桜吉野山難儀の冬
【本文】
千里同風。そこ元、海居の難儀。難波風凌ぎかね、「隠れ家は吉野。」と見定め、山居も殊更、松風、紙衣を通し、焚火も一人坊主の貯へ絶えて、「降れる白雪」と詠みし本歌の眺めも、いかないかな、目に付かず、後世の事も外に成り候。「無用の発心。」と各々御留めなされしを{*1}、今は、悔しく候。
桜時分見たとは、中々変はる飛鳥川。月日も長うおぼえて、さりとは明け暮れ、住み憂く候。私に限らず、折角結びし柴の戸を、いつとなく乱れ次第の野と成し、その身は、「狼に衣。」形は出家と見えて、心底はあさましき事に候。大方は京に暮らし、又、親類の里に行きて、住み所の吉野は忘れ、後に残られしそれぞれの仏達、何もない留守を預かり、彼岸、十夜にも、香花、叩き鉦の音も聞き給はず。同じ仏体ながら、ここの山住み、迷惑なる事に候。
その中にも、行ひ澄まし、座禅に身を堅め、二六時中の勤め怠らぬ坊主は、稀に見え候。大方は世間僧、是非なく様替へし者なれば、世の噂話、もつぱら。四、五人寄りては読み歌留多。精進も落ち鮎の忍び料理。大酒の上の言葉咎め。付け髪拵へて芝居奴の口真似。かつて仏の道は、外より見るも構はず候。
殊更近年、世上に女出家のはやり、都より人{*2}の嫁子、親に不足、或いは男嫌ひ、又は不義の言ひ分けに、浮世坊主の形とは成り候へども、昔残りて美なる面影を繕ひ、たまたま誠ある法師も、これに引かれて一大事を取り失ひ、又、若比丘尼の奇特に勤め澄ますを、悪僧頼りて、いつの程にかそそのかし、山を立ち退き還俗する人、数を知らず。この中に紛れて、我一人澄まし候へども、おのづからそれに心ざし移りて、嫌な事の目にかかると言ふも、早、いまだ仏心に至らぬ処、あればなり。
しかし、愚僧事は、一生に妻子持つて殺し、遊女の野郎の戯れに身を成し、世に思ひ残す事も無く、無常を見ての発心。今日までは粗末なる御事、自身の取り合はせながら毛頭御座無く候。尤も、「仮なる世。」とは、かねて覚悟の処。「百年三万六千日、空しく胡蝶の春をとまるに似たり。とかく、夢。」と存じ、只、洞然として暮らす内にも、夏は蚊といふものに{*3}身を痛め、冬は夜嵐、袖に吹き込み、この難儀、白湯では凌ぎかね、飲酒は破つて、寝酒は少しづつ食べ申し候。これより外に、食物願ひも御座なく候。いかないかな、魚鳥は、匂ひも嫌に成り候。
これは堪忍致し候へども、いかにしても、寝覚め淋しく候。近頃申し兼ね候へども、年頃は十五、六、七までの小者一人、御抱へなされ、御越し、頼み申し候。見良き生まれ付きなるは、中々山家へは及びなく候。髪の風良く、少し肥えたるを望みに御座候。色白にさへ候へば、たとへ物書かずとも、口上悪しくとも、阿呆にても苦しからず候。定めは、木綿着る物、生平の帷子、絹帯一筋。その外も、心付け致し候。五年程切つて、五十目ばかり、銀子貸し申すべく候。それも当分は、二十五匁か三十目相渡し、残り、年々遣はし候約束に御極め、頼み申し候。
末々、その者の心ざし次第に目をかけ、もし出家などに成り申し候はば、この草庵、譲り申し候。御存知の如く、外に箸かたし取らする者、持たず候。大方、恰好は、そこ元、備前屋九郎右衛門殿に居申し候六三郎位なる者を望みに御座候。
随分、世は捨て候へども、離れ難きものは、色欲に極まり申し候事、今の身に成り、思ひ当たり候。この心は、出家を勤め顔、その甲斐は無く候へども、せめて四、五年も、身を懲らし見申す願ひに候。この事、必ず外へは御沙汰なされ下さるまじく候。貴様御事は、兄弟の契約仕り申し候よしみに、心中を申し遣はし候。預け置き申し候銀子の内、又、便りに二百目御越し、頼み申し候。書物、調へ申し候。
先日は、わけもなき事、御申し越し、御異見は悪しく聞き申さず候。尤も、ここ元へも陰間の子ども、参り候へども、近付きにもならず候。その段は、御気遣ひなされ下されまじく候。この紙包み、御内儀様へ進じ申し候。ここ元に沢山なる袋葛三。又、まげ物は、塩漬けの穂蓼にて御座候。
近日罷り越し、万々申し上ぐべく候。その内、丁稚の儀、御聞き立て置き、頼み上げ候。以上。
卯月十九日 吉野山 眼夢
伊丹屋茂兵衛様 人々御中
この文の子細を考へ見るに、貯へありながら物好きの発心、と見えたり。山居退屈して還俗心ざし。世間にかやうの分別無し、あまたなり。「魚鳥は堪忍成れども、色は。」と書きしは、あり事なるべし。
【訳】
千里隔てた遠方でも、吹く風に違ひはないやうに、いづこも、住むに大した便宜の違ひはないものです。私は、そちらの海近くで、難波の浦を吹き渡る風を凌ぎ難く思つたやうに、町の住まひの煩はしさをうるさがつて、隠れ家を求めて、「ここ、吉野山が良い。」と見定めて、引つ込みました。ここに山居して見ると、殊更に山の松風が寒く、紙衣を通して迫り、焚き火も、貧しい坊主の身の上の貯へが少なくて、なくなつてしまふと、かの百人一首にある「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」と詠んである歌の通りの、この山の雪景色も、どうしてどうして、この寒さでは、目にもつきません。後世を願ふ信心も、よそになつてしまひました。無駄な信心から出家するやうになりました時、皆様が御止め下さつたのを聞かずに出家してしまつた事を、今になつて悔しく思ひます。
桜の花時に見た吉野と、住んで見た吉野とは、大分違ひます。淵瀬の変はる事の早い飛鳥川の如く、月日の変はつて行くのは早いものだのに、かういふ淋しい所に住んでゐると、長いやうに思はれまして、さても明け暮れ、住みづらうございます。私に限らず、折角造つた草庵の柴の戸も、いつとなしに壊れ次第に壊れて、野原のやうになり、庵主の人達も、世の諺に「狼に法衣。」といふやうに、姿だけは出家で、心の内は誠に浅ましいものであります。
これらの庵主達、大抵は京に暮らしたり、又は親類の居る郷里に行つて、我が住み所の吉野は忘れてしまつて居ります。その後に取り残された仏様達は、それぞれ何もない草庵の留守を託せられて、彼岸や十夜の折りにも、香を焚き、花を供へ、叩き鉦の音立てる者もなく、同じ仏体でおはしながら、この吉野の山に住み給ふ故、御気の毒な事でございます。
その僧侶達の中にも、修行に専念して、座禅に坐り、二六時中の勤行を怠らない人は、稀に見るばかりであります。大抵の僧侶は俗僧で、やむを得ずして出家した人達ですから、寄ると世間の噂話ばかりしてゐます。四、五人も集まると、読み歌留多を取り、精進も、つい落ちてしまひ、吉野名物、鮎の料理をこつそりし、大酒呑んだ上の口喧嘩。付け髪を拵へて芝居に興じ、奴の口上を真似たりして、かつては信仰した仏教の事は、人目も憚らず、よそ事にして居ります。
近年、世間には、女の出家する事がはやり、京都から人妻が舅姑に不足を感じたり、夫を嫌つたり、又は不貞操からのいざこざの言ひ訳のために、形だけの出家姿になつて、ここに来る者がありますけれども、出家前の美しさを残してゐる面影に、化粧を施したりするので、たまに有る真面目な坊主も、これを見ては、それに引かれ、迷うて、一大事の信仰を失つてしまつたりします。
又、若い比丘尼の感心に修行し澄ましてゐるのを、悪い坊主が近づいて、いつの間にかこれをそそのかして、山を駈け落ちし、還俗する者もありまして、かういふ人が数を知らない位です。かういふ者どもの中に立ち交じつて、私一人は悪風に染まず修行して居りますけれども、自然、その方に心が移つて、嫌な事の目につくといふのも、まだ修行の足らず、悟りに至らない処があるためであります。
しかし、私事は、これまでに一度持つた妻子に死なれてしまひ、遊女遊びも致し、野郎の戯れにも耽りましたので、もはや浮世に思ひ残す未練もなく、無常を観じての上の出家ですから、今日までの処、疎かな事は、自分の事を自分で弁解するやうですが、少しもございません。尤も、「現世は仮の世である。」とは、かねて覚悟致したものの、「百年三万六千日生きるとも、胡蝶が春の日空しくこの世に生きるに似たものだ。とかく人生は夢だ。」と考へて、ただぼんやり暮らしてゐる内にも、夏になると、蚊といふものが出て、身を刺すに苦しみ、冬は夜風が袖に吹き込んで、寒さ、耐へ難い。この苦しさは、只白湯を飲んで凌げるものではございません。そこで、飲酒戒は破つて、寝酒を少々呑んで居ります。この外には、何も食物好みはございません。決して決して、魚鳥の類は、匂ひ嗅ぐさへ致しません。全く嫌になつてしまひました。
飲食の欲は我慢致しますが、どうしても寝覚め心が淋しくて堪りません。甚だ申しかねた御願ひですが、年齢は十五、十六、十七歳までの青年の雇ひ人一人、御雇ひ入れの上、こちらへ御寄越し下さるやう、御頼み申します。器量の良い生まれつきの者は、到底かういふ山中へは来てくれません。髪結つた様見良く、少々肥えた者を望みでございます。色が白ければ、たとへ無筆な者でも、ろくに口の利き方を知らない者でも、馬鹿でも構ひません。
約定は、「木綿着物、生平の帷子、絹帯一筋だけは、仕着せとして遣はします。その外にも猶、心付けは致します。五年の年季を切つて、銀五十匁ばかり貸してやります。それも当分は、二十五匁か三十匁渡しておいて、後の残りは年々遣はします。」といふ約束に御決め下さるやう、御頼み申します。将来、その者の心がけ次第では、目をかけてやります。もし出家になる希望ならば、この草庵を譲つてやります。御存じの如く、外に財産と言つては、箸一本持ちません。体格は、そちらの備前屋九郎右衛門殿の家に居ります六三郎位な者を望みでございます。
随分、浮世の事は思ひ切つて、捨てましたけれども、「人間の離れ難いものは、色欲が第一である。」といふ事を、今のこの身になつて、ひしと感ずるのでございます。この欲があつては、出家を勤め澄ました顔をしても、その甲斐はないものですけれども、「せめて(この上)四、五年も、この身を苦しめて見たい。」と願つて居ります。この事は、必ず他へは御洩らし下さいますな。あなたは、兄弟の契約を致したよしみに、心中を隠さず申し上げます。
御預け申して居ります銀子の内、又の御便りに二百匁、御寄越し下さい。御頼み申します。書物を買ひ入れます。先日は、つまらない事について、御申し越し下さいまして、御忠告は悪くは承りません。尤も、こちらへも陰間の子供が参りますけれども、さういふ者には親しうも致しません。その事は、御心配下さいますな。
この紙包み、御内儀様へ差し上げます。この地に沢山ある袋葛三袋と、又、曲げ物の方は、塩漬けの穂蓼でございます。近日、そちらに参り、色々と御話し申し上げませう。その内、どうか丁稚の事、御聞き合はせ置き下さい。御頼み申します。以上。
四月十九日 吉野山にて 眼夢
伊丹屋茂兵衛様 人々御中
この手紙の意味を考へて見るに、貯への金銀を持ちながら、物好きな心から出家した人、と見える。吉野山の山住まひに退屈して、還俗同然の心になつてゐる。世間には、かういふ愚か者が沢山居る。「精進は我慢もできるが、色欲は我慢ができない。」と書いてゐるのは、さうありさうな事である。
校訂者註
1:底本は、「発心おの(二字以上の繰り返し記号)御留なされを」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
2:底本は、「かまはず候。近年世上に女出家(しゆけ)のはやり都(みやこ)より大の」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。
3:底本は、「蚊といふ身を」。『新日本古典文学大系77』(1989)に従い改めた。