江戸期版本を読む

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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂懐硯(1914刊)

第四 案内知つて昔の寝所  一夜に変はる男姿の事

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に、世の哀れ見る事あり。
 屋島といふ湊に船がかりして一夜を明かすに、さりとては面白からぬ所なり。昔の小歌に「花の屋島。」とは、何が目に見えて謡ひけるぞ。春さへ桜も無く、秋の夕暮の心して、浦の苫屋に立ち寄りけるに、女集まり茶事して楽しみ、ありふれたる嫁そしり話、すべき者が、「物事、急ぐ事には仕違ひあり。」と分別らしき物語。「何事ならん。」と聞くに。
 この浜の漁人に北岸久六といふ者ありて、毎年鰯網に雇はれ、東の海に行く事あり。いつもは大勢組して下りしに、過ぎつる秋は人進まず、勝手づくにて我一人下りぬ。久しく便りの事もなく、その身無筆なれば、おのづからに世を背きて、親類にも気遣ひを致させける。
 その年の秋、日和荒れて、「漁船、あまた損じたる。」と風の吹きやうに{*1}聞けば、「さては、久六も世に無き人と成りけるか{*2}。」と一門嘆くにぞ、人の口にて、最後まざまざと見たる様に申し成し、「一連れに二百五十人、外海にて相果てしとや。当年は、心掛かりなりしに、下らで仕合せ。」と皆々言ふに、辛さのまさり{*3}嘆く内にも、女房の身にしては、ひとしほ悲しさもまさり、明け暮れこれのみにして、命を捨つる程に思ひ込みしかば、女心のやさしく聞こえぬ。しかも{*4}久六は入り聟なりしに、夫婦の挨拶良く、二親に孝を尽くせば、身の程思はれ、この男を惜しみぬ。
 その冬も立ち、春過ぎて、一年近く知れざれば、いよいよ死んだに疑ひなく、里を出、行き別れし日を命日に、それぞれの僧を供養して、残りし物をまことの親元に返し、それが事は、次第に忘るる習ひぞかし。かくて、「女も若し。この儘に後家、由なし{*5}。世間にある事なれば、後夫求めて親の心を助けよ。」と色々に諫めけれども、中々女は合点せず。近々に髪をもおろし、せめては亡き人のために、香花の志深く、浮世をふつと思ひ切りしを、各々、様々に申し慰め、「親へ不孝{*6}第一。是非。」と至極させて、無理やりに又も入り縁を取り組み、「今日こそ吉日。」と祝言を定めける。男は、同じ浦の漁師、小磯の杢兵衛といふ人、久六よりは、よろづに生まれまさりて不足無し。二親の喜び、親類の勇み、再びの入り婿。かかる浜辺も袴着る事見習ひ、女は黄楊の挿し櫛。献々の酒盛半ばに、どこも悋気は必ず変はらず、いぶせき板戸に小石打ちかけ驚かす事、幾度か。それも夜更けて静まり、寝所に木枕並べ、互に打ち解けて、久六が事はおのづから忘れて杢兵衛可愛がり、この時の気にうち任せける。
 この宿の皆々、宵のくたびれに、明けの日までゆるりと長寝して、戸ざし開けぬ所へ、久六、旅姿して立ち帰り、案内知つた顔に立ち入り、久しく逢はざる女ゆかしく、寝所に行けば、南窓より影写りて見えしに、しどけなき枕の様、髪も昔よりは美しく、「この浦の美人なるものを。」と、少し自慢心して、添ひ寝に夢驚かせば、女、興をさまして泣き出せば、夜着の下より杢兵衛出て当惑。
 久六、異なものに成り、「これは。」と改めけるに、段々初め語るにぞ、大方ならぬ不首尾。因果といふは、これぞかし。人も多きに、殊更杢兵衛は、久六と年月遺恨のやまざる者なれば、憎しみ常より{*7}深くありて、久六、分別して、まづ舟吹き流され、奥の海に行きし難儀を語り、その後、心静かに女を刺し殺し、杢兵衛を討つて捨て、その刀にしてその身も失せける。
 鄙びたる男の仕業には、神妙なる取り置きぞかし。

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校訂者註
 1:底本は、「吹(ふ)く様(やう)聞(き)けば、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「なりけると」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「余(あまり)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「扨(さて)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「後家(ごけ)になし、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「親人(おやひと)不幸(ふかう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「悪(あ)しゝ、常(つね)より深(ふか)く」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

第五 人の花散る痘瘡の山  衆道に身代はり立つ事

 「懸崖険しき処、生涯を捨つ。暮鐘、孰が為に帰家を促す{*1}。」扇に空しく留む二首の歌。「白菊と忍の里の人問はば思ひ入江の島と答へよ」と聞こえし鎌倉山、「明けもやすらん。」と道急ぐ旅人も、ここの景色に立ち止まり、その墓に哀れを催しぬ。すべて世の常なきさまは、由あるものの名のみ残りて、幾人か消え、「如水沫泡焔。」と御経には説き給ふ道理、思ひ続けて行けば、日蓮上人の土の牢、今は妙久寺の庭に形ありて、星降の梅が枝、古りながら、いと殊勝に匂ひ、殊更に異なる花の眺め。桜にまさりて人の山を崩しぬ。
 その中に、色形すぐれ、「この生まれつき、鄙の都は、これなるべし。」と人の機{*2}を奪ふ美少年、若党二、三人召し連れ、嬋娟たる容色。見る者、仮初にもなづまざるはなかりき。
 ここに、戸塒専九郎といへる浪人も、春の日和のわりなく長閑なる折柄の、浮き立つ心に誘はれ、その人並みにこの所に立ち交じり、最前よりこの若衆に心魂を失ひながら、後を慕ひ、帰るさの屋敷までつけ込み、辺りの家に立ち寄り、「この隣の門構へなるは、いかなる御方。」と問へば、「あれは、武蔵より渡らせ給ふ御隠居所にして、大谷右馬之助殿と申し侍る。今、よそから帰り給ふは、その孫子左馬之丞殿にて、この頃、御見舞に上りての御逗留。」とつぶさに語るを聞き届け、我が家に帰り、猶し弥増す恋の柵。涙川の深くぞ思ひ込み、侘びし憂き住まひの起ち居苦しく、焦がれて送る日頃のとけしなく、伝手の便りもなければ、明け暮れこれを案じ煩ひしが、元よりこの専九郎、子細ありて、身代稼ぐ身にもあらず。只一人の渡世には元結捻り、甲斐なき命を繋ぎて、上手の名を得しに。
 或る時、左馬之丞僕、これを聞き及びて、買ひに来りたるを、それとも知らず、煙草など呑みて、一つ二つ四方の話のついでに、思はず噂ありて、渡りに船の便りを得て、一命をなげうつて頼み掛かれば、この男、「成程、それだけの思ひならば、肝煎るべし。」と言ふに嬉しく、過ぎし頃よりの有様を書き綴り、送りければ、左馬之丞見て、「誠に賤しき者。」とあれば、「かかるしをらしき心根」感じ入り、返事して、それより深き契約と成りぬ。左馬之丞、故郷へは、「病気故、当所の谷々の景を心晴らしに眺むる」由、言ひ遣り、専九郎に別れを歎くのみなり。
 かくて歳半ば経ちて、左馬之丞、例ならず煩ひ、四、五日過ぎて、痘瘡、面に顕はれ、分けて重かりし故、家来まで気遣ひ、心地安からず。然れども専九郎は、右馬之助{*3}が前を憚りて、見舞ふ事、心に任せず。早二十日に余れば、いも乾せて湯かかりしに、面を脱ぎたる如く、その跡は、みつちや、大方ならず。次々の者まで、初めの左馬之丞ともおぼえず。世に又あるまじき器量、忽ち変じて二目とも見られず。
 自身も{*4}心元なきにや、鏡に向へば、「知らぬ不若衆か。」と思はれ、この顔して再び専九郎に逢ふ事の恥づかしく、武州木挽弥宜町へ人を遣はし、「我に似たる者あらば、尋ね、連れ立ちて来るべし。」と言ひ遣れば、金次第にて、取り違へる程の美少{*5}を上しけるを、呼び付けて、「そなたは、専九郎殿に行きて、何なりとも似合はしき用を聞き、よく奉公すべし。」と遣はすに、専九郎、つゆ程もこれに心を掛けず。只この三十日の間の、対面なき恋しさのみ胸に迫り、幾度この者を見舞はすれども、突き戻し、「今一度逢うて、思ひを晴れたし。」とばかり言ひしに。
 左馬之丞、「さては、道立てたる男。我が今の姿を見給はば、年頃の執心も冷むべし。然れども、それ程に思ひ沈まれなば、逢ふべし。」と、ひそかに屋敷に呼びて、この有様を見するに、専九郎、涙を流し、「かくも姿の変はるものか{*6}。それ故、色ある者を我に召し使へとの志」、猶々{*7}恋まさりて、みづからも顔に疵をつけ、わざと身を無器量に持ち下げ、いよいよ深き語らひ。「かかる衆道の骨髄、昔よりあるまじき心底。」と皆々感じぬるも、理ぞかし。
 「この事、過ぎし年の春よりの取り結び。」と、扇ケ谷の竹下折右衛門といへる男の、つぶさに語るを聞き捨てにして出ぬ{*8}。

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校訂者註
 1:底本は、「懸崖険処(けんがいけはしきところ)捨(すつ)(二)生涯(しやうがいを)(一)、暮鐘(ぼしよう)為(ために)(レ)孰(たれが)促(うながす)(二)帰家(きかを)(一)」。
 2:底本は、「譏(そしり)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「右馬之丞(うまのじよう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「自身(じしん)にも」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「美少年(びせうねん)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「替(かは)る物(もの)かな、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「をさをさ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「出(いだ)しぬ。」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

懐硯 巻二

一 後家に成り損なひ  心の駒は将棋に好き入る事

 越前の国永平寺は、後深草院建長年中に建立ありて、今に法音絶えず。その流れ、派を別ちて久しく、山は世塵の遠ざかり、いと殊勝に、開山道元禅師の御影拝み巡りて下向すれば、ここは府中の里。越の街道には家居すぐれて、椽を磨き軒を並べ、煙豊かなる町造り目立ちけるに、人宿の女、袖にすがり、「日は早、七つにさがる。」と引つ込みけるに、いづこも一夜の仮枕、旅の寝覚めの淋しく、明日の夕の里までの事、命は知れぬ行く末、思ひ続けて明かし兼ねたるに、主の物語るを聞けば。
 この所、分銅町曽根、藁屋甚九郎とて、初めは裏店借りて草履を作り、鍋取り売りなど、誰知らざる者なし。然れども、その身一代に稼ぎ出し、俄分限と成り、今は三ケ所の家屋敷、蔵、肩を並ぶる者なく、その弟甚助、甚七も、幼きより国里隔てて売られたるを呼び返し、手代分に家を治め、日に増して栄え、行く末の頼もしかりしに、差し継ぎの弟甚助、兄に変はりて、よろづしどなく、商売そこそこになして、しかも色好みなるより、商事にかこつけ、三国の港へ通ひ初め、二度の節季の帳前度毎に、三五の十八、ばらりと違ひて、次第増しの不足。積もれば大きに空くところありて、甚九郎も度々異見するに、聞き入れず。「早、かしこの初川といへるを請け出すに極まりし。」と脇よりこれを告げ知らせたるに、堪り兼ねて、内証勘当して追ひ出しければ、外にたたずむ方もなく、哀れにさまよひ歩きしを、母の不憫まさり、甚九郎が目を忍びて、死なぬ程の貢ぎして、同じ所の傍に裏店借らせて置きぬ。
 かくて年月重なり、或る時甚九郎、つれづれなる雨の日淋しく、日頃将棋好みにて、難しき詰め物の図を案じける程に、朝の四つより七つ半まで眺め入り、「さても今、合点が往た。これで詰むものを。」と吐息つきながらうめきける音したるに、「何事。」と女房、駈け付けて見れば、早、目を見つめて、冷や汗、瀧の如く、「南無三宝。」と言ふ声に驚き、母、甚七も下々も、「これは、これは。」とばかりに医者呼びに遣りて、口を開かすれども開かず、鍼立て、血を取りても出ず、一握り灸据ゑても{*1}音無く、終に息絶えて、脆きは人の命。                                 
 「これは、いかな事。」と言うたばかり、各々呆れ果て{*2}、老母の嘆き、一方ならず。女房も、四年の馴染なれども、子の一人も無く、まづ近所の同行四、五人駈け集まり、「是非なき浮世の中。一度は我も人も、かう成るに定まり事。嘆きて帰らぬに、念仏の一声が、もはやこの上の為なり。」と老母、内儀を慰め、まづ片脇に押し寄せ、屏風引き廻し、灯りを上げ、寺へ人を遣れば、坊主来りて幡、天蓋の書き付け、諸行無常の一筆。六道の蝋燭立てを削る。沐浴の湯の下焚きつける。下女は、涙片手に団子の臼を挽き、久三郎は野草鞋の鼻緒をすげる。脇差に紙を巻き、中通りの女は経帷子を縫ふなど、尻も結ばぬ糸。
 哀れに静まり返りしところに、甚助、あわただしく、子の甚太郎、七才に成れるに、戻子の肩衣に裏付袴の大きなるを胸高に着せ、みづから身横に抱きて、微塵も気の毒なる顔は無く、座敷の真中に甚太郎をおろし置き、「今宵の位牌を持つてからは、この家屋敷をば皆、我が取る程に、嬉しう思へ。」と、しかつべらしき顔して、辺りをきつと見廻しけるところに。
 その弟甚七、涙押し拭ひて進み出、「さても太い人。こなたは、いつ勘当許されて来り給ふぞ。兄じや人死なれたとても、筋目無き事は成るまじ。我、かくてあるからは、この跡式を誰か取らん。是非欲しくば、死人と仲直りしてからの事。」と言へば、甚助、眼を見出し、「そなたは知るまじ。過ぎし七日の夜、ひそかに甚九郎殿来り給ひ、『今までの勘当は、公儀へ訴へたるにもあらず。されども、一旦、町の宿老へ断りたれば、十年の内は表向き、行き来無き分にもてなせ。もし明日が日死んでも、子は無し。甚太郎は甥子なれば、俺が跡を遣るべし。』と頭撫でられ、方々の約束。左右なきとて、兄親方に理屈立て。早、敦賀に売られ、筒落米拾ひし事を忘れたか。」と延び上がりて気色するを、女房、この有様を見て、奥に走り込み、衣類、手道具、何やかや、心にかかる欲しい物、どさくさ紛れに取り集め、嫁入り{*3}時の長持に押し込み、錠ぴんとおろして、何の気もない顔して、姑の見る前にて、髪くるくると束ねて切りかくるを、老母押し止め、「そなたが心底、尤もなれども、いまだ若き身なれば、我、分別あり。待ち給へ。」と言ふを振り放し、「もはや私の髪の要る御分別は、ふつふつ嫌でござります。」と、無理に鋏み切つて投げ出す。
 甚助、甚七は、互に大声上げて、面を張り合ふばかりに立ち騒ぐを、同行中取りさへ{*4}、「まづ静まり給へ。この穿鑿は、後にても成る事。死人には手も{*5}かけず、野送りの衆も、宵から詰め掛けて、聞かるる外聞も宜しからず。」と、老母諸共になだめけれども、甚助、これを聞き入れず。「何の難しき事は無し。今宵の位牌を誰なりとも、指でも指したる者は、相手に致す。」と脇差ひねくり廻す。甚七は、「成程、俺が持つて見せん。」と問答果てざるに、同行も扱ひくたびれ、「とかく我々は、日頃のよしみに、まづ沐浴をして仕舞ふべし。」と舁き出し、頭に湯を一杓掛けると、「うん。」と言ふ声と共に息出、「やれ、よみがえりたるは。」と水を口に注ぐと、甚九郎、目を開き、「さても気が尽きたやら、永々としたる夢見たり。」と前後見廻せば、大勢立ち騒ぐ。
 「これは、何事ぞ。」と段々聞きて、肝を潰し、「まづ、その甚助めは、どこに居る。」と言ふ声に驚き、「早、偽りの顕はるるか。」と甚太郎をさかさまに抱きて逃げ出ける。さて、腰を探りて見れば、金蔵の鍵無し。「これは、誰が取りたる。」と言へば、甚七、「私が取りて置きたる。」と懐より出すに、「汝、まことの{*6}志あらば、母には何として渡さざるぞ。その心底より、この愁へを顧みず、跡式の欲論せし悪人め。向後、勘当。」と叩き出せば、誤る道理にせめられて{*7}、一言の返答もなく立ち出る。
 次に、「掛硯は誰が直せし。」と言ふに、老母を始め、知りたる者なし。「よしよし、鉄火を握らせて穿鑿すべし。」と言ふ時、女房、赤面して声を震はし、「それは、私が長持に。」と、しをしをと取り出す。その外、目に立たざる似合はしからぬ物を、一つ一つ取り出すに、誑惑なる心底、言はずして顕はれ、勿論、剃髪の心ざし{*8}より即座に髷払ひたる様の潔きには、似合はざる仕方。「さりとては、水臭き心根{*9}。行く末思ひ遣られぬ。これまでの縁なるべし。」と、夫はこの世にありながら、後家姿と成りて、すぐに親里へ送られける。
 皆これ、欲心より起こりて、慚愧甚だしく、つらつら観ずれば、既に財宝も黄泉の旅の糧に成らず。今より死したる心になりて、有り銀三百貫目、祠堂銀に入れて、常念仏を取り立て、老母諸共に後の世の願ひ。本来の都に帰る山のほとりに庵を結びて、行ひ澄ましける。

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校訂者註
 1:底本は、「すゑて音(おと)なく、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「呆(あき)れて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「娌入(よめいり)の時」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「取押(とりおさ)へ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「死人(しにん)にも手(て)をかけず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「誠に志(こゝろ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「責(せ)められ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「心(こゝろ)より、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「心様(こゝろざま)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

二 付けたき物は命に浮け桶  一足飛びの地獄海船乗る事

 神風や、住吉の浦静かに、摂泉の堺、ここも都めきたる柳、桜町、錦の町の夕日影、西に傾き、鳴門の浪に立ち騒ぎにし群鳥{*1}、雲に霞に見渡せば、海人の磯屋の立ち並び、煙が島もほのかに、淡路の絵島を出舟。武庫山風の心よく、和田の笠松も村雨の跡思はれて、ほととぎすの初島なども眺めの浦、難波の三つ四つ五つ、忘れ貝拾ふなる手近に、細江の藻に埋れ木の干潟に表れ、玉なす浜続きに一つの島あり。殊更に面白く、民家の軒は雪の明けを奪ひ、松の若木の内にわづかなる宮居有りしは、夷島とかや。
 そのかみ、寛文八年神無月十日の夜、雨風烈しく、霰、扉を響かし、しかも暖かなる事、夏の如し。その翌日見れば、夜の内にこの島、出現せり。又、同じ霜月に霊亀上がりて、万代の例を祝ひ初めて、人家多き中にも、蓬莱屋福右衛門とて、廻船あまた、長崎商ひ{*2}の出来分限、度々利潤ありて、この度又、新造の舟出。日なみ静かなるに、男女取り乗りての酒宴。手まづ{*3}遮る盃に千代を重ね、住吉の松太夫は白幣をかざし、舟魂をいさめ、漁きかせの大蔵坊は{*4}錫杖を振り立て、「この仕合丸、上下の順風、思ふ儘に御家の栄え、千秋万歳、金銀は蓬莱屋、所繁昌と、敬つて申し祓ひ、清め奉る。」と良い事揃ひを言ひ立てける。
 さて、水主楫取も、「めでたく今日の酒盛。」と順の舞の芸尽くし、面白く、暫く簾掛けし片見世に腰掛けて眺めしに、「金箱に括り付けし物は、何ぞ。」と問へば、主の翁、「あれは、浮木と言ひて、もし船破損の時、金は重き故に沈みけるも、この浮木を見て、捨てず。」と言ふに、「その時節ならば、乗る者、生きん事難し。命の浮木は。」と問はれて返答に詰まり{*5}、「御法師は、それを御存知か。」と言へば、「金銀は世に多し、舟に積むべし。命は二つ無し、かちにて長崎へ行くべし。今の世の人心、同じ風味なる藻魚を喰らはず、危ふき鰒を食らふ。この島{*6}、一夜に現ず。物に始めあり、終はりあり。一夜に滅すべきものにあらずや。君子は危ふきに居らず。すみやかにここを去りて、南の端{*7}に留まるべし。」

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校訂者註
 1:底本は、「村烏(むらがらす)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「長崎(ながさき)の商(あきんど)の」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「酒宴(しゆえん)して、まづ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「大蔵坊(だいざうばう)、錫杖(しやくぢやう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「問(と)はれて、金銀(きん(二字以上の繰り返し記号と濁点))」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「島(しま)の一夜(ひとよ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「南(みなみ)の橋(はし)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

三 比丘尼に無用の長刀  武士は義理の恥づかしき事

 行けば筑後の国、ここも仮寝の一夜川を渡るや、何の夢路なるらん。高良山のほとり、岩根道を上るに、左の方の玉笹の内に、結びて間もなき庵に、年の程二十に二つ三つ余れる比丘尼の、阿弥陀経読誦して、聞くに殊勝さ増さり、さながら二上山をここに移し、中将姫の面影思ひ出らるる。朝日差し映りて、竹の編戸より覗きしに、仏壇の片ほとりに梨地の定紋清らなる長刀一振り、ことがましく立てけるは、仏の利剣にもあらず、行ひ澄ませる心ざしとは格別なり{*1}。
 子細をその人に問ふべくも、勤行の障りとなれば、ひそかにこの処を立ち去り、苔地の葛鬘など踏み分け、里の家に入れば、主がましき野夫の、裂織といへる袖の侘しく、山刀を差して、真柴束ねて、港の方に出て渡世すと見えて、若牛に鞍置き、童子、鼻綱を携へ、破籠様の物に篠の折箸、粟飯も楽しみと見えて、女は{*2}門送りして、「仕合せの帰りを待つ。」と言ふ。「その声のふつつかなるも、かの男の耳には、いかが聞くらん。かかる縁に引かれて、田舎も{*3}住みよかるべし。」と心の程思ひ遣られ、この柴男に最前のあらましを尋ねければ、我知り顔に語りにける。
 当国の城下に村井弥七右衛門とて、弓大将役を勤めて年久しく、その子息源内は、いまだ部屋住みなりしが、奥に召し使ひの腰元、蘭と言へる女、色香、品形、下々には殊更にすぐれて可愛らしく、乳母なる者にこの下心をささやき{*4}、大旦那の泊番の夜、御袋様の宵まどひの時、ひそかに乳母が手引きして御部屋に忍ばせしより、恋渡る橋と成りて、結びし水の心解け、漏らぬ契りとは知られぬ。月日は流れて早き習ひ、明くる春になり、定めの通りの出替はり。人知らぬ思ひを、誰か柵となつてこの別れをか止めん。程なく去年の今日に当たり、御暇給はりけるを、ひそかに手立てを巡らし、同所の町外れに裏店借りて、忍びて行き通ふ互の心浅からず。深く包む{*5}に、余る浮き名立つて、それより親里小野村といふ所に預け置き、夜毎に行き帰るは、思ひ深草の何がしより通ひ路繁き松原、曙の鐘を聞きて辛く起き別れ、「鶏なき里もがな。」と尽きぬ契りから世を恨みて、今宵も又、暮るるを待ちて急ぎぬ。
 ここに、その頃の暴れ組、家中の二番生へ、天田新七、小須万七、水橋岩右衛門、類を引く友七、八人、この松蔭の下道に叢立ち、月薄暗き夕々は、往来の律義男をとどめてなぶり殺す。「この慰み、何の楽しみにも代へじ。」と呟くところに、源内、何心なく通るに、人声するより、さすが忍び路の気配から身をすくめて{*6}行くを、この者ども見て、「可笑しき男のなりふり、仰山こちどもを怖がるさうな。いざ、上げて落として一笑ひ。」と、一度に左右よりひたひたと寄り重なり、何の苦もなく取つて投げ倒せば、「弓矢八幡。」と刀に手をかけしを見て、「抜かせては面白からず。手を働らかすな。」と言ふに、又、六、七人取り掛かつて、後ろ手に縛り上げ、大小背中に負はせて、杖を以て叩き立て、「この罪人、急げ、急げ。」と大勢後ろより囃し立てたる{*7}時の無念。ただちに消えたき思ひ、譬へ方なく、「せめて、あの月に掛かる雲放れ早くば、一人なりとも面見知つて、後日の遺恨晴るべきもの。」と男泣き。
 「この姿にて女の方へ行くも恥づかし。屋敷へは猶帰り難し。これなる淵{*8}に身を沈むべし。」とは思ひ極めながら、「又、屍の恥辱、そそぎ難し。さても是非なき次第。侍冥加に尽き果てたり。早、今鳴りしは八つの鐘。とてもここに長らへてたたずみ、詮なし。」と夢に辿る心地して、悲しくもかの女の編戸にはこび来り、足にて訪れけるに、女は早く待ち侘び、「いつもの刻限にも来り給はず。いかなる勤めの障りか有りて、今宵は。」一人丸寝の用意して、灯りをしめし、夕に変はりて物淋しく、それかれ思ひやる枕に、夢も結ばず帯解かず、袖垣のそよふく風に驚かされて腸を断つ{*9}時、この音に取り敢へず立ち出、何心なく伴ひ入れ、「最早御出無きかと存じたるに。」と、まづ火を立てて見れば、「これは、いかなる御姿。」と呆れ果てしに、源内、差しうつむき、「口惜し。」とばかり言ひて、涙をはらはらと流せば、女も、「何かは知らず、浅ましき御有様。たとへいかなる鬼神にても、御前様をその如く致すべき者は、おぼえず。」と涙ぐむに、段々力に及ばざる仕合せ語れば、「それは、是非なき所。誰か見知るべき。必ず無念に思し召さるな{*10}。」と様々諌めて、縄切りほどき、夜もすがら撫でやはらげて、野寺の晨鐘{*11}と同じく別れて帰りける。
 ここに源内の従弟、鹿谷惣八といへる男、由良門之進といふ美少と、わりなく兄弟の契約したるに、或る夜の雑談のついでに、「この頃、沢田松原にての事承るに、源内殿の御事は、御自分、遁れざる間なれば、我とてもあだに存ぜず。しかれば、聞く度に気の毒千万。」と、その有様語るに、惣八も驚きながら、「確かならざる事なれば、人違ひも{*12}知らず。まづは、あだなる事にしても、よき事聞くに似ず。」と言ひ捨て{*13}立ち別れ、その翌日、源内に、「もし、この敵の様子は、覚えなきか。」と話せば、皆まで言はせず、「相手知れざる故に、有るに甲斐なき命を今まで長らへし。その沙汰せる者は、誰なるぞ。早く聞かせて給はれ。」と早、顔の色を違へ、骨髄に徹してせいたる勢ひ見えけるに、惣八、分別して、「もし門之進に聞きしと言へば、忽ち討ち果たすに極まるを、言ふべき道なし。」と思ひ、「しからば、近日穿鑿を遂げて、互に遁れぬ身なれば、諸共に討ち果たすべき覚悟なり。」と言ふに、源内、立腹して、「既に聞き給ひたる者を相手にする思案。詮議も評定も要らず。只今承らん。」と言ひつのるを、「それは、聞き分けのなき一言。平に待ち給へ。」と言へば、「その方は、親類には{*14}似合はず。外に思ひ代ふる方ありての事なるべし。今まで堪忍したるは、相手も見知らず、源内とも知るまじと思ひたればこそうち置きしに、語りたる者言はれずは、その方、遁さぬ。」と言ふに、元より惣八、門之進を厭ひけるより、「それ程に思はれなば、いかにも引かぬ。」と言ふ言葉の下より抜き合はせ、潔く差し違へて果てける。
 門之進、これを聞きて、「所詮、この噂したるは、我なり。又、我に告げたるは岩右衛門なれば。」と、この仲間へ押しつけて、段々書き付け、果たし状付くれば、「さては、顕はれたり。」と、所も同じ松原にて立ち合ひ、討ち果たして、門之進も討たれぬ。
 その蘭と言へる女、この事聞きて、発心しての比丘尼なり。

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校訂者註
 1:底本は、「各別(かくべつ)なる。」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「粟飯(あはめし)を楽(たのしみ)と見(み)えて女(をんな)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「如何(いか)に聞(き)くらん、斯(かゝ)る縁(えん)に引(ひ)かれて住(す)みよかるべし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「囁(つぶや)き、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「進(すゝ)む」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「進(すゝ)めて」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「囃立(はやした)てる」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「河(かは)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「腹(はら)を立(た)つ時(とき)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「覚召(おぼしめ)すな」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「晨朝(しんてう)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 12:底本は、「人違(ひとちがひ)と知(し)らず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 13:底本は、「といひて」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 14:底本は、「親類(しんるゐ)に似合(にあ)はず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

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