娘盛りの散り桜
【本文】
大和の国吉野の里に内裏雛を立て、娘友達集まり、弥生の節句遊び。菱の餅、桃の酒を贈れば、返す袂の色映えて、人は育ちにて形の見よげなるぞかし。
ここに住み馴れて、晒し葛屋の彦六と言へる人あり。家栄えて何事に不足もなし。雑書の通り、娘の子ばかり五人、いづれも生まれ付きて美しく{*1}、女は仕合せの様なり。
惣領、お春と言へるを、その里のよろしき方へ貰はれ、縁組の間もなく懐胎の身となれば、日を数へ月を繰り、産まれぬ先、乳乳母を定め、鶴亀の付きし小袖を拵へ、夜更けて松吹く風の戸に訪るるをも、「その事か。」と母の親、目も合はず気遣ひせしに、悲しや、腹痛みて身を悩み、五、七日も憂き目を見せし。常々、子安の地蔵に祈り、腹帯の明神に宿願かけし甲斐もなく、惜しや、命。十六の卯月一日{*2}の明け方に、無常鳥の鳴き出し、親兄弟に深く歎かせ、なほ袖の雨降り続き、五月の頃まで思ひに沈みしを、「世には、一人の子を失ふもあるに、いまだ数ある事なれば、愁へを晴らせ。」と、道理をよく考へし人に諌められて、思ひ流する吉野川、「泡の消ゆる習ひ。」と、それが事を忘れ。
その次の娘お夏、程なく十六になりて、しかも風俗、姉に見まさりて、かれこれ焦がるる中に、この所の庄屋を捌き、婿にしても苦しからぬ方へ契約して、諸道具拵へしが、「当年は十六。姉が事を思へば、吉凶悪しき。」とて、その年を延べて、十七の正月に祝言取り急ぎけるに、これも懐妊して月を重ね、姉が如く、持ち籠りにして果てける。「いかなる因果ぞ。」と二親、これを悔やむ事限りなく、野辺の送りせし時、さる人のさし出て言へり。「かくある死人は、左鎌を打たせ、その身二つになさでは浮かむ事なく、後の世、覚束なし。」と言ふにぞなほ悲しく、沐浴、その通りに念仏講中を頼みける。女の身程、はかなきはなかりき。
されども、「世上に住む習ひ。」とて、次第に後を忘れて、又、三番目の娘お秋と言ひしも、はや十五歳になりぬ。とりわき綺麗なる形。心ざしも、やさかたに情け深し。近所の人々取り持ちて、「由ある人の子どもに美男なるを、入り縁に取らせ、思ひ晴らしに。」と言はれけるに{*3}、何事をも打ち任せて、その男子を養ひ、程なく家督を譲り、夫婦一度に法体して、「世の楽と言ふ事、今ぞ。」と嬉しく、尊き寺へ参り下向の道に暮らしける。明くれば入り婿、孝を尽くし、遠き海魚をかかる山家に{*4}調へ、せはしき事は、よその吹く風に聞きなし、雪にも焚き火して、冬なき国の守をも恐れず。
この上に願ひもなかりしに、いつの頃よりか、お秋、青梅を好けるにぞ、度々懲りてうたてく、諸神に祈誓をかけ、「平産は身の養生、これを大事。」と、事に慣れたる婆を雇ひ、腹帯の締め加減、庭働きに身をこなし、腰を少しも冷やさず、目通りより高く手を上げさせず、寝姿も足を伸ばさず、頭は関枕にてとどめ、身を固むるに残る所なく、喰ひ物をも改め、産み月を待ちけるに、これも五体をもだえ、十日ばかりも憂き事にあひて、眠る如くに息絶え、さりとては外聞もよろしからず。不憫は外になりて、死骸に重なり、「夫婦自害。」と見えしを、各々取り付き、色々言葉を尽くし、至極の異見を聞かせ、思ひとどまりて後。
三十五日も経つを待ち兼ね、「四番目の娘、お冬をすぐにめ合はせし給へ。」と言へば、二人の親、「万事は人々の御料簡は洩れじ。」と。「何とぞ我々には聞かせ給はずとも、この首尾頼む。」と{*5}。先立ちし三人の娘のため、仏を尊み僧を供養し、着馴れし小袖の、皆々脇さへ塞がざりしを、幡、天蓋に縫はせ、「かかる歎きの又もあるべきか。」と、涙は袖行く水に経木を書いて、流れ濯頂を立て、親の身の子を弔ふは、さかさま川に沈みて死なれぬ命の辛く。
お冬{*6}に縁組の事、各々言ひも果てぬに、声を上げて泣き出し、涙片手に挟箱の蓋を開けて、麻の衣の墨染、浄土珠数を取り出し、「自らが縁は、仏様に結ぶ心ざしなり。この度の愁への無き内から、夢幻と思ひ定めし世の中。姉様達の跡をも訪ふべしと願ひしに、この宿を出兼ね、又もや憂き目を見じ。乱れ心の黒髪ある故。」と手づから切るを、やうやうにとどめ、「さもあれば、親の不孝の第一なり。」と親類集まり、殊には下市の里に住まれし伯母たる人を呼び寄せ、様々に言ひなだめ、「せめては三日なりとも、男と言ふものにあひ馴れ、その後は、出家になりとも心任せ。」と涙にくれて、魂の入り替はるまで教訓して、押し付け合点させ、祝儀の事済みて、いつとなく契り深く、四年余りも過ぎ行けば、子細なく喜びしに、又、月止まりて、産み月に足らず、これも空しくなりぬ。
「四人まで同じ最期なりしは、世に例なき事。前生にいかなる悪縁を結び、親と成り子と成り、今の難儀にあふ。さてもうるさし。」と、いよいよ菩提心を起こし常精進の身と成り、称名の暇なく香花を摘みて四人が跡を弔ひ、片蔭に取り籠りければ、母屋は昔と荒れて、野犬の臥しどと成りぬ。
発心の身と成りても、心にかかる山の端は、乙女と言ひて五人目の娘、今は十五に成りぬ。これも、縁付き頃をうたてく、乙女に出家を勧め、「最前、お冬が心から願ひの道をとどめて、由なき男を持たせ、帰らぬ事を悔やみぬ。思へば思へばうつつの間なり。そなたは髪をおろし、姉どもが命日を訪ひなば、未来も悪しからじ。」と勧めしに、{*7}以ての外の心入れ。「たまたま人間に生を受けて、男といふもの持たでは口惜しかりき。親達の厄介にはならじ。」と忍びて庵を立ち退き、行方知らずなりぬ。
これをも、親子の仲なれば深く歎かれしに、音信不通になりて、己と夫を定めける。しかもこの男、山だちをして渡世とす。或る夜、風荒く雨降りて、人音稀なる時を見合はせ、乙女が案内をして、男を連れて我が親の方に立ち入り、夫婦の寝られし上に{*8}畳を置きかけ、この苦しみの内に少しの貯へ物を盗み、岨伝ひに逃げ行きしに、この大悪、いづくまでか遁がるべし。踏み馴れし道筋の岩も人影と見えて、心のやるせなく、知れたる淵に飛び入り、男も女も眼前に恥を晒して、葛屋の名をくだしぬ。
【訳】
大和国吉野の山里でも、都と同じく、内裏雛を飾る雛祭りといふ事をする。その雛祭りの三月節句には、所の娘達が集まつて遊ぶといふ習はしで、近所同士、菱餅や桃の酒を贈れば、それに返しをするのである。この娘達の翻す袂の色は美しい。「人は氏より育ち。」と言ふが、かかる辺鄙の娘でも、育ち次第で器量は見よくなるものである。
この里に住み馴れて、所の名物晒し葛を売つて世を渡る、彦六といふ人があつた。この人、家は繁昌して、何事といつて別に不足もなく、結構な身の上であつた。『永代雑書』の三世相を見ると、この人は、「女の子を沢山持つ。」とあるが、その通りに五人の娘の子を持つてゐたが、どの娘もどの娘も皆、器量よしに生まれついてゐた。全体、女の子の器量の良いのは、一生の幸福の種である。
長女のお春といふのは、同じ里の豊かな家に貰はれたが、結婚してから間もなく懐妊したので、里の親達は日を数へ月を数へして、御産の時を待ち、生まれぬ先から乳飲ませる乳母を約束し、鶴亀の模様の付いた小袖を拵へておき、夜更けて、松吹く風が雨戸に音づれて、ごとごと鳴れば、「産気付いた知らせでないか。」と驚き、母親は夜の目も合はぬやうに心配してゐると、悲しい事には、陣痛起こして苦しみ出し、五日七日にもわたつて憂き目を見たが、かねて子安の地蔵に安産を祈り、腹帯の明神に御願をかけた甲斐もなく、惜しや、十六歳の若盛りに、四月一日の夜明け方に、時鳥の鳴き声と共に、この世を去つてしまつた。
親兄弟は、深くこれを歎き、両袖にかかる涙の雨は、五月雨の頃までも続いて、皆々悲歎の思ひに沈んでゐるのを、物の道理をよく弁へ知る人々に、「世間には、たつた一人しか持たぬ子を失ふ人さへあるのに、こなたには、まだ他に幾人も代はりがあるのだから、もう愁嘆はやめなされ。」と諌められて、漸くこの思ひをば、流し捨てる事ができた。そして、「吉野の川の水の泡の如く、消えるのが人の命の習ひである。」と悟つて、長女の事は忘れるやうになつた。
その次の二番目の娘お夏が、程なく十六歳になつて、しかも器量は姉まさりで、焦がるる思ひを寄する若者の沢山ある中に、この里の庄屋を勤めてゐる人の息子で、婿にしても恥づかしくない人に、嫁入りの約束を固めて、嫁入りの諸道具を支度してゐた。ところが、「今年は十六歳。丁度姉が不幸の年に当たるので、縁起が悪い。」といふので、その年は延ばして、翌十七歳の年の正月に、取り急いで祝言を行つた。この娘もやがて懐妊し、月を重ねてゐたが、姉と同様に懐妊のまま死んでしまつた。「何といふ不幸せな運命だ。」と、両親はこれを悔やむ事甚だしく、葬式をしようとしてゐると、或る人が差し出て、「かうして亡くなつた人は、左鎌を作らせて、それでお腹を割いて子供を出した上で葬らないと、冥途へ行つても浮かべないと言ふから、このまま葬つては後生が心配だ。」と言つたので、一層悲しく思ひ、湯灌もその人の言ふ通りにして貰ふやうに、念仏講中の人々を頼んでして貰つた。女の身ほど儚いものはなかつた。しかし世間に住めば、かかる悲しみも、時の経つにつれて、次第に忘れるやうになつた。
又、三番目の娘のお秋といふのも、はや十五歳になつた。この娘は、取り分けて器量よしである上に心根も優しく、人情も深い女であつた。「近所の人達の世話で、由緒正しい人の息子を婿養子に取つて、それで、これまでの悲しい思ひを晴らされたが良い。」と勧められたので、その人達に万事を任せて、その息子を養子にして、程なく家督を養子に譲つて、親達夫婦は同時に法体になつて、「これで、今こそ世間の楽人になつた。」と喜び、御寺参りをして日を暮らしてゐた。この婿養子は、明け暮れ親達に孝行を尽くし、かかる海遠い山家に住みながら、常に海の魚を調へて食はせた。忙しい用事は、「よそ吹く風。」と聞き流し、雪の日も暖かく焚き火して、冬のない国のやうに贅沢に暮らして、国守の殿様をも恐れない身の上と成り、この上の願ひは他になかつたが、いつ頃からか、お秋が青梅を食べたがつて、妊娠の兆しを見せた。姉達の事に懲りて、それがいかにも情けなく思はれ、諸々の神様に平産を祈り、「安産には妊婦の身の養生が大事である。」と、かういふ事に慣れた老女を雇ひ入れて、腹帯の締め加減を程よくし、庭仕事をさせては身を動かすやうにさせ、腹を少しも冷やさないやうに気をつけさせ、目通り以上の高さには手を上げさせず、夜寝る時も足を伸ばさせず、頭は関枕で止めるやうにし、妊婦の身の持ちやうに万事遺憾のないやうにし、食物も一々吟味して臨月を待つてゐたが、それでもやはりだめであつた。この娘も又、御産になると、五体を悶えて苦しむ事、十日ばかりも続き、ひどい目にあつて、とうとう眠るやうに息が絶えてしまつた。かう重なる不幸では、世間の聞こえも良くないので、死んだ娘の可哀さうなは外になつて、死骸に打ち重なつて、両親共に自殺しようとした。それを、人々が両方から取り付いて止め、色々言葉を尽くして、道理至極の異見を聞かせたので、両親も、やうやう思ひ止まつて後。
お秋が亡くなつて、三十五日の経つのを待ちかねて、「四番目の娘のお冬を、すぐに縁付かせなされ。」と他から勧める人が言へば、両親は、「あなた方の御考へに御任せして、決して否やは申しませぬ。」と言ひ、「私ども二人には、一々御相談下さらずとも、よろしうございますから、何卒しかるべく、お冬の縁談をまとめて下さい。御頼み申します。」と言つて、両親は、先立つて亡くなつた三人の娘達の菩提のために、仏を信仰し坊さんを供養して、娘達の着馴れた小袖の、全てまだ振袖のままで脇を塞がないのを、御寺へ上げて、幡、天蓋に縫ひ替へさせて、「かかる悲歎が又、世の中にあらうか。」と歎き、涙は袖に行く水の如く流れた。その行く水に、経木に亡き娘達の法名を書いて流し、流れ灌頂といふ事して、親の方から子の菩提を弔うてやるのは、これは全く世の逆さ事である。川水に沈んで死なれぬやうな、辛い思ひをして、命を生き長らへた。
さて、お冬の縁談の世話をする人達が、この事をお冬に言ひ聞かせようとすると、まだ言ひも果てない内に、お冬は声を上げて泣き出し、涙片手に挟箱の蓋を開けて、麻の墨染の衣や浄土宗の珠数を取り出して言ふやう、「私の縁は、世間の男達には結びません。仏様に結ぶ考へでございます。この度の歎き事のない前から、私は、人の世は夢幻のやうに儚いものと、覚悟致して居ります。それで、亡くなられた姉様達の後世菩提を弔うて上げたいと願つて居りましたところ、結婚してこの家に引き留められまして、又もや姉様達と同様に、憂き目を見るでございませう。かかる目に遭ふ事になりますのも、畢竟、心を乱すこの黒髪のあるためでございます。」と言つて、我が手づから黒髪を切らうとするのを、漸く制しとどめて、「そんな事をすれば、親不孝の第一に当たるぞ。」と、親類の人達が集まつて訓戒した。殊に、下市に住んでゐた伯母を呼び寄せて、様々に戒め、なだめさせて、「せめて三日でも、亭主といふものを持つて、親しんで見よ。その後は、お前が思ふ通り、出家になりとも心任せにしたが良い。」と涙にくれて、お冬の魂が入り替はつて、思ひを翻すまで教訓して、強いて承知させて、結婚の祝儀をさせた。結婚させると、夫婦の契り、いつとなく深くなり、四年余りも経過して、何の故障も起こらなかつたので、人々は喜んでゐると、この女も、姉達と同様に、月のものが止まつて妊娠したが、臨月に至らずして死んでしまつた。
かやうに、四人の娘が一様に御産で死んだのは、又と世に例のない事である。そこで両親は、前の生に於いて、いかなる悪縁があつて、それがこの世に親子となつて生まれて来て、かうした苦しみを受けるのであらう。さてもうるさき世の中ではある。」と、いよいよ菩提心を起こして、出家の如く常住精進の身となつて、念仏暇なく唱へ、香を焚き花を手向けて、亡き四人の菩提を弔ひ、本宅を去つて、片蔭に小さい庵を作りて、これに引き籠られたので、本宅の方は、昔と変はり荒れ果てて、野犬の寝所となつてしまつた。
かやうに、四人の娘が一様に御産で死んだのは、又と世に例のない事である。そこで両親は、前の生に於いて、いかなる悪縁があつて、それがこの世に親子となつて生まれて来て、かうした苦しみを受けるのであらう。さてもうるさき世の中ではある。」と、いよいよ菩提心を起こして、出家の如く常住精進の身となつて、念仏暇なく唱へ、香を焚き花を手向けて、亡き四人の菩提を弔ひ、本宅を去つて、片蔭に小さい庵を作りて、これに引き籠られたので、本宅の方は、昔と変はり荒れ果てて、野犬の寝所となつてしまつた。
発心の身になつても、只両親の心にかかるのは、乙女といふ第五女の身の上であつた。この娘、今年は十五歳になつた。この娘も、丁度縁付き頃であるが、四人の姉達の不幸もあつたので、親達には、年頃がかへつて心配の種であつた。そこでこの娘には、「縁付きする代はりに出家をせよ。」と勧め、「以前、お冬が出家したいと言ふのを、強いて止めて、つまらぬ縁付きをさせたため、取り返しのつかぬ夭死の不幸を見るに至らしめた事を、後悔してゐる。よくよく思へば、人の命は夢うつつの間といふやうに、僅かの間の事である。お前は髪をおろして尼と成り、姉達の命日命日の弔ひをしてやつたら、一人、亡き姉達の菩提ばかりでなく、お前自身の後世も助かるであらう。」と言つて、出家を勧められたところが、乙女は、以ての外の料簡で{*9}、「たまたま人間と生まれて来て、亭主といふものを持たないで、独身のままに死ぬ事は、残念でございます。御両親の御厄介にはなりますまい。」と言つて、こつそり庵を忍び出て、行方知れずなつてしまつた。かかる不孝を働いても、親子の仲であるから、両親は、乙女が事を深く歎いて居られた。
乙女は、親達と音信不通になつてから、自分勝手に亭主を持つた。しかも、この亭主といふは、山賊をして暮らしてゐる者であつた。或る夜、風荒く吹き、雨の降つて、人音稀な時に乗じて、乙女が道案内して、亭主の山賊を我が親達の家に連れ込んだ。さうして、両親の寝てゐられる上に、畳を重しに載せておき、両親がそれに圧されて苦しんでゐられる内に、僅かばかりの貯へ物を盗み取り、岨道を伝うて山に逃げた。ところが、かかる親不孝の大悪を働いた者が、どうして無事に逃れよう。平常行き馴れてゐた道筋にあつた岩が、立つてゐる人影のやうに見えて、驚いた拍子に、勝手知つた淵に落ち入り、夫婦共に死んで、不孝大悪の報ひ、目前に来て、世間に恥を晒して、葛屋の名誉を下げた。
校訂者註
1:底本は、「うつくしみ」。『本朝二十不孝』(1993)語釈に従い改めた。
2:底本は、「ひとへ」。底本語釈及び『本朝二十不孝』(1993)語釈に従い改めた。
3:底本は、「いはれけると。」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「山家へ」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「頼(たの)む。先立し」。『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
6:底本は、「お秋」。『本朝二十不孝』(1993)本文及び語釈に従い改めた。
7:底本は、「以ての外の心入れ。」を、お冬の発話として訳している。本文は『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
8:底本は、「ねられしかへに」。底本語釈及び『本朝二十不孝』(1993)に従い改めた。
9:底本は、「乙女は『以ての外の料簡(れうけん)であります。偶〻」。