江戸期版本を読む

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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂本朝桜陰比事 帝国文庫本

人の名を呼ぶ妙薬

 昔、都の町に、佐渡の島国より渡りて、住まひを京五條塩竃町に定め、物淋しきをわざと好みて、しかも借宅して、故郷より召し連れたる男一人、これに台所を預け、年中ただ居して、銀八百目にて万事を仕舞はるる身代。「これ程軽い浮世の楽人、我なり。今年五十にあまれば、長生きしてから今二十年。心に懸かる親も無く、行く末思ふ一子も無く、木から落ちたる猿程に頼み少なし。佐渡より金子二千五百両持参せしが、今の算用なれば、二百年の貯へあり。俄に栄花しやうも知らねば、明け暮れ札銭出して芝居見るより外はなく、いまだ遊山の同道も無く、半年あまりも暮らして、京とても、さのみ面白からぬ」やうに思ひぬ。
 その相貸し屋{*1}に、これも一人住みして日を送れる男あり。何商売とも定めなく、洛中の分限なる人の息子達の機嫌を取り、世を夢の如く渡りて、夜を昼になし、世界の図外れなる者、都なればこそ人もこれを見許しける。我が竃は稀にも焼きたる事なく、火の用心ばかりは気遣ひなし。その外は何とも見えぬ男なり。
 いつの頃か、隣に金子のある事を見出だし、様々にして取り入り、心を許させ懇ろになる時、六條の遊女町に誘ひ行きて、歴々衆に引き合はせ、太夫交じりの遊興の後、「この田舎人、大分金持ち。」と語り聞かせけるに、利銀は月七割にてもまづ借りたがる若い者五人、内談して、無心を申し懸かれば{*2}、この男、即座に合点して、「手前にあり合はすこそ幸ひなれ。利銀に及ばず。御一人に五百両づつ。」五人に二千五百両、あり切り出だし、預け手形を請け取り、その上に申し渡しけるは、「この金子は、我一代の渡世のためなれば、一年の入用程、五人の方より廻り番にして返し給へ。その内に相果てたらば、誰に譲る方もなければ、跡の儀、弔ひ給はれ。」と少しも残らぬ心底。天から降つたやうなる金の貸し手。各々当座の喜び、末に済ますまじき覚悟の一人も無かりき。
 田舎人も、宿に置きての気遣ひ絶えて、その後はいづれもと参会して、先に一夜を明かせし事もあり。折節は霜月中頃、殊更冴え渡りぬる夜遊びに、かの相貸し屋{*3}の機嫌取る男、その一座にありしが、かねて悪心を巧み、「この田舎者さへ殺せば、預かり金はいづれもの徳になれば、五人の手前より大分取るべし。」と無用の欲心起こりて、その人に毒酒を拵へ、酔ひの紛れに一杯呑ませける。
 その座は何の事もなく、私宅に帰りて悩みぬ。惣身動かずして口籠り、眼ばかりうろうろと見廻しければ、下人驚き、いまだ息の通ふ内に罷り出で、段々言上申し、五人の手形を御前へ差し上げ、「夜前の一座もこの衆中。」と申し上ぐる。
 その五人、他の同座せし者までも残らず召し出だされ、御詮議さまざまなれども、本人夢中なれば、いづれを指して御吟味成り難し。暫く御思案あそばされ、御手前医者仰せ付けられ、「かかる時、申し伝へし妙薬を、世のためしに呑ませ見よ。」との御意にて、俄に拵へける、古き鼓の破れ革を黒焼きにして、かの病人に与へ給へば、「腹中に入ると、毒を呑ませし相手の名をおのづからに呼ぶといふ事、唐土の医書にある故、今この不思議を見るなり。大事の聞きものぞ。」と仰せ出だされし時、「これは。」と驚く者あり。又、「何をか。」と疑ふ者もあり。めいめい心々に耳を澄ましけるに、暫くあつて病人、唇に動きありて、咽内にてそれが名を指して、「太鼓の茂六、茂六。」と言ふ事、ありありと聞こえ、いづれも奇異の思ひをなしける。この者を搦めて御穿鑿に、悪事顕はれ、御仕置にあひけるとなり。

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校訂者注
 1・3:底本は、「相借屋(あひしやくや)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「申懸(まをしかく)れば」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。

双子は他人の始まり

 昔、都の町に、「一子相伝の妙薬、神教万病円」と看板出して売薬あり。これ洛中の外、近在まで広まりて、この家、四條通りに隠れなし。この人、五十余歳まで家継ぎの無き事を悔みしに、本妻の懐胎を喜びしに、この亭主相果てられ、三十五日の歎きの内に平産致せしに、これ常に変はりて双子、しかも二人共に男子なり。父の無ければひとしほ不憫に思はれ、面々に乳母取りてこの子どもを育てさせ、名も梅松、竹松と呼びて、十三に成りける夏の頃、又この母親頓死致され、「定めなき世。」と殊に悲しきは、跡を見立つる一門も無く、只二人の乳母ども、めいめいに抱き守り致せし子にこの跡式を望み、惣領末子の論をする事やみ難く、町中の意見をも聞き入れずして、両方より同じ願ひ訴状{*1}を上げける。
 時に、この家久しき手代、外に書付を言上申すは、「この家二つに成され候へば、一子相伝の名方の分かる事、家財よりは歎かはしく存じ奉り候。」と御願ひを申し上ぐるは、「いづれにても一人に家を継がせ、一人は相応の敷銀を付け、他家へ遣はし申したき」所存、尤もに聞こし召し分けられ、京都に名高き縮み頭{*2}といふ取り揚げ婆を召され、「双子の事、前後出生の内に、いづれか惣領に立ちけるぞ。」と御尋ねなされしに、「古例にて、後より誕生仕るを惣領に立て申し候。この仔細は、胎内にて母に取り付き縁の深き故なり。先に生まれ候は、その子が後ろに乳房もそのあまりを吸ふが故に、五体も少しは大小御座候。」と詳らかに申し上ぐる。「この婆が申す通り、後生まれの竹松を惣領。」と仰せ出だされしに、梅松が乳母、合点致しかね、「母親{*3}心ありて、名をば梅松とは呼び申し候。これ花の兄には極まり申し候。とかくはこの身代、二つに甲乙無く仰せ分けられ下し給はば、有り難く存じ奉る」の願ひ、言上申す。
 御前には、手代が申し分、至極に思し召せども、これの愚痴と御許しあそばし、「然らば諸事真二つに分け取らすべし。」まづ宗門を御尋ねあそばされしに、この家代々日蓮宗にて、召し使はれの下々までも、同じ宗旨の由申し上ぐる。「然らば持仏堂を開き、高祖の御影取つて参れ。」との御意に任せ、仏を御前に差し上げし時、「諸道具を二つに分くる初めに、両人の乳母どもが手に懸けて、この仏を真二つに割りて、重ねて罷り出づべし。」と、公事を残して御帰しあそばされしに、「いかにしても後世を頼みし仏を砕く事は。」と両人共に身震ひし、町の人の言へる事を一円聞き入れざりし女ども、おのづから順熟して、無用の争ひを悔み、いづれもを頼み、手代{*4}が願ひの竹松に家を継がせ、梅松は弟に定め、歴々に仕分くる内談を極め、この段御訴訟申し上ぐれば{*5}、御心入り通りなれば、その通りに仰せ付けさせられ、無事相済みけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「訴訟(そしよう)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
 2:底本は、「ちゝみかし」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び注釈に従い改めた。
 3:底本は、「親母(はゝおや)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「千代(てたい)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「御訴訟(ごそしやう)上申(まをしあ)ぐれば」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。

命は九分目の酒

 昔、都の寺町通りに、十分盃を和朝にて初めて{*1}工夫の細工人あり。唐土の偃師がからくりにも劣るまじきものと言へり。朝暮この器物を積もる毎に大酒に溺れ、これより長病になりて相果てし後に、男子二人、十八、十五になりぬ。
 百ケ日の精進上がりて後、町中立ち合ひ見るに、書置とても無し。金銀諸道具、ある物を改め、大方世間の法に沙汰して、「兄に六分、弟に四分。」と言ひ渡し、「母親の義、両人として孝を尽くし給へ。」と言へば、弟、いづれもの指図、承引致さず、「家屋敷に限らず、万事を半分取るべし。」と言ふ。「それでは兄の甲斐なし。」とて様々扱へども、弟聞き入れずして、既に御前の裁許になりぬ。
 段々御聞き届けあそばされ、「町の者が指図、尤もに存ずるなり。その方、等分に取るべき仔細あらば申せ。」と仰せられし時、「私事、末子ながら総領なるべき義は、お恥づかしながらこれなる母親は、元父の召し使ひの者なりしが、懐胎して兄を喜びしより、諸親類取り持ち本妻に直されて後、私を平産致され候事、紛れなく候。然れば、末子ながら筋目格別存じ奉り候。跡をも継ぎ申すべき事、御座候。かやうの義、御武家にも先例の多き御事。」と申し上ぐる。
 「あの者申す所も、一通りは聞こえしなり。その屋敷は、この母、下女の時より持ち伝へたるか。又、近年に求めけるか。」と御尋ねなされし。「成程、下女の時分よりの家屋敷。」と町中、口を揃へ申し上ぐる。「然らば、弟が願ひの諸色二つにして渡し、家の義は惣領に名跡を継がせ、母はこの家にて養ひ申せ。」と仰せける。

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校訂者注
 1:底本は、「和朝(わてう)にしはじめて」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。

形見の作り小袖

 昔、都の町に和漢の織絹の商売して、その身利発にて一代の分限、二千貫目を貯へ、家の栄える世盛りにこの亭主、四十二にして相果てける。今年二歳の娘に財宝残らずこれを譲りぬ。この母親、三十三にて後家を立て、髪を切り捨て、浮世を恐るる形となり、一人子の成人を願ひ、後夫を求むる望み絶えて、仏道に立ち入り、その後、家職をやめて、諸事親類の指図に任せ、金銀は両替に預け置き、世帯は人少なにして、男女七人召し使ひ、何の不足も無かりき。
 或る時、東山の花談義に一家残らず参詣すれば、門の戸、外より閉めて留守無しに出で行き、その暮方に帰りしに、奥座敷に人影見えければ皆々驚き、「昼盗人よ。」と声々に取り廻し、片隅に追ひ込み捕らへ見しに、南隣りの一子、いまだ十七になる角前髪の若者なり。出合ひし町衆も手首尾悪く、「何とぞ沙汰無しに。」と談合すれば、この息子、格別に進みて、「我、ここに忍ぶ事、後家合点。」と言へば、「さては。」と各々疑ひ懸かりて、この儀、何とも言葉無し。
 後家、涙をこぼして、「さりとは、さりとは、毛頭覚えも無き難儀を申し懸けられて口惜し。みづからが子と言うても恥づかしからず。我、不義致さば、世間に知らせず、相手あり。この事に於いては身を八つ裂きにあひても詮議遂げずには置くまじ{*1}。女も女によるべし。」と一筋に胸を定め、人の意見も更に聞き入れずして御前へ駈け込み、右の段々御訴訟申せば、その男を召されて、「後家と密通ならば、文通の証拠を出すべし。女の筆跡無きに於いては、盗人の沙汰、逃るる所なし。」と仰せられければ、「互に忍ぶ事に御座候へば、その度々に火中致し候」由、申し上ぐる。「その分にては、科を逃れじ。その他、何のしるしも無きか。」と重ねて御尋ねありし時、男、暫し思案して、肌着の浅黄小袖に三つ蝶の紋所付きしを、恐れながら脱ぎ懸けて御目に懸け、「これは、あの後家の下着にて御座候が、風の吹く夜の別れに着せて帰し候。これより他には挿し櫛、香包みなどくれられ候。かやうの事なるに、盗人の沙汰は是非も無き仕合せ。」と涙眼になつて申し上ぐる。その風俗見させらるる{*2}に、衣裳の様子、定紋まで、変はる所無し。
 「あの小袖は、後家が取らしたか。」と仰せられし時、この女房、少しの内、物を申さざりしが、「世の外聞思はれ、随分包み候へども、かくあらはるるは大方ならぬ因果と存じ候。いかにもあの若年者と密通仕り候。」と申し上ぐる。
 「然れば何の仔細もなし。後家、無用の言ひ訳に、あまたに難儀を懸くる。曲者なれども、これ女心{*3}なり。罷り立て。」と御意ありし時、この男、頭下げ、「今少し言上申したき御事。後家密通と申し上げらるるにつき、全く{*4}密通にて御座なく候。皆、私が悪事を巧み申し候。この儀は、若気にて由なき事に親の金銀大分に遣ひ捨て申し{*5}候を、この程吟味致し、勘当仕られ候を、やうやう一門中詫び言にて相済み、それより内証厳しく致され、次第に不自由に罷り成り、隣の有徳なるをかねて存じ、ふと出来心にて盗みに入り候。この小袖も手前にて拵へ置き、自然穿鑿の時、身を逃るる言ひ訳のためばかりに、これ程まで巧み。私、悪人に相極まり申し{*6}候。」と、心底ありのままに申し上ぐる。
 この段、御前に聞こし召し分けられ、「まづ後家が志、我が身を捨て、世の聞きの恥を構はず、密通にして人の命を助くる事、都広けれども又あるまじき女。」と、この慈悲心を深く感じさせ給ひ、「これらは女の鑑なれば{*7}、少しも曇らぬ心入り。自今はいよいよ諸親類、後ろ見を仕るべし。又、男の段は、悪事重なり、この度、仕置者なれども、後家が志を恥ぢて、助かる命を捨てて、即座に相手の難を申し訳致せし事、若年者には神妙」に思し召され、これによつて、極命のところ御赦免なし下され、京都を御払ひあそばされけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「惜(お)くまじ、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「見(み)させられしに」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「女なり、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「つき、密通(みつつう)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「遣捨(つかひす)て候(そろ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「相極(あひきわま)り候(そろ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 7:底本は、「鑑(かゞみ)ならば」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。

十夜の半弓

 昔、都の町に、はやり念仏、嵯峨の安楽坊とて、声細長う節を付けて、常とは格別世界の人心、後生の昼{*1}となりぬ。折節、十夜なれば、僧俗共に叩き鉦、明け方まで響き渡り、眼にも見えぬ極楽を願ひ、無用の念仏講を結び、その暁の雲、東山に晴れて、松原通りの門並に店戸を開くれば、年の頃四十二、三の男、左の手に浄土珠数を懸けながら、胴骨矢の根を通され、死に顔見知る人あつて、「これは、大仏の前なる煙管屋。」と言ふにぞ、急ぎその元へ人遣はしけるに、女房驚き駈け来つて、歎く事浅からず。
 「夜前は{*2}宵に宿を立ち出で、因幡薬師のほとりへ念仏講に参られしが、これはいかなる因果ぞ。」と、かの同行衆へ行きてこの事を語りけるに、講中の各々、皆老人といひ、殊更後世の縁を結ばれし人なれば、この男の若死を惜しみ、「その人に我々が跡の儀を頼みしに。」と、俄に御明かしを上げて香花を取り給へば、この人々を疑ふ事無く、奉行所に罷り出で、御訴訟を申し上げしに{*3}、様々御詮議あそばされ、「日頃心懸かりなる者は無きか。」と御尋ねありし時、女房思ひ付き、「以前別して懇ろなる方、二人御座候が、この四、五年不間に罷り成り候」人の名を指しける。
 その二人、御前に召し出だされ、この参会仕らぬ仔細を聞かせられしに、一人は、「鞠の友にて、互に芸を励み、相も劣らぬ程に仕る内に、私はお家に立ち入り、紫腰を御免下されしを、かの男、これをそねみ、その後、鞠を蹴留まり、おのづから出合ひも絶え候。」と申し上ぐる。又一人は、「六條の遊女町にて花月と申す女郎を、二人してこれを買ひ論仕り申し{*4}候が、当座の事にて少しも意恨に存ぜず、年月罷り過ぎ候。今にその女、勤め致し罷りあり候。これを召し寄せられ、御聞きあそばされ下さるべし。」と申し上ぐる。
 「この両人、命を取るべき程の事にもあらず。」と聞こし召し分けさせられ、「かの男と語り合ひし仲なれば、かかる身の果てを、我々も外のやうには{*5}思ふまじ。かねてのよしみに、弔ひ料として銀一貫目づつ、女房に合力仕れ。」と仰せ出だされける時、一人はお請け申し、又一人は成り難き由、申し上ぐる。その仔細を御尋ねなされしに、「私は内証かつかつにて、手前の暮らしさへ迷惑仕る」の由、言上申す。今一人は、「早速合力仕るべき。」と申す所を御疑ひあつて、この儀、御穿鑿ありしに、「私は身代よろしく、銀貸しを渡世に仕る事、町内洛中にも隠れ御座なく候。銀一貫目など、香典に仕りても苦しからぬ御事。御意なればお請け申せし。」と申し上ぐる。両方の言ひ分、段々道理至極に聞こし召し分けさせられ、別條なく相済み、これ等は宿に帰りぬ。
 その後、女房に仰せ渡されしは、「この上に、何とも詮議成り難し。とかくは時節の最後と諦め、死骸は鳥部野に送り、夫の敵はその矢なれば、死人と一つの壺に入れて埋むべし。後家は子も無き者ならば、百ケ日過ぎて勝手次第に後夫を求むべし{*6}。」と仰せ付けられ、いづれも御前を罷り立ち、その通りにその年も過ぎぬ。
 明くる春になつて、世間も暗き夜中過ぎに、かの男討殺されし松原通りのその町に、女の声せはしく人の門々を叩き起こし、「やれ、物盗りよ。悲しや{*7}。出合へ、出合へ。」と言ふに驚き、手毎に棒乳切木をひらめかして立ち出づる中に、半弓取り持ち、いかつがましく駈け出づる者ありしを、軒蔭より隠し役人取り巻き、この男に縄を懸け、「仔細は奉行所へ参れ。」と引き立てられ、町中残らず相詰めける。
 時に仰せ出だされしは、「夜前の女は、去年、汝等が町にて殺されし男の妻なるが、存ずる思案あつて、わざとこれより夜中には遣はしける。然る所に、おのれ、町人に似合はざる飛び道具持ち出づる事、故なし。この言ひ訳ありや。」と仰せ出だされしに、この男、少しも動顛致さず、「この半弓は、親代より家にあるに任せ、枕元近く懸け置き申し{*8}候ところに、盗人よといふ声、寝耳に入り、何の心も御座なく持ち出で候。」と申し上ぐる。
 「申せば、さもあるべし。然らば、最前の矢にこの矢を比べ見るべし。」との御意に任せ、土葬の壺を掘り出だし見合はせけるに、右の矢に違ふ所なし。「いかなる意恨あつて、かくは殺しけるぞ。」と御尋ねありし時、この男、逃るべき所なく、「私、近年弓の稽古を仕り、当たりこまかに罷り成り、狐、猫などを射留め申し{*9}候事、度々にて御座候。これによつて、人間を射て見申したき出来心にて、何の事もなく夜更けて通り申し候者を、幸ひに射懸け申し候{*10}。」と、段々始めを申し上ぐる。「町人無用の武道具を持ち扱ひ、しかも人の一命を断つ事、広き都に又あるまじき曲者。」と御沙汰極まりて、その弓矢を高札に懸けて、御仕置にあひけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「後生(ごしやう)の益(えき)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「夜前(やぜん)に」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「申下(まをしあ)げしに、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「仕(つかまつ)り候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「外(ほか)のやうにも」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「求(もと)むべく」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 7:底本は、「盗賊(ものとり)よ出合(であ)へ」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 8:底本は、「懸置(かけお)き候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 9:底本は、「射留(ゐと)め候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 10:底本は、「通行(とほり)候(さふらふ)者(もの)を幸(さいは)ひに射懸(ゐか)け候(そろ)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈及び対訳文に従い改めた。

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