江戸期版本を読む

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カテゴリ:軍記物語 > 校訂「源平盛衰記」 日本文学大系本

校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB総目次

 本コンテンツは「源平盛衰記 上巻 下巻」(『日本文学大系 第十五巻』『同 第十六巻』(国民図書 1926年刊)所収。国立国会図書館デジタルコレクション)の本文翻字です。

校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次1(巻 1~12)
巻 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次2(巻13~24)
巻 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次3(巻25~36)
巻 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36
校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次4(巻37~48)
巻 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48
 
軍記物語関係記事 総合インデックス

校訂源平盛衰記(日本文学大系本 1926年刊)WEB凡例

  1:底本は「源平盛衰記 上巻 下巻」(日本文学大系本 1926年国民図書刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を忠実にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略しました。
  4:底本の漢字は原則現在(2024年)通用の漢字に改めました。
  5:二字以上の繰り返し記号(踊り字)はテキストにないため、文字表記しました。
  6:底本の適宜改行し、句読点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入しました。
  7:底本の漢文は適宜訓読を修正し、書き下して示しました。
  8:校訂には『通俗日本全史 源平盛衰記  』(1912年刊)、「『源平盛衰記』全釈」(2006年~)、『新定『源平盛衰記』』(1988~1991年)を主に参照しました。
  9:底本の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は変更しました。
 おし(瘂→唖) ごかく(牛角→互角) ころ(比→頃) しやう(庄→荘) たも(持→保)つ ねた(妒→妬)し め(食→召)す さがみ(相摸→相模) だんのうら(檀浦→壇浦) けびゐし(撿非違使→検非違使)
 以下の漢字は平仮名に直して表記することがあります(順次更新)。
あ行
 あゝ(噫呼・戯呼・噫) あがか(蹀)す あが(踠)く あか(赧)む あからさま(白地) あが(沖)る あきら(察)か あき(惘)る あ(暁・明)く あ(勝・扛・抗)ぐ あくが(憧・浮宕)る あけ(翌) あけくれ(旦暮) あけぼの(陵晨) あざな(糺)ふ あざわら(嘲咲)ふ あじか(笭箐) あしげ(驄) あした(朝) あしだ(缺) あしら(会釈)ふ あじろ(籧) あた(宛) あたか(宛)も あたゝ(熅)む あたひ(直) あだや(流矢・徒矢・空矢) あたり(鐘) あた(中)る あぢきな(無為)し あつ(優)し あつぱれ(天晴) あづま(我妻) あつま(群)る あな(穴・窟・噫) あなが(強)ち あなた(彼方) あなたこなた(彼此) あは(哀)れ あはれ(愍)む あひしら(会釈)ふ あ(値・謁)ふ あ(沐)ぶ あふこ(朸杖) あふ(仰)のく あま(蜑) あまくだ(天降)る あまた(数多・余多) あまつさ(剰)へ あまね(普・洽・旁・遍)し あみ(罾) あや(奇・媚・怪)し あやど(操)る あやま(謬・悞・過)つ あやま(悞)る あら(荒) あら(匪)ず あらそ(諍)ふ あらたま(改) あらた(悛)む あらは(詮・省)す あら(濯)ふ あらまし(有増) ありあけ(晨明) あり(行)く ありさま(形勢) あ(或)る あわ(沫) あわ(周章)つ あん(安)ず いか(何) いかゞ(如何) いかで(争) いかに(何) いかばか(幾許)り いかり(沈石) いか(嗔)る いかんか(云何) いかんせん(云何) いきつ(唿)く いきどほ(鬱)る いくばく(幾・幾許・幾何) いけど(虜・生虜)る いさ(不知) いざ(誘) いさか(諍)ふ いさゝ(飯篠) いさゝ(聊)か いざな(引唱)ふ いそ(怱)がはし いそ(怱)ぐ いた(痛・労)く いだ(懐)く いたづら(徒) いたは(労)し いたは(労)る いた(傷)み いた(届)る いたるまで(迄) いちじる(掲・掲焉・験)し いちはや(逸早)し いつ(何時・何) いつか(早晩) いづく(何・何所・何処・何国) いつく(厳・麗)し いづく(寧)んぞ いづこ(何処) いつしか(早晩・早晩しか) いづち(何・何地) いつは(矯・詐)る いづ(何・孰)れ いと(最・糸) いとけ(稚・幼)なし いとほ(糸惜・愛)し いなびかり(電) いな(辞)む いぬころ(犬子) いのち(寿) いの(祷)り いは(称)く いば(嘶)ふ いはゆる(所謂) いは(況)んや いびき(息引) い(曰・儞) ふ いぶか(不審)し いぶせ(悒)し いへど(雖)も いまいま(禁忌)し いまし(禁・誡・縛)む いま(在)す いやいや(嗷々) いや(上)が上に いやし(苟)くも い(愈)ゆ いよいよ(弥) い(没)る いろど(綵)る いろ(綺・汚)ふ うかが(闚)ふ うが(穿)つ うか(泛)ぶ うきぐさ(萍) う(禀・請)く うけたまは(奉)る うご(揺)く う(亡)す うそぶ(嘯)く うた(謳) うた(声)ふ うち(裏・中) う(討・打・敲・誅)つ うつく(厳)し うつ(移・模)す うづたか(堆)し うづた(沂)つ うつゝ(現・覚) うつぶ(俯)く うつぶ(俯・覆)す うつぼ(天河・大洞・空) うつ(移)る うと(疎・外)し うと(疎)む うなじ(項) うなだ(低・俛) る うなづ(頷許)く うへ(表) うまぶね(篼) う(沽)る うるほ(湿・濡)す うれ(患)へ えい(曳) えぞ(俘囚) えだ(朶・支) えら(簡)ぶ お(於)いて おき(煨) お(安)く おく(後)る おこ(発・興・越)す おこた(懈)る おこ(作・発・興)る お(攏・圧)す お(下・零)つ お(威・震・懼・怖)づ おとうと(妋) おと(下)す おど(威)す おとづ(音信・通)る おとゞ(御宿殿) おとな(成人・古老・長)し おと(音)なふ おと(減)る おどろか(愕)す おとろ(窄)ふ おのづか(自)ら おはしま(坐・御座)す おは(坐・御座)す おは(訖)る おびたゞ(夥)し おびやか(劫)す お(負・畢)ふ おほ(且・洪・夥)し おほ(負ほ・果)す おぼ(覚)す おぼつか(窘)なし おほむね(大底) おぼ(覚)ゆ おめ(阿容) おもひもの(妾)  おもひや(想像)る おも(意)ふ おもん(惟・以)みる およ(游)ぐ およ(凡)そ およ(曁)ぶ およぼ(覃)す おろ(疎・愚・痴・頑)か おろし(下・下風) おろ(下)す おろそ(疎)か おんため(奉為)
か行
 か(歟) か(彼・斯) かいつくろ(刷)ふ かゝ(褰・挑)ぐ かゞやか(眩)す かゞや(耀)く かゝ(懸・蒐)る かき(貲) かぎ(鑰・鎰) かきつばた(劇草) かぎり(定) か(蒐・翔・梟・掻・繋)く かく(此・是・斯) かく(蔵)す かく(崩)る かげ(景) がけ(碊) かけはし(梯) かけ(翔)る かこ(垣)む かざ(挿)し かさ(畳)ぬ かざ(荘・厳・賁)る かしこ(彼所) かしこ(賢・畏)し かしこ(恐)む かしづ(傅)く かしら(首) かず(員) かぞ(算)ふ かた(堅) し かたがた(旁) かたくな(頑) かたち(貌) かたど(像)る かたはら(側) かたびら(帷) かたぶ(泝・沂)く かたへ(傍) かたゐ(癩) かち(徒・歩) かちだち(歩走) かちみち(行程) かづ(潜・被・纏)く かつ(曽)て かな(乙) かな(可憐)し かなたこなた(彼方此方) かな(合)ふ か(兼)ぬ かね(金・矩・鉄) かね(予・兼ね)て かの(彼) かばね(骸骨) かはらけ(駱) かへ(違) かへ(還・復)す かへりまうし(賽) かへりまうで(賽)す かへ(来・還・廻・返・回)る かほ(貌)  かまびす(囂)し か(啖)む かやう(斯様・加様) がら(様) から(絡)ぐ から(捕)む かりがね(雁金) かりそめ(仮初) か(乾・猟・芟)る かるがゆゑ(故)に かれ(彼) かれがれ(禿) かんが(勘)ふ き(聞)く きざ(萌)す きし(碾)む きし(碾)る きず(釁) きつさき(切鋒) きつと(急度・急と・屹と) きづな(紲) きと(急と・急度) きぬぎぬ(衣々) きはま(疆・谷)る きび(稠・緊・厳)し きみ(公) きよ(浄)し きよ(雪・浄)む きら(鈶)  き(破・割)る くぎづけ(釘打) くゝ(纈)る くゞ(跼)る くじか(麋) くじ(抉)る くす(萳) くちすゝ(嗽・漱)ぐ くつ(履) くつばみ(銜) くづ(頽)る くつろ(悱・甘・寛)ぐ くど(口解・詢・詫・訇) く くね(頑)る くはがた(鍬模) くは(悉)し くは(食・噉・咬)ふ くば(賦) る くひ(杙) くま(陰) くま(与)す くも(陰)る く(侚)ゆ くら(晩・闇)し くら(晩)す くらま(晦)す く(晩・眩)る くるめ(眩)く げ(気) けが(黷・汙)す け(銷)す けだし(蓋) けづ(斲・梳)る げ(実)に けやけ(尤)し こ(此・是) こ(滋)い ごかく(牛角) こがくれ(木高) こが(燋)る こ(挑)く こけ(垣衣) こゝ(爰・是・茲) こゝかしこ(此彼) こゝろ(意) こゝろばせ(心操) こころみ(心見)る こしかたゆくすゑ(以来向後) こしら(誘・構)ふ こぞ(挙)りて こたび(此度) こて(射鞴) こと(事・縡・言) ごと(毎) ことば(言・詞) こなた(此方) このかた(已来) このごろ(近来) このみ(菓) この(佳)む このゆゑ(所以) こは(強)し こひ(慕)し こぼ(毀・壊)つ こほり(冰) こぼ(零・覆)る こまぬ(拱)く こら(堪)ふ これ(此・是・之・茲・箇・惟) ごろ(来) ころ(死)す ころも(裘) こゑ(音)
さ行
 さ(狭・左) さいはひ(福・祐)す さかえ(昌) さかさか(肝々)し さかさま(逆・倒) さか(昌・隆)ゆ さか(昌・耀)る さき(前・頭・往) さ(割・笑)く さ(提)ぐ さぐ(捜)る さけ(喚)ぶ さゝ(小竹) さゝ(擎・提)ぐ さゝめごと(私語) さゝや(私語・耳語・囁)く さしお(閣)く さしはさ(挟・挿)む さ(指)す さすが(遉が・流石・遉) さす(把)る さて(扨・偖) さと(巷・郷) さね(実・核) さふ(匝) さぶら(侍)ふ さま(種・様) ざま(様) さま(覚)す さまよ(吟)ふ さむ(冷) さめざめ(潸潸・雨々) さやう(左様) さ(冱・寒)ゆ さら(曝)す さ(然)り さ(去)る さわ(劇・噪)がし しうと(阿翁) しか(然・而) しかうして(然而) しかじか(云々) しか(併)しながら しかのみならず(加之) しか(然・而・爾)り しきしま(磯城島) しき(頻)り し(鋪・布)く しぐ(時雨)る しげ(滋)し しげ(滋)み しげ(滋)る しこ(僭)つ したゝ(認)む しづ(閑・禅・鎮)か しづしづ(閑々) しづ(定)まる しづ(閑・定)む しつら(繕・理・修)ふ しど(尻頭) しどけ(支度計)なし しとね(茵) しのぶ(垣衣・忍) しばし(少時) しばしば(屡) しばら(且・遥許)く しほしほ(塩々) しぼ(萎)む しみづ(妙美井) し(入・縮・卜)む しやくり(噦噎) しや(曝)る しら(廓)く しら(弾)べ しり(後) しりぞ(黜・却)く しりへ(後) しりゐ(眦) し(知)る しるし(符・標・験・注・璽) しる(尤)し しる(註)す しるべ(指南) しれもの(白癡) しわざ(所為) しを(窄・萎)る す(為・仕) す(居)う すが(眇) すか(賺・詐)す すがた(貌) すが(係)る すき(透) すぐ(直) すく(済)ふ すく(竦)む すくや(健)か すぐ(勝)る すこ(小・微)しし すこぶ(頗)る すさま(冷)じ すさ(吟・遊)む すゝ(雪・濯)ぐ すゞし(生・生衣) すゞ(冷)し すそ(坐) すそご(坐紅・坐滋) すだ(集)く すたすた(寸々) すた(廃)る すぢかひ(筋違) すなどり(漁) すのこ(簀) すなは(廼)ち すね(髄) すべから(須)く すべ(都・凡・総)て すべ(下)る すまひ(栖・住居) すみか(棲・栖・陬) す(清・栖)む すめらぎ(皇) す(研)る せうと(妋) せぐくま(跼)る せ(責)む せめ(鬩)ぐ せんかた(為方)なし そ(其・夫・厥・爾) そ(鎩・殺)ぐ そこばく(若干) そじゝ(胰) そし(毀・訕・謗)る そゝ(濯・洒)ぐ そゞろ(坐) そだ(生立)つ そな(備)ふ そね(妒・嫉・猜)む そのかみ(当初) そば(稜) そば(側)む そばだ(峙・欹・側)つ そ(蒼)む そむ(乖)く そもそも(抑) そら(空・虚) それがし(某) そろ(汰・調)ふ
た行
 たいまつ(続松・炬火) たか(崇)し たかせ(舼舟) たが(差)ふ た(闌・燃・炷)く たぐ(比)ふ たくみ(工) たけ(長) たけくら(長並)べ たけ(武)し た(度)し たす(資・佐・支・扶)く たそがれ(誰彼) たゞ(直・啻・徒・凡) たゝ(扣・啄)く たゞ(直)し たゞ(匡・糺・箴)す たゝず(佇)む たゞち(直) た(起・截・立)つ たて(豎) たちど(立所) たちばな(盧橘) たてど(立所) たてぶ(立文)む たてまつ(進・献・上)る たとひ(縦・縦令・仮令・設) たと(譬)ふ たとへ(喩) たとへ(仮令)ば たど(問)る たなび(聳)く たに(澗) たばか(謀・賺)る たはむ(誑)る たぶらか(誑)す たましひ(神) たまたま(適) ため(為) ためし(様) ためら(踉蹡・強健・居留)ふ たも(持)つ たやす(輙・容易)し たりふ(低伏)す た(低)る たわ(嫋)む たをやか(婀娜) ちう(中) ちか(幾)し ぢき(直) ちご(児) ちどり(鵆) ちはやぶ(襅振)る ちひさ(少)し ちまた(街衢) ちら(彩)す ちりば(鏤)む ついで(次) つか(管) つかうまつ(仕)る つかさくらゐ(官位) つかさど(職)る つか(束)ねる つか(事)ふ つ(竭・就・突・属・号・付)く つ(続)ぐ つく(為)る つくろ(刷)ふ つごもり(晦日) つじかぜ(飇) つた(絡石) つたな(拙)し つちくれ(壌) つゞ(連・列)く つゝま(約)し つゞま(促)る つゝ(裹)む つゞ(約)む つゞら(黒葛) つ(伝)て つど(集)ふ つね(恒) つば(合)む つはもの(兵者・軍) つひ(畢・終) つぶさ(具) つまぐ(捻)る つみ(辜) つゆ(露) つよ(健)し つよ(強)る つら(行・頷) つらつら(倩) つらな(列)る つら(連・列)ぬ つらぬき(貫) つらゝ(垂氷) つ(列)る つれな(強面・難面)し ていたらく(為体) てがら(亭) てづから(手・手自ら) てへる(者) てへれば(者) て(耀)らす どう(動) とが(過) ときは(常) と(釈・解)く とこしなへ(鎮) とて(迚)も どつ(咄) ととのほ(調)る と(問)ふ とぶ(訪)らふ とほ(融)す とみ(頓) と(趂)む とも(共・与) ども(共) と(左・兎)もかく(右・角) ともがら(倫・僚) ともしび(炬) とも(炬・燃・炷)す とらか(蕩)す とら(虜)はれ とら(握・禽・搦・囚)ふ とりこ(虜) と(把・捕・虜)る とろ(蕩)く
な行
 ないがしろ(蔑ろ・蔑如) ないし(乃至) なか(間) なかごろ(中古) なかだち(媒) なが(詠)む ながら(存)ふ なが(旒)れ なかんづく(就中) なぎ(水葱) な(嘶)く な(抛)ぐ なげう(抛)つ なごり(遺・余波) な(無・莫・靡・勿))し な(成・作・為)す なぞら(准)ふ な(摩)づ なづ(泥)む なのめ(斜)ならず なはて(阡) なほざり(等閑) なまぐさ(羶)し なまじひ(憖) なみだ(泣色) な(列)む なら(比・双)ぶ なり(也) な(作・生・為)る なん(盍・寧)ぞ なんぢ(卿) にぎ(把)る に(北)ぐ にく(悪)し にく(悪)む にこ(莞爾) につこ(莞爾)  にはか(頓)に にほ(香)ふ によ(吟)ぶ  ぬえ(鵼) ぬかご(零余子) ぬき(抽)んづ ぬ(脱・貫)く ぬさ(繖) ぬすびと(盗) ぬす(竊)む ぬ(湿)る ね(音) ねが(欣・慕・庶・羨・楽)ふ ねぐら(塒) ねた(猜)み ねぶ(睡)る ねんごろ(懇・苦) のが(脱)る のき(檐) の(除・却)く のこ(貽)す のこ(貽)る のぞ(望)む のたま(偁・曰)ふ のちこと(後言) のど(閑)か のゝし(訇)る の(演・宣・舒)ぶ のぼ(騰・登)る のみ(而巳・已) の(騎)る
は行
 は(者) ば(者) はか(果)なし はがね(鍔金) はかばか(捗々・墓々)し はがみ(齘) ばか(許)り はかりごと(計・謀・籌) はか(計)りなし はか(謀・度)る はぎ(胻・脛・鹿鳴草) は(帯・屣)く は(矯)ぐ はぐゝ(孚)む はげ(烈・厲)し はげま(厲)す ばけもの(媚物) はごく(孚)む はざま(迫) はさ(鋏刀・挟)む はした(半) はしふね(游艇) はし(趨)る は(歩)す はずだか(筈上) はた(耳・幢・旌・将・礑・疁・端) はだか(跨・扈)る はだ(刷)く はだし(跣・徒跣・踝) は(果)たす はたら(動)かす はたら(動)く はぢ(辱) は(終)つ ばつ(跋) はづか(愧・辱)し はづ(弛)す はつもみぢ(葉早黄色) はな(離)つ はなは(太)だ はなやか(花声・声華・声花) は(駻)ぬ はびこ(蔓)る はふはふ(匍・跋行・跋・蜒ふ蜒ふ) はまぐり(蝬) は(飡・食)む はやし(拍子) はや(欹・拍子)す はや(疾)む はやりを(早雄) はや(逸)る はらか(𩷧・鰚) はらば(匍匐・跋)ふ はらはら(潸々・泫然・潸然) はら(擺・掃・除)ふ はる(杳)か ひが(僻) ひか(引か・磬)ふ ひが(癖)む ひき(卑・下)し ひ(任・曳)く ひざがしら(膝蓋) ひさげ(提) ひざまづ(跪)く ひし(籗) ひしめ(犇)く ひそ(偸・密・竊・潜・側)か ひそ(潜)まる ひそ(偸)む ひそ(密)めく ひた(直) ひたすら(専・只管・混ら) ひつさ(提)ぐ ひで(旱)る ひとしほ(一入) ひとへ(偏・単) ひとや(囚) ひと(独)り ひなみ(日次) ひねもす(終日) ひね(撚・捻)る ひま(隙・間) ひやう(兵) ひや(涼)す ひ(寒)ゆ ひるがへ(反)す ひる(怯)む ひろ(展・擁・繙・闊)ぐ ひろ(浩)し ひを(鮊) びんづら(丱) ふ(深)く ふし(捃) ふしど(臥所) ふ(俛)す ふすぼ(薫)る ふたゝび(二度) ふち(駮) ふなよそひ(艤) ふみがら(文様) ふ(躔・歩・跋)む ふ(雨)らす ふ(雨・旧)る ふる(戦・慄) ふ ふるまひ(行跡・挙動) ふるま(挙動)ふ へ(辺) べ(部) べ(可)し へだ(阻)つ へち(柭) ほこ(矜)る ほしいまゝ(恣) ほしいまゝ(放)にす ほ(旱)す ほだ(覊)す ほとり(辺・上・頭・側) ほと(殆)んど ほの(仄・側・夙)か ほゞ(粗) ほ(嘆・美・讃・歎)む ほろ(幕・布露)
ま行
 まうけ(設) まう(言・白・解)す ま(劣・纏)く ま(枉)ぐ まぐさ(楣) まこと(寔・信・実) まさ(正・当・方)  まさ(競・増) る まし(猿) まじは(錯・雑)る まじろ(瞬)ぐ ま(増・勝)す ますます(倍・益) ますらを(夫男) また(復・還・亦) またが(跨)る まちまち(区) ま(俟)つ ま(先)づ まつかう(真額・間額) まつさかさま(真逆) まつりごと(政) まつ(政)る まど(円)か まな(学)ぶ まね(学・真音) まのあたり(親り・眼前) まは(巡)す まばら(疎) まゝ(間) まみ(見)ゆ まみ(塗)る まめ(実)やか まも(守)る まよ(吟)ふ まれ(希・少) まろ(丸) まろ(倒)ばす まろ(宛転・転・倒)ぶ まゐ(進)らす まをとこ(寝夫) み(質) みが(塋・瑩・研・琢)く みぐし(御飾) みそなは(視)す みたけ(金獄) みだれがは(狼藉)し みち(径・途) みちのほど(行程) みちび(引導)く みつゝき(承鞚) みどり(翠) みなしご(孤子) みめ(美貌・御美・美め・美) みやこ(城) み(睹・視・瞻)る むかばき(行纏) むか(対・卿・嚮)ふ むく(酬)ゆ むくろ(身質・身) むさゝび(鷜・鼯) むし(寧)ろ むす(結)ぶ むすめ(女) むつごと(眤言) むながいづくし(胸帯尽・当胸尽) むなさき(心先) むな(曠・空)し むね(旨) むべ(宣) めいめい(明々) めぐ(運)らす めぐ(廻)る めくるめ(眩)く めし(食) めしうど(囚・召人) め(愛)づ むらさめ(急雨) も(若)し もた(挙・持挙・擡)ぐ もだ(黙止)す も(持)つ もづく(海薀) もつ(将・以)て もてあそ(翫)ぶ もてな(賞・翫・饗・𪱤)す もてめ(饗)す もと(許・本・元・法・下) もと(殉)む もとゆひ(鬠) もとより(如法・固より・元来) もど(返)る もの(者・物) ものい(言・語)ふ ものう(倦・懶)し ものおも(襟)ひ ものゝけ(物気) も(捻)む もろ(両・諸) もろ(盬)し もろもろ(諸)
や行
 や(哉) やう(様) やうやう(漸) やうやく(徐) やが(軈)て やから(族) やさ(情)し やしな(育)ふ や(疲)す やす(安)し やす(息)む やすら(踉蹡)ふ やそぢ(八十) やつ(窄・窶)す やつ(窶)る やはら(和)か やぶ(傷・壊)る やまのいも(蕷薯) やまぶき(款冬) やみ(暗) や(止)む やもめ(寡・孀) やゝ(良・動・稍) やゝ(動)もすれば やんごと(止事)なし ゆか(床)し ゆ(来・征・向)く ゆくすへ(向後) ゆくへ(向後・向方・行末) ゆす(動)む ゆづり(禅) ゆふづゝ(長庚) ゆめゆめ(努々) ゆゝ(勇々・優々・由々)し ゆ(汰・動)る ゆるかせ(忽緒・緩) ゆる(動)ぐ ゆる(慢)し ゆる(免・聴・許・赦)す ゆゑ(所以・故・由) よこしま(邪) よご(泥)る よ(能・吉)し よし(好)み よそ(余所・徐・他・除・外) よそほか(徐外) よそほひ(挙動) よだ(竪)つ よ(依・仍・因)つて よなよな(夜々) よ(喚)ぶ よみがへ(蘇生)る よもすがら(通夜・終夜) よりどころ(拠) よ(依・由・縁・縷・縿)る よろづ(諸・万) よんどころ(拠)
ら行
わ行
 わか(少・嫩)し わざ(態) わざは(殃)ひ わざわざ(態) わた(亘)す わたらひ(渡居) わたり(渡) わづ(纔)か わなゝ(戦)く わらは(童) わら(咲)ふ わらんづ(屩) わり(理) わ(破・分)る ゐなか(田) ゐ(将・坐)る ゑつぼ(頷許・咲壺) ゑ(咲)む をか(咲・笑・戯呼)し をこ(嗚呼・嗚滸) をこ(徐)がまし をさな(少・小・稚)し をさ(接)む をしへ(化) をし(恡)む をば(姨・姨母) を(闋)ふ をめ(呼・叫)く をりふし(時節)


 なお底本のかなを漢字に直す事、及び上に記したかなを別の漢字に直すことはしていません。

校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次1/4(巻1~12)

以巻 第一
011 平家繁昌  012 五節の夜の闇打ち
013 兼家李仲基高家継忠雅等拍子 清盛大威徳の法を行ふ
014 清盛化鳥を捕る

呂巻 第二
021 清盛息女
022 日向太郎通良の頚を懸く 基盛殿下の御随身を打つ 二代の后
023 新帝御即位 額打論  024 清水寺縁起

波巻 第三
031 諒闇 高倉院春宮に立ち御即位 一院御出家 有安厳王品を読む
   法皇熊野山那智山御参詣 熊野山御幸 資盛乗り会ひ狼藉
032 小松大臣入道に教訓 殿下事に会ふ 朝覲行幸 成親大将を望む
033 左右大将  034 有子水に入る 成親謀叛 一院女院厳島御幸
035 澄憲雨を祈る 

爾巻 第四
041 鹿谷酒宴静憲御幸を止む 涌泉寺喧嘩  042 白山神輿登山
043 殿下の御母立願 山門御輿振り
044 豪雲僉議 頼政歌 山王垂跡
045 師高流罪の宣 京中焼失 盲ト 大極殿焼失

保巻 第五
051 座主流罪 山門奏状  052 澄憲血脈を賜はる
053 一行流罪 山門落書 行綱中言
054 成親已下召し捕らる  055 小松殿教訓

辺巻 第六
061 丹波少将召し捕らる
062 西光父子亡ぶ 西光卒都婆 大納言こゑ立て
063 入道院参の企て  064 小松殿父に教訓{*}
065 内大臣兵を召す{*}  066 幽王褒姒烽火

登巻 第七
071 成親卿流罪
072 丹波少将召し下し 日本国広狭 笠島道祖神 大納言出家
073 信俊下向{*}  074 俊寛成経等鬼界島に移す{*}
075 康頼卒都婆を造る 和歌の徳 近江石塔寺

智巻 第八
081 漢朝蘇武 善友悪友両太子
082 康基信解品を読む 大納言入道薨去 大納言北の方出家
083 讃岐院 宇治左府贈官 彗星出現
084 法皇三井の灌頂

理巻 第九
091 堂衆軍  092 山門堂塔 善光寺炎上 中宮御懐妊
093 宰相丹波少将を申し預かる  094 康頼熊野詣《 赦文 足摺 》

奴巻 第十
101 中宮御産  102 頼豪皇子を祈り出す
103 赤山大明神 良真皇子を祈り出す 頼豪鼠となる
   守屋啄木鳥となる 三井寺戒壇許されず
104 丹波少将上洛 康頼入道双林寺に著く
105 有王硫黄島に渡る

留巻 第十一
111 有王俊寛問答  112 小松殿夢 旋風 大臣所労
113 灯篭大臣 育王山に金を送る 経俊布引の滝に入る
114 将軍塚鳴動 大地震 静憲法印勅使
115 浄憲入道と問答  116 金剛力士兄弟

遠巻 第十二
121 大臣以下流罪  122 師長熱田の社琵琶
123 高博稲荷の社の琵琶 教盛忠正為義を夢みる 行隆召し出さる
124 一院鳥羽篭居 静憲鳥羽殿へ参る
125 主上鳥羽御篭居御歎き 安徳天皇御位 新院厳島鳥羽御幸

(校訂者注:本コンテンツは「源平盛衰記 上巻」(国民図書1926年刊『日本文学大系 第十五巻』所収。国立国会図書館D.C.)前半(巻1~巻12)の本文翻字です。凡例は、WEB総目次にあります。なお、{*}の章は内容の一部が前後の章に移動しています。また、《 》は校訂者による補入です。

校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB総目次

校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次2/4(巻13~24)
校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次3/4(巻25~36)
校訂源平盛衰記(日本文学大系本)WEB目次4/4(巻37~48)
 

源平盛衰記 上巻(自巻第一 至巻第二十四)

以巻第一

平家繁昌 並 徳長寿院導師の事

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕はす。奢れる者も久しからず、春の夜の夢の如し。猛き心も終には亡びぬ、風の前の塵に同じ。遠く異朝を訪らへば、夏の寒浞、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山、皆これ旧主先皇の政にも随はず、民間の愁へ世の乱れをも知らざりしかば、久しからずして滅びにき。近く我が朝を尋ぬるに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、侈れる心も武き事も、とりどりに有りけれども、ま近く入道太政大臣平清盛と申しける人の有様、伝へ聞くこそ心も詞も及ばれね。
 桓武天皇第五の王子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛の嫡男なり。かの親王の御子高見王は、無官無位にして失せたまひにけり。その御子高望王の時、寛平元年五月十二日に、始めて平の姓を賜はつて、上総介に成り給ひしより以来、忽ちに王氏を出でて人臣に連なる。その子鎮守府将軍良望、後には常陸大掾国香と改め、国香より貞盛、経衡、正度、正衡、正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりといへども、いまだ殿上の仙籍をば許さず。
 忠盛朝臣備前守たりし時、鳥羽院の御願徳長寿院とて、鳳城の左、鴨河の東に、三十三間の御堂を造り進じ、一千一体の観音をすゑ奉る。勧賞には闕国を賜ふべき由仰せ下され、但馬国を賜ふ。その外結縁経営の人、手足奉公の者までも、程々に随ひて勧賞を蒙る。真実の御善根と覚えたり。崇徳院の御宇、長承元年壬子二月十六日に勅願の御供養有るべしと、公卿僉議有りて、同じき二十一日の午の一点と定められたりけるに、その時刻に及びて、大雨大風共におびたゞしかりければ延引す。同じき二十五日に又僉議あり。二十九日は天老日なり、勅願の御供養宜しかるべしとて遂げらるべかりけるに、冰の雨大きに降り、牛馬人畜打ち損ずるばかりなりければ、上下出で行くに及ばず又延引す。禅定法皇{*1}大きに歎き思し召されけり。昔近江国に仏事ありけるに、風雨の煩ひたびたびに及びければ、甚雨を陰谷に流刑して、堂舎を供養すといへり。されば雨風の鎮り有るべきかと云ふ議あり。尤も然るべしとて諸寺の高僧に仰せて御祈りあり。度々延引の後、重ねて僉議あり。同じき年三月十三日、曜宿相応の良辰なりとて、その日供養に定めらる。御導師には、天台座主東陽房忠尋僧正と聞こゆ。
 期日に臨んで、一人三公卿相雲客洛中辺土の貴賤上下、参り集まり聴聞結縁しけり。当座主僧正は、顕密兼学の法灯、智弁無窮の秀才なり。説法舌和らかにして、弁智の詞滑らかなり。末世の富留那弁士の舎利弗と覚えたり。聴聞集会の万人は随喜の涙を流し、結縁群参の道俗は歓喜の袖を絞る。無始罪障の雲消ゆるかと思ひ、本有月輪の光照らすかと疑ふ。説法は三時ばかりなりけるを、聴衆は刹那の程と思へり。誠に像法の転ずる時、医王善逝の化現か、又転法輪堂、釈迦如来の説法かと誤またる。座主は高座より下り給ひ、正面の左の柱のもとに座し給へり。法皇御感の余りに玉の御簾をかゝげて、「汝は坐道場の徳用を備へたり。朕は解脱分の善根を植ゑたり。汝が説法を聴くごとに随喜の思ひ骨に徹し、信心身の毛よだつて、落涙まことに押さへ難し。」と勅定あり。当座の叡嘆、山門の眉目なり。御布施には千石千貫沙金千両、その外被物裹物、庭上岡をなせるが如し。実に御善根の志は施物に色顕はれたり。夜陰に及び導師退出す。仏庭を飾らんがため、聴衆を照らさんがため、万灯をともされたり。さてもかの寺の異名をば平愈寺と申すなり。導師祈願の句に、「衆病悉除身心安楽。」と高らかに唱へ給たりけるが、その声洛中白川に響きけり。斎宮の女御、折節怪しき瘡をいたはらせ給ひけるが、御限りと見奉りけるに、衆病悉除ほのかに聞こし召して則ち御平愈、その外一時の内に辺土洛陽に、上下男女二万三千人の病愈えたりけるによつてなり。
  異説には、二宮地主権現の非人と現じて、日光月光十二神将を相具して説法と云ふ事あり。ひが事にてありけるか。
校訂者注
 1:底本頭注に、「鳥羽法皇のこと。」とある。

五節の夜の闇打ち 附 五節の始め 並 周の成王臣下の事

 かやうに忠盛、仏智に叶ふ程の寺を造進したりければ、禅定法皇{*1}叡感に堪へさせたまはず、遷任を下さるゝの上、当座に刑部卿になされ{*2}、内の昇殿を免さる。昇殿はこれ象外の選びなれば、俗骨望む事なし。なかんづく先祖高見王よりその跡久しく絶えたりし忠盛、三十六にして免されけり。院の殿上すら上り難し、いはんや内の昇殿においてをや。当時の面目、子孫の繁昌と覚えたり。法皇常の仰せには、「忠盛なからましかば、誰か朕をば仏に成すべき。」とて、ある時は御剣御衣、ある時は紗金錦絹を、徳長寿院へ廻向し奉るべしとて下し賜ひけり。その上闕国のあれかし、荘園のあれかし、重ね重ねもたばんと思し召しければ、雲上人嘲り憤つて、同じき年十一月の五節、二十三日の豊明節会の夜、闇打ちにせんと支度あり。忠盛この事ほのかに聞いて、「我右筆の身に非ず。武勇の家に生まれて、今この恥にあはん事、身のため家のため、心うかるべし。又この事を聞きながら、出仕を留めんも云ひ甲斐なし。所詮身を全うして君に仕ふるは、忠臣の法と云ふ事あり。」と云ひて、内々用意あり。
 こゝに忠盛朝臣の郎等に、進三郎大夫季房が子、左兵衛尉平家貞と云ふ者あり。もとは忠盛の父正盛の一門たりしが、正盛の時始めて郎等職と成りたりし木工右馬允平貞光が孫なり。備前守のもとに参つて申しけるは、「今夜五節の御出仕には、ひが事いでくべき由承り候。但し祖父貞光は、畏れながら御一門の末にて侍りけるが、故入道殿の御時に始めて郎等に罷り成り候ひけりと承る。貞光には孫なり、季房には子なり。親祖父に勝るべきならねば、その振舞を仕る。殿中の人々、我も我もとおもふ輩は、数多くこそ侍らめども、かやうの実の詮にあひ奉らん者は、類少なうこそ候らめ。御伴には家貞参るべし。御憚りなく御出仕あるべし。」と申しければ、忠盛然るべしとて召し具す。家貞は布衣の下に、萌黄の腹巻、衛府の太刀佩き、烏帽子引き入れ袖くゝりて殿上の小庭にあり。子息平六家長は歳十七、たけ高く骨太うして剛の者、度々はがねを顕はして逞しき者、これも布衣の下に紫縅の腹巻著て、赤銅造りの太刀佩いて、無官なれば徐々として、左右の手を土につきて犬居に居て、雲透に殿上の方を伺ひ見て、親の家貞あゝといはば子息の家長もつと打ち入るべき支度なり。殿上の人々怪しみをなしければ、頭左中弁師俊朝臣、蔵人判官平時信を召して、「宇津保柱より内に布衣の者の候ひぬるは何者ぞ。事の体狼籍なり。罷り出でよ。」といはせたりければ、家貞は、「主君備前守今夜闇打ちにせらるべき由承ればなり。果て給はん様見奉るべければ。」とて、畏まつて候ひければ、事の様実に、主ことにあはば堂上までも切り上るべき頬魂なりける上に、忠盛朝臣、黒鞘巻を装束の上に横たへ指して、しどけなき体にて腰の程を差しくつろげたるやうにして、柄を人にぞ見せける。人々、事がらしるしとや思ひ合はせられけん、その夜の闇打ちはなかりけり。
 昔漢の高祖沛公たりし時、項羽と雍丘と云ふ所にて、秦の軍と合戦す。沛公の兵、諸侯に先立つて覇上に至る。秦の王子嬰、皇帝璽符を捧げて降人に参る。諸将、これを殺さんと云ふ。沛公、降人を殺す事不祥なりとて吏に預けらる。咸陽宮に入りて暫く休まんとし給ひけるを、樊噲、張良、諌め申しければ、秦の宝物たる庫どもを封じて覇上に帰り給ひけり。秦の父老の苛法の政に苦しめるを召し集めて宣ひけるは、「吾諸侯と約束して、先に関に入らん者を王とせんと云ひき。我既に先に入る。王たるべし。」とて、父老と三章の法を約し給ひけり。「人を殺せらん者をば死せしめん。人を破り及び盗みせらん者をば罪に致さん。この外は秦の法を除いて捨てよ。」と宣ひける。十一月に項羽、諸侯の兵を引き関に入りてんとす。関を守るの兵ありて入る事を得ず。又沛公、咸陽宮を破りてその威を施すと聞いて、項羽大きに怒つて関を撃ち、遂に戯と云ふ所に至りぬ。沛公が臣、曹無傷と云ふ者、項羽に中言して、「沛公、王たらんとす。」と言ひたりければ、項羽いよいよ憤つて沛公をうたんとす。こゝに項羽一家に項伯と云ふ者、沛公に志ありければ、失なきよしを述べて殺す事不義なりと諌めければ、その事暫く思ひ止まりにけり。さて沛公、鴻門に行きて項羽に対面して、諍心なき由慇懃に謝しければ、項羽云く、「これは、沛公が左司馬曹無傷が告げたるなり。さらではいかでか知るべき。宜しく留まり給へ、酒すゝめん。」とて留め置きけり。かの座のていたらく、項伯は東にむかうて居り、亜父は南に向うてあり。亜父とは項羽が憑みたる兵なり。沛公は北に向ひ、張良は西に向ひてぞ居たりける。亜父、玉玦をもたげて項羽に目くばせす。これ、沛公を討たんとの心なり。かやうに三度まですれども、大方心得ず思ひ寄らず。亜父、座を起ちて項荘を招きて云く、「項羽、人の謀に随はず。汝、沛公をもてなす様にて、剣を抜いて舞ひ近附きて頚を切らん。しからずんば我等、還つて彼が攻めを蒙るべし。」と云ひければ、項荘、替り入りて亜父が教へのまゝに、左の手に剣を提げて舞うては沛公に近づきけり。項伯、沛公が空しく伐たれんことを哀れみて、剣を抜いて共に舞ひ、項荘が近づく時は必ず沛公を立ち隠しけり。張良、この事を浅ましく見て、座を立つて樊噲に語る。樊噲、大きに驚きて門を入るに、守門の兵のこれを禦ぎければ、楯を先立てて破り入りぬ。幕をかゝげて西に向つて立てり。大きにいかつて項羽を見るに、頭の髪筋立ち上り、眼広くさけたり。項羽、恐れて剣を取つてひざまづき、「何者ぞ。」と問ひければ、張良が云く、「沛公が臣、樊噲なり。」と答へけり。さらば酒勧めよとて、一斗を入る杯にて与へたれば、樊噲、悦ぶ気色にて事ともせず呑みてけり。彘の肩を肴に出したりけるをば、楯の上にて太刀を抜いて切つて食す。「猶も飲みてんや。」と項羽云ひければ、「命を失ふともいかでか辞し申すべき。いはんや一斗の酒物の数に侍らず。」とて、眸長く裂けて瞋み立てる頬魂いぶせく思はれけるにや、沛公、事故なく遁れにけり。
 忠盛朝臣も、この郎等故にその夜の恥辱を遁れけり。縫殿の陣、黒戸の御所の辺にて怪しき人こそ遇ひたりけれ。忠盛、見咎めて物をばいはず、一尺三寸の鞘巻を抜き、手の内にかゞやく様なるを鬢の髪にすはりすはりと掻き撫でて、やゝありて、「あはれ、これを以て狼籍結構する悪しき者に一当て当てばやな。」と云ひければ、怪しばみたる人、則ち倒れ伏しにけり。勘解由小路中納言経房卿、その時は頭弁にて折節通り合ひ給へり。花やかに装束したる者、うつぶしに伏したりける間、誰人ぞとて引きたて給ひたれば、わなゝくわなゝく弱々しき声にて、「忠盛が刀を抜いて我を斬らんとしつるが、身には負ひたる疵はなけれども、臆病の自火に攻められて絶え入りたりけるにや。」と宣へば、経房卿は、あな物弱や、実に闇打ちの張本とも覚えず、とて見給ひたれば、中宮亮秀成にてぞおはしける。理や、この人元来臆病の人の末なりけり。父秀俊卿は、中納言にて歳四十二と申しし時、夢想に侵されて死に給へる人の子なればにや、かかる目にあひ給ふこそをかしけれ。
 そもそも五節と申すは、昔清見原帝{*3}御宇に、唐土の御門より崑崙山の玉を五つまゐらせ給へり。その玉、やみを照らす事、一玉の光遠く五十両の車に至る。これを豊明と名付けたり。御秘蔵の玉にて、人これを見る事なし。天武天皇、芳野河に御幸して御心を澄まし琴を弾じ給ひしに、神女、空より降り下り清見原の庭にて廻雪の袖を翻しけれども、天暗うして見えざりければ、かの玉を出され仙女の形を御覧じき。玉の、光に輝きて、
  をとめごがをとめさびすも{*4}から玉ををとめさびすもそのから玉を
と五声歌ひつゝ、五度袖を翻す。五人の仙女、舞ふ事各異なる節なり。さてこそ五節と名付けたれ。かの舞の手を摸しつゝ雲の上人舞ふとかや、その時拍子には、白薄様厚染紫の紙、巻上げの糸、鞆絵書きたる筆の軸や、とはやすなり。
 仙女の衣の薄く透き通りてうつくしき有様が、薄様と厚染紫の紙に相似たり。舞の袖を翻す簪より上方に巻き上げたる貌、糸を以て巻きたるが如く、鞆絵を書きたる筆の軸を差し上げたる様なれば、昔より五節宴酔の肩脱には必ずかくはやすを、御前の召しによりて忠盛の舞ひける時に、さはなくて俄に拍子を替へて、伊勢平氏は眇なりけり、とはやしたりけり。目のすがみたりければ取り成しはやされける、最も興ありてぞ聞こえし。忠盛、身のかたはを謂はれて安からず思へども、せんかたなく著座の始めより、殊に大きなる黒鞘巻を隠したる気もなく指しほこらかしたりけるが、乱舞の時も猶さしたりけり。未だ御遊も終らざるに、退出のついでに火のほのぐらき影にて、おほ刀を抜き出し鬢にすはりすはりと引き当てければ、火の光に輝き合ひて閃きければ、殿上の人々皆これを見る。忠盛かくの如くして出で様に、紫宸殿の後ろにて主殿司を招き寄せ、腰刀を鞘ながら抜き、「後に必ず尋ねあるべし。慥かに預けん。」とて出でにけり。家貞、主を待ち受けて、如何にと申しければ、ありの儘に語らばひが事すべきものなれば、別の事なしとぞ答へける。
 五節以後、公卿殿上人、一同に訴へ申されけるは、「忠盛、さこそ重代の弓矢取りならんからに、かやうの雲上の交はりに殿上人たる者、腰刀を差し顕はす條、傍若無人の振舞なり。雄剣を帯して公庭に座列し兵杖を賜はつて宮中を出入する事は、格式の礼を定めたり。しかるを忠盛、あるいは相伝の郎等と号して布衣の兵を殿上の小庭に召し置き、あるいはその身、腰の刀を横たへ差して節会の座に列す。希代の狼藉なり。はやく御札を削つて解官停任せらるべき。」よし、申されたり。上皇は、群臣の列訴に驚き思し召して、忠盛を召して御尋ねあり。陳じ申しけるは、「郎従小庭に伺候の事、存知仕らず。但し、近日人々、仔細を相構へらるその聞こえ有るによつて、年来の家人、その難を助けんがために忠盛に知らせずして推参する罪科、聖断あるべし。次に刀の事、主殿司に預け置き候。召し出され実否によつて咎の御左右あるべきか。」と奏しければ、誠にその謂はれ有りとて、件の刀を召し出して叡覧に及ぶ。上は黒漆の鞘巻、中は木刀に銀薄を押したり。「当座の恥を遁れんがために横たへ差したれども、後日の訴へを恐れて木刀を構へたり。用意の体、神妙なり。郎従小庭の推参、武士の郎等の習ひか。存知なきの由申す上は忠盛が咎にあらず。」と、かへつて叡感に預かりけり。
 周の成王の忠臣に、きりうと云ふ兵あり。勧賞によつて位丞相に至る。早鬼大臣と云ふ。代を治めて人を憐む事、すこぶる君王の如くなりければ、御気色世に超へ恩賞傍輩に過ぎたり、羣臣、これをそねむ。亡さんと思へども、猛き人にて折を得ず。臣下内議して、皇居に古文と云ふ御遊を始めて、その中にして闇打ちにせんと支度す。かの大臣の武具を制せんがために、衛府の太刀を禁断す。早鬼、先立つて存知しければ、我が身並びに相従ふ輩に木剣を持たしめ殿上に交はる。大臣の気色、あたりを払つていかれる有様なりければ、存知しにけりとてその夜の乱れを止めけり。雲客、後日に参内して、「当座一同の僉議に与せざるは{*5}綸言違背に非ずや。殿上に用ゐぬ雄剣を帯して大家の党に交はる條、例を乱る処なり。尤も罪科重し。早く罪せらるべきをや。」と訴へ申しければ、公、驚き思し召して早鬼大臣に御尋ねあり。大臣、陳のことばに申さく、「雲客腰に太刀を付け、忠臣手に雄剣を提ぐるは、これ国を鎮め君を守り奉る処なり。何ぞ清君の祈りに文の節会を立てながら、剣を誡めらるべきや。しかして一同の僉議に与して実の刀を止むといへども、忠臣は大内を助けんと謀を廻らして木の剣を構へたり。」とて、件の剣を召し寄せて叡覧に及びけり。君、大きに御感ありて、実に帝を助くる忠臣なりとて、罪科の沙汰に及ばず。かかりければ天下悉く重んじ{*6}、雲客皆靡きて偏執の思ひをたち、賢臣の誉れを仰ぎけるとかや。異国、本朝、上古、末代異なれども、事がら実に相同じ。忠盛、この事を摸してかやうに思ひ寄りけるにやと、ほめぬ人こそなかりけれ。

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校訂者注
 1:底本「巻1-1 平家繁昌」頭注に、「鳥羽法皇のこと。」とある。
 2:底本は、「当座に刑部卿になさる、」。
 3:底本頭注に、「天武天皇。」とある。
 4:底本頭注に、「〇さびす 進むこと即ち嗜むこと。」とある。
 5:底本は、「与(あた)はず、」。
 6:底本は、「重(おも)し、」。

兼家季仲基高家継忠雅等拍子 附 忠盛卒する事

 忠盛は、桓武天皇の御苗裔、葛原親王の後胤とは申しながら、中頃は無下に打ち下りて官途も浅く、近来より都の住居もうとうとしく、常は伊賀伊勢にのみ居住せし人なれば、この一門をば伊勢平氏と申しけるによつて、かの国の器になぞらへて、忠盛、右の目のすがみたりければ、伊勢平氏はすが目なりけりとははやしける{*1}にこそ。
 ある人の申しけるは、「忠盛、心憂くもはやされつるものかな。如何ばかり口惜しかりけん。その答へをば如何にせざりけるやらん。いたく心おくれせぬ男とこそ世に知られたるに{*2}。」と申しければ、又ある人の語りけるは、「昔もかかる例なきに非ず。村上帝の御宇、左中将兼家と云ふ人あり、北の方を三人持ちたれば、異名には三妻錐{*3}と申しけり。ある時この三人の北の方、一所に寄り合ひて、ねたむ色の顕はれて、打ち合ひ取り合ひ髪かなぐり衣引き破りなんどして見苦しかりければ、中将、『あな、むつかし。』とて、宿所を捨てて出でたまひぬ。取りさふる者もなくて、二、三日まで組み合ひて、息つき居たり。二人の打ち合ひは常の事なり。まして三人なれば、誰を敵ともなく、向ふを敵と打ち合ひけるこそをかしけれ。これも五節に拍子をかへて、『取りさふる人なき宿には、三妻錐こそ揉み合ふなれ。あなひろびろ広き穴かな。』とはやしけり。
 「太宰権帥季仲卿は余りに色の黒かりければ、人、黒帥とぞ申しける。蔵人頭なりける時、それも、『あなくろぐろ黒き頭かな、如何なる人の漆塗るらん。』とはやしたりければ、季仲卿に並びておはしける基高卿の舞はれけるに、この人余りに色の白かりければ、季仲卿の方人とおぼしくて、『あなしろじろ白き頭かな、如何なる人の薄押しけん。』とはやし返しける殿上人もおはしけり。右中将家継と云ふ人、祖父の代までは時めきたりけるが、父が時より氏たえて有るか無きかにておはしけるが、下臈徳人の婿に成りて、舅の徳に右中将に成りたまひたりけり。これも五節に、『絶えぬる父、云ふに及ばず、祖父の代までは家継ぐぞかし、左ゆがみの右中将。』とぞはやしたる。貧しき者、たのしき妻をまうくるは左ゆがみと云ふことなれば、かくはやしけるなり。花山院入道、太政大臣忠雅の、十歳にて父中納言忠宗卿に後れたまひ、みなし子にておはせしを、中御門中納言家成卿の播磨守の時、婿に取りて花やかにもてなされければ、これも五節に、『播磨米は木賊か椋の葉か、人のきら{*4}を付くるは。』とぞはやしたりける。上代はかくこそ有りしかども異なる事なし。末代は如何あるべき。」と。人の心、覚束なし。
 忠盛朝臣、子息あまた有りき。嫡子清盛、二男経盛、三男教盛、四男家盛、五男頼盛、六男忠重、七男忠度、以上七人、皆諸衛佐を経て殿上の交はり、人更に嫌ふに及ばず。日本国には男子七人あるをば長者と申す事なれば、人多く羨みけり。これも得長寿院の御利生と覚えたり。但し命は限りある事なれば、近衛院御宇、仁平三年癸酉正月十五日、行年五十八にて卒しけり。猶も盛りとこそ見えしに、春立つ霞にたぐひ雲井の煙と消え上り、さしたる病もなし。いつも正月十五日精進潔斎しけるが、今年も又心身を清め沐浴して、本尊の御前に香を焼き花を供じて念仏申し、西に向ひて睡るが如くして引き入りにけり。今生には一千一体の観音の利益を蒙り四海に栄華を開き、終焉には上品中品の弥陀の来迎に預かつて九品の蓮台に生まる。見る人聞く人も敬はずと云ふ事なし。女子五人、男子七人有りき。清盛、嫡男なればその跡を継ぐ。諸国荘園を譲るのみにあらず、家の中の重宝、同じく相伝して他家に移す事なし。中にも唐皮と云ふ鎧、小烏と云ふ太刀、清盛に授けらる。又抜丸もこの家に止まるべかりけるを、頼盛、当腹の嫡子にてこれを伝ふ。その事によつて兄弟、中悪しかりけるとぞ聞こえし。

清盛大威徳の法を行ふ 附 陀天を行ふ 並 清水寺詣での事

 そもそも清盛、打ち続き繁昌し給ひける事、幼少の昔中御門家成卿のもとに局住みしてありけるに、かの卿の祈りの師に大納言阿闍梨祐真とて貴き真言師あり。家成卿の持仏堂にて護身加持しておはしければ、清盛も常に対面ありて問ひ給ひける事は、「真言上乗の秘法の中に、如何なる法かかやうの在家の者の行ひ奉り、けちえん{*5}の利生に与かる事候。」と申されたりければ、阿闍梨答へて曰く、「信心至つて修行すれば、いづれの法も成就すべし。但し威を一天に振るひ徳を万人にぬきんづる者は、五大明王のその一、大威徳の法こそ成就あれば、必ず天子の位に昇るとは申したれ。」と云ひければ、則ち阿闍梨を師匠と憑みて件の法を伝受して、七箇年の間、一向清浄に斎戒し、可曽が滋味をも断じ玄石が美はしき酒をも禁じて、勇猛精進し信心勤行し給ひけり。
 七箇年に満ちたる夜、道場の上に声ありて云く、
  つとめむと思ふ心のきよもりは花はさきつゝえだもさかえむ
と。清盛、後憑もしくおもひていよいよ精誠を致し祈念しけれども、余りの貧者なりければつらつら案じて思ひけるは、われ諸国荘園の主なり。たとひ何となけれども生得の報いとて身一つ助くる分は有るぞかし。いはんや清盛が身においてをや。希代の果報かな、と怪しむ処に、ある時蓮台野にして大きなる狐を追ひ出し、弓手に相付けて既に射んとしけるに、狐、忽ちに黄女に変じて、につこと笑ひ立ち向ひて、「やゝ、我が命を助け給はば汝が所望を叶へん。」と云ひければ、清盛、矢を外し、「如何なる人にておはすぞ。」と問ふ。女、答へていはく、「我は七十四道の中の王にて有るぞ。」と聞こゆ。「さては貴狐天王{*6}にておはしますにや。」とて、馬より下りて敬ひ屈すれば、女、又もとの狐と成りてコウコウ鳴いて失せぬ。
 清盛案じけるは、我、財宝にうゑたる事は荒神の所為にぞ。荒神を鎮めて財宝を得んには弁才妙音には如かず。今の貴狐天王は妙音のその一なり。さては我、陀天の法を成就すべきものにこそ、とて、かの法を行ひけるほどに、又返して案じけるは、実や、外法成就の者は子孫に伝へずと云ふものを、いかゞあるべき、と思はれけるが、よしよし、当時の如く貧者にてながらへんよりは、一時に富みて名を揚げんには、とて行はれけれども、さすが後いぶせく思ひて、かねて清水寺の観音を憑み奉り御利生を蒙らんと、千日詣を始められたり。
 雨の降るにも風の吹くにも日を闕かず、千日既に満じける夜は通夜したり。夜半ばかりに、両眼抜けて中に廻りて失せぬ、と夢を見る。覚めて後、浅ましと思ひて、実や、仏神は来らざる果報を願へば還つて災ひを与へ給ふ、といへり。あはれ、これは分ならぬ幸ひを願ふによつて、観音の罰に我が魂を抜き給ふが見えぬやらん、と現心もなし。さるにても人に尋ねん、とて、我が眼の抜けて中に廻りて去りぬる、と夢に見たるは善きか悪しきか、と札に書きて、清水寺の大門に立てて人を付けてこれを聞かしむ。参り下向の人、多く札を見て、心得ず、とのみ云ひて、誰も善悪をばいはず。両三日を経て後にある人これを見て、打ちうなづきて、「実に目出たき夢なり。吉事をば目出たしと云ふ。目出たしとは目出づると書けり。眼の抜くるは目の出づるなり。この夢主は日ごろ心苦しく侘しき事をのみ見けるが、この観音に帰依し奉るによつて、難の眼を脱ぎ棄て給ひて吉事を見んずる新しき眼を入れ替へ給ふべき御利生にや。あつぱれ夢や、あつぱれ夢や。」と両三度ほめて去りぬ。使帰りてかくと申しければ、清盛、大きに悦びて、さては好相成りけりとて、かの札を深く納めて天を仰ぎて果報をまつ。

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校訂者注
 1:底本は、「拍子(はやし)ける」。底本頭注に、「忠盛の一門を伊勢平氏と称するにより其の国に産する伊勢瓶子に准へ、眇目を素瓶に通はしていうたのである。」とある。
 2:底本は、「痛く心おくれせぬ男とこそ、世に知れたるに。」。『通俗日本全史第3巻 源平盛衰記上』(1912年刊)に従い改めた。
 3:底本頭注に、「錐の尖端が三角なるにかけていふ。」とある。
 4:底本は、「鈶(きら)」。底本頭注に、「綺羅といふのに同じ。」とある。
 5:底本は、「掲焉(けちえん)」。底本頭注に、「著し。」とある。
 6:底本頭注に、「〇貴狐天王 陀枳尼天。」とある。

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