた理由がなくてはならぬ。それは近世の変り目に際して、古来の狂言が近世的な変更を余儀なくされてゐたことが、これを文字に著して残さうとした念慮ではなかつたか。
 当時斯道で最も見識があり、責任のある地位にゐた虎明が、この伝統芸術の難関に立つて、世間の狂言が歌舞伎風になるのを嘆き、わらんべ草といふ著述のうちで子孫に深く戒めてゐるのが思ひ合はされるのである。虎明のいふ世間の狂言とは、流派として認められることが最もおそく、むしろ大蔵流の芸風に随つてゐたらしい和泉流を問題にしたのではなくて、恐らく鷺 流を対象として言つてゐるやうである。虎明によれば、当時は能もくだけて狂言に近くなり、世間の狂言は歌舞伎風になつた。そして大蔵の狂言は能に近いと見られる。しかし大蔵流は古来の風体を守つてゐるだけだが、能も世間の狂言もそんなわけだから、我が狂言が能に近いやうに見られるのだといつてゐる。それでも世間の好みに従ひ、昔よりは少し派手にしてゐるといつて、多少の変更の已むを得なかつたことを述べてゐるのである。歌舞伎の発生するやうな時勢にあつて、狂言の特性であつたところの流動性は、鷺流、和泉流に於いては、当世風な変化をもたらしつゝ固定したらしいのである。たゞ大蔵流に於いては、その本文に就いてみても、近世的な僅かな変更に止まつてゐる。それは 室町時代に定着して行はれて来た狂言の用語が近世通じ難くなつたものを改めたのと、筋が甚だしく当時に許容されないものを整理した位のもので固定したのであつた。
 わたくしが、こゝに底本とすべきものを大蔵流から採らうとした理由は、もう改めて言ふ迄もないと思ふが、鷺流は、その伝統が大蔵流よりも新しく、今日既に廃滅してゐるといふばかりではなく、中世にも遡り現在にも及んで見られる正本が全く考へられないものだからである。また和泉流は、今日なほ流風を樹ててゐるが、その伝統は鷺流などよりも新しく、近世中期に於ける其の本文の改変は、意識的な甚だしいものがあつて芸統を複雑にしたきらひがあり、今日の流伝が如何なるものによるか明らかでないので、中世から現在までの狂言を通じて考へられる正本を選ぶことがむつかしいからである。なほ近世初期から続刊された狂言記は、当時一般の読みものとして、狂言の対話の形をかりて作られたと思はれる以外には正体のわからないもので、今日の学問からは斥けられなくてはならないものであり、また今日の演戯を観る上にも大して参考にもならないものである。
 そこで、わたくしは中世以来現在に至るまで正しい 伝統を持ち伝へた、狂言の主流ともいふべき大蔵流に於いて、おほよそ中世から今日までの狂言を考へることが出来ると認められる大蔵虎寛自筆の正本を選定したのである。

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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 この本は、雁皮紙を用ゐ記録表紙をつけた縦五寸七分横四寸一分の袋綴じで七冊ある。表紙の左上の隅に短褐色の題簽を貼り、それぞれ「脇狂言之類」「大名之類」「小名の類」「聟女之類」「出家座頭之類」「集狂言之類」と外題を墨書してゐる。
 この集狂言之類の奥書によれば、寛政四年十一月大蔵虎寛が奈良に赴く際、古くから伝へられた本が大形で旅行に不便なので、五月頃から筆を起こして漸く十月二十五日に書き畢つたものだとある。この筆者の虎寛は、宝暦八年八月十五日江戸に生まれ、幼名を貞吉といふ。享和元年二月十九日、父大蔵虎里が隠居を仰せ付けられたので家督を相続し、大蔵の通称弥右衛門と改め、法名を道頂と称した。明和九年に初めて幕府の御用を勤め、勧進狂言を願つて興行したこともあつたが、文化二年十一月三日、四十八歳で没した。大蔵流の元祖と考へられる金春四郎次郎から十二代に当たつてゐる。然るに脇狂言之類の巻末には、「十九代狂言太夫大蔵弥右衛門虎寛」とある。この世代は、玄恵法印を初代とし日吉氏六代を加へて大蔵家で数えてゐたところのものである。その署名の下に捺した朱印は、白文で「秦忌寸」、朱文で「虎寛」とある方印である。また集狂言之類の奥書には、「寛政四年十月二十五日秦忌寸虎寛」と記されてゐるが、この下に捺した朱印は、朱文で「秦氏」、白文で「鹿貌」とある方印である。この本は、明治年間大蔵家の衰運により、その伝書全部を山本東次郎氏が保管したうちにあつたのであるが、近頃大蔵家の芸事が再興されることになつて、もとの大蔵家に帰してゐる。
 各冊開巻に、それぞれ「脇狂言之類」「大名之類」「小名の類」「聟女之類」「出家座頭之類」「集狂言之類」の内題があり、所収の曲目を二段に排列した目録がある。そして「脇狂言」の「末広がり」から「集狂言」の「釣狐」までを「通計百六十番」とし、次に「右之外書上珍敷狂言五番」として「松𣜿」「財宝」「饅頭」「樋酒」「花盗人」を挙げてゐる。この珍しい狂言といふのは、この百六十番ばかりの狂言が固定した頃、久しく廃曲となつてゐたのを再興したもので、幕府に書き上げてもゐたのである。享保六年七月、大蔵虎純が幕府へ差し出した書上が残つてゐるが、この目録もその通りの曲目である。すべて百六十五番の狂言を其の主題によつて分類したもので、この分類は今日まで実際にも言はれてゐるのである。これには狂言の代表的なものが網羅され、本文がよく整備され、各曲の終りに、その曲で用ゐられる装束、小道具、作り物も附記されてゐる。
 この奥書に見える大形の古本といふのは、現在伝ふるところを知らない。大蔵虎明が書いた室町時代の古い狂言が見られる本も大本であるが、それとは本文の相異したもので、近世初期、虎明本が書写されてから間もなく、大蔵流の狂言に近世的な刪定が加へられ、整理されたものを書き留めたのがこの大本であつたらしく思はれる。なほこの他に、大蔵流の門人、茂山千五郎正虎が、文政の頃、江戸の大蔵家に在つて之と同じものを写した本がある。その底本は、正虎の識語によると枕本であつたとあるが、それは虎寛の書いた中本を指すのであろうか。わたくしは、別に中本型の横 本のものがあつたやうに思はれる。少なくとも虎寛本が書写された前後には、大蔵家に同じ本文を伝へる、大本、中本及び枕本の三部のものがあつたやうであり、また享保六年の幕府へ書き上げた目録も之と同じ曲目であつたこと等を思ひ合せてみると、この本文は大蔵流が近世を通して台本としてゐたものと考へられるのである。
 すなはち虎寛本は、寛政四年に書き写されたものであるが、その本文は古くから伝へられた本によつたものであり、虎寛は其の狂言を少なくも先代大蔵虎里から受けたことは確かである。虎里は、元文五年十二月に大蔵の家職を相続したのであるが、その狂言は、享保二十年十二月に大蔵虎純の後を嗣いだ大蔵虎教から承けたものに相違ない。しかも享保六年の書上が全くこの曲目と一致してゐるのは、当時既に大蔵流の狂言がこの本文に固定してゐたことを考へさせるに十分なものであつて、その書上を差し出してゐる虎純は、その狂言を先代大蔵縁虎から伝へられたものであろう。縁虎は、実に虎明の後を襲た大蔵栄虎が延宝四年六月十八日に没した後を継いだものである。かやうに辿つて尋ねると、虎寛本は虎明本に次ぐもので、虎明本以後この本文に固定したことが知られ、そして永く之によつて大蔵流の狂言が演ぜられてゐたことがわかるのである。
 また虎寛本の本文が茂山正虎の写本で残つてゐることは、大蔵流が近世末期までこの本文によつて狂言を演じてゐたことが知られるのである。即ち正虎の写本は、虎寛の後を継いで天保五年一月八日に四十二歳で没するまで大蔵の家職を冒してゐた虎文が、文政八年七月これを一覧し相違ないといふ極めをつけた自筆の奥書があり、この本を収めた帙の裏に、明治十九年に七十七歳で没するまでこの職分に在つた正虎が、大蔵 虎文に就いて修行中これを書写し、師家の口伝等も書き入れたといふ識語がある。これによつて、虎文の後を継いだ大蔵虎武に伝へられ、なほ次いで嘉永二年十一月三日、最後の大蔵狂言太夫となつた虎長もこの家芸を踏襲したであらうと思はれる。かやうに虎寛以後も永く虎寛本の本文によつて、大蔵流の狂言が演ぜられてゐたことが証明されるのである。
 かくも大蔵流が大切に伝統を守り育てて来たことは、他流に於いては見られないことであつた。世の風潮に誘致されては、鷺、和泉の二流は、その狂言に次々の改訂を行つたやうである。殊に明和の改正は、能楽界にも所謂明和本なるものを出版せしめたが、狂言にも和泉流の所謂雲形本なるものを改訂させたのであつた。さうして本来の狂言とは異なつたものとなり 行く傾向をあらはし、遂には流伝に混雑を来たし統制を欠くやうにもなつて、古来の面貌を窺ふ手がゝりを失ふやうなことにもなつたのである。現在、和泉流がその家々の芸を受け継いでゐるとしても、近世後期、さうした状勢のもとに派閥に分立した結果は、今日、和泉流の狂言を一本に帰一して見ることを困難にさせたやうである。独り大蔵流が伝統に楯籠つてゐてくれたことは嬉しいことであつた。
 然らば現在の大蔵流は、如何なる台本のものが演ぜられてゐるか。大蔵流に限らず他の二流に於いてもさうであつたが、徳川幕府の崩壊は、幕府の狂言太夫としての或いは大名の御抱へ役者として禄仕し、社会と没交渉に民衆と関渉を持たない演劇にたづさはつてゐた狂言の門閥門党にとつて、大きな異変であつたのである。中世には其の民衆によろこばれ支持されてゐた 狂言が、近世の転変期に際して、在来の技芸を以てしては到底時勢について行くことは出来ないものであつたにも拘らず、その人々は、時の権勢者に生活を保証され安心して、その伝統を継続し其の芸に専念して行くことが出来たのと同日には考へられない。こゝに斯道は衰退の非運を辿るばかりであつた。しかも其の門閥の家々には斯芸の人として成り立つものがなく、各流の所謂家元は斯道を廃するに至つたのである。たゞ大蔵、和泉の門党によつて斯道が存続され、やがて明治聖代の恩恵がめぐり来て、古典芸術として尊重され 今日に到つてゐるのである。
 この転回に当たつた門党のうち、今日まで之に携つてゐるものは、大蔵流としては京阪の茂山二氏と東京の山本氏とが代表され、和泉流としては、東京の野村二氏と名古屋の門人達とが代表されるものである。そして現在の大蔵流に於ける茂山二氏は、共に大蔵虎文から芸統を引く、茂山千五郎正虎、茂山忠三郎義直に出で、また山本氏は、近世後期の大蔵の門流、倉谷武右衛門、宮野孫左衛門の流れを汲む山本東に発してゐる。今日の大蔵流は、その人々の家に伝へられたところのもので、義直の伝本は存してゐないが、正虎にも東にも伝本があり、共に虎寛本と殆んど異同の認め難いものである。即ち虎寛本は、現在の大蔵流が行つてゐる狂言の親本ともいはるべきものである。
 そこで徳川時代を通して行はれた大蔵虎寛本は、僅かな近世的な刪定の痕を考慮することによつて、遠く室町時代に行はれた狂言の姿を想定されるものであり、また殆んど其のまゝ現在の狂言を展望されうるものであつたのである。われわれは、これによつて今日の狂言を鑑賞し、また流伝の正確な今日の演戯に助成されて、古来の狂言の真相に肉迫することが出来るであろう。なほこの番数は、前に表示した三百数十番の狂言の半分にも足りないが、狂言の代表的なものはこの百六十五番に尽くされてゐるのであつて、一般の研究にも鑑賞にも決して少ないものではないのである。たまたま、その多くを求めて流伝も本文も顧みない蕪雑に混同されたものに迷はされてはならない。
 わたくしが、こゝに虎寛本を採つたのは、上述のやうに、この流派、本文、番数等に諸条件を具備し、この一書において古くから今に至るまで通じて見られるといふ便宜があつて、汎く一般の研究者及び鑑賞者のための定本といはれるやうなものを求むるならば、これを措いては他にありえないと思はれる理由があつたからである。(於北京奉哉室)

底本『能狂言 上』(笹野堅校 1942刊 国立国会図書館D.C.

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