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カテゴリ:井原西鶴 > 校訂新可笑記(1914刊)

校訂新可笑記(1914年刊)WEB目次

新可笑記 序
 笑ふに二つあり。人は虚実の入れ物。明け暮れ世間の慰み草を集めて眺めし内に、昔、淀の川水を硯に移して、人の見るために道理を書き続け、これを『可笑記』として残されし。誰か笑ふべき物にはあらず。この題号を借りて、新たに笑はるる合点。我から腹を抱へて、智恵袋の小さき事、生まれ付きて是非無し。
難波俳林
西鶴 松寿
巻一
一 理非の命勝負  武士は人を助くる一言の事
二 一つの巻物両家にあり  武士は義理死世に惜しむ事
三 梢に驚く猿の執心  武士は不断覚悟の事
四 生き肝は妙薬の由  武士は主命に替はる事
五 先例の命乞ひ  武士は内証を見せざる事
巻二
一 炭焼も火宅の合点  武士は道理に命を取る事
二 官女に人の知らぬ灸所  武士とは格別長袖の事
三 胸を据ゑし連判の座  武士は一戦の働き第一の事
四 兵法の奥は宮城野  武士はその家風太刀先に吹かす事
五 死出の旅約束の馬  武士は言葉の違はざる事
六 魂呼ばひ百日の楽しみ  武士は女も道を立てける事
巻三
一 女敵に身替はり狐  武士は堪忍を本とする事
二 国の掟は知恵の海山  武士は発明に悪人知る事
三 掘れども尽きぬ仏石  武士は愚かなる沙汰言ふまじき事
四 宙にぶらりと俄年寄  武士は工夫の深きを普請役の事
五 取り遣りなしに天下徳政  武士は善悪の二道を知る事
巻四
一 舟路の難儀  武士は心の海に油断せぬ事
二 歌の姿の美女二人  武士は神主になる身の事
三 市にまぎるる武士  武士は外なる願ひせまじき事
四 書き置きの思案箱  武士はその家継ぐべきに見立てある事
五 両方一度に神下ろし  武士は落ち度も穿鑿のしやうある事
巻五
一 鑓を引く鼠の行方  武士は眼前にまことを見出す事
二 見れば正銘にあらず  武士は初めて一座大事の事
三 乞食も米になる男  武士は心の朽ちせぬ浮世の事
四 腹からの女追剥  武士はその時に変はる子どもの事
五 心の切れたる小刀屏風  武士は心の素直なるものと知らるる事


校訂新可笑記(1914年刊)WEB凡例

  1:底本は『西鶴文集 三版(1914年刊)』(博文館 1914年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を正確にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略し、底本の漢字は原則現在(2025年)通用の漢字に改めました。
  4:繰り返し記号(踊り字)、合字(合略仮名)等は、漢字一字を繰り返す「々」を除き、原則文字表記しました。
  5:句読点、濁点半濁点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入し、改行も適宜しています。
  6:かなづかい、送り仮名は、文語文法に準拠し、適宜改めました。
  7:底本の漢文は適宜訓読を修正し、書き下して示しました。
  8:校訂には『新可笑記 決定版 対訳西鶴全集9』(麻生磯次、冨士昭雄著 明治書院 1992)、『井原西鶴集4』(広嶋進校注・訳 小学館 2000)を参照しました。
  9:底本本文の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。但し、以下の漢字は原則として、他の漢字あるいはかな表記に変更しました。

漢字表記変更一覧

複数篇にわたるもの(五十音順 但し現代仮名遣い)

ア行
 明く→空く・開く 明ぼの→曙 噯ふ→扱ふ 跡→後 入る→要る 中→内 拍つ・打つ→打つ・討つ 移す・移る→写す・映る 衣裏→襟 発る→起こる 納まる・治む・納む→治まる・収む・治む 越度→落ち度 威す→縅す・脅す
カ行
 海道→街道 帰る→返る 貌→顔 各別→格別 学文→学問 陰・影→蔭 厳る・餝る→飾る 義→儀 詞→言葉 比→頃
サ行
 遠く→避く 指・差→差・指 執行→修行 性→姓 身体・身袋→身代 椙→杉 僉儀・僉議・僉→詮議
タ行
 焼く→焚く 立つ→経つ・建つ 行・方便→手立て 取る・捕る→盗る・捕る・取る
ナ行
 中→仲 詠む→眺む 泪→涙 悪し・悪む→憎し・憎む 念比→懇ろ 遁る→逃る
ハ行
 挿筥→挟箱 咄→話 独→一人 隙→暇 二度・二たび→再び 不便→不憫
マ行
 政事→政 廻らす・廻る→巡らす・巡る 翫遊・翫ぶ→もて遊ぶ 許→元
ヤ・ラ・ワ行
 屋→家 婀娜し→優し 安し→易し 読む→詠む 利→理 籠→牢 薜・禍→災ひ

上記以外(篇毎 登場順)

 目次 木末→梢 驫く→驚く 旅行→旅 中→宙
 1-1 清む→澄む 時勢→今様 粧→姿 美児→美少 面子→顔ばせ 妖媱→美し 壱→一 割く→裂く 唐→唐土 勘ふ→考ふ 中る→当たる 瞳子→瞳 掩ふ→覆ふ
 1-2 千剣→千早 愛拶→挨拶 亦→又 媒→仲立ち 工→巧み 連書→釣書
 1-3 卑気→引け 竈→釜 割く→裂く 留主→留守 錯る→誤る
 1-4 妻→雌 涌く→湧く
 1-5 角→隅
 2-1 亡す→滅ぼす 男子→息子 察む→諦む 職→常
 2-2 繋し→厳し 容→姿
 2-3 帥→粋 達→立ち 莅む→臨む 着頭→着到 冀ふ→乞ひ願ふ 糺す→糾す 警む→戒む
 2-4 諺→事わざ 考みる→鑑みる 天窓→頭 花車→華奢 闇し→暗し 長錬→調練 仕相→試合 名誉→面妖
 2-5 御寸→御酒 鈴→錫 手づさふ→携ふ 製る→造る 主人→主 送る→贈る 村→群
 2-6 烟→煙 占→占形 安部→安倍 的伝→嫡伝 傘→唐傘 替はる→変はる 凩→木枯し
 3-1 忰子→倅 形気→気質 族→輩 相図→合図 障礙→障碍
 3-2 扮く→裁く 同前→同然
 3-3 随ふ→従ふ 歯→刃 𨥉→金山 種→胤
 3-4 鉄漿→歯黒 鴨居→敷居
 3-5 仁→人
 4-1 閑→静か 婆母→婆 介杓→介錯 十方→途方 秘す→隠す 母気→母儀 姥→乳母 娵→嫁
 4-2 忙然→茫然 楊梅→山桃 賜る→贈る 呵る→叱る 窅く→覗く 俤→面影
 4-3 疎略→粗略 慣ふ→習ふ 慥→確か 倉→蔵 懈る→怠る
 4-4 鎰→鍵 讃む→褒む
 4-5 檀那→旦那 誡む→縛む 畾紙→礼紙 形義→行儀
 5-1 挑灯→提灯 甲→兜
 5-2 月額→月代 牛角→互角 大様→鷹揚 十呂盤→算盤 如在→如才 意恨→遺恨 団→団扇
 5-3 恒→常 十面→渋面 離→別れ 燧→火打ち
 5-4 今日→狭布 羽護込む→育くむ
 5-5 宿→泊り 茶堂→茶道 欠落→駆け落ち 大正寺→大聖寺

 なお、底本には現代では差別的とされる表現がありますので、その点、ご注意ください。

井原西鶴関係記事 総合インデックス

新可笑記 巻一
井原西鶴著

一 理非の命勝負  武士は人を助くる一言の事

 古代、徳ある人の言へり。「天のなせる災ひは避くべし。みづからなせる罪は避くべからず。」となり。
 時に、九州の国主、武の政正しく、民百姓を救はせられ、自然と天運に叶ひ給ひ、領地の万木千草までも、国の境を限つて常にまされるの葉色。千秋の世の中、月も澄み、よき時津風、静かなり。
 その頃、南都春日の里より、舞曲の美童、手貝の胡蝶、元興寺の菊若。この二人、同年にして、音声揃ひ、「さながら、はらからの艶形か。」と見し人、思ふ程に似たり。今様姿をよく歌ふに、都遠き目に焦がれて、花、紅葉は、いづくも山、更に変はらず。これは、見馴れぬ歌舞の曲なり。諸人、聞き伝へて一詠一楽、私には及ばざる事を願ひぬ。国の守、これを憐れみ、城内に舞台をしつらはせ、「左は男桟敷、右の方は女中。」と定め、「土座は末々の万人、自由に見るため。」と仰せ出されしは、有り難き世に会へる。
 時しも秋の初め、七夕の半天しめやかに、烏鵲の橋掛かり、雲龍の水引、冷風に翻し、蜀江の錦の掛幕、光映りて、銀燭、星の林の如く、役者もまばゆし。桟敷の松の風収まつて後、露払ひの踊り太鼓、それより打ち続きて、胡蝶、菊若、二人の美少、緋の袴腰高に、紋羅の肩衣、まくり手の紫紐、玉牡丹の簪、白綾の鬘帯。紅粉は白皮を彩り、細眉は雲間の月、わづかに出づるに異ならず。唇は丹花を欺き、総じて顔ばせ美しく、金の団扇を携へ、足取りに六つの拍子を備へ、諸芸を宵より尽くして、これに飽かずも、明け行く名残を惜しみぬ。
 殊更、女桟敷は蘭帳、軸簾を心の外にうち上げ、国女臈、お局、表使ひの女まで、おのが善悪の面を恥ぢず、青眼据わつて、おぼえず笑ひを催せり。女は、さもこそあるべけれ。男もたまさかに見るなれば、番所を相役と替はり、後は{*1}書院、玄関も空けて、掟みだりがはしきも、不断の事ならねば、横目の輩もその通りに見許しける。
 ここに御納戸の奉行、四人して相勤めしが、別して今宵は御用繁く、物の音も遥かに聞きて、心は空になりぬ。やうやう曙近くなりて、役儀仕舞ひ次第に、一人一人見る事を急ぎ、一人もなかりき。その折節、御前近き人、御納戸に入りて、役者に下され物の金子、御用の由にて、役人尋ね給ふに、一人もなく、「勤め所空けらるる事、疎略。」と沙汰せらるる所へ、各々立ち帰り、御金相渡す時、心覚えの五百両包み一つ紛失して、色々詮議を遂げても、いよいよないに極まり、役人迷惑。その身、無沙汰より起こりぬ。
 その夜は明けて七月八日に、老中、御前に披露あつて、まづ若殿の御耳に立ちける。四人、御指図受くるまでもなく閉門して、いづれも申し合はせて切腹の覚悟。かかる事に身を捨つるは口惜しき。御意を待ちけるに、まづ、奉行に何の子細もなく、「納戸に末の行く所にあらず。しかればこの金の盗人、侍分の者に極まれり。武家は前代未聞の悪人。天を分け地を裂き、この科人、穿鑿を遂げ、永代の仕置に行ふベし。」と御腹立、至極の所なり。城下の道筋、人馬の往来をとどめ、一国の煩ひと成りぬ。内談、評定、様々なれども、何をか元に詮議の役人、退屈して、詮ずる所、四人の納戸、切腹に極まりぬ。
 その頃、宇土の長浜といふ所に、神道の行者、浮橋宮内卿橘の正連といへる人、平生、真言の行力を以て人相見る事、天眼通を得たり。今度、国中の難儀を重んじ、「この金子の盗り手は、御家中を逃れず。残らず面を見せ給はば、人相の秘事を以て、その者を選び出し、万人の難儀を助くべし。」と世にためしなき御訴訟なり。諸役人、詮議にあぐみし折からなれば、「正連に見分致させ{*2}。」との仰せを蒙り、明徳門の額を掛け、矢蔵に上がり、「神力、この時。」と観念の眼を遮り、諸人の登城待ちけるに、老人より次第に立ち並び、常は開かずの穴門を一人づつ通されしは、身に罪なくても心地良からず。
 家中残らず御門を過ごして後、宮内、ひそかに御目付役まで申せしは、「百三十七人目の茶小紋の上下着したる人ぞ。」と正しく申せば、老中驚き、「それは何の何がしとて、歴々の侍なり。心得難き大事。」と思案せらるる時、「たとへ何人にもせよ、金子の盗り手。」に極め、確かに指図をせし事、早、その隠れ無し。この上は了見に及ばず、寄会所へその侍、召し寄せられ、右の段々仰せ渡されし。
 「是非もなき仕合せなり。人も多きに、悪名に指さるる事、これ武運の尽き。その宮内に対談の願ひ。」「尤も善悪の詮議あるベし。」大法なれば、二腰は預かり、正連に出合ひ、「理非明らかなる所なり。それ、人相を以て善悪を知る事、唐土の袁天綱、我が朝の晴明如きさへ、偶中といふ事もあり。いはんやその方の凡慮にて人相の家職は、価を奪ふの賊なり。我に何の見所あつて罪に落とすや。」
 「尤もなり。世々の人相者も、天理の常を以て考へば、何の当たらざる事か、これあらん。まことに古語にも、『人、恒の産なければ恒の心なし。』と。貴方の明徳門の文字の見やうは、諸人の眼色とは{*3}事変はり、面体は仰のき見んとも、瞳にては地を見る事、これ第一の目付きなり。されば、眼は神明の宅にして、明鏡の如し。胸中に邪あれば、瞳子、正しからず。心ここにあらざれば、見れども見えざるには{*4}あらずや。貴方の悪を覆ふといふとも、その罪、いづくに逃れんや。」と道理を責め付け、骨髄にこたへ、魂裂くるばかり落とし付けて申せば、侍、赤面して、「この上は、某を拷問あそばし、その理、明らかなる時は、宮内が五体、八つ裂きになして、世の掟を正し給へ。」と離れ切つて申せば、宮内はひるむ所なく、「汝、この罪を逃るべきや。忽ち顕はし、国土の見せしめになし給へ。」と両方、命惜しむ所無し。
 そのままには済み難く、是非なや、この侍、その役人の手に渡り、引き立てられて行く風情。「我が敷島の道ならで」と詠みし歌にその罪逃れしが、今の浮世の武士、かかる手ぬるき哀れを知らず。色々品替へて責めつれども、「この事、知らぬ。」に実定して、次第に息も絶え絶えになる。「今ぞ。」と見えし時、宮内を呼び寄せ、「相手は只今、絶命に疑ひ無し。責め殺して後、その身の難儀。」と申せば、「さりとては、武士の心根強し。これ程まで申さぬ事の頼もし。されども金は、あの者盗むなれば、猶強く責めて命を取り給へ。その後は、宮内が覚悟。」と申せば、この一言に、かの侍、夢の如くなる眼をかすかに開き、左の手をさし延べ、言ひたき事のありげに見ゆれば、暫く心を休めさせ、役人、近く寄れば、この男、正念に起き直り。
 「世には、かかる不思議もあり。人相を見て大事を知る。宮内、当国の重宝。この御家、猶治まるべき瑞相なり。その金盗人、我なり。心の外なる事にさし詰まり、傍輩の難儀を顧みずして、これを盗みぬ。無刀の大賊、不仁の凶徒に劣れり。今、呵責の苦しみによつて白状申すにはあらず。某、このまま命終はるに於いては、世の宝なる宮内が命の程の惜しまれ、最後に至つて、かくは言ひ残し侍る。その五百両の金子、早百五十両、自分の要用に使ひ、残り三百五十両は、我が住みし屋敷の泉水の北の方なる岩組の根に。」ありありと申し渡し、その言葉の下より眠るが如く、命、はかなくなりぬ。
 この者が屋形に行きて、池を改めけるに、申せし所違はず、金子のありしを証拠に、始終を言上申せば、「尤も大悪心なれども、大事に人の命を思ふ事、武士の心底。」この上ながら感じ給へり。「又、宮内事は、誠に天眼通を得たる人相見。末世にもあるべからず。人の鑑。」と備へ置かれしが、それより人の心、質直になりて、道を守りけるとなり。
校訂者註
 1:底本は、「後(のち)に書院(しよゐん)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。
 2:底本は、「いたせとの」。『新可笑記』(1992)語釈に従い改めた。
 3:底本は、「眼色(がんしよく)と事(こと)」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。
 4:底本は、「見(み)えざるにあらずや、」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

二 一つの巻物両家にあり  武士は義理死世に惜しむ事

 古代、賢き人の言へるは、「義を重んじて命を軽くするは、義士の好める所なり。」
 国を治めて、風、枝に音なき松永霜台、和州信貴の城主なりしが、筋目正しく諸浪人を召し抱へられしに、望む所の侍、先祖の感状、その身の武芸言ひ立て、この家を稼ぎぬ。
 同国の南山、鴬の関近き里より、この御家中にしるべあつて、身代取り組みしに、この浪人、「楠正成が末葉なり。」とて、菊水作りの太刀に添へて、千早にて軍中の連歌、「咲きかけて勝つ色見する山桜」と自筆の詠草を差し上げしに、又、河州国分の里に身を隠せし浪人、右の太刀、詠草、毛頭相違なきを持参致されしに、いづれも思案に及ばず、又、この道具をも預かり置き、御耳に立てしに、老中立ち合ひ、詮議になりぬ。
 御家中の古筆見、刃物の目利きせし人、召し寄せられ、二人吟味遂げられしに、一方は詠草正筆にして、太刀は後拵へに実定。一方は太刀、楠が名剣に紛れなく、連歌懐紙は写し物に極まりぬ。両方共に取り次ぎせし人、御前の首尾、迷惑致されしに、家老職の人、躍つて評判致されしは、「双方共に落ち度無し。子細は、太刀も詠草も疑はしくは、不吟味とも言ふベし。誰かこれを見知らず、その鍛錬の人、この沙汰せられてこそ明らかなれ。この度の披露、武士はまことなり。」と別條なかりき。
 その後、御前より仰せ出されしは、「当家を望む浪人、親類書きに及ばず。その器量によつて、小知堪忍せば、両人共に召し抱へよ。」との上意。取り次ぎの衆中有り難く、既に御目見え済みて、空き屋敷下し給はり、何の役組も定めなく、まづ御広間へ相詰めける。
 家老の何がし、大横目の三人、内証ありしは、「大殿、御憐愍にて両人召し抱へられしが、かへつてその身のためならず。とかく二人、義理を立て、相果つべき事、追つ付けなり。何とぞ末々御奉公勤めさせたき願ひ。子細は、右の太刀、古筆の事、随分沙汰のやむやうに、大役からその心得。」と仰せられしが、何とも合点参らず。
 その通りに十日ばかり過ぎて、一人の浪人、今一人の方へ状を付けけるに、その文章は、「少し御内談」申し遣はしけるに、身を改め、死装束にて来りぬ。両人、顔を見合はせ、何の挨拶もなく、涙を浮かめ、「さて、この度、両人共に相済み、これより親しく語らんと楽しみを残せしに、正成伝はり道具、親より相渡すによつて差し上ぐる所に、同じ二色、二人に伝はりて、しかも違はざるの紛れ物。その沙汰、後日に聞き届け、返らぬ事ながら口惜しき。武運の尽き。取り次ぎせられし人、内証申されぬも恨むべからず。是非もなき身代相済み、両人共に一分立ち難し。これも先世の縁ぞかし。又の世、長く語るべし。」と言はぬ先より同じ心ざし。「しからば一通残すべき。」と書き置き、刀の鍔下に見せて、二人刺し違へて終はりぬ。
 この筆跡、御前にして開きぬ。「我々、もとより卑賤より出、家業又うとし。しかれども先祖、武威常ならず。故に筆、刀を仲立ちにして過分の禄を蒙るといへども、筆、刀又分明ならず。ああ、語るときんば先祖の屍を汚す。言はざるときんば士を売るの罪、逃れ難し。将に死地に就いて恥辱を避くるのみ。」国主を始め諸家中、この筆跡を感じ、その二人を惜しみ給ひぬ。
 その後、かの家老の申されしは、「両人相果つべきと申せし所、ここなり。誠に武士の意気、道理潔し。察する所、両人共に楠が子孫にあるまじきと思へり。この道具、両方に持ち伝へし子細は、今時、世を渡る業とて、巧み恐ろしき商人、元来は正筆正銘なるを、一方へは正銘の太刀に筆の物を写し、これを代なし、又一方へは正筆に刃物を後拵へにして売り渡したるには疑ひ無し。かの者ども、先祖に心憎き所あり。」と沙汰し給へり。
 これを伝へて、金剛山の麓里、水分といへる所の地侍の何がし、代々楠が釣書、家に伝へし武道具の目録持参して、「かの二色の道具、私の親、修復のために奈良に遣はしけるに、その職人取り逃げ仕り、行き方の知れざる事を歎きしに、今又御家中に廻り合ひ候由。重代の道具なれば、御詮議の上、下し給はば、有り難く存じ奉る。」の願ひ、聞こし召し分けられ、その者{*1}に下し給はりけるとなり。国主にありたきは、良き家老ぞかし。

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校訂者註
 1:底本は、「其(そ)のもとに」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

三 梢に驚く猿の執心  武士は不断覚悟の事

 古代、老いたる人の言へるは、「他の愁ふる時は、その心に愁ふるを正道。」とぞ。
 ここに信州の大名、国腹の子息両人持ち給ひしが、諸太夫の官位を願はせられ、京都への使者男、家中広きといへども、高家衆とて二人、大内の事よく鍛錬致せしを、不断は無役にして、かかる大事の御用の時、御兄弟の御名代として両人京着致され、願ひの参内。首尾よく御綸旨下り、頂戴して、七條に殿の御屋敷ありて、これに立ち帰り、京の留守居にも勅宣を{*1}拝ませ、巻き収むる時、庭山の木隠れより年経し大猿飛び来つて、御総領の方の御綸旨を掴んで失せける。いづれも動転して、大勢駆け付け、梢を探し、根を返し詮議をするに、早、行き方の知れざりき。これ、存じも寄らぬ悪難。
 御名代の何がし、是非もなき仕合せ。前生の因果と諦め、切腹の覚悟して、よろづを任せたる家来にあらましを申し含め、「国なる妻子、立ち退く事なかれ。この度、武運の尽きと思ひ定め、御咎め次第になり行くべし。文は歎きに残る種なれば、この言葉、写しを語るべし。母には病死となりとも。それ程の偽りは、天も許し給へ。さて最後、御屋敷にては遠慮なれば、洛外の寺、伏見にても苦しからず。願はくは、真言宗なれば殊更なり。とかく時節移らざる内に、まづ行水。」と潔く申されしを、聞く人、涙も嗜み難くて、座中、暫しは静まり、大身は世の聞きを憚り、小身は存じながら、指図成り難し。
 時に屋敷守、愚案の一通り申されしは、「これ、私ならず。御家の滅亡すべき初めなり。全く御自分の誤り無し。ひそかに御国へ下り給ひ、御沙汰の上に安否を極めらるベし。これ、忠義の二つなり。京都の切腹、御ためならず。主命なれば、この節、相延ぶる事、かつてその身の引けならず。主君の御名代は重し。自分の命は軽し。」道理は、これを至極に教訓尽くせば、京役の連座、同音に、「この儀、御尤も。」とあれば、いづれもの相談に任せ、無念を胸に沈められしを、「よろづに惜しき侍なり。」と言はずして、これを感じき。
 同役人、大方に挨拶して、「人の身の上。」と、さのみ歎かず。「銘々の役目大事。」と言はぬばかりの気色。俄に綸旨の置き所を工夫して、新しき白小袖の襟にくけ込み、その身を放たず持たれし。身勝ちに見えて見苦しく、武士は、かくあるまじき所なり。義を思はば、何とぞ分別あるべき事ぞかし。
 又両人同道して、都を隠密に旅立ち、北国街道遥々と暮れて、旅泊の曙は、夢の浮橋渡り行く心地して、思へば国元も近づき、命、世の定めなき事を胸に落とし付けて行くに、今日の夕は、信濃なる煙立つ山の麓里に着きぬ。旅の仮寝も今宵ばかりの名残。所は山水の清き流れの潔く、釜風呂焚かせて入相頃の事なるに、件の猿の顕はれ出、挟箱の上に脱ぎ置きし小袖の襟を掴み裂き、綸旨を取りて、初めの綸旨を残しぬ。杉叢の内に入るかと見えしが、一声叫びて失せぬ。これ又、希代なり。
 それより歎き替はりて、最前よりの事ども、この時不首尾になつて、思案までもなく、そのまま自害して、思ひ寄らざる人は果てられ、死に覚悟の人は別條なく帰国して、始終を申し上ぐれば、御不審晴れぬ所へ、孤猿、叫んで顕はれ、国の目印の大木、永代松の葉末より勅宣投げ返して、失せける。これにて御官位子細なく、喜悦の御祝ひ重なり、御家中、勇みをなしける。
 その後、この事御穿鑿あそばしけるに、自滅せられし人の一子、都の留守を願ひ、知行の山の猿狩して、無用の殺生。限りもなく子猿の命を取りしが、これにて思ひ当たりぬ。
 惣じて、ものの命を取る事なかれ。世の人、過ちあれど、飾る心よりおのづから非義をなし、いよいよ誤りを改めざる者多し。ここを以て孔子も、「人なるを以て鳥にだも如かざるべけんや。」と言へり。

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校訂者註
 1:底本は、「勅宣(ちよくせん)をがませ」。『新可笑記』(1992)に従い改めた。

四 生き肝は妙薬の由  武士は主命に替はる事

 古代、東路の浅香山の麓里に、忠ある武士、孝ある娘の事を語り伝へり。
 この所は蘆、菖蒲の生ひ茂りて、荒れたる野原なりしに、物作りする一村に取り立て、次第に人家も軒を並べぬ。その草結びより久しき里人に、弥藤太と呼び続けて、四代まで田畠、人馬共にあまた抱へ、この家栄えける。
 五代目の弥藤太、不作にあひて、鋤、鍬までも売り払ひ、家貧しくなりて、五十余歳の時、相果てしが、跡には後家悲しく、十一になる娘を浮世の頼りとして、今日を暮らして明日の蓄へもなく、所に織り馴れし狭の細布を手業にして、短き煙を立てける。四十に余る女顔、今も昔の形残りて、髪は梳き櫛絶えて、可笑しげに乱れしが、これにも卑しからねば、心なき野夫の袖褄うるさく、夕暮早く戸をさしこめ、とかくは人の交じはりせず。松火の映りかすかに、夜もすがらの世渡りに暇なかりき。紙窓破りて寒風を厭はぬは、隠す事なく身を固めしは、世の女の鑑にもなすべき人なり。
 この娘なれば、猶又心ざしおとなしく、振り分け髪の頃より遠く遊ばず。ましてこの程は、母の手を助けて、沢行く水を手桶に運び、氷を砕き霜を踏み、枯野の落穂など拾ひ、幼な心に孝を尽くし、母を勇めて月日を重ね、年も早十三の春は、面影、備はりての美形。作らぬ色の麗しく、これに思ひを掛けざるは無し。されども人、木石にもあらず。母に仕へる有様を感じ、恋慕、愛執の心を去つて、人皆、これを憐れみ、刈柴を分けて肩を助け、浦人は焼塩を貢ぎ、荒れたる軒端を一村として葺き替へ、こぼれし壁をしつらひ、嵐をよけ雨を凌ぐは、これ、孝の徳なり。母も行く末頼もしく、「いかなる人にもめあはせ、浮世を暇になす事もがな。」と思ひはこれのみ。夫の忌日忘れず、香花は捧げしが、去る人は日々に疎し。娘が事に紛れて、無常は世の業に替はりぬ。
 その年も秋山の物哀れに、雌鹿の鳴く音は野を内に聞く心となる。昔を偲ぶ袖の露、時雨に下葉色濃く、「あれがな絹になして、娘に着せて姿の見まほし」く、分けてこの夕暮の心細き折節、旅僧、袖かざして、八重雨、玉を散らしてやむ事なく、我が軒下に宿りて、「空定めなき身の行く末。急ぐにあらず、留まるにあらず、三界無庵の草枕。暫しの夢を貸し給へ。」と垣根に干し捨てし胡麻殻を一束ね引き寄せ、近山の晩鐘告げ渡るにも驚かず。法師の身程、思ひ出なるものは無し。雨さへすさまじきに、虫入る頃の鳴神、稲光りの移ろひ、夜の錦を見る事あり。
 母、つくづくと僧の風情を悲しく、「男のあらん宿ならば、暫時の苦労を助くる事、後世にもなりぬべきに、人の咎めもうたてく」思ひながら寝間に入れば、娘は優しく、最前の僧の事思ひやりて、「内さへ秋のさうざうしく、外面は山風の激しからん。一夜はいかに明かし給はん。せめて湧き湯与へ給へ。いまだ降りもやまざれば、そのままにましますべし。旅のつれなき事、さぞさぞ。」と言ふにぞ、母は悦び、「よくも問ひける人ぞ。」と釣鍋の下に萩の枯れ柴を折りくべ、茶具を改め枕に運べば、かの僧、心ざしを有り難く、その後、油単包みを開けて金糸の組帯を取り出し、「これは、子安地蔵の腹帯なるが、女の大願解かぬといふためし無し。見れば艶なる息女あり。平産まします身のため。」とこれを贈れば、人の親の習ひにして、この嬉しさ限りもなく、その夜も更けて世間も静まる時なれば、出家といひ雨夜といひ、「人の情けはかかる折。」と戸ざしを開けて招き入れ、何かもてなす便りもなく、御宿参らすを心にて、出家は端近く、親子の人は一つに並び、遠慮互の物語。
 旅草臥れに僧はまどろみ、母は心を許さず、娘は一間なる奥に寝させ、夜すがら松割りての焚火。皆いつとなく臥して、しののめの空、烏の連れ鳴きに覚めて、「旅立つ法師を、人も知らざる内にこの宿を出さん。」と見しに、早ここを出て行かせ給ふは、さすが出家の境界軽し。別れに言葉交はさぬは、仮初ながら心掛かり。「娘起こしてこの事を語らん。」と枕に近寄りしに、悲しや、刺し殺されて、「これは。」と歎くに甲斐なし。
 「さては、出家が仕業より外は無し。何とて声は立てずして、かくはなりけるぞ。親近くありながら、これを知らざるは、大方ならぬ因果なり。まだその年も差別なきに、しかも出家の邪なる事に、人の命を取りける。我が子ながら、生まれ付いたる形に身を失ひけるよ。無用の情けに宿貸す事の悔しさよ。」と泣き叫ぶに、隣家驚き、人集まれば、始めを語りぬ。
 里人進みて、「その法師、何程急ぐとも、三里には過ぐまじ。」「それよ、これよ。」と手分けして山道にさしかかり、柴人に出家の事を尋ねしに、「野外れの宮の森より、旅駕籠出しより外は。」と語りぬ。「この森から乗り物の出し事は不思議。」と立ち帰りて、行き方知れぬになりて、「死骸は野辺に送れ。」とて老いたる人ども、手をかけしに、この殺しやう、常ならず。腹かき切りて、生き肝を取つて帰りぬ。枕に金子百両包み、これを残し置けば、何とも弁へ難し。その中に物馴れたる老女のありて言ひけるは、「さてこそ思ひ当たる事こそあれ。この女子は、五月五日に生まれて、しかも美女なり。この肝は、難病の妙薬になるとかや。もしは、さもあるべきか。」と言ふにぞ、いづれも掌を打つて、ひとしほ物の哀れに、涙は袖をひたしぬ。
 この母、それよりは髪を下ろし、これを菩提の種に、先立つ人を弔ひしは、世上にある習ひとは変はりて歎きし。この金にて娘が像を刻ませ、草庵を建立して、朝暮の勤行、暇なかりき。かくて三年も過ぎ行けば、一夏に入りて、山辺の躑躅、卯の花を摘んで、「娘がため。」と思ふに、我より先にほととぎすも鳴き出しぬ。「冥途の山に自らも連れ行け。」とぞ歎きし。その曙も暮になりて、ここは街道の外なるに、旅出立ちの侍、引き馬、供鑓続きて、人あまたにて通られしが、細道の熊笹分けて、この庵室に立ち寄り、娘が御影に向かひ、懇ろに拝をして、感涙暫く、末々の者までも皆うちしほれて見えける。
 「思ひ寄らざる参詣の人や。」と心元なき時、かの侍、膝を立て、「某を定めて見忘れ給ふべし。三年あとの秋の夜、一宿申せし出家なり。まことはかかる姿なるを、身は墨染、頭は隠し、心は悪鬼と成り、そなたの息女を殺せし事、今思へば身にこたへて悲し。さぞその時は、我を恨み給はん。これ、私ならず。主君難病、世に稀なる御悩み。医術尽くして叶ひ難し。時に京の典薬、ひそかに告げて、『五月五日生まれのいまだ嫁せざる少女の生き肝、妙薬に要る』なれば、国々相尋ねしに、かの息女の事、『それぞ。』と知らせ来れば、これを求むる内談。
 「家中に人もありしに、新座者の某を人がましく思し召されてや、わりなく御頼みあそばされければ、これも一つの忠と存じ、情けなき命を取りて、大人の御難病、快気あそばして後、過分に御褒美請けて、猶末の頼みもありしに、これ戦場の高名ならず。かかる働きにて家栄ゆる事、天の道にあらず。物、さかつて入れば、又さかつて出づる習ひなれ。これ、以て本意にあらず。殊に息女の最期の事、思へば思へば定めなき世なり。俄に主君へ御暇乞ひ捨て、出家の願ひ。誠なり。」と差添抜きて髪を払ひ、「流転三界中、恩愛不能断。棄恩入無為、真実報恩者。」と唱へて、殊勝なる身の程。母も昔の恨みを翻し、猶仏道に入りぬ。
 さて下々の者は、散り散りの別れ。その身は、それより奥の海松島に隠れて、道心堅固に老いの浪立ち、真如の月。七十余歳の秋の初め、世を見果て給へり。

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