思ひ入れ吹く女尺八
安芸の広島へ、京より枯木内匠といへる鞠の上手、下りて、あなたこなたへ指南して、一家中に蹴鞠の柳なびかせ、風なき暮を急ぎて、沓音のせざる屋形は無し。惣じて、慰む業も、国のはやり物に心の移り、色になづみぬ。ここに福島安清とて、殿に{*1}筋目ある人なりしが、無役{*2}にて歓楽に暮らし給ひ、殊更鞠好きにて、その友を集め、七夕の興行ありしに、その中に鳥川葉右衛門弟、村之助といふ人、今年十八、角前髪ながら、美道の花の香残りぬ。
やうやう暮も詰まりて、名残の高足、横切れして、藪垣を打ち越えて、隣の花畠に落ちける。村之助走り出、笹の葉分けて覗けば、鞠は唐萩の枝に留まりて、それより東の池の溜水の清げに、棚橋の架かる所に、隣屋敷の息女と見えて、紋羅の白きに紅の裏を付け、檜扇の散らし形、大振袖の豊かに、紫糸の組帯しどけなく結びて、乱れ髪の中程を金の紙の平元結に締め寄せ、房付き団扇に梶の葉見えしは、「今日、織姫の歌を手向けならむ。」と思ふに、案の如く沢水に浮けて立ち帰らるる面影、「天人の生き写しか。」と心も空になり、前後かまはず言葉をかけ、「慮外ながら、あの鞠に御手添へられて、こなたへ返し給はれ。」と言へば、草分け衣に露も厭はず、鞠を手に触れて、声の通ふ所へ差し出し給へる手を締めて、互に面を見合はせけるこそ恋の初めなれ。
その内に、末の女のあまた来れば、村之助、是非なく立ち帰り、装束脱ぎ捨て、各々より後に残り、又、竹垣を見れば、かの娘も、殿珍しく、恋を含み、重ねて花園に立ち出しに、わりなく物言ひかはして、筆にて心を通はすまでもなく、「忍びて行かば。」と言へば、「それを嫌とは言はぬ女。」と男に約束深く、闇になる夜を待ちて、裏道より高塀を越え、身を捨てて通へば、女も偽りなく猿戸の鍵を盗み出し、人知れず我が寝間に引き入れ、二人が命をかけて、「二世まで変はるな。」「変はらじ。」と互に小指を喰ひ切り、その血を一つに絞り出し、女は男の肌着に誓紙を書けば、男は女の下着に書きかはして、後には恋の言葉も尽きて、逢ふ度に物は言はず、涙に更けて別れを惜しみ、次第につのるは、この道の習ひぞかし。情けの日数重なるを、天鵞絨の枕より外に知る者もなかりしに、思ひの種と成りて、雪中の花に見ながら、「青梅もがな。」と無い物好きをして、腹なり、可笑しげになりぬ。
この息女の親は藤沢甚太夫とて、物頭なりしが、廻り番にて御江戸を勤め、帰宅の折節、遠州浜松に立ち寄り、同名甚左衛門二男甚平、十九歳になりて、しかも骨柄たくましく、殊に大力なれば行く末頼もしく、甥ながら子に貰ひて、娘の小督にめあはせ、追つ付け隠居の願ひを嬉しく、同道して本国に帰り、奥に始めを語りければ、悦び限りもなく、養子の御訴訟叶ひて後、祝言の事ども取り急ぎしに。
小督、かつて勇まずして、母親に歎きけるは、「仰せを背くは不孝の第一なれども、思へば仮の宿りの夢と極め、仏の道の有り難く、後の世を願ふなれば、一生夫妻の語らひ捨てて、身を紋なしの衣に成し、いかなる山にも分け登り、修行に思ひ入りければ、甚平様へは外より呼び迎へさせ給へ。」と思ひ寄らざる事ども。母人驚き給ひ、内証にて色々異見積もれども、いかないかな承引せず。今は了簡尽きて、とやかくこの沙汰包むに顕はれ、甚平も少しは口惜しく、恨みを含む折から。
村之助が忍び姿を見付け、浜松より召し連れたる小者と心を合はせ、木蔭に待ち伏せして、帰る所を何の子細もなく討つて捨て、さて穿鑿に成る時、小督、「これまで。」と思ひ定め、長刀振つて出るを、乳母抱き留めて、「敵は重ねて討つ品あり。まづは屋形を退き給へ。」と甲斐甲斐しくも手を取りて、どさくさまぎれに裏門より駆け抜け、行き方知れずなりぬ。村之助、密通隠れなく、「武命の尽き。」とさみせられ、甚太夫{*3}は面目にて遠慮、甚平は立ち退きける。
小督は、乳母が働きにて広島を逃れ、播州明石の里に知るべありて、女の道も日数経て、この所に立ち越え、賤の屋の住まひして、手掛けぬ営みも見馴れて、縮布を織り習ひ、今日に送りぬ。月も早重なりて、取揚げ婆の寝覚め驚かせ、産湯沸かして待つ時、守り刀を身に添へて、「諸神も憐れみ給ひ、男子を喜ばせ、父村之助敵、甚平を討たせ給へ。もしも女子ならば、立ち所を去らず、腹掻き切つて果つべし。」と。この一念の通じ、初声強く男子を儲け、願ひのままの帯締めて、大事に育て上げ、名を村丸と髪置き、袴着。引き伸ばすやうに祈りしに、程なく九歳より須磨寺に遣はし、手習ひの時過ぎて、若木の桜色深く、「若衆のつぼみ。」と僧俗に眺められ、十三の春にぞ成れる。
「今は昔を語り聞かせ、敵を討ちに出づべき時節。」と父村之助最後の有様を、あらまし話も果てぬに、「その甚平が生国浜松に立ち越え、首を土産に追つ付け帰りて、めでたく御目に掛からん。」と身拵へして立ち行くを、二人すがりて抱きとどめ、「我々一所に立ち行き、討つべき日頃の大願なり。かねて心懸けたるしるし。」とて、女ながら尺八を吹き習ひ、鎖の肌着に隠し、脇差、油単に仕込み、髪散切に深編笠。そのまま男の出立ちと成り、明石の借り宿を忍び道。波の音、松の嵐、子を思ふ夜の「鶴の巣籠り」といふを、三人の連れ吹き。
鳴く音もおのづから哀れに物悲しく、息使ひは千年を{*4}祝ひ、鉄拐が峰に別れ、夢の浮橋、生田の里、布引川など渡りて、西国街道を淀より東路の逢坂山越えて、勢田の永旅に身をやつし、気を凝らし、石山寺に参詣して、紫式部が源氏の間を、長崎の道者開帳し給ふを、結縁に拝みて、「古は、かかる女もありし世。」と女の身には殊更に感じて、心静かに下向するに。
年の程四十ばかりの侍、下人一人召し連れられ、旅装束軽く、矢立ての筆を速め、里人にここの名所を聞き書きしておはしけるが、村丸が面影を見給ひ、「さても眼ざし、鬢の縮みたる所、腰の付き、そのまま生き写し。」と後よりささやき給ひしが、下人が声して、「村之助様の幽霊なるべし。」と言ふにぞ、名も懐かしく{*5}立ちどまり、顔見合はせても言葉をかけかね、「この湖の八景より、国贔屓の目よりは、厳島の景色面白や。懐かしや。」と乳母に耳雑談すれば、かの男、近寄り。
「各々は、広島の衆か。」と問はれたるに、まだ身を隠し、「播磨の者。」と言へば、「正しく安芸の言葉つきあり。この少人は、もしも鳥川葉右衛門殿の御親類にてましまさぬか。」と問はれて、返事しかねて涙ぐめば、この男もしほしほと、語らぬ先に歎き、「我は大谷勘内とて、村之助兄弟分の者なり。不慮にこれを討たせ、その相手を遠州まで尋ね、心のままに討ち取り、孝養にせんと遥々行きし甲斐なく、その者、今程は吉野の山里にありかを聞き出し、只今立ち行く。」と語り給へば、人々、勘内に取り付き、「その村之助が一子、村丸。」と心底、始めを語れば、皆々一度に泣き出し、「歎き、ここにして尽きぬ事なり。さあさあ、大和に越えて、甚平を討つての上の事ぞ。」と。
それより吉野に分け入り、確かに見出し、勘内、後ろ見をして、村丸に願ひのままに討たせ、始終の首尾、残る所なく、無事にこの里を立ち退きけると、昔を今に語り伝へり。
校訂者註
1:底本は、「殿(との)の筋目(すじめ)」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
2:底本は、「無紋(むもん)」。『井原西鶴集4』(2000)に従い改めた。
3:底本は、「甚右衛門」。『井原西鶴集4』(2000)本文及び語釈に従い改めた。
4:底本は、「千年(ちとせ)の祝(いは)ひ」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。
5:底本は、「なつかしと立(たち)とまり」。『武道伝来記』(1992)に従い改めた。