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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂西鶴織留(1927刊)

校訂西鶴織留(1927年刊)WEB目次

西鶴織留本朝町人鑑 目録一
一 津の国の隠れ里
四千七百目は聞き耳の徳  上々吉諸白大明神
二 品玉とる種の松茸
謡の受け売り庄屋殿不機嫌  灰も積もりて山となる小判
三 古帳よりは十八人口
嫁とる時から浅葱着る物  提灯に釣鐘かけ合はぬ事
四 所は近江蚊帳女才覚
数百人はごくむ千貫松  勢田に馬はあれど浪人心

西鶴織留本朝町人鑑 目録二
一 保津川の流れ山崎の長者
仕合せと猿の口より金目貫  商ひの元手に片木{*1}一枚
二 五日帰りに御袋の意見
梅は二代も生れど悲しきは老母  国に広がる一巻の唐織
三 今が世の楠の木分限
無用の七つ道具  元手減らさぬ評判
四 塩売りの楽介
縞の財布書き付け相違無し  隠れなき都の聖人
五 当流の物好き
猩々変じて出るめでたき御代  世間に隠れなき小川屋の流れ

西鶴織留世の人心 目録三
一 引く手になびく狸婆
算用無しの預かり手形  御前に正月の夜遊び
二 芸者は人をそしりの種
六月に雪降らすも不思議にあらず  今の世のはやり俳諧も一興
三 色は当座の無分別
三匁惜しみの千貫目知らず  悲しき時の売り物
四 何にても智恵の振り売り
毎年師走の働き男  猫の蚤取り手替はり

西鶴織留世の人心 目録四
一 家主殿の鼻柱
心から九度の宿替  別れを歎く中の喧嘩
二 命に掛けの乞ひ所
心を付くる絵馬医者  我も人も子に迷ふ世上
三 諸国の人を見知るは伊勢
千人前の膾{*2}焼物  疑はれたる長崎の心根

西鶴織留世の人心 目録五
一 只は見せぬ仏の箱
丹後国切戸の文殊に参詣  世につれて変はるは人の美形
二 一日暮らしの中宿
世の定めとて三月五日九月五日  猫は仕着せなしの奉公の身
三 具足兜も質種
葎まじりの伏見の里  心なき商売人の普請

西鶴織留世の人心 目録六
一 官女の移り気
世につれての姿見の鏡  若菜そろへるは男おもひ
二 はやり笠のかづき物
世の賢き時よい事ばかりはさせず  心のつかぬ所旦那殿の無分別
三 子を思ふ親仁
世の人は笑ふとも竹箒槍  乳母いよいよ我が儘言ひ次第
四 千貫目の時心得た
世は皆合はぬ算用して見よ  銀は家質で貸すべき事

校訂者註
 1:底本は、「片(へぎ)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
 2:底本は、「鯰(なまず)」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。


校訂懐硯(1927年刊)WEB凡例

  1:底本は『近代日本文学大系 第三巻 井原西鶴集』(国民図書株式会社編輯発行 1927年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:校訂には『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(野間光辰校注 岩波書店 1991)、『西鶴織留 決定版 対訳西鶴全集5』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1993)を参照しました。
  8:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)

ア行
 明く→開く・空く 跡→後 碓→石臼 壱→一 入る→要る・煎る 偽→嘘 中→内 移す・移る→写す・映る 産まる→生まる 扇子→扇 発る→起こる 各→各々
カ行
 借す→貸す 変はる・替はる→替はる・変はる 蚊屋→蚊帳 碓→唐碓 傘→唐傘 闇し→暗し 気色→景色 下種→下衆 棋→碁 小性→小姓 火燵→炬燵 比→頃
サ行
 拾→十 荘屋→庄屋 居う→据う 椙→杉 数珠→珠数 男子・倅子→倅
タ行
 慥か→確か 立つ→経つ 中→宙 抓む→掴む 舂く→搗く 釣る→吊る
ナ行
 直す・直る→治す・治る 中→仲 詠む→眺む 悪し・悪む→憎し・憎む
ハ行
 鉄漿→歯黒 祖母→婆 疋→匹 隙→暇 二たび→再び 不便→不憫
マ・ヤ・ラ・ワ行
 見世→店 参詣づ→詣づ 本・許→元 鬠→元結 資本・資→元手 屋→家 内衣→湯具 娌→嫁

上記以外(篇毎 登場順)

 目次 帚→箒
 序 闕く→欠く 游泥→汚泥 某→何がし
 1-1 八木→米 物→者 男子→息子 義→儀 新座池→新在家 大金貝→大金書 筒→胴 妾→手かけ 嫁子→嫁御
 1-2 順ふ→従ふ 稷→黍 豕→亥の子 焼く→焚く 十二月→師走
 1-3 角→隅
 1-4 鎰→鍵 御座→茣蓙 斗る→量る 食→飯 女夫→夫婦 姨→叔母
 2-1 木ずゑ→梢 船人→船頭 丸→弾 首→頭
 2-2 借人→借り手 形気→気質 旱→日照り 廻る→巡る
 2-3 利相→利合 竟に→終に
 2-4 面→表 島→縞 帰る→返る
 2-5 摩づ→撫づ 立田川→龍田川 主人→主
 3-1 費ふ→使ふ 利→理 目がね→眼鏡
 3-2 花車→華奢 囃→囃子
 3-3 古妻→勝間
 3-4 定木→定規 立付→裁着
 4-1 阿太子→愛宕 媒鳥→囮 閑か→静か 割く→裂く
 4-2 天→空 拍つ→打つ 初む→始む 風→風邪 轆杓→六尺 薬師→医師
 4-3 道行→同行 引く→弾く 馬士→馬子 率爾→卒爾 小幡→小俣 海道→街道 盗→盗人
 5-1 各別→格別 愚智→愚痴 歩行→歩み
 5-2 俗生→俗姓
 5-3 艗→舳先 男→雄
 6-1 公家→高家 鉄→金
 6-3 嫗→乳母 睪→横目 素湯→白湯
 6-4 越度→落ち度

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

 風は形無うして松に響き、花は色あつて物言はず。眼に遮る事は心に浮かび、思ふ事言はねば腹が膨るるといふは、昔、やつがれが小さき腹して、拙き口を開けて、世間の由なし事を筆に続けて、これを世の人心と名づけ、難波のくれはどり織り留める物ならし。
    難波  西鶴

 西鶴生涯の内、述作する所の仮名草子、棟に充ち牛に汗して世にはびこる内に、日本永代蔵、本朝町人鑑、世の人心、これを三部の書と名づく。尤も、商職人の閲するに、日用、世を渡るたつきに心を得べき亀鑑たるべき物にして、永代蔵は、その功なりて後、町人鑑、世の人心、半ば書き遺して、過ぎし酉の葉月にこの世を去りぬ。されば、両部の名のみにして、空しく三部の欠けたらんには、主の本望も叶はず。且は、巻いて紙虫の家とも成らば、珠を汚泥に隠すに等しからんと、書林の何がしの歎きに応じて、両部の書き残されし半ばづつを取り合はせて一部と成し、彼に与ふるついで、予に序を乞ふ。この書の功の終はらざるに別れしを思ひ出て、涙を墨にして筆を添へ侍りぬ。
    難波俳林  団水誌

巻之一

一 津の国の隠れ里

 神武この方、世の人、艶女に戯れ、無明の眠りの中にその家の乱るる事、数を知らず。近年、町人、身代畳み、分散にあへるは、好色、買ひ置き、この二つなり。損銀、あだ銀、年々相積もりて、才覚の花も散り、紅葉の錦、紙子と成り、四季転変の乞食に筋無し。これを思ふに、それぞれの家業に油断する事なかれ。
 ここに、津の国伊丹、諸白を作り始めて家久しく、毎年の勘定、銀五貫目。延びも縮みもせず、「生まれつきたる小男の仕合せ。」と月日を送る内に、子ども、成人をして、しかも総領、よろづに賢く、親の古風とは替はり、当世仕出しの衣服に身を飾り、これより女郎狂ひに染まり、我が里より忍び駕籠を急がせ、都の島原通ひつのれば、少しの元手、残り少なく成りて、身上危なく、二親歎きて異見するに、とまらず。
 或る時、約束して、丸屋の七左衛門方に太夫の吉野を揚げ置き、常より険しく六枚肩にて上りけるに、丹波口にて夜半の鐘。とかうする間に八つ。門開きて、宵より夢見し客、「名残惜しさは、朱雀の細道」、歌ひ連れて帰る。我は、今来て、太夫が待ちかね顔見るも、恋に深き所の籠れり。「まづ御行水よ、白粥よ。柚味噌、酒麩の後から牡蠣の御吸物出して。鴨の板焼は、火鉢をすぐに御座敷へ出すぞ。」と。勝手は煙立ち続き、亭主は置炬燵を仕掛け、女房は濃い茶立て、「御気晴らしに。」と上げける。引舟女郎に髪撫で付けさせ、禿に足の裏をさすらせ、吉野に手の指を一つ一つ引かせ、よその投げ節をこちの肴にして飲みかけ、「この栄花、大名も成らぬ事。願はくは、我が声聞くと{*1}、京中八十二人の末社、出口十七軒の茶屋までも、霜夜に裸で起きて、『旦那の御上京なされた。』と嬉しがる程、物取らせたし。とかく欲しきは金銀ぞかし。算用無しに遣ひ捨てば、この遊興の面白さ、限りあらじ。目前の極楽とは、ここの事。寝た間は仏。」と、三つ重ねの布団の上に楽枕して、吉野と一つ二つ、物言ふ内に。
 門の戸険しく開けて、「御宿より御状が参りました。」と隣の床の客へ届けるに、「何事か。」と言ふ声して、「これは、めでたや。金銀掴み取りの内証、江戸の手代より申し越した。関東筋、大風吹きて、米、俄上がりなれば、これより大坂に下りて、西国米、大分買ひ込み、上がり請けたらば、太夫を根引きにして、我等が奥様にする事ぞ。」と。「この度の仕合せを祈れ。夜が明け次第に、ここを立つぞ。」と今少しの別れ惜しみ、床を離れかねける。
 時に伊丹の人、この事を聞き耳立てて、いまだ帯も解かぬに起き別れ、面白き最中を思ひ捨て、「我が里に失念したる事あり。」とて、首尾構はず立ち帰り、早駕籠急がせ、伏見より飛脚船借りて、その日の四つ前に大坂の北浜へ着きて、問屋をひそかに語らひ、米大分買ひ込みけるに、早、昼より上がりて、只一時の内に三十八貫目、丁銀にて儲け込み、この思ひ入れに油買ひ込み、又四十四貫目上がりを請けて、機嫌良く伊丹に帰り、親仁に小判の山を見すれば、世間に金の珍しき時分なれば、これ、長者の心なり。
 さる程に、たまたま逢ひに上りし女郎を捨てて、身過ぎ大事にして利を得たる所、分限に成るべき始めなり。その後は、江戸酒、貸し銀。田畠を求め、棟高う作りて住みなし、心よき春を重ね、「元日の嘉例。」とて、父親は胸前垂して蓬莱を丸盆に組み付け、橙、伊勢海老無しに祝ひける。母親は、芋、大根ばかり雑煮を盛り並べ、「餅の入るのを忘れたる年より仕合せ良し。」とて、今に、その通りなり。
 さて、親仁の書き初めに、毎年定まつて遺言状を認め、箱入にして封印付け、持仏堂の下へ納め置かれしが、そもそもは有り銀五百七十目なり。年毎に書き増して、四十二の春より八十三歳にて相果てられしに、五十日に一門集まり、書き置き状を開き見るに、財宝の外に四千七百十九貫目、内蔵三所に入れ置かれ。
 「この銀子の大分になる事、一とせ、総領が、米、油の買ひ入れよりの分限なれば、残らず兄に渡して、弟ども、これ次第に身代を任すべし。殊に末子は、町人の家業なる天秤の駆け引き、帳面見る者にはあらず。その子細は、一生美食を好まず、世にはやり歌を歌はず、鬢付も髪結次第に構はず、夜歩きをする事も{*2}なく、人の無常を観じ、『長うもない世界に、善心なくては、人間と甲斐は無し。』と常住の身の取り置き。うつけ者のやうに見えて、又、賢き所あれば、よき娘ありて、旦那の多き御一家の御堂を聞き立て、銀三百貫目付けて養子に遣るべし。
 「又、中息子が儀、親の目にも見届けぬ者なり。さし当たり利発。万事を人の後に付く事にあらず。総じて、音曲、鳴り物、四座の直伝を習ひ請け、連歌は新在家へ立ち入り、俳諧は難波の梅翁を里に迎へ、立花は池の坊に相生まで習ひ、鞠は紫腰を許され、茶の湯は金森の一伝。物読みは宇津宮に道を聞き、碁所に二つまで打ちなし、楊弓は一中がかりに大金書の看板。十炷香は山口円休にきき覚え、有職の道者にしたひ、この外、琵琶、琴は葉山、小歌は岩井、嘉太夫節。弥七が文作、鸚鵡が物真似、可笑し仲間のする事までも、口拍子に任せ、『かかる器用人の有る事、この所の外聞。』と皆人、もて囃せば、その身、渡世の事を、かつて知らず。
 「殊に肝、大気に生まれつき、当座に思案なく、金銀手に持たせ置かば、恐ろしき虎落どもに騙られ、新田、金山、芝居の銀元、博奕の胴に懸かり、何程あつても手を払ふ者なり。既に七歳の春の頃、初めて小判一両盗みて、いかのぼりの糸を買ひ、早、九歳の時、小さき前巾着の中に一歩二十三入れて提げける。子どもの時より、銀も白銀も盗み、大胆者なれば、とかく商売さす事、無用なり。住み所、京、大坂の内に物好きに座敷を作り、手かけ女一人、小姓一人、男女共に召し使ひ七人、我共に八人。一生あてがひ世帯にして、毎月六百目づつ、晦日に相渡し、この上に奢りは一銭にても構ふまじ。
 「我、相果て、命日なればとて、精進にても、する者にあらず。この度、病中にも、世間の思はくばかりに、後や枕に夢程の間もあくびして、次の間にて浮世話。『も又、親仁も良い年なれば、尊い所へ参られたがましでござる。長生きに一つも徳のない事。目がかすめば花が咲くやら、耳が遠ければ郭公も聞かず。歯が抜けたれば肴に味無く、足が弱れば座敷に杖突き、嫁御に飽かるる身と成り、一日も娑婆塞ぎ。薬代の費えぬ内に、この世の埒が明けがな。』と四、五度言ふ事、聞きける。これ、悪人に極まれども、親の因果は、これさへ不憫に、身の行く末の事どもを書き置きに載せける。」と。さりとは、跡恥づかしき親の心入れ。これ、人間と形を見える甲斐無し。
 されば世上に、かかる心ざしの倅、多し。天命尽きずしてあるべきや。親、分限なれば、不孝者も隠れて知れず。親、貧なれば、少しの悪も包み難し。貧福の親の違ひ、損徳の二つなり。富貴の家に生まれ出るは、前生の種なり。とかく、人は善根をして、家業大事に懸くべし。
 池田、伊丹の売り酒、水より改め、米の吟味。麹を惜しまず、障りある女は蔵に入れず、男も替へ草履はきて出し入れすれば、軒を並べて今の繁昌。升屋、丸屋、油屋、山本屋、酢屋、大部屋、大和屋、満願寺屋、賀茂屋、清水屋。この外、次第に栄えて、上々吉諸白。松尾大明神の守り給へば、千本の杉葉、枝を鳴らさぬ時、津の国の隠れ里、隠れ無し。

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校訂者註
 1:底本は、「聞(き)け。』と、」。『日本永代蔵 世間胸算用 西鶴織留』(1991)
に従い改めた。
 2:底本は、「することなく、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。

二 品玉とる種の松茸

 神国の日月、誠を照らし給へば、世に万人の心、すぐなる道に入りて、正直の頭を下げ、恐るる人には礼儀を正し、従ふ者には憐れみを掛け、「我が物喰へば竈将軍。」と言へど、京も田舎も住みなせる町人、その所々の作法、一つも漏るる事なかれ。
 昔の人間は、賢き人はすぐれ、又、愚かなるは顕はれて、鈍智の二つ、格別の相違ありしに、今時の人は、相応の智徳を以て生まれ、習はずしてその道々を知れる顔つき。見た所のうときは一人もなかりき。この時における売僧、騙り陰陽師の類、大方の文作り事にては、合点せぬ時世に成りぬ。只、白化けに、放下師までも、品玉とる種の行き所を先へ見せ、辻談義も、仏の真似の口を開き、「つまる所は、喰はねばひだるい、ひだるい。」と言ふにぞ、「ありの儘なる法師。」とて、人皆、勧進を取らせける。
 万事に偽りなき御代の掟を守りけるためしには、よろづの売り掛け、或いは当座借りの金銀、手形無しの事なれば、「借り請けぬ。」と言ふとても、難しき出入りなるに、心覚えの帳面ばかりにて請け払ひを済ましぬ。
 この以前、舟着きの問屋に、世間並にすぐれて銀払ひの悪しき人あり。大節季の夜に、人、さも忙しき中にて、人の手代に銀八百目渡しけるに、請け取り帳に名判を記し、その銀子を袋に入れずに帰る。後にて亭主、取り隠し、後日の沙汰にも、「いよいよ渡した。」と言ひ切れば、この手代、身の切なさの余りに、湯玉の如くなる涙をこぼし、諸仏諸神を誓文に入れ、不念を詫び言すれど、中々聞き入れざれば、手代、是非なく、頼みし浄土寺に参り、親方への言ひ訳に、銀故の自害。「さては、取らぬ」に極めて、世上より言ひ立て、次第に商売薄く成り、内儀、幾人か平産せしに、手のなき形を顕はし{*1}、一とせ、道頓堀にて見せ物にせし徳利子の万太郎は、その人の子にて、世に恥をさらし、終にはこの家、目前に絶えたり。無理なる欲は、必ずせまじき事ぞかし。
 成らねば成るやうに、世渡りは様々あり。されども、元手持たぬ商人は、随分才覚に取り廻しても、利銀にかき上げ、皆、人奉公になりぬ。よき銀親のある人は、おのづから自由にして、何時にても見立ての買ひ置き、利得る事多し。「唐黍の根の、南の方へ高う生へ現るる年は、二百十日の風、石臼をも吹き散らす。」と東方朔が伝書にも見合はせ、「今年は俵物買ひ年。」思ひ入れはありながら、ない物は銀にて、さる程に、せはしの世や。
 節季節季は、六十日の経つ事、夢の如し。正月の掛け鯛の山草、少し枯るると思へば、早、蓬売る声。軒の花菖蒲、今も所々に見えながら、灯籠出す暮に胸も踊りて、蓮の葉の飯、温もりも冷めぬに又、菊の酒屋の書き出し見れば、思ひも寄らぬ酔ひの出るも可笑し。世に住む付け届けとて、塗台にするめ一連、又は干かます二十据ゑて取り遣りするは、今年は栗が高いと見えて、算用づくの人心、さもし。九月を過ぎて大暮までは、百日に余れば、少しここにて息をすると思へば、常の物前と違うて、大分の払ひ方。心当て程、商ひしてから、足らぬ所見えて、日頃、言葉で目を掛けらるる門徒寺の手前良しに、「この行く先の師走には、銀子五百目御貸し給はれ。」と機嫌の良き時、女房どもに言ひ出させければ、「何と、三百目にては仕舞はれぬか。その内、分別して、御取り越しの寄り銀次第。御用に立つ事も。」と杯持ちながら、飲みも切らず噛みも切らぬ返事を、無理に、「旦那の御蔭。」と言ひ掛け、それより毎日の軽薄。
 茶の、たばこのと馳走して、五日に一度づつ、軽い遣ひ物して這ひつくばひ、初松茸、一斤四匁五分する時、調へて、「嵯峨の親類どもより参りたる」由。霜前に土くれ鳩を、わざと苞にして、「山家からくれました。」と申し遣はし、孫子の亥の子を祝ひ、御袋様の御法体に丸頭巾を進上申し、自身番の夜半替はりを勤め、棚から落ちて猫怪我したまでに駈け付け、餅搗きにも夫婦参りて、かかは大釜の下を焚けば、男は水風呂に水を汲み込み、一代にした事ない骨を折り、師走二十日頃より御無心申し掛けし銀子の事を頼み奉り、やうやう大晦日の夜、四つの鐘の鳴る時、利息は一分半の手形を極め、「何時なりとも御用の時分、済まし兼ね候はば、一人ある娘を遊女町へ売つて相済まし申すべし。」との約束。人が聞かねばこそ、無念ながら、「この度の御恩、忘れ難し。」と、内の者どもにまで礼を申し、そこそこに年をとりて、明くる春の四日に棚おろしの勘定をして見しに、わづか五百目の銀子借らうとて、目に見えぬ費えは除けて置きて、八十四匁六分五厘が物を使ひける。誠に、貧者の手づまる事、かかる物入りのありける故ぞかし。
 その年より、夫婦内談して、「とかく、銀が銀を儲くる世なれば、折角稼ぎて、皆、人の為ぞかし。外聞を捨てて、身の楽しみこそ老い先の頼みなれ。」と、奈良草履屋を二足三文に仕舞ひて、大坂を離れ、女房の在所、住吉の南、遠里小野に身を隠し、夕暮よりは油を売り、少し手を書くを種として、所の手習ひ子ども預かり、我が儘育ちの草を刈り、野飼の牛の角文字より教へけるに、謡知らねば迷惑して、日毎に大坂へ通ひ、昔の友に習ひて、又、里の子に教へけるに、やうやう「兼平」一番覚えしに、「小原御幸」の「源太夫」のと、外百番を好めば、師匠の、「知らぬ。」とは言ひ難く、これさへ一日延ばしに、「何なりとも望み次第に謡うて聞かせう。」と言ふ内に、「節用集」に見え渡らぬ難字を、庄屋殿より度々尋ね給ふに、一度にても埒を明けねば、何とやら首尾悪しく、初めは麦秋、綿時、新米の初穂とてくれければ、「商ひしたより、ましなり。」と思ひしに、一人一人寺を上ぐれば、又悲しく成りて、明け暮れ渡世を分別するに、銭三十づつ儲くる事の、何にても無かりし。
 或る時、宵に焚きたる鍋の下に、その朝まで火の残りし事、「これは不思議。」と焚き草に気を付けて見しに、茄子の木、犬蓼の灰故に火の消えぬ{*2}事を試して、「これは、人の知らぬ重宝。」と思ひ付き、手振りで江戸へ下り、銅細工する人を語らひ、初めて懐炉といふ物を仕出し、雪月頃より売りける程に、これは老人、楽人の養生、夜詰めの侍衆の為と成り、次第次第{*3}はやれば、後には、「御火鉢、御火入れの長持灰」とて看板出し、大分売りて、程なく分限に成り、通り町に両替店{*4}出して、何万両とも蔵入れの奥を知れる人なく、林勘兵衛といふ名は、ひそかにしての楽し屋なり。
 昔より言ひ伝へし駿河町の三谷を始め、その外の両替ども、黄金の山を見せるに、中々、相も劣らず。諸大名の御用、何程にても事を欠かず。家栄えて今、妻子は下々の見る事もなく、上野の花見乗り物、隅田川の船遊び。柳桜をこき混ぜて、都の心になりて、一生の安楽する事も、憂き世帯の時、男によく仕へて堪忍をせし身の上、天、これを憐れみ給ふなり。天下の御恵み、猶有り難し。
 わづかの灰より分限になりて、富士の煙の絶ゆる時なく確かなる福人なり。

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校訂者註
 1:底本は、「あらはせ、」。
 2:底本は、「消(き)えんこと」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。
 3:底本は、「次第々々(しだい(二字以上の繰り返し記号))にはやれば、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「両替店(りやうがへだな)を出(だ)して、」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。

三 古帳よりは十八人口

 富貴は悪を隠し、貧は恥を顕はすなり。身代時めく人の言へる事は、横に車も退いて通し、世を暮しかぬる者の言ふ事は、人の為に成りても、これを「良し。」とは聞かず。何に付けても金銀なくては、世に住める甲斐なき事は、今更言ふまでも無し。諸町人、その合点はして居ながら、身の一大事を忘れ、いつも月夜に釜を抜かれ、借銭乞と無理の口論。「大節季の闇。」とは、元日より早、知れけるぞかし。
 「今の世に商ひ事無き。」と人毎に言へり。これは、大きに算用違ひ。昔とは格別、諸商売多し。そのためしには、大坂の堺筋に、椀、折敷、重箱、よろづ塗物屋ありしが、親の代、寛永年中の古帳出して見るに、一年の売り物、七貫に足らず。この利合にて、上下六人口を過ぎて、それぞれの正月着る物、餅も世間並に搗きて、よろづの請け払ひも、極月二十五日より二十八日までに仕舞ひ、晦日には、「年忘れ。」とて、暇なる年寄、友達を呼び集め、小鴨の汁に鰤の焼物にて振舞ひ、酒の上の大笑ひ。少しも心に懸かる事もなく、内証仕舞はれけるに。
 今、我が代になりて、親仁の時よりは商ひ、大分にし増して、毎年四十貫目余の売り帳。人も、その時とは増して十八人口になれば、「以前より、世に商ひ事のない。」とは言はれざりしに、年々手詰まり、両替屋より日借りの小判、二日切りの手形銀。二割の利銀を構はず、まづ請け込みて、当座払ひに埒を明け、門は礼者の通るまで天秤を鳴らし、やうやう仕舞うて、「嬉しや。」と革袋枕に、残る物とて悪銀ばかり十八匁。戸棚、掛硯には錠も下ろさず、銭さしの塵も掃かず、掛乞の呑み捨てたる煙草盆、自堕落に、灯し火は土器の中に燃え入り、我が身をおぼえずいびきをかき、夜の明け方まで目の開く者は無し{*1}。
 母親、隠居の戸を開けて下女を起こし、大豆殻にて鍋の下へ焚き付け、膳立てするも、顔膨らかし、久七に、「若水汲め。」と言へば、「御家久しき人に汲ませよ。半季居は、御作法知らず。餅が煮えたら、身祝ひに喰はう。」と言ふ。手代も主の事を構はず、久七に足をもたせ、「ひとり目の開くまで我を起こすな。向ひ殿の若い者は、我等よりは三年遅う奉公して、早、今年、日野絹の御仕着せ。脇差まで貰ひしに、いかにしても、算崩しの布子で立ち並ぶも恥づかし。昼の内は、門へは出ぬぞ。」と言ふ。小者めまでも、同じやうに口を叩き、「今年は恵比寿殿に憎まれたかして、塩鯛無しに雑煮据はる。」と言ふ。その外の下人ども、絹帯を木綿帯の不足、又は雪踏の代はりに皮草履、少しの事に機嫌悪く、用言ふ事も、よそに聞かせ、大勢の人を使へる甲斐は無し。
 「これ、親方のすべき事せざる故。」と母の親、元日早々、涙をこぼし、過ぎ行かれし連れ合ひの事思ひ出して、持仏堂に香花を取り、「長生きしての後悔。」と大声上げて歎かるるに、いづれも目覚まして驚きける。これ、不孝第一なり。母の悲しみ、その身の事にはあらず。我が子を人に侮らせ、世間の外聞かたがた、「口惜しき。」とばかり思ひ詰められしは、女心には道理千万なり。「親の時より、次第に仕似せたる店にて、今、大分の商ひ事ありながら、何とて節季節季に手詰まり、迷惑する事ぞ。」と言へば、母親、「ここは言ひ所。」と男の如く膝を立て、畳を叩き。
 「我等が世帯の時は、雀の鳴かぬ内に歯黒を付けて髪を結ひ、下女が水汲む内に茶の下へ焚き付け、米炊ぐ間に寝床を上げ、丁稚に行灯掃除させて、その油紙にて煙管を磨かせ、その後にて敷居の溝を拭はせ、捨てる所は塵籠。隅々までも気を付け、芝居近くへの使には朝飯より前に遣り、遊女町の近所へ遣る時は、用事、俄に言ひ付けて、帯も仕替へさせず、鼻紙入を取り廻す間もなく、庭よりすぐに遣はし、一つ釜の加賀米に、はしらかし汁。鰯菜も同じやうに据はりて、主、下人の隔てなければ、朔日、二十八日に膾せぬ事も改めず。精進日には香の物にて朝夕、『御主の御蔭。』と箸箱を頂き、『風の吹く日、寒からぬも、新しき綿入の布子故。』と襟の汚るるをも厭ひ、万事おろかにせざり。
 「我等も、不断は花色染の木綿着る物に、紬の帯一筋にて姿を作り、嫁取り振舞ひの時も、浅葱に散らし菊の絹の物、繻珍の帯に紫革足袋にて花を遣りしに、今、これの御方の常住の風俗を見るに、肌着に白小袖を離さず。中には鹿子、上には黒羽二重の引つ返しに、藤車の紋所を石臼程にして付けて、役者の着さうなる袖口。百品染の白繻子の帯を、腰の見えぬ程まとひ、透き通りのたいまいの挿し櫛を銀二枚で誂へ、銀の笄に金紋を据ゑさせ、珊瑚珠の前髪押さへ。針金入の刎元結を掛けて、素顔でさへ白きに、御所白粉を寒の水にて溶きて二百遍も摺り付け、手足に柚の水を付けて嗜み、炬燵に紫蒲団を掛け、茶繻子の引敷、延べの鼻紙に壺打の楊枝取り添へ、煙草の火に伽羅を焚き掛け、煎じ茶を台天目にて運ばせ、手元に『源氏物語』。いたづらに気を移す事を年中の仕事にして、花見、紅葉見の乗り物、芝居の替はり替はりに桟敷をとらせ、中居、腰元、御物師連れて、針を蔵に積みたればとて、溜まる事にはあらず。」
 諸事に付けて、内証の奢りより身代を潰しぬ。御方は、我が男一人に見する姿を遊女の如く作り、男は又、一代連れ添ふ女に、無い物もある顔して、よろづ隠し、内の肌着に不断緋紗綾の下帯かく事、人の知らぬ費えなり。傾城狂ひするには、我も人も全盛所{*2}なれば、風俗作るも理なり。これさへ今時は賢く、常の衣類にて通へど、揚銭の済む事を喜びける。
 されば、人の花嫁といふは、親にかかりの部屋住みの内、又は、呼ぶとその儘に世帯請け取るも、わづか一とせの程は、互に堪忍し合ひて、男の気を取り、御隠居に恐れ、下人、下女が身の上も、よしなに言ひ成し、「もし去られては大事。」と只、心一つにこの家の栄え行く末を祈りしに、程なく総領生まれて、尤も手前よろしき人は、乳母を取つて育てさせけれども、早、女の身持ちおのづから自堕落に成りて、俄に古めき、昔の形、見ざめして、恋もよそに成りければ、女房は殊に悋気つのり。
 二十に足らぬ口から言葉荒らして、親里より連れたる女を相手にして、「我が身は果報の少ない者ぢや。伏見町の呉服屋からも言うて来る、天満の酒屋からも人を頼み、『是非呼びたい。』と言うたに、仕合せのあるが内に、こんな塗物屋へ語られて。後から剥げる事を。念仏講の同行平野屋の久斎様に騙された。これ程気が尽きては、やがて死ぬるに間は無い。金入の{*3}鳳凰の小袖は打敷、花車の縫ひの袷は天蓋、幡にして、御寺へ上げて。手道具は焼いて捨てて。浮世に塵も灰も残らねば、何か気にかかる事無し。一人ある子も、疱瘡せねば、命も定め無し。あれが事さへ不憫に思はず。」と。
 その後は、鼠の喰ひ物も取り置かず、麻袴の皺の寄り次第。亭主の留守には夜食好みして、「大方、これのたはけが帰る時分ぢや。」と、油火の灯心を細め、御所柿の皮を知れぬ所へ捨てさせ、何の事もない座敷を、『家鳴りがする。』と言ひ出し、人の心を悩ませ、この家の衰微を喜ぶ。女の心、その時その時に移り変はり、恐ろしき物ぞかし。その男の身にしては、寝覚めうるさく、後には、する程の事、目に飽きて、暇書きて埒を明けける。世に女房去る程、身代の障りに成る{*4}事なし。女も又、再びの縁付き、必ず初めには劣るぞかし。
 とかく、世間の外聞構はず、婿は目下なるを取つて良し。嫁も又、我より軽き方より迎へて良し。提灯に釣鐘、かけ合はぬ事すれば、内証の火の消ゆるに程近し。この椀屋も、良い舅に万事真似て、身上を倒れける。

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校訂者註
 1:底本は、「なかり。」。
 2:底本は、「全盛(ぜんせい)なれば」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「金入(きんい)り鳳凰(ほうわう)」。『西鶴織留』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「障(さは)りなることなし。」。『西鶴織留』(1993)語釈に従い改めた。

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