江戸期版本を読む

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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂西鶴俗つれづれ(1927刊)

校訂西鶴俗つれづれ(1927年刊)WEB目次

西鶴俗つれづれ 目録
巻一
(一)過ぎて善きは親の意見 悪しきは酒
門に禁酒の札  兼好が公事相手  大いびき初夢
説経も聞き処  都の酒盛に頭痛
(二)上戸丸裸 乱れ髪
今の世の燗鍋の綱  しるしの大杯  よう御存知の巾着
思ひ寄らざる追剥  不動参りの言ひ立て
(三)地獄の釜へさか落とし
杯は鬼の面  武蔵野びつくり丸  熱燗我等が好物
あはれや水右衛門が果て  明日とは待たぬ新尊霊
(四)思はく違ひの酒樽
女郎野郎の二ツ紋  手掛けが玉子酒  さりとは不才覚な音信
思ひも寄らぬ若後家  あつて過ぎた末期の水

巻二
(一)只取るものは沢桔梗 銀で取るものは傾城
銭無しに逢坂の水  皆町人の下屋敷  富士屋吉田不思議の隠れ家
松菜揃へる女有り  御合力の灯心売り
(二)作り七賢は 竹の一よに乱れ
茶漬け一杯小判十両  あひの杯より色に出  又類なき綺麗好き
四五十人前の膳組  二階には四挺三味線
(三)まことの綾は 後に知るる
さて結構な錦が心中  阿波に隠れなき祝言  男持たぬは不孝の第一
今の世の中将姫  末世にもある賢人の寄り合ひ

巻三
(一)世には不思議の鯰釜
気根比べの勧進坊  月に二日は父母の命日  男に代はる女の農業
又大仏の御建立  長者の万金貧女の一鏡
(二)悪性顕はす蛍の光
はや釣り{*1}の印可  爪を離す伝授  薬練抜きの秘伝
女郎底叩き  野郎酔ひ狂ひ
(三)一滴の酒 一生を誤る
生きて甲斐なき老母の思ひ  杖にも柱にも我が子の出家  玉味噌の割れ千金に替へず
浮き蔵主が俄浄瑠璃  日の暮が夜明けになる
(四)酔ひざめのさか恨み
女房は幾人か  夫婦の仲に指を切れとは  生姜漬け山椒にさへ怖がり
今といふ今まことの御下戸  上林にあらぬ赤手拭ひ

巻四
(一)孝と不孝の 中に立つ武士
世界に広まる名物のしぼ紙  足で直す煙草盆  肴に茄子の浅漬け
傘は一夜の瓦葺き  今は世の人の褒め草
(二)嵯峨の隠れ家 好色庵
不断小判{*2}を手慰み  皆人あやかり右衛門  金子千両かねの草鞋
腰元女を天狗頼母子  遣り手のまんが耳の根まで
(三)御所染の袖 色深し
情はかかる御簾の染め出し  手土産は鬼の面  雛型生き写し
千本念仏に見た女  結ぶの神の宝物
(四)これぞ妹背の 姿山
雷十兵衛承り  紅鹿子も良しや大振袖  吉野の桜に見た女
塗り笠に鍍金の環  蔵王権現{*3}も片足上げて

巻五
(一)金の土用干し 伽羅の口乞ひ
内蔵に面妖の声 国光は正銘  天神の前の酒中花
口惜しや猫の糞 定めて百目大名
(二)仏のための常灯 遊女のための髪の油
新町の女郎千三百  踊りは裸の金箔  三浦に御高尾
浅草久慶が物語  閻魔鳥の見せ物
(三)四十七番目の分限 又一番の貧者
良う知つて京の袖鏡  兄弟三人忍び役者  それぞれの道は道
意見も聞き時有りけり  女郎買ひの身あはれなるかな

校訂者註
 1:底本は、「はぜ釣り」。
 2:底本は、「不断に判」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「蔵に権現」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。


校訂西鶴俗つれづれ(1927年刊)WEB凡例

  1:底本は『近代日本文学大系 第三巻(1927年刊)』(国民図書刊 1927年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:校訂には『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友 決定版 対訳西鶴全集16』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1993)、『西鶴俗つれづれ』(花田富士夫編 桜楓社 1990)を参照しました。
  8:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)

ア行
 揚がる・揚ぐ→上がる・上ぐ 明く・虚く→開く・空く 跡→後 中→内 拍つ→打つ 各→各々
カ行
 虧く→欠く 陰→蔭 襲ぬ→重ぬ 換ふ・変ふ→替ふ 酌む→汲む 競ぶ→比ぶ 詞→言葉
サ行
 種々→様々 姜荷・薑姜→生姜 識る→知る 素し→白し
タ・ナ行
 焼く→焚く 起つ→立つ 莨→煙草 鵆→千鳥 同前→同然 所→処
ハ行
 跣・足跣→裸足 囃→囃子 独り→一人 二度→再び 不便→不憫
マ・ヤ・ラ・ワ行
 名誉→面妖 許→元 鬠→元結 物→者 好し・吉し・善し→良し 招ぶ→呼ぶ 破る→割る

上記以外(篇毎 登場順)

 目次 荒→新 上郎→女郎 中→仲
 1-1 是歳→今年 旁々→方々 比→頃 往く→行く 慥か→確か 土釜→焙烙 懈る→怠る 放る→外る
 1-2 奴子→奴 抛ぐ→投ぐ 壱→一
 1-3 浮草→萍 読む→詠む 託→托 虚→殻 宥す→許す 次ぐ→継ぐ 続松→松明
 1-4 船人→船頭 返る→帰る 姥→乳母
 2-1 脹る→膨る 捲く→巻く 妾→手かけ 火燧→火打ち 道理→理 諸→諸々 汙る→汚る 首→頭 潜上→僭上 露はる→顕はる 脇指→脇差
 2-2 天窓→頭 独り→一人 存ふ→長らふ
 2-3 蜑→海人 猟→漁 檐→軒 釣る→吊る 娵→嫁 誤る→謝る 易し→安し 面→表
 3-1 廻る→巡る 阿部野→阿倍野 進む→勧む 主人→主 咽喉→咽 耕す→田返す
 3-2 桟橋→架け橋 変はる→替はる
 3-3 未明→曙 聚む→集む 宿酔→二日酔ひ 旭→朝日 過失→過ち
 3-4 盈つ→満つ 三寸→神酒 画く→描く 吭→咽 讃む→褒む 噪がし→騒がし 十五→囲 効→甲斐
 4-1 点す→灯す 老年→年寄り 踏皮→足袋 長命→長生き 呼吸→息 廂→庇 傘→唐傘 扶く→助く 活計→過ぎはひ
 4-2 摸す→写す 桟→橋 午後→昼過ぎ 参詣→参る 首途→門出 披く→開く 襠→打ち掛け
 4-3 前→先 棋→碁 甃→畳
 4-4 鮓→鮨 遺す→残す 莟→蕾 揥枝→笄 角→隅
 5-1 大臣→大尽 祖父→爺 唱う→歌う 大柄→横柄 時代→時世 否→嫌 四辺→辺り 透る→通る 罷る→辞める 怯く→引く
 5-2 祖母→婆 境町→堺町
 5-3 坐→居 口舌→口説 偽→嘘 逐ふ→追ふ 渡世→世渡り 入る→要る

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

一 過ぎて善きは親の意見悪しきは酒

 新春の御吉慶、いづ方も御同然の内、今年の正月が仕納めの親仁にも、「若う成らしやりました。」と定まつた口上を互に言ひ捨てて通る。方々の御杯、飲まぬやうなれど、めでたく申し納むる所で押さへられ、重ね重ね祝はれ、「日頃、なるものは。」と言ふさへ、早、分けも聞こえず{*1}。肩衣がひじにかかるやら、袴の腰が歪むやら、扇はどこで落としたか、雪駄をはき替へ、溝に踏みかぶり、礼に行かいでも苦しからぬ所へ行きて、二、三年以前の御力落としをとぶらひ、良からぬ事のみ尽くして、今朝の七つに出て、夕の黄昏までたどり歩き、素足なる方に草履はきて、鼻紙まで失ひ、逆鬢に成り、博奕に打ちほうけたるなりして、によろりと帰り、正月早々から酔ひ覚めの機嫌悪しく、冷水四、五杯、息せはしなく飲むと、あたり合ひの枕引き寄せ、大いびきして、一日の酔狂、夢にや見るらん。
 しかるに、この親仁たる人は、格別の思ひ入れ。常々子供に言ひ含めらるるは、「我、無常、時至りて、臨終の時節、急なる時には、言ふ事も難からん。別の仔細無し。唯、酒をやめて、月忌、命日の斎非時にも、堅く酒塩の入りたる料理する事無く、家の内には壺、平皿の蓋も、杯に似たる物を置かず、門に禁酒の札を石に彫りて立つべし。この言ひ置きより外無し。昨日も日暮らし小太夫{*2}が説経を聞けば、あれ程、力も強く利発なる小栗殿も、横山に盛り殺され給ふ。何を見ても聞いても、俺が言ふ事に違ふ事は有るまじ。
 「されども、兼好とやら言ふ者が、若き者の諺に、『下戸ならぬこそ。』と、異な事を書いて、言ひ習はせぬ。「まだ生きて居らば、公事をしてなりとも、只は置かじ。」と思へど、今は亡き跡の形見の草子、聞くさへうとまし。この頃、近所に酒盛りが有るやら。頭痛がして。」と、しかめらるる顔つき。「も、合点が行たか。」と思ふ尻目使ひ。身の毛よだちて嫌ながら聴きたるが、今、金言と成りて、良く聞き入れたるしるしに、二番目に生まれながら、確かなる親の跡を踏まへ、俵の数、蔵に積みて、金袋をかたげさせ、言ふ事に槌の利くも、焙烙頭巾をかぶつて異見たらだら言はれし親仁の御蔭。過分至極なり。
 兄に生まれたる者は、世間からも、「親の眼鏡に外れし者。」と、心ある人は鼻であひしらはれ、交じはりうとくなり行けば、類を以て集まる男。酒一杯飲めば、「その日{*3}の栄耀、これに過ぎず。」と、面々の勤むべき事、怠るのみならず、その心からの慰み事、一つも良からぬ巧み。手を懐に入れて世を渡る才覚、様々怖き事ども。現世、後生共に取り失ひ、たつた今の事見るやうな。
校訂者註
 1:底本は、「聞(き)きえず、」。
 2:底本は、「日暮(ひぐら)しに太夫(たいふ)」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「其(そ)の目(め)の」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。

二 上戸丸裸乱れ髪

 「上々吉諸白有り。」江戸呉服町を見渡せば、掛け看板に名を記し、鴻の池、伊丹、池田、山本、清水、小浜、南都。諸方の名酒、ここに出棚の香り。上戸は、門通りても、千代を経ぬべし。菰着せの四斗樽、限りもなく飲み空けぬれど、終に酒の酔ひの馬鹿に会はず。これを思ふに、武蔵野の、内端に飲むと見えたり。義理詰め、意趣の外は、鞘咎め無かりき。よしや組も若盛りの事、大小の神祇組も、天の岩戸の静かなるこの御時、伊勢守の御膳酒。その御滴りに、民草の末葉の菊まで重陽の祝儀、変はらず。
 永代堀のほとりに、町人の若い者集まり、夜まで燗鍋絶えず。べく杯の後、皆々気強く成りて、男だての話に、強い処をより抜きて、我劣らじと語りぬ。力みつのつて言ひ出しけるは、「この中に、胴骨坐りし人あらば、只今より目黒原へ行きて、しるしにこの杯を立てて帰る人やある。これ、賭け禄にして、仔細なく帰らば、その人一代、三年酒を続くべし。もし約束せしに行かずは、その方よりこの仲間へ雁三羽出し給へ。」と言ふ。
 いづれも思案するに、焼け石の九太夫と言へる男、「我、行くべし。」と無分別に請け合ひ、件のしるしを持つて宿を出る。この気力に、座中、気を呑まれて、「今の世の燗鍋の綱。」と面々、口をあきけるが、「この儘に遣りて、賭け禄に負くべきも口惜し。いざ、先へ廻り、九太夫をおどすべし。」と、飛び上がりの弥吉、算用無しの藤介、身ゆるぎの茂左衛門、火ぜせりの徳兵衛。この四人、作り髭に投げ頭巾、奴出立ちのすさまじく、万事を捨てて急ぎ、いまだしるしも見えねば、榎の木の蔭に隠れしに、九太夫は、吸ひ筒を道の友として、寒いも怖いも忘れ、夢に成つてぞ来り。
 されども本性を違へず、かの杯を立て置く時、弥吉、闇より出て言葉をかけ、「おのれ、ここを知らずや。忝くも不動明王の霊地にて、飲酒戒を保つ処へ、その吸ひ筒は何事ぞ。下に置け。」と言へば、九太夫、震ひ出し、「重ねては取り上げも致しますまい。真平、御許し。」と詫びける。「それならば、助くる程に、着る物も羽織も脱ぎ置いて、裸に成つて帰れ。脱がねば、これ。」と刀を抜く。「成程、成程。御意次第。」と上下共に脱げば、「おのれは、常に横ひだの革巾着に細金入れて居るが、それは有るか。」「いかにもこれに、一歩七つと銀三十目ばかりもござります。それへ投げて進ぜます。よう巾着の事、御存知してござります。」と言ひ捨てて、逃げて行くこそ可笑しけれ。
 その後にて、吸ひ筒をあけて又酔ひ出し、野を内にして草枕、やくたいも{*1}無き折節、宵不仕合せの追剥ども、ここに来り、「酒手おこせ。」と片端{*2}から丸裸にして、一色も残さず立ち退きける。
 四人ながら裸になされ、是非なく立ち帰れば、いつとなく酔ひさめて、夜は明け、芝にて九太夫に追つ付き、段々因果を語り、「これ皆、大酒より起これる難儀なり。さし当たつて恥かきけるは、五人共にふんどしばかり。白昼に通り町を、この姿にては。」と言へば、九太夫、才覚出し、皆々さばき髪に成つて、立ち並びて、同音に、「目黒の不動へ裸参り。御縁日ならねど、有難き夢の告げに任せて、信心の友五人」ながら、興もさめて宿に帰りぬ。

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校訂者註
 1:底本は、「やくたいなき」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「かたはらから」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。

三 地獄の釜へさか落とし

 「北野観音寺の晩景一会の事、先約ある由、申し来り候。亀屋もやまかしく候へば、糺の森の下涼み、申し合はせ候。そこ元の衆中、明日御出。心事、貴面に。以上。七月十九日。武蔵様。水右衛門より。」
 明くれば賀茂川に誘ひ連れ、世を浮草の根を断ちての楽しみ。罪のない処、一休和尚も裸足。「爪や茄子をその儘に」と詠み給へるも、この夕暮ぞかし。水上は山蔭の片里より流れたる聖霊棚、片器の欠け、一蓮托生の蓮の葉、麻殻の箸も、積もれば{*1}比叡を隣に眺め捨て、御手洗に慮外ながら足差し浸し、残る暑さはどこに有るやらおぼえず。殊更、雲居に当社の神体とどろき給ひて、名残の夕立を{*2}凌ぎて、この松蔭に頼る僧有り。
 「酒一つ。」と進めぬれば、「禁杯。」とて取り上げず。「これは、大きなる分別違ひ。是非に。」と言へば、「未来の恐ろしければ、許し給はれ。」と言ひ捨てて帰るを、「仔細聞くべし。」と各々とどめて、「酒飲みの後生はいかに、御僧。」
 答へて曰く、「詳しくは大論、唯識等にあれども、あらあら{*3}語るべし。そもそも灌口地獄といふは、差し渡し五十由旬の燗鍋あり。それに湯玉立ち上がる程に燗をして、銅の武蔵野、びつくり丸と言へるに、てうとついで、温かなる肉を肴にはさみ、牛頭馬頭立ち重なり、腕を取り、『何も興はなけれど、も一つ。』と進む。強いられて飲めば、五体{*4}とろけて、断末魔の苦しみより堪へ難く、絶入すれば、『活々。』と言うて正気に成し、『それは、娑婆にて名を取りし飲み手ともおぼえず。銚子の継ぎ目、今一つ。』と進む。嫌とは言はせぬ相手、又飲んで、絶え入る。かくの如く責めらるる事、一日に幾度といふ数を知らず。その時鬼ども、言葉を揃へ、『必ず我々を恨む事なかれ。汝が好ける酒の一滴は、菩薩七十粒より出るを、したみ捨て、飲んで不善の業を作る。皆、よそより来らず。』と言ふにぞ、酔狂、思ひ当たりて、千万悔むに甲斐無し。」と語りけるに。
 まだ足らぬ程の男は、「それは、さうか。」と思ふも有り。「いやいや、見て来た者無し。樽次、底深も、今に帰りて語らねば、合点参らず。よしよし、その温燗が好物なり。『後の世には、酒は無いか。』と思うたれば。」と興がりければ、僧は帰る夕の空、顔は入り日の朱を奪ふ。
 紫野の寺々の鐘撞きて、万景見えず。暗部山、みぞろ池の大蛇と飲み比べても負けぬ仲間も、弱き方より片付けられ、初夜の頃ほひ、上下入り乱れて帰り、足、千鳥して、御池筋まで帰りて見れば、水右衛門見えず。
 手毎に松明立てて、来れる道筋尋ぬれば、その夜の曙、紫竹村の堀の流れに、げにも姿は水右衛門。転び落ちて、腰より下は蛭取り付きて、黒血にあへられけるを、戸板に載せて帰りぬ。見ぬ後の世は、無い物にしてから、目前に蛭の地獄はこれか。

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校訂者註
 1:底本は、「箸(はし)もつれは」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「夕立(ゆふだち)凌(しの)ぎて、」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「あらく語(かた)る」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「飲(の)めば体(たい)」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。

四 思はく違ひの酒樽

 夢をさませる鐘が崎、筑前の湊に舟着きて、酒樽一つ、さし荷ひにして、「博多に隠れもなき練屋の杢左衛門様は、これか。」と、かの樽を庭におろして、「送り状は、後より。」と言ひ捨てて、船頭どもは帰りぬ。
 亭主、これを見て、「大坂の問屋より進物なるべし。北浜にては利発者にして、『備前屋の何がし。』と言はれ、諸国の客を請け込み、万事のさばきする程にも無き男なり。何程の酒にもせよ、某も名酒を造る宿へ、酒樽の音信。さりとては不才覚。この樽へ、天満宮の前の大根の細漬けをして贈りければ、名物にて珍しきものを。」と、この心入れを大笑ひする所へ、備前屋が手代、門口より袴、肩衣を着て、愁へを顔に顕はし、居間へ上がつて手を下げ、口上言はぬ先に涙ぐみ。
 「世は定め無し。かやうに申す私から、只今も知れぬは人の身。御歎きなされてから、帰らぬ昔なり。こなたの御子息杢之介様事、六月七日の昼前に頓死あそばし、いづれも驚き、まづ気付け、医者、針立、灸など様々に療治、残る処も無し。とかくはこれまでの御命。御死骸をその儘これへ送るの折節、世間もぬくみ立ちぬれば、酒塩漬けにして送りける。」と申しも果てぬに、各々立ちかかり、蓋を開くれば、さのみ形も変はらず、月代を剃り済まして、後下がりの頭つき。死んでも人の目に立ち、身には紋羅に紅裏付けて、女郎と若衆との二つ紋に、鹿子の紫帯。
 「この美男、そもや上方にも有るべきや。いまだ二十一にして、親を残し、先立つか。」と母、殊更に悔み、「馴染なき妻も若後家と成し、思ひも寄らぬ無常を見る事よ。」と是非なき涙に沈みぬ。「せめて末期水。事過ぎてなりとも。」と申されしに、乳参らせて育て上げたる乳母が、「常住御好きにて有りしに、水より酒を。」と顔にそそぎける。
 その後、大坂へ付けて上したる小者に、最期のあらましを尋ねけるに、徳蔵、涙を流し、「杢之介様の事、今又、申すも{*1}おろかなり。御国よりは格別、御酒上がり、寝酒よりすぐに朝酒に飲み続けられ、その御機嫌にて芝居へ毎日の御出。狂言の始まるまでは、太左衛門橋筋の茶屋者と遊びて、芸はそこそこに見て、それより舞台子{*2}を呼び、酒に乱れて、暮方より新町の九軒に行きて、宵から仕舞太鼓までの長酒。それより駕籠にて上町の貸し座敷に。『色良き手かけが玉子酒して待つが面白い。』とて、夜明け方に浮世小路に仕出しの後家有りて、これに定まつて味噌酒を上がりて、明けはなれて宿に帰り給ひ、迎ひ酒とて又参り、蓮葉女に御足さすらせ給ひて、夢も結ばず、又南へ御越し。二月四日より六月六日まで、一日も変はらずこの通り。」と申せば、いづれも興さめて、「鉄にて丸めし男も、これでは堪らじ。」と悲しき事、外に成りける。

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校訂者註
 1:底本は、「申(まう)す事おろかなり。」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「舞台(ぶたい)を」。『西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友』(1993)に従い改めた。

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