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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂日本永代蔵新講(1937刊)

日本永代蔵新講(白帝社 1937年刊)WEB目次

日本永代蔵 大福新長者教 目録

巻一 
第一 初午は乗て来る仕合
江戸にかくれなき俄分限 泉州水間寺利生の銭
第二 二代目に破る扇の風
  京にかくれなき始末男 一歩拾ふて家乱す悴子
第三 浪風静に神通丸
  和泉にかくれなき商人 北浜に箒の神をまつる女
第四 昔は掛算今は当座銀
  江戸にかくれなき出見せ 一寸四方も商売の種
第五 世は欲の入札に仕合
  南都にかくれなき松屋が後式 後家は女の鑑となる者

巻二
第一 世界の借屋大将
  京にかくれなき工夫者 餅搗もさたなしの宿
第二 怪俄の冬神鳴
  大津にかくれなき醤油屋 何をしても世を渡る此浦
第三 才覚を笠に着大黒
  江戸にかくれなき小倉持 身過の道急ぐ犬の黒焼
第四 天狗は家名の風車
  紀伊国に隠れなき鯨ゑびす 横手ふしの小歌の出所
第五 舟人馬かた鎧屋の庭
  坂田にかくれなき亭主振 明れば春なり長持の蓋

巻三
第一 煎じやう常とはかはる問薬
  江戸にかくれなき箸削 小松さかへて材木屋
第二 国に移して風呂釜の大臣
  豊後かくれなきまねの長者 程なくはげる金箔の三の字
第三 世は抜取の観音の眼
  伏見にかくれなき後生嫌ひ 質種は菊屋が花さかり
第四 高野山借銭塚の施主
  大坂にかくれなき律義屋 三世相よりあらはるゝ猫
第五 紙子身体の破れ時
  駿河にかくれなき花菱の紋 無間の鐘を聞は突そこなひ

巻四
第一 祈る印の神の折敷
  京にかくれなき桔梗染屋 わら人形の夢物かたり
第二 心を畳込古筆屏風
  筑前にかくれなき舟持 蜘の糸のかかるためしも
第三 仕合の種を蒔銭
  江戸にかくれなき千枚分銅 そなはりし人の身の程
第四 茶の十徳も一度に皆
  越前にかくれなき市立 身は燃杭の小釜の下
第五 伊勢海老の高買
  堺にかくれなき樋の口過 能は桟敷から見てこそ

巻五
第一 廻り遠きは時計細工
  長崎にかくれなき思案者 火を喰鳥も身をしりぬ
第二 世渡りは淀鯉のはたらき
  山崎にうち出の小槌 水車は仕合を待やら
第三 大豆一粒の光り堂
  大和にかくれなき木綿屋 借銭の書置めづらし
第四 朝の塩籠夕の油桶
  常陸にかくれなき金分限 人はそれそれの願ひに叶ふ
第五 三匁五分曙のかね
  作州にかくれなき悋気娌 蔵合といふは九つの蔵持

巻六
第一 銀のなる木は門口の柊
越前にかくれなき年越屋
第二 見立て養子か利発
武州にかくれなき一文よりの銭屋
第三 買置は世の心やすい時
泉州にかくれなき小刀屋の薬代
第四 身代かたまる淀河の漆
山城にかくれなき与三右か水車
第五 智恵をはかる八十八の舛掻
今の都にかくれなき三夫婦をいはふ


日本永代蔵(白帝社 1937年刊)WEB凡例

  1:底本は『日本永代蔵新講』(大籔虎亮著 白帝社 1937年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:校訂には『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(村田穆校注 新潮社 1977)、『日本古典文学大系48 西鶴集 下』(野間光辰校注 岩波書店 1960)、『日本永代蔵精講』(守随憲治著 学灯社 1953)を参照しました。
  8:本文と【口訳】は底本全文を、【語釈】と【批評】は適宜抜粋しました。
  9:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)

ア行 明く→開く・空く 浅黄→浅葱 跡→後 有る→或る 衣𫌏→衣装 閙し→忙し 壱→一 煮る→煎る 発る→起こる 愧し→恐ろし 海道→街道 各→各々
カ行 帰る・帰す→返る・返す 皃→顔 懸く→掛く 各別→格別 陰→蔭 累ぬ→重ぬ 餝る→飾る 柯材・柯𣏾→河岸 借す→貸す 翺ぐ→稼ぐ 形気→気質 蚊屋→蚊帳 傘→唐傘 替はる→変はる 義→儀 儀→議 木薬→生薬 絹→衣 著る→着る 薬師→医師 闇し・闇→暗し・暗がり 操る→繰る 鏐→金 子共→子供 比・来→頃
サ行 肴→魚 向→先 淋し→寂し 卅→三十 嶋→縞 拾→十 舛→升 性→姓 身袋・身体→身代 世悴・忰子→倅 撫育・生育→育つ
タ行 焼く→焚く 詑宣→託宣 竪・立→縦 莨菪→煙草 端→反 少さし→小さし 挑灯→提灯 爴む→掴む 著く→着く 鉄炮→鉄砲 整ふ→調ふ 調ふ→整ふ 吊ふ→弔ふ
ナ行 詠む→眺む 中間→仲間 何某→何がし 泪→涙 貮→二 廿→二十 荷なふ→担ふ 念比→懇ろ 登る→上る
ハ行 始め→初め 袒く→働く 初尾→初穂 咄→話 婆々→婆 疋→匹 独り→一人 檜木→檜 隙→暇 天鳶兎→天鵞絨 歩→分 [⿱莚月]く→葺く 二度→再び 犢鼻褌→褌 堀る→掘る
マ行 参詣→詣づ 見世・見せ→店 男子→息子 設く→儲く 物毎→物事 嘇→物申 檰→木綿
ヤ行 屋→家 安し→易し 娌・娵→嫁
ラ行 猟師→漁師 窂人→浪人
ワ行 脇指→脇差 纔→僅か 童子→童

上記以外(篇毎 登場順)
1-1 夢[⿰目覺]→夢幻 暴雨→俄雨 捶つ→打つ 利足→利息
1-2 嶋→縞 上郎→女郎
1-3 丸雪→霰 噯ふ→扱ふ 胞→臍 金→銀 大豆板→豆板 箒子→箒
1-4 角→隅 面→表 段子→緞子 毛貫→毛抜 紬覆輪→袖覆輪
1-5 賊→盗人 駕籠→乗物 節供→節句 曝布→晒布 紅花→紅
2-1 繻絆→襦袢 縑→綟 奴僕→丁稚 燧→火打 仁→人 楪葉→譲り葉 薏苡仁→数珠玉 歩行→歩き 誦む→読む 丸曲→丸髷 露路→露地 増水→雑炊 穢る→汚る
2-2 次ぐ→継ぐ 叡→比叡 偽→嘘
2-3 掛く→架く 湿る→濡る 夫→男 噪ぎ→騒ぎ 本透→本粋 至り→臻り 身業→身過ぎ 断る→切る 佗ぶ→詫ぶ 手便→手立て 斗る→量る
2-4 村立つ→叢立つ 鳥井→鳥居 鑓→銛 指す→刺す 頭→図 縫づ→綴づ 延ばす→伸ばす
2-5 焼木→薪 [⿰扌夕]→杓 皺皮→蟇肌
3-1 鬢逆→逆鬢 天窓→頭 婆々→婆 衣裏→襟 筑地→築地
3-2 眇々→渺々 粼→洲浜 鑰→鍵 隄→堤
3-3 伸ぶ→述ぶ 二幅→湯具 昇る→登る 階子→梯子 手束ぬ→束ぬ
3-4 祖母→婆 働く→動く 不便→不憫 冶郎→野郎 悪し→憎し 虚く→空く
3-5 抛つ→投げうつ
4-1 大豆→豆 七種→七草 競ぶ→比ぶ [⿰巾頭]→頭巾 蘇枋→蘇芳 団→団扇 罵る→叱る 積→癪 灵→霊
4-2 蜘→蜘蛛
4-3 物→者 廻る→巡る 相の山→間の山 間→内 闇し→暗し
4-4 辛→殻 居る→据はる
4-5 突く→搗く 夜半→夜中 永し→長し 代々→橙 [⿰米菊]→麹 洗濁→洗濯 〆→締め
5-1 他→人 沸ゆ→煮ゆ 中→宙 差図→指図 復る→孵る
5-2 留主→留守 身業→身過ぎ 睨く→覗く 取る→捕る 直段→値段 白眼→睨む 三寸→神酒
5-3 首→頭 肥汁→肥やし 鉾る→尖る 秘す→隠す 袋→足袋 鐘木→撞木 姪→甥 飽る→呆る 便り→頼り 舒す→延ばす 相口→匕首 媱→淫
5-4 松炬→松明 西明寺→最明寺 情→精 十面→渋面
5-5 相生→相性 卜る→占める 烈し→激し
6-1 囿→園 琢く→磨く
6-2 食→飯 棋→碁 諷→謡
6-5 友→共 歩→賦

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

本朝永代蔵 巻之一

初午は乗つて来る仕合せ

 天道もの言はずして国土に恵み深し。人は実あつて偽り多し。その心は、もと虚にして、物に応じて跡なし。これ、善悪の中に立つて直なる今の御代を豊かに渡るは、人の人たるが故に、常の人にはあらず。
 一生一大事、身を過ぐるの業、士農工商の外、出家神職に限らず、始末大明神の御託宣に任せ、金銀を溜むべし。これ、二親の外に命の親なり。人間、長く見れば朝を知らず、短く思へば夕べに驚く。されば、天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻と言ふ。時の間の煙、死すれば何ぞ。金銀、瓦石には劣れり。黄泉の用には立ち難し。然りといへども、残して子孫の為とはなりぬ。
 ひそかに思ふに、世に有る程の願ひ、何によらず銀徳にて叶はざる事、天が下に五つ有り。それより外はなかりき。これにましたる宝船の有るべきや。見ぬ嶋の鬼の持ちし隠れ笠隠れ蓑も、俄雨の役に立たねば、手遠き願ひを捨てて、近道にそれそれの家職を励むべし。福徳はその身の堅固に有り。朝夕油断する事なかれ。殊更、世の仁義を本として、神仏を祭るべし。これ、和国の風俗なり。
 折節は春の山、二月初午の日。泉州に立たせ給ふ水間寺の観音に、貴賤男女詣でける。皆、信心にはあらず、欲の道連れ。遥かなる苔路、姫萩、荻の焼け原を踏み分け、いまだ花もなき片里に来て、この仏に祈誓かけしは、その分際程に富めるを願へり。この御本尊の身にしても、一人一人に返言し給ふも、尽きず。「今この娑婆に、掴み取りはなし。我頼むまでもなく、土民は汝に備はる、夫は田打ちて婦は機織りて、朝暮その営みすべし。一切の人、この如く。」と、戸帳越しにあらたなる御告げなれども、諸人の耳に入らざる事の浅まし。
 それ、世の中に借銀の利息ほど、恐ろしき物はなし。この御寺にて、万人借り銭する事あり。当年一銭預りて、来年二銭にして返し、百文請け取り、二百文にて相済ましぬ。これ、観音の銭なれば、いづれも失墜なく返納し奉る。各々五銭三銭、十銭より内を借りけるに、ここに年の頃二十三、四の男、生れ付き太く逞しく、風俗律義に、頭つき後上がりに、信長時代の仕立。着る物、袖下せはしく、裾周り短く、上下共に紬の太織{*1}を無紋の花色染にして、同じ切れの半襟を掛けて、上田縞{*2}の羽織に木綿裏を付けて、中脇差に柄袋をはめて、世間構はず尻からげして、ここに参りし印の山椿の枝に、野老入れし髭籠取り添へて{*3}下向と見えしが、御宝前に立ち寄りて、「借り銭一貫。」と言ひけるに、寺役の法師、貫ざしながら相渡して、その国その名を尋ねもやらず。かの男、行き方知れずなりにき。
 寺僧集まりて、「当山開闢よりこのかた、終に一貫の銭貸したるためしなし。借る人、これが始めなり。この銭、済むべき事とも思はれず。自今は大分に貸す事、無用。」と沙汰し侍る。
 その人の住み所は武蔵江戸にして、小網町の末に浦人の着きし舟問屋して、次第に家栄えしを喜びて、掛硯に「仕合丸」と書き付け、水間寺の銭を入れ置き、漁師の出船に子細を語りて、百文づつ貸しけるに、「借りし人、自然の幸ひ有りける。」と遠浦に聞き伝へて、せんぐりに毎年集まりて、一年一倍の算用に積もり、十三年目になりて、元一貫の銭、八千百九十二貫に嵩み、東海道を通し馬に付け送りて、御寺に積み重ねければ、僧中、横手打ちて、その後僉議あつて、「末の世の語り句になすべし。」と、都よりあまたの番匠を招きて宝塔を建立、有難き御利生なり。
 この商人、内蔵には常燈の光。その名は網屋とて、武蔵に隠れなし。惣じて親の譲りを受けず、その身才覚にして稼ぎ出し、銀五百貫目よりして、これを分限と言へり。千貫目の上を長者とは言ふなり。この銀の息よりは、幾千万歳楽と祝へり。

【口訳】
 天道は、黙つては居られるが、その恵みは天下に深い。ところが人は、誠はあるが、一方には又偽りも多い。然るに人の本心は、元来空虚で、外物に応じて善とも悪ともなるもので、外物が去ればまた空虚に帰して、跡形がない。かやうに善と悪との世の中に立つて、正しい今の御代を正直にしかも豊かに渡世するのは、本当にすぐれた人であるわけだから、かやうな人は、平凡な人ではない。
 一生の一大事は渡世の業で、士農工商は勿論、僧侶神官に至るまで、倹約の神様のお告げに従ひ、倹約を第一として金銀を溜めるのがよい。金銀は、両親を除いては、命の親だ。だが人の一生も、長いと見れば翌朝も待たずに死に、短いと思へば、その日の夕方にも世を去る人がある。支那の詩人も、「天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻」と言つている。人生は暫くの間に火葬の煙と消える。死ぬれば金銀も何の役に立たうぞ。瓦石にも劣るものだ。未来の用には立ち難い。さうではあるが、残しておけば、子孫の為にはなるものだ。
 心に思ふに、世にある程の願ひは、何に限らず、金銀の力で出来ない事は天下に無いはずで、唯不可能なのは五つだけだ{*4}。それ以外には無い。金銀にまさる宝が外にあらうや。見た事もない島の鬼が持つてゐるといふ隠れ笠隠れ蓑も、俄雨の役には立たないから、さやうな迂遠な願ひを捨てて近道を取り、めいめいの家業を励むがよい。だが、仕合せを得るには、その身持ちを健実にするにある。常住、油断するな。殊更、世間の道徳を第一として、神仏を祭るがよい。これは日本の風俗である。
 時は春の山遊びによい二月初午の日、泉州にお立ちになつてゐる水間寺の観音様に、貴賤男女が参詣する。しかし皆、信心の為ではなく、欲深い人の道づれで、遥かに続く苔路をたどり、姫萩や荻の焼け原を踏み分け、まだ桜の花も咲かない片田舎に来て、この仏に祈願する事は、その分際相応に富まん事を願ふのである。しかるに、この御本尊にしても、一人一人にお答えなさつても、尽きないわけだ。そこで、「当世では、濡れ手で粟を掴むやうな金儲けは無い。我を祈るまでもなく、百姓の本職は汝らに備はつてゐる。即ち、夫は田を耕し、婦人は機を織つて、朝夕その仕事をせよ。一切の人、皆、かうせよ」と、戸帳越しにあらたかな御告げであるけれども、諸人の耳に入らないのは情けない事だ。
 一体、世の中に借銀の利息ほど恐ろしいものは、外にない。知らぬ間に嵩むものだ。この御寺に多くの人々が借銭する風習がある。本年一文借りて、来年二文にして返し、百文借りれば二百文にして済ますのである。これは観音の銭だから、皆々浪費する事なく返納し奉る。大抵の人は皆、五文三文、十文以内を借りるのに、ここに年輩二十三、四の男、体格が太く逞しく、身なりが質朴で{*5}、髪形は後上がりで、信長時代の仕立をした着物を着、袖下狭く裾短く、上下共に紬の太織を無地の花色染にして、同じ切れの半襟を掛け、上田縞の羽織に木綿裏を附け、中脇差に柄袋をはめ、世間体を構はず尻からげして、ここに参詣した印として、山椿の枝に、野老入れた髭籠を取り添へてかたげながら、帰途と見えるが、御宝前に立ち寄つて、「借銭一貫、お頼み申す。」と言つた。そこで役僧は、貫ざしのまま相渡したが、その住所姓名を尋ねる暇もないうちに、かの男は行方知れずなつた。
 寺僧達が集まつて、「この寺開山以来、未だ{*6}かつて一貫の銭を貸した例がない。借りる人は、これが始めだ。この銭は、返済しさうにも思はれない。今後はたくさん貸す事はいけない。」と議決した。
 この男の住所は武蔵国江戸で、小網町の下手に舟着き場があるが、そこに舟問屋をしてゐたが、次第に繁昌したのを喜んで、掛硯に仕合丸と書き付け、水間寺の銭を入れ置き、漁師の出船の時、この銭のいはれを話して、百文づつ貸した。ところが、借りた人は自然に福運を得た事を、遠い漁村までも聞き伝へて、その返済する銭が毎年集まり、一年二倍の算用に見積もり、十三年目になつて、元一貫の銭が八千百九十二貫に増加した。そこで、これを通し馬に付けて東海道を運送し、水間の御寺に積み重ねたので、僧達は皆、横手を打つて感服した。その後評議して、将来の話の種になさうといふ事になり、都からあまたの大工を呼び寄せ、宝塔を建立した。有難き御利益だ。
 この商人の内蔵には常燈の光が輝き、その名は網屋といつて、武蔵に知れ渡つてゐる。この人は親の遺産を受けず、自分の才能で儲け出したのであつた。一体、銀五百貫目{*7}からの資産家は、これを分限と言ふ。千貫目以上を長者とは言ふのである。網屋では、この銀の勢ひから幾千万貫と殖え、行く末長く栄えるやうに、万歳楽と祝つてゐる。

【批評】
 事件の推移を叙述するばかりでなくて、遥かなる苔路、姫萩、荻の焼け原を踏み分くる早春の野べを写す事を忘れず、始末男の風采を精細に描くところに、作者の特長が見えるのである。


校訂者注
 1・2:底本は、「ふとり」「上田嶋(うへだしま)」。底本語釈及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従いそれぞれ改めた。
 3:底本は、「取りそろへて」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 4:底本語釈に、「地水火風空の五輪。五大ともいふ。ここは自分の身体をいふ。」とある。
 5:底本語釈に、「〇風俗 みなり。」「〇律義 質朴なこと。」「〇裾まはり 裾たけ。裾のたけが長いのは質素な風。」「〇ふとり 太織の約。粗末な太い絹糸で織つたもの。」「〇半襟 当時の町人は男女共に黒の半襟を着物に掛けるのが普通であるのに、同じ切れの半襟をかけたのは、半襟の分は裁ち出したので、別に黒い切れを買はなくても済むからである。これも粗末な風を描いてゐる。」「〇上田嶋 経緯とも紬糸で、極めてもちがよく、これで仕立てた着物は、裏を三度取り替へても表は一つで間に合ふと言ふ程で、三裏縞とも言つた。」「〇柄袋(つかふくろ) 世智弁袋(せちべんぶくろ)とも言ふ。世智弁とは悋(しは)い事で、柄を惜しむ故かく言ふ。この男が柄袋をはめてゐるのは、しはい事を示してゐる。」とある。
 6:底本は、「末だ」。
 7:底本語釈に、「〇銀五百貫目 仮に貞享元年に於ける大阪銀価を言へば、金一両に対し銀六十目、銭一貫文に対し銀十三匁ないし十五匁であつた。」とある。

二代目に破る扇の風

 人の家に有りたきは、梅、桜、松、楓。それよりは、金銀、米、銭ぞかし。庭山にまさりて庭蔵の眺め、四季折々の買ひ置き、これぞ喜見城の楽しみと思ひ極めて、今の都に住みながら、四条の橋を東へ渡らず、大宮通より丹波口の西へ行かず。諸山の出家を寄せず、諸浪人に近付かず。少しの風気、虫腹には自薬を用ゐて、昼は家職を大事に勤め、夜は内を出でずして、若い時習ひ置きし小謡を、それも両隣を憚りて、地声にして我一人の慰みになしける。燈を受けて本見るにはあらず、覚えた通り。世の費え、一つもせざりき。
 この男、一生の内、草履の鼻緒を踏み切らず、釘の頭に袖をかけて破らず。万に気を付けて、その身一代に二千貫目しこ溜めて、行年八十八歳。世の人、あやかり物とて舛掻を切らせける。されば限り有る命、この親仁、その年の時雨降る頃、憂への雲、立ち所を待たず。頓死の枕に残る男子、一人してこの跡を丸取りにして、二十一歳より生れ付きたる長者なり。
 この倅、親にまさりて始末を第一にして、あまたの親類に所務分けとて箸片し散らさず、七日の仕揚げ。八日目より蔀、門口を開けて、世を渡る業を大事に掛けて、腹の減るを悲しみて、火事の見舞にも早くは歩まず。悋い穿鑿に年暮れて、明くれば、「去年の今日ぞ、親仁の祥月。」とて旦那寺に参りて、下向になほ昔を思ひ出して、涙は袖に余れる。
 「この手紬の碁盤縞は命知らずとて、親仁の着られしが、思へば惜しき命。今十二年{*1}生き給へば、長百なり。若死あそばして大分損かな。」と、これにまで欲先立ちて帰るに、紫野の辺り、御薬苑の竹垣のもとにして、召し連れたる年切女、斎米入れし空き袋持ちし片手に、封じ文一通拾ひ上げしを、取りて見れば、「花川様参る。二三より。」と裏書き。そくひ付けながら、念を入れて印判押したる上に、「五大力菩薩」と、染め染めと筆を動かせける。
 「これは、聞きも及ばぬ御公家衆の御名なり。」と、それより宿に帰り、人に尋ねければ、「これは、嶋原の局女郎の方へ遣るなるべし。」と読み捨てけるを、「これも、杉原反故一枚の徳。損のゆかぬ事。」とて、物静かに解き見しに、一歩一つころりと出しに、「これは。」と驚き、まづ付け石にて改め、その後、秤の上目にて一匁二分、りんとある事を喜び、胸の躍りを鎮め、「思ひ寄らざる仕合せは、これぞかし。世間へ沙汰する事なかれ。」と、下々の口を閉ぢて、さて、かの文を読みけるに、恋も情けも離れて、頭から一つ書きにして、「時分柄の御無心なれども、身に代へてもいとほしさのまま、春切り米を借り越し遣はし参らせ候。この内、二匁はいつぞやの諸分け、その残りは皆合力。年々積もりし借銭を済まし申さるべし。惣じて、人にはその分限相応の思はく有り。大坂屋の野風殿に西国の大臣、菊の節句仕舞ひにとて、一分{*2}三百贈られしも、我らが一角も、心入れは同じ事ぞかし。あらば何か惜しかるべし。」と、哀れ含みての文章。
 読む程、不憫重なり、「いかにしても、この金子を拾うてはゐられじ。この存念も恐ろし。その男に返さんとすれば、住み所を知らず。先の知れたる島原に行きて、花川を尋ね、渡さん。」と、少しは鬢のそそけを作りて、宿を立ち出でし後、「この一分{*3}、只返すも、思へば惜しき」心ざし出て、五七度も分別変へけるが、程なく色里の門口に着きて、すぐには入りかね、暫く立ち休み、揚屋より酒取りに行く男に立ち寄り、「この御門は、断りなしに通りましても苦しうござりませぬか。」と言ひければ、かの男、返事もせず、おとがひにて教へける。
 「さては。」と、編笠ぬぎて手に提げ、中腰にかがめて、やうやうに出口の茶屋の前を行き過ぎて、女郎町に入り、一文字屋の今唐土出掛け姿に近寄り、「花川様と申す御方は。」と尋ねけるに、大夫、遣り手の方へ顔を移して、「私は存じませぬ。」とばかり。遣り手、青暖簾の掛かる方に指さして、「どこぞ、そのあたりで聞き給へ。」と言へば、後なる六尺、目に角を立てて、「その女郎、連れておぢやれ。見てやらう。」と申せば、「連れ参る程なれば、御前様に御尋ねは申しませぬ。」と、後へ下がりて、あなたこなたに尋ね当たり、様子を聞けば、二匁取りの端傾城なるが、この二、三日気色悪しくて、引き籠り居らるる由、そこそこに語り出ければ、かの文届けず。
 帰りさまに、思ひの外なる浮気おこりて、「元この金子、我が物にもあらず。一生の思ひ出に、この金子切りに今日一日の遊興して、老いての話の種にも。」と思ひ極め、揚屋の町は思ひも寄らず、茶屋にとひ寄り、藤屋彦右衛門といへる二階に上がり、昼のうち九匁の御方を呼びてもらひ、呑みつけぬ酒に浮かれて、これより手習ふ始め。情け文の取り遣りして、次第のぼりに、大夫残らず買ひ出し、時なるかな、都の末社四天王、願西、神楽、鸚鵡、乱酒に育てられ、まんまとこの道に賢くなつて、後には色作る男の仕出しもこれが真似して、「扇屋の恋風様」と言はれて吹き揚げ、人は知れぬものかな、見及びて四、五年このかたに、二千貫目、塵も灰もなく火吹く力もなく、家名の古扇残りて、「一度は栄え、一度は衰ふる」と身の程を謡うたひて、一日暮らしにせしを見る時聞く時、「今時は儲けにくい銀を。」と、身を持ち固めし鎌田屋の何がし、子供にこれを語りぬ。

【口訳】
 人の家にありたい物は、梅、桜、松、楓などだが、それよりもなほまさつてゐるのは、金銀、米、銭だ。「庭山にまさつて、よいのは庭蔵の眺めで、これに四季折々の品物を買つて入れて置くのは、これぞ喜見城の楽しみだ。」と思ひ定めてゐる男があつた。この男、当世の都に住んでゐながら、四条の橋を東へ渡らず、大宮通りから丹波口の西へ行かず、両色里に足を入れない。又、諸寺の僧侶を寄せつけず、諸浪人に近付かず、少しの風気、虫腹には自薬を用ゐ、昼は家業を大切に勤め、夜は外出しないで、若い時習つておいた小謡を、それも両隣に遠慮して地声で謡ひ、我ひとりの慰みにした。燈の光を受けて本見るのではなく{*4}、かねて記憶してゐる通りにして、入費のかかる事は一つもしなかつた。
 この男、一生の内に草履の鼻緒を踏み切つた事がなく、釘の頭に袖を引つ掛けて破つた事がなく、万事に気を付け、その身一代に二千貫目の大金を貯めて、行年八十八歳になつたが、世の人、これをあやかりものと羨んで、枡掻きを切らせた{*5}。しかるに、人の命には限りのあるもので、この親爺、時雨降る頃、心配な容態となられたかと思ふ内に、間もなく頓死なされたが、その枕頭に残つた男子が、一人でその遺産を丸取りにして、二十一歳から生まれながらの長者となつた。
 この息子は、親にまして倹約を第一にし、多くの親類に対しても、形見分けと言つて箸一本だつて散らさず、初七日の忌を済ますや、はや八日目から蔀戸や門口を開け、渡世の業を大切に心掛け、腹の減るのを悲しんで、火事の見舞にも早くは歩まず、吝い事ばかりを気にかけて、その年も暮れ、翌年には、「去年の今日は、親爺の祥月命日だ。」というので旦那寺に参詣したが、帰途にはなお昔の親爺の事を思ひ出して、涙は袖にあふれた。
 「この手紬の碁盤縞は、もちがよくて命知らず{*6}と言つて親爺が着られたが、思へば惜しい命。もう十二年生きてゐられれば、丁度百ぢや{*7}。若死あそばして、大分損をなさつたよ。」と、命にまで欲が先に立つて帰るに、紫野のほとり、御薬苑の竹垣のもとで、召し連れた年切り女が、斎米入れた空き袋を持つ片手に、封じ文一通拾ひ上げたのを、取つて見れば、「花川様参る。二三より{*8}。」とあつて、裏書きは、そくひを付け、更に念を入れて印判押した上に、「五大力菩薩」と、墨黒々と筆を染めてあつた。
 「これは、聞いた事もない御公卿衆の御名だ。」とつぶやき、それから家に帰り、人に尋ねたところが、「これは、島原の局女郎{*9}の方へ遣る文だらう。」と言つて読み捨てたのを、「これも、杉原反故一枚の得。取つておいても損の行かぬ事だ。」と言つて、静かに封を解いてみると、一分金一つころりと出たので、「これはまあ。」と驚き、まづ附け石で調べ、しかる後、秤にかけて上目{*10}で見れば、一匁二分きちんとある事を喜び、胸の躍るのを落ち着け、「思ひ寄らぬ仕合せとは、この事だ。世間の人に話すな。」と召使ひ達に口止めして、さて、かの文を読んでみると、恋などは全くなく、始めから一つ書き{*11}にして、「時節柄の御無心だが、こちらも金の持ち合せがない。けれども身に替へてもそなたをかはゆく思ふから、春切り米{*12}を借り越して遣はします。この内二匁は、いつかの入費、その残りは皆そなたにあげるから、年々積もつた借銭をこれで済ましなさい。いったい、人にはその分際相応の考へがある。たとへば、大坂屋の大夫野風殿に九州の大尽が、菊の節句仕舞ひに使へとて、一分金三百箇贈られたのも、わしが今一角{*13}お前にあげるのも、心づかひは同じ事だよ。もつと金があらば、そなたの為に何で惜しからうぞ。」と、同情のこもつた文章だ。
 読めば読むほど気の毒さが増し、「いかにしてもこの金子を拾つては置かれない。この人の存念に対しても恐ろしい。だが、その男に返さうとすれば、住所がわからない。いつその事、方角の知れた島原に行つて、花川を尋ねて渡さう。」と思案して、少しは鬢のほつれ毛をつくろひ、家を出たが、「この一分を只返すのも、思へば惜しい事だ。」といふ考へが出て、五七度も考へ直したが、間もなく色里の門口に着いた。だが、すぐには入りかね、暫く立ち止まつてゐると、揚屋から酒取りに行く男が来るので、これに近寄り、「この御門は、無断で通りましても差し支へござりませぬか。」と聞いた。かの男は返事もせず、あごで教へた。
 「それでは差し支へないのだな。」と思ひ、編笠{*14}ぬいで手に提げ、中腰になつて、やうやう出口の茶屋の前を行き過ぎて、女郎町に入り、一文字屋の今唐土が道中姿となつて揚屋へ出掛けるのに近寄り、「花川様と申す御方はどちらで。」と尋ねたところが、大夫は、遣り手の方に顔を向けて、「私は存じませぬ。」と言つたばかり。そこで、遣り手は青暖簾の掛かつてある方を指さして、「どこぞ、その辺で聞きなされ。」と言へば、後に従ふ六尺{*15}、この男に怒つた目つきをして、「その女郎、連れておぢやれ。見てやらう。」と言へば、「連れ参る程なれば、御前様に御尋ねは申しませぬ。」と言つて後へ下がり、あなたこなたに立ち寄り、やつと尋ね当たつて、その家の人に様子を聞くと、花川といふのは二匁取りの端傾城であるが、この二、三日、気分が悪くて引き籠つて居られる由、忙しさうに語り出したので、かの文を届けず、帰る途中、思ひの外な浮気が起こつて、「元来、この金子は自分の物でもない。一生の思ひ出に、この金子限りで今日一日の遊興して、老後の話の種にもしよう。」と決心したが、揚屋の町で遊ぶのは高くかかるので、思ひも寄らないので、茶屋に尋ね寄り、藤屋彦右衛門といふ家の二階に上がり、「昼のうち九匁の御方を。」と言つて呼んで貰ひ、呑みつけぬ酒に浮かれたが、これから遊びの手習ひ始め、恋文の取り遣りして、端女郎から次第のぼりに大夫を残らず買ひ始めたが、時も時、都に「太鼓持ち{*16}の四天王」と言はれて、願西、神楽、鸚鵡、乱酒の四人が居たが、これらにおだてられ、まんまとこの道に偉くなつて、後には、ハイカラ男がめかすのも、この男の真似をするやうになり、「扇屋の恋風様」と言はれて金銀を遣ひ{*17}、人はわからぬものだ、目に留まつて四、五年このかたに、二千貫目の財産が塵も灰もなくなり、火吹く力さへもなく{*18}、家号に縁のある古扇ばかりが手に残つて、「一度は栄え、一度は衰ふる{*19}」と、今の身の上を謡うたつて{*20}その日暮らしにしてゐるが、これを見る時聞く時、「当世は儲けにくい銀を、あたら遣ひ果たして。」と、身を堅く持ち続けて来た鎌田屋の何がしが、子供らに右の話を語るのであつた。

【批評】
 読者は本篇を読了して、身持ちを十分に慎むべき事を痛切に教へられるところがあるかと考へるに、さうでもない。
 本編で最も興味の存在するところは、ウブな男が島原に初めて行つた光景である。惣門を入る時、「この御門は断りなしに通りましても苦しうござりませぬか。」と尋ねる事、大夫の出掛け姿に直接尋ねる事。この前後の描写は、フモールも漂つて、一篇中最も光つてゐる。又、金子を返さうとする同情と、遊里に立ち入る好奇心と欲念との葛藤も自然であり、更に、尋ねる遊女に終に会へず、拾つた一分金に目がくれ、一人よがりの分別して遊んでみたい気持ちになる心理の推移も、極めて自然で無理がなく、そぞろに読者を微笑させる。
 極端に吝い心が、極端に遊蕩する心に変ずるのもまた、世間に実例のある事で、頷かされる。永代蔵から読者が得るところのものは、大方は致富の道ではなくて、作者の鋭敏軽妙な描写に魅せられて、興味を感ずる点に存在すると思ふのであるが、この一篇も又、その好例である。

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校訂者注
 1:底本は、「廿二年」。底本語釈に従い改めた。
 2・3:底本は、「一歩(ぶ)」。底本語釈に従い改めた。
 4:底本語釈に、「〇本見るにはあらず 小謡を謡ふのも、謡の本を見て吟ずるのではない。油が減るからである。」とある。
 5:底本語釈に、「〇桝掻(ますかき) 桝に盛つた穀物を、桝の縁と平らかにならす為に用ゐる短い棒。升掻をきるとは、竹を切つて升掻を作ること。八十八歳は米寿と言ふ。そこで八十八歳の老翁を招待して升掻を切つて貰ひ、その仕合せにあやからうとする風習があつた。」とある。
 6:底本語釈に、「〇命(いのち)しらず 非常に長持ちのする意。紬が元来強いのに、手織りだから一層頑丈である。」とある。
 7:底本語釈に、「〇長(ちやう)百 長百は丁百銭の略で、丁銭(ちやうせん)とも言ひ、銭百文のこと。百歳を銭の算用の言葉で言ふのも、さすがに始末男である。」とある。
 8:底本語釈に、「〇二三 にさん。これは、五兵衛などいふ名の替へ名で、替へ名を使ふ事は、遊客の風習であつた。」とある。
 9:底本語釈に、「〇局(つぼね)上郎(らう) 最も下等な傾城。端(はし)女郎。島原では、大夫、天神、囲(かこひ)、局の順であつた。」とある。
 10:底本語釈に、「〇上目(うはめ) 秤竿の上面にしるしてある目盛り。」とある。
 11:底本語釈に、「〇ひとつ書(かき) 一つ、何々と、箇条書きのやうに書くこと。」とある。
 12:底本語釈に、「〇春切米(はるぎりまい) 切米は扶持米を金銭に切り替へて給するもので、今日の給料に当たる。春季は二月、夏季は五月、冬季は十月を支給期とし、毎期、米の時価を標準として金銭に換算して支給した。」とある。
 13:底本語釈に、「〇一角(かく) 一分金一枚のこと。一分金は長方形だから、かく言ふ。」とある。
 14:底本語釈に、「〇編笠(あみがさ) 編笠をかぶつて門口を通るのが普通であるのに、この男はぬいで通る。」とある。
 15:底本語釈に、「〇六尺 大夫の後ろから大きな日傘をさしかけて行く下僕。」とある。
 16:底本語釈に、「〇末社(まつしや) 太鼓持ち。幇間。遊客に侍して酒興を助くる男。」とある。
 17:底本語釈に、「〇吹揚(ふきあげ) 遊女などに金銀を使ひ尽くす事を入れあぐといふ。ここは恋風の風の縁から吹き揚げと書いた。」とある。
 18:底本語釈に、「〇火吹力(ひふくちから)もなく 諺。一文もない身になつたこと。火吹き竹で竈の火を吹く力もないこと。」とある。
 19:底本語釈に、「〇一度(たび)は栄(さか)へ一度(たび)は衰(おとろふ)る 謡曲杜若。」とある。
 20:底本語釈に、「〇謡(うたひ)うたひて 謡うたひと称する乞食になつたこと。」とある。

浪風静かに神通丸{*1}

 諸大名には、いかなる種を前生に蒔き給へる事にぞ有りける。万事の自由を見し時は、目前の仏と言うて、又外になし。さればとよ、世に大名の御知行百二十万石を、五百石取り、釈迦如来御入滅この方、今に永々勘定したて見るに、これを取り尽くさじと言へり。大身小身{*2}の違ひ、格別世界は広し。
 近代泉州に唐金屋とて、金銀に有徳なる人出来ぬ。世渡る大船を造りて、その名を神通丸とて、三千七百石{*3}積みても足軽く、北国の海を自在に乗りて、難波の入り湊に八木の商売をして、次第に家栄えけるは、諸事につきてその身調義のよき故ぞかし。
 惣じて北浜の米市は、日本第一の津なればこそ、一刻の間に五万貫目のたてり商ひも有る事なり。その米は、蔵々に山を重ね、夕べの嵐、朝の雨、日和を見合せ、雲の立ち所を考へ、夜の内の思ひ入れにて、売る人有り、買ふ人有り。一分二分を争ひ、人の山をなし、互ひに面を見知りたる人には、千石万石の米をも売買せしに、両人手打ちて後は、少しもこれに相違なかりき。
 世上に金銀の取り遣りには、預かり手形に請け判慥かに、「何時なりとも御用次第。」と相定めし事さへ、その約束を延ばし、出入りになる事なりしに、空定めなき雲を印の契約を違へず、その日切りに損徳を構はず売買せしは、扶桑第一の大商人の心も大腹中にして、それ程の世を渡るなる難波橋より西{*4}、見渡しの百景。数千軒の問丸、甍を並べ、白土、雪の曙を奪ふ。杉ばへの俵物、山もさながら動きて、人馬に付け送れば、大道轟き地雷の如し。上荷、茶船、限りもなく川浪に浮かびしは、秋の柳に異ならず。米刺しの先を争ひ、若い者の勢ひ、虎臥す竹の林と見え、大帳、雲を翻し、十露盤、霰を走らせ、天秤、二六時中の鐘に響きまさつて、その家の風、暖簾吹き返しぬ。
 商人あまた有るが中の嶋に、岡、肥前屋、木屋、深江屋、肥後屋、塩屋、大塚屋、桑名屋、鴻池屋、紙屋、備前屋、宇和嶋屋、塚口屋、淀屋など、この所久しき分限にして、商売やめて、多く人を過ごしぬ。
 昔、ここかしこのわたりにて僅かなる人なども、その時に会うて旦那様と呼ばれて、置き頭巾、鐘木杖、替へ草履取るも、これ皆、大和、河内、津の国、和泉近在の物作りせし人の子供。惣領残して末々を丁椎奉公に遣はし置き、鼻垂れて手足の土気落ちざる内は、豆腐、花柚の小買物に使はれしが、お仕着せ二つ三つ年を重ねけるに、定紋を改め、髪の結ひ振りを吟味仕出し、風俗も人のやうになるに従ひ供はやし。能、舟遊びにも召し連れられ、行く水に数書く砂手習ひ、地算も子守の片手に置き習ひ、いつとなく角前髪より銀取の袋をかたげ、次第送りの手代分になつて、見るを見真似に自分商ひを仕掛け、利得は黙りて損は親方にかづけ、肝心の身を持つ時、親、請け人に難儀を掛け、遣ひ捨てし金銀の出所なく、それなりけりに{*5}内証扱ひ済みて、担ひ商ひの身の行く末、幾人か限りなし。おのれが性根によつて、長者にもなる事ぞかし。
 惣じて大坂の手前よろしき人、代々続きしにはあらず。大方は吉蔵、三助が成り上がり。銀持ちになり、その時を得て、詩歌、鞠、楊弓、琴、笛、鼓、香会、茶の湯もおのづからに覚えて、よき人付き合ひ、昔の片言もうさりぬ。とかくに人は習はせ。公家の落とし子、作り花して売るまじきものにもあらず。
 これを思ふに、奉公は主取りが第一の仕合せなり。子細は繁昌の所にはよらず。北浜過書町のほとりに住みける指物細工人有りしに、この職人にも小さき弟子二人ありしが、新屋、天王寺屋などの十貫目入りの銀箱、ふだん手に掛けて寸法は覚えて、その銀は終に手に取りたる事なし。この弟子、大人しくなりて一分店を出しけるに、親方に変はらず。鍋蓋、火燧箱の仕置き、これより外を知らず。「この者も、同じ所から大所に使はれなば、それぞれの商人になるべきものを。」と見及び、不憫なり。
 すぎはひは草箒の種なるべし。この浜に西国米水揚げの折節、こぼれすたれる筒落米を掃き集めて、その日を暮らせる老女有りけるが、形ふつつかなれば、二十三より後家となりしに、後夫となるべき人もなく、一人有る倅を行く末の楽しみに、悲しき年を経りしに、いつの頃か、諸国改免の世の中すぐれて、八木だいぶんこの浦に入り舟。昼夜に揚げかね、借り蔵せまりて置くべき方もなく、沢山に取り直し、すたれる米を塵塚まじりに掃き集めけるに、朝夕に食ひ余して一斗四、五升溜りけるに、これより欲心出来て始末をしけるに、はや年中に七石五斗延ばして、ひそかに売り、明けの年なほまた延ばしける程に、毎年嵩みて、二十余年に臍繰り銀十二貫五百目になしぬ。
 その後、倅にも九歳の時より遊ばせずして、小口俵のすたるを拾ひ集めて、銭ざしをなはせて両替屋、問屋に売らせけるに、人の思ひ寄らざる銭儲けして、我が手より稼ぎ出し、後には確かなる方へ日貸しの小判、当座貸しのはした銀。これより思ひ付きて、今橋の片蔭に銭店出しけるに、田舎人立ち寄るに暇なく、明け方より暮れ方まで、僅かの銀子取り広げて、丁銀、細銀替へ、小判を豆板に替へ、秤に暇なく掛け出し、毎日毎日積もりて、十年たたぬ内に仲間商ひの上盛りになつて、諸方に貸し帳。我が方へは借る事なく、銀替の手代、これに腰をかがめ機嫌を取る程になりぬ。小判市も、この男買ひ出せば俄に上がり、売り出せば忽ち下がり口になれり。おのづからこの男の口を窺ひ、皆々手を下げて、「旦那。旦那。」と申しぬ。
 中にも先祖を探して、「何ぞ。あれめに随ひ世を渡るも口惜しき。」と我を立てける人、物の急なる時にさし当たつて迷惑し、これも又御無心申さるる、{*6}金銀の威勢ぞかし。後は大名衆の掛け屋、あなたこなたの御出入り専らにしければ、昔の事は言ひ出す人もなく、歴々の聟となつて、家蔵、数を造りて、母親の持たれし筒落箒、蘂箒、渋団扇は貧乏招くと言へども、「この家の宝物。」とて、乾の隅に納め置かれし。
 諸国を巡りけるに、今もまだ稼いでみるべき所は、大坂北浜。流れありく銀もありと言へり。

【口訳】
 諸大名は、前世に於いてどんなに善い種をお蒔きになつたのであらう、真に果報な御身分だ。万事につけて栄耀ができる時は、目前の仏とも言ふべきで、こんなお仕合せな方は外にはない。だからこそ世間では、大名の禄高百二十万石を五百石取りの武士に比ぶれば大きい相違で、「釈迦如来御入滅以来、永年の間勘定してみるに、これを取り尽くすまい。」と世間で言つてゐる。大身小身の違ひは格別大きく、これにつけても世間の広い事がわかる。
 近年、泉州{*7}に唐金屋とて、金銀に富裕な人が出来た。渡世の為に大船を造つて、その名を神通丸とつけ、三千七百石{*8}積んでも船足が軽く、北国の海を自在に乗つて難波の港に入り、米{*9}の商売をして次第に家運が繁昌したが、これは諸事につけて、その身の工夫の宜しい故であるのだ。
 一体、北浜の米市は、大阪が日本第一の港であればこそ、一刻の間に銀五万貫目のたてり商ひ{*10}も有る事だ。その米は、蔵々に山の如く重ね、「夕方は嵐が吹くか、明日は雨が降るか。」と天気を見合せ、雲の立つ方を考へ、夜の内の思はくで売る人もあれば、買ふ人もある。一分{*11}二分を争ひ、山の如く群集し、互ひに顔を見知つてゐる人には、千石万石の米をも売買するのであるが、両者が売買の約束をして手を打つた後は、少しもこの約束に背く事はないのであつた。
 世間に於いては、金銀の貸借には、預かり手形に保証人の印判まで押して、「慥かに何時なりとも御用次第、返進可致候。」などと相定めた事でさへ、その約束の期限を延ばして訴訟沙汰になる事であるのに、この米市では、あてにもならぬ天気模様を目印にした契約を違へず、その期日限りに損得を構はず売買してゐるのは、日本第一の大商人の心も太つ腹であるが為で、それほど豪気に世を渡る難波橋から西を見渡せば、風景もさまざまで、数千軒の問屋は棟を並べ、白壁の色は雪の曙よりもまさつてゐる。杉ばえ{*12}の俵物は、山もそのまま動くが如く、これを人馬に付け送れば、大道が轟いて地雷のやうだ。上荷船、茶船が無数に川浪に浮かんでゐる様は、秋の柳の枯葉のやうだ。米刺しが先を争つて刺しを入れ、若い者が働く勢ひは、虎臥す竹の林と見え{*13}、大帳の紙をめくるのは、雲を翻すが如く、算盤の珠をはじくのは、霰をたばしらすが如く、天秤を叩く音は、十二の時を報ずる鐘の響きよりもやかましく、軒毎の暖簾は翻り、家々の繁昌ぶりを示してゐる。
 商人が沢山あるが、その中でも中の島には、岡、肥前屋、木屋、深江屋、肥後屋、塩屋、大塚屋、桑名屋、鴻池屋、紙屋、備前屋、宇和嶋屋、塚口屋、淀屋などあつて、この処では古くからの分限者で、商売をやめてゐる家でも、なほ多くの人を雇つて暮らしてゐる。
 昔、あちこちに住んでゐた僅かな身代の人なども、出世すれば旦那様と呼ばれて、頭巾をかぶり、鐘木杖をつき、草履取りを召し連れる程の身分となつてゐるが、これらも元は皆、大和、河内、摂津、和泉辺の農業をしてゐた人の子供で、これらの農家では、長男を家に残して、次男以下を丁椎奉公に遣はしておくものだが、洟垂れて手足の土気の失せない間は、豆腐、花柚の小買物に使はれるが、お仕着せを貰つて二、三年たてば、着物も主家の定紋に改め、髪の結ひ振りを吟味し始め、風采も一人前のやうになるに随ひ、お供{*14}、能、舟遊びにも召し連れられ、その暇には砂に手習ひをしたり、地算も子守りの片手間に置き習ひ{*15}、いつの間にか角前髪{*16}となつてからは、銀取りの袋をかたげるやうになり、順々に手代分になれば、朋輩の真似して自分商ひをし始め、利益は黙つて懐にし、損は主人に負はせ、大切な独立の店を開く時、親や保証人に難儀を掛け、遣ひ捨てた金銀の出所はなく、そのままに内々の仲裁が済んで、行く末はみすぼらしい担ひ商ひをする身となる者が幾人あるか、限りもない。一体、人は自分の心掛けによつて、長者にもなるものだ。
 一体、大阪の身代豊かな人は、代々続いたのではない。大方は、吉蔵、三助{*17}が成り上がつて金持ちになつたもので、仕合せを得れば、詩歌、鞠、楊弓、琴、笛、鼓、香会、茶の湯も、自然に覚えて紳士の仲間入りをなし、昔の片言もなくなるものだ{*18}。とかく人は習はせに依るもので、公家の落胤でも造花を拵へて売るまいものでもない。
 これを思ふに、奉公するには大商店の主人に仕へるのが第一の仕合せだ。そのわけは、必ずしも繁昌してゐる所に奉公する意味ではない。北浜過書町の辺に住んでゐた指物細工人があつたが、この職人にも小さい弟子があつたが、新屋、天王寺屋などの十貫目入りの銀箱を平生造つてゐるので、寸法は覚えてゐるが、つひぞ十貫目程の銀を儲けた事はない。この弟子が成人して独立の店{*19}を出したが、やはり元の主人に変はらず、鍋蓋、火打ち箱の型にはまつた造り方を知つてゐるのみで、これより外の事を知らない。「この者も、同じ奉公するにしても、大商店に使はれたなら、相当立派な商人にならうものに。」と、目に止めて以来、不憫に思つてゐる。
 渡世のわざはいくらもあるもので、草箒{*20}の種のやうなものであらう。この北浜に西国米を水揚げする時、こぼれすたる筒落米{*21}を掃き集めて、その日を暮らしてゐる老女があつたが、二十三から後家となつたのだが、容貌がよくないので後夫となる人もないので、一人有る息子を将来の楽しみにして、悲しい年月を送つてゐた。さて、いつの時代か諸国一般に年貢の改定があつて、その上豊作となり、米がたくさんこの浦に輸送され、昼夜かかつても舟からこれを揚げかね、借り蔵も狭くなつて俵物を置くべき所がなく、沢山置き直すごとにすたる米を掃き集めたところが、朝夕食べても尚余して、一斗四、五升溜つた。これから欲心が起こつて倹約をしたところが、はや一年中に七石五斗溜めたので、ひそかにこれを売り、翌年また溜めたところが、毎年増加して、二十余年間に臍繰り銀を十二貫五百目になした。
 その後、息子にも九歳の時から遊ばせないで、さん俵のすたるのを拾ひ集め、銭差しを綯はせて{*22}両替屋、問屋に売らせたところが、人の思ひ寄らぬ銭儲けして、自分の腕で稼ぎ出し、後には確実な人へ、小判の日貸しやはした銀の当座貸しをしてゐたが、これから思ひ付いて、今橋の片ほとりに銭店{*23}を出したところが、田舎の人が立ち寄るので忙しく、明け方から暮れ方まで、僅かの銀子を店に並べて、丁銀をこまがねに替へたり、小判を豆板に替へたり{*24}、秤に暇なく掛けるやうになり、毎日毎日利益が積もつて、十年たたぬ内に仲間商ひの銀親になり{*25}、諸方に貸し出して貸し帳につけ、自分の方には借りる事がなく、銀替へに来る手代も、この男に腰を屈めて機嫌を取る程になつた。小判の相場も、この男が買ひ出せば俄に上がり、売り出せば忽ち下がり口になるのであつた。自然にこの男の口ぶりを注意して聞き、皆々手を下げて「旦那。旦那。」と申した。
 世には、この男の素性を詮索して、「何だ、あんなやつに随つて渡世するのも残念だ。」と、我を立ててゐた人も、銀子の急に要る時には、さしあたつて困却し、この人も又、御無心をなさる。これまた金銀の威勢である。後には大名衆に貸し付ける掛け屋になり、諸方の御屋敷への御出入りを専らにしたので、昔の素性は言ひ出す人もなく、お歴々の娘を貰つて、家や蔵を多く造り、「母親の持たれた筒落箒、蘂箒、又、『渋団扇は貧乏招く。』と世間では言ふけれども、この家にとつては宝物だ。」とて、これらを乾の隅{*26}にしまつて置かれた。
 諸国を巡つてみるに、今でもまだ稼いでみるべき所は大坂の北浜で、流れありく{*27}銀さへもあると言ふことだ。

【批評】
 作者は例によつて、致富談や教訓を述べようとしたらしいけれども、その致富談の筋は、すこぶる平凡なものであり、教訓も何ら深みのあるものではない。むしろ、事物世態の描写、人心の機微を説破した点に、作者の才藻を認め、かつ最も興味を覚えるのである。即ち、作者の予期しようとする事は、我等が、さまで感興を覚えぬ内容であつて、作者が脱線してゐる点に、一段の興味を覚えるのである。永代蔵三十篇を大体から観察するならば、致富の虎の巻ではなくて、読み物として面白いのである。読者としては、実利を得るのでなくして、趣味を感ずるのである。教訓書といふよりも、むしろ文芸作品としてこの書の価値を認めるのである。かく観来たれば、本編の如きは又、永代蔵中の一代表作と言へよう。

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校訂者注
 1:底本は、「神痛丸(じんづうまる)」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 2:底本は、「大(たい)人小人」。底本語釈に従い改めた。底本語釈に、「大身は大小名など、小身は小禄の人。」とある。
 3:底本は、「三千七百名」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 4:底本は、「両(にし)」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 5:底本は、「そのなりけりに」。『日本永代蔵精講』(1953)に従い改めた。
 6:底本は、「申さるゝ。皃金銀(きん(二字以上の繰り返し記号))の」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 7:底本語釈に、「〇泉州(せんしう) 勿論和泉国であるが、堺の事をいふ。」とある。
 8:底本は、「三千五百石」。「日本永代蔵」本文に従い改めた。
 9:底本語釈に、「〇八木(ぼく) はちぼく。米の異名。」とある。
 10:底本語釈に、「〇たてり商(あきなひ) 空米相場の一種。『たて』は売建(うりたて)(売りの契約)買建(買ひの契約)などの『たて』から来たもので、『り』は接尾語であらう。」とある。
 11:底本語釈に、「〇壱分 銀一分。一分は一匁の十分の一。」とある。
 12:底本語釈に、「〇杉(すぎ)ばへ 米俵などを三角形に積みかさねること。杉の生えてゐる形が三角であるので、かく言ふ。」とある。
 13:底本語釈に、「〇米(こめ)さし 俵米の品質を検する為に、米俵に突き刺す竹の筒で、長さ七、八寸、先が斜めに切つて尖つてゐる。これを半ば俵物に突き刺して引き抜けば、一、二百粒の米が竹筒に入つたまま出る。かくする事を刺米(さしまい)(差米)と言ふ。この刺し米をなす者を米さしとも言つた。」「〇若(わか)ひ者 北浜で俵物を運ぶ者を特に称した。」「〇虎臥竹(とらふすたけ)の林(はやし)と見へ 若い者などを虎に譬へ、手に持つ米さしを竹の林に見立てた。」とある。
 14:底本語釈に、「〇供(とも)はやし 供。主人の供。供の鑓持ちが主人を出迎へる時に、鑓を持つて或る一定の所作をなしながら、はやす風習があつたので、それから来た言葉と思はれる。」とある。
 15:底本語釈に、「〇行く水に数書く ここは単に砂の序詞。」「〇砂手習(すなてならひ) 砂に字を書いて習ふこと。」「〇地算(ぢざん) 珠算の基本的な置き方で、加算を言ふ。地は地色(ぢいろ)、地声(ぢごゑ)などの地。」とある。
 16:底本語釈に、「〇角前髪(すみまへがみ) 手代見習ひになると、前髪の左右にある小鬢の角(すみ)を角(かど)張つた形に剃り込む。これを角(すみ)を入れると言ふ。これを半元服、半若い者と称した。」とある。
 17:底本語釈に、「〇吉蔵三助 共に下男の呼び名。」とある。
 18:底本語釈に、「〇片言(かたこと) 不完全な言葉づかひ。なまりことば。」「〇うさりぬ 失せぬに同じ。」とある。
 19:底本語釈に、「〇一分(ぶん)見世 一人前の店。主家から独立した店。」とある。
 20:底本語釈に、「草箒は箒草で造つた箒で、箒草は一年生草本で、小さな種子が無数に出来る。」とある。
 21:底本語釈に、「〇筒落米(つつをごめ) 刺し米の時、米刺しの筒からこぼれ落ちた米。」とある。
 22:底本語釈に、「〇小口俵(さんたはら) 米俵の両端を塞ぐ円い蓋。藁で造る。」「〇銭(ぜに)ざし 銭を貫いて一束にする縄。藁で造る。百文を貫くものを百ざし、一貫文を貫くものを貫ざしと言ふ。単に、さしとも言ふ。」とある。
 23:底本語釈に、「〇銭(ぜに)見世 銭両替屋。銀貨を銭に切り替へる事に応ずるのであるが、小判を銀貨に、丁銀を小玉に替へる事もする。そして切り賃、即ち切替の手数料を取つて渡世をする店である。大両替、本両替屋とは本務を異にする。貞享元年に於ける大阪の銭価は、その一貫文に対し銀十三匁ないし十五匁、銀価はその六十目に対し小判一両であつた。」とある。
 24:底本語釈に、「〇丁銀(てうぎん) 挺銀とも書く。一枚の重さは当時は約四十三匁であつた。」「〇こまかね こまがね。細銀。小粒の銀貨。豆板銀を言ふ。」「〇大豆板(まめいた) 豆板銀。小玉銀。略して小玉とも言ふ。」とある。
 25:底本語釈に、「〇うはもり 上守(うはもり)の義。銭屋仲間を支配監督するもの。銀親(かねおや)。」とある。
 26:底本語釈に、「〇乾(いぬゐ)の隅(すみ) 戌亥即ち西北隅。西北隅に福の神大黒天を祀る風俗があつた。」とある。
 27:底本語釈に、「〇流(なが)れありく 銀が溢れて所有者の一定しないこと。誇張法である。」とある。

昔は掛け算今は当座銀{*1}

 古代に変はつて人の風俗、次第奢りになつて、諸事、その分際よりは花麗を好み、殊に妻子の衣服、また上もなき事ども、身の程知らず、冥加恐ろしき。高家貴人の御衣さへ、京織り羽二重の外はなかりき。殊更、黒き物に定まつての五所紋、大名より末々の万人に、この似合はざるといふ事なし。
 近年小賢しき都人の仕出し、男女の衣類、品々の美を尽くし、雛形に色を移し、浮世小紋の模様、御所の百色染め、解き捨ての洗ひ鹿子、物好き格別、世界に至り穿鑿。女の身持ち、娘の縁組より内証薄くなりて、家業の障りとなる人、数知らず{*2}。婬娰の平生清らを見するは、渡世の為なり。万民の美婦は、春の花見、秋の紅葉見、婚礼振舞の外は、目立つ衣装を着重ねずとも済む事なり。
 或る時、室町の片脇に仕立物屋の軒薫りて、橘の暖簾掛かりて、当世着る物の縫ひ出し、すぐれて都の手利きありて、絹綿ここに持ち集ひて、さながら衣掛山を我が宿に見し事ぞかし。仕付けの糸、火熨当つるを待ちかねしほととぎす、初空卯月一日は衣更へとて、色よき袷を縫ひかけしを見るに、白き紋羅の引つ返しに、緋縮緬を中に入れて三枚重ねの袷。両袖、襟に引き綿、昔はなかりし事なり。この上は、よろづの唐織を常住着となすべし。この時節の衣装法度、諸国諸人の身の為、今思ひ当たりて有難くおぼえぬ。
 商人のよき絹着たるも見苦し。紬は、おのれに備はりて見よげなり。武士は綺羅を本として勤むる身なれば、たとへ無僕の侍までも、風義常にして思はしからず。
 近代、江戸静かにして、松は変はらず常盤橋本町呉服所、京の出店。紋付鑑にあらはし、棚守、手代、それぞれに得意の御屋敷へ出入り、共稼ぎに励み合ひ、商売に油断なく、弁舌手だれ智恵才覚、算用長けて悪銀をつかまず。利徳に生き牛の目をもくじり、虎の御門の夜をこめ、千里に行くも奉公。朝には星をかづき、秤竿に心玉をなして、明け暮れ御機嫌とれども、以前と違ひ今繁昌の武蔵野なれども、隅から隅まで手入れして、更に掴み取りもなかりき。
 御祝言又は衣配りの折からは、その役人、小納戸方のよしみにて一商ひして取りけるに、今時は諸方の入れ札。少しの利潤を見掛けて、喰らひ詰めになりて内証悲しく、外聞ばかりの御用等調へ、あまつさへ、大分の売り掛かり、数年不埒になりて、京銀の利廻しにも合はず、為替銀に詰まりて難儀。俄に取り広げたる棚も仕舞ひ難く、おのづから小前になりぬ。
 とかくは合はぬ算用。江戸棚残つて何百貫目の損。「足もとの明かい内に、本紅の色変へて。」と、めいめい分別する時、又、商ひの道は有るもの。三井九郎右衛門といふ男、手金の光、昔小判の駿河町といふ所に、表九間に四十間に棟高く長屋作りして新棚を出し、「よろづ現銀売りに掛け値なし。」と相定め、四十余人、利発手代を追ひ廻し、一人一色の役目。たとへば金襴類一人、日野、郡内絹類一人、羽二重一人、沙綾類一人、紅類一人、麻袴類一人、毛織類一人。この如く手分けをして、天鵞絨一寸四方、緞子毛抜き袋になる程、緋繻子鑓印たけ、龍門の袖覆輪、かたかたにても、ものの自由に売り渡しぬ。
 殊更俄目見えの慰斗目、急ぎの羽織などは、その使ひを待たせ、数十人の手前細工人立ち並び、即座に仕立て、これを渡しぬ。さによつて家栄え、毎日金子百五十両づつ、ならしに商売しけるとなり。世の重宝、これぞかし。この亭主を見るに、目鼻手足あつて、外の人に変はつた所もなく、家職に変はつて賢し。大商人の手本なるべし。
 いろは付けの引き出しに、唐国、和朝の絹布を畳み込み、品々の時代絹。中将姫の手織の蚊帳、人丸の明石縮、阿弥陀の涎掛け、朝比奈が舞鶴の切れ、達磨大師の敷蒲団、林和靖が括り頭巾、三条小鍛冶が刀袋。何によらず、ないと言ふ物なし。万有帳、めでたし。

【口訳】
 昔と違つて、人の服装が段々と贅沢になつて、万事身分不相応に華美を好み、殊に婦人の着物は又、この上もなく奢つた事どもがあるので、身分をわきまへぬもので、天罰が恐ろしい。高家、貴族の御着物でさへ、京織り、羽二重の外はないのだ。殊に黒い物にきまつてゐる五つ紋の着物は、大名より下々の庶人に至るまで、これが似合はぬといふ事はないのである。
 近年小賢しい都人が新しい好みを始め、男女の衣装に種々の美を尽くし、雛形にも色を施し、当世小紋の模様、御所の百色染め、解き捨ての洗ひ鹿子など、物好きが格別で、この上もなく贅沢を尽くし{*3}、妻女の身持ち、娘の縁組のために資産が少なくなつて、家業の妨げとなる人が無数だ。遊女が平常綺羅を見せるのは、これは渡世の為で仕方がない。一般の婦女の春の花見、秋の紅葉見、婚礼振舞の外は、目立つた衣装を着重ねずとも済むことだ。
 或る時通つて見た事だが、室町の片脇にある仕立物屋に、軒も薫るかと思はれる橘の花を紋所にした暖簾が掛かつて、当世着物の縫ひ出しにすぐれた都の腕利きの職人がここに詰めてゐて、人々は絹や綿を沢山持ち込んで注文するので、あたかも衣掛山を自分の家に見るやうなものである。仕付けの糸を付けたり、火のしを当てたりするのを、客は待ちかねる程で、「時鳥も初空に名乗る卯月一日は{*4}、衣更への日だ。」といふので、色美しい袷を縫ひかけてゐるのを見るに、白い紋絽の引つ返しに{*5}、緋縮緬を中に入れて三枚重ねにした袷で、しかも両袖と襟には引き綿をしてゐるが、こんな事は昔はなかつた事だ。かやうな贅沢では、種々の唐織さへもふだん着とする事にならう。この頃出る衣装の禁令は、諸国諸人の身の為で、今さら思ひ当たつて有難く思はれる。
 商人が立派な絹物を着てゐるのも、みつともない。紬は元来、その身に相当したもので、見て感じがよい。でも、武士は立派な服装を大切な面目として勤める身であるから、たとひお供を連れぬ身分でも、服装を町人並みにしては宜しくない。
 近代、江戸は泰平で、久しく栄えるお城の松も常盤橋、本町辺に立ち並ぶ呉服所は京の出店で、お屋敷方のお定紋を紋雛形に書きあらはし、番頭{*6}、手代、めいめいお得意の御屋敷へ出入りし、一緒に励み合ひ、商売に油断する事なく、弁舌技量智恵才覚を振るひ、算用達者で悪銀をつかむ事なく、利益の為には生き牛の目をも抉る程にすばしこく、虎の御門も未明に通り、千里の遠きに行くのも主人への奉公と思ひ、まだ星見える暁に出かけ、分厘の抜け目もなく心がけ{*7}、明け暮れお客の御機嫌を取るけれども、以前とは違ひ今繁昌の武蔵野ではあるが、至る所、皆が手を着けてゐるので、掴み取りも全くないのである。
 御婚礼又は衣配りの場合は、その係の人や小納戸方の好意によつて{*8}、一商ひして利益を得たが、今時は諸商人の入札も、僅かの利益を目当てにして競争するので、自然、食ひつめるやうになり{*9}、一家の金融が苦しく、ただ世間体の為に御用品を調達し、その上、大分の売り掛け代銀が数年以来滞つてゐて、京の両替屋への預け銀の利廻しにさへも当たらず、為替銀の支払ひにも窮して困却し、今まで取り広げてゐた店も、俄には閉ぢ難く、自然に小商ひになつてしまふ。
 結局は引き合はぬ算用で、江戸店は残つても何百貫目といふ損失を招くわけ。そこで、「足元の明かい内に、本紅{*10}の色を変へる如く、何がな、品を落としても儲けの上がるやうに。」と、各自が分別する時節に、これは又うまい商売の方法も有るものだ。三井九郎右衛門といふ男があつて、手もとの有り金の威光に任せ、昔はやつた駿河小判も偲ばれる駿河町といふ所に、間口九間、奥行き四十間に、棟高く長屋造りにして新店を出し、「万事現金売りに掛け値なし。」と定め、四十余人の利発な手代を自由に指図し、一人に一種の役目となし、例へば金襴類一人、日野、郡内絹類一人、羽二重一人、沙綾類一人、紅類一人、麻袴類一人、毛織類一人、かやうに手分けして、びろうど一寸四方、どんすを毛抜き袋になる程、緋繻子を鑓印の長さ、龍門の袖口{*11}、それも片つぽでも自由に売り渡した。
 殊に、俄目見えの慰斗目{*12}や急ぎの羽織などは、その使ひを待たせ、数十人の自家抱への職人が立ち並び、即座に仕立ててこれを渡した。だから家が繁昌し、毎日平均、金子百五十両づつ商売したさうだ。世の重宝といふのは、この店だ。この主人を見るに、目鼻手足があつて、外の人に変はつた所もなく、ただ家業のやり方に違つたところがあつて偉い。大商人の手本であらう。
 いろは付けの引き出しには、支那、日本の絹布を畳み込み、種々の時代絹、例へば中将姫の手織りの蚊帳{*13}、人丸の着てゐた明石縮、阿弥陀如来の掛けてゐた涎掛け、朝比奈が着てゐた舞鶴の紋所ある切れ{*14}、達磨大師が敷いてゐた座布団、林和靖がかぶつてゐた括り頭巾、三条小鍛冶が使つてゐた刀袋など、何によらず、ないといふ物はない。何でも仕入れて帳面にも付け込んである{*15}この店は、めでたいものだ。

【批評】
 はじめの「古代にかはつて」から「風義常にしておもはしからず」までは、いはゆる余談とも言ふべきもので、例の前置きである。本篇の本筋は「近代江戸静にして」から終りまでであつて、呉服店越後屋の現銀掛け値無しの繁昌ぶりを主眼としてゐる。越後屋店頭の描写は、西鶴が得意な所であつて、「緞子毛抜袋になるほど」のあたりは、奇抜で且つ滑稽味が漂ひ、最後の中将姫の手織りの蚊屋、達磨大師の敷蒲団などを点出し来たる所、永代蔵はやはり致富本位の秘伝書ではなくて、をかしみの横溢してゐる写実小説である。

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校訂者注
 1:底本語釈に、「昔は掛け売りをしたが、今は現銀売りにしたこと。掛け算は掛け値で算用する意に用ゐた。」とある。
 2:底本は、「数(かず)をしらず」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 3:底本語釈に、「至り詮索(せんさく)。この上もなく物事に気を配る事。ここは贅沢三昧。」とある。
 4:底本語釈に、「〇待兼(まちかね)しほととぎす 卯月一日は衣更へだから、それを待ちかねる意。ほととぎすは初夏の頃に鳴くので、卯月、橘の縁として使つたまで。」「〇初空(はつそら) ここは、卯月になつて初めての空。」とある。
 5:底本語釈に、「〇紋羅(もんら) 織り地に紋のある絽。羅は絽の古い名。」「〇ひつかへし 婦人服の裾まはしは、普通には表の切れ地と違ふ物を付けるけれども、盛服などには表と同じ切れ地を付ける。即ち表の切れ地を裏へ引つ返す意。」とある。
 6:底本語釈に、「〇呉服所(ごふくしよ) 禁裏、大名、高家などの呉服を調製する店。即ち仕立てをも兼ねてゐる。」「〇紋(もん)付鑑 ここの紋付鑑とは定紋の見本帳であらう。」「〇棚守(たなもり) 店守の義。番頭の事。番頭は手代の上席にあるもので、店に詰めて手代を監督指揮する。」とある。
 7:底本語釈に、「〇心玉(たま)をなして 精神を打ち込む事。ここは分厘をも抜け目なく注意する事。心玉は心魂即ち精神。」とある。
 8:底本語釈に、「〇衣配(きぬくばり) 年末に一門或いは目下の者などに衣服を配り与へる事。仕着せと同じやうに思はれるが、衣配りといふ語は大名、高家、歴々の町人などに大方使ふ言葉かと思はれる。」「〇其役(やく)人 御納戸方(おなんどがた)を指す。衣配りその他、会計等を司る。」「〇小納戸(こなんど)かた 将軍の側近く仕へて種々の雑務に従ふ役であるが、諸侯に於いてもこれを置き、会計などを司らせた。」とある。
 9:底本語釈に、「〇喰(くら)ひ詰になりて 生計に困るやうになつて。」とある。
 10:底本語釈に、「〇本紅(ほんもみ)の色(いろ)かへてと 「あかい」を「赤い」の意に取り、その縁として本紅を持ち出した。「色かへて」は、本紅は値段が高いので、他の染色に変へる意で、即ちもつと安元手で利益を上げようといふ事。本紅は紅花(べにばな)で染めた絹布で、他の安い中紅(ちゆうもみ)などに対して本当の紅(もみ)といふ意。」とある。
 11:底本語釈に、「〇鑓印長(やりしるしたけ) 槍印になる程の長さ。槍印は槍の印付きの環又はその近くの柄に付けるしるしの布帛。大名行列などの時、槍持ちが持つ槍に付けた。」「〇袖覆輪(そでふくりん) 今の袖口。袖べりに別の切れをきせるもの。」とある。
 12:底本語釈に、「〇俄(には)か目見(みへ) 俄に目上の人にまみえること。ここは武士が目上の人に謁すること。」「〇慰斗(のし)目 武家の礼服の一つで、麻裃の下に着る。縬(しじら)練貫と慰斗目練貫とがあり、しじらは地が縮んで、小波の形したもの。のしめはこれに対する語で、伸(の)し目の義、即ち縮まないのを言ふ。」とある。
 13:底本語釈に、「〇中将姫(じやうひめ)の手織(をり)の蚊(か)屋 以下でたらめで、西鶴が町人物に往々試みてゐるところの滑稽的な描法で、誇張的挙例法とも言ふべき修辞法である。世間にありさうもない物を並べ挙げて、この店には何でもあることを強調するのである。」とある。
 14:底本語釈に、「朝比奈三郎義秀が着てゐた舞鶴の紋所のある衣装の布片。」とある。
 15:底本語釈に、「〇万有帳(ありちやう) よろづの品物がある事と有帳とを言ひ掛けた。有帳は、在庫品の高を知る為に、取り扱つた商品の出入りを記入する帳簿で、有品控帳(ありしなひかへちやう)とも有荷帳(ありにちやう)とも言ふ。」とある。

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