江戸期版本を読む

江戸期版本・写本の翻字サイトとして始めました。今は、著作権フリーの出版物のテキストサイトとして日々更新しています(一部は書籍として出版)。校訂本文は著作物です。翻字は著作物には該当しません。ご利用下さる場合、コメントでご連絡下さい。

カテゴリ:井原西鶴 > 校訂西鶴諸国咄 岩波文庫本

西鶴諸国咄(岩波文庫 1948年刊)WEB目次

近年諸国咄  大下馬  目録
巻一
 一  公事は破らずに勝つ  知恵  奈良の寺中にありし事
 二  見せぬ所は女大工  不思義  京の一條にありし事
 三  大晦日はあはぬ算用  義理  江戸の品川にありし事
 四  傘の御託宣  慈悲  紀州の掛作にありし事
 五  不思議のあし音  音曲  伏見の問屋町にありし事
 六  雲中の腕をし  長生  箱根山熊谷にありし事
 七  狐の四天王  恨  播州姫路にありし事
巻二
 一  姿の飛乗物  因果  津の国の池田にありし事
 二  十貮人の俄坊主  遊興  紀伊の国あは島にありし事
 三  水筋のぬけ道  報  若狭の小浜にありし事
 四  残物とて金の鍋  仙人  大和の国生駒にありし事
 五  夢路の風車  隠里  飛騨の国の奥山にありし事
 六  楽の男地蔵  現遊  都北野の片町にありし事
 七  神鳴の病中  欲心  信濃の国浅間にありし事
巻三
 一  蚤の籠ぬけ  武勇  駿河の国府中にありし事
 二  面影の焼残  無常  京上長者町にありし事
 三  お霜月の作髭  馬鹿  大坂玉造にありし事
 四  紫女  夢人  筑前の国はかたにありし事
 五  行末の宝舟  無分別  諏訪の水海にありし事
 六  八畳敷の蓮葉  名僧  吉野の奥山にありし事
 七  因果のぬけ穴  敵打  但馬の国片里にありし事
巻四
 一  形は昼のまね  執心  大坂の芝居にありし事
 二  忍び扇の長歌  恋  江戸土器町にありし事
 三  命に替る鼻先  天狗  高野山大門にありし事
 四  驫は三十七度  殺生  常陸の国鹿島にありし事
 五  夢に京より戻る  名草  泉州の堺にありし事
 六  力なしの大仏  大力  山城の国鳥羽にありし事
 七  鯉のちらし紋  猟師  河内国内助が淵にありし事
巻五
 一  灯挑は朝顔  茶湯  大和国春日の里にありし事
 二  恋の出見世  美人  江戸の麹町にありし事
 三  楽の[⿰魚摩][⿰魚古]手  生類  鎌倉の金沢にありし事
 四  闇の手形  横道  木曽の海道にありし事
 五  執心の息筋  幽霊  奥州南部にありし事
 六  身捨る油壺  後家  河内の国平岡にありし事
 七  銀かおとして有  正直  江戸に此仕合ありし事

西鶴諸国咄(岩波文庫 1948年刊)WEB凡例

  1:底本は『西鶴諸国咄・本朝桜陰比事』(岩波文庫 1948年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を忠実にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略しました。
  4:底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  5:繰り返し記号(踊り字)は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  6:底本は適宜改行を加え、句読点および発話を示す鍵括弧を修正、挿入しました。
  7:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  8:校訂には『新日本古典文学大系76 好色二代男 西鶴諸国ばなし 本朝二十不孝』(井上敏幸校注 岩波書店 1991)、『日本古典全書 井原西鶴集四(西鶴諸国ばなし、武家義理物語)』(藤村作校註・東明雅補訂 朝日新聞社 1974)、『新釈日本文学叢書 第十巻』(内海弘蔵、物集高量、土井重義 日本文学叢書刊行会 1929)を参照しました。
  9:底本の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

 序 荷→担
 1-1 借→貸 僉議→詮議
 1-2 貌→顔 断→理 腰本→腰元 睡→眠 活→生
 1-3 突→搗 牢人→浪人 比→頃 明→開 礼義→礼儀 請→受 間鍋→燗鍋 慥→確 十面→渋面 難義→難儀 影→蔭 跡→後 内義→内儀 僉議→詮議 独→一人 各別→格別
 1-4 傘→唐傘 行衛→行方 各別→格別 荒菰→新菰 疋→匹 人種→人胤 泪→涙
 1-5 片陰→片蔭 有→或 貌→顔 独→一人 跡→後
 1-6 有→或 貌→顔 不思儀→不思議 明→開 咄→話 替→変
 1-7 破→割 疋→匹 陰→蔭 娌→嫁 跡→後
 2-1 明→開 浮目→憂目 不思義→不思議 貌→顔 難義→難儀
 2-2 詠→眺 二王→仁王 小性→小姓 摻→掻 跡→後
 2-3 猟師→漁師 遣→使 貌→顔 比→頃 要水→用水 堀→掘 横島→横縞 明→開 吊→弔 替→変 国許→国元
 2-4 跡→後 難義→難儀 不思儀→不思議 蚊屋→蚊帳
 2-5 有→或 詠→眺 風→風邪 念比→懇 不思義→不思議 岑→峯
 2-6 独→一人 子共→子供 比→頃 跡→後 貌→顔
 2-7 中→仲 念比→懇 立→経 噯→扱 不思義→不思議 難義→難儀 牛房→牛蒡
 3-1 牢人→浪人 独→一人 籠者→牢舎 僉議→詮議 咄→話 有→或 難義→難儀
 3-2 隙→暇 媼→乳母 競→比 風→風邪 歯骨→白骨 比→頃 二→再 不断→普段 聞→効 吊→弔 替→変
 3-3 進→勧 子共→子供 泪→涙 跡→後 貌→顔 指添→差添 噯→扱 上下→裃
 3-4 読→詠 不断→普段 独→一人 不思義→不思議 娌・娵→嫁 明→開 念比→懇 比→頃 咄→話
 3-5 跡→後 肴→魚 替→変 隙→暇 念比→懇
 3-6 荷→担 泪→涙
 3-7 打→討 明→開 兄娌→嫂 牢人→浪人 疋→匹 食→飯 隙→暇 跡→後 吊→弔 二→再
 4-1 有→或 比→頃 出来坊→木偶坊 次信→継信 替→変 跡→後 太夫本→太夫元
 4-2 詠→眺 跡→後 伝→伝手 中間→仲間 少→僅 最後→最期 請→受 泪→涙
 4-3 物→者 有→或 見世→店 椙→杉 不思儀→不思議
 4-4 独→一人 泪→涙
 4-5 荷→担 明→開 不思義→不思議 読→詠 二→再
 4-6 比→頃 中→宙
 4-7 猟師→漁師 女魚→雌 猟船→漁船 中→仲
 5-1 灯挑→提灯 皃→顔 露路→露地 読→詠 詠→眺
 5-2 見世→店 遣→使 牢人→浪人 泪→涙
 5-3 [⿰魚摩][⿰魚古]→麻姑 疋→匹 肴→魚 明→開 不思義→不思議
 5-4 闇→暗 海道→街道 焼→焚 疋→匹 咄→話 比→頃 泪→涙 難義→難儀 不思義→不思議 中間→仲間 指→刺
 5-5 替→変 泪→涙 傘→唐傘
 5-6 檰→木綿 不思儀→不思議
 5-7 物毎→物事 二→再 詠→眺 影→蔭 念比→懇 咄→話 三良→三郎

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

 世間の広き事、国々を見めぐりて、はなしの種をもとめぬ。
 熊野の奥には、湯の中にひれふる魚あり。筑前の国には、ひとつをさし担ひの大蕪あり。豊後の大竹は手桶となり、若狭の国に、二百余歳の白比丘尼の住めり。近江の国堅田に、七尺五寸の大女房もあり。丹波に、一丈二尺のから鮭の宮あり。松前に、百間つづきのあらめあり。阿波の鳴戸に、竜女のかけ硯あり。加賀の白山に、閻魔王の巾着もあり。信濃の寝覚の床に、浦島が火打ち箱あり。鎌倉に、頼朝の小遣ひ帳あり。都の嵯峨に、四十一まで大振袖の女あり。
 是を思ふに、人は化け物、世にない物はなし。

公事は破らずに勝つ

 大織冠、讃岐の国房崎の浦にて、龍宮へ取られし珠をとり返さんために、都の伶人を呼びくだし給ひて、管絃ありし唐太鼓、一つは南都東大寺におさめ、また一つは、西大寺の宝物となりぬ。この太鼓、いつの頃か、西本願寺に渡りて、今に二六時中を勤めける。そのかみに革張り替ゆる時、この中を見るに、西大寺の豊心丹の方組を細字にて書き附けありけるなり。外は木をあらはし、中には諸々の羅漢を彩色、金銀の置きあげ、日本たぐひなき名筒なり。
 毎年の興福寺の法事に要る事ありて、東大寺の太鼓を借りて勤められしに、ある年、東大寺より太鼓を貸さずして、事を欠きける。衆徒・神主の言葉を、「当年ばかりは。」と添へられ、やうやう借りて仏事を済ましぬ。
 その後、使を立つれども、太鼓を戻さず、寺中、集まつて評判する。「数年貸し来つて、今この時に到り、憎き仕方なり。只は返さじ。打ち破つて。」と言ふ者あれば、「それも手ぬるし。飛火野にて焼け。」と、あまたの若僧・悪僧勇みて、方丈に声響き渡りて鎮まらず。
 その中に、学頭の老法師の進み出でて、「今朝より聞くに、いづれもの申し分、皆、国土の費えなり。某が存ずるには、太鼓をそのまま、当寺の物になせる分別あり。」と、筒の中に「東大寺」と先年よりの書附を削り、新しき墨にて元の如く「東大寺」と書き記し、この事、沙汰せず東大寺に戻せば、悦び、宝蔵に入れ置き、重ねて出だす事なし。
 明けの年また、興福寺の法事前に使僧を遣はし、「例年の通り預け置き候太鼓を取りに参つた。」と申せば、腹立して、使の坊主を打擲して帰しける。
 この事、奉行所へ申し上ぐれば、御詮議になつて、太鼓を改め給ふに、名筒を削りて「東大寺」との書附。たとへ興福寺からの仕業にても、落ち度は、古代の書附知れ難し。自今、興福寺の太鼓に極め、先例の通り、置き所は東大寺に預け、年々要る時を打ちけるとなん。

見せぬ所は女大工

 道具箱には、錐・鉋・墨壺・さしがね。顔も三寸の見直し、中低なる女房。手足逞しき大工の上手にて、世を渡り、一條小反橋に住みけるとなり。
 「都は広く、男の細工人もあるに、何とて女を雇ひけるぞ。」「されば、御所方の奥局、忍び帰しのそこね、または窓の竹うちかへるなど、少しの事に、男は吟味も難しく、これに仰せ附けられける。」となり。
 折節は秋も末の女郎達案内して、かの大工を紅葉の庭に召されて、「御寝間の袋棚・恵比寿大黒殿まで、急いで打ちはなせ。」と申し渡せば、「いまだ新しき御座敷を、こぼち申す御事は。」と尋ね奉れば、「不思議を立つるも理なり。過ぎにし名月の夜更け行くまで、奥にも御機嫌よくおはしまし、御うたたねの枕近く、右丸・左丸といふ二人の腰元どもに琴の連れ弾き、この面白さ。座中、眠りを覚まして辺りを見れば、天井より四つ手の女、顔は乙御前の黒きが如し。腰、うす平たく、腹這ひにして、奥様の辺りへ寄ると見えしが、かなしき御声をあげさせられ、『守り刀を持て参れ。』と仰せけるに、お傍にありし蔵之助、取りに立つ間に、その面影消えて、御夢物語の恐ろし。
 「我が後ろ骨と思ふ所に大釘をうち込むと思し召すより、魂消ゆるが如くならせられしが、されども御身には何の子細もなく、畳には血を流してありしを、祇園に安部の左近といふ占ひ召して見せ給ふに、『この家内に、禍なすしるしのあるべし。』と申すによつて、残らず改むるなり。用捨なくそこらもうち外せ。」と、三方の壁ばかりになして、なほ明り障子まで外しても、何の事もなし。
 「心に掛かる物は、これならでは。」と、叡山より御祈念の札板おろせば、暫し動くを見ていづれも驚き、一枚づつ離して見るに、上より七枚下に、たけ九寸ばかりの屋守、胴骨を金釘に綴ぢられ、紙程薄くなりても生きてはたらきしを、そのまま煙になして、その後は何の咎めもなし。

前頁  目次  次頁

大晦日は合はぬ算用

 榧・かち栗・神の松・やま草の売り声もせはしく、餅搗く宿の隣に、煤をも払はず、二十八日まで髭も剃らず、朱鞘のそりを返して、「春まで待てと言ふに、是非に待たぬか。」と米屋の若い者を睨みつけて、すぐなる今の世を横に渡る男あり。
 名は原田内助と申して隠れもなき浪人。広き江戸にさへ住みかね、この四、五年、品川の藤茶屋の辺りに棚借りて、朝の薪に事を欠き、夕の油火をも見ず、これは悲しき年の暮に、女房の兄半井清庵と申して、神田の明神の横町に薬師あり。このもとへ無心の状を遣はしけるに、度々迷惑ながら見捨てがたく、金子十両包みて上書に、「貧病の妙薬金用丸。よろづに良し。」と記して、内儀の方へ贈られける。
 内助喜び、日頃別して語る浪人仲間へ、「酒一つ盛らん。」と呼びに遣はし、幸ひ雪の夜の面白さ、今までは崩れ次第の柴の戸を開けて、「さあ、これへ。」と言ふ。以上七人の客、いづれも紙子の袖を連ね、時ならぬ一重羽織、どこやら昔を忘れず。
 常の礼儀過ぎてから、亭主罷り出でて、「私、仕合はせの合力を受けて、思ひのままの正月を仕る。」と申せば、各々、「それはあやかり物。」と言ふ。「それに就き、上書に一作あり。」と、くだんの小判を出だせば、「さても軽口なる御事。」と見て回せば、盃も数重なりて、「良い年忘れ、殊に長座。」と千秋楽を謡ひ出だし、燗鍋・塩辛壺を手ぐりにしてあげさせ、「小判もまづ御仕舞ひ候へ。」と集むるに、拾両ありし内、一両足らず。
 座中居直り、袖など振るひ前後を見れども、いよいよないに極まりける。主の申すは、「その内、一両はさる方へ払ひしに、拙者の覚え違へ。」と言ふ。「只今まで確か十両見えしに、面妖の事ぞかし。とかくはめいめいの身晴れ。」と上座から帯を解けば、その次も改めける。
 三人目にありし男、渋面作つて物をも言はざりしが、膝立て直し、「浮世には、かかる難儀もあるものかな。某は身振るふまでもなし、金子一両持ち合はすこそ因果なれ。思ひも寄らぬ事に一命を捨つる。」と思ひ切つて申せば、一座、口を揃へて、「こなたに限らず、あさましき身なればとて、小判一両持つまじきものにもあらず。」と申す。
 「いかにもこの金子の出所は、私、持ち来りたる徳乗の小柄、唐物屋十左衛門方へ一両二歩に昨日売り候事、紛れはなけれども、折節悪し。常々語り合はせたるよしみには、生害に及びし後にて御尋ねあそばし、屍の恥をせめては頼む。」と申しも敢へず、革柄に手を掛くる時、「小判はこれにあり。」と丸行灯の蔭より投げ出だせば、「扱は。」と事を静め、「物には念を入れたるが良い。」と言ふ時、内証より内儀、声を立て、「小判はこの方へ参つた。」と、重箱の蓋に付けて座敷へ出だされける。
 これは、宵に山の芋の煮しめ物を入れて出だされしが、その湯気にて取り付きけるか。さもあるべし。これでは小判十一両になりける。
 いづれも申されしは、「この金子、ひたもの数多くなる事、めでたし。」と言ふ。亭主申すは、「九両の小判、十両の僉議するに、拾一両になる事、座中、金子を持ち合はせられ、最前の難儀を救はんために御出しありしは疑ひなし。この一両、我が方に納むべきやうなし。御主へ帰したし。」と聞くに、誰返事の仕手もなく、一座、異なものになりて、夜更け鶏も鳴く時なれども、各々、立ちかねられしに、「この上は、亭主が所存の通りにあそばされて給はれ。」と願ひしに、「とかく主の心任せに。」と申されければ、かの小判を一升枡に入れて、庭の手水鉢の上に置きて、「どなたにても、この金子の主、取らせられて御帰り給はれ。」と、御客一人づつ立たしまして、一度一度に戸をさし籠めて、七人を七度に出だして、その後、内助は手燭灯して見るに、誰とも知れず取つて帰りぬ。
 主即座の分別、座慣れたる客のしこなし、かれこれ武士の付き合ひ、格別ぞかし。

前頁  目次  次頁

唐傘の御託宣

 慈悲の世の中とて、諸人のために良き事をして置くは、紀州掛作の観音の貸し唐傘、二十本なり。昔より、或る人寄進して、毎年張り替へて、この時まで掛け置くなり。いかなる人も、この辺にて雨雪の降りかかれば、断りなしに差して帰り、日和の時、律儀に返して、一本にても足らぬといふ事なし。
 慶安二年の春、藤代の里人、この唐笠を借りて、和歌・吹上にさし掛かりしに、玉津島の方より神風どつと、この唐傘取つて、行方も知らずなるを、惜しやと思ふ甲斐もなし。吹き行く程に、肥後の国の奥山、穴里といふ所に落ちける。
 この里は、昔より外を知らず住み続けて、無仏の世界は広し、唐傘といふ物を見た事のなければ驚き、法体老人集まり、「この年まで聞き伝へたるためしもなし。」と申せば、その中に小賢しき男出でて、「この竹の数を読むに、正しく四十本なり。紙も常のとは格別なり。忝くも、これは名に聞きし日の神、内宮の御神体、ここに飛ばせ給ふぞ。」と申せば、恐れをなし、俄に塩水をうち、新菰の上に直し、里中、山入りをして宮木を引き萱を刈り、程なう伊勢移して崇めるに従ひ、この唐傘に性根入り、五月雨の時分、社壇頻りに鳴り出でて止む事なし。
 御託宣を聞くに、「この夏中、竈の前を自堕落にして油虫をわかし、内陣までけがらはし。向後、国中に一匹も置くまじ。又一つの望みは、美しき娘をおくら子に供ふべし。さもなくば、七日が中に車軸をさして、人胤のないやうに降り殺さん。」との御事。
 各々、「恐や。」と談合して、指折りの娘どもを集め、それかこれかと詮索する。未だ白歯の娘、涙を流し嫌がるを聞けば、「我々が命、とてもあるべきか。」と、唐傘の神姿の異な所に気をつけて歎きしに、この里に色よき後家のありしが、「神の御事なれば、若い人達の身替はりに立つべし。」と、宮所に夜もすがら待つに、「何の情もなし。」とて腹立して、御殿に駆け入り、かの傘を握り、「思へば体倒しめ。」と引き破りて捨てつる。

前頁  目次  次頁

↑このページのトップヘ