江戸期版本を読む

江戸期版本・写本の翻字サイトとして始めました。今は、著作権フリーの出版物のテキストサイトとして日々更新しています(一部は書籍として出版)。校訂本文は著作物です。翻字は著作物には該当しません。ご利用下さる場合、コメントでご連絡下さい。

カテゴリ:井原西鶴 > 校訂本朝桜陰比事 帝国文庫本

本朝桜陰比事(1894年刊)WEB目次

本朝桜陰比事(元禄二年板) 淡島氏所蔵

巻之一
一 春の初めの松葉山
雷落ちて地固まり  昔の縁者知るる事
二 曇りは晴るる影法師
年は寄れども夜の淋しさ  念仏ばかりも申されぬ事
三 御耳に立つは同じ言葉
血で血を洗ふ所川  牛より劣りの系図の事
四 太鼓の中は知らぬが因果
懸けながら無き頼母子の宿  夫婦中担ひ棒の事
五 人の名を呼ぶ妙薬
身に余つて金持ちあり  それゆゑ命を捨つる事
六 双子は他人の始まり
願ひに余る物種  法華信心深き事
七 命は九分目の酒
腹中はからくり人形屋  浮世の糸切れ果つる事
八 形見の作り小袖
東山の花談義聞くほど  後家は殊勝なる心底の事

巻之二
一 十夜の半弓
黒谷の麓掘り出してこれ  再び死人の顔見る事
二 兼平の謡ひ過ぎ
利に暗き者どもは  一つ松の月にも迷ふ事
三 仏の夢は五十日
家主の寝所は極楽  鍬に金色の光さす事
四 恨み千万近所の縁付き
暇やつて悔しきは小袖箱  女の情は世にある時の事
五 俄大工は都の費え
鋸引き戻されて無分別  売り家釘{*1}の価になる事
六 鯛蛸鱸釣り目安
今時の世間寺昼の衣  夜は長羽織に替はる事
七 聾もここは聞きどころ
親の知れぬ一人子  もの言はぬ石仏が知らす事
八 死人は目前の剣の山
さてもはや桶を取り出し  刃物は振袖に包む事
九 京に隠れ無き女去り
我を知らぬ浮世の中  女の利発用に立たぬ事

巻之三
一 悪事見え透く揃へ帷子
女中十六人同じ枕の夢 身に覚えあれば眼の合はぬ事
二 手形は消えても正直が立つ
町中寄つても済まぬ顔色 白いも黒いも埒の明く事
三 井戸は即ち末期の水
よしなき罪を作り鬼 この世あの世の境目見る事
四 落とし手あり拾ひ手あり
頼まれて無分別者 山家の道者顔をする事
五 念仏売つてかねの声
嫌はるる中の一人住まひ 思ひ入る後生大事といふ事
六 待てば算用も相寄る中
縁付きは身過ぎづくぞかし 男吟味はさりとは無用の事
七 銀遣へとは格別の書き置き
見通しの親仁が所存 若い時はと思ひ遣り事{*2}
八 壺掘りて欲の入れ物
相合{*3}井戸は水汲むため 金は湧かぬに極まれる事
九 妻に泣かする{*4}梢の鴬
天理を知らぬいたづら女 浪人しても昔の残る事

巻之四
一 利発女の口真似
誓願寺前の珠数屋 声無うて人を呼ぶ事
二 善悪二つの取り物
童に小刀持たす人は 安房鉾を作れる事
三 見て気遣ひは夢の契り
人の身上は何によらず 噂話をせまじき事
四 人の刃物を出し後れ
座興にも人の迷惑は 用捨するが本意{*5}の事
五 いづれも京の手懸け四人
世に変はりたる書き置き状 あとあとの大笑ひになる事
六 枯れ木の花の都の参り
薬師さへ治さぬ病ひ 行力にはなるまじきといふ事
七 仕懸け物水になす桂川
なき不思議のない世 智恵の浅瀬を渡る事
八 せぬ事を隠し損なひ
無分別は若い時のもの よろずありのままにすべき事
九 大事を聞き出す琵琶の音
方角知れぬ夜の乗り物 昼のない屋敷住まひの事

巻之五
一 桜にかづく御所染
京にも縁遠き娘様 明かりを走る昼乗り物の事
二 四つ五器重ねての御意
今を初めの商売の道 我が物は手に入りたる事
三 白浪の打つ脈取り坊
雨夜に唐傘屋の隙 盗人は内気者を指す事
四 両方寄らねば埒のあかぬ蔵
万事は孫がためといふ これから欲に極まる事
五 危ないものは筆の命毛
無常の外の棺桶 恥をかくほど知るる事
六 小指は高括りの覚え
差し引き心残りなる人 油断より迷惑する事
七 煙に移り気の人
下屋敷の戸は曙の道 我と剣の山伏を見る事
八 名は聞いて見ぬ人の顔
今の都の大尽風儀 金銀かりの世と見る事
九 伝授の能太夫
ああらめでたや物に心得たる弟子に渡す事

校訂者注
 1:底本は、「はり」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「思ひ遣りのこと」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「あひやひ」。『本朝桜陰比事』(1993)脚注に従い改めた。
 4:底本は、「泣(な)かすな」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「本道」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。


本朝桜陰比事(1894年刊)WEB凡例

  1:底本は『西鶴全集 下卷』(尾崎紅葉、 渡部乙羽校訂 博文社 1894年刊所収 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:校訂には『本朝桜陰比事 決定版対訳西鶴全集11』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1993)、『本朝桜陰比事<翻刻>』(徳田武編 おうふう 1996)、『西鶴全集 第二』(正宗敦夫編 日本古典全集刊行会 1926)を参照しました。
  8:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)

ア行
 翌・朝→明け 遊興→遊び 的中・中る→当たる 跡→後 後→跡 検む・更む→改む 露顕る・露はる→顕はる 一→或る 難有し→有り難し 謂ふ→言ふ 呼吸→息 疼む→痛む 壱→一 扮装→出立 種→色 中→内 拍つ→打つ 打つ→討つ 風説→噂 遺失→落とす 威す・嚇す→脅す 同一→同じ 想ふ→思ふ 親父→親仁
カ行
 効→甲斐 返す・返る→帰す・帰る 秘す・隠密→隠す 各別→格別 借す→貸す 科代→過怠 紀念→形見 傘→唐傘 義→儀 肯く→聞く 憂慮・配慮→気遣ひ 花車→華奢 闇中→暗がり 鬮→籤 闇し→暗し
サ行
 坐→座 堺→境 前→先 差図→指図 裁判→裁き 種々→様々 曝す→晒す 幸福→仕合せ 暫時・少時→暫し・暫く 拾→十 識る→知る 些少→少し 血統・條→筋 納涼→涼み 乃ち→即ち 住居→住まひ 偶→隅 僉議・穿議→詮議
タ行
 差ふ→違ふ 貯蓄→貯ふ 唯→只 扣く→叩く 壇那→檀那 使者→使 役ふ→使ふ 附く→付く 襲ぐ→継ぐ 造る→作る 妾→手懸け 同前→同然 年・年齢→歳 歳→年 吊ふ→弔ふ
ナ行
 中→仲 媒酌・仲立→仲人 詠む→眺む 泪→涙 弐→二 荷ふ→担ふ 睡る→眠る 念頃→懇ろ
ハ行
廿→二十 談話→話 隙→暇 不思義→不思議 不断→普段 不便→不憫 故し→古し 法花→法華 穿る→掘る
マ行
 参詣→参る 随す→任す 真→誠 道理・最も→尤も 許・旧・原・源→元 資本→元手 盗賊→物盗り
ヤ行・ラ行・ワ行
容赦・赦す→許す 弁別→弁ふ 僅少→僅か

上記以外(篇毎 登場順)
 目 神鳴→雷 年齢→年 孖→双子 鮹→蛸 童子→童 直す→治す 商売→商ひ
 1-1 切る→伐る 高根→高嶺
 1-2 嫩→双葉 坐→居 替はる→変はる 母→親 悲哀→悲し 児→子 旭→朝 活く→生く
 1-4 穿く→履く 断る→切る 畢はる→終はる 奪る→盗る
 1-5 仕廻→仕舞ふ 独居→一人住み
 1-6 審らか→詳らか 産まれ→生まれ 両→二つ 争訟→争ひ
 1-8 寡少→少なし 毎々→度々 襯着→下着 首→頭 
 2-1 夭死→若死 夜半→夜中 理→故 通行→通る
 2-2 謳ふ→謡ふ
 2-3 頭→髪 託宣→告げ 費用→入り目 灌ぐ→注ぐ 後世→後生 争訟→争ひ
 2-4 情心→情け 娯楽→楽しみ 美麗し→麗はし 驕奢→奢る 幾→程 建つ→立つ
 2-5 立つ→建つ 日用→日傭
 2-6 累なる→重なる 腥さし→生臭し
 2-7 養育→養ふ 愁傷→歎く 野部→野辺 協ふ→叶ふ 真→本 竪→縦 御家→後家 態→形
 2-9 法衣→衣
 3-1 心→胸 運らす→巡らす 絹→生絹 苦痛→苦し 訊ぬ→尋ぬ 易し→安し
 3-3 𥄴く→覗く 祖父→爺 功→手柄 視る→見る
 3-4 拾得→拾ふ 金子→金 擲る→放る
 3-5 嫌厭→嫌
 3-7 劣ふ→衰ふ
 3-8 油石衣→漆喰 祝儀→祝ひ
 3-9 性→姓 行衛→行方 数寄→好き
 4-1 生得→生まれ付き 美はし→麗はし 逸ぐ→逃ぐ 寝室→寝間
 4-2 排ぶ→並ぶ
 4-3 守宮→井守 留主→留守
 4-6 物→者
 4-8 晩し→遅し 切む→締む 生命→命 理→言はれ 捕る→取る
 4-9 愉快し→面白し 尖→先 讐敵→敵 壮俊→若者 布告→触れ 挑灯→提灯 点火→灯す 動静→様子 主人→主 初旬→初め 中旬→中頃 首級→首
 5-1 母親→お袋 知己→近付き 家産→土産
 5-8 夥間→仲間 幇間→太鼓 騙局→騙り 売→殻 細密→細か
 5-9 交代→代はり 囃→囃子

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

本朝桜陰比事

春の初めの松葉山

 それ大唐の花は甘棠の蔭に召伯遊んで詩をうたへり。和朝の花は桜の樹蔭豊かに歌を吟じ、この時なるかな、御代の山も動かず、四つの海原不断のさざ波静かに、王城の水清く、流れの末の久しき一人の翁あつて、百余歳になるまで家に杖つく事もなく、善悪二つの耳賢く聞き伝へたる物語、今の世の慰み草ともなりて、心の風に乱れたる萩も薄も、真つ直ぐに分かれる道の道筋の広き事、筆の林にも中々書き尽きずして残しぬ。
 昔、都の町に高家の御吉例を勤むる年男あつて、毎年十二月二十一日に定めて、丹波境なる里の山入りして、御飾りの松を伐りける。この山の東の麓に里あり。西の麓にも里あり。この両所の入り組みの山にして、年々庄屋出合ひ、山境の争ひ、やむ事なし。ここを飾り山とて、古代より伐る所に極まる記録を持ち伝へ、「この山は、我が支配の所。」と言ふ。又一方の庄屋も巻物を出しけるに、双方一字一点違ひ無く、猶この事済み難し。さて又、高嶺の景地に大同年中の建立と言ひ伝へて、楠木作りに一間四面の観音堂あつて、内陣の扉は昔日より釘付けにして、本尊拝みたるためし無し。終に灯明の影もせず参詣の人も無く、柴男の休み所となつて、御仏前は木の葉に埋もれおはしける。この堂の事、第一争ひ訴状差し上げ、山公事に取り結びぬ。
 時に両里の庄屋を京都に召され、「同じ記録を持ち伝へし事、仔細あるべし。この巻物に、観音堂事は何とも記し置かざり。記録は大同より後の年号なり。秘仏と言へば、誰か拝せし人もあるまじ。然れども我々どもは様子を知るべし。何観音の尊像なるぞ。両方より申し出づべし。言ひ当てし方の堂に申し付くべき」との御意なれば、ここぞ思案大事の所なり。一方よりは、「清水寺の御同体、千手観音。」と申し上ぐる。又一人は、暫く頬つかへして分別極め、「如意輪観音。」と申し上ぐる。両方極めさせての後、丹波に御役人を遣はされ、かの堂の扉を引き開けしに、格別なる事にて、各々横手を打ちける。すさまじき雷の形を八方へ鉄の鎖を懸けて縛め、目を留めて見るも、身のふるへる{*1}事なり。
 京都に帰りてこの有様を言上申すに、さのみ不思議にも思し召されず、洛中の仏師を残らず召し寄せられ、「もし、この雷の像を刻みたる事を聞き伝へたる細工人は無きか。」と御尋ねの時、その頃、五條の大仏師法橋民部といふ者、六代の先祖、これを作りたる家業の巻物差し上げしに、「後小松院応永元年霜月十八日の夜、大雪降つて雷鳴り出し、その数知れず落ち懸かつて、諸木を砕き、里の屋を破り、人の命を取る事、男女に二十四人、万民の歎きなる時、北国方より真言の旅僧来つて、これを封じ籠められし後、この山里に虫出しの雷さヘ音なく、これを歓び、その像を造つて、『ここ久しかれ。』と祝ひ籠め、両里よりこれを崇め、雨乞ひの願ひをせしに、叶はざるといふ事なし。その事、里人、末になつて留め来し候と存じ奉り候。私先祖、これを造り申し候{*2}証拠には、則ち『岩座の内に書付残し候。』と、この巻物に見え申し候」段、言上申せば、台座を改めさせ御覧ありしに、一つの折紙あつて、仏師が申せし通り、少しも違はず。願主は両里の庄屋なり。その頃は聟舅の仲なる事、知れ来れり。
 「さては記録、一方より書き写して遣はしけると見えたり。昔日縁者なれば、今以て外の義にあらず。自今以後は申し合はせて、この堂を限つて東西の山を守るべし。松は先例に任せ、一方の山にて十二本づつ伐つて、十二門の松を奉るべし。」と仰せ付けさせられ、永代変はらぬ松葉山、千代に八千代と祝ひ納めけるなり。


校訂者注
 1:底本は、「ふるべき事」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「造りし証拠」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。

曇りは晴るる影法師

 昔、都の町に、夏をむねとして軒に木曽山を引き請けし材木の問屋あり。双葉より家業に賢く、松は千歳蔵とて、鳥の孫、曽孫まで居喰ひにしても、この貯ひ尽くる世あらじ。亭主は八十歳余まで一子に財宝も渡さず、大暮の勘定を喜び、頭は霜をけづり額に不断の浪立ち腰は反橋の如く、「渡りかねざる世界を、さりとは無用の勤め。今にも死なれたらば、火車の掴み物。」と人の取り沙汰、やうやう耳に入りて、お八つの太鼓に驚き、俄の御堂参りの、「暮れて後世を急がるる。」と人皆また笑ひけるが、あしき事にあらねば、いつとなく仏心起こりて、その後は常精進になつて、以前に変はる事、天地なり。
 乾坤の箱入りにして千貫目、万事息子に渡して、楽隠居を岡崎に見立て、作事は手の物の嵯峨丸太、軽い取り置きの窓蓋、明くれば諸山を見渡し、老後の思ひ出ここに極め、疾く捨てぬ世を今は残念なり。しかも連れ合ひは二十ケ年前に離れ、一人法師になつても心懸かりは無かりき。息子は有徳なれば、自由に孝を尽くし、毎日世の初物を運ばせ、殊更お茶のかよひのために、やさかたなる女四、五人付け置きしに、寝間の上げ下ろしも人の手には懸け給はず。墨の衣を着ぬばかりの出家気質になり給へば、召し使ひの者ども、おのづから信心の起こし、年経る内に、下女の中にもそのさま見苦しき庭働きの女、腹形可笑しげになれるを、人々咎めて笑ひけるに、「旦那。「の御名を立てけるは、大かたならぬいたづら者。」とこれを憎みて、この事、親仁様に申せば、「夢にも覚えの無き事。」とて、下女はこの内を追ひ出され、小宿にて産を致せしに、しかも男の子なり。随分大事にかけて守り育て、親子の忌み明けてこの息子を親方の元へ渡しけるに、これを取り合へる人も無く、是非に及ばず悲しさのあまり、子を抱きながら御前に走り込み、右の段申し上ぐれば、親仁を召し出され、色々御詮議あそばしけるに、「少しも身の上に覚え無き」由、申し上ぐる。「然らば明十四日の朝、両方共に出づべき。」との御意。
 いづれも早天より相詰めける時に、仰せ出されしは、「唐土にもかかるためしあり。八十余歳になりける人の子は、日影に映してその影無し。面影映らざれば{*1}、親仁が子に紛れなし。」と仰せられ、白洲に{*2}立たせて朝日に映しけるに、この子が影法師、見えざり。今は親仁、陳じ難く、「私、世間を恥ぢ入り、包み申し候へども、なるほど拙者の倅、覚え御座候。」と申し上ぐる。時に母親、末々願ひ申し上ぐれば、「その子、必ず百日は生きざるものなり。もし長命ならば、重ねて申し出づべし。」との御意を請け、いづれも御前を立ちける。
 その後、親仁もこの子に不憫をかけ、昼夜大事に養育致せしに、次第に弱りて、仰せ出されしに違はず、九十七日目に相果てけるとなり。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「映(うつ)らば」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈及び対訳文に従い改めた。
 2:底本は、「白洲(しらす)立(た)たせて」。『本朝桜陰比事<翻刻>』(1996)頭注に従い改めた。

 御耳に立つは同じ言葉

 昔、都の町に西の岡屋と言へる葉茶商売の者あり。故郷出でて十三ケ年あまり町屋住まひをせしが、先祖より手馴れたる鋤鍬牛を使ひし{*1}野道と商ひの道とは格別に違ひて、年々元手を減らし、身代続きかねて、今一度ふりを替ふる相談極めしに、金銀の才覚、京にてなり難く、親の譲られし田畠、一門に預け置きて作らせしが、これを代なす胸算用して、里の親類に仔細を語れば、欲の事に目の{*2}者ども、一つになって「田地は買ひ取り、預からぬ。」と言ふ。「然らばその証文があるか。」と言へば、「その方は、預け置きたる証文があるか。」と横を申し懸かられ、「さりとは盗人といふものなり。皆遁れぬ仲なれば、手形も取らずして、今後悔」なれど甲斐なし。これは内証にては勘忍なり難く、段々書付を以て御訴訟申し上ぐ。相手の百姓召し出だされ、既に裁許に及べり。
 里人、声かしましく我がまま言ふ内に、「伯父者人、手形も無い事申されな。」と言ふ。京の者、腹立して、「叔父{*3}、無い事が御前へ申し上げらるるものか。」と、両方より「伯父」と言へる言葉、御前の御耳に留まりて、まづ公事は外になりて、「おのれら畜生同然なり。先祖の祖父め{*4}、世にあらばきつと申し付くべき曲者なり。この出入り、重ねて聞く事にあらず。内証にて和談すべし。世間の法を背けば、おのれらが吊書して、その町の者どもにこれを見すべし。」と仰せ付けられしを、いづれも合点参らず、色々思案致しても落着せざりしを、御前には即座に聞こし召し分けさせらるる事、諸人感じける。

159a


前頁  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「役(つか)ひたる野道(のみち)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「目(め)の無(な)い者(もの)ども」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「伯父(おぢ)」。『本朝桜陰比事<翻刻>』(1996)頭注に従い改めた。
 4:底本は、「祖父(ぢい)今世(こんぜう)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。

太鼓の中は知らぬが因果

 昔、都の町西陣に織絹屋、門を並べ、これを渡世として今日を暮らせる中に、家職、人にすぐれながら、内証差し詰まり、年久しく住み馴れし所を立ち退くに夫婦相談を極め、諸道具忍び忍びに売り払ふを聞きつけ、かねて懇ろせし職人仲間十人申し合はせ、「この亭主は、身過ぎに油断なく、万事律儀に構へ、しかも仏神を信心深く、一つとして悪事なく、人のためにもなれる男」にて、いづれもこれを惜しみ、「是非に今一度、身代取り持つべし。」と、内証聞けば、僅か四貫目に足らざる借銭。「これにて数年の老舗をやむる事あるべきか。」「人の身の上には、かかる事のある習ひなり。」「我々万事請け合ふ上は、春の事ども調へ、嬉しがる子どもに餅花を見せ、下々の仕着せは紋無しの浅黄にして、今からも成る事なり。」「お内儀、こんな時が大事なり。髪頭も取り上げ、落ち目を人に見せぬが女房の嗜み。」「鰤は三本まで手前にあれば、これを一本越すべし。」
 我人忙はしき十二月二十六日の夜に入り、申し交はせし十人、一人に金子十両づつ持参して、頼母子と名付け、合力に致し、一升桝に一人一人投げ入れ、合はせて百両の小判。「近年の内に千両になるべし。」と、中にも分別らしき男、これを恵比須棚に上げ置き、「隣の大黒殿も、来年からは小槌の続く程は打ち出し給へ。さもなくば紙屋川へ流します。」と大笑ひして、その後は酒になして、いづれも機嫌なれば、亭主も喜び、「これは珍しき年忘れ。」と、一つ呑む人、皆目の下戸までも、我をおぼえぬ程の酔ひの紛れに順の舞の芸尽くし。何を言ふにも前後知らず、千秋楽に草履履き替へ、羽織を残し、扇を落とし、礼儀無しに立ち帰る時は、七つの鐘撞き、鶏も鳴きて、亭主は宵よりの気あつかひ、皿箱枕にして臥しければ、女房戸鎖しを閉めて、常よりも用心して、下々を寝させて、心嬉しさのあまり男を起こし、「大かたに払ひ算用をして見給へ。」と、大帳、十露盤をあてがへば、あるじ目さまして、「この節季には、借銭乞ひどもめを秤で面くはすべし。殊に米屋の八右衛門は縁者の端なるに、外よりせはしく乞ひ立てし。さらりと済まして、年取るものから現銀にて脇で買へ。」と、諸事胸算用して棚より桝をおろせば、中に小判は無かりき。
 夫婦、「これは。」と驚き、「裸金なれば、よもや鼠は曳くまじ。もしは神隠しか。」と恵比須棚を幾度か見るに、いよいよ無いに極まり、中々、初め今の悲しさ増さり、「とかくは我等が因果なるべし。盗みし人も恨むまじ。」と思ひ切れども口惜しく、「なまなか合力請けて、結句身の難儀となれり。世間の取り沙汰もいかがなれば、長らへて何の詮なし。いざ、子どもを刺し殺し、果てむ。」と言へば、女房も取り乱さず、「いかにも生きたる甲斐はなし。死に姿は人の見るぞ。」と嗜み、一つある白小袖に身をなし、さて鏡に向かひ、普段よりは髪頭うるはしく、男の鬢撫で付けて、「誠に十九年の馴染み、この曙の夢か。」と涙に目もくらみ、持仏堂に灯あげて、二人の子どもを静かに引き起こせば、「今日は餅花をする日か。」と言へば、又、弟は破魔弓の事、うつつにも忘れもやらず。
 さりとは不憫に思はれし時、久しく召し使ひの女、この首尾を聞き付けて起き合はせ、仔細も聞かず泣き出だして、「御夫婦はともあれ、いまだわきまへも無き子達の命を取らせ給ふは、いかなる事ぞ。」と歎きて、「何とぞ御分別のあるべき所。この御二人は、私の手に懸けて育てます。」と大声あぐるにぞ、皆々起き騒ぎて、とかう言ふ間に夜も明けて、おのづから自害もとまりぬ。
 この事、最前二、三人聞き付け、衆中へ知らせて、又十人寄り合ひ僉議するに、「何とも合点のゆかぬ事、これなり。」「合力する程のいづれもなれば、これを盗るべき事にあらず。」「と言うてから、この盗人は外になし。」「面々の身晴れに、神文、鉄火。」と言ふ人あり。中にも一分別ある人、「その分にては済まし難し。とかくは御前へ言上申し、御沙汰次第。」と相談極め、右の段々、書付を以て御訴訟。聞こし召し分けさせられ、「年内余日もなく、皆々渡世のさはりなるべし。正月二十五日に穿鑿すべし。その内、一人も他国仕るな。」と仰せ渡され、罷り帰りぬ。
 春になりて、「右十人の者ども、妻召し連れて御前に出づべし。もし女の無き者は、姉妹に限らず、或いは姪、をばにても、女を一人同道申して出づべき」との上意。迷惑ながら御白洲に罷り出づれば、一、二の籤取りあつて番付を書き付け、大きなる唐太鼓に棒を通し、夫婦づつに差し担はせ、御館を離れ、遥か西に当たつて宮の松原を廻らせ、「これを、諸見物近く寄る事、堅く御法度なり。頼母子の金子見えざる過怠。」とて、一日に一組づつ、十日が間にこの事終はりぬ。洛中の万人見聞して、「これは格別なる御過怠。」と、いづれも不思議を立てける。
 されば、この太鼓の中に発明なる小坊主を入れ置かれし事、誰か存じたる者なし。毎日、事御尋ねありしに、いづれも女は歎く中に、八日目にかたげ廻りし女房、すぐれて我が男を恨み、「金子合力しながら諸人に面を晒させ、かかる迷惑。これは何の因果ぞ。」と言ふ時、男ささやきて、「これは少しの内の難儀。生き金百両、只取る事が。」と申せし事、申し上ぐる。
 その者、召し出だされ、強き御僉議に顕はれ、右の小判を取り返され、かの者に下され、有り難き仕合せなり。その後、仰せ出だされしは、「盗人ながら、一旦合力の衆中なれば、命は助けて、都の内を即ちこれより払へ。」との御意にて、夫婦を東西に追ひ失ひけるとなり。

前頁  目次  次頁

↑このページのトップヘ