江戸期版本を読む

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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂懐硯(1914刊)

校訂懐硯(1914年刊)WEB目次

巻一
一 二王門の綱
二 寺{*1}を取る昼舟の中
三 長持には時ならぬ太鼓
四 案内知つて昔の寝所
五 人の花散る痘瘡の山

巻二
一 後家に成り損なひ
二 付けたき物は命に浮け桶
三 比丘尼に無用の長刀
四 鼓の色に迷ふ人
五 椿は生き木の手足

巻三
一 水浴びせは涙川
二 龍灯は夢の光
三 気色の森のこけ石塔
四 枕は残る曙の縁
五 誰かは住みし荒れ屋敷

巻四
一 大盗人入相の鐘
二 憂き目を見する竹の世の中
三 文字据わる松江の鱸
四 人真似は猿の行水
五 見て帰る地獄極楽

巻五
一 面影の似せ男
二 開けて悔しき養子が銀箱
三 居合も騙すに手無し
四 織物屋の今中将姫
五 御代の盛りは江戸桜

校訂者註
 1:底本は、「照(てり)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。


校訂懐硯(1914年刊)WEB凡例

  1:底本は『西鶴文集』(幸田露伴編 博文館 1914年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:校訂には『懐硯 翻刻』(箕輪吉次編 おうふう 1995)、『西鶴諸国ばなし 懐硯 決定版 対訳西鶴全集5』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1992)を参照しました。
  8:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)

ア行
 明く・虚く→開く・空く 揚ぐ→上ぐ 未明・暁→明け 跡→後 歩行→歩く 壱→一 入る→要る 中→内 発る→起こる 音づる→訪る 各→各々 俤→面影 己→俺
カ行
 返す・還す・返る→帰す・帰る 貌→顔 鎰・鑰→鍵 匿す・秘す・匿る→隠す・隠る 各別→格別 影・陰→蔭 累なる・累ぬ→重なる・重ぬ 借す→貸す 替はる・代はる→変はる 義→儀・議 糺明→糾明 気色→景色 烟→煙 礫→小石 意→心 詞→言葉 道理→理 比→頃
サ行
 向→先 閉す→鎖す 噪ぐ→騒ぐ 姿→品 容姿→品形 暫時→暫し 拾→十 身体→身代 清ます・清む→澄ます・澄む
タ行
 松火→松明 慥か→確か 扣く・擲く→叩く 頼り→便り 鵆→千鳥 攫む・抓む→掴む 附く→付く 釣る→弦・吊る 手段→手立て
ナ行
 中→仲 詠む→眺む 存命ふ・長命ふ→長らふ 抛ぐ→投ぐ 泪→涙 列ぶ・比ぶ→並ぶ 窅く→覗く
ハ行
 筥→箱 初む→始む 始め→初め 咄・咄す→話・話す 放る→離る 旱・旱魃→日照り 独→一人 隙→暇 二度→再び 不便→不憫
マ行
 混じる→交じる 雑ず→交ず 亦→又 見世→店 心→胸 村→群・叢 廻らす・廻る→巡らす・巡る 無義道→没義道 物・者→者・物
ヤ・ラ・ワ行
 安し→易し 娌→嫁 終夜→夜もすがら 私→我が 我→私 破る→割る

上記以外(篇毎 登場順)

 1-1 籠む→込む 香→匂ひ 閉ぐ→塞ぐ 麁末→粗末 拍つ→打つ 刃→刀
 1-2 骨牌→歌留多 夕辺→夕 祖母→婆 詫言→詫び 牧方→枚方 直→値 念比→懇ろ
 1-3 純子→緞子 衣裏→襟 溜まる→堪る 艶し→優し 曲者→癖者 取る→盗る 締む→閉む 傘→唐傘 稟→連れ 相口→匕首 昨→昨日 養む→育む 祥→幸ひ
 1-4 猟→漁 毎→事 臥→寝 悪し→憎し 差す→刺す
 1-5 扇子→扇 由縁→由 鬠→元結 嚥む→呑む 表→面 辱し→恥づかし 容→姿
 2-1 寛→豊か 幼少→幼し 報す→知らす 灯火→灯り 旗→幡磨→臼 一端→一旦 六ケ敷→難し 懐く→抱く 仕形→仕方
 2-2 蜑→海人 宮井→宮居 雹→霰 新艘→新造
 2-3 映写る→差し映る 組戸→編戸 手束ぬ→束ぬ 何某→何がし 気色→気配 堕す→落とす 採る→取る 潸然→涙ぐむ 覚す→思す 美児→美少 打つ→討つ 穿義→詮議
 2-4 未明→曙 登る→昇る 廓→郭 振る→触る 涛→波 羅→薄 揚巻→総角 習慣→習ひ 越度→落度 性→生
 2-5 舂く→搗く 豹→藪 急がし→忙し 扚→笏 螽→蝗 住寺→住持 橈→櫂
 3-1 白昼→真昼 憎し→難し 消つ→経つ 嫁る→嫁入る 仕廻→仕舞
 3-2 睫→瞼 推す→押す 釣火→漁火 甲→兜
 3-3 食→飯 腥→生臭 断ふ→絶ふ 堀→掘り 輪回→輪廻 詐る→偽る 了簡→料簡 巨燵→炬燵 偽→嘘 否→嫌 黄泉→黄泉途 本腹→本復
 3-4 形→影 漸々→漸う 椙→杉 抽く→抜く 起つ→立つ 媒介→仲立ち
 3-5 鞋→沓 昔時→昔 嫁る→娶る 病ふ→煩ふ 今際→今は 進む→勧む 姥→乳母 幼少し→小さし 梳げ→髪上げ 縊る→括る 脚布→湯具 工む→巧む 咒詛ふ→呪ふ 叫く→喚く
 4-1 生活→過ぎはひ 粮→糧 虚→仮 如在→如才 放す→外す 脱く→抜く 自→己
 4-2 岩見→石見 鬘→葛 食→餉
 4-3 四阿屋→東屋 𥻘→州浜 姙む→妊む 姨→叔母 所思→思はく 所謂→所以 酬→報い
 4-4 煮る→煎る 忍ぶ→偲ぶ 競ぶ→比ぶ
 4-5 朸→㭷 往く→行く 跡方→跡形
 5-1 表る→現る 塒→寝ぐら 越→来し 莢→鞘
 5-2 虚→空 這入る→入る 商品→商ひ物 節角→折角 貫く→突く
 5-3 律気→律義 論→争ひ 風流・達→伊達 抵抗→楯突く 顔→面 面→顔
 5-4 若男→若者 島→縞 醜し→見苦し
 5-5 曼幕→幔幕 裙→褄 弘む→広む

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

懐硯 序

 雨の夜、草庵の内の楽しみも、旅知らぬ人の言葉にや。又、人の言へるあり。「知らぬ山、知らぬ海も、旅こそ師匠なれ。」と。我、朝な朝な、草鞋の新しきを頼み、夕々、油単の垢馴るるをわざにて、奥{*1}は、外の浜風を身に触れ、胡砂吹く夷が埃にも塗れ、西は{*2}、「親にも告げよ。」と言ひし島守とも身を成し、生きの松原、箱崎の並木の数も読みおぼゆるに{*3}、「或いは恐ろしく、或いは可笑しく、或いは心に留まる人の話を、茎短き筆して、旅せぬ人に。」と、左の如し{*4}。

    貞享四年花見月初旬


校訂者註
 1:底本は、「置(お)くは、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「塗(まぶ)れにしは、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「よし覚(おぼ)ゆるに、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「如(さの)(レ)左(ごとし)。」。

懐硯 巻一

第一 二王門の綱  開けて悔しき鬼の箱入りの事

 朝顔の昼に驚き、我、八つに下がりぬ。「日暮れて道を急ぎ、いづくを宿と定め難きは、身のはかなや。」と思ひ込みしより、修行に出給ひ、世の人心、めいめい木々の花の都にさへ、人同じからず。「まして遠国には{*1}変はれる事ども、有りの儘に、物語の種にもや。」と、旅硯の海広く、言葉の山高く、「月ばかりは、それよ。見る人こそ違へ。」と{*2}、面白可笑しき法師の住み所は、北山等持院のほとりに閑居を極め、一人は結ばぬ笹の庵、格別に構へて、頭は霜をけづりて散切と成し、居士衣の袖を子細らしく、名は伴山と呼べど、僧にもあらず、俗とも見えず。
 朝暮、木魚{*3}鳴らして唐音の経読みなど、菩提心の起こりし釈迦や達磨の口真似するうちにはあらず。唯、謡の代はりに声を立つるのみ。不断は精進膾、有るに任せて魚鳥も余さず。座禅の夢さめては、美妾あまたに誘なはれ、鹿の子の袖吹き返し{*4}、留め木の薫りきく間も、紙袋の抹香の匂ひ移るも、煙は皆無常の種。
 初めて狩衣の裾短かく、草鞋に石高なる京の道を踏み出せしに、更に張笠の上に音なして降り続きたる五月雨、黒木売りの渡り絶えて、白川の棚橋埋み、ここに目馴れぬ家程の浪重なりて、岸根の崩るるを嘆くに、水かさまさりて{*5}堤の切れかかり、里人太鼓打ち続き、末々の枝川、諸木も葉付の筏を流し、三條縄手すさまじく、頂妙寺の惣門につきて、仏壇おのづからの流れ題目{*6}と成れり。寺中法師の腕立ても叶はず、南門崩れて、二王も浪につれて口開き口塞ぎ、青き息をつき給へども、誰取り上ぐべきやうなく、岩角に当たりて、終に砕けてあさましく成りぬ。
 日も暮に及びて、七條通の町人に樵木屋甚太夫といふ男、薪の行く水につれて、熊手にして掛け上げけるが、かの二王の片手を取り上げ、律義に驚き、召し連れたる男に、「鬼の腕といふ物なり。これ、家の重宝。構へて沙汰する事なかれ。」と、ひそかに宿より半櫃を取り寄せ、これに納め、俄に注連飾りて内蔵に納めぬ。
 「鬼の手を拾ひし。」と言へば、人皆、興をさましぬ。しかれどもこの人、日頃粗末なる事とて言はざる者なれば、いづれも見ぬ先に横手を打つて、「これ、末代の語り句なれば、見せて給はれ。」と。町内にて年久しき人、「たとへ命を取らるればとて、世に望み無し。」と言ふも有り{*7}。又、若き人は、前後構はぬ無分別。身代よろしき人は、斟酌してこれを見ざりき。かれこれ十一人見るに極め、女房に暇乞ひの盃し、鎖帷子着るも有り。重代を差すも有り{*8}。又は、節分の大豆を懐中するも有り。棒、ちぎり木、長刀、思ひ思ひに振りかたげ、身震はしながら、「これを見ん。」とひしめくは、今も愚かなるは世の人ぞかし。
 既に夜にもなれば、「見る時も、今なるべし。」亭主は人より殊更に{*9}身を堅め、手燭灯して蔵に入り、「これなる櫃にあり。蓋を開ける。」と立ちかかれば、各々、目と目を見合はせ、四方より取り廻し、櫃の内を覗きけるに、不思議や。この腕、誰が目にも、「動く。」と見えて、気を失ひ、我と持ちたる刃に怪我して、大きに悩みける。この事沙汰して、その夜もすがら、洛中の人々、門に市成して、見る事を望みぬ。明けの日、頂妙寺の二王と知れて、夜前の事の可笑しかりき{*10}。
 仮初事にして世の費へと成りて、この男を「二王門の綱。」とぞ申しける。

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校訂者註
 1:底本は、「遠国(ゑんごく)に替(かは)れる」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「月(つき)よりは其(それ)よ、見(み)る人(ひと)こそ違(ちが)へど、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「俗(ぞく)にも見(み)えず、朝暮(てうぼ)木魚(もくぎよ)を鳴(なら)して、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「美妾(びせふ)頭(かしら)に誘(いざな)はれ、鹿子(かのこ)の袖の吹返(ふきかへ)し、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「まりて」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「流(ながれ)の題目(だいもく)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「いふものあり、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「差(さ)すものあり、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「人(ひと)よりも、更(さら)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「頂明寺(ちやうみやうじ)の二王(わう)と知(し)れて、夜前(やぜん)の事(こと)のをかしき、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

二 寺を取る昼舟の中  祈れど聴かぬ歌留多大明神の事

 人の身は、繋がぬ舟の如し。
 伏見の浜の浪枕、ここに一夜を明かして、「昼の下り舟あらば、大坂までの便り。」と眺め渡れば、昨日夕、大方は{*1}出舟の跡淋しく、京橋の旅籠屋には畳叩き立て、茶筅売りは衣片敷きてうたたね。蕎麦切り舟、牛房も焼き絶えて、床髪結さへ所の若者の角抜いて居るなど、この里も日の内の暇{*2}可笑しく、問屋の門鞠を見てゐし時、番所{*3}より改めて、「飾りの舟下る。」と言へば、法師と言ひ、旅と申し、夢も結ばぬ暫しが程、便船の断り聞いて、情けある人々は胴の間に乗り移りければ、我は火床の前に身を進めて、人の菅笠{*4}にも触らず、船頭にも「良い天気。」と機嫌取り、豊後橋をさし下し{*5}、楊枝が島を過ぎて、淀小橋を越えて、男山の姿もいと殊勝に、澄み濁るをも構はず素人謡、又は山崎通ひの小歌。
 浪に声せはしく、十里が間の慰み。摂河両国南北の川岸、柳に烏{*6}も面白く、一群の婆五十人程、小舟に乗り行くは、「六條殿参り。」とて有り難く可笑しく、心々の人付き合ひ。この舟、四人して借られけるに、一人は播磨の浄土坊主、この度、長老に成りての帰るさ。一人は近江の布屋。又は長崎の町人。
 今一人は、大坂長堀辺りの材木屋の一子なるが、親は隠れもなき始末者。久しく貯へ置かれし金銀を色の道に使ひ捨て、幾度か異見せられてやむ事なく、二十二の時勘当にて、江戸に下りて、それより越中に立ち越え、おのづからに踏む塩の山。年月世を稼ぎて、身の辛さを忘れず、この五年余りに金子三百両仕出し、無き商ひの道油断なく、「さすがは上方人。」とて、北国人、この風俗を真似て、「所の宝なれば、大坂へは帰さじ。ここに取り留めて。」などと乞ひ婿にして、追つ付け縁を結ぶ時、難波の古き友達、信濃の善光寺参りの折節、巡り逢ひて、互に昔を語るに尽きず。「今は、二親の嘆き給ふ」を話せば、故郷忘じ難く、その人に詫び状を上せば、母の親、殊更に恋しがりて、「とにかく帰れ。」との仰せによつて、越中の出店あらかたに仕舞ひ、「儲け貯めし金子も見せて、親仁{*7}に悦ばせ申さん。」と、乗り掛け葛籠に入れて、その外、絹綿の土産物。錦着て帰る心地して、今日の舟路も潔く、酒菓子の代物も、乗合の仲間として物堅く、一銭の事までも目の子算用に、いづれも旅功者なるすれ者、損徳なしに埒を明け、まだ大坂へは舟の上六里半。
 枚方辺りより身拵へして、竹杖までも取り廻し、万事に気を付ける内に、舟人が櫓米櫃より布袋屋歌留多の十、馬、八、九の足らぬ取り集め物を出しければ、小者ども、一文二文に読みて、程なく後先に四、五文づつ置きて、手元せはしく勝負しける。清兵衛下人、越中より召し連れたる男、百さし皆になして、鬢鏡八分に即座に売つて、これも打ち込めば、律義者にて、上気してうろたへたる顔つき可笑しく、「取り返して取らす。」とて、清兵衛立ちかかり、てんがうにする内に、銭八百負けになれば、「これ切り。」と言ふ所へ、播磨の長老進み出、後生大事にひねりければ、「九品の浄土かぶ。」とて、衆生残らず根から取れば、ひたものに置きかけ、つゐ豆板一歩穿鑿に成り、長老、六、七両も勝ち給へば、近江の布屋、さし出、長崎の人、大気にかかり、三番まきに付け目取つて、山の如く置き立てしに、次第につのりて千両ばかり、小判、あなたこなたの手に渡れば、船頭、古御器出して寺を打たせけるに、これさへ金子十両に余りぬ。
 舟は、急ぎもやらず下しけるに、雨上がりにして水早く、程なう長柄川に来て、「大坂が見ゆる。」と言ふ時、清兵衛、三百両残らず負けて、越中より親達親類への遣ひ物、絹綿も値打ちして、皆々負けになりて、川崎を瀬越しとて、ありたけ置いて取られ、舟は八軒屋に着きて、長崎人、機嫌良く上がれば、続きて播磨の長老の仕合せ、百両余りも勝ちて、この度の京の入用をしてやり、「不慮に良き同船を致しました。」と懇ろに暇乞ひ、可笑し。布屋は小判十四両と絹綿取つて、渋紙包みにさせて、舟より足早に上がり、小戻りして船頭を呼びかけ、「草鞋掛けが片足ある筈じや。見てたもれ。」と、これまで取つて帰る。
 清兵衛、後に残りて、船頭に色々嘆きて、寺の内より金子二歩と銭二百貰ひて、舟よりすぐに長堀{*8}、親の元へは行かずして、又身拵へして、空き荷物を小者に持たせ、遥々古里に帰る甲斐なく、かちにて越中に下りぬ。
 かりにもせまじきものは、博奕わざ。家を失ひ、身を捨つるの一つ、これぞ。前札に三つが上がるにしてから、せまじきものぞ。

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校訂者註
 1:底本は、「大方(おほかた)の」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)語釈に従い改めた。
 2:底本は、「隙(すき)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「播州(ばんしう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「管笠(すげがさ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「豊後橋(ぶんごばし)を下(くだ)し」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「鳥(とり)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「親(おや)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「長堀(ながぼり)の親(おや)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。1992)に従い改めた。

第三 長持には時ならぬ太鼓  留守の娘利発を出す事

 老若、暫しの気を移して、生死の堺町を見物人は、今も知れず息引き取る{*1}は、はかなき。貸しキセルを片手にして、円座所せきなく、数千人の顔つき、すべて相見し{*2}近付きとては、一人もなし。世界の広き事の思はれける。
 大方は侍の付き合ひなりしに、鞘咎め、言葉論も絶えて、静かなる時津浪。笛、鼓打ち収まりて、これが今日の猿若勘三郎が出て、三拍子揃ひ袴の座付、玉川千之丞が狂言とて、人皆、しはぶきをも{*3}やめて、「これ一番。」と待ち見しに、京で聞きたる声に変はらず。面影の通ひ小町、昔を今に見なし、果ての太鼓に立ち出しに、小芝居に、「播磨が六道のからくり、閻魔鳥は、これじや。」と看板叩き立てる中に、西国風の勝手をここに出し{*4}、町人をねめ廻せど、少しも恐るる人なく、かへりくらはして当て言言はれ、無念重なる折節。
 浪人らしき男、二十歳余りの風情物やはらかに、短刀を落とし差しに、編笠先さがりに世を忍ぶ有様して、十二、三の野郎に紙子の広袖、緞子の襟は、さながら脇差袋を解きて掛けたるやうなり。これ、物好きとは見えず。侘びての草履取、手を振る勇みもなく、主人に続きて通りしに、かの若者、頭に{*5}手を差して、小人島の鑓持と見立て、悪口言ふに、構はずその程過ぎしに、後より来つて野郎が鼻をつまみ上ぐれば、切ながりて赤面する時、堪り兼ね、覚悟して、ひそかに小者を宿に帰し、八丁堀稲荷橋の中程にて、向うより声を掛けて、「最前の狼籍、覚えたか。」と、左の肩先より切り落とせば、残る四人驚き、暫く抜きも合はせず身震ひせしを、又一人、鬢先を切り付け、首尾よく立ち退くを、辻番、手柄を見るより、心して門打たずして通しける。
 三人、漸く気据ゑて、かの者を一筋に追ひ掛けしに、築地の末、小屋掛町まで逃げ延び、次第に険しくなつて、浜手の草葺の内に走り入り、「只今、追手のかかる者。身を隠して給はれ。万事は頼む。」と言へど{*6}、答ふる主もなく、十五、六なる娘、形の優しげなるが、一人留守して、東明かりの窓の元に、結ぼれし糸解き捨て立ち出、「その草履をその所に脱ぎ捨て給へ。裏より抜け道あり。」と言ふにぞ、後先覚えず忍び行く。
 その後、娘は長持に立ち寄り、子細ありげに錠をおろしし時、三人走り着き、「この家なるは。」と乱れ入り見廻せば、その人無し。「さては、この長櫃に隠せしに極まる。急いで出せ。」となじり掛けしに、娘、少しも騒ぐ気色なく、「いかなる事ぞ。我は知らず。人の家に 断り無しの{*7}癖者、一人も余さじ。」と、掛け古びたる長刀おつ取り、切つてかかる。女に手向ひは成らず、三人共に身をひそめ、難儀の折柄、近所の人々集まりて、とやかく詮議の所へ、二親、御堂より下向して{*8}、父は肩衣かけながら、母は綿帽子取りも敢へず、「これは。」と娘にすがり、初めを聞き届け、安堵して。
 親仁、三人の者を引きつけて、「我、今こそはあれ{*9}、以前は痩せ馬にも乗り、錆び鑓の二筋も持たせて、豊田長五左衛門と名を呼ばれしが、今、かくあさましき住み家なればとて、娘ばかりの内証に入りて、存外せし故なし。おのればら{*10}、世の掟を背く物盗りなるべし。さもなくば、主人を申せ。その儘は{*11}帰さじ。」と言ふにぞ、三人、道理にせめられ、様々手を下げて、「人をあやめし者を付け込み、折節、長持を閉めさせ給へば、心のせく儘に誤り申す。」と、段々詫び言聞き届けて、「しからば、さもあるべし。各々、心掛かりは、この長櫃の中なるべし{*12}。近頃見するも恥づかしけれど、この上に改めぬは、武士の本意にあらず。」と、鍵取りて蓋を開け、三人の内、一人に覗かせけるに、哀れや、浪人の有様。衣類の入れ物なるに、辻無しの唐傘一本、日光挽のはした盆、鎌倉の絵図の破れ、稽古乗りの木馬、袖付き{*13}の紙合羽、塗り足駄、箔置きの太鼓、一つも銭になる物はなかりき。皆々見兼ねて立ち帰る。三人の者も、礼儀を述べて別れぬ。
 その後、事無く鎮まつて、夕暮方になつて、長五左衛門、連れ合ひに語られしは、「人の難儀は、何時を定め難し。今日の迷惑、思ひも寄らず。昔ならば、たとへば駈け込み者{*14}なればとて、あつぱれ、出しはせじに。その時々をさばきて、長持の恥をさらせし事よ。」と、棒鞘の匕首握りて涙をこぼす。娘も、今あさましき親の御暮らし、思へばいとど女心の乱れけるを静め、「今日の御難儀は、みづからが成す事なり。子細は、これも浪人らしき侍の、血刀提げて駈け入り、『頼む。』と言ふ一言見捨て難く、裏へ抜けさせ、長持に入れたるやうに見せ掛け、その暇に逃げ延び申すべしと存じ、追手の者の気を取り候。」と、この事委細に語れば、長五左衛門夫婦、手を打つて、「女の早速には、さてもさても。」と、我が子ながら頼もしく、これに付けても浪人恨めしく、日数を送る内に、今は売るべき道具もなく、憂き秋九月の節句前になりて、猶々{*15}菊の霜枯れに一日を暮らし兼ね、世の人は千歳を延ぶる盃事、水を呑む力もなくて、このまま朽ち果つる身の習ひ、日蔭に埋む苔の、石にて手を詰めたる如くになりぬ。
 早、九月七日の夜、武蔵野の月清く、品川表の海照りて、遊山船の帰るさに、遠音の糸竹、心はそれに移りて、頭を振つて鼻唄謡へど、昨日の腹にて今日は淋しく、置かぬ{*16}棚をまぶれど、鼠も荒れぬ宿の悲しく、妻子の心ざしを思へば、「長らへて甲斐は無し。」と、常にもてなし、磯辺に出、小脇差にて胸元を突くに、足弱車の膝震ひ出、手先に力なく、死ぬる事さへ我が儘ならずして、その口惜しさ。「武運もかくまで尽きぬるものか。」と地に伏して嘆きぬ。
 娘は遅きを案じて尋ね見て、この有様に驚き、「さりとては御卑怯なり。はかなくならせ給ひ、母は何とならせ給ふべし。世渡りの種は、これにあり。」と、袖より金子五両取り出し、親たる人に渡し、娘は、かいくれに見えずなりぬ。母、又これを嘆き、尋ぬべき便りなく、それより二、三日、諸神を祈り給ふに、不思議や、有り所の知れける。
 この島続きに隠し遊女ありて、契りを当座切りに、さもしき事なるに、これにあたら身を沈めて、わづかなる金銀にて二親を育みぬる心ざし、優しく哀れなり。その日より髪形を直し、水あげ{*17}と祝ひける。その客に成る人は、屋敷方の小者、中間、又は渡海の船頭、八王子の柴売、上下宿の六尺、願人坊主、或いは肩の上の商人、向島の野人。訳もなく入り乱れて、一生浮き流れの女となる所へ、長五左衛門駈けつけ、「親の合点もせざる娘をかどわかして。」と、ねだるにかへつて恥を思ひ、まだその身に染まらぬ前を嬉しく、前金返して連れ帰り、「さても危なき仕合せ。いかに親を思へばとて、我が子にはあさましき心底なり。名こそ惜しけれ、命は夢の間の有り無し物。並びて最後。」と夫婦の中に娘を置き、一度に声かけて自害をする時。
 門に馬、乗り物の音なして、歴々の侍、内に入り、「某は、杉戸数馬といへる浪人なりしが、この度、古主へ八百石にて帰参致せり。過ぎし年、息女に命を救はれ、危うき所を遁れ、本国に下り、首尾残る所なく、この事、一門に語れば、『それこそ幸ひの縁組なれ。』その断りを申し入れ、御不足なりとも某を婿に成し給へ。」と、是非に申し受け、夫妻に定めて、互に悦びの花の時、再び運を開ける心地して、娘諸共に引き連れ、霞ケ関今越えて奥州にぞ下りける。
 その後、長五左衛門も古主に呼び返され、本知千石取れば、神も見捨て給はず、弓矢の家、永くすたらず{*18}。武士は、頼もしきものにぞありける。

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校訂者註
 1:底本は、「知(し)らず、息引取(いきひきとり)は」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び訳に従い改めた。
 2:底本は、「数(す)十人(にん)の貌(かほ)つき、都(すべ)て逢見(あひみ)し」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び訳に従い改めた。
 3:底本は、「咳嗽音(しはぶきおと)止(や)めて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「出(いだ)せし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「彼(かれ)我(わ)がもの貌(がほ)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「いへば、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「断(ことわり)なしり曲者(くせもの)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「下向(げかう)し、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「今(いま)こそ哀(あはれ)以前(いぜん)は疲馬(ひば)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「己等(おのれら)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「其(そ)の儘(まゝ)に帰(かへ)さじ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 12:底本は、「左(さ)もあるべし、近比(ちかごろ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 13:底本は、「神付(かむつけ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 14:底本は、「駈込(かけこみ)の者(もの)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 15:底本は、「追々(おひ(二字以上の繰り返し記号))」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 16:底本は、「置(お)ける棚(たな)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 17:底本は、「新枕(にひまくら)と」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 18:底本は、「捨(す)てられず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

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