江戸期版本を読む

江戸期版本・写本の翻字サイトとして始めました。今は、著作権フリーの出版物のテキストサイトとして日々更新しています(一部は書籍として出版)。校訂本文は著作物です。翻字は著作物には該当しません。ご利用下さる場合、コメントでご連絡下さい。

カテゴリ:井原西鶴 > 校訂新註世間胸算用(1934刊)

新註世間胸算用(1934年刊)WEB目次

胸算用  大晦日は一日千金  目録

 序 
巻一
一 問屋の寛闊女
  はやり小袖は千種百品染  大晦日の振手形如件
二 長刀は昔の鞘
  浪人細工の鯛つり  大晦日の小質屋は涙
三 伊勢海老は春の紅葉
  状の書き賃一通一銭  大晦日に隠居の才覚
四 鼠の文づかひ
  据え風呂の中の長物語  大晦日に煤掃きの宿

巻二
一 銀一匁の講中
  長町に続く嫁入り荷物  大晦日の祝儀紙子一疋
二 嘘も只は聞かぬ宿
  何の沙汰なき取り上げ婆  大晦日のなげ節もうたひ所
三 尤も始末の異見
  宵寝の久三が働き  大晦日の山椒の粉売り
四 門柱も皆かりの世
  朱雀の鳥おどし  大晦日の喧嘩屋殿

巻三
一 都の顔見せ芝居
  それそれの仕出し羽織  大晦日の編笠はかづき物
二 餅花は年の内の眺め
  掛け取り上手の五郎左衛門  大晦日に無用の仕形舞
三 小判は寝姿の夢
  無間の鐘つくづくと物案じ  大つごもりの人置のかか
四 神さへお目違ひ
  堺は内証のよい所  大晦日の因果物語

巻四
一 闇の夜の悪口
  世にある人の衣くばり  地車に引く隠居銀
二 奈良の庭竃
  万事正月払ひぞよし  山路を越ゆる数の子
三 亭主の入り替はり
  下り舟の乗合噺  分別してひとり機嫌
四 長崎の柱餅
  礼扇子は開くる事なし  小見せものは知れた孔雀

巻五
一 つまりての夜市
  文反古は恥の中々  いにしへに替る人の風俗
二 才覚の軸すだれ
  親の目には賢し  江戸廻しの油樽
三 平太郎殿
  かしましのお婆を返せ  一夜にさまざまの世の噂
四 長久の江戸棚
  きれめの時があきなひ  春の色めく家並の松


新註世間胸算用(1934年刊)WEB凡例

  1:底本は『新註世間胸算用』(鈴木敏也校註 大倉広文堂 1934年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:校訂には『新潮日本古典集成 世間胸算用』(金井寅之助、松原秀江校注 新潮社 1989)、『世間胸算用 決定版 対訳西鶴全集13』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1993)、『近代日本文学大系 第3巻 (井原西鶴集)』(笹川種郞解題 国民図書 1927)、『西鶴世間胸算用詳解』(植村邦正著 大同館 1935)を参照しました。
  8:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)
ア行
 明く→開く・空く 壱→一 一盃→一杯 玄猪→亥の子 碓→臼 中→内 恵美酒・恵美須→恵比寿 面屋→母屋
カ行
 皃・貌→顔 各別→格別 影・陰→蔭 借す→貸す 衒→騙り 替はる→変はる 碓→唐臼 義→儀 花車→華奢 義→儀 子共・小共→子供 比→頃
サ行
 月額→月代 島→縞 如在→如才 拾→十 極月→師走 身体→身代 僉議→詮議
タ行
 代々→橙 焼く→焚く・炊く 莨菪→煙草 灯挑→提灯 耗→費へ
ナ・ハ行
 中→仲 廿→二十 弐→二 念比→懇ろ 初尾→初穂 祖母→婆 隙→暇
マ・ヤ・ラ・ワ行
 廻ふ→舞ふ 食→飯 本・許→元 屋→家 夜半→夜中 余慶→余計 牢人→浪人

上記以外(篇毎 登場順)
 目 栬→紅葉 詠む→眺む
 序1-1 閉づ→綴づ 弟子→乙子 直段→値段 襠→湯具 立具→建具 枕神→枕上
 1-2 合→相 傘→唐傘 黒米→玄米
 1-3 甲→兜 十面→渋面 男子→息子 始めて→初めて 備ふ→供ふ
 1-4 羽→歯 愚智→愚痴 取る→盗る 鯲→泥鰌 捫む→揉む 薬師→医師 仁王→人皇 悪い→憎い
 2-1 荷ふ→担ふ 利→理 囉ふ→貰ふ
 2-2 褐→襁褓 [⿰女旧]→姑 指す→差す 三絃→三味線
 2-3 煮る→煎る 移す→写す 兵→強者
 2-4 瞿づ→怖づ 帥→粋 摩ぐ→研ぐ 渋→錆付く→憑く 懸乞→掛乞
 3-1 三番三→三番叟 火燵→炬燵 御服→呉服 牛涎→膠 見世→店 独→一人 籠→牢
 3-2 喧𠵅→喧嘩
 3-3 場→庭 堺→境 躮→倅 帰る→返る
 4-1 赤い→明い 貧乏→貧方 咄→話 追匠→追従
 4-2 角→隅 二たび→再び
 4-3 姨→伯母
 4-4 鳬→鴨
 5-1 誦む→詠む 赤ね→茜 釣る→吊る 蚊屋→蚊帳 檀→壇
 5-2 勢→精 進む→勧む
 5-3 各→各々
 5-4 着く→付く 足→脚

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

 松の風静かに、初曙の「若恵比寿、若恵比寿」、諸商人、「買うての幸ひ、売つての仕合せ」。さて、帳綴ぢ、棚おろし、納め銀の蔵開き。春の初めの天秤、大黒の打出の小槌。何なりとも欲しき物、それぞれの智恵袋より取り出す事ぞ。元日より胸算用油断なく、一日千金の大晦日を知るべし。
    元禄五申歳初春  難波 西鶴

一 問屋の寛闊女

 世の定めとて、大晦日は闇なる事、天の岩戸の神代この方、知れたる事なるに、人みな常に渡世を油断して、毎年一つの胸算用違ひ、節季を仕舞ひかね迷惑するは、面々覚悟悪しき故なり。一日、千金に替へ難し。銭銀なくては越されざる冬と春との峠。これ、借銭の山高うして登り兼ねたるほだし。
 それぞれに子といふものに身代相応の費え。さし当たつて目には見えねど、年中に積もりて掃き溜めの中へすたり行く、はま弓、手毬の糸屑。この外、雛の摺鉢割れて、菖蒲刀の箔の色替はり、踊り太鼓を打ち破り、八朔の雀は珠数玉に繋ぎ捨てられ、中の亥の子を祝ふ餅の米、氏神の御祓ひ団子、乙子朔日、厄払ひの包み銭、夢違ひの御札を買ふなど、宝舟にも車にも積み余る程の物いり。
 殊に近年は、いづ方も女房家主奢りて、衣類に事も欠かぬ身の、その時の浮世模様の正月小袖を巧み、羽二重半疋四十五匁の地絹よりは、千種の細染百色がはりの染賃は高く、金子一両づつ出して、これ、さのみ人の目立たぬ事に、あたら金銀を捨てける。帯とても、昔渡りの本繻子、一幅に一丈二尺、一筋につき銀二枚が物を腰にまとひ、小判二両のさし櫛、今の値段の米にしては本俵三石、頭に戴き、湯具も本紅の二枚重ね、白ぬめの足袋穿くなど、昔は大名の御前方にもあそばさぬ事。思へば町人の女房の分として、冥加恐ろしき事ぞかし。せめて金銀、我が物に持ち余りてすればなり。降つても照つても昼夜油断のならざる利を出す銀借る人の身代にて、かかる女の寛闊、よくよく分別しては、我と我が心の恥づかしき義なり。
 明日分散にあうても、女の諸道具は遁るるによつて、打ちつぶして又、取りつき世帯の物種にするかと思はれける。惣じて女は鼻の先にして、身代畳まるる宵まで、乗り物に二つ提灯、月夜に無用の外聞。闇に錦の上着、湯わかして水へ入れたる如く、何の役にも立たざる身の程。
 死なれたる親仁、持仏堂の隅から見て、浮世の雲を隔てければ、悔みても異見は成り難し。「今の商売のしかけ、世の偽りの問屋なり。十貫目が物を買うて八貫目に売りて銀廻しする才覚、詰まる所は、内証の弱り。来年の暮にはこの門の戸に、『売家十八間口、内に蔵三ケ所。戸建具そのまま、畳上中二百四十畳。外に江戸船一艘、五人乗りの御座船、通ひ舟付けて売り申し候。来る正月十九日にこの町の会所にて札を開く。』と沙汰せられ、皆、人の物になれば、仏の目には見え透きて悲しく、定めて仏具も人手に渡るべし。中にも唐かねの三つ具足、代々持ち伝へて惜しければ、行く先の七月魂祭の送り火の時、蓮の葉に包みて極楽へ取つて帰るべし。とてもこの家、来年ばかり。
 「汝が心根もそれ故、丹波に大分田地買ひ置き、引き込み所拵へけるは、中々無分別なり。我賢ければ、我に銀貸す程の人も又利発にて、一つ一つ吟味し出し、皆、人の物になる事なり。よしなき悪事を巧まんよりは、何とぞ今一度商売し返せ。死んでも子はかはゆさのままに、枕上に立つてこの事を知らすぞ。」と、見し姿ありありとの夢は覚めて、明けければ十二月二十九日の朝、寝所よりも大笑ひして、「さてもさても、今日と明日との忙しき中に、死んだ親仁の欲の夢見。あの三つ具足、御寺へあげよ。後の世までも、欲がやまぬ事ぞ。」と親をそしる内に、諸方の借銭乞ひ、山の如し。
 何とか埒を明くる事ぞと思ひしに、近年、銀無しの商人ども、手前に金銀有る時は、利なしに両替屋へ預け、又いる時は借るためにして、小賢しき者、振り手形といふ事をし出して、手廻しの互によき事なり。この亭主もその心得にして、霜月の末より銀二十五貫目、懇ろなる両替屋へ預け置き、大払ひの時、米屋も呉服屋も味噌屋、紙屋も肴屋も、観音講の出し前も、揚屋の銀も、乞ひに来る程の者に、「その両替屋で請け取れ。」と振り手形一枚づつ渡して、「よろづ仕舞うた。」とて年籠りの住吉参り。胸には波の立たぬ間もなし。こんな人の初穂は、受け給うてから気遣ひし給ふべし。
 されば、その振り手形は、二十五貫目に八十貫目余りの手形持ちかくる程に、両替には、「算用差し引きして後に渡さう。振り手形大分あり。」とさまざま詮議する内に、また掛乞ひも、その手形を先へ渡し、また先から先へ渡し、後にはどさくさと入り乱れ、埒の明かぬ振り手形を銀の替はりに握りて、年を取りける。一夜明くれば{*1}豊かなる春とぞなりける。


校訂者注
 1:底本は、「明ければ」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

長刀は昔の鞘

 元朝に日蝕、六十九年以前にありて、また元禄五年みづのえ、さる程にこの曙珍し。暦は持統天皇四年に儀鳳暦より改まりて、日月の蝕を暦の証拠に、世の人、これを疑ふ事なし。
 口より見尽くして、末一段の大晦日になりて、浄瑠璃、小唄の声も出ず、今日一日の暮せはしく、ことさら小家がちなる所は、喧嘩と洗濯と壁下地つづくると、何もかも一度に取りまぜて、「春の用意。」とて、いかな事、餅一つ、小鰯一匹もなし。世にある人と見比べて、浅ましく哀れなり。
 この相貸家六、七軒、何として年を取る事ぞと思ひしに、みな質種の心当てあれば、少しも世を歎く風情なし。常住身の取り置き、家賃、その晦日切りに済ます、その外に、よろづの世帯道具、或いは米、味噌、焚き木、酢、醤油、塩、油までも、貸す人なければ、万事当座買ひにして朝夕を送れば、節季節季に帳下げて、案内なしに内へ{*1}入る者一人もなく、誰に恐れて詫び言をする方もなく、「楽しみは貧賤にあり。」と古人の詞、反古にならず。
 書き出し請けて済まさぬは、世に紛れて住みける昼盗人に同じ。これを思ふに、人みな年中の高括りばかりして、毎月の胸算用せぬによつて、つば目の合はぬ事ぞかし。その日過ぎの身は、知れたる世帯なれば、小遣ひ帳一つ、つけるまでもない事なり。
 さる程に、大晦日の暮方まで不断の体にて、「正月の事ども、何として埒明くる{*2}事ぞ。」と思ひしに、それぞれに質を置きける覚悟ありて身仕舞ひするこそ哀れなれ。
 一軒からは、古き唐傘一本に綿繰一つ、茶釜一つ、かれこれ三色にて銀一匁借りて事済ましける。又その隣には、かかが不断帯、観世こよりにし替へて一筋、男の木綿頭巾一つ、蓋無しの小重箱一組、七つ半の筬一丁、五合升一合升二つ、湊焼の石皿五枚、釣御前に仏の道具添へて、取り集めて二十三色にて一匁六分借りて、年を取りける。
 その東隣には舞々住みけるが、元日より大黒舞に商売を替へければ、五文の面、張貫の槌一つにて正月中は口過ぎすれば、「この烏帽子、直垂、大口は、いらぬ物。」とて、二匁七分の質に置きて、ゆるりと年を越しける。
 その隣はむつかしき紙子浪人、武具、馬具、年久しく売り喰ひにして、小刀細工に馬の尾にてしかけたる鯛釣も、はやりやめば、今といふ今{*3}小尻さし詰まりて、一夜を越すべき才覚なく、似せ梨地の長刀の鞘を一つ、質屋へ持たして遣はしけるに、「こんな物が何の役に立つべし。」と、手に暫しも持たず投げ戻しければ、浪人の女房、そのまま気色を変へ、「人の大事の道具を何とて投げて損なひけるぞ。質に嫌ならば、嫌で済む事なり。その上、何の役に立たぬとは。ここが聞き所ぢや。それは、我らが親、石田治部少輔乱に並びなき手柄あそばしたる長刀なれども、男子なき故に私に譲り給はり、世にある時の嫁入りに、対の挟み箱の先へ持たせたるに、役に立たぬ物とは。先祖の恥。女にこそ生まれたれ、命は惜しまぬ。相手は亭主。」と取り付きて泣き出せば、主、迷惑して、さまざま詫びても聞かず。その内に近所の者集まりて、「あの連れ合ひ浪人はねだり者なれば、聞き付け来ぬ内に、これを扱へ。」と、いづれも亭主にささやき、銭三百と玄米三升にてやうやうに済ましける。
 さても時世かな。この女も昔は千二百石取りたる人の息女、よろづを華奢にて暮らせし身なれども、今の貧につれて無理なる事に人をねだるとは、身に覚えて口惜し。これを見るにも、貧にては死なれぬものぞかし。すでに扱ひ済みて、三百、三升請け取り、「この玄米、取つて帰りて、明日の用に立たぬ。」と言へば、「幸ひこれに唐臼あり。」とて、貸して踏まして帰しける。これぞ世に言ふ「さはり三百」なるべし。
 又、浪人の隣に、年頃三十七、八ばかりの女、親類とても、かかるべき子もなく、一人身なりしが、五、六年あとに男に離れたる由にて、髪を{*4}切り、紋無しの物は着れども、身の嗜みは目立たぬやうにして昔を捨てず、しかも姿もさもしからず。常住は奈良苧を慰みのやうにひねりて日を暮らせしが、はや極月初めに万事を手廻しよく仕舞ひて、割木も二、三月までの貯へ。肴掛けには二番の鰤一本、小鯛五枚、鱈二本。かん箸、塗り箸、紀伊国五器、鍋蓋までさらりと新しくし替へて、家主様へ目黒一本、娘御に絹緒の小雪踏、お内儀様へうね足袋一足、七軒の相貸家へ餅に午房一把づつ添へて、礼儀正しく年を取りける。人の知らぬ渡世、何をかして。内証の事は知らず。
 その奥の相住みに二人の女ありしが、一人は年も若く、耳も目鼻も{*5}世の人に替はる事なくて、一生一人過ぎして悲しく、鏡見るたびに、我ながら横手打つて、「これでは人も合点せぬ筈。」と身の程を観じける。
 また一人は、東海道関の地蔵に近き旅籠屋の出女せし時、木賃泊まりの抜け参りにつらく当たり、米など盗みし科にや、同じ世に報いて、米の乏しき鉢開き坊主となりて、顔を殊勝らしく作り、心の外の空念仏。思へば心の鬼、「狼に衣」ぞかし。精進の事は忘れて、「鰯の頭も信心から」とて、墨染の麻衣を着る故に、この十四、五年も仏のお蔭にて、毎朝修行に出しに、一町にて二ところづつの手の内、二十所を集めてやうやう一合あり。五十町かけ廻らねば、米五合は無し。道心も堅固になくては勤め難し。過ぎにし夏、霍乱を患ひて、せん方なく、衣を一匁八分の質に置きけるが、その後、請くる事成り難く、渡世の種の尽きける。人の後世信心に、変はる事は無きに、衣を着たる朝は米五合も貰はれ、衣無しには二合も勧進なし。殊に師走坊主とて、この月は忙しきに取り紛れ、親の命日も忘れ、くれねば是非もなく、銭八文にて年を越しける。
 誠に、世の中の哀れを見る事、貧家のほとりの小質屋、心弱くてはならぬ事なり。脇から見るさへ悲しき事の数々なる年の暮にぞありける。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「うちに入る」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「埒明るぞと」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「今といふと」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 4:底本は、「髪の切、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 5:底本は、「目も鼻も」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

三 伊勢海老は春の紅葉

 神の松、山草、昔より毎年飾りつけたる蓬莱に。伊勢海老なくては、ありつけたるもの一色にて、春の心ならず。その年によりて格別値段の高き事ありて、貧家、又は始末なる宿には、これを買はずに祝儀を済ましぬ。
 この前も、橙の年切れして、一つを四、五分づつの売り買ひなれば、この替はりに九年母にて埒を明けける。これは大方、色形も似たり寄つたりの物なりしが、伊勢海老の名代に車海老、いかにしても借り着の如く、無い袖振る人は是非もなし。世間を張つて棟の高きうちには、それ程の風が当たつて、北しぶきの壁に莚菰も成り難し。渋墨の色付板包むなど、これらは奢りにあらず。分際相応に、人間、衣食住の三つの楽しみの外なし。家業は何にても、親のし似せたる事を替へて、利を得たるは稀なり。とかく老いたる人の指図を漏るる事なかれ。何ほど利発才覚にしても、若き人には三五の十八、ばらりと違ふ事、数々なり。
 さる程に、大阪の大節季、よろづ宝の市ぞかし。「商ひ事が無い、無い。」と言ふは、六十年この方。何が売り余りて、すたる物なし。一つ求むればその身一代、子孫までも譲り伝へる挽臼さへ、日々年々に御影山も切り尽くすべし。まして蓮の葉物、五月の兜、正月の祝ひ道具は、わづか朔日、二日、三日坊主。寺から里への礼扇、これらは開けずにすたりて、世の費え構はず。人の気、江戸に続いて寛闊なる所なり。
 「たとへ千貫すればとて、伊勢海老なしに蓬莱を飾り難し。」と、家々に調へければ、極月二十七、八日より、所々の魚の棚に買ひ上げて、唐物の如く次第にむつかしく、はや大晦日には、髭も塵もなかりけり。
 浦の苫屋の紅葉を尋ね、「伊勢海老ないか、ないか。」と言ふ声ばかり。備後町の中程に永来といへる肴屋に只一つありしを、一匁五分より付け出し、四匁八分までに望めども、「中々。当年の切れ物。」とて売らざれば、使が計らひにも成り難く、急ぎ宿に帰りて海老の高き事を申せば、親父、渋面作りて、「我一代の内に、高い物買うたる事なし。薪は六月、綿は八月、米は新酒作らぬ前、奈良晒は毎年盆過ぎて買ひ置き、年中現銀にして、勝手のよき事ばかり。この以前、父親の相果てられし時、棺桶一つ、樽屋任せに買ひかづきて、今に心がかりなり。伊勢海老が無うて年の取られぬといふ事、あるまじ。一つ三文する年、二つ買うて算用を合はすべし。『無い物喰ふ。』と言ふ年徳の神は、御座らいでも苦しうない事。四匁が四分にても、海老は沙汰のない事。」と機嫌悪し。
 されども内儀、息子と一つに成つて、「世間はともあれ、聟が初めて礼にわせて、伊勢海老なしの蓬莱が出さるるものか。何程にても、それを買へ。」と、重ねて人を遣はしければ、はや今橋筋の問屋の若い者買ひ取りて、尤も五匁八分に値段は定めたれども、「正月の祝ひの物、はしたがねは心にかかる。」と銭五百遣りて、海老取つて帰る。その後にて色々穿鑿すれども、絵に書かうも無かりき。これにつけても、この津の広き事、思ひ当たりし。
 宿に帰りてこの事を語れば、内儀は後悔らしき顔つき。親仁はこれを笑うて、「その問屋、心もとなし。追つ付け分散にあふべきものなり。内証知らずしてさやうの問屋、銀を貸しかけたる人の夢見、悪かるべし。蓬莱に海老が無うて叶はずは、後のすたらぬ分別あり。」とて、細工人に誂へて、物の見事に紅絹にて張り抜きにして、二匁五分にて出来けり。
 「正月の祝儀仕舞うて後、子どもが持ち遊びにもなるぞかし。人の智恵は、こんな事ぞ。四匁八分を二匁五分で埒を明け、しかも後の用に立つ事。」と、親仁、長談義を説かれしに、いづれも道理に詰まり、「これ程に身代持ち固めたる人の才覚は格別。」と耳を澄まして聞く所へ、この親仁の母親、裏に隠居して当年九十二なれども、目がよく足立ちて母屋へ来り、「聞けば、伊勢海老の高い穿鑿。今日までそれを買はずに置く事、さりとては気のつかぬ者どもよ。そんな事でこの世帯が持たるるものか。いつとても、年越しの春ある時は、海老が高いと心得よ。その子細は、伊勢の宮々、御師の宿々、或いは町中在々所々までも、この一国は神国なれば、日本の諸神を家々に祭るによつて、海老、何百万といふ限りも無う要る事なり。毎年京、大坂へ来るは、この神々に供へたる後の祭なり。
 「この婆は、それを考へ、この月の中頃に、髭も継がずに生まれながらのを、四文づつにて二つ買うて置いた。」と出されしに、皆々横手を打ち、「御隠居には、一つで済みますものを。二つは奢つた事。」と申せば、「こちに当てどの無い事は致さぬ。定まつて、畑午房五把、太ければ三把くるる人がある。それ程の物を返す、そこへこの海老にて、一匁が牛房、四文がもので済ます合点ぢや。今に歳暮物持て来ぬが、ここの仕合せ。
 「さりながら、いかに親子の仲でも、互の算用合ひは、きつとしたがよい。海老が欲しくば、五把持たして取りにおこしや。どの道にも牛房に替へる伊勢海老。いづれ祝ひの物に、『これが無うてもよいは。』と言うては置かれぬものぢや。欲心で言ふでは無けれども、惣じて五節句の取り遣り、先から来た物をよくよく値打ちして、それ程に見えて、少しづつ徳の行くやうにして返すものぢや。
 「毎年太夫殿から、御祓箱に鰹節一連、はらや一箱、折本の暦、正真の青苔五把。かれこれ細かに値段付けて、二匁八分が物申し請けて、銀三匁御初穂上ぐれば、高で二分余りて、御伊勢様も損の行かぬやうに、この家三十年し来つたに、そちに世を渡してから銀一枚づつ上げらるる事、いかに神の信心なればとて、言はれざる事なり。太神宮にも、算用なしに物使ふ人、嬉しくは思し召さず。そのためしには、散銭さへ一貫といふを、六百の鳩の目を拵へ置き、宮巡りにも随分物のいらぬやうにあそばしける。」
 さる程に、欲の世の中。百二十末社の中にも、銭の多きは恵比寿、大黒。多賀は「命神」。住吉の「船玉」。出雲は「仲人の神」。鏡の宮は「娘の顔を美しうなさるる神。」山王は「二十一人下々を使はさしやる神。」稲荷殿は「身代の尾が見えぬやうに守らつしやる神。」と、宮雀、声々に商ひ口を叩く。皆これ、さし当たつて耳寄りなる神なれば、これらには御初穂上げて、その外の神の前は、殊勝にて淋しき。神さへ銭儲け、只はならぬ世なれば、まして人間、油断する事なかれ。
 伊勢より例年、諸国へ旦那廻りの祝儀状、大分の事なれば、能筆に手間賃にて書かせけるに、一通一文づつにて、大晦日から大晦日まで書き暮らして、同じ事に気を尽くし、年中に二百文取る日は、一日もなし。「神前長久民安全、御祈念のため。」口過ぎのためなり。

前頁  目次  次頁

四 鼠の文づかひ

 毎年媒払ひは極月十三日に定めて、旦那寺の笹竹を「祝ひ物」とて月の数十二本貰ひて、煤を払ひての後を、取葺屋根の押さへ竹に使ひ、枝は箒に結はせて、塵も埃も{*1}捨てぬ、随分細かなる人ありける。過ぎし年は、十三日に忙しく、大晦日に煤掃きて、年に一度の水風呂を焚かれしに、五月の粽のから、盆の蓮の葉までも段々に溜め置き、「湯の沸くに違ひはなし。」とて、細かな事に気をつけて、世の費え穿鑿、人に過ぎて、利発顔する男あり。
 同じ屋敷の裏に、隠居建てて母親の住まれしが、この男産まれたる母なれば、その吝き事限りなし。塗り下駄片足なるを、水風呂の下へ焚く時、つくづく昔を思ひ出し、「誠にこの木履は、我十八の時、この家に嫁入りせし時、雑長持に入れて来て、それから雨にも雪にも履きて、歯のちびたるばかり、五十三年になりぬ。我一代は一足にて埒を明けんと思ひしに、惜しや、片足は野良犬めにくはへられ、はしたになりて、是非もなく今日煙になす事よ。」と、四、五度も繰り言を言ひて、その後、釜の中へ投げ捨てられ、今一つ何やら物思ひの風情して、涙をはらはらとこぼし、「世に月日のたつは夢ぢや。明日は、そのむかはりになるが、惜しい事をしました。」と、暫し歎きの止み難し。
 折節、近所の医者、水風呂に入られしが、「まづ以てめでたき年の暮なれば、御歎きをやめさせ給へ。してそれは、元日にどなたの御死去なされた。」と尋ねられしに、「いかに愚痴なればとて、人の生死をこれ程に歎く事では御座らぬ。私の惜しむは、去年の元日に堺の妹が礼に参つて、年玉銀一包みくれしを、何程か嬉しく、恵方棚へ上げ置きしに、その夜盗まれました。そもや、勝手知らぬ者の盗る事では御座らぬ。その後、色々の願を諸神にかけますれども、その甲斐もなし。
 「又、山伏に祈りを頼みましたれば、『この銀、七日の内に出ますれば、壇の上なる御幣が動き、御灯が次第に消えますが、大願の成就せししるし。」と言ひける。案の如く、祈り最中に御幣ゆるぎ出、灯し火幽かになりて消えける。『これは、神仏の事、末世ならず。有り難き御事。』と思ひ、御初穂百二十上げて、七日待てどもこの銀は出ず。
 「さる人に語りければ、『それは、盗人におひといふものなり。今時は仕かけ山伏とて、さまざま護摩の壇にからくり致し、白紙人形に土佐踊りさすなど、この前、松田といふ放下師がしたる事なれども、皆人、賢過ぎて、結句、近き事にはまりぬ。その御幣の動き出るは、立て置きたる岩座に壺ありて、その中に泥鰌を生け置きける。珠数さらさらと押し揉んで、東方に、西方にと、独鈷、錫杖にて仏壇をあらけなく打てば、泥鰌がこれに驚き、上を下へと騒ぎ幣串に当たれば、暫く動きて、知らぬ目からは恐ろし。又、灯明は、台に砂時計を仕くはし、油を抜き取る事ぞ。』と。この物語を聞くから、いよいよ損の上の損を致した。我、この年まで銭一文落とさず{*2}暮らせしに、今年の大晦日は、この銀の見えぬ故、胸算用違ひて、心がかりの正月を致せば、よろづの事面白からず。」と、世の外聞も構はず、大声上げて泣かれければ、家内の者ども興をさまし、「我々、疑はるる事の迷惑。」と、心々に諸神に祈誓をかけける。
 大方、煤も掃き仕舞ひて、屋根裏まで改めける時、棟木の間より杉原紙の一包みを探し出し、よくよく見れば、隠居の尋ねらるる年玉銀に紛れなし。「人の盗まぬ物は出まするぞ。さる程に憎い鼠め。」と言へば、お婆、中々合点せられず。
 「これ程遠ありき致す鼠を見た事なし。頭の黒い鼠のわざ。これからは油断のならぬ事。」と、畳叩きてわめかれければ、医師、水風呂より上がり、「かかる事には、古代にもためしあり。人皇三十七代孝徳天皇の御時、大化元年十二月晦日に、大和の国岡本の都を難波長柄の豊崎に移させ給へば、和州の鼠も連れて宿替しけるに、それぞれの世帯道具をば運ぶこそ可笑しけれ。穴をくろめし古綿、鳶に隠るる紙衾、猫の見付けぬ守り袋、鼬の道切る尖り杭、桝落としのかい詰め、油火を消す板切れ、鰹節引くてこ枕、その外、嫁入りの時の熨斗、ごまめの頭、熊野参りの小米苞まで、二日路ある所をくはへて運びければ、まして隠居と母屋、わづかの所。引くまじき事にあらず。」と、年代記を引いて申せど、中々同心致されず。
 「口賢くは仰せらるれども、目前に見ぬ事は誠にならぬ。」と申されければ、何ともせん方なく、やうやう案じ出し、長崎水右衛門が仕入れたる鼠使ひの藤兵衛を雇ひに遣はし、「只今あの鼠が、人の言ふ事を聞き入れて、さまざまの芸尽くし。若い衆に頼まれ、恋の文づかひ。」と言へば、封じたる文くはへて、後先を見廻し、人の袖口より文を入れける。又、銭一文投げて、「これで餅買うて来い。」と言へば、銭を置いて餅くはへて戻る。
 「何と何と。我を折り給へ。」と言へば、「これを見れば、鼠も包みがねを引くまじきものにあらず。さては、疑ひ晴れました。さりながら、かかる盗み心のある鼠を宿しられたる不祥に、まん丸一年、この銀をあそばして置きたる利銀を、きつと母屋から済まし給へ。」と言ひがかり、一割半の算用にして、十二月晦日の夜請け取り、「本の正月をする。」とて、この婆、一人寝をせられける。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「ほこりすてぬ」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「落さずにくらせしに、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

↑このページのトップヘ