江戸期版本を読む

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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂新註世間胸算用(1934刊)

一 銀一匁の講中

 「人の分限になる事、仕合せ。」と言ふは言葉。誠は、面々の智恵才覚を以て稼ぎ出し、その家栄ゆる事ぞかし。これ、福の神の恵比寿殿のままにもならぬ事なり。
 大黒講を結び、当地の手前よろしき者ども集まり、諸国の大名衆への御用銀の貸し入れの内談を、「酒宴遊興よりは増したる世の慰み。」と思ひ定めて、寄合座敷も色近き所を去つて、生玉下寺町の客庵を借りて、毎月身代詮議にくれて、命の入り日傾く老体ども、後世の事は忘れて、只利銀の重なり富貴になる事を楽しみける。
 世に金銀の余計ある程、よろづにつけてめでたき事、外になけれども、それは二十五の若盛りより油断なく、三十五の男盛りに稼ぎ、五十の分別盛りに家を納め、惣領に万事を渡し、六十の前年より楽隠居して、寺道場へ参り下向して、世間向きのよき時分なるに、仏とも法とも弁へず、欲の世の中に住めり。死ねば、万貫持つても帷子一つより、皆浮世に残るぞかし。この寄合の親仁ども、二千貫目より内の分限、一人もなし。
 又、近年我々が働きにて、わづかなる身代の者ども、金銀を仕出し、二百貫目、三百貫目、或いは五百貫目までの銀持ち、二十八人語らひ、一匁講といふ事を結び、毎月宿も定めず、一匁の仕出し飯を誂へ、下戸も上戸も酒なしに、遊び事にも始末第一、気の詰まる穿鑿なり。朝から日の暮るるまで、余の事なしに身過ぎの沙汰。中にも、貸し銀の慥かなる借り手を吟味して、一日も銀を遊ばさぬ思案を巡らしける。
 この者どもが手前よろしくなりける初め、利銀取り込みての分限なれば、今の世の商売に、銀貸し屋より外によき事はなし。然れども、今程は見せかけのよき、内証の不埒なる商人、大分借り込み、拵へて倒れければ、思ひも寄らぬ損をする事、度々なり。されども、人を気遣ひして金銀借さずにも置かれず。
 「随分内証を聞き合はせ、この仲間は互に様子を知らせ、向後は貸し入れを致すべし。」「いづれも、かく言ひ合はすからは、出し抜きに合はし給ふな。」「さあらば、各々心得のために、当地で定まつて銀借る人を一人一人書き出し、細かに詮議して見るべし。」「これ、尤もなり。」「まづ、北浜で何屋の誰、財宝諸色かけて、七百貫目{*1}の身代。」と言ひ出れば、「その見立ては格別。八百五十貫目の借銀。」と言ふ。この有り無しの相違に、一座の衆中、肝を潰し、「ここが大事の穿鑿。両方の思し召し入れ、篤と承り、人々の心得のため。」とぞ聞きける。
 「まづ、分限と見たる所は、去々年の霜月に、娘を堺へ縁組せしに、諸道具、今宮から長町の藤の丸の膏薬屋の門まで続きし後から、十貫目入り五つ、青竹にて揃への大男にさし担はせ、そのまま御祓ひの渡る如し。外にもあまたの男子あれば、余計なくて娘に五十貫目は付けまいと思ひまして、嫌と言ふものを、無理にこの三月過ぎに二十貫目預けました。」と言はるる。「さてさてお笑止や。その二十貫目が、一貫六百目ばかりで戻るで御座ろ。」と言へば、この親仁、顔色変はつて、箸持ちながら集め汁喉を通らず。「今日の寄合に口惜しき事を聞きける。」と、様子を聞かぬ内から涙をこぼされける。
 「とてもの事に、その内証が聞きたし。」「されば、その聟殿方も、よくよくせはしければこそ、芝居並の利銀にて何程でも借らるるなり。この利をかきて、芝居の外、何商売して胸算用が合ふと思し召すぞ。十貫目箱一つは、金物まで打つて三匁五分づつ、十七匁五分で箱五つ。中には世間に沢山なる石瓦。人の心ほど恐ろしきものは御座らぬ。両方の外聞、見せかけばかりに内談と存ずる。我らは、その箱を開けて、正真の丁銀にしてから、誠には致さぬ。あの身代の敷銀は、二百枚も過ぎもの。拵へなしに五貫目。何と各々、我らが沙汰する所が違うたか。まづ、あれには一両年、二貫目ばかり預けて見て、それに別の事なくば、又四貫目程、五、六年も貸して、慥かなる事を見届けての二十貫目。」と言へば、一座、「これ、尤も。」と同音に申す。
 段々理に詰まつてこの親仁、帰りには足腰立たずして歎き、「我、この年まで人の身代見違へし事のなきに、この度は不覚なる事を致しました。」と男泣きにして、「何とぞ御分別はないか、ないか。」とあれば、時に、最前の世智賢き人の言ふは、「千日千夜御思案なされても、この銀子、無事に取り返す工夫は、只一つより外になし。この伝授、上々の紬一疋ならば、慥かに取り返して進上申す。」と言へば、「それはそれは、中綿まで添へまして御礼申さう。何とぞ頼む。」と言ふ。
 「然らば、只今までより懇ろに仕かけ、天満の舟祭が見ゆるこそ幸ひなれ。『浜にかけたる桟敷へ、女房どもをおこして見せたし。』と、二十五日にお内儀を遣りて、先のかかとしみじみと{*2}内証を語らせ、一日遊ぶ内に、男子どもが馳走に出るは、知れた事ぢや。時に、二番目の息子が生まれつきを褒め出し、『賢さうなる眼差し。こなたの御子息にしては、御心に掛けさしやるな、鳶が孔雀を産んだとはこの子の事、玉のやうなる美人。近頃押し付けたる所望なれども、私、貰ひまして聟に致します。酒一つ過ごしまして言ふでは御座らぬ。我らが子ながら、これ、娘も十人並よ{*3}。その上に親仁の一人子なれば、五十貫目付けて遣るとは常々の覚悟。又、我らが私金三百五十両。長堀の角屋敷、捨て売りにしても二十五貫目が物。してから袖も通さぬ衣裳六十五。一人の娘より外に遣る者が御座らぬ。これが、こちの聟殿。』と、思ひ入りたる顔つきして、これを言葉の初めにして、その後、折節少しづつ物を遣れば、返しを請け、これ以て損の行かぬ事。
 「それよりよい程を見合はせ、雇ひに遣はし、銀掛くる傍に置きて数を読ませ、刻印を打たせ、内蔵へ運ばせなどして、一日使うて帰し、その後、先の身になる人を見立て、ひそかに呼びに遣はし、『その人の二番目の子を、女房どもが何と思ひ入りましたやら、是非にと望みます{*4}。急がぬ事ながら、ついでもあらば、この方の娘を貰うても下さるか、尋ねて{*5}下され。こなたへ取り繕うて申す事も御座らぬ。銀千枚は、いづ方へ遣りますとても、その心得。』と云ひ渡し、先へ通じたと思ふ時分に、『内々の預け銀、入用。』と申し遣はせば、欲から才覚して済ます事、手に取つたやうなり。この仕かけの外あるまじ。」と言ひ教へて別れける。
 その年の大晦日に、かの親仁、門口より笑ひ込み、「御蔭御蔭、御蔭にて右の銀子、元利共に{*6}二、三日前に請け取りました。こなたのやうなる智恵袋は、銀貸し仲間の重宝重宝。」と頭を叩き、「さて、その時は紬一疋とは申せしが、これにて御堪忍あれ。」と、白石の紙子二反差し出して、「中綿は春の事。」と言ひ捨て帰りける。

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校訂者注
 1:底本は、「七貫目」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「しみ(二字以上の繰り返し記号と濁点)内証を」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「十人並に、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 4:底本は、「望みまいらす、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 5:底本は、「たづねくだされ、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 6:底本は、「元利とも二三日前」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

二 嘘も只は聞かぬ宿

 万人共に月代剃つて髪結うて、衣裳着替へて出た所は、皆正月の景色ぞかし。人こそ知らね、年の取りやうこそ様々なれ。
 内証の、とても埒の明かざる人は、買ひがかり、万事一軒へも払はぬ胸算用を極め、大晦日の朝飯過ぎると否や、羽織脇差差して、機嫌の悪い内儀に、「ものには堪忍といふ事がある。少し手前取り直したらば、駕籠に乗せる時節も又あるものぞ。夕の鴨の残りを酒煎りにして喰やれ。掛けどもを集めて来たらば、まづそなたの宝引き銭一貫のけて置いて、あり次第に払うて、ない所はままにして、掛乞ひの顔を見ぬやうに、こちら向きて寝て居やれ。」と口早に言ひ捨てて出て行く。商人、何として身代続くべし。一日一日物の足らぬ拵へ、己も合点ながら、俄に分別もなり難し。こんな者の女房になる事、世の因果にて、子を持たぬ内に年を寄らしける。
 一銭も大事の日、鼻紙入れに一歩二つ三つ、豆板三十目ばかりも入れて、かかりのない茶屋に行きて、「ここにはまだ、え仕舞はぬかして、取り乱したる書き出し、千束の如し。これ皆一つにしてから、高で二貫目か三貫目。人の家には、それぞれの物入り。我らが所は、呉服屋へばかり六貫五百目。物好き過ぎたる奥様に迷惑致す。さらりと暇あけて、この入り目を女郎狂ひに致すで御座る。
 「さりながら、去られぬ事は、三月から御腹にありて、日もあるに今朝から気がつきて、今日生まるるとて、生まれぬ先の襁褓定め。乳母を連れて来るやら、三人四人の取り上げ婆。旦那山伏が来て、変生男子の行ひ。千代の腹帯、子安貝。左の手に握るといふ海馬を才覚するやら、不断医者は次の間に鍋を仕かけ、早め薬の用意。何に要る事ぢややら、松茸の石突きまで取り寄せて、姑が来て世話を焼く。さてもさてもやかましい事かな。されども、『こなたは内に御座らぬもの。』と言ふを幸ひに、ふらふらとここへ御見舞ひ申した。
 「我らが身代知らぬ人は、もしは借銭乞はれて出違ふかと思ふもあれば、気味が悪い。この島中に一銭も差し引き無しの男。殊に現銀にて子のできるまでの宿を貸し給ふか。ここの肴掛けの鰤が小さくて、我ら気にいらぬ。早々買ひ給へ。」と一角投げ出せば、「これは嬉しや。亭主に隠しまして、欲しき帯よ帯よ。」と笑ひ、「この年の暮には、心よき御客の御出。来年中の仕合せ{*1}は知れた事。さて台所は、余り洒落過ぎました。ちと奥へ。」と申す。「馳走も常に替はりて数寄。合点か。」と言ふ。樽の酒の燗するも可笑し。その後、かかは畳占置きて、「三度まで致して同じ事。御男子様に極まりました。」と、かかが推量と客の跡形もなき嘘と一つになりける。
 遊び所の気散じは、大晦日の色三味線、誰憚らぬ投げ節。歎きながらも月日を送り、今日一日に長い事。心に物思ふ故なり。常は暮るるを惜しみしに、格別の事ぞかし。女は勤めとて、心を春の如くにして、可笑しうないを笑ひ顔して、「一つ一つ行く年の悲しや。この前は、正月の来るを、羽つく事に嬉しかりしに、早十九になりける。追つ付け脇塞ぎて、かかと言はるべし。振袖の名残も今年ばかり。」と言ふ。この客、悪い事には覚え強く、「汝、この前、花屋に居し時は、丸袖にて勤め、京で十九と言うた事、大方二十年に{*2}余る。穿鑿すれば、三十九の振袖。浮世に何か名残あるべし。小作りに生まれ付きたる徳。」と、頭押さへて昔を語れば、この女、「許し給へ。」と手を合はせ、気の詰まる年穿鑿やめて、打ち解けて夢結ぶ内に、この女の母親らしき者の来て、ひそかに呼び出し、一つ二つ物言ひしが、「何の事はない。これが顔の見納め。十四、五匁{*3}の事に身を投げる。」と言ふ。
 この女、涙ぐみて、今まで上に着たる郡内縞の小袖を風呂敷包みに、手廻し早くして親に渡す有様、いかにしても見かねて、また一角取らせて戻し、心面白う声高に物言ふを聞き付け、若衆の草履取りめきたる者二人、付け込みて、「旦那、これに御座ります。御宿へ今朝から四、五度も参れど、御留守は是非なし。御目にかかるこそ幸ひ。」と、何やら詰め開きして後、銀あり次第、羽織、脇差、着る物一つ預かり、「あとは正月五日までに。」と言ひ捨てて帰る。このお客、首尾悪しく、「人に言ひ掛けられて合力せねばならず。とかく節季に出ありくが悪い。」と、これにも分別顔して、夜の明け方にここを帰る。
 「たはけと言ふは、少し脈がある人の事。」と、笑うて果たしける。

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校訂者注
 1:底本は、「御客の御出来、年中の仕出は」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「二十年あまる、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「十四匁」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

三 尤も始末の異見

 所務分けの大法は、例へば千貫目の身代なれば、総領に四百貫目、居宅に付けて渡し、二男に三百貫目、外に家産敷を調へ譲り、三男は百貫目付け、他家へ養子に遣はし、もし又娘あ
れば、三十貫目の敷銀に、二十貫目の諸道具拵へて、我が相応より軽き縁組良し。昔は四十貫目が仕入れして、十貫目の敷銀せしが、当代は銀を呼ぶ人心なれば、塗り長持に丁銀、雑長持に銭を入れて送るべし。
 少し娘子は、蝋燭の火にては見せにくい顔にても、三十貫目が花に咲きて、「花嫁様。」ともてはやし、「何が手前者の子にて、小さい時から旨い物ばかりで育てられ、頬先の握り出したる丸顔も見よし。又、額のひよつと出たも、かづきの着ぶりがよいものなり。鼻の穴の広きは、息づかひのせはしき事なし。髪の少なきは夏涼しく、腰の太きは打ち掛け小袖を不断召せば、これもよし。爪はづれの逞しきは、取り上げ婆が首筋へ取りつくためによし。」と、十難を一つ一つよしなに言ひ成し、「ここが大事の胸算用。三十貫目の銀を、慥かに六にして頂けて、毎月百八十目づつ収まれば、これで四人の口過ぎはゆるり。内儀に腰元、仲居、女物師を添へて、我が物喰ひながら人の機嫌を取る嫁子。微塵も心に如才も欲もなき御留守人。美しきが見たくば、その色里に、それに{*1}ばかり拵へて、夜でも夜中でも御座りませい。それはそれは面白うて、起き別るると七十一匁のかねの声{*2}。これはこれは面白からず。
 「つらつらおもんみるに、揚屋の酒、小盃に一盃四分づつに積もり、若衆宿の奈良茶、一盃八分づつに当たると言へり。これを気を付けて見れば、格別高いものながら、これ『土鍋の一倍{*3}。』とて、何のやうなし。義理も欠きて、恋もやめて、喰ひ逃げ大尽にあふ事多し。さながら、それとて乞ひ難く、その客、死に分にして、さらりと帳を消し置きて、『おのれ、後の世に餓鬼となり、料理好みして喰うた煎り鳥も杉焼も、くわつくわつと燃え上がりて目に恐ろしく、飯代済まさぬ事、思ひ知るべし。』と、亭主は火箸にて火鉢叩きて恨みける有様、飛騨嶋の羽織貰うた時の顔つきに引き替へて恐ろし。
 「惣じて遊興も、よい程にやむべし。仕舞ひの見事なるは稀なり。これを思へば、面白からずとも堪忍をして、我がうちの心安く、夜食は冷飯に湯豆腐干肴有り合ひに、借家の親仁に板倉殿の瓢箪公事の咄をさせ、断りなしに高枕して、腰元に足の指を引かせ、茶は寝ながら内儀に持たせ置きて、手も出さずに飲みけれども、面々の竃将軍、このうちに続く強者なければ、誰か外より咎むる人なく、楽しみはこれで済む事なり。
 「『旦那、うちに居らるる。』とて、表の若い者どもも、八坂へ出かくる無分別をやめ、又、御池あたりの奉公人宿へ忍びの約束も、おのづからとまりて、只は居られず、江戸状どもをさらへ、失念したる事どもを見出し、主人の徳の行く事あり。すたる反古、こよりに捻る丁稚は、又内方へ聞こゆるほど手本読みて、手習ひするは、その身の徳なり。宵寝の久七も、鰤包みたる菰を解きて銭さしを綯へば、竹は、『朝手廻し悪しき。』とて蕪菜揃へける。御物師は、日野絹のふしを一日仕事ほど取りける。猫さへ眼三寸俎板を見抜き、肴掛けごとりとしても、声を出して守りける。
 「旦那一人、宿に居らるる徳、一夜にさへ何程か。まして年中に積もりては、大分の事ぞかし。少し御内儀、気にいらぬ所あらうとも、そこを了簡し給ひて、『分け里は皆嘘。』とさへ思へばやむもの。ここ見つくる若世の治まる所。」と、京都のものに馴れたる仲人口にて、節季の果てに長物語。耳の役に聞きても悪しからぬ事なり。
 さる程に、今時の女、見るを見真似によき色姿に風俗を写しける。都の呉服棚の奥様と言はるる程の人、皆遊女に取り違へる仕出しなり。又、手代上がりの内儀は、おしなべて風呂屋者に生き写し。それより横町の仕立て物屋、縫ひ箔屋の女房は、そのまま茶屋者の風儀にて、それぞれに身代ほどの色を作りて可笑し。
 詮議して見るに、傾城と地女に、別に変はつた事もなけれども、第一、気が鈍で、物がくどうて卑しい所があつて、文の書きやうが違うて、酒の呑みぶりが下手で、歌唄ふ事がならいで、衣装つきが取り広げて、立ち居が危なうて、道中が腰がふらふらとして、床で味噌塩の事を言ひ出して、始末で鼻紙一枚づつ使うて、伽羅は飲み薬と覚えて、よろづに気の詰まるばかり。「髪頭は大方似たもの。」と言へば、同じ事に言ふも愚かなり。
 女郎狂ひする程の者に、うときは一人もなし。その賢き奴が、この儲け難い金銀を、乞ひ詰めらるる借銀、目安付けられし預かり銀の方へは済まさずして、大分物入りの正月を請け合ひ、万事の入用を、はや師走十三日に、「事初め。」とて遣はしける。よくよく面白ければこそなれ。ここは分別の外ぞかし。
 烏丸通り歴々の兄弟に、有り銀五百貫目づつ譲り渡されけるに、弟は次第に仕出し、「程なく二千貫目。」と一門の内から指す程なるに、兄は譲り請けて四年目の大晦日に、「天道は人を殺し給はず。今宵月夜ならば、昔を思ひ出して、これが売りに歩かるるものか。闇で手管が成る事。」と、紙子頭巾深々とかぶり、山椒の粉、胡椒の粉を売り廻りて、悲しき年を取り、心うかうかと丹波口まで行く内に、夜は明け方になりぬ。世にある時の朝込み、思ひ出してぞ帰りし。

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校訂者注
 1:底本は、「そればかり」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「かね声」。『近代日本文学大系 第3巻』(1927)に従い改めた。
 3:底本は、「一盃」。底本頭注「諺。一盃は一倍の誤。」とあるのに従い改めた。

四 門柱も皆かりの世

 惣じて、ものに馴れてはもの怖ぢをせぬものぞかし。
 都の遊び所島原の入口を、小唄に歌ふ朱雀の細道といふ野辺なり。秋の田の稔る折節、諸鳥を脅すために案山子を拵へ、古き編笠を着せ、竹杖をつかせ置きしに、鳶烏も不断焼印の大編笠を見付けて、「これも供なしの大尽。」と思ひ、少しも驚かず。後は、笠の上にもとまり、案山子を粋ごかしに合はせける。
 されば、世の中に借銭乞ひに出会ふ程、恐ろしきものは又もなきに、数年負ひつけたる者は、大晦日にも出違はず。「昔が今に、借銭にて首切られたるためしもなし。あるもの遣らで置くではなし、遣りたけれども、ないものはなし。思ふままなら、今の間に銀のなる木を欲しや。さても、蒔かぬ種は、はえぬものかな。」と、庭木の片隅の日の当たる所に、古筵を敷き、包丁、まな箸の、切り刃を研ぎ付けて、「折角、錆落としてから、小鰯一疋切る事にはあらねども、人の気は知れぬもの。今にも俄に腹の立つ事が出来て、自害する用にも立つ事もあるべし。我、年積もつて五十六、命の惜しき事は無きに、中京の分限者の腹脹れどもが、因果と若死しけるに、我らが買ひがかり、さらりと済ましてくれるならば、氏神稲荷大明神も照覧あれ。偽りなしに腹かき切つて、身替はりに立つ。」と、そのまま狐憑きの眼して、包丁取り廻す所へ、唐丸、嘴鳴らして来る。
 「おのれ、死出の門出に。」と細首打ち落とせば、これを見て掛け乞ひども、肝を潰し、「無分別者に言葉質取られては、むつかし。」と、一人一人帰りさまに、茶釜の先に立ちながら、「あんな気の短い男に添はしやるお内儀が、縁とは申しながら、いとしい事ぢや。」と、各々言ひ捨てて帰りける。これ、ある手ながら、手の悪い節季仕舞ひなり。何の詫び言もせずに、さらりと埒を明けける。
 その掛け乞ひの中に、堀川の材木屋の小者、いまだ十八、九の角前髪、しかも弱々として、女のやうなる生まれ付きにて、心の強き所ある若い者なりしが、亭主が脅し仕かけの内は、構はず竹縁に腰掛けて、袂より珠数取り出して、一粒づつ繰りて、口の中にて称名唱へて居しが、人もなく、事静まつて後、「さて、狂言は果てたさうに御座る。私方の請け取つて帰りましよ。」と申せば、「男盛りの者どもさへ了簡して帰るに、おのれ一人あとに残り、物を子細らしく、人のする事を狂言とは。」「この忙しき中に、無用の死にてんがうと存じた。」「その詮議、いらぬ事。」「とかく、取らねば帰らぬ。」「何を。」「銀子を。」「何者が取る。」「何者取るが、我らが得物。
 「傍輩あまたの中に、人の手に余つて取り難い掛けばかりを二十七軒、私、請け取り、この帳面、見給へ。二十六軒取り済まして、ここばかり取らでは帰らぬ所。この銀済まぬ内は、内普請なされた材木は、こちの物。さらば取つて帰らん。」と、門口の柱から大槌にて打ち外せば、亭主駆け出で、「堪忍ならぬ。」と言ふ。「これこれ、そなたのもがり、今時は古し。当流が合点参らぬさうな。この柱外して取るが、当世の掛けの乞ひやう。」と、少しも驚く気色なければ、亭主、何ともならず、詫び言して、残らず代銀済ましぬ。
 「銀子請け取つて申し分はなけれども、いかにしても、こなたの横に出やうが古い。随分物にかかり者が、それでは御座らぬ。お内儀によくよく言ひ含めて、大晦日の昼時分から夫婦いさかひ仕出し、御内儀は、着る物を着替へ、『この家を出て行くまいでは御座らぬ。出て行くからは、人死にが二、三人もあるが、合点か。大事ぢやぞ、そこな人。是非去ねか。去なずに。去んで見しよ。」と言はるる時、「何とぞ借銀も為して{*1}、後々にて人にも言ひ出さるるやうに。人は一代、名は末代、是非もない事。今月今日、百年日。さてさて、口惜しい事かな。』と、何でも要らぬ反古を、大事の物のやうな顔つきして、一枚一枚引き裂いて捨つるを見ては、いかなる掛け乞ひも、暫しは居ぬもので御座る。」と言へば、「今までこの手は出しませなんだ。御蔭によつて、来年の大晦日は女房ども、これで済ます事ぢや。さてもさても、こなたは若いが、思案は一越し越した年の暮。互の身祝ひなれば。」とて、最前の鶏の毛を引きて、これを吸ひ物にして、酒盛りて帰して後、「来年の事までもなし。毎年、夜更けてから、難しい掛け乞ひども来るぞ。」とて、俄にいさかひを拵へ置き、よろづの事を済ましける。
 誰が{*2}言ふともなく、後には「大宮通りの喧嘩屋。」とぞ言へり。

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校訂者注
 1:底本は、「なしで、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「誰いふ」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

一 都の顔見世芝居

 今日の三番叟、「所繁昌。」と舞ひ納め、天下の町人なれば、京の人心、何ぞといふ時は大気なる事、これ誠なり。これ、常に胸算用して、随分始末のよき故ぞかし。
 過ぎし秋、京都に於いて加賀の金春、勧進能を仕りけるに、四日の桟敷、一軒を銀十枚づつと定めしに、皆借り切つて空きどなく、しかも能より前に銀子渡しける。「この度、大事ある関寺小町する。」と言へば、「これ、一番の見物。」と諸人勇みて鼻笛を吹きけるに、鼓に障る事ありて、関寺の能組変はりぬ。それさへ木戸口は夜の内に、見る人、山の如し。
 中にも江戸の者、我一人見るために、銀十枚の桟敷を二軒取りて、猩々皮の敷物。道具置きの棚を吊らせ、腰屏風、枕箱。その後ろに料理の間。様々の魚鳥、髭籠に折節の水菓子。次の{*1}桟敷に風炉釜を仕かけ、割蓋の杉手桶に「宇治橋」「音羽川」と書付して並べ、医者、呉服屋、儒者、唐物屋、連歌師など入りまじり、その後ろの方には島原の揚屋、四條の子供宿、都に知れたる末社、按摩取り、兵法使ひの浪人まで控へたり。
 桟敷の下は供駕籠、仮湯殿、仮雪隠。何にても不自由なる事一つもなきやうに拵へ、栄花なる見物。この心は何となく豊かなり。この人、大名の子にもあらず、只金銀にてかく成る事{*2}なれば、何につけても銀儲けして、心任せの慰みすべし。かかる人は、あとの減らぬ分別しての楽しみ深し。身代さもなき人、霜先の金銀、あだに遣ふ事なかれ。
 九月の節句過ぎより大暮までは、遠い事のやうに思ひ、万人渡世に油断をする事ぞかし。十月初めより日和定め難く、時雨、凩の激しく、人の気もこれにつれて、おのづから騒々しく、諸事を「春の事。」とて延ばし、当分の賄ひばかりに暮れければ、華奢商ひ、諸職人の細工も、思案替はりてやめける。次第に朝霜、夕風、人皆冬籠りの炬燵に宵寝して、それぞれの家業、外に成り行き、さし詰まりて迷惑する事なり。その後、法華寺{*3}の御影供、浄土宗の十夜談義、東福寺の開山忌参り、一向宗の御取越し、又は亥の子の祝儀に夜の遊び。
 稲荷の御火焼の頃、河原の役者入り替はりて、顔見世芝居の時分は、同じ人また珍しく、見る人も又浮き立ち、「今日はその座元。明日はこの太夫元。その次は、誰が座に大坂の若衆方が出る、」など沙汰して、水茶屋よりかねて桟敷取らせ、内証より近付きの芸者に花を取らせ、「旦那、御出。」と言はるるまでの外聞に、無用の気を張りける。提げ重酒が取りのぼして、我が宿へはすぐに帰らず、石垣町の二階座敷に{*4}切り狂言の踊りを移し、王城の辰巳上がりなる声して、叡山へも響き渡る程の騒ぎ。京に人も見知る程の者にして、「あれは{*5}誰様の呉服所。」「どなたの掛屋。」など言ふさへ、悪所の騒ぎは奢りらしく見えける。ましてや、はした銀の商売人、たとへ気延ばしに芝居見るとも、隣に煙草呑まぬ所を見済まし、円座借りて見て、役者、若衆の名覚えぬものか。
 与次兵衛が顔見世の初日に、左方の二軒目の桟敷に、勘当切らるる事など構はぬ顔つきの若い者、五、六人も風俗作り、芸子に目を使はせ、下なる見物にけなりがらせける。この若い者ども見知れる人ありて、評判するを聞けば、「内証知らぬ事。皆川西の奴らなり。中京の衆と同じ事に、大きな顔が可笑しい。知らぬ人は、『歴々か。』と思ふべし。
 「黒い羽織の男は、米屋へ入り縁して、欲ゆゑの老女房、年の十四、五も違ふべし。母親には二斗入りの唐臼を踏ませ、弟には空豆{*6}売りに歩かせ、白柄の脇差が措いて貰ひたい。
 「その次の玉虫色の羽織は膠屋を、どこの牛の骨やら知らいで人のかぶる衣裳つき。家は質に入れて、借銀{*7}に目安付けられ、東隣へは無理言ひかかつて際目論も済まぬに、遊山に出るは気違ひの沙汰なり。
 「三番目の銀煤竹の羽織着たる男は、利をかく銀を五貫目借りて、それを敷銀にして、家具塗師の所へ養子に行きて、後家親を侮り、養父の死なれ三十五日もたたぬに芝居見る事、作法に外れたる男め。米、薪はその日その日に当座買ひの身上して、酒の相手に色子ども。可愛や、神ならぬ身の浅ましさは、銀なる客と思ふべし。いかないかな、この四、五年、買ひがかり済ましたる事なし。
 「あの中に染縞の羽織着たる男、小さき銭店出して居けるが、兄に三井寺の出家を持ちけるが、これから合力請けて、そこそこにも行く先の年を越すべきか。その外に一人も京の正月する者はあるまじ。」と指さして笑へば、羨ましがるかと思ひ、かい敷の椿、水仙花に金柑二つ三つ、延紙に包みて投げ越しける。開けて見て又笑ひて、「本客ならば、この金柑一つが銀払ひ時、二分づつにもなるべきに、皆喰はれ損になるは知れた事。」と言ひ捨てて、芝居は果てて立ち帰りける。
 その後、毎日の河原通ひに、同じ着物に色も替はらぬ羽織に、色茶屋気を付けて銀の事申せど、分けも立てず道切つて来ざりければ、催促するに甲斐なく、程無う大晦日になりて、一人は、「夜抜け古し。」とて昼抜けにして行き方知れず。又一人は、狂人分にして座敷牢。又一人は、自害し損なひて穿鑿半ば。最前引き合はしたる太鼓持は、「盗人の請けに立ちける。」とて、町へ厳しき断り。茶屋は取り付く島もなく、夢見の悪い宝舟、尻に帆かけて逃げ帰り、かねての算用には十五両の心当て、預け置かれし編笠三蓋残りて、大晦日のかづき物とぞ成りける。

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校訂者注
 1:底本は、「次に桟敷」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「かく成なれば、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「法華宗の」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 4:底本は、「二階座敷の」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 5:底本は、「者にしてあれば、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 6:底本は、「それ豆」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 7:底本は、「借銭」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。

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