江戸期版本を読む

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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂懐硯(1914刊)

四 鼓の色に迷ふ人  覗き遅れて窟屋知る事

 清見潟、心を関にとどめ兼ねて、曙急ぐ鐘の声、旅宿の夢を松寒うして、風に驚く三保が崎。田子の入江に差し掛かり、弓手にさつと山気うとく、哀猿叫んで物侘しく、磯辺は千鳥群立ち、猶淋しき真砂地を行くに、塩焼く浜の薄煙立ち昇り、白雲、富士を盗み、心当てなる狂歌の趣向もあだに成れり。
 猶行く末、由井、神原などいへる宿に、矢がらと名に付けし目馴れぬ魚も可笑しく、眠りさましのキセル筒、手に触れ、吹上の松原を過ぎ、早くも舟渡りして、浮島が原より枯野の薄押し分け、足柄の山を始めて見し事も、藜杖、郭を出しより、異なる風景に眼境を悦ばしめ、猶奥深く入るに、樒実りて山茶花色どり、蔦{*1}の枯葉も秋よりはまさりて、賤しき岩尾の恥を隠しぬ。下洩る雫、おのづからに凍りて、山の頭も翁めきたる風情ありて、炭竃絶えて樫の切り株のみあらけなき熊笹を分け行くに、霜に{*2}諸袖を浸し、朝日願へど影遅かりし。忽然と洞に下がりぬ。池波{*3}に響きて、微妙の鼓の音のみ。「ここには不思議。」と聞き耳立つるに、程近く、これなる岩窟にまさしく人やありける。
 紅の細ものなる薄絹の袖ほのめき、焚きしめたる薫りの風を逆らひ、うつつ心に成りて、叢杉の葉隠れより差し覗きけるに、年の程、仮初に見し時は、里の総角、振り分け髪の程過ぎ、十三ばかりの美童の、人家離れてこの所に住む事も由なし。我を見ながら物言はず、笑はず。「絵にかける面影か。」と疑はれ、暫く物思ひしが、過つて近く立ち寄り、夢の心になつて、「いかなれば、かくして{*4}おはしけるぞ。」と尋ねしに。
 「我、その昔は、駿河の府中に酒屋長蔵といへる者の娘なりしに、九歳の時、母に後れ、五年経たざる内より、継母しきに掛かりぬ。世にある習ひとは言ひながら、殊更に妬み、怨まれ深かりしかども、我{*5}、誠の心より、昼夜に身をやつし、孝を尽くしけるに、十三歳の春より、時の母、道ならぬ心にならせ給ひ、度重なれば、人も見咎むる程になりしを、『それ。』と一人二人沙汰せし時、この咎を俄に我にゆづりて{*6}、『通ふ者あり。』と父に告げ知らしめられしに、『この事、只ならぬ曲事。』と糾明に逢ひし時には、『最早、ありの儘に白状すれば、忽ち母の悪名のみならず、橋を渡せし奴まで命を絶ちての不孝の咎遁れず。所詮、我一人の落度になり、一殺多生と孝との道に叶ふ。』と思ひ定め、猶々誤りたる通りの段々書き置きして、その夜、ひそかに裏道より出、この山蔭に駈け入り、五日は水も呑まず、覚えし誦経念仏して、六日より倒れ伏して枕上がらず。
 「今は最後に極めし時、不思議や、異香、空に薫り、口に露の注ぎ掛かるとおぼえて、おのづから息通ひ出しより力つき、時々怪しき童子、天降りて伴ひ遊び、身体軽く、時知らぬ飲食。飢ゑず、寒からず、躑躅の咲くにて春を知り、いがの落ちたるに秋を知りて、三十年この山に住み、神通、今おぼえて、居ながら古里を見るに、早、母は先だち給ひて十七年になりぬれば、これを語る。『天道、人を殺さず。』とは、誰か{*7}言ひけん。道人、稀に来り給ひて、語るも不思議なり。」と言ふも愚かなり。「暫し。」と思ふ昔語り、尋常の三日にぞありける。
 その後、里に出て、又帰るさの夕、府中に仮寝して、明けの日、主にこれを語れば、横手を打つて、「その長蔵と言へる者、今は跡絶えて所縁無し。これは、奇異の物語。道人、先達して、その所見せ給へ。」と言ふに、二、三人伴ひて、又、右の岩窟に往きて見れば、かの鼓、羅綾の衣残りて、再び見えず。

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校訂者註
 1:底本は、「葛(くず)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「霜(しも)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「岩(いは)に下(さが)りぬ、池崎(いけざき)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「夢(ゆめ)の心地(こゝち)になつて、如何(いか)なれば久(ひさ)しく御座(おは)しけるぞ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「我(わ)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「ねずりて、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「誰(た)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

五 椿は生き木の手足  都の御客に芸尽くし見する事

 夜だに明けば、尋ねて紀州街道に出づべきに、邪見の里のつれなく、「一人法師に宿貸さじ。」と没義道なるも、誰を恨みの葛、信太の森の下蔭に、涙な添へそほととぎす。木の葉、夏ながら紅葉に、枕に夢も結ばず。かかる時こそ世の憂きも{*1}知らるれ。更け行く鐘を嵐に伝へ聞けば九つ。「まだ宵ながら」とは言へど、辛きが為は秋より永く、遠里に麦搗く歌を伽{*2}に嬉しく、薄曇る月の習ひ、藪蚊いとど群がりて悲し。
 かかる所に怪しき姿せし者、忙しげなる足並みしどろに、「只今、御本社よりの御使者。」と八葉の車轟かし、「御名代なるは。無礼するな。」と先走り、この森の社壇開けば、「真体、葛の玉姫。」と聞こえて、静かに歩み出、立ち向ひける時、使者、車より下りて、笏取り直し、「今般の御祭礼、御旅中、御機嫌よく、今宵、祠に入らせ給ひ、京中の氏子ども、悦ぶ事限りなし。ついては例年の如く、諸国御流れを汲む無官{*3}の者に、その功の仕方によつて官位あるべし。」と子細らしく冠を撫でおろし、「その為、深草飛び丸、勅使なり。」と言ふ時、皆々、頭を下げてうづくまれば、玉姫、座をしざりて、「飛び殿、これへ。」と請じ、御社の早介に言ひ付けて、国中に廻状を遣はせば、蟻通しの歌之助を始め、暫しの内に寄り集まり、皆々、献上物を差し上げ、赤飯、山を築き、油揚げを貢ぎ、酒は堺の{*4}大和屋に念を入れ、蝗の取り肴まで運び、「この度の御事。」と上を下へと返し、酒、次第に長じて、これより芸尽くし始まり。
 「金熊寺の彦助殿。いざ、遊ばせ。」と言ふ時、「辞退申せば恐れあり。私は、里々の麦秋を志す住持玄海。」と名乗りも{*5}果てず、祈祷、八卦、月待ち、日待ちの一祈り。「摩訶般若波羅蜜。」と舌の廻らぬところはあれど、口早に繰り返し、印を結びかけ、手を打つて、その儘の法師柄。「化け功、甚だ余りあり。」と一番に御免を蒙りける。
 次に、黒装束の中納言、言はずして知られたり。雨雲の馬より真さかさまに落ちての何がし。「蟻通しの歌殿よな。」
 三番に、家原に住みて年{*6}久しきちよこ兵衛。姿は二八の花の顔、色紫の帽子をかけて、いづこへ飛子{*7}の、定めなくしどけなきなりふり。満座、「死にまする。」と悩みける。
 次に、銭箱這ひ出ける。昔の鉄輪は三足、これは一足も見えねど、尾の隠されぬが気の毒。前に貼りし御札にて、牛瀧{*8}の水四郎と知られぬ。
 五番に、水間の野老堀のぬく介。形はその儘大木と成り、両手は梢の如く、時ならぬ椿の花。折りに来る者をかどはかす。
 次に出しは、やさ姿。たとへば島原の野風、大坂の荻野{*9}にも劣るまじき風俗。衣紋気高く引き繕ひ、いかなる粋もころりとさせんその化粧。「どうもならぬ。」と興じけるは誰ぞ。「言{*10}も愚かや。乳守に名高き葛城が仮姿。大泉陵の墓荒らし。」と会釈して入れば、色黒き声高なる男。これは、佐野の櫂盗みの門之介。
 次に、鉢巻に釣髭、大小。見るから{*11}、ねだれ者。「酒手くれねば通さぬ男は、助松のねぢ助。」と、大笑ひに尻声無く、明くれば元の林になりぬ。

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校訂者註
 1:底本は、「憂(うれへ)を知(し)らるれ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「枷(かせ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「汲(く)む官(つかさ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「酒(さけ)は大和屋(やまとや)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「名乗(なのり)の果(は)てず、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「手(て)久(ひさ)しき」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「飛(と)ぶの」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「計(はか)りしお札にて手瀧(たき)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「萩野(はぎの)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「事(こと)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「見(み)ながら」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

懐硯 巻三

一 水浴びせは涙川  一度に五人女房去る事

 五十鈴川の小石を拾ひ、恋の夜に入る人の、門口、蔀に打ち付け、天の岩戸も破るるばかりに響き渡り、伊勢の山田に旅寝せし夢を驚かしぬる。宿の主に{*1}、「何事ぞ。」と尋ねしに、「近所に嫁入りあり。」と言へり。「誠に、二柱の初め、男神女神のそれより以来、人皆、悋気より起こりて、かく小石を打つ事よ。」と大笑ひに目をさまし、東路に下り、その後又、この宿へ通り掛けに立ち寄りけるに、「人、うつけたりとて、なぶるまじき事。」とて、亭主の語りけるは。
 いつぞや、女房呼びし男は、中世古といふ所に松坂屋清蔵とて、身過ぎに賢き、世間愚かなる男なりしが、常に寄り合ふ謡講の宿には、彦左衛門、徳介、松右衛門、新助。師匠は武右衛門。一所に並び居て、「今宵は清蔵遅し。」と言へば、彦左衛門進み出、「この春、女房持つてより、少々の用事には、門にも出ず。昼も大方寝て居ると見えたり。世の中は皆あの通り、過不及なる事のみにて、無男と言ひ、余程足らぬ者が、今の女房など持つべしと、下手な氏神も知り給はじ。憎き事は、一昨日もちよつと見舞ひたるに、夫婦、真昼に炬燵にあたり、しかも俺が訪るると、二人ながら蒲団かぶりて俄に空いびき。さりとては、その仕方の悪さ。」と言へば、皆々口を揃へ、「法界では無けれど、あの男めに、あつたら女房を持たせて置くさへ腹立つに、余り見苦しき有様。今にも来らば、言ひ合はせて、去らする談合せん。」と言ふところへ、清蔵来り、一つ二つ世間話のついでに。
 松右衛門、一分別ある顔して、「かう話すからは、互に悪しき事あらば、言ひて直すが道と思ふから、近頃言ひ難けれども、この度の御内儀の事、器量は尤も人の沙汰する程の、諸体、残るところ無し。されども、今までよそへ{*2}行かずに居たるは、いかう子細のある事。誰も知るまじ。持病に癲癇といふものありて、年毎の小寒の末、大寒の差し入りに必ず起こりて、御手前の命を取らるべしと、贔屓に思ふ程の者は、これ沙汰なり。」と言へば、清蔵、肝を潰し、「それは、いかなる病。」と言ふに、「ひよつとこれが起こると、まづ丸裸に成りて、真昼に大道に走る。常々隠す事を口走る。道具を打ち割る。科なき下人を打ち叩き、畳を切り裂き、我が男の咽笛に喰らひつく。」と言ひ立てる時、清蔵、色を違へ、「南無三宝。」と暫しは物も言はず。「さてもさても、是非なき事。」と、これをまん誠に{*3}思ひ、「よくこそ知らせ給へ。大寒も早、程近し。命一つ拾ひました。」とただちに宿に帰れば、後は大笑ひして、謡はやめにして夜を明かしぬ。
 清蔵は、宿に帰り、女房呼んで、「ちと思ひ入れあれば、暇を遣るぞ。只今帰れ。」と立ちながら三行半さらさらと書きて投げ出せば、女房、涙を流して、「これは、いかなる事を聞きて、かく仰せらるるぞ。様子聞かせて給はれ。」と言ふに、「何程むつかりやつても、涙が怖い物でなし。」と愛想なく引き立てければ、この悲しさ限りなく、されども女のわりなさ、泣く泣く里へ帰りければ、親達の不思議。「常々、人の沙汰に逢ふ程、仲よき夫婦と言はれて、今、俄に去らるるは、定めてそなたに不義あるべし。さてさて、憎き女め。」と奥の一間に立て籠め、仲人七右衛門を呼びて、この由語れば、「これは、思ひ寄らぬ事。清蔵、この分別あらば、私に知らす筈。まづ参りて、様子承るべし。」と清蔵方に行けば。
 早、声を上げて、「七右衛門殿ともおぼえぬ。あのやうなる病者を、ようこそ肝煎れし。」と恨み数々。「それは、心得ぬ不足承る。子細語り給へ。」と言へば、右の段々。「追つ付け、寒に近し。何と七右衛門殿。人は、嘘をつくものではござらぬ。」と言ふに、「さりとては、その様な事とは夢にも知らず。」と呆れて帰りぬ。
 月日の{*4}経つは早く、寒の明けの日、この女房、衣装、常より改め、美々しく飾り立て、物好みの模様染。蹴出し、歩みの品形、殊更に{*5}すぐれて、見る者、悩まざるは無し。老母と同道して、右悪口言ひし五人の者どもの家毎に見舞ひて、「寒さも過ぎ行きますれども、煩ひも致さず、風邪さへ引かぬ達者、御目に掛けん。」と一々見せ、清蔵所へも立ち寄りて、「随分無事に暮らして、この通り。」と言ひ捨て出れば、清蔵、手を打つて、「さても、人は跡方無き事を沙汰して、馴れ染めたる仲を離れさせける。」と思ふ上に、寄り来る程の者は、「美しき御内儀を、何として離別なされたぞ。心立てと申し、結構なる御人。千人の中にも又あるまじ{*6}。」と金を落としたるやうに言ひなし、殊に、「この頃、いづくやらへ嫁入らるる由。この男に成る者は、仕合せな事。」と言ふに、清蔵、この残念、胸に迫り、節季の仕舞ひ{*7}も、「誰と年を取るものぞ。」と、万事打ち捨て、面白からぬ浮世。朝夕、「無念、無念。」と口ずさみ、二十七、八日より髪をも結はず、正月着る物も縫はせず。「蓬莱も海老も相生の松も、夫婦ありてこそ。」と打ち伏しける。
 明くれば初春の空のどかに、それかれ当年の御礼者、声頻りなるも、「正月早々から疝気が起こつて、寝て居ると言へ。」と起き上がらざるところに、子どもあまた、大人交じりの声賑はしく、「水浴びせ、水浴びせ。」と囃し立て通るに、清蔵、「好もしき事。」とそのまま駈け出、格子よりこれを覗きて、「あれは、下の町の孫助ではないか。誰が娘を呼んだ。」と言へば、下人太郎介、「旧冬より頼みが参りて、こなたの初めの御内儀様の、嫁でござりました。」と言ふに、今は堪り兼ね、「無念至極。」と奥へ駈け入り、「何の、面白からぬ浮世に長らへて、詮なし。とかく、世に二人とも無き女房を、嘘ついて去らせし五人の者を、片端より{*8}刺し殺して、死んで胸を晴らすべし。」と思ひ定め、長持の錠ねぢ切り、脇差取り出し、髪は去年の二十日過ぎに結ひたる儘なるを乱し。
 まづ彦左衛門方へ駈け込めば、「この春のめでたさ{*9}、いづれも若うならしやりて、五百八十、七まがり。注連縄飾り、幾久しく。」と盃事して居るところに、「彦左衛門は、いづくに。」「礼に出ました。」と言へば、「隠れても、隠れさせぬ{*10}。」と一尺八寸、ひらりと抜きて、「家捜しするぞ。」と奥から口ヘ走り巡りけるに、子どもは恐れて逃げ散り、辺りほとりの者も、「これは、何事が起こりたる年の始めなる。」と戸鎖して肝を潰し、彦左衛門は留守なれば、それより松右衛門所に行きて一騒ぎ。徳助へ走り行けども、皆々、礼に出たる後の間に、五人の者の家々を抜身にて駈け歩きしに、途中の礼者、肝冷やし、元日にこのやうな事は、終に例なき騒動。「やれ、喧嘩よ。」「狼籍者よ。」と飾り松踏み倒して逃ぐるもあり。
 それから謡宿、武右衛門所に行けば、折節居合はせ、この有様を見て、驚きながら、「まづ静まり給へ。いかやうとも、こなたの存分の通りに{*11}致すべし。」と言へば、さすが師弟の挨拶ありて、暫く静まりし内に、宿老になだめさせても聞かぬを、旦那寺の長老、医者の春徳、上下四町の年寄をかけて扱ひて、漸く堪忍するになりて、「命は助け、右の五人者の女房、皆々、去らせて{*12}給はれ。」と言ふになりて済みぬ。
 それより清蔵、五人の家々に行きて、荷物まで拵へ、自身、その親里親里へ送り届けける。或いは子どもあまたのある仲、思ひも寄らぬ飽かぬ別れを悲しみ、哀れは言ふばかりなし。武右衛門女房は今年六十一なりしも{*13}、堪忍せず。「馴れ染めて四十三年。今になつて去らるる。これは、いかなる因果。」と嘆かれしも理ぞかし。
 総じてこの類の悪口、言ふまじき事なり。

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校訂者註
 1:底本は、「主(あるじ)、何事(なにごと)ぞ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「今(いま)まで行(ゆ)かずに」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「是(これ)を真事(まこと)と思(おも)ひ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「月日(つきひ)消(た)つ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「容姿(しなかたち)更(さら)に」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「亦(また)有間敷(あるまじき)と、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「節季(せつき)の仕迫(しはす)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「五人(ごにん)の者(もの)、片端(かたはし)から」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「目出度(めでた)さは、何(いづれ)も」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「匿(かく)させぬ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「通(とほ)り致(いた)すべし」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 12:底本は、「五人(にん)の女房(にうばう)、皆々(みな(二字以上の繰り返し記号))去(さら)せ給(たま)はれ」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 13:底本は、「なりしを」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

二 龍灯は夢の光  見馴れぬ面影の海の事

 いづこの虹ぞ。更に今、反橋渡せる夕景色。紀の三井寺の有様、近江なる湖、ここに譬へて、「都の富士は磯。」と眺めり。折節の秋の風、吹上に立てり。白菊、数咲きて、浪に映らふ星の林の如し。これなん織姫の宿り木とも伝へし布引の松、千代ふりて、毎年七月十日の夜、龍灯の光鮮やかなる。玉津島姫の姿めきたる嫁子を誘ひ、貴賤、遊山船に酒歌の楽しみ、或いは琵琶の撥音{*1}。「楽天が髭を撫づる潯陽の江も、よもやこれには。」と自慢の男、この所に寄りなん。
 沖浪騒がしく、次第に夜更け方に成りて、人の心も空なれや。晴れ行く月{*2}の影を外になして、「龍神の灯捧ぐるも、今なるべし。見ての語り句にもや。」と群集の輩、瞼に汐風を厭はず。眺めに、首の骨も、たゆくなりける。
 昔より、所の人の言ひ伝へしは、「この光を見る事、人の中にも稀なり。随分の後生願ひ、人事を言はず、腹立てず、生仏様と言はるる程の者が、仕合せよければ、ちらと拝み奉る。」と聞きしところに、大勢立ち重なりて居るを、我慢に突きのけ、押しのけて出し男、真向に進み、珠数の緒の長きに、話半分繰り交ぜながら、「各々、あれ、見給はぬか。今、上がらせ給ふは。」と目を眠り、頭をうなだれしに、十人の内、七、八人は、磯に漁火するを見付け、「有り難し。日頃、人悪かれと思はぬ証拠、今、顕はれたり。」と顔皺めて{*3}拝み、又、二、三人は、「罪が深いやら、何ぼ延び上がりても、見えぬ。」と頭掻く程の者は、まことなるべし。
 道人は、「とても及びなし。」と、「観音堂に通夜せん。」と、初めは普門品読誦などしながら、つやつや眠る内に、その明けの空に、紫の雲たなびき、海上風絶えて、浪間に金色の光。水玉湧き返り、微妙の調べ、耳に響き、「不思議や。」と見るところに、鬢づら結ひの童子数十人、瑠璃灯を捧げ、後に無量の鳥兜と見えしは、辛螺{*4}、鮑、ぴんとしたるが、魚の尾鰭冠して、管絃を奏し、この松に掛け奉り、各々、海上にひざまづき給ひ、こなたを伏し拝むと、御厨子おのづから開かせられ、持ち給ふ一茎の蓮華を上げて、「善哉、善哉。うろくづども。」と三度うなづかせ給ひて、又、戸帳に隠れさせらるると、皆、波間に入ると、枕の鐘と、夢が覚むると一度にて、感涙、肝に銘じ、宵の後生願ひ、可笑し。

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校訂者註
 1:底本は、「掻音(かくね)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「日(ひ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「貌(かほ)顰面(しかめ)て」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「田螺(たにし)鮑(あはび)ひんと」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

三 気色の森のこけ石塔  虎猫遺恨の事

 杖扶暫し留まる大隅の片里に、涼しき暮を待ちて、沢辺を行く細石水に夏無き心地のして、更に都を思ふ糺を、ここに梢の茂み、さながらその気色の森に、ほととぎすの折節を知らせ、わづかなる村雨も旅の習ひとてうたてく、漸々に辿り来て、近付きにはあらぬ方に子細を語つて、一夜の仮寝に夢見る暇もなかりき。
 人の姿は、鄙も、さのみに変はらず。明日は五月の五日とて、松明明かして、後上がりなる月代を剃りなど{*1}、老人は、肩衣掛けて持仏に勤めなす有様。東門徒の名号、いと殊勝に拝まれける。女は、柏の葉にて黒米の餅などを包みけるは、これなん上方に見し真薦の粽の代はりなるべし。弦鍋に小さきいかきを仕かけ、葉茶を煎じて、伊勢茶碗の手厚きに汲みなして、我をもてなしける。いづくにも鬼は無き君が代の道の広きを今見る事、かへりて話の種ともならんかし。
 明くる曙、急ぐ草鞋がけ、脚絆のしし干になるまで囲炉裏の縁に掛けて、取り交ぜての話聞く内に、隣に人声のかまびすしく、「いまだ盛りならざる女の叫びけるは、いかなる事。」と尋ねしに、主の語る。
 あれは、過ぎし頃まで、この国の御屋敷方に和田太郎七とかや言へる御内に、十一、二歳より四、五年、奥に召し仕はれて、不憫がられしに、俄に物狂はしくなりて堪らざりけるより、この頃送られて帰りしを、両親、これを嘆き、一人の娘を生きながら地獄に落とす心して、力に及ぶ程、医療、祈祷に暇なく加持すれども、気色静まらず。これより十七里を経て名誉の道人ありけるを呼び越し、余りに強く祈られ、おのづから本性を顕はして、「我は、この女と朋輩にて、分けて{*2}隠居の御袋様に可愛がられ、朝夕、御飯参る膳の先に前足折つて、御口元に目をつけず嗜み居るに、御心つかせられ、鯛のせせり残しを残らず、『虎よ、虎よ。』と頭撫でながら下され、生臭物さへあれば、いづくの屋根の上、蔵の隅に居眠りして居るにも、呼び給ひし御心入れ、嬉しかりき。
 「或る時、御娘子御平産ありし御見舞の留守には、我一人淋しき襖の内に立て籠められ、一日一夜、御寝巻の上に眠り、御帰りを待つに遅く、早、腹に力なく、それより台所へ出て見るに、いつもの鮑貝には乾飯の如くなりてあるをも、誰あつて心を付くる者もなく、余りの事に膳棚にかかり、匂ひを尋ぬるところに、小さき青皿に飛び魚、半ばを喰ひさしてありしを、手にてそろりと掻き出すを、この女、走り来り、『夕飯に添へんと思うて置いたるものを。』と、釘に懸けたる摺小木を以て、肝心の鼻柱をしたたかに喰はされ、絶入するところを掴んで放られ、忽ち眼くらみ、三度舞ふまでは叶はず、息絶えける時の一念、いづくへか行かん。さて、亡骸をばひそかに溝の側に掘り埋められ、暗きより暗き畜生道の輪廻を離れず。その時、隠居様へは、『行方知らず。』と偽りし恨み。なまなか、かくなる事を聞かせ給はば、跡をも弔ひ給はらんものを。」とさめざめと嘆きぬ。
 聞く者、料簡して、尤もの事に思ひ、「しからば、いかやうにして退くべきぞ。」と言へば、「我に別に望みなし。一生暖かなる事を知らず。夏冬、時を分かず{*3}炬燵して、この家の内に置き給はれ。さて、朔日、十五日、節句、晦日には、鰹節、またたびを櫓の上に備へ給はらば{*4}、只今速やかに退くべし。」と言ふ時、「それは{*5}易き事。成程、心得たり。」と言へば、嬉しき笑みを含み、悦ばしき声、「にやあにやあ。」と言ふと、気色静まりぬ。今に至つてその家には、不断炬燵して置かねば崇りける。
 或る時、病人、又、口走る事あり。「我は、同じ屋敷の与九郎と言へる者。この女に度々執心、かき口説きて遣はしけるに、つらからば只一筋につらからで、情け交じりの嘘を誠と思ひ、年の二年、心を砕き、人目の関の明け暮れ忘るる時なく、『今は時節悪しし{*6}。』『今宵は勤めに暇なし。』と、根から嫌とも色に{*7}出さず。それをば神ならぬ身の白糸の、夜は焦がれ、昼は燃え、胸の煙に立ち迷ひ、富士は思ひの磯、涙に浮き身の沈むに極まりし時、『既に命の絶え行く水の柵、一夜はとどめて。』と訪れたるにも、つれなくいなせの捨て言葉も無く、食事、おのづからにやみて、これを思ひ死に。誰かこの憂きを問はん。
 「今は、恨みの一言言ふべき便りも無く、魂は大閣寺の墓{*8}にも留まらず、冥途にも往かず。一念、この女の影の形に{*9}添うて、片時も離れず。幸ひに、この度の妖怪の縁に引かれて、憤りを顕はす。只恨めしきは、空しく果てし後、それとも思ひ出しもせられず。今は、取り殺して苦患に沈むとも、呵責に逢ふとも、共に黄泉途の旅の仮枕。一度は、この思ひを晴らすべし。」と言ふ声、初めに変はりて荒ららかなる男の五音。段々、理をせめての物語、聞くに哀れを催せり。時に、祈祷せし僧、随求、光明、大悲咒を繰り返し、「この後は、跡をも弔ひ、又は、この女に出家をさせ、永き未来、一蓮托生の契りを祈らすべし。」と言ふに、「和尚の教化、骨髄に徹したり。」と発起菩提の心を顕はして臥しぬ。
 その後、病気、右の如く本復して、この事を問ふに、「覚えあり。」と言ひしに、死霊の有様を語りて、比丘尼と成し、浮世を忘れ水清き心の花を立て、香を焚き、人は煙の程と消えし心根思ひ知られ、その身堅く勤めて、苔の衣を露に絞り、今は煩悩、かへつて善根になりぬ。然れども、そのしるしには、この比丘尼、墓所へ参る度毎に、石塔倒るる事の不思議や。「一念五百生、懸念無量劫。」まことなるかな。
 我{*10}、この所に夏の頃一宿して、西海残らず巡り、同じ年の雪の山見し時、再びここに来つて、この女の物語を聞く。「世には、かかる例もあるものかは。」と、かの石塔の元に行き、見ぬその人の跡を弔ひて帰りぬ。今に{*11}「こけ石塔。」とて、名は大閣寺の庭の叢に残れり。

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校訂者註
 1:底本は、「剃(そ)ると、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「化(ば)けて」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)本文及び語釈に従い改めた。
 3:底本は、「分(わか)たず」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「給(たま)はゞ、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「そは安(やす)き事(こと)、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「悪(あ)しく、」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「色(いろ)には」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「暮(くれ)」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 9:底本は、「形(かたち)の」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 10:底本は、「我(わ)が」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。
 11:底本は、「今(いま)は」。『西鶴諸国ばなし 懐硯』(1992)に従い改めた。

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