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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂武道伝来記 岩波文庫本

校訂武道伝来記(1939年刊)WEB目次

武道伝来記 諸国敵討

 「和朝兵揃へ」の中に、為朝の鉄の弓、武蔵坊が長刀、朝比奈が力こぶ、景清が眼玉。これらは、見ぬ世の事。中古武道の忠義、諸国に高名の敵討。その働き、聞き伝へて、筆の林、言葉の山。心の海静かに、御松、久方の雲に、慶びの舞鶴、これを集めぬ。
鶴永 松寿
 目録
巻一
第一 心底を弾く琵琶の海  形も情けも同じ美童の事
第二 毒薬は箱入りの命  人質は夢の内蔵の事
第三 物申どれと言ふ俄正月  最後は知れで女郎買ひの事
第四 内儀の利発は変はつた姿  せはしき中に預け物の事

巻二
第一 思ひ入れ吹く女尺八  落ち鞠に色見染むる{*1}事
第二 見ぬ人顔に宵の無分別  熊野に夢の面影出る事
第三 身代破る落書きの団扇  水浴びせのじやじや馬作る事
第四 命取らるる人魚の海  忠孝知るる矢の根の事

巻三
第一 人差し指が三百石が物  小道具売りに変へ姿の事
第二 按摩取らする化け物屋敷  打てど手のない小鼓の事
第三 大蛇も世にある人が見たためし  竹刀は当たり眼の事
第四 初茸狩りは恋草の種  義理の包み物心のほどくる事

巻四
第一 太夫格子に立つ名の男  形は埋めど武士は朽ちざる事
第二 誰が捨て子の仕合せ  腰元の久米情けに身の果つる事
第三 無分別は見越しの木登り  敵も一度主人にかたれぬ事
第四 踊りの中の似せ姿  舌の剣に命を取る事

巻五
第一 枕に残る薬違ひ  法師昔に帰る月代の事
第二 吟味は奥縞の袴  意気地を書き置きに知る事
第三 不断に心がけの早馬  歎きの中に島台出す事
第四 炬燵も歩く四つ足  鉢叩きは我が国声の事

巻六
第一 女の作れる男文字  姉より妹が奉公振りの事
第二 神木の咎めは弓矢八幡  同行三人若衆巡礼の事
第三 毒酒を請け太刀の事  神鳴りに月代差し合ひの事
第四 石臼引くべき埴生の琴  鴛鴦の剣衾を通す事

巻七
第一 我が命の早使  灸据ゑても身の熱きを知らぬ事
第二 若衆盛りは宮城野の萩  義理に身捨つるは褒め草の事
第三 新田原藤太  百足枕神に立つ事
第四 愁への中へ樽肴  敵討たで横手を打つ事

巻八
第一 野机の煙比べ  身は一つを情けは二つの事
第二 惜しや前髪箱根山颪  涙の時雨に木綿合羽の事
第三 播州の浦浪皆返り討ち  雪の夜鶏思ひも寄らぬ命の事
第四 行水で知るる人の身の程  伊賀の上野にて討ち納めたる刀箱の事

校訂者註
 1:底本は、「色(いろ)そむる」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。


校訂武道伝来記(1939年刊)WEB凡例

  1:底本は『武道伝来記』(和田万吉校訂 岩波文庫 1939年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:底本の漢文は適宜訓読を修正し、書き下して示しました。
  8:校訂には『武道伝来記 決定版 対訳西鶴全集7』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1992)、『井原西鶴集4』(冨士昭雄校注 小学館 2000)を参照しました。
  9:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)
ア行
 愛拶→挨拶 明く→開く・空く 揚ぐ→上ぐ 跡→後 有る・有→或る 周章敷・周章つ→慌ただしく・慌つ 碓→石臼 壱→一 入る→要る 婬→淫 候ふ・窺ふ→伺ふ 中→内 団→団扇 打つ・討つ→討つ・打つ・撃つ 移す・移る→映す・写す・映る 姨・姥→乳母 椽→縁 越度→落ち度 駭かす・駭く→驚かす・驚く 各→各々 姨→叔母 俤→面影
カ行
 海道→街道 帰す・返す・帰る・反る→返す・帰す・返る かへり見る→顧みる 貌→顔 缺く→欠く 懸く・欠く→駆く 各別→格別 陰・影→蔭 累なる→重なる 首→頭 借す→貸す 側・側ら→傍ら 歩士・歩行→徒士 首途→門出 替はる・更はる・替ふ・換ゆ→変はる・変ふ・替ふ 義・儀→儀・議 斫る→斬る 詢く→口説く 僻者→曲者 気色→景色 糺明→糾明 噛ふ→食ふ 草むら→叢 音→声 火燵→炬燵 詞・辞→言葉 理→断り 比→頃
サ行
 𫆛→月代 差図→指図 指す・差す→差す・刺す 噪ぐ→騒ぐ 呵る→叱る 時宜→辞儀 随ふ→従ふ [⿱竹革]・品柄→竹刀 島→縞 拾→十 執行→修行 順礼→巡礼 如在→如才 身袋・身体→身代 尠し・鮮し→少なし 介→助 世悴・悴子→倅 僉儀・穿議→詮議 疎・麁→粗
タ行
 焼く→焚く 慥か→確か 敲く→叩く 立つ→経つ 莨菪・莨→煙草 魂→玉 挑灯→提灯 爴む・抓む→掴む 付く・着く→着く・就く 次ぐ・続ぐ→継ぐ 釣る→吊る・弦 妾・妾女→手かけ 方便・手便→手立て 問ふ・訊ふ→弔ふ 同前→同然 宿番→泊り番 共→供 灯→灯し火
ナ行
 中→仲 詠む→眺む 抛ぐ→投ぐ 泪→涙 貳→二 悪し・悪む→憎し・憎む 廿→二十 白眼→睨む 塒→寝ぐら 念頃・懇情→懇ろ 遁す・免る・遁る→逃す・逃る 窅く→覗く
ハ行
 天巻→鉢巻 咄・咄し→話 婆々→婆 比興→卑怯 引く→弾く 日来→日頃 美児→美少 独り・独→一人 隙→暇 臥す→伏す 二度・二たび→再び 不便→不憫 古郷→古里 讃む→褒む
マ行
 見世→店 廻らす・廻る→巡らす・巡る 翫ぶ→もて遊ぶ 本・許→元・下 物→者 嘇→物申
ヤ行
 屋→家 傷る→破る 行衛→行方 免す・赦す・緩す→許す 娌→嫁 終夜→夜もすがら
ラ・ワ行
 留主→留守 牢人→浪人 若等→若党 脇指→脇差

上記以外(篇毎 登場順)

 序 居う→据う 治む→納む
 1-1 紀→記
 1-2 児枕→後腹 豕→亥の子 像→形 割く→裂く 処→所 根→嶺
 1-3 丸雪→霰 衣裏→襟 成仁→成人 藤→伏 外戚→母方 歯→牙
 1-4 畾紙→礼紙 焼く→炊く 猟士→猟師 忩劇→怱劇 筥→箱 睡る→眠る
 2-1 踏→沓 鬠→元結 織女→織姫 同苗→同名 慎む→包む 乳女→乳母 経営→営み 爺→父 設く→儲く 油断→油単 馴かし→懐かし
 2-2 形気→気質 十方→途方
 2-3 忍ぶ→偲ぶ 鳴戸→鳴門 尋ぬ→訪ぬ 改名→戒名 参詣→詣づ
 2-4 夫妻→婦妻 勤む→詰む 迂乱→胡乱 猟師→漁師
 3-1 甲→兜 過失→過ち 食→飯 倒惑→当惑 家産→家苞
 3-3 前→先 夕→昨夜 啼く→泣く 犢鼻褌→褌 放す→外す 大平→太平 遮る→先切る 逢ふ→合ふ
 3-4 巵→盃 摩利支丹→摩利支天 𦬇→菩薩 倶→共 欠く→駆く 席間→座敷
 4-1 安部→安倍 寒→冴ゆ 蜑→海人 伯父→叔父 沖津→興津
 4-2 相坂→逢坂 諷ふ→謡ふ
 4-3 十露盤→算盤 幼稚→幼し 撫育→育つ 馴し→懐かし 越かた→来し方 骸→体 族→輩 是歳→今年
 4-4 風流→伊達 下し→低し 養父→藪
 5-1 [⿱入日]す→暮らす 厳し→美し 饗応す→もて囃す 云く→曰く 按ず→案ず 原→源 燎く→焼く 疾→病 象→形 若し→如し 噬む→噛む 意魂→心玉 裹む→包む 胎→苔 亢ぶる→高ぶる 逎ち→則ち 籠山→香久山 露はる→顕はる [⿰巾頭]→頭巾 干鮭→乾鮭 腥し→生臭し
 5-2 村→群 鵆→千鳥 思謂→思はく 本腹→本復 一端→一旦 請け給はる→承る 高架→後架 夜部→夜辺 下来→下つ方 詐る→偽る
 5-3 払髪→剃髪 和す→合はす 時勢→今様 便り→頼り 演ぶ→述ぶ 土産→家苞 男子→息子
 5-4 虚→空き 透間→隙間 煩ふ→患ふ 籠む→込む 粮→糧 反橋→戻り橋 士→侍
 6-1 謔楽→戯れ 梧→桐 詫ぶ→侘ぶ 算む→読む 移す→写す
 6-2 翅→翼 向→先 翌→明け 立田→龍田 側→傍 凩→木枯らし 諍ふ→争ふ 慣ふ→習ふ 卜む→占む
 6-3 何某→何がし 鉄炮→鉄砲 継→次 雷公→雷 動顛→動転 単→一重 産物→土産 酬ゆ→報ゆ 濳然→涙ぐむ
 6-4 関→堰き 艶し→優し
 7-1 間→軒 檀那→旦那 飽る→呆る 祝言→寿く 渧く→歎く 嫁す→め合はす
 7-2 遑→暇 相→合ひ 目がね→眼鏡 用害→要害 一致→一つ 血染→血汐
 7-3 籠島→鹿児島 真妙→神妙 布呂敷→風呂敷 棒→坊
 7-4 古往→古 窟→屈 凶々敷→忌々しき 家頼→家来 肯く→受く 浮き目→憂き目 存命→長らふ 潔清→潔し
 8-1 福智山→福知山 童子→童 荷ふ→担ふ 貫く→抜く 躯→体
 8-2 水海→湖 男体→男なり 心易し→心安し 長卿→大人 利し→鋭し 大阪→大坂 別る→分かる
 8-3 馬口労→博労 立野→龍野 鸙→雲雀 檀→壇 輪穴→罠 気積り→気詰まり 風→風邪
 8-4 進む→勧む 片生→片息 角→隅 利→理

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

第一 心底を弾く琵琶の海

 武士は人の鑑山。曇らぬ御代は、久方の松の春。千鶴万亀の棲める江州の時津海、風絶えて、浪に移ろふ安土の城下は昔に成りぬ。
 その頃、平尾修理といへる人、天武天皇の末裔にして、高家なれば、諸役御免あつて、世を遊楽にその名を埋み、五十五歳の時、入道して眼夢と改め、その後は長剣、馬上をやめて、禅学に基づき、常の屋形を離れ、西の方の山蔭に、小笹かり葺きの庵結べば、仏の縁に引かれ、生死、目前の湖。これ則ち、弘誓の丸木船。「一大事踏み外しては、あるべからず。」と観念の南窓に諸釈を集めて、見台、気を移し、板戸、内より閉めて、人倫、通ひ道無く、それ御姿を見ぬ事、百日に余りて、末々の者、これを歎きぬ。
 変はらずして長屋淋しく、花見し梢も前栽の秋の哀れに、匂ひ有りながら蘭衰へ、芭蕉、なほ夕風に形を失ひ、門に人稀なれば、鳥の声つのつて、いつとなく内証は野となりて、鹿も棲むべき風情。この主の心ざし、市中の山居、これなるべし。
 かねて妻女も持たせ給はず。子孫の願ひ無く、心の行く末を見立て、美童を愛し給へり。これも、濫りにこの道に溺れ給はず。筋目正しき浪人の子供に、森坂采女、秋津左京。この二人、同年にして十六歳。心も形も、これ程変はらぬ生まれつきは無し。朝暮、御目通りを離れず、夜は御枕の左右に並び、わりなき御情けに預かり、采女も左京も卑しからず、互に衆道の義理を恥ぢかはし、旦那一人の御心に、両人、若命を惜しまず、骨髄に徹して勤めける事、色ばかりにはあらず。
 武勇を元として、前髪役の意気地立てすまし、今四、五年も過ぎ行き、世間並に形の変はり、脇をも塞ぎ、前髪取りなば、その節は又、自然の御用にも立ちぬべき心底。更に申すにはあらず、二人、神文取りかはし、堅めの言葉もあだに思ひの外なる主人の御発心。生きながら会はで別るべきか。
 この程は、しきりに御気を悩ませ給ふを聞けば、一しほ悲しさまさり、諸神諸仏を祈り、石山寺の観音経を読誦し、多賀大明神に千もとの小松を植ゑさせ、「千代も。」と思ふ甲斐なく、次第に御心地いたませ給へば、「今は仰せを背き、戸ざし引き破りて駆け入り、御面影拝み奉らん。」と立ち出しが、「ここは又、分別所。さもあらば、結句、頼み少なき御心にや障らむ。何とぞ今生にて御拝顔すべき事を。」と、やうやうに思案を巡らし。
 浦人を招き寄せ、棚なし小舟を借り求めて、二人、蓑笠に身を隠し、そのまま釣りの翁になりて、琵琶、琴弾き連れて、汀つたひに御庵室の後ろに廻り、折節、月の秋中の三日、浪の花の打ち続き、春は磯と眺め、「旅雁、心あらば、その声にして、この歎き告げよ。掛け浪の玉には濡れぬ四つの袖。」糸の音じめに愁歎含みて、いと哀れにぞ聞こえし。
 眼夢入道、うたたねの枕に響き、紙窓を開けて見渡し給ふに、人の心を繋ぎとめたる舟の内にして、営み暇惜しき身の、それには優しく、「漁夫、かかる者ありあけ映る南江の面白や。」と御心おのづからに{*1}進みて、この琴に合はせて歌はせ給へり。{*2}「歌台の暖響、春光融々たり。舞殿の冷袖、風雨凄々たり。」「春秋の静かに世の変はれる有様、覚むる間もなき夢なり。暫しもこれに気を移して、江はよく舟を浮かべ、又よく舟を覆すの道理。行ひの障りなり。明鏡に{*3}像の跡なく、虚空の色に染まざる如く。」と戸車の鳴る時、二人、蓑笠を{*4}脱ぎて。
 「これ、殿様。采女、左京が余りに悲しく存じ、御おとづれを申し上ぐるなり。年月の御厚恩、そもや忘れ果つべきか。御発心の折からは、猶以て近う召し使はれ、朝に岩もる雫を結び上げ、夕に御茶湯の通ひを仕り、昔の道を変へて、菩提の道に引き入れさせ給へ。殊更、御心も常ならず悩ませ給へば、御命の程も定め難し。今生にして名残の拝顔を御許しあそばされ、二人が思ひを晴らさせ給へ。いかなる御気を背き、かほどまで御憎しみの深き事、運命に尽き果てける。これ、殿様、殿様。」と歎くにぞ、眼夢も取り乱させ給ひしが。
 「これ元、色道の迷ひなり。何ぞこの色に大願を破るべき事の道ならず。」と猶心底座り、「大方の断り、聞き分けでは帰らじ。ここは、方便の偽り。諸天も許し給へ。」と観念して、「おのれら、ここに来れる者にあらず。年月、我を背き、前後弁へぬ非道。その数重なつて、須弥山にも余れり。しかれども、行く末この姿の願ひあれば、日頃の情けにそれを咎めず。全く対面、正八幡も照覧あれ、七生までの勘当。」とあらけなく仰せければ、二人、立ちすくみて、重ねて返す言葉絶えて、目と目見合はせ、涙、湯玉を繋ぎ。
 「覚えて誤りはなき身にも、御一言に差し当たり、子細を尋ねたればとて、よもや分けては語らせ給はじ。後日に分別あるべし。」と帰る浪のうち伏して、夢心にて屋敷に入りて、「詮ずる所、最期なり。眼夢も次第に弱り行かせ給へば、御死去も程はあらじ。願はくは見奉りて後、心静かに御供申したきものなれども、かねて、『殉死{*5}の事、仕るまじき。』と再三の仰せを蒙りければ、これも又、主命を背くの道理。武士は、命を捨つる所を逃れては、その名を下すなり。昔日、後光厳院文和元年二月三日に、細川頼春の家来、追ひ腹始めて、今、和朝の手本として、その誉れ、世に高し。只我々は先腹切つて、死出の山路の案内せん。」と思ひ立ち。
 日を定め、一方口の部屋に入り、内より戸ざしを釘付けにして、采女、左京が最期。銘々に腹二文字に引き捨て、その後、差し向かひ、剣を互に貫き、「只今。」と言ふ声に驚き、各々板戸を破り、駆け入りて見れば、魂、早浮世を去りて、是非もなき面影。白小袖に紋無しの袴豊かに、なで下ろしたる鬢もそそけず、身を堅め、二人ながら中眼に開き、笑へる顔ばせ、常に変はらず。
 書き置きの段々、至極して、この事、眼夢に申し上ぐれば、御誓言も忘れさせ給ひ、やうやう庵室を離れさせ給ふに、御足立たせ給はぬを、人々、肩にかけ、屋形に移しければ、この有様に取り乱させ給ひ、「勘当せしも、汝等が命の程を惜しみて、様々申せしもあだと成り、我に先立つ心底、さりとは武士の子なり。老足なれども、この道は追つ付くべし。」と左京が脇差を取り給ふを、皆々取りつき、「世の聞こえもいかがなり。」と無理にとどめ奉りしに、これより御心も疲れさせ給ひ、三日も経たぬに御命、限りと成り、かれこれ歎き重なり、一子も持たせ給はねば、あたら平尾の家{*6}、絶え果てける。
 されば、人ほど心の恐ろしきものは無し。両人が首尾、後記にも留まるべき事なるに、同じ屋形に勤めたる近習の侍に、関屋為右衛門といふ者、武の本意を背き、左京に執心の{*7}数通、通はせける。初めの程は恋路を思ひ遣り、ひそかに道理を合点させ、「主命背く事、存じも寄らず。」と以て開きて申し聞かせしに、又もや難儀を言ひかけけるに、外にも聞く人の座にて、為右衛門一分立たぬ程に、返事申し切れば、中々生きては堪忍ならぬ所を、日頃の大胆とは違ひ、おめおめとその通りに済ましけるが、その野心、今に残り。
 左京相果てて、跡形もなき悪名をさへづり、国中にこの沙汰させける事、人倫にはあらず。「この度、左京は命を惜しみ、『主人、御恨みあれば、暇乞ひ捨て、他国。』と言ふを、采女、引きとどめ、『申しかはせし通り、是非刺し違へて、二世の同道。』と義理にせめられ、痛い腹を切りける。」と申し成しぬ。左京、草の蔭にても、さぞ口惜しかるべし。
 或る時、森坂采女{*8}が弟求馬といふ人の座にて、為右衛門、左京事を又噂して、「若道にも格別の違ひあり。」と、その座なるに、采女事を言葉ある程尽くして褒めければ、求馬、よくよく聞き届け、「これは、為右衛門殿には無用の御褒美。左京、采女、いづれか相劣るべき心底にあらず。しかも左京は采女にまされるの所ありて、少しも人に後るる若衆にあらず。その上、そなたにも傍輩の事、今になつて由なき流布せらるる事、天命知らずなり。大勢の中にして露顕の上なれば、重ねて『申さぬ。』とは言はせじ。この事、左京弟左膳に知らせて、正八幡も御示現あれ、その身、逃さじ。」と言へば、為右衛門、聞きもあへず、「推参なり。」と立ち上がるを、求馬、天理を以て討つ太刀速く、車に切り放ち、静かに鞘に収めて立ち出るを、いづれも廃妄して、これをとどむる人無し。
 すぐに左膳宅に行きて、このあらましを語る内に、為右衛門一子次郎九郎、素鑓引つ提げ駆けつけしに、左膳、長刀にて渡し合ひぬ。求馬は鬢鏡取り出し、姿を映して黒髪撫でつけてゐながら、見物をしける。後より家来走り着く時、門を堅め、「むくろは、おのればらに取らすべし。」と言ふ。この勢ひに下々、あさましく逃げ帰りぬ。その後にて左膳、次郎九郎を切り伏せ、とどめまで刺しおほせ、「今ぞ、退き道。」と二人、一家を連れて、成程急がず、丹波路に入りける。
 「古今の稀者、これぞ。」と語り伝へし。


校訂者註
 1:底本は、「御心おのづから進(すゝみ)て」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は漢文。「歌台の暖響~風雨凄々たり。」は、それを書き下した。
 3:底本は、「明鏡(みやうきやう)の像(ぞう)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「蓑笠(みのかさ)ぬぎて。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「腹死(じゆんし)」。振り仮名及び『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。
 6:底本は、「家(いへ)は絶果(たへはて)ける。」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 7:底本は、「執心(しうしん)に数通(すつう)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 8:底本は、「采馬(うねめ)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。

第二 毒薬は箱入りの命

 昔の人の家の紋、橘山刑部とて、奥州福島にて出頭、この一人。殿の御心底我が物にして、御機嫌よろしければ、栄華の時を得て、武士の冥加に叶ひ、一家中この人に思ひ付く事、御威光ばかりにあらず。その身、更に悪心なく、智仁勇の兼ね備はりし人。今年二十五にして、なほ行く末頼もし。
 妻女は、一家老市川右衛門息女を、殿の御叔母君妙松院の娘御分にあそばされ、送り給はり、三年の契り浅からず、男子を平産あり。名を市丸と改め、後喜の祝ひをなしけるに、この母、後腹悩ませられ、さまざま医術を尽くせる甲斐もなく、十八の秋の初め、紅葉も薄き縁散りて、風は無常の世とて、親類歎きのやむ事無し。
 殊に刑部は愁へに沈み、「かかる憂き目は、我ばかりの袖の海ぞ。」と命も繋ぎかねたる舟の、行く水に数の思ひを成し、「うたかたの一度に消ゆる身ならば、今の悲しさ、あるまじきもの。」と世間向きは歎きをやめて、内証の愁歎、外より見る目も痛まし。喪に籠り給ふ内は、昼夜に法華経二座づつ読誦、殊勝に哀れに、末々の女房どもまで香花の暇なく、奥様御跡を弔ひ奉りける。
 やうやう日数ふりて、四十九日も過ぎければ、月代など改めて、重陽菊の祝儀に御前に出初めて、変はらず大役を勤められ、この程重なる御用ども、埒のあく事を喜びける。人はありて人無し。刑部、諸事の取り廻し、真似もならざる侍なり。いかなる縁の深きにや、今に妻の事忘れ給はねば、各々内談して、「せめては御思ひ晴らしにも。」と色盛りの艶女あまた取り寄せ、御寝間の上げ下ろしに風情作りて出しけれども、更に御心も通はず、あたら姿のいたづらに過ぎ行きける。
 それより亥の子の夜になりて、この御家の作法を覚えたる老女、花餅のしほらしく作りなし、上へ上げて下まで祝ひぬ。盃数巡りて後、素人芸の物真似、弾き語りの浄瑠璃、何の面白き事もなかりけり。義理誉めに夜をふかし、一人一人座敷を立ち、男は旦那ばかりにして、女中は耳の役目に聞きぬれば、道行の中程より白けて、三味線捨ててやめける。
 その後は俄に淋しく成りて、東の方の書院に出給へば、宵は月を見しに、空定めなくしぐれて、軒の松、無用の嵐をおとづれ、瑠璃灯の揺らぐを、「誰かは。外せ{*1}。」とありしに、野沢といへる女、掻い取り前して御意に従ひ、この灯し火を下し、立ち帰る面影、何ともなくしめやかに憎からぬ身振り。東育ちの女には稀なるやうに、御心移りて、後ろ帯の端をとらへて、「われに言ふ事あり。」と口早に仰せられしを、聞き捨てに逃げ行きけるが、帯はほどけて後に残り、その身の重ね褄まばらに、あまたの女部屋に駆け込みしは、気うとかりき。
 女郎預かりの紫竹といへる人、気を通して、「そなたも十九、二十になりて、大方ならぬ初心。」と手を取り、腰を突き出せば、野沢、赤面して、「みづからも、それ程の弁へなきにはあらず。今日は大事の母人様の命日。」と言へば、「さても律儀千万なる人もあるものかな。主命に親の日がかまふものか。」と往生づくめにすれど、「仏は見通し。勿体なき事。」と合点せぬを。
 もどかしく、小梅といへる女、御座敷に行きて、「野沢殿の帯を御返しあそばされませい。」と広き口をすぼめて、遠慮もなく近く寄れば、折節よく、この女も美しげに見えて、この帯、縁の結びとなつて、ちよろりと人の恋を盗みける。その後は、おのづから奥に入りて、御情けつのり、我になりて、これを憎まぬ人は無し。されども、小梅の女、旦那の御気に入る事、是非なく、様つけぬばかり主あしらひになりぬ。
 次第にうるさく思ふ内に、心入れの悪しき事顕はれ、又、最前の野沢に移り替はらせ給ふを、小梅、深くそねめど、さもしからねば、獺のたはれの如く、波の瀬枕をかはす度毎に御不憫深く成りて、外なくこの女になづませ給へば、小梅、瞋恚の猛火燃えやまずして、神木に釘を打ち、人形を作りて山伏に祈らすれど、元来、誠ならねば、仏神これを受け給はず、かへつてその身を咎め給ふ。
 なほ執念起こつて、野沢が命を失はむ悪事を巧み、或る時、菓子に斑猫の大毒を仕込みて、野沢の方へ贈りけるに、この山吹餅を、一人は開かずして、女臈仲間を呼び集め、茶事してこれをもてなしけるに、その夜に入りて、血を吐くもあり、又は胸を痛ませ、或いは腹中燃えて、憂き目を見せて、この難儀悲しく、かれこれ七人の女房たち、同じ枕に命終はりて、小梅一人生き残るを穿鑿しけるに、因果をば逃れず、その毒薬の事、終に顕はれ出。
 「この科の果たす所、牛裂きにしても飽き足らず。」と松の木の箱をさして、目口の所に穴をあけて、かの女を入れ、毒害にあひし女房どもの親兄弟を呼び寄せ、「恨みを晴らすため。」とて、この箱の蓋より身にこたふる程の大釘を打たせける。歎く片手に、「憎や。」と打ちぬる者もあり。「返らぬ昔。」と打たぬもあり。身内に空きども無くして、人の命も強し。九日十日までは確かに息の通ひ、十一日の暮方に終はりぬ。死骸は野に埋みて、その悪名は世に残れり。
 この小梅、生国は武蔵の熊谷の者なりしが、弟に九蔵とて、渡り奉公して浅草にありしが、この事聞きて、姉が科の程は外になして、「とかく敵は主人刑部。」と思ひ定め、遥々の陸奥に下り、里の草の屋に身を隠し、旅がけの商人と申し成し、小間物の色々を仕込み、笈箱に心覚えの刀を入れ、屋形町に出入り、いつぞの程に刑部殿の下台所にも自由に参り、心を砕き狙ひぬれども、頼るべき首尾なくて、程ふりけるこそ口惜しけれ。
 その秋冬も暮れ過ぎて、明くる年の二月の末に、花畠の菊植ゑ替へらるるとて、中間一人連れられ、萩垣の外に出られしを見届け、「この時討たずは、又の時節もあらじ。」と手ばしかく、くだんの刀を取り出し、忍びて後ろに立ち廻り、名乗りもかけず打つ太刀、夕日に映りて輝く影に驚き、よけ給へば、素股へ切り付けし間に、脇差抜き合はせ、打ちつけられしに、鬢先切られながら、「叶はじ。」とや、逃げて出しが。
 折節、市丸殿、御乳の人抱き参らせ、広庭に出しを奪ひ取り、引つ提げて米蔵の内に駆け込み、切なきままに人質をとりて、この幼き人に既に憂き目を見せんとす。この乳母、悲しくて、駆け入らんとする時、「おのれら、辺りへ近寄らば、この倅を刺し殺す。」と胸に剣を差し当てければ、さながら傍へも近付き得ず。遠くより身を控へ、手を合はして、「みづからと取り替へて給はれ。」ともだゆれど、その断りも聞き分かばこそ。又、そのままに殺しもせず。「おのれ、逃るべき所にあらず。」天命尽きて待ちける所に、家来の面々、いづれも進みて、「駆け入らむ。」とするを、刑部、駆けつけ給ひ、押しとどめ、暫く手立てを巡らし給ふ内に。
 家中一番の鉄砲の上手、後藤流左衛門が二男、森之丞とて十五歳なりしが、これを聞くより、小筒に鎖玉を仕込み、火鋏切つて駆け寄るを、皆々引き留め、「ここは大事の所。」と言へば、「し損じたらば、それまでの命。手ぬるき評議、この時に待つべきか。」と風通しの窓より目当てを定め、撃ちけるに、剣持ちたる腕首を誤たずして撃ち落とし、「それ。」と言ふ声に、各々一同に駆け入り、まづ市丸殿を子細なく抱きとり、危ふき命を助け参らせ、後にて九蔵は切り砕かれ、形は当座になかりき。
 この度の手柄、森之丞が働き、国中に於いて、これ沙汰なり。刑部殿、喜び浅からず。「さて、いかなる事ぞ。」と厳しく吟味し給ふに、かの者、小梅が弟たる事詳しく知れて、猶々憎しみ深かりき。
 それより年ふりて、市丸殿十四歳の時、国中並びなき美童。少しは我が身ながら、若衆自慢なりしに、左の方の鬢の脇にわづかに黒き疵ありて、御髪結はせ{*2}給ふ度毎に、これを隠し奉らんとす。小者が気を尽くしける{*3}姿見に、御かたちを写させ給ふ毎に、御心がかりの一つなり。或る時、乳母に、「これは。」と尋ね給ふに、かの鉄砲の玉のかすり、危なかりし昔を御物語り申す。「さては、森之丞殿の御働きにて、我、必死の難儀を逃れし。命の親御様なれ。ひたすら兄分に頼み奉るベし。」と俄にいとほしくなりて、衆道契約の状を付くれば、森之丞、嬉しさ余りて懇ろする内に。
 森之丞兄森右衛門、不慮の喧嘩を仕出し、相手三人に切り結び、一人をば、やにはに切り殺し、相手二人になり、暫し戦ひしが、天運や弱かりけん、二人がために終に討たれてけり。その残る相手、留山義太夫、鳥崎勘九郎両人、その所より立ち退き、逐電して失せけり。
 森之丞、安からず思ひ、兄の敵を討たんため、国元を出けるに、市丸も共に付き添ひ、常陸国筑波山の麓の里にして見出し、市丸、助太刀を働きて、首尾よく思ふ敵を討ち留めて、本国に帰宅して悦びの眉を開きけり。「敵討つ人は、この森之丞にあやかりものなり。市丸が心ざし、いと忝し。美形には取り分き{*4}摩利尊天も、後ろ立て強く守らせ給はん。」と皆人、これを羨みけるも、理ぞかし。なほ筑波嶺の働きの後、いよいよ恋ぞ積もりける。

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校訂者註
 1:底本は、「誰(たれ)かはづせ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「給(ゆは)せ給ふ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 3:底本は、「つくしけるに姿(すがた)見に」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「取わけ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。

第三 物申どれと言ふ俄正月

 天正の頃、陸奥若松に五月の末、大霰降りて、板屋の軒端は荒れて、東に不破の関屋見せける。「その霰、暫しは消えもやらず。秤にかくれば八匁五分、六分あり。」と言へり。これにさへ人は欲心起こりて、「これ程の珊瑚珠あらば、掴み取りの世の中なるものを。」と大笑ひして、人の心も空に成りける。
 その後、鹿島の事触れや告げ来りけん、「この六月朔日を正月に成して祝ふべし。さもなくば、人間三合になるベし。」と愚痴の世をはかりて、「神託。」とおどしければ、智あるも、死ぬる事を好く人は無く、女は子供の身の上を思ひ、餅花に春を咲かせ、「千代も。」と祈る松立て飾り、礼者は帷子を着たるばかり、その外は、元日に少しも変はる事無し。陰陽師は、「事がな。笛吹かん。」と神楽姫を拵へ、御初尾、袖に余りて、喜びの舞の拍子。見し人、山を成しける。
 ここに岩国善太夫といへる人の一子、善太郎とて七歳に成りけるが、御乳に小坊主、抱き守りの者、草履取、いかめしくざざめき、三千石の威勢を見せて、人立ちの中に遠慮もなく割り入り、それより先に立つて、宮越十左衛門とて、百五十石にて筆役の人の二男亀松、下人もなくて只一人、神楽を見物しけるに、善太郎小者、首筋に手を掛け、突きのけける。若年なれども亀松、気色を変へて、「諸侍を、推参なる男め。」と言ふ。小者、手を打つて、「袖に継ぎの当たりし帷子を着ても、歴々の御侍。」と笑ふ。亀松、脇差に手をかけしに、いまだ九歳なれば、小腕をとられ、人ぜりに押し倒され、その内に善太夫小者は屋敷に帰りぬ。
 亀松兄に十太郎、当年十九になりけるが、常々おとなしき若い者、これを聞き付け、刀おつとり駆け出でしを、母親抱きとどめ、「様子聞き届けて後、何やうにもなるべき事なり。早、この沙汰あるなれば、善太夫より届けの使、参るべし。しからば堪忍しても、引けならず。」と制し給へば、進みし{*1}胸を据ゑ、「内通あるか。」とその日夜まで相待つに、その儀なく、「もし又、善太夫他行の事も。」と聞き合はすに、成程、宿に有りながら、踏み付けたる仕方。
 今は分別して、「善太夫を討つて捨て、すぐに京の叔母の元へ立ち退け。」と手箱を開けて一歩五十、肌着の襟に縫ひ込み、九重の守り袋を掛けさせて、暇乞ひの盃出せし時、亀松、袖にすがり、「我一つに連れさせ給へ。」と涙をこぼす。「武運尽きて、我等討たれなば、成人の後に相手を討つべし。この度は、一人の母に孝を尽くせ。」と言ひ捨て、明け方に出て、善太夫の当番の日を繰りて、柳堤に足場を見合はせ、地蔵堂の後ろに暫く待つ処に、善太夫、乗馬引かせ、人あまた召し連れ来り。
 十太郎を見かけて近寄り、「昨日は小者が何とやら。」と言ひも果てぬに、「その断り、遅し。」と抜き打ちにして、早業の首尾、残る所も無し。それより山伝ひの退き道、他領へ入りて、花山院春林寺といへる真言寺に駆け込み、子細を語れば、「さても手柄。『それ程の事は、しかねまじき人。』と、かねて存ずる所なり。この上は、愚僧請け取り、確かに落ち付き給へ。」と大師堂の天井に上げ置き、寺中を集め、俄に密教を始め、法事にまぎらかし給へば、僧中さへ気の付く事にはあらず。常だに出家は頼もしきに、ましてや十太郎前髪立ちの時、仮初めながらよしみあれば、かかる時、命にかけて如才なく、「たとへ詮議にあふとても、今生後世、息の根の通ふ内は出さじ。」と、この事思ひ定めて、追手を待ち給ふに、ここには心つかず。
 善太夫一家、裸馬{*2}にて駆け集まり、十太郎方へ行くに、表の門をも閉ぢず。母の親一人、伏縄目の鎧を着て、紅の鉢巻、長刀の鞘外して、鞍掛に腰を置きて、一命惜しまぬ眼色{*3}。「いにしへの巴、山吹も、かくあらむ。」と見し人、潔く褒めて、女なれば構はず。
 十太郎、国を立ち退く事を聞き届けて、各々屋形に帰りて内談、評議の所へ、横目役の両人、大平主水、駒谷源右衛門参られ、「十太郎罷り出るまでは、一門残らず閉門仰せ付けられし。この方にも、御詮議遂げらるるまでは、寄り合ひ遠慮あるべし。」と申し渡して帰る。
 その後、十太郎は国の様子を聞くに、「別儀なくその通り。」と言ふ人あれば、母の御事安堵して、春林寺をひそかに出、道中を夜ばかり歩き、無事に京都に着き、松原通因幡薬師のほとりに、母方の叔母、東本願寺の末の道場に縁付きしておはしける、この元に身を隠し、都ながら{*4}花なき里の心地して、夜見る東山、高尾の秋の色も闇の錦と成し、古里の片便宜に猶、気を悩まし、日数経る内に。
 国元、詮議つのつて、「十太郎出さぬに於いては、一家、従兄弟まで切腹。」と仰せ渡され、是非なき折節は、憂き秋の初め、十一日に御意あつて、「八月十五日までに捕つて出すべし。さもなきに於いては、宮越の一類、滅亡たるべし。」と逃るべきやうなき仰せ。承り届け、いづれも内談堅め、「かくあればとて、十太郎は出さじ。この上は、死出の門出に人の山を成し、岩国が屋形を極楽の西門。」と定め、各々私宅に帰る時。
 亀松が申しけるは、「この儀はそもそも私の身の上より起こりし事。舎兄十太郎の代はりに、我等切腹仕るやうに横目衆へ御申し入れ、頼み奉る。」と潔く進み出れば、この中にても義理にせめられ、感涙を催し、暫く顔をうち眺め、「とかくは各々次第に最期の用意。」と有る時、母の曰く、「とてもの事に、某が願ひあり。十太郎を呼び下し、これも一所に相果てなば、何か浮世に思ひ残す事候まじ。十太郎生き残り、後にて恨むべき所もあり。日限は名月まで御待ち給はれ。」と都に刻付けの早飛脚を立て、詳しき状を遣はしける。
 七月二十五日に京着して、「姉の御方の御文、心元なし。」と開け初むるより泣き出し、十太郎への状をば、いまだ差し出しかねて、「さてもあさましや。是非なき首尾。」とうち伏しけれど、十太郎は元来覚悟の身にて、今更驚く事もなく、「御歎きをやめさせ給へ。人を殺して逃るべき身にあらず。」女心に道理を含め、合点させ参らせ、「我、この度、花洛の帝都を見始めの見納めなれば、日積もりして五日の暇あり。諸山を眺め巡り、仮の世の思ひ出に。」
 案内者を一人召し連れ、方角を分けて、五條を夢の浮橋とうち渡り、音羽の峰に別るるも東路の雲行く景色、風より先に消え散りなん心になりて、無常は鳥部山に知れての命。三十三間に矢数の武勇を思はれ、河原の狂言綺語も、移り変はれる慰み。昨日は北山、今日は西山、入り日を名残に四日続き、今一日の遊山に心ざす所は、ここ遊女町六條を見吉野の花の宴といふ太夫を、丸屋が座敷へ取り寄せ、人の眺めを無理共に貰ひ、酒面白くかはして、初会とは思はれず。十太郎より女郎の心深く乱れて、夕暮急ぐ床の情け。これには偽り去つて、もだもだと成り行く心。頭から身をその人の物にして、しやらほどけの黒髪厭はず。
 枕に近き蝋燭の立ち切る時、夜の明け方を惜しみ、「さりとてはさりとては、更に申すも恥づかしけれど、我、流れを立て初め、六年の日数経る内に、それに拵へ置く銀が敵の身なれば、貴賤の限りもなく逢ひ見し中に、馴染を恋の種と成し、正しくその御方の心の通ひ、懐妊せし程の男も、今宵初めての君に比べて、富士の煙と長柄の水底程の思はく違ひ。いかなる縁にや、これ程いとほしらしき御方に逢ひ参らするも、不思議の一つ。酒参りて、『二世まで。』と約束のこの男め。大方ならぬ因果。」と心底うちあけて語る時、十太郎、身には嬉しき事を勇まず。
 「これは、忝さ余りて、とかう言葉に述べ難し。しかれども、存じ寄りある身なれば、御情けも今宵を限り。重ねては、又逢ひましての事。」と言へば、太夫、申しかかつて赤面。「さてもさても口惜し。『この身に誠少なし。』と御疑ひも憎からず。近道に証拠。」と小指食ひ切るを、やうやうに留め、「我ら事、思し召しの外なる身にて、都を見しも今晩ばかり。鶏鳴かば、東に行きて、八月十四日に相果つる至極。」段々語り聞かせ、男泣きに前後を忘れ、身にたわいはなかりけり。
 太夫聞くに、なほ哀れのまさり、「死なせ給ひて済む事ならば、所に構ひは候まじ。いざ、みづからと同じ道に。」と思ひ切つたる気色を見て、「ここは大事。」と分別を巡らし、「いまだよしみなきに、さばかり御心ざしの嬉しさ、神以て忘れ難し。さもあらば、宿なる身仕舞ひして、最期はここに来て、明日の事。」と契約して、「恐ろしや。」と立ち帰り、門から叔母に暇の涙。
 関の清水も濁りて、大津馬に継ぎ替へて、急ぐに程なく生国若松に着きて、檀那寺徳泉寺に入りて、大平主水方へ内通して、検使を待つ宵の月の、顔も変はらず、親類にも知らせず、切腹の次第、さすが弓馬の家の誉れを残しぬ。その跡目は別條なく、善太夫家督は善太郎{*5}、十太郎跡はその弟亀松に仰せ付けられ、両家共に筋目ある者なれば、その通りにしづまりぬ。
 さては流れの都の女、十太郎を思ひに焦がれ、十四日の月見るまでは待たずして、身事書き置き認め、「心ざしは万里に通へ。これより女の追ひ腹。」と、男のすなるやうに、この自害のさま、褒めぬ人なく、「後代にもためし有るまじ。」と聞き伝へて、袖をひたせり。
 その後、善太郎、亀松、成人して、十七、十五歳になりぬ。「互に意趣含む事なかれ。」と仰せ付けなれども、武勇はそれに遠慮なく、両方共に時節を見合はせけるに、人もこの色を見て、出合ひなきやうに、その中を隔てぬ。
 或る時、野寺の観音に参詣して、善太郎は参り、亀松は下向。一騎打ちの細道にして、両人出合ひけるこそ生涯の最期なれ。「年来宿祖のあだ。思ひの晴らし所、ここぞかし。」「これ、ひとへに仏神御引き合はせ。」と互の心に請け悦び、「いやしくもまぬかれず。末々一人も助太刀無用。」と制し、股立ち取つて羽織を脱ぎ、大振袖のひるがへるは、花紅葉の色乱れて、さながら「化粧軍か。」と思はれ、下々、拳を握り牙を噛み、銘々の主人祈るに、負けず劣らず、浅手をおぼえず。冬野の薄、真紅の糸を乱し、火焔を立てて切り結べば、終に二人共に戦ひ疲れ、相討ちに切り込まれ、切り込みて、浮世の夢とは果てにける。

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校訂者註
 1:底本は、「進(しん)し胸を」。『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。
 2:底本は、「はだし馬」。『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。
 3:底本は、「顔色(がんしよく)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「都ながらも」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「長(ちやう)太郎」。『武道伝来記』(1992)語釈に従い改めた。

第四 内儀の利発は変はつた姿

 「御吉例の御謡初め。二日未明より紅梅の間へ、いづれも相詰め申さるベし。十三以下は、若松の間へ出座御免。又、老人は、鳴戸の間にて安座御許さる。法体は、小書院にて見物仕らるベし。則ち、頭巾御赦免なり。諸役人は、夜半の太鼓を聞いて登城あるベし。役者は、宵より新長屋まで詰め申すベし。」この通り、「金塚数馬、照徳寺外記両人。」として申し渡され、それぞれの役儀承り、各々退散申されし。
 既にその時至り、番組は、「高砂」「田村」「三輪」「祝言」。上代風の能筆、作法改めて書き付け、大横目安川権之進指図に任せて、大広間の見付けなる長押に張り置きしを、金塚、出頭家老にて、諸事でかしだてに、物毎子細らしく吟味するに、無用の事ながら、時の権威に恐れて、その通りに従ひぬれば、勝つに乗つて我がままを振舞ひけるを、人皆これをうとみぬ。
 この番組の張り所を暫く眺め、「惣じて、かやうの物は、文字の位、礼紙を見合はせ張る事なり。番付、八寸余り上がり過ぎたり。仮初の事ながら、これを下ろすべし。」と茶道坊主に申し付けられし時、「これは、安川権之進殿の指図にて、かくの通りあそばしおかるる上は。」と申す。「この国に於いて、某が言葉を返す者、奇怪なる推参。」と持ちたる扇にて頭を打てば、休林、堪忍成り難く、小脇差に手懸くるを、数馬、抜からぬ男なれば、即座に抜き打ちにして、あへなく夢とは成りぬ。この休林、生国丹州の者なれば、この家中に於いて、親類とてもなく、哀れや、「我が心から、かくは成り行きける。」と理に非を付けて取り置きぬ。
 権之進、これを聞き付け、広間に来り、数馬を呼び出し、「只今休林討たれけるは、元、某が身の上なり。とかくの詮議に及ばず。」と互に抜き合はせしが、数馬を縁より下に切り落とし、手ばしかくとどめを刺し、「全く命惜しむにあらず。存ずる子細あり。」と声をかけて立ち退くを、各々、褒めこそすれ、討ち留むる人なく、裏の御門より駆け抜け、屋形町の野外れにて、家来の若党一人追つ付き、まづ我が草履を脱ぎて旦那にはかせ、「さて、奥様は、いづ方へ退け参らせん。」と言ふ。「妻子は細井金太夫方へ、この様子を申して頼み入るベし。」とあれば、家来、一円合点せず。「これは、日頃不会なる方へ、この事、いかが。」と申す。「汝が不審、尤もなり。これには思案のある事なり。早速、金太夫に頼むべし。我は、これより上方へ立ち越す。」と言ひ捨てて別れぬ。
 主人言ひ付けに任せ、屋敷に帰り、末々の女には、この沙汰をもせず。娘御を内懐に抱きて、奥様に、はしたの着物を打ち掛けさせ、裏の忌門より連れまして出しに、人の気の付くべき事無し。程なく金太夫殿の屋形に駆け込み、ひそかにこの様子を申し上げしに、金太夫、少しも騒ぐ気色なく、「親子御両人、拙者請け取り、預かり申す上は、心安く思ひ、気遣ひする事なかれ。その方は、急ぎ立ち退くべし。」と折節あり合はせたる路金を取らせ、帰されける。
 さて、権之進屋敷へ、数馬より一家一族、寄り子の輩まで追ひ追ひに駆け付け、門を取り囲み、内に入りて穿鑿するに、中間供部屋には、いまだこの事知らざりけるにや、木枕に当て煙草を刻み、或いは塩をなめて酒を呑み、下台所には朝飯を炊き、上台所には、女あまたの慰み業にや、早、乾餅を取り散らし、かき餅、あられを刻み居しが、奥御前、屋敷出を夢にも知らざりき。驚き騒ぎて泣き出す。乳母、介錯の人も、「こは、いづ方へ。」と身をもみて、一度に泣き出す。
 「さては、妻子を隠して、その身も落ちけり。」と、この有様に各々立ち帰り、段々を言上する時、則ち下知ありて、まづ城下の口々に加番を付けられ、厳しく人を改めて、往還を許さず。「権之進親類の輩には、残らず家探しをすべし。もし行き方知れずは、土を返して詮議を遂ぐべし。年立ち返る祝ひの先より、曲事を成しけり。」と、上より御立腹浅からざるも、理なり。その日は、吉例の儀式も鳴りをやめける。
 金太夫方には、弟金右衛門、忍び来り、「この度の儀、常の事にはあらず。かの人々を、手前に深く隠し置かるる段、一つは上を軽しむるの恐れ。又は、年頃さばかりのよしみもなく、殊に挨拶よからぬ人の妻子を預かり、隠し給ふいはれ無し。この儀、憚りながら御思案しかるべく候。」と申せば、金太夫、聞き届け、「それ、『窮鳥懐に入れば、猟師も殺さず。』と言へり。武士の意気、道理を立つる者は、世間の見る目と格別なり。権之進と自分が日頃不会なる事は、少しも遺恨の子細にあらず。
 「先年、関ヶ原の陣旅におきし時、彼が親安川権蔵、我等が先祖隼人と同じ組下なりしが、互に戦功を励み、高名互角の感状あり。両輩共に千石づつ所知下しおかれ、役儀等しく大横目に仰せ付けさせられ、安川流、細井流とて、槍に一流づつの誉れを顕はし、武勇を争ひ、おのづから睨み合ひて、家名を挑みしばかり。共に主君の忠功を勤めし。彼、この節、我が心底を見定め、『是非隠し遂ぐべき者。』と頼み掛け、我に預けし女子、たとひ一命に替へても、ここは出さぬ至極なり。いよいよ常住体にもてなし、少しも色を見らるべからず。」と堅く示し合はせ、さて内室には始めを語り。
 「よくよくいたはりて、隠し参らせ給へ。」と言ひ含め給へば、女性も心頼もしく、「人に情けを知らるる事、かかる時なるべし。おろそかに成らじ。」と、みづから御茶の通ひまで成し参らせ、「何事も御心に任せ給へ。」と、いと懇ろにもてなし給へば、奥御前、嬉しさ限りなく、「この御心入れ、いつの世に御恩送り奉るべき頼りも無し。いたづらに身の成り行く事、一しほ口惜しくこそ候へ。」と袖のしがらみ、安川を流し、女性ながら互の礼儀、さすが優しく深かりけり。
 されば、この度の怱劇、やむ事なく、「不日の間に、この屋形町をも井の底まで探すべし。」との風聞す。「もし吟味役の方々に見出されては詮無し。まづ我が身は中通りの女分になるべし。渡らせ給ふ御前を、この屋形の奥に成し参らせ、首尾よく憂き目を救はせ給へ。」と女性の智恵賢く、いみじき謀りを{*1}勧められしかば、金太夫喜び、「さもあらば、その方、この屋敷におはしては、その謀り事、心元なき事あり。暫く親の元へ帰り給へ。」と内談して、風俗を使ひ役の女に作り、真紅の網袋に葉付きの蜜柑を入れ、長文箱を持ち添へ、奇特頭巾をかぶり、小者も連れず只一人、屋敷を出、初めて玉鉾の陸地を踏み、別儀なく御里の屋形へ入らせ給ふ。
 金太夫、安堵し給ひ、権之進奥に、「何事も難儀を救ひ参らせんため、主命に代へて謀り事を巡らし奉るなり。今より暫くの程、言葉を改め、我が妻子の如く。幼き息女には、まことの親の如く」言ひ教へ、あひしらひ給へば、この娘、いと賢くも、「今一人の髭のあるとと様は、どこへ行かせ給ふ。」と尋ねられしに、「それは、伯父様なるぞ。我がとと様は、これぞ。」と金太夫殿の御膝の上へ渡す時、門外に人の声どよめき、「人改め。」と断り申し{*2}、役人、大勢駆け入りて見るに、いづくに、権之進が妻子らしき者を隠し置ける風情も無し。金太夫、権之進は、日頃睨み合ひて不会なる事、各々存じければ、大方、あらましに吟味して立ち帰る。虎の尾、鰐の口を逃れ、危ふかりし所なり。かの九郎判官殿{*3}、弁慶がために強力と成り、富樫が関路に怪しめられ、大塔護良親王の、般若の箱に御身を縮め、按察法印が難を逃れ給ひしも、今の思ひによも過ぎじ。
 それより二十日ばかりも過ぎて、様子を見合はせ、わざと雨風{*4}騒がしき夜半に忍ばせ、弟金右衛門を付けて、権之進隠れ家、吉野の下市と聞こえければ、送り届ける武士の、やたけ心ぞ頼もしき。妻子の対面、その悦び、幾そばくぞや{*5}。たとへて言はん方もなし。「この度、細井殿、浅からぬ懇情。弓矢の本懐」書中に籠め、礼儀を正し、金右衛門は、国元姫路に帰りぬ。世に浪人と成り、敵持つ身の安からぬ事。「いまだ男盛りの花桜。一片の太刀風に、今にも吹かば散るべき。」と朝暮の心油断なく、年月を送りける、武勇の程こそ勇ましけれ。
 金塚数馬が一子勝之丞、後ろ見三人同道して、権之進を討たんため、諸国を巡る時、茶道{*6}休林が倅六十郎、丹後の宮津に有りしが、数馬に父を討たせ、その瞋恚、やむ事なく、勝之丞を討つべき所存起こりて、播州に下りける。連れたる供の者は、本国姫路の者なり。家中の人をも見知り、案内もおぼえたり。頼もしく付き添ひしが、勝之丞が運の尽きにや。山崎越えに上り、瀬川といふ里の出茶屋に腰掛けて、手には煙管筒を持ちながら、旅疲れにや、つらつら居眠り。正体なき所へ、それとは知らず、六十郎行き合ひたり。
 小者、袖を引きて、「念願の勝之丞は、あれ候。」とささやく。聞きもあへず、刀を抜き、「休林が一子六十郎、親の敵ぞ。おぼえたか。」と名乗りかけて討つ太刀に、勝之丞、左の肩先を斬られ、抜き合はする{*7}間に、畳みかけて本望遂げ、とどめを刺して仕舞ふ所へ、後より三人追つつき、又切り結び、暫しが程、二人と三人と一命惜しまず励みしに、終に六十郎も討たれ、小者も空しくなりぬ。三人方にも二人討たれ、やうやう一人、甲斐なき命、生き残り、行き方知れずなりにき。
 その後、「権之進事は、武の本意、至極」の詮議に相済みて、再び帰参して、安川の家、栄えけり。この時、細井金太夫働きも世に顕はれ、「当家、稀なる者二人。」と、その名を上げて、今の世までも語り伝へぬ。

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校訂者註
 1:底本は、「はかりすゝめ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「申す。」。『井原西鶴集4』(2000)に従い改めた。
 3:底本は、「九郎判官(らうほうぐはん)弁慶(べんけい)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「雨風のさはがしき」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 5:底本は、「いくばくぞや」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
 6:底本は、「茶堂(さだう)」。『井原西鶴集4』(2000)に従い改めた。
 7:底本は、「ぬきあはす間」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。

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