江戸期版本を読む

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カテゴリ: 幸若舞曲集(1943刊)

信田
(毛利家本)

 既に承平は七年にて改元す。天慶九年に代はる天暦十年丙辰、弥生半ばの頃、相馬殿の姫君を小山の太郎に取らせらるる。小山の太郎行重は、「望む所の叶ふ上、喜び、これにしかじ。」とて、迎へもてなして、かしづき申す。「一つには、神儀の法といひ、草の蔭なる相馬殿の、思し召されんところもあり。孝養深く申さん。」と、山河の殺生を禁断し、思ひ入りてぞ弔ひける。信田にまします御台所、伝へ聞こし召されて、「小山の太郎行重をば、荒男かと思ひてあれば、情けのみある者なり。親の事を思ふ者だにも、世には稀なる事ぞかし。ましてや見もせぬ舅を、かやうに深く弔ふは、よく頼もしき心かな。時々こなたへ来れかし。相馬殿の形見とも見ばや。」とこそ仰せけれ。
 或る時、御台所、浮嶋太夫を召して仰せけるは、「相馬殿の末期の時、思し召しや忘れけん、これ程多き所領を、姫に一所も御譲り無し。いづくにても、少し計らひ候へ。」浮嶋、承り、謹んで申しけるは、「相馬殿も、悪しき事をば、いかでか思し召し置かるべき。弓取の君達に、姫御は終に他人と成る。婿は異姓、近からず。移れば変はる世の習ひ。わりなく思し召され候はば、折々の引出物に、宝は尽くさせ給ふとも、所領に於いては一所も譲らせ給ふべからず。人には貪欲虚妄とて、欲心、内に含めば、親しき仲も、うとう成り候。よそよそながらの御対面こそ、中々、末の世までも、めでたく渡らせ給ふべけれ。小山殿に御対面も、無益の御事たるべし。」と、以ての外に申しけり。
 御台、聞こし召し、御返事なうて立たせ給ひ、「いつしか相馬に過ぎ後れ、一周忌だにも過ぎざるに、内の者さへ軽しめて、可笑しき者と思はるる、果報の程のつたなさよ。中々、浮世にあり顔に、家を持ちても何かせん。信田殿に暇を乞ひ、尊き山の隠れ家にも、引き籠らばや。」なんどと、深くぞ恨み給ひける。信田殿、聞こし召されて、「母御の御恨みは御道理。御意に洩れては詮なし。」とて、信田の庄を半分分け、母上に奉る。母上、なのめならずに思し召し、小山が館へ贈らせ給ふ。
 小山、なのめに喜うで、一つは婿入り、又一つは祝ひの所知入りなりければ、網代の輿は八挺、張輿は十二挺、惣じて騎馬は三百騎、上下花めき、ゆゆしくして、信田の館へぞ移られける。新殿を作らせ、かくてここに住み給ひ、今御館殿とはやり、信田の先祖の郎等ども、日々に出仕、暇もなし。されども、浮嶋父子六人は、折々ばかりの出仕にて、さながら御前に詰めざれば、御台の御意も薄く成る。あう、何はにつけて昔より、もの憂き事ども多くして、心の留まる方もなし。「世の有様を見るにつけ、後の世危ふかりければ、長らへざらんもの故、しや、いつまで。」と思ひ切り、信田の河内へ引き籠り、隠居してこそ居たりけれ。
 御台、この由御覧じて、「あら、可笑しの浮嶋が振舞や候。小山殿一人だにもあるならば、何の子細のあるべき。」と、喜びを成して栄え給ふ。「さりながら、浮嶋太夫は隠居しぬ。信田は未だ幼稚なり。大事の地券巻物、家に伝はる重宝を、内に置きては詮なし。」とて、一つも残さず押し捲つて、小山の太郎に預けらるる。
 或る時小山、人なき所に引き籠つて詳しく見るに、将門代々よりも持ち伝へたる証文どもが、一つも残らずここにあり。「何々、信田、玉造、東条は、八万町の処。ああら、おびただしや。この内わづか一万町、某、知行するさへ不足なきに、ましてや残る七万町。常陸、下総両国の大炊助と成るならば、我にましたる弓取の、国に二人ともあるべきか。」と、やがて大欲心ぞ出来る。「かかるめでたき重宝を、左右なく預かる事は、天の与へと存ずれば、安堵を申さんずる」そのために、熊野詣に事寄せて、急ぎ国を打つ立つて、都へぞ上りける。
 関白殿下に付き申し、安堵の旨を奏聞申す。内よりの宣旨には、「相馬が跡を申すは、何者ぞ。」との宣旨なり。「相馬がためには一子で候。」譲りの手次、証文ども、代々の御書どもを、支証正しく参らせ上げ、理非を澄まいて奏聞す。その上、国は有徳なり。要にも諸司にも別当にも、宝を飽かせて勇ませたり。君にも金、寮の馬、綾羅、金銀の類を、数を尽くして参らせ上ぐる。左右の大臣、后の宮、女房達、その外の人々にも、宝を飽かせて勇ませたりけり。たとへば敵方支ふるとも、などかは叶はであるべき。まして争ふ者は無し。無窮自在に申し成し、安堵給はり、下りけり。
 かくて小山、道々案じけるやうは、「御台所と信田殿に、少分なりとも参らせ、扶持せばや。」と思ふが、「いやいや。かかる難しき者を助け置き、末の世の煩ひと成る事もあり。忽ち失はばや。」と思ふが、「それは、余り情けなし。所詮、領内に置かぬまで。」と思ひ、国元に着きしかば、先へ人を立て、「御台所と信田殿。いたはしくは存ずれども、常陸、下総両国に、安堵は叶ふべからず。遠き国の知らぬ里へ、疾く落ち行き給へ。片時も国にましまして、我ばし恨み給ふな。」と、追つ立ての使を立つる。
 御台、この由を聞こし召され、ひとへに夢の心地して、うつつと更に弁へ給はず。「小山殿が所存には、天魔波旬が入り代はりたるか。いかなる事にてかく言ふぞ。」と、口説き歎き給へども、荒けなき使にて、哀れを捨てて振舞へば、浮嶋太夫が言葉の末、今更思ひ致さるる。さてあるべきにてあらざれば、信田殿ばかり御供にて、涙と共に出給ふ。今日出て又帰るべき道だにも、別れと言へば物憂きに、今日出てのその後に、帰らん事も難かるべし。行くも留まるもおしなべて、脆きは今の涙かな。甲斐の国に聞こえたる、板垣の里といふ処に、尋ぬべき人ありて、かの里までは落ち行き給へど、尋ぬる人も跡なく成る。何はにつけて頼りなし。今はいづくへ行くべきぞ。名は板垣と聞きけれど、風もたまらぬあばら屋に、宿借りてこそおはしけれ。
 珍しからぬ申し事なれども、頼もしきは弓取の郎等なり。信田の先祖の郎等に、薩嶋兵衛、豊田の太郎、この人々を先として、以上十一人が、後を慕ひ申し、板垣の里に参り、君を見付け奉り、嬉しといふも中々に、申すに及ばざりけり。「さてさて、いかがあるべき。」と、内儀評定とりどりなり。その中にとつても、薩嶋兵衛、申しけるは、「我等が先祖の薩嶋太夫、郎等主君の契約を申し、君も我等も三代なり。承平の合戦始まつて、数度の戦ひありしかども、終に不覚をかかざりしに、君も若に御座ある。我等も若者なれば、小山殿に卑しまれ、無二の本領押領して、追ひ出し申す無念さよ。いつまでかくて堪ふべき。敵は大勢なれども、無勢で窺ふ謀り事、夜討にしくは、よもあらじ。元より我等、案内者。暇を窺ひ忍び入り、三方よりも火をかけ、一方よりも切つて入り、千騎万騎が中なりとも、思ふ敵は只一人。小山と組まんず事どもは、何の子細のあるべき。」と、早、手に取るやうにぞ巧みける。
 その中にとつても、豊田の太郎がこれを聞き、「これこそよからぬ僉議なれ。理を持ちながらの荒僉議は、思ひも寄らぬ事にて候。再三つがうた沙汰にて無し。一問答、二問答、三問三答つがひ、負け終はつたる沙汰をだにも、越訴覆勘と名付けて、又取り立つるは沙汰の法。ましてや一度もせざらぬ沙汰を、敵方支へぬその先に、無窮に申し直して、賜はる所の安堵なり。あれは正しき他姓、これは相馬の御子とは、世には隠れもましまさず。たとへば証文あなたにありと、盗み取られし所見を立て、などかは取つて返さざらむ。」と、理非を澄まいて言ひければ、「尤も、この儀に同ずる。」とて、御台所と信田殿を相具して、都へ上りけり。
 包むとすれどこの事を、小山の太郎、伝へ聞き、「恩を知らぬ者は只、木石の如し。憐れみを成して助け置きたれば、敵と成るこそ安からね。上せ立てては叶ふまじぞ。道にて追つ詰め、討てや。」とて、究竟の兵を七十余人、さし遣はす。かかりける処に、小嶋の五郎、進み出て申しけるは、「これはよからぬ御諚かな。討てば、国に隠れあるまじ。『理がなければこそ討つたれ。』とて、本領をば召さるべし。所詮、昔が今に至るまで、神仏に申す事の、忽ち叶ふ習ひの候へば、鹿嶋へ使者を立て、神主を召し寄せ、調伏の法を行はせて御覧ぜよ。」と申す。小山、「げにも。」と思ひ、急ぎ鹿嶋へ使者を立て、神主を召し寄せ、いつよりもきらめいて、忠を尽くしてもてなしけり。
 酒も三献と見えし時、沙金百両、よき馬に鞍置いて引つ立てたり。神主、悦喜の色見えて、そぞろき勇む風情あり。「今。」と心安くして、辺りの人を遠々退け、「信田を調伏すべき」由を、ひとへに頼む。神主、気色変はつて、「あら、思ひ寄らざる御諚かな。我等は鹿嶋の社人とし、天長地久、御願円満、息災延命と祈るより外、別に秘術は候はず。殊更、人を調伏すべき事は、中々、冥の知見も恐ろしう候。さんべき程の高僧へ、仰せ付けられ候へ。」とて、立つて逃げんとする。小山、この由見るよりも、「さては御辺は、敵方と一所の人や。一期浮沈の身の大事を、ありのままに語らせて、『頼まるまじき。』とは何事ぞ。力及ばず。汝をば、えこそは帰すまじけれ。」と、既に討たんとしたりければ、せん方尽きて神主も、あう、早、事請けをぞしたりける。
 俄の事にてある間、吉日撰むまでもなし。一所を清め、壇を立てて、本尊を安置したりけり。調伏の壇の次第は、恐ろしくぞ見えたりける。四面の壇を飾つて、宝瓶に木瓜の花、乳木に山うつぎ、灑水の水に井守の血、供具にはひつちの飯を盛つて、焼香、塗香、牛の骨。華鬘に馬酔木の花を盛り、閼伽に白蛇の水を垂れ、既に灯明には、細木の油を立てにけり。飲食、日々に変はつた。初一日の本尊、地蔵薩埵、南向き。二日は観音、西向き。三日は勢至、東向き。四日は阿弥陀、北向き。五日は軍荼利、降三世。六日は既に金剛夜叉。第七日に当たる日は、中尊不動明王を、責めに責めてぞ祈りける。
 されども道理なきにより、そのしるし見えざれば、行者、面目失ひて、二七日ぞ加持しけるに、それにもしるし見えざれば、「いや、唵呼嚧、唵呼嚧、旋陀盧遮那、摩訶盧遮那。」とぞ責めにける。珠数の緒疲れ、切れければ、五鈷を以て膝を叩き、三鈷を以て胸を叩き、独鈷を以て頭を打ち、いただきを打ち破り、頂上よりあへける血をば、不動の利剣に押し塗つて、「是は調伏人の身の血なり。」と観念して、天地を動かし責めければ、余りに強く責められて、五大尊は震動し、降三世は独鈷を振る。金剛夜叉は鉾を使ふ。大威徳の乗り牛が、角を振つて吠えたりけり。中尊不動の剣の先に、生血が付いて見えしが、「一法は成就したり。」とて、壇を破つて出たりけり。
 あら、いたはしや、信田殿。これをば夢にも知ろし召されず、母御台の御供を召され、明けぬ暮れぬと上らせ給ふ。日数やうやう重なり、尾張の国に聞こえたる、黒田の宿に着かせ給ふ。調伏、限りあるにより、信田殿には負はずして、母御台に負ひ給ふ事のいたはしさよ。されども上らで叶はぬ道、悩みながらも上らせ給ふ。日数やうやう重なり、近江の国に聞こえたる、番場の宿に着かせ給ふ。四大、日々に衰へ、今は行歩も叶はねば、四、五日逗留し給へり。信田殿を始め申し、十一人の人々も、跡や枕に立ち寄つて、「いかがはせん。」と歎けども、終には叶はぬ生死の道、朝の露と消え給ふ。哀れと言ふも余りあり。信田殿の御歎き、譬へを取るにためしなし。誰とても無常は逃れ難けれど、かかる哀れは稀なるべし。
 さてあるべきにてあらざれば、無縁の人を語らひて、煙と成すぞ哀れなる。十一人の人々は、一つ心に申すやう、「信田殿の御果報は、ここまでなりとおぼえたり。いつまで付き添ひ奉り、京よ、田舎と辛苦せん。又余の人を頼まばこそ、弓箭の疵とも成るべけれ。是を菩提の知識とし、世を逃れんと思ふ。」とて、忍び忍びに元結切り、まどろみ給へる信田殿の、枕上に取り置いて、暇乞ひをも申したけれども、さこそは慕はせ給ふべき。忍び音泣いて出て行く。さすが多年の御馴染、頼みし君にてましませば、名残の惜しさは限りなし。されども思ひ切りつつ、別れ別れに成りにけり。
 天明けければ信田殿、御目を覚まさせ給ひ、「誰かある。」と召さるれど、御返事申す者もなし。「こはいかに。」と思し召し、かつぱと起きさせ給ひて、辺りを御覧ありければ、あら、何ともなや、十一人の人々の髻ばかりぞ残りける。信田殿、御覧じて、「情けなの者どもや。とても浮世を厭はば、など諸共に連れ行かで、年にも足らぬ我一人を、捨ててはいづくへ行きけるぞ。」と、口説き歎き給へども、そのしるしもましまさず。腹を切らんとし給ふ所へ、宿の亭主参り、事の子細を伺ひ申すに、始め終りの事どもを、詳しく語り給ふ。
 亭主、承り、「やあ、か程の道理を持ちながら、などや都へ御上りあつて、御沙汰は無きぞ。」と申せども、「供人一人もあらばこそ。浮世にありて詮もなし。不思議に尋ぬる者あらば、かく成りつると語れ。」とて、念仏申し、刀を抜き、既に自害と見え給ふ。亭主、余りのいたはしさに、御刀にすがりつき、「都までの御伴をば、この男が申すべし。自害をとどめ給へとよ。『命を全う持つ亀は、蓬莱に逢ふ。』と伝へたり。つらき人の果てをも、生きてぞ見果て給ふべき。死しては何の曲あるべき。」と、とどめ申したりければ、御自害はとまりけり。明くれば亭主、御供して、「都へ。」とてぞ上りける。五條に宿を取りて置き、沙汰の法をば申し教へて、亭主は暇賜はりて、番場の宿に下りけり。
 信田殿只一人、都にとどまり給へども、羽抜けの鴨の水波に、浮かれて立たぬ風情し、片輪車の中々に、遣る方もなき如くにて、都に日をば送れども、沙汰する旨もましまさず。田舎の縁を伝へねば、長在京も叶はずし、頼りもなうておはします。信田殿、心に思し召す。「叶はぬ事を案ずるは、かへつて愚痴の至りなり。我、常陸の国に下り、姉御を頼みゐるならば、成人の後、小山を一刀恨みむ事、何の子細のあるべき。」と、思し召されける間、珍しからぬ信田へは、又こそ下り給ひけれ。
 時世に従ふ習ひとて、姉婿殿を頼ませ給ひ、門のほとりにたたずんで、「もの申さん。」とありしかば、人を出して、「誰そ。」と問ふ。「苦しうも候はず。信田にて候。万事は頼み奉る。降参せん。」とありしかば、小山、この由聞くよりも、「あう、尤も、かうこそあるべけれ。『内へ。』と申したけれども、所存の内を察し申したり。便暇を窺ひ、一刀恨みんため、来り給へる心の内をば、鏡にかけておぼえたり。押さへて討ちたけれども、降人の法なれば、助け申す。遠き国の知らぬ里へ、疾く落ち行き給へ。片時も国にましまして、我ばし恨み給ふな。」と、遥々下るしるしもなく、門より内へ入れざるは、いとど無念ぞまさりける。
 あら、いたはしや、信田殿。「たまたま近く巡り来て、父の御墓を今ならでは、いつの世にかは拝むべき。」と、御墓に参り給ひ、草木の花を摘み手向け、「か程に果報つたなき身を、一つ蓮のうてなに迎へ取らせ給はで、浮世に残し給ふ事よ。」と、口説き歎き給へども、亡霊なれば土窟より、御声出る事もなし。索々としたる風の音、松に吟ずるばかりなり。茫々としたる草の露に、裾も袂もうちしをれ、尽きせぬものは涙なり。
 かくて信田殿、御墓を下向ありける処に、編笠深々と引つかうだる男の、怪しき様に参り会ふ。「誰なるらん。」と御覧ずれば、これは別れて年久しき、浮嶋太夫なりけり。かねては知らざる住吉の、まつ年なれば悦びを、引き合はせぬる幸ひとて、具して河内へ帰り、五人の子どもを近付け、「これこれ、拝み申せ。この程、汝等が恋ひ奉りしに、諸天の恵みのあるにより、不慮に参り会ふ事は、一眼の亀のたまさかに、浮木に会へる如し。定めて十日ばかりには、包むとも披露あるべし。
 「この山里と申すは、昔よりの良き城郭なり。いかに敵が攻むるとも、たやすく落つべしとおぼえず。汝等に戦をさせ、時々見て目覚まいて、年を送り居んずる程に、都へこの事洩れ聞こえ、『国の乱れは何事ぞ。』と、上の使立つならば、取り続き越訴を立て、悦びの沙汰を極むべし。今こそ異事の勢なりとも、終には国を治むべし。やあ、俄に慌てて何かせん。谷々峯々、尾続きどもを、人夫を揃へて掘り切らせよ。走り、胴突、石弓、ここかしこの詰まり詰まりに張り懸けさせよ。篝を焚かせよ。掻楯を掻き、打ち解け居るな。」と下知すれば、子どももなのめに悦うで、「とても消ゆべき露の身を、君ゆゑ死なん、嬉しや。」と、悦び勇むぞ頼もしき。
 包むとすれどこの事を、小山の太郎伝へ聞き、「さては先祖の郎等に、浮島が頼まれけるか。方々引き合ひ、募りては、事の大事たるべし。未だ力のなき先に、早、寄せよ。」と申す。「承る」と申して、小山が執事横須賀、大将にて、ここを先途と戦ひけれども、大勢討たせて引つ返す。「さては、自身向かはでは、叶ふべからず。」と、小山殿の向かはれける間、常陸、下総両国に、残る兵は一人もなし。城にも、ここを先途と戦ひけれども、げには、寄せ手は国が一つに成つて、谷をも嶺をも平路に道を作らせ、新手を入れ替へ攻めければ、さのみはいかで堪ふべきぞや。二、三の城戸をも打ち破られ、詰めの城にぞ籠りける。
 浮嶋太夫、申しけるは、「それ、人の命を庇ふ合戦は、事によるぞ。子どもはなきか。討死をせよ。心安く太夫も腹切らん。」と言ふままに、例の大弓取り出し、大手の櫓に上がり、「いかにや、女房。こなたへ来て、狭間引いて賜べ。軍して見せん。」とありし時、女房、生年五十六、薄衣かづき、櫓に上がり、「何とて子どもが軍は、こだれて、今まで遅いぞ。」と、しきりに力を付けられて、早、浮嶋太郎、駆け出る。
 その日を最後と思へば、龍を縫うたる直垂に、鬼形摺つたる左右の籠手、白檀磨きの臑当、糸緋縅の鎧の、巳の時と輝くを、草摺長にざつくと着、結つて上帯ちやうど締め、九寸五分の鎧通しを、馬手の脇に差いたりけり。一尺八寸の打刀を、十文字に差すままに、三尺八寸候ひし、赤銅作りの太刀佩いて、同じ毛の五枚兜に、獅子形打つて猪首に着、白綾の母衣をさつと掛け、塗籠の弓の四人張、三戸立ちの白葦毛、金覆輪の鞍置かせ、弓杖にすがり、ゆらりと乗り、堀の端側に駒を据うる。兄弟五人の者ども、思ひ思ひの具足を着、心々の馬に乗り、互に手綱を取り違へ、「やあ、駆けう。」「駆けじ。」としたりしを、敵味方がこれを見て、「あつぱれ、武者の勢ひかな。」と、褒めぬ人こそなかりけれ。
 浮嶋夫婦、櫓の上にてつくづく見て、「いづれも器量は劣らぬよ、なう。あつたら子どもを世にあらせて、所領の主とも成さずして、只今殺さん惜しさよな。早、死ね、子ども。さは言ひながら、今を限りの事なれば、ま一度、こなたへ顔見せよ。誰も名残は惜しいぞ。」と、さしもに剛なる太夫殿、はらはらとぞ泣きにける。女房がこれを聞き、からからとうち笑ひ、「別れた今の泣き事か。泣いても叶ふべき道かや。いかにや、子ども。軍はさすがに大事のもの。心の剛なるばかりにて、兵法知らで叶はず。味方無勢にありながら、敵の陣へかかるには、鋤の先、尖り矢形、魚鱗、鶴翼両陣なり。魚鱗と言へる駆け足は、魚の鱗をまなべり。鶴翼と言へるは、鶴の羽交を表したり。駒の手綱を知らいでは、敵が無窮に斬られぬぞ。向かふ敵斬る時は、蹴上げの鞭をちやうど打つて、表返しの手綱をすくひ、拝み斬りに斬り捨てよ。弓手へ廻る敵をば、角の手綱きつと引き、走行の鞭を打つて斬れ。妻手へ廻る敵をば、太刀の柄を返して、さはらの鞭を打つて斬れ。夫婦の者も、これにて見るぞ。桟敷の前の晴れいくさぞ。不覚をかくなや、子ども。」とて、可笑しき事はなけれども、子どもに力を付けんがため、狭間の板をうち叩き、からからと笑ひけり。
 いとど逸りた子どもが、父にも母にも勇められ。大声を出いて駆け出る。前の河原は足引き。習ひ伝へし手綱の秘事、教へ置かれし鞭の曲、無窮に馬を乗り連れて、駆けてはさつと引いてみれば、前の河原の石よりも、多きは死人なりけり。取つて返し、さつとは駆け、五、六度まで戦うたり。
 女房、御覧じて、子どもが軍の面白きに、「後詰めして取らせん。」とて、かつぎた衣をさつと下ろせば、下は武者に出立つたり。紅の袴の下に、膝鎧に臑当し、萌葱匂の鎧着、たけなる髪を唐輪に上げ、太夫が好みし黄楊の棒を、「暫し貸せ。」とて打ちかたげ、大手の城戸を開かせ、堀の端側に駒を据ゑ、大音上げて名乗るやう、「いかにや、小山の人々。我をば誰と思ふぞ。陽成院より三代、津の頼光に五代なり。渡辺党に大将軍、箕田の源氏が娘に、弥陀夜叉女とは、自らなり。年は生年五十六。二つとなき命をば、信田の御寮に奉るぞ。我と思はん人々、駆けよ。手並を見せん。」と、兜を取つてうち着つつ、既に駆けむとしたりけり。
 浮嶋太夫、櫓の上にてつくづくと見て、「子どもが心の剛なるも道理。母が心が剛なれば。か程なる者どもが、親子兄弟夫婦と成つて、寄り合ひけるこそ不思議なれ。いかにや、御寮。御出あつて、女軍を御覧ぜよ。ためし稀なる事なり。」とて、信田殿を櫓へ請じ申す。詳しく見奉り、「将門の御眼に、瞳が二つましまして、坂東八ヶ国の王と成らせ給ひしか。君にも弓手の御眼に、瞳が二つましませば、王位までこそおはせずとも、必ず坂東八ヶ国の、主とは成らせ給ふべし。たとひ我等、討死仕るとも、君は命を全うして、二十五までは御待ち候へ。必ず二十五にて、御代に立たせ給ふべし。我等もそれが思はれて、子どもが命も惜しけれど、当座の恥をかかじため、皆討死を仕る。夫婦討死致すならば、御身は敵に生け捕られて、小山が館に年を経て、悦びの御代を待ち給へ。暇申して、我が君。」とて、櫓をゆらりと飛んで降り、一枚交ぜの大荒目、袖をば解いて、からと捨て、胴ばかり揺り掛けたり。
 その日最期の打物に。桃氏が打つたる長刀の、四尺八寸ありけるが、柄をば三尺五寸に拵へ、直柄に金を延べ付けたり。「まちつと、この柄長うして、数や劣らん。」と、二尺ばかりさし下げ、ふつつとねぢ切り、投げ捨て、手頃に廻いて振つてみて、「あつぱれ、鉄や。」とうち頷き、「南無三宝。あぢきなや。いか程の者が斬られて、妻子に物を思はせん。なう、女房。」と語る。夫婦ともに、駒の手綱をかい繰つて、敵の中へ駆けて入る。面を合はする者は無し。棒を使ふ兵法に、芝薙ぎ、石突き、払ひ打ち、木の葉返しの水車。馬、人嫌はず打ち伏する。長刀使ふ兵法に、波の腰切り、稲妻切り、車返し、遣る刀。女房、打ち通れば、太夫、後より切り巡る。先に子ども駆くれば、父母、後より駆けにけり。物によくよく譬ふれば、天竺州の戦ひに、歩兵が先に駆くれば、横行、角行駆け合はする。金銀桂馬かかる時、太子もかかり給ひけり。この戦ひの兵法を、将棋の盤に作れるも、あう、これにはいかでまさるべき。
 浮嶋太夫が長刀を、堪へず三つに打ち折れば、大手を広げ駆け合はせ、ねぢ首、筒抜き、人つぶて、幹竹割に引つさいたり。昨日今日とは思へども、二年三月の合戦なり。この戦ひは夜日七日、討たるる者は数知らず。子どもも五人と申せども、ここやかしこに押し隔て、一人も残らず討たれたり。太夫夫婦ばかりなり。「さのみに罪を作つては、未来の業と成るべきなり。勝ちもせざらぬもの故、いざ、姥御前。」と申して、互に刀を抜き持つて、刺し違へて死んだるを、惜しまぬ者はなかりけり。
 信田殿、心に思し召す。「浮嶋が遺言は、さる事なれども、夫婦討死する上、何に命を庇ふべき。」と、腹を切らんとし給ふ処へ、小山が郎等参り、「まさなき君の御自害かな。」と、生け捕り申して出る。
 小山、この由見るよりも、白昼に頭を刎ねん事は、天下の聞こえもしかるべからず。夕さりの夜半に、内海に沈めむ。」とて、相馬重代の家人、千原太夫に仰せ付くる。かの千原と申すは、相馬殿の御内に年頃召し使はれし者なれども、時世に従ふ習ひとて、小山殿に仕へ申す。信田殿預かり奉り、「大事の囚人、これなり。もし失ひや申さん。」と、奥深に押し籠め申し、更け行く夜半を待ちたりしは、羊の歩みの近づくも、かくやと思ひ知られたり。
 姉御、この由を聞こし召され、「無残やな。信田は今を限りにてありけるぞや。あさましや、みづから夫の心と一つにし、かく成すよとや思すらんに。最期を一目見ん。」とて、人静まりて夜半に、千原が元へ御出あり。信田殿に付けたりし数々の縄を御覧じて、「あら、恨めしの事どもや。みづからにも付けずして、など信田殿ばかりに付けけるぞや。何とて物をば仰せなきぞ。恨みの心にてましますか。日の本にあらゆる神も知ろしめせ。後ろ暗き事は無し。」と、かき口説き宣へば、信田殿、聞こし召されて、「恨むる所存はなけれども、涙にくれて言葉なし。とても我が身は果報なく、今を限りの事なれば、かやうにあくがれ出給ひ、小山が方へ洩れ聞こえ、重ねて憂き目を見給ふな。御帰りあれ。」とありしかば、姉御、この由聞こし召し、「たとひ小山に洩れ聞こえ、同じ淵に沈むとも、恨みとは更に思ふまじ。かやうに成らせ給ふ事、只これ故の事なれば、御覧ぜよ。」と仰せあり。袂よりも巻物を、取り出して賜びにけり。
 信田殿、開いて見給ふに、本領の地券巻物。「これは家に伝はるべき、重宝にて候へば、持ちては何の益あらん。取りて御帰りましませや。」姉御、この由聞こし召し、「それは、さる事なれども、たとひ御身死したりと、閻魔の庁の出仕の時、倶生神の御前にて、捧げ給ふものならば、道理限りあるにより、など一業の罪科の、浮かみ逃れであるべきぞ。只持ち給へ。」とありし時、取りてぞ持たせ給ひける。さてしあられぬ憂き身にて、名残の袂引きさけて、姉御は帰り給ひけり。
 夜更けければ、小山よりも使を立て、「信田をば沈めてありけるか。疾く沈めよ。」とありしかば、千原、力なうして、小舟一艘拵へ、信田殿を乗せ申し、沖をさして漕ぎ出、「ここにてや沈めむ。」「かしこにてや沈め申さん。」と、さすがに沈めかねつつ、浮かれて暫し漂へり。「あら、あぢきなや。世の中に、すまじきものは宮仕ひ。我、奉公の身ならずは、かかる憂き目によもあはじ。昔は相馬に仕へ申し、この君を、主君と仰ぎしその時は、月とも日とも思はずや。山岳よりも高き恩、芝蘭よりも香ばしく、付き添ひ廻り申せしが、いつぞの程に引き替へて、移れば変はる身の憂さは、我が手に掛けて沈めなば、草の蔭にて相馬殿、『さこそ憎し。』と思すべき。たとひこの事洩れ聞こえて、明日は淵に沈むとも、一旦この君を落とさばや。」と思ひて、「只今こそ御最期よ。」念仏を勧むれば、手を合はせ高らかに、高声、念仏を申さるる。
 千原も共に申し、腰の刀をひん抜いて、縄散々に切つて捨て、沈めの石ばかりをば、だんぶとうち入れ、「南無三宝。今が見果て。」と高く言ひ、沈めた体にもてなし、助けて陸に戻りけり。これや、始皇の御時に、燕丹が故郷に帰りしも、かくやと思ひ知られてあり。「明けては人目繁し。」とて、夜の間に送り奉り、暁かけて千原は、我が家路にぞ帰りける。
 天明けければ、小山より御使立つ。千原、御前に畏まる。「汝は信田をば沈めてありけるか。」「中々。御尋ねまでも候はず。沈め申して候。」「それ程沈めけるには、などその時の検見をば乞はぬぞ。やがて心得たり。汝は、相馬重代の家人。いかさま心変はりをして、落としぬるとおぼゆるなり。ただ問はんには、よも落ちじ。あれ、拷問して問へ。」「承る。」と申して、無残や、千原を取つて伏せ、宙に上げ、七十余度の拷問は、目も当てられぬ次第なり。
 五体身分切れ損じ、余り苦痛のある時は、「しや、落ちばや。」と思ひしが、「待て、暫し、我が心。千原は入り日の如くなり。信田殿を譬ふれば、出る日、つぼむ花なれや。余命を言ふとも、限りあり。替はれや、命。」とて、いかに問へども落ちざりけり。水火の責めを当てて問ふ。これにも更に落ちざれば、枯れ木よりも縄を下げ、上ぐる時には息絶えて、下ろせば少し蘇る。七日七夜は暇もなく、新手を入れ替へ責めければ、さのみはいかで堪ふべき。朝の露と消えにけり。
 小山、大きに怒つて、「妻子はなきか。召し出して、重ねて問へ。」「承る。」と申して、二人の若、母諸共に引つ据うる。小山殿、御覧じて、「夫が言ひし事を、知らぬ事は、よもあらじ。ありのままに申せ。偽る気色のあるならば、やがて夫が如く成すべし。」と、大きに怒り給へば、女房、ちつとも憂ひたる気色もなく、「たとへば微塵になされ申すとも、知らぬ事をば申すまじい。ありし夜の暁、『只今こそ沈め申しに行く。』とて、小船一艘拵へ、信田殿を乗せ申し、沖をさして漕ぎ出る。みづから余りいたはしさに、急ぎ浜に下り、事の体を聞き候に、信田殿の御声にて、高声念仏し給へば、千原も共に申し、だんぶと物の鳴つてより、その後は音もせず。とてもかやうに失はれ申す命を、などや信田殿の御命に替はり申して、ひとまづ落とし申さぬぞや。これ偽りと思し召さば、辺りの浦人を召して御尋ねあれ。」と申す。「さらば、召せ。」とて、あまたを召して尋ねられけるに、「その夜の沖の体たらく、何事ありとは存ぜねども、皆この体。」と答ふる。「さては沈めてありけるものを、不憫に千原を問ひけり。」と、妻子を返し給ひけり。
 その後、信田殿。猶も都の恋しくて、明けぬ暮れぬと上らせ給ふ。日数やうやう重なり、近江の国に聞こえたる、大津の浦に着かせ給ふ。門並こそ多きに、人を拐へて売る、辻の藤太が元に、宿かりそめに御泊りある。藤太は信田殿を拐へて売らんため、夜もすがら拵へたり。「御年もいまだ若に御座ある人の、いづくよりいづかたへ、御通りあるぞ。」と申せば、「これは坂東方よりも、都へ上る者にて候。」藤太、承り、「やあ、かちの御歩きのいたはしさよ。都までの御伴をば、この男が申さん。」と、痩せたる馬に鞍を置き、我が身も伴にぞ出立ちける。信田殿、心に思し召す。「されば、都ほとりは、人の志の深かりける。」と、送られ京へ上らせ給ふ。
 五條に行きて博労座の、人商人の惣領、王三郎に言ひ語り、駒一匹に替へ取つて、藤太は国に下る。それよりも津の国の、堺の浜へぞ売つたりける。四国、西国を売り廻る。後には北陸道の灘を売られさせ給ふ。若狭の小浜、越前の敦賀、三国の湊、加賀の国に聞こえたる、宮の腰へぞ売りにける。物のあはれは多けれども、宮の腰にてとどめたり。
 折節、春の事なるに、賤が業を教へて、「田を打て。」と責めければ、鍬といへる物を持ち、小田の原へは出給へど、打つべきやうは、ましまさず。かの三皇の古は、神農皇帝忝く、みづから鋤を担ひて、その一頃の田を返し、五穀の種を蒔きしかば、神農、感応めでたくし、尺の穂たけも長かりき。それは賢王聖主にて、国を育む道理あり。かの信田殿の農業は、涙の種を蒔くやらん、野にも山にも龍田姫、佐保の林にひれ伏して、泣くより外の事は無し。これを見る人々が、「いたづら者。」と申して、隣の里、隣国に、「買はん。」と言へる者は無し。もてあつかうて信田殿を、追ひ出し奉る。
 あはれとよそに白雲の、立ち出ぬれば天の原、身はなか空に鳴神の、とどろとどろと歩めど、泊り定めぬ浮かれ鳥、なく音に人の驚き、あけぬる門をすぎの下、道ある方に迷ひ行き、身は飢ゑ人と成るまま、袂に物を乞食。草葉にかかる命をば、露の宿にや置きぬらん。定むる方の無きまま、足に任せて行く程に、能登の国に聞こえたる、小屋の湊に着かれけり。
 折節、小屋の湊へは、「夜盗が寄せ来るべし。」とて、門々、門を切り塞ぎ、用心厳しかりけり。かかると知ろし召されねば、「世に無し者の浮かれたるに、慈悲ましませ。」とありしかば、内よりも尉一人立ち出、信田殿を見参らせ、「盗人のけご見こそ来つたれ。あれ、寄つて打ち殺せ、若者ども。」と下知をする。折節あり合ふ若者ども、信田殿を打ち伏せ申す。あら、いたはしや、助かりがたく見えさせ給ふ。かの浦の刀祢の女房は、情けありける者にて、「いたはしや。この人は、世に捨てらるる人の子の、親の行衛を尋ねかね、かかる遠国波濤まで、来りたるとおぼゆるなり。まつぴら我に賜べ。」とありしかば、若者ども、これを聞き、杖を捨ててぞ退きにける。かくて信田殿を、我が宿所に置き申し、よきにいたはり奉る。
 遥か奥、外の浜に、塩商人のありけるが、かの浦へ舟を乗る。問ひは刀祢の元なれば、信田殿を見参らせ、「これなるわつぱを我に賜べ。」と言ふままに、押さへて塩に替へ取り、舟に取つて乗せ申し、十八日と申すに、外の浜にぞ上がりける。この商人は、情けも更に無き者にて、いまだ一両日も過ぎざるに、「塩焼き給へ、まれ人。」と、塩木をこらせ、塩釜の、火を焚かするこそもの憂けれ。いとど塩垂れ衣着て、下燃えくゆる釜の火を、焚くこそは物憂かりけれ。つらき中にも慰むは、塩屋の煙一むすび、末は霞に消え匂ひて、行方の程もしら浪の、よる夜袖を絞らして、常陸の国の恋しさは、いとど日々にぞまさりける。
 秋も半ばの事なるに、かの浦の領主、塩路の庄司と言つし人、夜もすがら月を眺めて遊ばれしが、信田殿を御覧じて、「ここに塩焼くわつぱの、目の内の賢さよ。いかさまにも太夫は、世にある人を拐へて来りたるとおぼゆるなり。我が子にせん。」と宣ひて、押さへて奪うて取り、嫡孫と号し、かくて元服をさせ申し、塩路の小太郎殿と申して、上から下に至るまで、渇仰せぬはなかりけり。
 かかりし時の折節、国司、国に下り給ひ、多賀の国府に着かせ給ふ。在庁、御家人馳せ集まり、日番当番を勤むる。国司よりの御諚には、「我、常陸の国にありし時、相馬と内木が椿事により、両方絶えて、年久しし。それも座敷の論、盃の献盃、定めなかりしによつて、詮なき事もありしぞかし。国司在国の間に、座敷の様をも定めむ。」とて、左は勝田の太夫、右は柴田の庄司、惣じて座敷は十三流れ。人数かれこれ三百余人。曇りたる物を着けざれば、晴れがましさは限りなし。その中に塩路の庄司殿、我が身老体なる間、養子の信田殿を出し申す。
 並びの在庁、これを見て、「叶ふまじい。」と支ふる。国司よりの御諚には、「何とて塩路は、自身参らぬぞ。上を軽くする故か。その儀にてあるならば、塩路が本領、悉く召し上ぐべき。」との御諚なり。信田殿、聞こし召されて、「座敷を立たんも無念なり。名乗らばや。」と思し召し、系図を取り出して、国司の前に捧げらるる。国司、この由御覧じ、「何々、葛原の親王よりも六代の後胤、将門の御孫、相馬の実子、信田の小太郎何がし。」と、氏文、顕証なる間、「五十四郡がその内には、これにましたる俗姓なし。」と、国司の対座許され申し、直り給ふぞめでたき。
 既に御酒盛七日と聞こえけり。在庁、御家人、暇を申して、屋形屋形に帰らるる。その中に信田殿も、暇を乞うて帰らるる。国司、御覧じ、「あう、いたはしし、いたはしし。奥州の国司を、三年が間、奉る。その間に国司は、都へ上つて、安堵を申して参らせん。」とて、国司、都へ上らるる。さる程に信田殿、昨日までは塩を焼き、憂き身を焦がし給ひしが、今日はいつしか引き替へて、五十四郡の主と成り、国を保たせ給ひけり。
 さても常陸の国に候ひし、小山の太郎行重は、栄花栄えて際もなし。頃は七月七日とて、上下万民、宝物を揃へ、七夕に貸す習ひ。小山殿も、数の宝を揃へて、七夕に貸されける中に、信田、玉造の地券巻物を、いかに尋ぬれども無し。「いやいや、これは、余の人は知るべからず。御身の盗み取つて、他の宝に成しつるとおぼゆるなり。かかる後ろ暗き人を、頼みて何の益あらん。早々、御出候へ。」と、いたはしや、姫君を追ひ出し奉る。あら、いたはしや。姫君、元よりも、かくあるべきと期したれば、乳母ばかりを引き具して、小山が館を出させ給ふ。
 「あさましや、みづから誰を頼みて、今更いづくへとてか迷ふべき。信田殿が身を入れし、内海に沈まん。」とて、浜路へ下らせ給ひけり。千原が後家は、参りて申す。「なう、いたうな御歎き候ひそ。信田殿の御命には、夫の千原が替はり申して候ぞ。数々の文どもを、とどめ置かせ給へども、参らせ上ぐる事も無し。これこれ、御覧候へ。」とて、ありし昔の文どもを、姉御の御手へ参らせ上ぐる。姉御、この由を御覧じて、「あら、嬉しや。信田殿は、いまだ浮世にありけるぞや。叶はぬまでも沙汰のため、都へこそ上りつらめ。いざや、乳母、これよりも都へ上り尋ねん。さりながら、かくて都へ上るならば、由なきあだ名や立ちなん。」と、たけと等しき御髪を、剃り落とし給ひけり。乳母もやがて、同じ姿に様を変へ、濃き墨染に身をやつし、都へ上り給ひけり。名所旧跡を、眺め越えさせ給ひつつ、三十五日と申すに、都に着かせ給ひけり。
 西東の京を尋ぬれど、その行き方もなかりけり。清水に参りて、「南無大悲観世音。よろづの仏の願よりも、千手の誓ひは頼もしや。今一度信田殿に、会はせて賜ばせ給へや。」と、祈誓深くぞ申さるる。熊野の道を尋ねんと、南海道にさしかかり、天王寺、住吉、根来、粉河をうち過ぎて、熊野に参りて、三つの山、心静かに伏し拝み、尋ね給へど行き方なし。四国、九国を尋ねんと、道者舟に便船乞うて、四国に渡り淡路嶋も、心静かに尋ねけり。筑紫下りの道すがら、長門の府、赤間が関、芦屋の山崎、博多の津、志賀の嶋まで尋ぬれど、その行き方もなかりけり。名護屋を出て、瀬戸を行く。平戸の大嶋、松浦、弥勒寺、静の里、くわんき、五島嶋、伊王が嶋も近く成る。壱岐の本堀通るにぞ、消ゆるばかりの我が心。日向の国に土佐の嶋、紀の里に淡嶋。豊後、豊前をさし過ぎて、肥後の国に聞こえたる、踊り堂の山を越え、恋はし、うしのみつし、阿蘇の岳を越え過ぎて、筑前の国に生の里。遠国波濤に至るまで、名所は尽きぬものなり。「信田の小太郎何がし。」と、問へど答ふる者はなし。
 「筑紫の内に曇り無し。いざや、乳母。これよりも、都へ上り尋ねん。」と、周防の国にさしかかり、大内の郡、朝倉や、極楽市と聞くからに、立ち留まりてぞ尋ねける。播磨の国に入りぬれば、赤松河原、由比の宿、高田の渡り、矢野の宿。名所旧跡を、眺め越えさせ給ひて、堺の松に出させ給ふ。さうたの森、烏崎、人麿が岡を尋ぬれど、その行き方もなかりけり。須磨の浦、蓮の池と聞くからに、同じ蓮に乗らばやな。兵庫に着けば、湊川、雀の松原、打出の宿、昆陽野、伊丹、手嶋の宿、太田の町屋、芥川、神内、山崎、狐河。舟に乗らねど久我畷、月の宿るか桂川。浮世は車の輪の如く、巡り来ぬれば九重の、巡り来ぬれば九重の、花の都に着き給ふ。
 九重の内に曇り無し。「いざや、乳母。これよりも、元の道にさしかかり、下らん。」と宣ひて、我をば誰かまつ坂や、逢坂の関の清水に影見えて、今や引くらん望月の、駒の足音聞き馴るる、大津打出の浜よりも、志賀、唐崎を見渡して、堅田の沖に引く網の、目毎に脆き涙かな。勢多の唐橋遥々と、尋ぬる人の面影を、映しもやせん鏡山。愛知の川瀬の浪散りて、裾は露、袖は涙の暇よりも、磨針山を越え行けば、荒れて中々優しきは、不破の関屋の板間洩る、月見、垂井の宿過ぎて、植ゑし早苗の黒田こそ、秋は鳴海とうち眺め、三河の国の八橋の、蜘蛛手に物や思ふらん。富士をいづくと遠江、恋を駿河の身の行方、待つ宵の、月も雲間を伊豆の国。信田にはいつか奥州まで、三歳三月がその間、「信田の小太郎何がし。」と、問へど答ふる者は無し。
 その年の文月半ばに、奥州多賀の国府に着かせ給ふ。十四日盂蘭盆とて、上下万民、慈悲を施す日なりけり。信田殿も、父母の孝養のために、辻々に札を立て、施行を引かせ給ひしが、比丘尼達を御覧じて、「あれあれ、請じ申せ。」とて、持仏堂に請じ申し、よきにいたはり奉る。あら、いたはしや、姫君。夜もすがら御経あそばし、暁方に成りしかば、廻向の鉦打ち鳴らし、御声高く廻向ある。「この御経の功力によつて、一切の衆生悉く、無上菩提と成ずべし。殊には父相馬殿、母御台、信田殿、成仏解脱成り給へ。その中に信田殿、いまだ浮世にあるならば、この御経の十羅刹女の功力により、祈祷と成らせ給ひ、信田の小太郎に今一度、会はせ賜び給へ。南無三宝、南無三宝。」と、衣の袖を顔に当て、脆きは今の涙なり。
 信田殿も、父母の孝養のそのために、持仏堂に御坐ありて、夜もすがら御経をあそばせし。廻向の声を聞こし召し、夢うつつとも弁へず。間の障子をさつと開け、詳しく見奉りしに、姉の成り行く姿なり。するすると走り寄り、御袂にすがり付き、「これこそ信田の小太郎にて候へ。」とて、消え入るやうに泣き給ふ。姉もこの事を、うつつと更に弁へず。「さて、いかに。小太郎か。これこそいにしへの、千手の姫で候なれ。憂き時は道理かな。嬉しき今の何とてか、さのみ涙のこぼるらん。」と、睦ましげなる御有様、よその袂も濡れぬべし。
 信田殿、仰せけるやうは、「か程めでたき世の中に、何をさしてか歎くべき。いざ、させ給へ、姉御前。常陸の国へ打ち越え、恨めしき小山が頭を刎ね、父相馬殿の御墓処に懸け置き、会稽をすすぎ候はん。」「尤も、しかるべし。」とて、五十四郡がその内に、究竟の兵を三千余騎揃へらるる。
 小山、この由聞くよりも、国に堪へがたうして、逃げて京へぞ上りける。しかるに国司は、安堵を申し賜はつて、国に下り給ふ。小山、道にて参り会ふ。急ぎ駒より飛んで下り、「この度の命を、まつぴら助けて賜べ。」と申す。「易き程の事。」とて、たばかり寄つて搦め取り、京苞と名付けて、信田殿に賜び給ふ。信田殿、なのめならずに思し召し、武蔵国妻恋が野辺に引き据ゑ、首打ち落とし給ひけり。
 やがて信田殿、上洛ましまして、天下の御目にかからるる。御門、叡覧ましまして、坂東八ヶ国を信田殿に賜び給ふ。そのついでに、近江の国とかや、大津の浦を申し乞ひ、辻の藤太を搦め取り、十日に十の爪をもぎ、二十日に二十の指をもいで、首を挽き首にし給へり。「只人は情けあれ。情けは人のために無し。終には我が身に報ゆ。」と、憎まぬ者はなかりけり。番場の宿へ打ち越えましまして、「春草と小太郎が、萌え出て候ぞ。嬉しきをもつらきをも、などかは感ぜざるべき。」と、小嶋の庄三百町、番場の亭に賜びにけり。
 やがて御身は、常陸の国へ下向ありて、「信田の河内にて討死したりし、浮嶋太夫が子孫はないか。」と問ひ給ふ。太夫が孫は三人、召し出し候ひ、三千町を賜びにけり。千原が後家、若、諸共に参れば、なのめならずに思し召し、坂東八ヶ国の惣政所を、若どもに賜び給ふ。やがて御身は信田の郡に御所を建てて、御歳二十五にて、御代に立たせ給ひ、日番当番勤めさせ、栄花に誇り給ひけり。姉の比丘尼、大方殿と申して、いつきかしづき給ひし。末繁昌と聞こえけり。

    于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小太郎大夫 安信(花押)

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信太
(毛利家本)

既に承平は七年にて開元す。天慶九年に代る。天暦十年丙辰。弥生央の比。相馬殿の姫君を小山の太郎にとらせらるゝ。小山の太郎行重は。のそむ所の叶うへ。よろこひこれにしかしとてむかへもてなしてかしつき申す。ひとつには仁儀の法といひ。草の陰なる相馬殿の。おほしめされんする所もあり。孝養ふかく申さんと。山河の殺生をきんたんし思ひいりてそ吊ひける。信田にまします御台所。伝へ聞し召れて。小山の太郎行重をは。あらおとこかと思ひてあれは情のみあるものなり。親の事を思ふものたにも。よにはまれなる事そかし。ましてや見もせぬしうとを。かやうにふかく吊ふはよくたのもしき心かな。時々こなたへ来れかし。相馬殿の形見とも見はやとこそ仰けれ。有時御台所。浮嶋太夫をめして仰けるは。相馬殿の末後の時。おほしめしやわすれけん。是ほとおほき所領を姫に一所も御譲なし。いつくにてもすこしはからひ侍へ。うきしま承り。謹而申けるは。相馬殿もあしき事をは争か思しめしをかるへき。弓取のきむたちに。姫こはつゐに他人となる。婿はいつしやうちかゝらす。移れは代る世のならひ。わりなくおほしめされ候はゝ。折々のひきてものに。たからはつくさせ給ふとも。所領にをひては一所も譲せ玉ふへからす。人には貪欲こまうとて。欲心うちにふくめは。したしき中もうとうなり候。よ所よ所なからの御対面こそ。中々末の世まても。目出度渡らせ給ふへけれ。小山殿に。御対面も。無益の御事。たるへしともつての外に。申けり。御台きこしめし。御返事なふてたゝせ玉ひ。いつしか相馬に過をくれ一周忌たにもすきさるに。うちの者さへかろしめてをかしきものとおもはるゝ。果報のほとのつたなさよ。中々うき世にありかほに。家をもちても何かせん。信田殿にいとまをこひ。たつとき。山のかくれかにも。ひきこもらはや。なんとゝふかくそ。恨み玉ひける。信田殿きこしめされて。母この御うらみは御道理。御意にもれてはせんなしとて。信田の庄を半分わけ。母上に奉る。母うへなゝめならすに思召。小山か舘へをくらせ玉ふ。小山なゝめによろこふて。ひとつは婿入又ひとつは。祝の所地入也けれは。あしろの輿は八ちやう。はりこしは十二ちやう。惣して騎馬は三百騎。上下はなめきゆゝしくして。信田の舘へそ移られける。新殿をつくらせ。角て爰にすみ給ひ今みたちとのとはゆり。信田の先祖の郎等共。日々に出仕隙もなし。されとも浮嶋父子六人はをりをりはかりの出仕にて。さなから御前につめされは。御台の御意もうすくなるあふなにはにつけて昔よりも物うき事共おほくして。心のとまる事もなし。世のありさまを見るにつけ。のちの世あやうかりけれは存へきらぬ物ゆへ。しやいつまてとおもひきり信田の河内へひきこもり隠居してこそゐたりけれ。御台此よし御らむして。あらをかしの浮嶋か振舞や侍ふ。小山殿一人たにも有ならは。なんのしさひの有へきと。喜をなしてさかへ玉ふ。さりなから浮嶋太夫は隠居しぬ。信田はいまた幼稚なり。大叓のちけんまき物。家につたはる重宝を。内にをきてはせんなしとて。一ものこさすおしまくつて小山の太郎にあつけらるゝ。有時小山。人なき所に引籠て委く見るに。正門代々よりも持伝へたる証文共か一ものこらす爰にあり。なになに信田玉造り。とうてうは八万町の処。あゝらをひたゝしや。此内纔一万町。某知行するさへ不足なきに。ましてやのこる七万町。常陸下総両国の。おほひすけとなるならは。我にましたる弓取の。国にふたりとも有へきかとやかて大欲心そ出来る。かゝる目出度重宝を。さうなくあつかる事は。天のあたへと存れは。安堵を申さんする其為に。熊野まふてにことよせて。急国を打立て。都へそのほりける。関白殿下に着申し。安堵の旨を奏聞申す。裏よりのせんしには。相馬か跡を申は。何者そとのせんし也。相馬か為にはいつして候譲のてつき証文共。代々のくしよともを。しせうたゝしくまいらせあけ。理非をすまひて奏聞す。其上国はうとくなり。ようにもしよしにも別当にも。宝をあかせていさませたり。君にも金。れうの馬綾羅金鉄の類を。数を尽してまいらせあくる。左右の大臣。后の宮女房達。其外の人々にも。宝をあかせていさませたりけりたとへは敵方さゝふるとも。なとかはかなはて有へき。ましてあらそふ者はなしむくうしさいに申なし安堵玉はりくたりけり。角て小山。道々あんしけるやうは。御台所と信田殿に。少分成共まいらせ。ふちせはやとおもふか。いやいやかゝるむつかしき者をたすけをき。末の世の煩となる事もあり。忽うしなははやとおもふか。それもあまり情なし。所詮両国にをかぬまてとおもひ。国本につきしかは。さきへ人をたて。御台処と信田殿。いたはしくは存れとも。常陸下総両国に安堵は叶へからす。遠き国の知ぬ里へ。とく落行玉へ。片時も国にましまして。我はしうらみ給ふなとをつたての使を立つる。御台。此由を聞しめされ。偏に夢の心地してうつゝとさらに弁へ玉はす。小山殿か所存には天魔波旬かいりかはりたるか。いかなる事にて角云そと。くとき歎き給へ共。あらけなき使にて。哀をすてゝふるまへは浮嶋太夫か。言のすゑいまさら思ひいたさるゝ。さて有へきにてあらされは。信田殿はかり御供にて。泪とともにいて給ふ。けふ出て又帰るへき道たにも。別といへは物うきに。今日出ての其後に。かへらん事もかたかるへし。ゆくもとまるも。をしなへてもろきはいまの泪哉。甲斐の国に聞へたるいたかきの。里といふ処に。たつぬへき人有て。彼里まては。落行玉へと尋る人もあとなくなる。なにはにつけてたよりなし。いまはいつくへゆくへきそ。名はいたかきと聞けれと。風もたまらぬ。あはらやに宿かりてこそ。おはしけれ。めつらしからぬ申叓なれ共。たのもしきは弓取の郎等なり。信田の先祖の郎等に。さつしま兵衛豊田の太郎。此人々を先として。以上十一人か跡をしたひ申し。いたかきの里にまいり。君をみつけ奉り。嬉しといふも中々に申すにをよはさりけり。扨々いかゝ有へきと。内儀評定とりとりなり。其中にとつても。さつしま兵衛申けるは。我等か先祖のさつしま太夫。郎等主君のけいやくを申し。君も我等も三代なり。承平の合戦はしまつて。数度のたゝかいありしかとも。つゐにふかくをかゝさりしに。君も若に御座有る。我等も若者なれは。小山殿にいやしまれ。むにの本領わうりやうして。をひいたし申す無念さよ。いつまて角てこらふへき。仇は大勢なれ共ふせいていかかふはかりこと。夜討にしくはよもあらし。もとより我等案内者。ひまをうかゝひしのひいり。三方よりも火をかけ。一方よりも切ていり。千騎万騎か中なりとも。おもふ仇は唯一人。小山とくまむす事共は。なんの子細の有へきとはや手にとるやうにそたくみける。其中にとつても。豊田の太郎か是をきゝ。これこそよからぬせむきなれ。理を持なからのあらせむきは思もよらぬ事にて候さいさんつかふた沙汰にてなし。一問答二問答。三問三答つかひ。まけをはつたる沙汰をたにもをつそふかんと名付て。又とりたつるは沙汰の法。ましてや一度もせさらぬ沙汰を敵方さゝへぬそのさきに。むくうに申しなをして。給る所の安堵なり。あれはまさしきたしやう。是は相馬の御叓は。世にはかくれもましまさす。たとへは証文あなたにありと盗みとられししよけんをたて。なとかはとつてかへさゝらむと理非をすまひて云けれは。尤此義に同するとて御台処と信田殿をあふくして都へのほりけり。つゝむとすれと此事を。小山の太郎伝へきゝ。恩をしらぬ者は唯木石のことし。憐みをなして助け置たれは。仇と成こそやすからね。のほせたてゝは叶ふましそ。道にてをつゝめうてやとて。究竟の兵を七十余人さしつかはす。かゝりける処に。小嶋の五郎進み出て申けるは。是はよからぬ御諚かな。討ては国にかくれ有まし。理かなけれはこそうつたれとて。本領をはめさるへし。所詮昔かいまに至まて。神仏に申事の。忽叶ふ習の候へは。鹿嶋へ使者をたて。神主をめしよせ。てうふくの法ををこなはせて御覧せよと申す。小山けにもとおもひ。急き鹿嶋へ使者をたて。神主をめしよせ。いつよりもきらめいてちうをつくしてもてなしけり。酒も三献と見えし時。沙金百両。龍馬に鞍をひてひつたてたり。神主悦きの色見えてそゝろきいさむ風情あり。いまと心やすくして。あたりの人をとをとをのけ。信田を。てうふくすへきよしを一円に頼む。神主気色かはつて。あらおもひよらさる御諚哉。我等は鹿嶋の社人とし。天長地久。御願円満。息災延命と祈るより外別に秘術わ候はす。ことさら人を調伏すへき叓わ。中々。みやうのちけんもをそろしう候。さんへきほとの高僧へ。仰付られ候へとてたつてにけんとする。小山此由見るよりも。扨はこへんは。敵方と一所の人や。一期ふちむの身の大事を。ありのまゝにかたらせて。たのまるましきとは何事そ。ちからをよはす汝をは。ゑこそはかへすましけれと。既に。うたんとしりけれは。せんはうつきてかんぬしもあうはやことうけをそしたりける。俄の。事にて有間吉日撰むまてもなし。いつしよをきよめたんをたてゝ本尊をあんちしたりけりてうふくのたむの次第は。をそろしくそ見えたりける。しめむのたんをかさつて。ほうひやうにほけの花。にうもくに山うつき。しやすいの水にゐもりのち。くゝにはひつちの飯をもつてせうかうつかう牛の骨。けまんにあせほの花をもり。あかにはくしやの水をたれ。既に灯明にはほそきの油をたてにけり。おんしき日々にかはつた。初一日の本尊。地蔵薩埵南むき。二日は観音西むき。三日は勢至東むき。四日は阿弥陀北むき。五日はくたりかうさんせ。六日は既に金剛夜叉。第七日に当る日は。中尊不動明王をせめにせめてそいのりける。されとも道理なきにより。そのしるし見えされは。行者面目うしなひて。二七日そかちしけるに。夫にも験し見えされはいやおんころおんころせんたるしやな。まかるしやなとそ責にける。殊数の緒つかれきれけれは。こゝを以てひさをたゝきさんこをもつて。胸をたゝきとつこを以てかうへをうち。いたゝきをうちやふり。頂上より。あへける血をは不動のりけんにをしぬつて。是は調伏人の。身の血也と観念して。天地をうこかしせめけれは。あまりにつよくせめられて。こたいそんは震動し。かうさむせは。とつこをふる。こむかうやしやはほこをつかうたいゝとくののりうしか。角をふつてほへたりけり。中尊不動のけんのさきに。生血かつゐて見えしか。一法は成就したりとてたむをやふつて出たりけり。あら痛はしや信田殿。是をは夢にもしろしめされす。母みたひの御供をめされ。明ぬ暮ぬとのほらせ玉ふ。日数漸々かさなり。尾張の国に聞へたる。黒田の宿につかせ玉ふ。調伏かきり有により。信田殿にはをはすして。母御台にをひ玉ふ事の痛はしさよ。されとものほらて叶はぬ道なやみなからものほらせ玉ふ。日かすやうやうかさなり。近江の国に聞へたるはむはの宿につかせ玉ふ。したい日々にをとろへ。今は行歩も叶はねは四五日逗留し玉へり。信田殿を始申し。十一人の人々も。跡や枕に立寄て。いかゝはせんとなけゝとも。つゐには叶はぬ生死の道。朝の露と。消玉ふあはれといふもあまりあり。信田殿の御歎き。たとへをとるにためしなし。誰とても無常はのかれかたけれと。かゝるあはれは稀なるへし。扨有へきにてあらされは。無縁の人を。かたらひて。煙となすそあはれなる。十一人の人々は。ひとつ心に申すやう。信田殿の御果報は。爰迄なりと覚たり。いつまてつきそひ奉り。京よ田舎と辛苦せん。又よの人をたのまはこそ弓箭のきすとも成へけれ。是を菩提の。ちしきとし世をのかれんとおもふとて。しのひしのひにもといきり。まとろみ玉へる信田殿の。まくらかみにとりをひて。いとまこひをも申たけれともさこそはしたはせ玉ふへき。しのひねなひていてゝゆく。さすかたねんの御なしみ。たのみし君にてましませは。名残のおしさは限りなし。されともおもひ。きりつゝ別々に成にけり。天明けれは信田殿。御目をさまさせ玉ひ。誰か有とめさるれと御返事申すものもなし。こはいかにと思しめし。かつはとをきさせ玉ひて。あたりを御覧有けれは。あら何共なや。十一人の人々のたふさ計そのこりける。信田殿御覧して情なの者共や。とても浮世をいとはゝなともろともにつれゆかて。年にもたらぬ我一人を。すてゝはいつくへゆきけるそと。くとき歎き給へ共そのしるしもましまさす。腹をきらんとし玉ふ所へ。宿の亭主参り。ことのしさひをうかゝひ申すに。始め終りの叓共を委く語り玉ふ。亭主承り。やあかほとの道理をもちなから。なとや都へおのほり有て。御沙汰はなきそと申せとも。供人独りもあらはこそ。うき世にありてせんもなし。不思儀に尋る者あらは。かくなりつるとかたれとて。念仏申。刀をぬきすてにしかひと見え玉ふ。亭主あまりの痛はしさに。御刀にすかりつき。都まての御伴をは。此男か申すへし。自害をとゝめ玉へとよ。命をまたふもつ亀は蓬莱に。あふと伝へたり。つらき人のはてをも。いきてそ見はて玉ふへき。しゝてはなにのきよく有へきと。留め申したりけれは。御自害はとまりけり。あくれは亭主。御供して都へとてそのほりける。五條にやとをとりてをき。沙汰の法をは申をしへて。亭主はいとま。玉はりて馬場の宿に下りけり。信田殿唯一人。都にとゝまり玉へとも。はぬけのかもの水波に。うかれてたゝぬ風情し。片輪車の。中々に。やるかたもなき如くにて。都に日をはをくれとも。沙汰するむねもましまさす。田舎の縁をつたへねはなか在京も。叶はすしたよりもなふて。おはします。信田殿心におほしめす。叶はぬ事をあむするは。却而愚痴のいたりなり。我常陸の国に下り。姉こを頼みゐるならは。成人のゝち。小山を一刀うらみむ事。なんの子細の有へきと。おほしめされける間。めつらしからぬ信田へは又こそ下り玉ひけれ。時世にしたかふならひとて。姉婿殿をたのませ玉ひ。門のほとりにたゝすんて。もの申さんとありしかは。人をいたしてたそととふ。くるしうもさふらはす信田にて候。万事は頼み奉る。かうさんせんとありしかは。小山此由きくよりも。あふ尤かうこそ有へけれ。内へと申たけれとも。所存のうちを察し申たり。ひんひまをうかゝひ。一刀うらみんため。来た給へる心のうちをはかゝみにかけて覚へたり。をさへてうちたけれとも。かうにんのはうなれはたすけ申す。遠き国の知ぬさとへ。とく落行玉へ。片時も国にましまして。我はしうらみ玉ふなと。はるかる下る験もなく。門より内へいれさるは。いとゝ無念そまさりける。あら痛はしや信田殿。たまたまちかくめくりきて。父の御墓をいまならては。いつの世にかはおかむへきと。御墓にまいり玉ひ草木の花をつみたむけ。かほとに果報つたなき身を。ひとつはちすのうてなにむかへとらせ玉はて。浮世に残し玉ふ事よと。くときなけきたまへとも。亡霊なれは土屈より御声いつる事もなし。さくさくとしたる風のをと。松に吟するはかりなり。茫々としたる草の露にすそも挟も。うちしほれつきせぬ。ものは涙なり。角て信田殿。御墓を下向有ける処に。あみかさふかふかとひつこふたる男の。あやしきさまにまいりあふ。誰成らんと御覧すれは。是は別て年久しき。浮嶋太夫なりけり。兼てはしらさるすみよしの。まつとしなれは悦を。ひきあはせぬる幸とて。くして河内へかへり。五人の子共をちかつけ。是々拝み申せ。此程汝等かこひたてまつりしに。諸天のめくみの有により。不慮にまいりあふ叓は。いちかんの亀のたまさかに浮木にあへることし。定而十日はかりには包ともひろう有へし。此山里と申すは。昔よりのよき城墎なり。いかに仇か責るとも。輙く落へしと覚えす。汝等に軍をさせ。時々見てめさまひて。としををくりゐんするほとに。都へ此事もれ聞へ。国のみたれは何事そと。うへの使たつならは。とりつゝきをつそをたて。悦の沙汰をきはむへし。今こそいしのせいなりとも。終には国を納むへし。やあ俄にあはてゝ何かせん。谷々峯々尾つゝきともを。人夫を揃てほりきらせよ。はしりとうつきいしゆみ。こゝかしこのつまりつまりにはりかけさせよ。かゝりをたかせよかいたてをかき。うちとけゐるなと下知すれは。子共もなゝめに悦ふて。とても消へき露のみを君故しなんうれしやと悦ひいさむそたのもしき。つゝむとすれとこの叓を。小山の太郎つたへきゝ。扨は先祖の郎等に。浮嶋かたのまれけるか。はうはうひきあひつのりては。ことの大事たるへし。いまたちからのなきさきにはやよせよと申す。承ると申て。小山かしつし。よこすか大将にて。爰をせんとゝたゝかひけれとも。大勢うたせてひつかへす。扨はしゝんむかはては叶ふへからすと。小山殿のむかはれける間。常陸下総両国に。残る兵は一人もなし。城にも爰をせんとゝたゝかひけれとも。けにはよせては国かひとつになつて。谷をも嶺をも。平路に道をつくらせ。あらてをいれかへ責けれは。さのみはいかて。こらうへきそや二三の城戸をも打破られ。つめの城にそ籠りける。浮嶋太夫申けるは。夫人の命をたはう合戦はことによるそ。子共はなきか討死をせよ。心やすく太夫も。腹きらんと云儘に。れいの大弓取出し。大手の櫓にあかり。いかにや女房こなたへきて。さまひいてたへ。軍して見せんと有し時。女房生年五十六。うすきぬかつき櫓にあかり。何とて子共か軍は。こたれて今まてをそひそと。頻りに力をつけられて。はや浮嶋太郎かけいつる。其日を最後と思へは。れうをぬうたる直垂に。おにかたすつたるさうのこて。ひやくたんみかきのすねあて。いとひをとしの鎧の。巳の時と輝を。くさすりなかにさつくとき。ゆつて上帯ちやうとしめ。九寸五分の。鎧とをしをめてのわきにさひたりけり。一尺八寸のうち刀を。十文字にさすまゝに。三尺八寸さふらひし。しやくとうつくりの太刀はひて。おなしけのこまひ甲にしゝかたうつてゐくひにき。白綾の母衣をさつとかけぬりこめの弓の四人はり。さんのへたちのしらあしけ。きんふくりんの鞍をかせゆむつえにすかりゆらりとのり。堀のはゝたに駒をすゆる兄弟五人の者共。おもひおもひの具足をき。心々の馬にのり。互に手綱をとりちかへやあ。かけうかけしとしたりしを。仇味方か是をみてあつはれ武者のいきほひかなとほめぬ人こそなかりけれ。浮嶋夫婦櫓の上にてつくつく見て。いつれもきりやうはをとらぬよなふ。あつたら子共を世にあらせて。所領の主ともなさすして。唯今ころさんおしさよな。はやしね子共。さはいひなから今を限りの叓なれは。ま一度こなたへ顔みせよ。誰も名残はおしひそと。さしもにかうなる。太夫殿はらはらとそ。なきにける。女房か是をきゝ。からからとうちはらひ。わかれた今のなき事かな。なひても叶ふへき道かや。いかにや子共。軍はさすかに大事のもの。心のかうなるはかりにて。へいはうしらてかなはす。味方無勢に有なから。仇の陳へかゝるには。すきのさき。とかりやかた魚鱗鶴翼両陳なり。魚鱗といへるかけあしは。魚のいろこをまなへり。鶴翼といへるは。鶴のはかひをへうしたり。駒の手綱をしらひては。仇かむくうにきられぬそ。向ふ仇切時は。けあけの鞭をちやうとうつておもてかへしの手綱をすくひ拝みきりにきりすてよ。弓手へまはる仇をは。すみの手綱きつとひきさうかうの鞭をうつてきれ。妻手へまはる仇をは。太刀のつかをかへして。さわらの鞭をうつてきれ。夫婦の者も是にて見るそさしきの前のはれ軍そ。ふかくをかくなや子共とて。をかしき事はなけれとも。子共にちからをつけんかため。さまのいたをうちたゝきからからとわらひけり。いとゝはやりたこともか父にも母にもいさめられ。おこゑをたいてかけいつる。前のかはらはあしひき。習ひ伝へし手綱のひし。教へをかれし鞭の曲。むくうに馬をのりつれて。かけてはさつとひいてみれはまへの河原の石よりも。おほきは死人なりけり。とつてかへしさつとはかけ。五六度まてたゝかうたり。女房御らんして。子共か軍の面白きに。後詰してとらせんとて。かつきたきぬをさつとおろせはしたは武者にてたつたり。紅の袴の下に。ひさよろひにすねあてし。もえきにほひの鎧き。たけなる髪をからはにあけ。太夫かこのみしつけのはうをしはしかせとてうちかたけ。大手の城戸をひらかせ。堀のはゝたに駒をすゑ。大音上てなのるやう。如何や小山の人々我をはたれとおもふそ。陽成院より三代津の頼光に五代なり。渡阝党に大将軍。みたの源氏か娘に。弥陀夜叉女とは自なり。年は生年五十六。二つとなき命をは。信田の御料に奉るそ。我とおもはん人々。かけよてなみを見せんと甲をとつてうちきつゝ既にかけむとしたりけり。浮嶋太夫櫓の上にてつくつくと見て。子共かこころのかうなるも道理。母か心か強なれは。かほとなるものともか。親子兄弟夫婦となつて。よりあひけるこそ不思儀なれ。如何や御料御出有て。女軍を御覧せよ。ためしまれなる事なりとて。信田殿を矢蔵へしやうし申。委く見たてまつり。正門の御眼に。ひとみかふたつましまして。坂東八ヶ国の王とならせ玉ひしか。君にも弓手の御眼に。ひとみかふたつましませは。王位まてこそをはせすとも。必坂東八ヶ国の主とはならせ玉ふへし。たとひ我等討死仕るとも。君は命をまたふして。廿五まてはおまち候へ。かならす廿五にて。御代にたゝせ玉ふへし。我等も。それかおもはれて。子共か命もおしけれと。たうさのはちを。かゝしため皆討死をつかまつる。夫婦討死いたすならは。御身は仇にいけとられて。小山か舘に。年をへて悦の御代を。待玉へ。遑申て我君とて。櫓をゆらりととむており。一まひませのおほあらめ。袖をはとひてからとすて。筒はかりゆりかけたり。其日最期のうちものに。とうちかうつたる長刀の。四尺八寸ありけるか。柄をは三尺八寸にこしらへ。ひたえにかねをのへつけたり。まちつと此柄なかうして。かすやをとらんと。二尺はかりさしさけ。ふつゝとねちきりなけすて。手ころにまはひてふつてみて。あつはれかねやとうちうなつき。南無三宝あちきなや。いかほとのものかきられて。妻子に物をおもはせんなふ女房とかたる。夫婦ともに。駒の手綱をかひくつて。仇の中へかけている。面をあはするものはなし。棒をつかうへいはうに。しはなきいしつきはらひうち。木の葉かへしの水車。馬人きらはすうちふする。長刀つかう兵法に。なみのこしきり稲妻きり。車かへしやる刀。女房うちとほれは太夫あとより切りめくる。さきに子共かくれは。父母あとよりかけにけり。物に能々たとうれは。天竺州の戦に。歩兵かさきにかくれは。王行角行かけあはする金銀桂馬かゝる時。太子もかゝり玉ひけり。此戦の兵法を。将碁の盤につくれるもあふこれにはいかてまさるへき。浮嶋太夫か長刀を。こらへす三つにうちをれは。おほてをひろけかけあはせ。ねちくひつゝぬき人つむて。からたけわりにひつさいたり。昨日今日とはおもへとも。二年三月の合戦なり。此戦は夜日七日。うたるゝものはかすしらす子共も五人と申せとも。爰やかしこにをしへたてひとりものこらすうたれたり。太夫夫婦はかりなり。さのみにつみをつくつては。未来の業と成へきなり。かちもせさらぬものゆへ。いさうはこせと申て。たかひに刀をぬきもつてさしちかへてしんたるをおしまぬ者はなかりけり。信田殿心におほしめす。浮嶋か遺言はさる叓なれ共。夫婦討死するうへ。何に命をたはうへきと。腹を切んとし玉ふ処へ。小山か郎等参り。まさなき君の御自害かなと。いけとり申ていつる。小山此由見るよりも。はくちうにかふへをはねん事は。天下のきこへもしかるへからす。夕去の夜半にうちうみにしつめむとて。相馬重代の家人ちはら太夫におほせつくる。彼ちはらと申すは。相馬殿の御内に。年比めしつかはれし者なれとも、時世にしたかふならひとて。小山殿につかへ申。信田殿預り奉り。大事のめしうと是なり。もしうしなひや申さんと。おくふかにをしこめ申ふけゆく夜半を待たりしは。ひつしのあゆみのちかつくも。角やとおもひしられたり。姉こ此由を聞しめされ。むさんやな信田は今を限りにて有けるそや。あさましや自。おつとの心とひとつにし。角なすよとやおほすらんに。最期を一目見んとて。人しつまりて夜半にちはらか方へ御出あり。信田殿につけたりしかすかすの縄を御覧して。あらうらめしの事共や。自にもつけすしてなと信田殿はかりに付けるそや。何とて物をは仰なきそ。恨の心にてましますか。日の本に。あらゆる神もしろしめせ。うしろくらき事はなしと。かきくときの玉へは。信田殿聞し召れて。うらむる所存は。なけれとも泪にくれてこと葉なし。とても我身は果報なく。今を限りの叓なれは。かやうにあくかれ出玉ひ。小山か方へもれきこゑ。かさねて浮目を見玉ふな。おかへりあれとありしかは。姉こ此由きこしめし。たとひ小山にもれきこへ。同し淵にしつむともうらみとはさらにおもふまし。かやうにならせ玉ふ事。たゝ是故の事なれは。御覧せよと仰あり。たもとよりも巻物を。とり出してたひにけり。信田殿ひらひて。見玉ふに本領のちけんまるかし。是は家につたはるへき。重宝にて候へは。もちては何の。ゑきあらんとりておかへりましませや。あねこ此由聞しめし。夫はさる事なれとも。たとひ御身しゝたりと。炎魔の帳の出仕の時。くしやうしんの。御前にてさゝけ玉ふ物ならは。道理限り有により。なといつこうのつみとかの。うかみのかれて有へきそ。たゝもち玉へと。ありし時。とりてそもたせ玉ひける。さてしあられぬうき身にて名残のたもと。ひきさけて姉こは。かへり玉ひけり。夜更けれは小山より使をたて。信田をしはつめて有けるか。とくしつめよと有りしかは。ちはら力なふして。小船一艘こしらへ。信田殿をのせ申し。沖をさしてこきいて。爰にてやしつめむ。かしこにてやしつめ申さんと。さすかにしつめかねつゝうかれてしはしたゝよゑり。あらあちきなや世の中に。すましきものはみやつかひ。我奉公のみならすは。かゝるうきめによもあはし。昔は相馬につかへ申。此君を主君と。あをきしその時は。月とも。日ともおもはすや。さんかくよりもたかきをん。しらんよりもかうはしく。つきそひまはり申せしか。いつそのほとに。引替て。うつれはかはるみのうさは。我手にかけてしつめなは草の陰にて。相馬殿さこそにくしと。おほすへき。縦ひ此叓もれきこへてあすは淵にしつむとも。いつたん此君を。おとさはやと思ひて唯今こそ御最期よ。念仏を進むれは。手を合せたからかに。高声念仏を申さるゝ千原もともに申し。腰の刀をひんぬひて縄さんさんに切てすて。しつめの石はかりをは。たんふとうち入南無三宝いまか見はてとたかくいひしつめた体にもてなし。助てくかにもとりけり。これやしくわうの御時にゑんたんか古郷にかへりしも角やとおもひしられてあり。明ては人目繁しとて。夜の間にをくりたてまつり。暁かけてちはらは我家路にそ皈りける。天明けれは小山よりおつかひたつ。千原御前にかしこまる。汝は信田をはしつめて有けるか。中々御尋まてもさふらはす。しつめ申て候。それほとしつめけるには。なとそのときのけんみをはこはぬそ。やかて心得たり。汝は相馬重代の家人。如何さま心替りをしておとしぬるとおほふるなり。たゝとはんにはよもおちし。あれかうもんしてとへ。承と申て。むさんや千原をとつてふせちうにあけ。七拾余度のかうもんは目もあてられぬ次第なり。五体しんふんきれそんしあまりくつうの有時は。しやおちはやと思ひしか。まてしはし我心。千原は入日のことくなり。信田殿をたとうれは。いつる日つほむ花なれや。よめいをいふとも限りあり。かはれや命とていかにとへともおちさりけり。水火の責をあてゝとふ。是にもさらにおちされは。枯木よりも縄をさけ。あくる時には。いきたえておろせはすこしよみかへる。七日七夜はひまもなく。あらてをいれかへ責けれは。さのみはいかて。こらふへき朝の露ときえにけり。小山大きにいかつて。妻子はなきかめし出して重てとへ。承と申て。二人の若母もろともにひつすゆる。小山殿御覧して。をつとかいひし事をしらぬ事はよもあらし。ありの儘に申せ。詐る気色の有ならは。やかてをつとかことくなすへしと大きに怒り玉へは。女房ちつともうれひたる気色もなく。たとへはみちんになされ申とも。しらぬ事をは申すましひ。ありし夜の暁。唯今こそしつめ申にゆくとて。小船一艘拵へ。信田殿をのせ申。沖をさして漕出る。自あまり痛しさに。急き浜に下り。ことの体を開侍ふに。信田とのゝ御声にて。高声念仏し玉へは。千原もともに申し。たんふと物のなつてよりそのゝちはをともせす。とてもかやうにうしなはれ申す命を。なとや信田殿の御命にかはり申てひとまつおとし申さぬそや。これ詐りとおほしめさは。あたりの浦人を召て御尋あれと申す。さらはめせとてあまたを召てたつねられけるに。その夜の沖の為体く。何叓有とはそんせね共。皆此体と答ふる。扨はしつめて有ける物を。ふひんに千原をとひけりと。妻子をかへし玉ひけり。其後信田殿猶も都のこひしくて。明ぬ暮ぬとのほらせ玉ふ。日数やうやうかさなり。近江の国に聞へたる大津の浦につかせ玉ふ。門なみこそおほきに。人をかとへてうる。つしの藤田か本に。やとかりそめにおとまりある。藤太は信田殿をかとへてうらんため。終夜こしらへたり。おとしもいまた若に御座有人の。いつくよりいつかたへ御とほり有そと申せは。是は坂東方よりも。都へのほる者にて候。藤太承り。やあ歩行のおあるきの痛はしさよ。都迄の御伴をは。此男か申さんと。やせたる馬に鞍ををき。我身も伴にそ出立ける。信田殿心におほしめす。されは都ほとりは。人の志のふかゝりけると。をくられ京へのほらせ玉ふ。五條にゆきてはくらうさの。人あきひとのそうりやう。王三郎にいひかたり。駒一疋にかへとつて藤太は国に下る。夫よりも津の国の堺の浜へそうつたりける。四国西国をうりまはる。後には北六道ののなたをうられさせ給ふ。若狭の小浜。越前の敦賀。みくにのみなと。加賀の国に聞へたる宮のこしへそうりにける。
物の哀はおほけれとも。宮のこしにて留めたり。折ふし春の事なるに。賤かしわさを教へて田をうてと責けれは。鍬といへる物をもち。をたの原へは出玉へとうつへきやうはましまさす。彼三皇の古は。しんのう皇帝かたしけなく。自鋤を荷ひて。その一けいの田をかへし。五穀の種をまきしかは。しんのうかんのう。目出度し尺の穂長もなかゝりき。夫は賢王聖主にて。国をはこくむ道理あり。彼信田殿の農業は。泪の種をまくやらん。野にも山にも立田姫さほのはやしに。ひれふして鳴より。外の叓はなし。是を見る人々か。徒者と申て。隣のさとを隣国に。かはんといへるものはなし。もてあつかうて信田殿を。をひ出し奉る哀と余所にしら雲の立出ぬれはあまのはら。身は半天になるかみの。とゝろとゝろとあゆめと。とまりさためぬうかれとり。なくねに人の驚き。明ぬるかとをすきのした。道あるかたにまよひゆき。身はうへひとゝとなるまゝ。袂に物をこつしき。草葉にかゝる命をは。露の宿にやをきぬらんさたむるかたのなきまゝ。足にまかせてゆくほとに能登の国に聞へたる親のみなとにつかれけり。折節おやのみなとへは。夜盗かよせ来るへしとて。もんもんかとをきりふさき。用心きひしかりけり。かゝるとしろしめされねは。世になし者のうかれたるに。慈悲ましませと有しかは。内よりもせう一人立出。信田殿を見まいらせ。盗のけこ見こそきたつたれ。あれよつてうちころせ若者共と下知をする。をりふしありあふわかものとも。信田殿をうちふせ申す。あら痛はしや助かりかたく見へさせ玉ふ。かのうらのとねの女房は。情ありけるものにて。痛はしや此人は。世にすてらるゝ人の子の。親の行衛をたつねかね。かゝる遠国波濤まて。来りたると覚ふるなり。まつひら我にたへと有しかは。若き者共是をきゝ。つえをすてゝそのきにける。角て信田殿を我宿所にをき申。よきにいたはり奉る。遥奥外の浜に。塩あき人のありけるか。彼浦へ舟をのる。といはとねのもとなれは。信田殿を見まいらせ。是なるわつはを我にたへと云儘に。おさへて塩にかへとり。舟にとつてのせ申し。十八日と申すに外の浜にそあかりける。此商人は情も更になき者にて。未一両日も過さるに塩やき玉へ稀人と。しほきをこらせしほかまの。火をたかするこそ。ものうけれ。いとゝしほたれ衣きて。したもえくゆる。かまのひをたくこそはものうかりけれ。つらき中にもなくさむは。塩屋の煙ひとむすひ。末は霞にきえにほひて。ゆくゑのほともしら浪の。よるよる袖をしほらして。常陸の国の。こひしさはいとゝ日々にそまさりける。秋もなかはの事なるに。彼浦のりやうし。しほちの庄司といつし人。終夜月をなかめてあそはれしか。信田殿を御覧して。爰に塩焼わつはの。目のうちのかしこさよ。いかさまにも太夫は。世にある人をかとへてきたりたるとおほふるなり。我子にせんとの玉ひて押てはうてとり。ちやくそむとかうし。角て元服をさせ申し。塩路の小太郎殿と申て。かみからしもにいたるまてかつかうせぬはなかりけり。かゝりしときの折ふし。国司国に下り玉ひ。たかのこうにつかせ玉ふ。さいちやうこけにんはせあつまり。ひはんたうはむをつとむる。国司よりの御諚には。我常陸の国に有し時。相馬とないきかちむしにより。両方たえて年ひさしゝ。夫も座敷のろむ。盃のけんはい定めなかりしによつて。せんなき事も有しそかし。国司在国の間に。坐敷のやうをもさためむとて。左はかつたの太夫。右は柴田の庄司。惣して座敷十三なかれ。人数彼是三百余人。くもりたる者をつけされははれかましさはかきりなし。其中に塩路の庄司殿。我身老体成間。養子の信田殿を出し申す。ならひのさいちやう是を見て。叶ふましひとささふる。国司よりの御諚には。何とてしほちはしゝんまいらぬそ。かみをかろくするゆへか。其儀にて有ならは。しほちか本領悉めしあくへきとの御諚也。信田殿聞し召れて。座敷をたゝんも無念なり。なのらはやとおほしめし。系図を取出して。国司の前に捧けらるゝ。国司此由御らむしなになに葛原の親王よりも。六代の後胤。正門の御孫。相馬の実子信田の小太郎なにかしと。うちふみけんしよなる間。五十四郡か其内には。是にましたるそくしやうなしと国司のたいさゆるされ申なをり玉ふそ目出度き。既に御酒盛。七日と聞へけり。さいちやうこけにん。いとまを申て屋形屋形にかへらるゝ。其中に信田殿もいとまをこふてかへらるゝ。国司御覧しあふ痛はしゝいたはしゝ。奥州の国司を。三年か間奉る。その間に国司は。都へのほつて。あむとを申て。まいらせんとて国司都へのほらるゝ。去程に信田殿。きのふまては塩を焼うき身をこかし玉ひしか。けふはいつしか引替て五十四郡の主となり国をたもたせ玉ひけり。さても常陸の国に候ひし。小山の太郎行重は。栄花さかへてきはもなし。比は七月七日日とて。上下万民宝物を揃。七夕にかすならひ。小山殿もかすの宝をそろへて。七夕にかされける中に。信田玉作のちけん巻物を。いかにたつぬれともなし。いやいや是はよの人はしるへからす。御身のぬすみ取て。他の宝になしつると覚ふるなり。かゝるうしろくらき人を。たのみて何のゑきあらん。はやはや御出候へと。痛はしや姫君を追出し奉る。あら痛はしや姫君もとよりも。角有へきとこしたれは。乳母計をひきくして小山か舘を出させ玉ふ。あさましや自。誰をたのみて今更いつくへとてかまよふへき。信田殿か身をいれし。うち海にしつまんとて。浜路へ。下らせ玉ひけり。ちはらかこけは参て申す。なふいたふなおなけき侍ひそ。信田殿の御命には。夫のちはらかかはり申て侍ふそ。かすかすの文共を。とゝめをかせ玉へとも。まいらせあくる事もなし。是々御覧侍へとて。ありし昔の文共を。あねこの御手へまいらせあくる。あねこ此由を御覧して。あら嬉しや信田殿はいまた浮世にありけるそや。叶はぬまでも沙汰の為。都へこそのほりつらめ。いさや乳母是よりも。都へ上り尋ん。さりなから角て都へのほるならは。よしなきあたなやたちなんと。たけとひとしき御くしをそりおとし玉ひけり。乳母もやかて。同し姿にさまをかへ。こき墨染に。身をやつし都へのほり玉ひけり。名所旧跡を。なかめこえさせ。玉ひつゝ。卅五日と申に。都につかせ給ひけり西東の京を。たつぬれとそのゆきかたもなかりけり。清水に参りて。南無大悲観世音。よろつの仏の願よりも。千手の誓はたのもしや。今一度信田殿に。あはせてたはせ。玉へやときせいふかくそ申さるゝ。熊野の道をたつねんと。南海道にさしかゝり。天王寺住吉。根来粉川をうち過て。熊野に参て三つの山心静に。伏拝みたつね玉へと行方なし。四国九国をたつねんと。たうしや舟に。便船こうて四国に渡り淡路嶋も。心静に尋けり。つくし下りの道すから。長門の府。あかまか関。あし屋の山崎はかたの津。しかの嶋まて。たつぬれとその行方もなかりけり。なこやを出てせとをゆく。ひらとの大嶋。松浦みろくししつの里。くはんきこたうしまいはらか嶋もちかくなる。ゆきのもとをりとをるにそ。きゆるはかりの我心。日向の国にとさのしま。きの里にあはしま。豊後豊前をさし過て。肥後の国に聞へたる。をとりたうの。山をこえ。こひはしうしのみつし。あそのたけをこえ過て筑前の国にいきの里。遠国波嶋にいたるまて。名所はつきぬ物なり信田の小太郎。なにかしととへと。こたうる。者はなし。つくしの内にくもりなし。いさや乳母これよりも。都へのほり尋んと。周防の国にさしかゝり。おうちのこほり朝倉や。極楽市と聞からに立留りてそたつねける。播磨の国に入ぬれは赤松河原由比の宿。高田の渡りやのゝ宿。名所旧跡をなかめこえさせ玉ひて。堺の松に出させ玉ふ。さうたのもりからすさき。ひとまろか岡をたつぬれとその行方もなかりけり。須磨の浦はすの池と聞からに。同し蓮にのらはやな。兵庫につけは湊川。雀の松原打出の宿。こむやのいたみ手嶋のやと。おうたの町やあくた川。かうない山崎きつね河。舟にのらねと。久我なはて。月のやとるか桂川。浮世は車の輪のことくめくりきぬれは九重の。めくりきぬれは九重の花の都につき玉ふ。九重の内にくもりなし。いさや乳母これよりも。本の道にさしかゝり。くたらんとの玉ひて。我をは誰かまつさかや逢坂の。関の清水にかけ見えて。いまやひくらんもちつきの。駒の足音聞なるゝ大津打出の浜よりも。志賀唐崎を見渡して。かた田のをきにひくあみのめことにもろき泪かな。勢多のからはしはるはると。たつぬる人の面影をうつしもやせん鏡山えちの川瀬のなみちりてすそは露。袖は泪の隙よりも。すりはり山をこえゆけは。あれてなかなかやさしきは不破の関屋の板間もる月見たるゐの宿過てうへし小苗のくろたこそ秋はなるみと打なかめ。三河の国の八橋の。くもてに物やおもふらん。富士をいつくととをたうみ。こひをするかのみのゆくゑ。まつよひの月も雲間をいつの国。信田にはいつかあふしうまて。みとせ三月かそのあひた。信田の小太郎。なにかしととへと。こたうる者はなし。其年の文月半に。あふしうたかのこうにつかせ玉ふ。十四日うら盆とて。上下万民慈悲を施す日成けり。信田殿も父母の孝養のために。辻々に札をたて。せきやうをひかせ玉ひしか。比丘尼達を御覧して。あれあれしやうし申せとて。持仏堂にしやうし申よきにいたはりたてまつる。あら痛はしや姫君終夜御経あそはし。晩かたに成しかは廻向のかねうちならし。御声たかく廻向ある。此御経のくりきに仍て。一切の衆生悉く。無上菩提とせうすへし。ことには父相馬殿母御台信田殿成仏得脱成玉へ。其中に信田殿未浮世に有ならは。此御経の十羅刹女の功力により。祈祷とならせ玉ひ信田の。小太郎に。今一度あはせたひ玉へ。南無三宝南無三宝と。衣の袖を。顔にあてもろきは今の泪なり。信田殿も父母の。孝養の其為に。持仏堂に御坐有て終夜御経をあそはせし。廻向の声を聞しめし。夢現とも弁へす。あひのしやうしをさつとあけ。委く見たてまつりしに。姉のなりゆく姿なり。するするとはしりより。御袂にすかりつき。是こそ信田の。小太郎にて候へとて。きえいるやうに鳴玉ふ。姉も此事を。うつゝとさらに弁へす。さて如何に小太郎か。是こそ古の。千手の姫て侍ふなれ。うきときは道理かな。うれしき今の何とてか。さのみ泪のこほるらんと。むつましけなる。おむありさま余所の。袂も。ぬれぬへし。信田殿仰けるやうは。かほと目出度世中に。何をさしてかなけくへき。いさゝせ玉へ姉こせん。常陸の国へ打越。うらめしき小山かかうへをはね。父相馬殿のみはか処にかけをき。くわひけいをすゝき候はん。尤然へしとて。五十四群か其内に。究畢の兵を三千余騎揃へらるゝ。小山此由聞よりも。国にこらへかたうして。にけて京へそのほりける。然に国司はあむとを申玉はつて。国に下り玉ふ。小山道にてまいりあふ。急き駒よりとんており。此度の命を。まつひら助てたへと申す。やすき程の事とて。たはかりよつてからめとり。きやうつとゝ名付て信田殿にたひ玉ふ。信田殿なゝめならすに思召し。武蔵国。つまこえか野辺にひきすゑ。首打おとし玉ひけり。やかて信田殿。上洛ましまして殿下の御目にかゝらるゝ御門ゑいらんましまして。坂東八ヶ国を。信田殿にたひ玉ふ。其次而に。近江の国とかや大津の浦を申こひつしの藤田をからめとり十日にとをのつめをもき。廿日にはたちの。指をもいて首をひき首にし玉へり。唯人は情あれ情は人の為になし。終には我身にむくうとにくまぬ者はなかりけり。馬場の宿へ。打越ましまして。春草と小太郎か。もい出て候そうれしきをも。つらきをもなとかはかむせさるへきと小嶋の庄三百町馬場のていにたひにけり。やかて御身は。常陸の国へ。下向有て。信田の河内にて。討死したりし。浮嶋太夫か。子孫はなひかととひ玉ふ太夫か孫は三人。めし出しさふらひ。三千町をたひにけり。ちはらか後家。若もろともにまいれはなゝめならすにおほしめし。坂東八ヶ国の。そうまんところを。若共にたひ玉ふ。やかて御身は。信田の群に。御所をたてゝ。御歳廿五にて。御代にたゝせ玉ひ。ひはんたうはんつとめさせ栄花に誇り玉ひけり。姉の比丘尼。大方殿と申て。いつきかしつき玉ひし。すゑ繁昌ときこへけり。

    于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小太郎大夫 安信(花押)

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満仲
(毛利家本)

 それ、ひそかにおもんみるに、覆つて外無きは、天の道なり。載せて捨つる事無きは、地の徳なり。初め、清くして澄める物は、昇つて天と成り、重くして濁れる物は、降つて地と成る。中央は、人たり。これよりして、君子の道行はるるものか。
 およそ人皇五十六代の帝を、清和天皇と申し奉るに、王子六人おはします。陽成院、貞秀の親王、貞元の親王。かの貞元の親王は、琵琶弾きにておはします。桂の里に住み給へば、桂の親王とも申す。貞衡の親王、貞義の親王、貞純の親王とて、兄弟六人おはします。中にも第六、貞純の親王の御子を、六孫王と申す。六孫王の御子をば、多田の満仲とこそ申しけれ。
 その頃、源の姓を賜はらせ給ひ、上野守と申し奉つて、弓箭を取つて天下に並ぶ人ましまさず。すこぶる朝家の御守りとし、朝敵を滅ぼし、国を従へ給ふ事、降る雨の国土を潤すに似たり。正理の薬を以て、訴訟の病を癒し、憲法の灯を掲げ、愁歎の闇を照らす。しかる間、人敬ふ事、限りなし。
 ここに満仲、思し召し立ち給ふ事あり。「それ、生死の習ひ、有為転変の理は、皆夢幻の世の中なり。この娑婆の定命、思へばわづかに六十年。下天の暁、老少不定の夢なり。行く末とても、夢ならざらんや。松樹千年の緑も、霜の後の夢と、終に覚むべし。いかにいはんや、槿花一日の栄えも、露の間の身、保ちがたし。朝には紅顔あつて、世路に誇るといへども、暮には白骨と成つて、郊原に朽ちぬ。宵には楼月をもて遊ぶといへど、暁は別離の雲に隠れり。わづかなる世の中に、何に心を留めてか、いたづらに明かし暮らしなむ。たとひ我、今生にて、かく弓箭を取つて、人に恐れらるると言ふとも、真の道に赴かん時は、数千人の眷属、一人も付き従ふべからず。只、無常の殺鬼に追つ立てられ、阿傍羅刹に呵責せられむ事の口惜しさよ。仏法に近付き、三宝を敬はむと思へば、弓箭の道、緩く成るべし。」とは思し召されけれども、思ひ立ち給ふその御心、捨てがたくて。
 或る尊き上人のまします庵室に入つて、宣ひけるは、「我等如きの衆生は、何として後生を助かり候べき。」と尋ね申させ給へば、上人、聞こし召されて、「賢くも御尋ね候ものかな。尤も、出家のしるしには、さやうの事をこそ承りたく候へ。それ、欽明天皇の御代より、仏法、我が朝に渡り、上宮太子、守屋を討ち従へ給ひしより以来、仏法繁昌の今に於いて、崇敬、他に異なり。ここに法華経と申して、八軸の金文の候が、無二無三の法文にて候。かれに値遇し、結縁し給ふべし。」と仰せければ、満仲、聞こし召されて、「さて、法華妙典の本迹を、仏は、何とか説き給ひて候らむ。」と尋ね給へば、上人、聞こし召されて。
 「それ法華は、『貪瞋癡の三毒より、我等衆生の仏性は、まさに出生す。』と見えたり。濁水淤泥の中よりも、法の蓮を開き出す。塵労妄想は、無作の覚体なり。これによつて、一代八万の花は、五時の春に開け、三諦即是の月は、八教の秋に明らかなり。弓箭刀杖に携はり、殺人刀、活人剣、皆、一念の内なり。『生死即涅槃、煩脳即菩提。』と説けり。因も智も、皆これ、無上の妙行なり。浄土も穢土も本来、空寂なりとかや。さてもこの御経は、釈尊四十余年の説教の後、八ヶ年に真実の相をあらはし給ひて候なり。しかれば、この御経に、『現世安穏、後生善処。』と説き、又は、『若有聞法者、無一不成仏。』と宣うたり。一偈聞法の力は、五波羅蜜の行にもすぐれ、五逆の調達は、当来作仏の記別を受け、八歳の龍女も、南方無垢世界の成道を遂げたり。いかにいはんや、弓箭を取り給ふ事も、私ならず。王法、仏法の外護、国家を守り、民を育み給はんためなり。一殺多生の功徳あるべし。仏も悪魔降伏し給ふ経あり。在俗の身にて御座ありとも、御心の向けやうにこそ、依り候はんずれ。かの天竺の浄名居士、我が朝の聖徳太子も、在家にましましながら、仏法修行し給ひぬ。十悪五逆の輩も、須臾の念によつて、無数劫の罪障を消滅すべき事は、疑ひなく候なり、満仲。」とこそ仰せけれ。
 満仲、聞こし召されて、「あら、殊勝や候。さらば、結縁のために法華経を一部、伝授申したく候。」と仰せければ、上人、聞こし召されて、「子細に及ばず授け申すべし。この御経を釈尊、説き給ひし時は、『草木国土悉皆成仏。』と見えたり。即身成仏は、疑ひ、更に候まじい。」と、程なく一部伝授し給ひけるとかや。
 或る時満仲、心に思し召されけるは、「それ、人の一大事は、後生に過ぎたる事ぞ無き。所詮、子を一人、出家に成し、後生を弔はればや。」と思し召し、美女御前と申して、十二歳に成り給ふ、若君を召して仰せけるは、「汝を深く頼むべき子細あり。その故は、寺へ上つて学問し、出家に成り、我等が後生を弔ひて賜べ。」と仰せければ、美女御前は聞こし召し、「あら、何ともなや。弓馬の道に生まれては、さやうの事をこそ、心に懸けて思ひしに、今更我が身に当たつて、承る事の無用さよ。」とは思し召されけれども、力なく領掌を申させ給へば、やがて仲山といふ寺へ上せ給ふ。
 その時満仲、仰せけるは、「なう。いかに、美女御前。学問の最初に、法華経をよく読み覚えて後、よろづの経を知るべし。」と、御約束ありければ、易々と領掌を申して、寺へは上らせ給へども、御経あそばさむ事は、中々思ひも寄らず。無量の木の皮を剥ぎ集め、よろづの葛を以て鎖り、鎧腹巻なんどと言ひ、木長刀、木太刀を作り、他坊の児を駆り催し、飛び越え、跳ね越え、早業、相撲、力業。かかる武芸の真似ならでは、一向夜昼只、天狗の矢取りの如くなり。師匠、同宿、教訓すれば、結句、かへつて打擲す。寺一番の悪行は、この若君一人の、いや、張行なりとぞ聞こえける。
 満仲は、かかる不用の御事をば、夢にも思し召し寄らず。「今は早、美女御前、経をばよく読み覚えてぞあらむに、喚び下し、読ませ、聴聞せばや。」と思し召し、藤原の中務仲光と申す侍を御使にて、喚び下し給ふ。児、思し召す。「あら、何ともなや。この二、三ヶ年の間に、終に御経の一字をも習はず。里に下るものならば、治定、「法華経読め。」と仰せらるべし。いかがはせん。」と思し召すが、「今更、習ふに及ばず。」とて、多田の里に下り給ふ。
 満仲、やがて御対面あり。「念なう成人候ものかな。さてもさても、約束申せし御経を、読み覚えてぞあらむ。それそれ、読ませ申せ。聴聞せん。」「承る。」と申して、紫檀の文机に、八軸の金泥の御経を並べて、御前にこそ置かれけれ。「かねて申し定めし事は、これなり。あそばせ、聴聞せん。」と仰せけれども、とかく返事もし給はず。満仲、御覧じて、「なう、何とて経をばあそばさぬぞ。是非一字も読み損じて、某、恨み給ふな。」と、膝の上に太刀抜きかけて、「早々、読め。」とぞ仰せける。いたはしや、美女御前は、終に一字も習はぬ経の事なれば、紐解くまでもましまさず。赤面してこそおはしけれ。
 満仲、御覧じて、「頼むしるしのなき奴を。かくこそ計らふべけれ。」と、抜き打ちに、ちやうど打ち給へば、この程、寺にて習はせ給ひたる、早業のしるしに、机の上なる御経一巻押つ取つて、いや、張良が一巻の書と名付け、しつとと合はせ、居ながら後ろへひらりと飛ぶ。稲妻、天火、蜉蝣、蜻蜓、飛ぶ鳥なんどの如くに、早、ちらりと失せて見え給はず。
 満仲、大きに怒らせ給ひ、仲光を召され、「汝、この太刀にて、美女が首を打つて参らせよ。」とて、やがて御重代の御佩刀を出させ給ふ。仲光は、余りの御事にて候ひし間、とかく御返事に及ばず。頭を地につけ赤面す。満仲、御覧じて、「いかさま、汝は異議に及ぶか。是非討つて参らせずは、今生後生、不忠の者にてあるべし。」と、大きに怒り給へば、「重ねて辞退を申し、悪しかりなん。」と存じ、「畏つて候。」とて、御佩刀を賜はり、我が宿所に罷り帰る。
 ああら、いたはしや。美女御前は、仲光が門の内に御座あり。世に面目なげなる風情にて、たたずみ給ふ所へ、罷り帰る直垂の袖にすがり付き給ひ、「かねてより御内に多き侍の中に、取り分けて汝をこそ頼もしく思ひつれ。」とて、さめざめと泣き給へば、まさに御討手に遣はされけれども、余りのいたはしさに、「何とてそれに御座候ぞ。こなたへ御入り候へ。」とて、急ぎ内へ入れ奉つて、仲光、申す。「さてもさても、御内に多き侍の中に、誰にも仰せつけられずして、何がしに御討手を賜はつて候事は、ひとへに御命の助かり給ふべき故なり。たとひ我が首をば打たれ申すとも、御命に於いては助け申すべく候。」と申す所へ、満仲の御方より、重ねて御使立ち、「何とて美女が首は、遅なはりたるぞ。東は安久留、津軽の果て、西は櫓櫂の届かんずる程、天下のその内を、探し求めて討つべし。疾く討つて参らせよ。」とて、重ね重ねの御使立つ。
 仲光、承り、「あら、何ともなや。さては、御命に替はり申して、某、腹を切つたりとも、若君の御命の助かり給ふ事あらじ。さあらん時は、何も無益たるべし。さて、何とすべきぞや。まさに『討て。』と仰せらるるは、三代相恩の主君。又、『助けよ。』と仰せらるるも、主君にておはします。」とやせん、かくやあらましと、かき集めたる藻塩草、進退ここに窮まつて、是非をも更に弁へず。「所詮、思ひ出したる事あり。この若君と御同年に、参り合ふ子、一人あり。名をば幸寿丸と言ふ。九つの年、寺へ上せ、学問させ候が、今年十五に罷り成る。この者を喚び下し、御命に替へばや。」とこそ思はれけれ。
 しかるに、かの幸寿の心立て、世に柔軟にして、神妙なりければ、師匠、同宿も、多くある児の中には、一大事とぞ思はれける。大方、姿尋常にし、楊柳よりもたをやかなり。肌は白雪の如し。あたかも十五夜の月の如く、一度笑めば、百の媚びあり。学問、世にすぐれ、並びなき児学匠の名を得たり。殊には詩歌管絃の道に長じ、酒宴遊興、人にすぐれ、しかる間、一寺の僧形、或いは心を高嶺の月にかけ、思ひを志賀の浦浪に、寄せざりけるはなかりけり。一樹の花を見ては皆、我が家の光を争ふ如くなり。およそ心ざしは山岳の如く、義は黄金よりも猶堅し。半夜の鐘の声、暁の別れを恨む。一旦の芳志は、彼もこれも只同じ。いつも心に詩を作り、歌を詠じて、閑居に日月を送り給ひけり。
 かかる優なる児の方へ、迎へを上せ、「ちつと申し談ずべき子細の候。急ぎ下られ候へ。」と言へば、幸寿丸、この六、七年の間、父母に向顔も申さず、内々恋しく思ふ所に、迎への上りたりければ、嬉しさ類なうして、師匠、同宿に暇を乞うて、やがて里に下る。父仲光は、門に立つて待つ。児、父を見付け、嬉しげにて馬より下り、歩み寄りける姿、骨柄、礼儀したる風情、大人しやかなりけり。
 父、つくづくとこれを見て、「あら、無残や。か程まで育て置きたるしるしもなく、只今、我が手に懸けん事の不憫さよ。」と思へば、忍びの涙、堰きあへず。かくても、つつむべき事ならねば、「汝を只今喚び下す事、別の子細ならず。その故は、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ふによつて、何がしに御討手を賜はつて候所に、若君の頼うで御入り候へば、何として情けなく討ち奉るべきぞ。いかにもして御命を助け申さばやと存ずる。それ、義を重くして命を軽くす。境に臨んで屍を土中に捨つる事は、君臣の法なり。君は臣を使ふに恩を以てし、臣は君に仕ふるに、義を守つて身を惜しまざるは、忠臣の法なり。恩に属する臣下、終に一度は主君の、御命に替はるべきものなり。親に孝ある子は、身を捨てて菩提を弔へといふ事あり。汝、この間、寺にての学問のしるしに、定めてこの旨をば存じつらむ。面目もなき申し事なれども、あはれ、御命に替はり申して賜べかしと、思ひて喚び下したるぞ。」と言へば、幸寿丸、聞きあへず、につこと笑ひ。
 「嬉しくも承り候ものかな。弓取の御子と生まれ候よりも、主君の御命に替はるべき事をば、思ひ設けて候。一つには御命に替はり申し、又は、親の御命に従はんずる事こそ、幸ひにて候へ。早々、首を召され、美女御前を助け参らせ給へ。身の命に於いては、露塵程も惜しみ申すまじい。それ、鴛鴦の衾を重ねても、身体の破れざる間なり。亀鶴の契りを致すも、露の命の消えざる程。いづくの里人か、一人として残り留まり候べき。只、疾く生を替へむこそ、身の喜びにて候へ。さりながら、少しの御暇を賜び候へ。母にて候人に、最後の体面申したく候。」と言へば、仲光、聞いて涙を流し、「あら、不憫の申し事や。急ぎ立ち越え対面あれ。構へてこの事を、母に知らせて賜ぶな。」と言へば、その時幸寿、腹を立て、「さては、未練至極の者と思し召し、御限り候か。そこの程をば、御心安く思し召せ。」と、さもけなげに申し成し、母の御前に参り、母を見奉つて、やがて涙を流す。
 母、この由を御覧じて、「あら、珍しの幸寿丸や。この六、七年の間、寺に居、たまたま下り、さこそ喜ぶべき身が、我を見て泣く事よ。」と仰せければ、幸寿丸、落つる涙を押さへて、とりあへず申す。「さん候。かの唐土の漢王、胡国を攻めさせ給ひし時、かうせい将軍を大将軍とし、百万騎を率し、胡国へ遣はされたりけるに、合戦、既に十二ヶ年経て、終に軍にうち勝つて、故郷へ引いて帰る時、とくしやうの都をばよそに見て、母のまします所へ行き、母を見奉つて、やがて涙を流す。
 「母、この由を御覧じて、『これ程、軍にうち勝つて、喜びにて上る人の、何の憂ひあつて泣き給ふぞ。』と問ひ給へば、『さん候。胡国へ罷り向かひし時は、白き御髪も見えさせ給はざりしが、今、幾程か無き間に、御髪やうやう白妙に、見えさせ給ひ候程に、それを泣き候。』と申されければ、将軍の母、聞こし召され、『身に積もる年月を、主だにも思はぬに、親の齢の傾き、老いの浪を寄せ、末の近く成るを見て泣く事よ。』と、哀れにも嬉しくも思はれけると、或る文に見えて候を、今更思ひ出されて候。寺へ罷り上りし時は、黒く渡らせ給ひし御髪の、やうやう白妙に見えさせ給ひ候程に、今幾程か見参らせんと悲しくて、不覚の涙を流すなり。」
 偽り申したりければ、母はまことと思し召し、「不憫の者の申し事や。げに、子にて無くは、何者か、母が髪の白く成るをば悲しむべき。まして、なからん後の世を、弔はれん事の嬉しや。」と、只今、先に立て給はん事をば知ろし召されずし、世に頼もしく思はれける、母の心ぞいたはしき。その後幸寿、申しけるは、「今暫く候ひて、御物語申したくは候へども、まことやらん、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ひて、これに御座の由を承る。そつと参り、御目にかかり、やがて罷り帰り、この年月離れ申し、恋しく思ひ申しつる御物語申さん。」と、さあらぬ体にもてなし、母の御前を罷り立つ。これを最後と思はれける、幸寿の心ぞ哀れなる。
 その後、児は、一間所に立ち入り、御経読み、念仏申し、一首の歌にかくばかり。
  君がため命に替はる後の世の闇をば照らせ山の端の月
かやうに書き留め、「師匠、同宿、居士の坊へ、数々の形見の文を、参らせたくは候へども、それさへ叶ふべからず。」と、只、文一通に偽り、かうぞ書かれける。「さてもさても、この度罷り下る事、別の子細ならず。その故は、主君美女御前の、満仲の御意に背かせ給ふによつて、自身、御手に懸け給ふを、弔ひ申せと喚び下して候程に、若君の御最後の体を見るに、心も心ならず。余りのいたはしさに、御骨を取り、首に掛け、高野の峯とやらんに思ひ立つて候。三年が間の春秋を送り迎へ、必ず参り、御目にかかり候べき。師匠、同宿、居士の坊へ。幸寿丸。」と書き留め、鬢の髪を少し抜いて、文の奥に巻き込めてこそ置かれけれ。我が文ながら一しほに、名残の惜しさ、限りなし。
 その後、父の御前に参り、「母御にこそ最後の対面、心静かに申して候へ。一間所に文の一通候をば、この年月住み馴れし、寺へ送りて賜び給へ。」と、坪の内に我と敷皮を敷き、たけなる髪を高く巻き上げ、西に向かつて手を合せ、「南無西方極楽世界の阿弥陀仏。殊には我が頼みを懸け奉る、大慈大悲の観世音。願はくは本願を捨てず、我を導き給へ。」と、誠心涼しく見えけるに、父、太刀抜き持つて立ち寄りけるに、目もくれ、心も消え果てて、太刀の打ちども見も分かず。悲しきかなや、春三月の花も、無常の風の吹かざる程、三五の夜の月も、雲の覆はざる程なり。無常の剣を抜き、一度身に触れなば、一期の位を転じて、即ち得脱すべきなり。いづれの人か親と成り、何者か子と生まれ、ためしなき事をもらすべき。命葉落ち易し。秋一時の電光の影の内に、剣を振ると見えしかば、首は前へぞ落ちにける。
 かねて思ひ設けたる事なれば、初めて騒ぐに及ばずとて、若君の御直垂を申しおろして首を包み、満仲の御前に参り、「御意背きがたきによつて、御首をこそ賜はつて候へ。今は、御本望を遂げさせ給ふ上、御腹、居させ給へ。あら、御情けなの御所存や。」と申しもあへず、首を御前に置き、直垂の袖を顔に押し当てければ、満仲、御覧じあへず。「いしう仕つたり。今こそ気は散じて候へ。さりながら、首をば汝に取らするぞ。良きに孝養し、跡をば弔うて得させよ。」とて、御内に入らせ給ひければ、その後、首を取り、我が宿所に帰り、女房を呼び出し、詳しき事を語り、幸寿が首を見せければ、母は幸寿が首を見て、やがて消え入り、物言はず。それ、窈窕たる紅の顔ばせ、花にそねまれし姿も、夕の風に誘はれ、嬋娟たる翠の黛、月に妬まれし形も、暁の雲に隠れ、会者定離は人間の習ひ。生死無常の理は、様々多しと申せども、取り分き哀れなりけるは、幸寿が事にとどめたり。
 ややあつて母御前は、落つる涙の暇よりも、「さればこそ、幸寿。寺より下り、さこそ悦ぶべき身が、我を見て泣きし程に、不審を立てて候へば、異国の事を語り出し、みづからが心を慰めしを、夢にもみづから知らぬなり。たとへば御主の、命に代はるべき事を、みづからいかでとどむべき。かくと知らするものならば、共に介錯して、最後の体を見るならば、か程にものは思ふまじ。情けなの仲光や。」と、首に抱き付き、伏し沈みてぞ泣きにける。
 折節、美女御前は、物越し近く御座ありけるが、幸寿が最後の由を聞こし召し、際の障子をさつと開け、立ち出させ給ひて、「何と申すぞ、夫婦の者。幸寿を切る程ならば、何とて美女が首をば打たぬぞ。幸寿を切らせ、我、浮世に永らへ、誰に面を合はすべき。」と、思ひ切らせ給ふ御色を見て、夫婦の者が参り、御守り刀を奪ひ取り、「今日よりも、不用の御心中を留め、学問よきに召され、幸寿が菩提を弔ひて御取らせ候へ。さらば、御急ぎ候へ。」とて、人目を包む事なれば、夜に紛れ、多田の里を出、都に着く。「ここは人目も繁し。」とて、天台山の麓、十禅師の御前に御伴申す。
 「この神慮の御計らひとして、いかならん碩学の人にも御付きあつて、学問召され候へ。いかに若君、聞こし召せ。それ、天竺に獅子と申すは、獣の中の王なり。かの獅子、年に三つづつの子を産む。生まれて三日と申すに、一万丈の巌石を落としてみるに、損ぜず破れざるをば子とし、空しく成るをばそのままなり。かかる獣までも、子をば試す習ひあり。若君を御勘当候事を、恨みとばし思し召され候な。御暇申して、若君。」美女御前は聞こし召し、「早、帰るか、中務。浮世は車の輪の如く、命の内に今一度、巡り会ふべき由もがな。名残惜しや。」と宣ひて、遥々見送りたゝずみ給へば、行く道、更に見も分かず。たまたま言問ふものとては、嶺にさ渡る猿の声も、我が身の上と哀れなり。振り返り振り返り見送りて、後に心はとどまりて、多田の里にぞ着きにける。
 女房を呼び出し、「只今こそ罷り帰りて候へ。あら、面目もなや、女房。なんぼう人の命は捨てがたきものぞ。幸寿が最後の時、とにもいかにもならばやと、千度百度思ひつれども、若君を一まづ落とし申さばやと存ずるによつて、つれなく命長らへたり。今は今生に思ひ置く事、候はず。暇申して、女房。」とて、腰の刀を引ん抜いて、弓手の脇に突き立てんとせし時、女房、刀にすがり付き、「静まり給へ、仲光よ。誰も思ひは劣らぬぞ。まづみづからを害しつつ、その後、腹を切り給へ。げに、まこと、忘れたり。我々なからんその後に、幸寿丸が最後の体、君の御耳に入るならば、いたはしや、若君の、隠れゐておはしますを、探し出させ給ふならば、草の蔭にて幸寿丸、歎かん事も無残なり。しかるべくは中務、自害を思ひとどまりて、我々夫婦、一筋に念仏申し、幸寿が菩提を弔ひて取らせなば、などかは得脱ならざらん。かやうに申せばみづからが、命を惜しむに似たるべし。ともかくもよきやうに計らひ給へ。」と言ひければ、思ひ切りぬる道なれども、至極の道理に中務、自害を止まりけるとかや。これは、多田の里の事。
 さても美女御前は、十禅師の御前に、まことに東西をも弁へさせ給はず。誰に付いて学問し、何と成り給ふべき方もなく、只茫々として御座ありけるが、まことに十禅師の御引き合はせかとおぼしくて、山よりも恵心の僧都、参社ましましけるが、美女御前を御覧じて、「あら、いつくしの少人や。当山にては、いまだ見参らせたりともおぼえず。国はいづくの国、御里はいかやうの人にてましますぞ。」と尋ね申させ給へば、美女御前は聞こし召し、「これは、幼少にて親に後れ、賤しき一人身にて候。」と語り給へば、「それは、いかやうの人にてもおはせよ、それそれ、御供申せ。」とて、同宿達に御手を引かせ、我が坊に置き奉り、かくて年月積もり行けば、蛍雪の窓の前には臂を引き、天台止観の門に心を照らし、鑽仰の室内には、円頓実相の観念に底を極め、御歳十九と申す時、正法念誦経を読み給ひけるが、傍らにうち向かひ、さめざめと泣き給ふ。
 僧都、御覧あつて。「あら、軽忽や。児は、何を泣き給ふぞ。」と問ひ給へば、「さん候。この御経を見候に、『親に不孝の子は、阿鼻地獄を出ず。』と候程に、それを泣き候。」と仰せければ、僧都、聞こし召されて、「不思議の事を宣ふものかな。御身は、『幼少にて親に後れ、賤しき一人身にて候。』と、まさしく語り給ひしが、今更、不孝と仰せらるるこそ、心得がたう候へ。」「あう、今は何をか包み候べき。学問もせず、余り不用に候ひしによつて、親の不興を蒙りたる身にて候。」「さて、親は、いかやうの人にておはしますぞ。」「摂津国多田の里に、満仲と申す人の子にて候。」と語り給へば、「あう、さればこそかねてより、只人ならず御姿を、見参らせて候ひしか。さては音に承る多田の満仲の、御若君にて御座ありけるを、今まで存じ申さぬこそ、愚僧が不覚で候へ。これに付けても、学問をいかにも召され候へ。御勘当の御事をば、源信参りて、乞ひ許し申さん。」とて、十九の年、御髪下ろし、恵心院の円覚とこそ申けれされば、止観の窓の前には、一実中道の月を澄まし、又、忍辱の衣の袖に、四曼相応の花を包みて、終に天台円宗の奥蔵を究め給ひて、御年二十五と申すに、師匠恵心の御供して、多田の里へぞ下られける。
 昔の買臣は、錦の袴を着てこそ故郷の人に見えぬると、承りて候が、今の美女御前は、錦にまさる墨染の衣を召されて、故郷に帰り給ひけり。まづ中務が所へ立ち寄らせ給ひて、案内を仰せければ、仲光、急ぎ罷り出、若君の御姿をつくづくと見参らせ、余りの事の嬉しさに、暫しは物を申さず。ややあつて中務、流るる涙を押しとどめ、「あら、めでたの若君の御姿や候。これにつけても、幸寿が事をこそ思ひ出されて候へ。かねてよりも御法体の御姿を、御望みにて候ひし間、やがて御対面候べし。御機嫌を伺ひ申さん。」とて、満仲の御前に参り、若君の御事をば、何とも申し出さずし、「この北嶺に聞こえ給ふ恵心の僧都、御対面のそのため、只今御来臨。」と申す。
 満仲、聞こし召されて、「あら、思ひ寄らずや。急ぎこなたへ申せ。」とて、僧都を請じ奉り、やがて御対面あり。「初対面に、かやうの事を尋ね申せば、何とやらん、憚り多く候へども、我等如きの大悪逆の俗は、何として後生を助かり、極楽に往生すべく候や。」と尋ね申させ給へば、僧都、聞こし召されて、「それ法華の名文に、『大通知勝仏、十劫坐道場、仏法不現前、不得成仏道。』と説かれたり。仏も未だ出世し給はざる時は、成仏も無く、咎も無し。一念未生以前には、無生無死にして、成仏の直道にあらず。人の教へによらず、只、我と思し召すべきなり。一偈聞法の功徳は、倶胝劫の善根たり。およそ他生、曠輪なるべし。尤も仏道の便りあり。殊更、弓箭を取り給ふとも、合戦の道までこれを思し召さば、『一念浄戒の源に立ち帰つて、衆罪は草露の如く消えて、即身成仏たるべし。』と、『玄疏』といふ物に見えて候。」と述べ給へば、満仲、喜悦の眉を開き、「さては、弓箭を取り候とも、一心の向けやうによつて、極楽に往生すべく候や。」と、御悦びは限りも無し。
 時しも頃は、九月十三夜の明月、隈もなかりしに、山ありと知らする鹿の遠声も、心すごく聞き成して、千種にすだく虫の音までも、我あり顔にもの哀れなる折からに、円覚、尊き御声にて、「寂寞無人声、読誦此経典。我爾時為現、清浄光明身。」と、高らかにあそばせば、まことに人倫の住所なりと言ふとも、寂寞にして人の声も無し。四明の洞にはあらねども、読誦の御声は、梵天、忉利天の、雲の上にも聞こゆらん。尊しと申すも余りあり。心のあるもあらざるも、袖を絞らぬ人ぞ無き。
 満仲は、まこと殊勝に思し召し、僧都を暫しとどめ申させ給へば、「これは、日を指して勤行の子細の候。又こそ参り候はめ。明日帰山あるべし。」と仰せければ、「さらば、御弟子の御僧を、一七日とどめ申したく候。」と仰せければ、僧都、聞こし召し、「幼少よりも、身を離さぬ弟子にて候へども、御経御聴聞のためならば、一七日はとどめ置かるべく候。御用過ぎなば、本山へ送りて賜べ。」と宣ひて、御勘当の御事をば、何とも仰せ出されずし、翌日、僧都は御登山ある。
 円覚、一人とどまつて、七日、御経あそばす。満仲、仰せられけるは、「さもあれ貴方は、いかやうの人にてましますぞ。某も、御年の程の子を持つて候ひしが、学問もせず、余り不用に候ひし間、侍に申し付け、首を討つて候へば、今更後悔仕れども、そのしるしも候はず。これに候女は、その子が母にて、別れを悲しみ、御覧ぜられ候へ、両眼を泣き潰して候。何とやらん、御姿を見奉るに、その子に似させ給ひて候事よ。なう。いかに、御台、聞こし召せ。この程、御経あそばされ候御僧こそ、ありし美女に少し似させ給ひて候へ。」と仰せければ、御台、聞こし召されて、「懐かしや候。今より後は、させる御用候はずとも、常には立ち寄らせ給ひ、御経あそばし、みづから慰めて賜はり候へ。」
 円覚、聞こし召し、「さては、我が不用によつて、母の盲目と成らせ給ふ事よ。さこそ仏神三宝も、吾を憎しと思すらむ、罪障の程こそ口惜しけれ。」と、発露涕泣ましまして、祈念申されける事こそ殊勝なれ。「南無霊山世界の釈迦善逝、法華守護三十番神、本山護擁山王十禅師。仏法の威力、霊験、地に落ち給はずは、母の盲眼を忽ち開かしめ給へ。『我見灯明仏、本光瑞如此。』」と、この文を唱へ、肝胆を砕き祈られければ、誠に仏神も、不憫に思し召さるるか。本尊の御前よりも、金色の光立つて、北の御方の頂を照らし給ふ。満仲、大きに驚き、「なう、あれあれ、御覧候へ。本尊の御前よりも、金色の光の立たせ給ひて候。」と仰せありければ、北の御方、聞こし召し、「それは、いづくに候。」と御覧じければ、ありがたや。目しひて久しき両眼、忽ちぱつと開きけり。奇特なりとも中々、申すばかりもなかりけり。
 満仲夫婦、御手を合はせ、「あら、殊勝や。まことに、生き仏にて御坐ありけり。」と、恭敬礼拝し給へば、円覚、座を去つて、恐れを成し給ふ。満仲、御覧あつて、「なう、忝や。何しに御座を去らせ給ふぞ。」円覚、聞こし召されて、「さん候。釈尊、御説法の砌、父浄飯大王の、御聴聞に出させ給ひし時、仏だにも蓮華座を去り給ふ。ましてや我等は賤しき僧。いかで恐れを成さざらむ。」満仲、聞こし召されて、「あら、愚かの仰せや。それは、親子の礼儀。これは、他人の事なれば、何かは苦しく候べき。」円覚、聞こし召されて、「今は、何をか包み候べき。我こそ美女にて候へ。中務が情けにより、我が子の幸寿を切り、我をば助けて候ぞや。かの僧都に付き奉り、不思議にかかる身と罷り成りて候。」と語り給へば、満仲夫婦、円覚の衣の袖にすがり付き、「これは、夢かや。夢ならば、覚めての後をいかがせん。」まことはうつつなりければ、嬉しさ、類ましまさず。
 「さればこそ良き郎等には、別して恩を与へ召し使ふと、申し伝へて候が、中務が情けをば、生々世々に忘るまじい。」と宣ひて、急ぎ夫婦を召され、「やあ、これこれ。見よや、夫婦の者。今より後は美女御前を、汝等夫婦がためには、幸寿丸と思ふべし。後生の事をば頼もしく思へ。」とて、満仲も北の方も、中務夫婦の者、円覚に抱きつき給ひ、嬉しき今の涙には、ひとしほ濡るる袂かな。およそ九万八千町の、御領を半分分け、仲光に宛て行はせ給ふ。幸寿丸が菩提を弔はむため、少童寺といふ寺を建て、本尊には児文殊を、作つて獅子に乗せ給ふ。
 法華といつぱ、弥陀会上法万徳の位。三世の諸仏出世の本懐は、衆生成仏の直道なり。経にあらはす時は、妙法蓮華の五字につづめ、名に説く時は、南無阿弥陀仏の六字に摂す。或いは五劫思惟の遺思の経を、六字の名につづめて、十劫正覚の果得、一念称念の衆生に施すと見えたり。思惟といつぱ、坐禅の異名。天台には止観と説き、真言には実相教相と宣うたり。法相、三論には、空有の二有の二相に関はる。究竟虚融の名詮も、皆これ、一実無相の開顕にしかず。只、「止ゝ不須説、我法妙難思。」と観ずべし。妙楽大師の御釈に曰く、「諸教所讃多在弥陀、故以西方而為一準。」唯心の弥陀、己身の浄土なれば、「本来無東西、何処有南北。」と聞く時は、いかにもして声に出して、念仏を申すべし。阿弥陀は本来の面目なり。十万億土も隔てず、我等が方寸の内、歴々として分明なり。元より方角無し。多念清浄たり。豈色相に預からんや。元より法華と念仏は、一具の法門なり。されば、古仏の伝に曰く、「昔在霊山名法華、今在西方名弥陀。濁世末代名観音、三世利益同一体。離取捨。」と云々。いかにとして法華と念仏、格別に心得べき。只、生死は春の夜の夢の如し。真如の月は、本より明白たり。他人の寿命を借つて、自身の命を継ぐ。迷ひの前の是非は、是非共に非なり。悟りの前の是非は、是非共に是なり。自他一如たり。
 分明なるかなや、先に死する幸寿、後に死する美女御前。今は早、名のみばかりぞ残りける。されば、空也上人の一首の歌に、かくばかり。
  世の中に一人留まる者あらばもし我かはと身をや頼まん
と詠じ給ひけるとかや。東方朔の九千歳、鬱陀羅の八万歳も、名のみばかりぞ残りける。非想八万劫。運洞が眠りも只、夢の世の内なり。満仲の御心、法のために企て、罪障の流れを汲み、菩提の道明らかに、子々孫々も繁昌し、天下を保ち給ふ事、千秋万歳の源を、顕はし給ふものなり。はた又、かやうに義を重んじ、命を軽くし、名を後の世に残し置く、幸寿丸が心中、上古も今も末代も、こや、ためしなかるらむ。人々、申し合ひにけり。

    于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)

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満仲
(毛利家本)

夫竊に以るに。覆て外なきは天の道なり。載てすつる事なきは地の徳なり。始清くしてすめるものは昇て天となり。おもくして濁るものは降て地と成る。中央は人たり。是よりして君臣の道行るゝものか。凡仁王五十六代の帝を。清和天皇と申たてまつるに。王子六人おはします。陽成院貞秀の親王。かの貞元の親王は琵琶弾にておはします。桂の里に住玉へは桂の親王とも申す。貞衡の親王貞義の親王。貞純の親王とて兄弟六人おはします中にも第六。貞純の親王の御子を六孫王と申す。六孫王の御子をは田多の満仲とこそ申しけれ。そのころ源の姓をたまはらせ玉ひ。上野守と申たてまつつて。弓箭をとつて天下にならふ人ましまさず。頗朝家の御守りとし。朝敵をほろほし。国をしたかへ給ふ事。ふる雨の国土を潤すににたり。正理の薬をもつて訴訟の病ふをいやし。憲法の灯をかゝけ愁歎の闇を照す。然間人敬叓限りなし。爰に満仲思しめしたち玉ふ事あり。夫生死のならひ有為転変の理りわ。皆夢幻の世の中なり。此娑婆の定命思へは纔に六十年。下天の堯老少不定の夢なり。ゆくすゑとても夢ならさらんや。松樹。千年の緑も霜ののちの夢と終に。さむへし。いかにいはんや槿花一日の栄も露の間のみ保ちかたし。朝には紅顔有て世路に誇といへとも。暮には白骨と為て郊原にくちぬ。よひには楼月を。翫といへと。暁は。別離の雲にかくれり。纔なる世中に。なにゝ。心をとゝめてか徒に。あかしくらしなむ。たとひわれ今生にてかく弓箭を取て。人に怖れらるゝといふとも。真の道におもむかんときは。数千人の眷属一人もつき随ふへからす。唯無常の殺鬼にをつたてられ。阿防羅刹に呵責せられむ事のくちおしさよ。仏法にちかつき。三宝をうやまはむとおもへは。弓箭の道緩く成へしとは思しめされけれとも。思ひ立給ふその御心すてかたくて。あるたつとき聖人のまします。庵室に入てのたまひけるは。われらこときの衆生は。何として後生を資り候へきとたつね申させ玉へは。上人聞し召れて。賢くも御尋候物哉。最も出家のしるしには。左様の事をこそうけたまはりたく候へ。夫欽明天皇の御代より。仏法我朝にわたり。上宮太子守屋をうちしたかへ玉ひしより以来。仏法繁昌の今にをひて崇敬他に異なり。爰に法華経と申て。八軸の金文の候か。無二むさんのほうもむにて候。伊にちくうし。結縁し玉ふへしと仰けれは。満仲聞しめされて。扨法華妙典の本釈を。仏はなにとか説玉ひて候らむと尋玉へは。上人聞し召れて。それ法花は。貪瞋癡の三毒より。われら衆生の仏性はまさに出生すと見えたり。濁水淤泥の中よりも。法の蓮を開出す。塵労妄想は無作の覚体なり。これによつて一代。八万の花は。五時の春に開け。三諦即是の月は。八教の龝にあきらかなり。弓箭。刀杖に携り。殺人刀活人剣。みな一念のうちなり。生死即涅槃。煩脳即菩提ととけり因も智も。みなこれ無常の妙行なり。浄土も穢土も本来。空寂なりとかや。譡も此御経は。釈尊四十余年の説教の後。八ヶ年に真実の相をあらはし給ひて候なり。然者此御経に。現世安穏後生善処と説き。又は若有聞法者。无一不成仏と宣たり。一偈聞法の力は。五波羅蜜の行にもすくれ。五逆の調達は。たうらい作仏の記莂をうけ。八歳の龍女も。南方無垢世界の成道をとけたり。いかにいはんや弓箭をとり玉ふ事も私ならす。王法仏法の外護。国家を守り民をはこくみ給はん為なり。一殺多生の功徳有へし。仏も悪魔降伏し玉ふ経あり。在俗の身にて御座有りとも。御心のむけやうにこそより候はんすれ。彼天竺の浄名居士。我朝の聖徳太子も。在家にましましなから仏法修行し玉ひぬ。十悪五逆の輩も。須臾の念によつて。無数劫の罪障を。消滅すへき事は。うたかひなく。候なり満仲とこそ。仰けれ。満仲聞しめされて。あら殊勝や候。さらは結縁の為に。法華経を一部伝授申度候と仰けれは。上人聞し召れて。子細にをよはす授け申へし。此御経を。釈尊説玉ひし時は。草木国土悉皆成仏と見えたり。即身成仏は。疑ひさらに候ましひと。程なく一部伝授し玉ひけるとかや。有時満仲思しめされけるは。夫人の一大事は後生に過たる事そなき。所詮子を一人出家になし。後生をとはれはやとおほしめし。美女御前と申て。十二歳に成玉ふ若君をめして仰けるは。汝をふかくたのむへき子細ありそのゆへは。寺へ上て学問し出家になり。われらか後生を吊ひてたへと仰けれは。美女御前は聞しめし。あらなにともなや。弓馬の道にうまれては。左様の事をこそ心に懸て思ひしに。今さらわか身にあたつて。承る事の無用さよとはおほし召れけれとも。ちからなくりやうしやうを申させ玉へは。やかて仲山といふ寺へのほせ給ふ。其時満仲仰けるは。喃いかに美女御前。学問の最初に。法花経をよく読覚てのち。万の経をしるへしと。御約束ありけれは。やすやすと領掌を申て。寺へはのほらせ玉へとも。御経あそはさむ事は中々。おもひもよらす無量の。木の皮をはきあつめ万の藟を以てくさり。鎧腹巻なんとゝいひ。木長刀木太刀を作り他坊の児をかり催し。飛越はねこえ。はやわさすまひちからわさ。かゝる武芸のまねならては。一向よるひるたゝ天狗のやとりのことくなり。師匠同宿教訓すれは結句却而打擲す。寺一番の悪行は此若君一人のいや張行なりとそ聞へける。満仲はかゝる不用の御事をは夢にも思しめしよらす。今ははや美女御前。経をは能読覚てそ有らむに。喚下しよませ聴聞せはやとおほしめし。藤原の中務。仲光と申す侍を御使にて喚下し玉ふ。児おほしめす。あら何ともなや。此二三ヶ年の間に。終に御経の一字をも習はす。里にくたる物ならは治定法花経よめと仰らるへし。いかゝはせんとおほしめすか。今さらならふにをよはすとて。多田の里にくたりたまふ。満仲やかて御対面有り。ねんなう成人候者かな。扨も扨も約束申せし御経を読覚てそ有らむ。それそれ誦せ申せ聴聞せん。承と申て。紫檀のふつくゑに。八軸の金泥の御経を双て御前にこそをかれけれ。兼て申定し叓は是なり。あそはせちやうもんせんと仰けれとも兎角返叓もし玉はす。満仲御らんして。喃何とて経をはあそはさぬそ。是非一字も読損して。某恨み玉ふなと。膝の上に太刀ぬきかけて。はやはやよめとそ仰ける。痛はしや美女御前は。終に一字も。習はぬ経の事なれは。繙とくまてもましまさす。赤面してこそおはしけれ。満仲御らむして。憑験のなきやつを。角祚こそ計ふへけれと抜打にちやうとうち玉へは。此程寺にてならはせ給ひたる。早態のしるしに。机の上なる。御経一巻をつとつていや張良か。一巻の書と名付。疾外と合せ居なからうしろへひらりと飛。電天火蜉蝣蜻蜓螂飛鳥なんとのことくにはやちらりとうせて見え玉はす。満仲大に忿せ玉ひ。仲光を召れ。汝此太刀にて。美女か首を討てまいらせよとて。やかて御重代の御帯刀をいたさせ給ふ。仲光はあまりの御事にて候ひし間。兎角御返事にをよはすかうへを地につけ赤面す。満仲御らんして。いかさま汝は異儀に及か。是非討てまいらせすは。今生後生。不忠の者にて有へしと大に忿り玉へは。重て辞退を申しあしかりなんと存。畏て候とて。御帯刀を玉はり。我宿所にまかり帰る。あゝら痛はしや美女御前は。仲光か門の内に御坐あり。世に面目なけなる風情にて。彳み玉ふ所へまかりかへる。直垂の袖にすかりつき給ひ。兼てより御内におほき侍の中に。取分て汝をこそ憑母敷おもひつれとて。覚々と涕玉へは。正に御討手につかはされけれとも。あまりの痛はしさに。何とてそれに御坐候そ。こなたへ御入候へとて。いそき内へいれ奉て仲光申す。𨒚も𨒚も御内におほき侍の中に。誰にも仰つけられすして。なにかしに御討手を玉はつて候事は。偏に御命の助り玉ふへき故也。たとひわか首をはうたれ申共。御命にをひてはたすけ申へく候と申所へ。満仲の御方より重て御使たち。何とて美女か首はをそなはりたるそ。東はあくるつかるのはて。西は櫓械のとゝかんするほと。天下のそのうちを。撏し求て討へし。利く討てまいらせよとて重々の御使たつ。仲光承り。荒なにともなや。扨は御命に替り申て某腹を切たりとも。若君の御命の助り玉ふ事あらし。さあらん時は何もむやく成へし。さてなにとすへきそや。正にうてと仰らるゝは三代相恩の主君。又助よと仰らるゝも。主君にておはします。とやせん角や。あらましと。書集たる藻塩草。身体爰に。窮て是非をもさらにわきまへす。所詮おもひいたしたる事あり。此若君と御同年にまいりあふ子一人あり。名をは幸寿丸といふ。九つのとし寺へのほせ。学問させ候か。ことし十五にまかりなる。此者を喚下し。御命にかへはやとこそおもはれけれ。然るに彼幸寿の心たて。世に柔軟にして神妙なりけれは。師匠同宿もおほくある児の中には一大事とそおもはれける。大かた姿尋常にし。楊柳よりも娥かなり。膚は白雪のことし。恰十五夜の月のことく。一たひ咲は百の媚あり。学問世にすくれ。ならひなき児学匠の名を得たり。殊には詩歌綰絃の道にちやうし。しゆえむゆうけう人にすくれ。然間一寺のそうきやう或は。心を高根の。月にかけ。おもひを志賀の。浦浪によせさりけるはなかりけり。一樹の花を見ては。みな我家のひかりを。あらそふことく也。凡心さしは。さむかくのことく。儀は黄金よりもなをかたし。半夜の鐘のこゑ。暁の別をうらむ。一旦の芳真は彼も是もたゝおなし。いつも心に詩を作り。哥を詠して。閑居に。日月を送り玉ひけり。かゝるゆうなる児のかたへ迎をのほせ。ちつと申し談すへき子細の候。急き下られ候へといへは。幸寿丸此六七年のあひた。父母に向顔も申さす。内々こひしくおもふ所に。迎ののほりたりけれは嬉しさたくひなふして。師匠同宿にいとまをこふて。やかて里に下る。父仲光は門に立てまつる。児父を見付。うれしけにて馬よりおり。あゆみよりける質こつから。礼儀したる風情をとなしやかなりけり。父つくつくと是を見て。あらむさんやか程まて。そたてをきたるしるしもなく。唯今我手にかけん事の。ふひむさよと。おもへはしのひの泪せきあへす。角てもつゝむへき事ならねは。汝を唯今喚くたす事別の子細ならす其故は。主君美女御前の。満仲の御意にそむかせ玉ふに依て。なにかしに御討手をたまはつて候所に。若君のたのふて御入候へは。何として情なくうちたてまつるへきそ。いかにもして御命をたすけ申さはやと存る。それ儀を重くして命を軽くす。さかへにのそむて。かはねを土中にすつる事は君臣のはうなり。君は臣を仕に恩を以てし。臣は君に叓へるに。儀を守て身をおしまさるは忠信の法なり。恩にそくするしんかつゐに一度は。主君の御命に替るへきものなり。親に孝ある子は。身を捨て菩提を吊へといふ事あり。汝此間寺にての学問の験に。定て此むねをは存しつらむ。面目もなき申事なれとも。あはれ御命に替り申てたへかしとおもひて喚くたしたるそといへは。幸寿丸聞あへすにつことはらひ。嬉しくも承り候ものかな。弓取の御子と生れ候よりも。主君の御命にかはるへき事をはおもひまふけて候。一には御命に替り申。又は親のこめいに。したかはんする事こそ幸にて候へ。はやはや首をめされ。美女御前をたすけまいらさせ玉へ。身の命にをひては露ほともおしみ申ましひ。夫鴛鴦のふすまをかさねても。身体のやふれさるあひたなり。亀鶴の契りをいたすも。露の命の消さるほと。いつくの里人か。ひとりとして。のこり留り候へき。たゝとくしやうを。かへむこそ身のよろこひにて候へ。さりなから少の御いとまをたひ候へ。母にて候人に。さいこの対面申たく候といへは。仲光聞て泪をなかし。あら不便の申事や。いそきたちこえ対面あれ。かまへて此事を。母にしらせてたふなといへは。其時幸寿腹をたて。扨はみれんしこくの者とおほしめし御限り候か。そこの程をは御心安おほしめせと。さもけなけに申なし。母の御前にまいり。母をみたてまつつて軈而泪をなかす。はゝ此よしを御らむして。あら珍しの幸寿丸や。この六七年のあひた寺に居。たまたまくたり。さこそよろこふへき身か。我を見て啼事よと仰けれは。幸寿丸おつる泪ををさへてとりあへす申。さん候かのもろこしの漢王。ここくをせめさせ玉ひし時。かうせい将軍を太将軍とし。百万騎をそつし。ここくへつかはされたりけるに。合対既に十二ヶ年経て。終に軍にうちかつて。古郷へ引て帰るとき。とくしやうの都をはよ所に見て。母のまします所へゆき。母を見たてまつつ軈而泪をなかす。母此由を御らんして。是ほと軍にうちかつて。喜ひにてのほる人の。何のうれい有てなき給ふそととひ給へは。さん候ここくへまかりむかひし時は。白き御くしも見えさせ玉はさりしか。今幾程かなき間に。御くし漸々白妙に見えさせ給ひ候ほとに。それをなき候と申されなけれは。将軍のはゝきこしめされ。身につもる年月をぬしたにも思はぬに。親のよはひのかたふき老の浪をよせ。末のちかく成を見てなく叓よと。哀にも嬉しくもおもはれけると。あるふみに見えて候を今さらおもひ出されて候。寺へ罷上りし時はくろくわたらせ給ひし御くしの。漸々白妙に見えさせ玉ひ候ほとに。今幾ほとか見まいらせんとかなしくて。ふかくの泪をなかすなり。偽り申たりけれは母は誠とおほしめし。不便の者の申事やけに子にてなくは何者か。母か髪の。しろくなるをはかなしむへき。ましてなからん後の世を。とはれん事のうれしやと。たゝいまさきにたて玉はん。事をはしろしめされすし。よにたのもしく。おもはれける母の心そ。いたはしき。其後幸寿申けるは。いましはらく候ひて。御物語申度は候へとも。誠やらん主君美女御前の。満仲の御意にそむかせ玉ひて。是に御座のよしを承る。卒度参御目にかゝり。此年月離れ申し。恋しくおもひ申つる。御物語申さんと。さあらぬ体にもてなし。母の御前を罷立つ。是を最期とおもはれける幸寿の心そあはれなる。其後児はひとる所に立いり。御経よみ念仏申一首のうたにかくはかり。君かため。命に替る後の世の。闇をはてらせ山の端の月。か様にかき留め。師匠同宿居士の坊へ。かすかすの形見の文をまいらせたくは候らへとも。それさへかなふへからすと。たゝ文一通に詐りかうそかゝれたる。扨も扨もこのたひ罷下る叓別の子細ならす其故は。主君美女御前の。満仲の御意にそむかせ給ふに依て。自身御手にかけ玉ふを。吊ひ申せとて喚下して候程に。若君の御最後の体を見るに心も心ならす。あまりの痛しさに御骨をとり首にかけ。高野の峯とやらんにおもひたつて候。三とせか間の春秋を送りむかへ。必まいり御目にかゝり候へき。師匠同宿居士の坊へ。幸寿丸とかき留め。ひむの髪をすこしぬひて。文のおくに。まきこめてこそをかれけれ。わかふみなから。一入に名残のおしさ。限りなし。其後父の御まへにまいり。母こにこそ最後の対面心静に申て候へ。ひとま所に文の一通候をは。此年月すみなれし。寺へ送りてたひ玉へと。つほのうちにわれとしきかはをしき。たけなる髪をたかくまきあけ。にしにむかつて手をあはせ。南無四方極楽世界の阿弥陀仏。殊には我たのみをかけたてまつる大慈大悲の観世音。願くは本願をすてす。我を導き玉へと誠心すゝしく見えけるに。父太刀ぬきもつて立寄けるに。目もくれ。心も消はてゝ。太刀のうちとも見もわかす。悲き哉や。春三月の花も。無常の風の。吹さるほと三五の夜の月も。雲の覆はさるほとなり。無常の剣をぬき。一度身にふれなは。一気の位を転して。即得脱すへきなり。いつれの人か親となり。何物か子と産れためしなき事をもらすへき。命葉おちやすし。秋一時の。電光の影のうちに。剣をふると。見えしかは首は前へそ。おちにける。兼てよりおもひまふけたる事なれは。始てさはくに及すとて。若君の御直垂を申おろして首をつゝみ。満仲の御前に参り。御意背きかたきに依て。御首をこそ給はつて候へ。今は御本望をとけさせ給ふうへ御腹ゐさせ玉へ。あら御情なの御所存やと申もあへす。首を御前にをき。ひたゝれの袖を顔にをしあてけれは。満仲御覧しあへす。いしうつかまつつたり。今こそ気はさんして候へ。さりなから首をは汝にとらするそ。よきに教養し。跡をはとふて得させよとて御内にいらせ玉ひけれは。其後首をとり我宿所に帰り。女房をよひいたしくはしき事をかたり。幸寿か首をみせけれは。母は幸寿か首をみてやかて消入物いはす。夫容窕たる紅の顔せ。花に猜まれし質も。夕阝の風にさそはれ。嬋娟たる翠の黛月になたまれし形も。暁の雲に隠れ。会者定離は人間の媟。生死。無常の理りは。さまさまおほしと申せとも。とりわきあはれ。成けるは幸寿か事に留めたり。良有て母御前はおつる涙のひまよりも。されはこそ幸寿寺より下り。さこそ悦へき身か。我をみてなきし程にふしんをたてゝ侍らへは。異国の事をかたり出し。自か心をなくさめしを。夢にも身つからしらぬなり。たとへは御主の命に代るへき事をみつからいかて留むへき。角としらする物ならは。ともに介妁して。最後の体を。見るならは。かほとに物はおもふまし。情の仲光やと。首にいたきつき伏沈てそ。なきにける。折節美女御前は。物こしちかく御座有けるか。幸寿か最後のよしを聞しめし。際の障子をさつとあけ。立出させ玉ひて。何と申すそ夫婦の者。幸寿を切程ならは。何とて美女か首をはうたぬそ。幸寿を切せ我うき世になからへ。誰に面を合すへきと。おもひ切せたまふ御色をみて。夫婦の者か参り。御守り刀を奪取り。今日よりも不用の御心中を留め。学問よきにめされ。幸寿か菩提を吊ひて御とらせ候へ。さらは御急ぎ候らへとて。人目をつゝむ事なれは。夜にまきれ多田の里をいて都につく。爰は人目も繁しとて。天台山の麓。十禅師の御前に御伴申。此神慮の御計らひとして。いかならん碩学の人にも御つき有て学問召れ候へ。いかに若君聞しめせ。夫天竺に獅子と申すは獣の中の王也。彼獅子年に三宛の子をうむ。産れて三日と申に。一万丈の巌石をおとして見るに。そんせす破れさるをは子とし。むなしく成をはそのまゝなり。かゝる獣まても子をはためす狎あり。若君を御勘当候事を。恨とはし思し召れ候な。御いとま申て若君。美女御前は聞しめし。はや帰るか中務。浮世は車の輪のことく。命のうちに。いま一度廻りあふへきよしもかな。名残おしやとのたまひて。はるはる見送り彳み玉へはゆく道更に見もわかす。たまたま叓とふものとては。みねに小渡る猿の声も我身のうへとあはれなり。ふり帰り。ふり帰り見送りて。跡に心は。とゝまりて多田の里にそ。著にける。女房を呼出し。唯今こそ罷帰りて候へ。あら面目もなや女房。なんほう人の命はすてかたきものそ。幸寿か最後の時。とにもいかにもならはやと。ちたひもゝたひおもひつれとも。若君をひとまつおとし申さはやと存るに依て。つれなく命存らへたり。今は今生におもひをく事候らはす。いとま申て女房とて。腰の刀をひんぬひて。弓手の脇につきたてんとせしとき。女房刀に捫付。静りたまへ。仲光よ。誰もおもひはおとらぬそ。先自を。害しつゝ其後腹を切り給へ。実まことわすれたり。我々なからんそのあとに。幸寿丸か最後の体。君の御耳にいるならは。痛はしや若君の。隠れ忍て御座すを。さかし出させ玉ふならは草のかけにて。幸寿丸歎かん事もむさむなり。然るへくは中務。自害をおもひ留りて。我々夫婦一筋に。念仏申。幸寿か菩提を吊ひてとらせなは。なとかはとくたつならさらん。かやうに申せは身つからか。命を惜に似たるへし。とも角もよきやうに。はからひ給へといひけれは。おもひきりぬる道なれとも。至極の道理に。中務自害をとまりけるとかや。是は多田の里の叓。扨も美女御前は。十禅師の御前に。誠に東西をも弁させ給はす。誰に属て学問し。何と成玉ふへき方もなく。唯茫々として御坐有けるか。誠に十禅師の御引合かとおほしくて。山よりも恵信の僧都参社ましましけるか。美女御前を御覧して。荒いつくしの少人や。当山にてはいまた見まいらせたりとも覚へす。国はいつくのくに。御里はいかやうの人にてましますそとたつね申させ給へは。美女御前は聞しめし。是はようせうにて親にをくれ。賤き孤身にて候と語り給へは。それはいかやうの人にてもおはせよ。それそれ御供申せとて。同宿達に御手をひかせ。我坊にをきたてまつり。角て年月積りゆけは。蛍雪の窓の前には臂を㧈き。天台止観の文に心を照し。鑽仰の室内には。円頓実相の観念に底を極め。御歳十九と申す時。正法念誦経をよみ玉ひけるか。傍にうちむかひ。洒々と泣たまふ。僧都御覧有て。あら軽忽や児わ何を泣給ふそととひ玉へは。さん候此御経を見候に。親に不孝の子は。阿鼻地獄を出すと候程に。夫をなき候と仰けれは。僧都聞し召れて。不思義の事をのたまふ物哉。御身は幼少にて親にをくれ。賤き孤身にて候と正く語り玉ひしか。今更不孝と仰らるゝこそ心得かたふ候へ。あふいまは何をかつゝみ候へき。学問もせす。あまり不用に候ひしに依て。親の不孝をかうふりたる身にて候。扨親はいかやうの人にて御坐そ。摂津国多田の里に。満仲と申す人の子にて候とかたり玉へは。あふされはこそ兼てより。唯人ならす御質を。見まいらせて候ひしか。扨は音に承る。多田の満仲の御若君にて御坐有けるを今まて存申さぬこそ。愚僧か不覚て候へ。是に付ても学問をいかにも召れ候へ。御勘当の御事をは。源信参て。乞許し申さんとて。十九の年御髪おろし。恵心院の円覚と祚申けれされは止観の窓の前には。一実。中道の月をすまし又。忍辱の衣の袖に。四曼相応の。花をつゝみて。終に天台円宗の奥相を究玉ひて。御とし廿五と申に。師匠恵心の御供して。多田の里へそ下れける。昔の買臣は。錦の袴をきて祚古郷の人に。見えぬると承りて候か。今の美女御前は。錦にまさる墨染の。衣をめされて古郷に。帰り玉ひけり。先中務か所へ立よらせ玉ひて。案内を仰けれは。仲光急き罷出。若君の御質をつくつくと見まいらせ。あまりの事の嬉しさにしはしは物を申さす。良有て中務流るゝ泪ををし留め。あらめてたの若君の御質や候。是につけても幸寿か事を祚思ひ出されて候へ。兼てよりも御法体の御姿を。御望にて候ひし間。軈而御対面候へし。御機嫌をうかゝひ申さんとて。満仲の御前に参り。若君の御事をは何共申出さすし。此北嶺に聞へ給ふ。恵心の僧都。御対面の其為。只今御来臨と申。満仲聞し召れて。あらおもひよらすや。急きこなたへ申せとて。僧都を請し奉り。軈而御対面あり。初対面にか様の事を尋申せは。何とやらん憚り多く候へとも。我等こときの大悪逆の俗は。何として後生をたすかり。極楽に往生すへく候やと尋申させ給へは。僧都聞し召れて。夫法花の名文に。大通知勝仏。十劫坐道場仏法不現前。不得成仏道と説れたり。仏も未出世し玉わさる時は。成仏と云咎もなし。一念未生以前には。無生無死にして成仏の直道にあらす。人の訓によらすたゝ我と思しめすへきなり。一偈聞法の功徳は。倶胝劫の善根たり。凡他生曠輪成へし。尤仏道の便あり。殊更弓箭をとり玉ふとも。合戦の道まて。是を思しめさは。一念生害の源に立帰て。聚罪は霜露の如く。消て即身成仏たるへしと。源宋と云物に見えて候とのへ玉へは。満仲喜悦の眉を開き。扨は弓箭を取候とも。一心の向様に依て。極楽に往生すへく候やと御悦は限りもなし。時しも比は九月十三夜の。明月阿もなかりしに。山ありとしらする鹿の遠声も。心すこく聞なして。千種に集く虫のね迄も。我あり顔に物あはれなる折からに。円覚貴き。御声にて。寂寞无人声。読誦此経典。我尓時為現。清浄光明身と。たからかにあそはせは。誠に人倫の住所なりと云とも。寂寞にして。人の声もなし。四明の洞にはあらねとも。読誦の御声は。梵天忉利天の。雲の上にもきこゆらん貴しと申もあまりあり。心の有も。あらさるも袖をしほらぬ。人そなき。満仲はまこと殊勝に思しめし。僧都をしはし留め申させ玉へは。是は日をさして勤行の子細の候。亦祚参り候らはめ。明日帰山有へしと仰けれは。さらは御弟子の御僧を。一七日留め申たく候と仰けれは。僧都聞しめし。幼少よりも身をはなさぬ弟子にて候へ共。御経御聴聞の為ならは。一七日は留めをかるへく候。御用過なは本山へ。送りてたへと曰ひて。御勘当の御叓をは何とも仰出されすし。翌日僧都は御登山ある。円覚独り留て七日御経あそはす。満仲仰られけるは。さもあれ貴方はいかやうの人にてましますそ。某も御としの程の子をもつて候ひしか。学問もせす。あまり不用に候ひし間。侍に申付。首を討て候へは。今更後悔仕れとも其しるしも候らはす。是に候女は。其子か母にて別を悲み。御覧せられ候へ。両眼を泣つふして候。何とやらん御質を見奉るに。其子に似させ給ひて候事よ。なふいかに御台聞しめせ。此程御経あそはされ候御僧祚。ありし美女にすこし。似させ給ひて候らへと仰けれは。御台聞しめされてなつかしやさふらふ。今より後はさせる御用さふらはすとも。つねにはたちよらせ給ひ御経あそはし。身つからなくさめて給はり侍らへ。円覚聞しめしさては我か不用に依て。母の盲目とならせ玉ふ事よ。さこそ仏神三宝も。吾をにくしとおほすらむ。罪障の程祚口惜けれと沸露涕泣ましまして。祈念申されける事こそ殊勝なれ。南無。霊山世界の釈迦。善逝。法華守護三十番神。本山護擁。山王十禅師。仏法の威力。霊験地に落玉はすは。母の盲眼を。忽開かしめ給へ。我見灯明仏。本光瑞如此と。此文を唱へ肝胆を砕き祈られけれは誠に仏神も不便に思しめさるゝか。本尊の御前よりも。金色の光たつて。北の御方の頂を照し給ふ。満仲大に驚きなふあれあれ御覧候へ。本尊の御前よりも。金色のひかりの。たゝせ給ひて候と。仰有けれは。北の御方聞しめしそれはいつくに候と御覧しけれは有難や。盲てひさしき両眼。忽はつとひらきけり奇特成共中々申計もなかりけり。満仲夫婦御手を合せ。あら修勝や。誠に生仏にて御坐有けりと恭敬礼拝し給へは。円覚坐をさつて恐れをなし玉ふ。満仲御覧有て。なふ忝や。何しに御坐をさらせ玉ふそ。円覚聞し召れて。さん候釈尊御説法の砌ん。父浄飯大王の。御聴聞に出させ玉ひし時。仏たにも蓮華座をさり玉ふ。ましてや我等は賤き僧。いかて恐れをなさゝらむ。満仲聞し召れて。あらをろかの仰や。それはおやこの礼儀。是は他人の事なれは。なにかはくるしく候へき。円覚聞しめされて今は何をかつゝみ候へき。我こそ美女にて候へ。中務か情により。我子の幸寿をきり。我をは助て候そや。かの僧都につき奉り。不思義にかゝる身と罷成て候と。語り給へは。満仲夫婦円覚の。衣の袖にすかりつき。是は夢かやゆめならは。さめてののちをいかゝせん。まことはうつゝ。なりけれはうれしさ。たくひましまさす。されは祚よき郎徒には。別して恩をあたへ。召仕と申伝へて候か。中務か情をは。生々世々にわするましひと曰ひて。いそき夫婦を召れ。やあ是々見よや夫婦のもの。今よりのちに美女御前を。なむちら夫婦かためには幸寿丸とおもふへし。後生の事をはたのもしくおもへとて。満仲も北の方も。中務夫婦の者円覚に。いたきつき玉ひ。うれしきいまの。なみたにはひとしほ。ぬるゝたもと哉。凡九万八千町の御領を半分わけ。仲光に宛行はせ玉ふ。幸寿丸か菩提をとはむため。少童寺と云寺をたて。本尊には児文殊を作て獅子にのせたふ。法華と曰は弥陀会上法万徳の位。三世の諸仏出世の本懐は。衆生成仏の直道なり。経にあらはす時は。妙法蓮華の五字につゝめ。名にとく時は南無阿弥陀仏の六字にせつす。あるひは五劫思維の遺思の経を。六字の名につゝめて。十劫正覚の果得。一念称念の衆生に施と見えたり。思維と曰は坐禅の異名。天台には止観と説き。真言には自相教相と宣たり。法相三論には。空有の二有の二相に抱はる。恭敬虚要の銘前も。みなこれ一実無相の告現にしかす。唯。止ゝ不須説我法妙難思と観すへし。妙楽大師の御釈にいはく。諸教諸讃多在弥陀故以。西方而為一順。唯心の弥陀己身の浄土なれは。本来无東西何処有南北ときく時は。いかにもして声に出て。念仏を申へし。阿弥陀は本来の面目なり。十万億土も隔てす。我等か方寸のうち歴々として分明也。本より方角なし。佗念清浄たり。豈色相にあつからんや本より法花と念仏は。一具の法門なり。されは古仏の伝に曰く釈在霊山名法華。今在西方名弥陀。濁世末代名観音。三世利益同一体。離取捨と云云。いかにとして法華と念仏。各別にこゝろふへき。たゝ生死は春の夜の夢のことし真如の月は。本より明白たり。佗人の寿命をかつて。自身の命をつく迷の前の是非は。せひともに非なり。悟の前の是非は。是非共に是なり。自佗一如たり。分明成哉や先に死する幸寿。後に死する美女御前。今ははや名のみ計そのこりける。されは空也上人の一首の歌にかく計。世の中にひとり留まる者あらは。もし我かはと。身をやたのまんと詠し玉ひけるとかや東方朔の九千歳。宇筒等の。八万歳も名のみはかりそのこりける。非相八万劫。運洞かねふりもたゝ夢の世のうちなり。満仲の御心。法の為にくはたて罪障のなかれをくみ菩提の道あきらかにしゝそんそんも繁昌し天下をたもち玉ふ事。千秋万歳のみなもとをあらはし玉ふ物なり。将又か様に。儀をおもんし。命をかろくし名を後の世に残しをく。幸寿丸か心中。上古も今も末代も。こやためしなかるらむ人々申あひにけり。

    于時元和四年五月吉日
桃井 幸若小八郎大夫 安信(花押)

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鎌田
(毛利家本)

 源氏左馬の頭義朝は、待賢門の夜軍に駆け負けさせ給ひ、東国さして落ち給ふ。ここに、せんぞくかかけにて、横川法師の大将おほやのちうきが放す矢を、進朝長の弓手の膝口に受け止めさせ給ひ、その御手、大事にて、美濃国青墓の長者に着かせ給ふ。長者、急ぎ立ち出、義朝の御目にかかり、「さて朝長は、御供かきかまほしや。」とありしかば、義朝、聞こし召されて、「『大事の手負、最後の際。』と言ふならば、長者の歎き、深かるべし。」と思し召し、「さん候。朝長をば、悪源太とうち連れ、鎌倉へ遣はして候。明年の夏の頃、必ず具して参るべし。」と、深く包ませ給ひ、その後、鎌田を召され、「いかに、正清。朝長が体を見よ。尾張をさして、ひとまづ落つべきにてもあうやらん。詳しく問へ。」
 鎌田、承り、中宮大夫進朝長に参り、「明日は、都より討手の参り候べし。夜半に紛れて、一まづ落つべきにてもましまさば、御伴召され候へ。」と申す。朝長、聞こし召し、「御供申したくは候へども、痛手、薄手に七ヶ所の手負。五体安からねば、御供申しがたし。」「さあらば、平家の者どもに、かき頸なんどにせられては、骸の上の恥辱たるべし。只々、腹を切りなん。」と、御返事を申させ給ひ、やがて鎌田召され、「いかに、正清。弓箭に携はり、箕裘の家と言ひながら、自害をいまだ知らぬなり。いかやうにするものぞ。詳しく申せ。」鎌田、承り、「さん候。それ自害と申すは、十方浄土とは申せども、まづ最後の時は、西に向かつて手を合はせ、高声に念仏申し、腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心もとに刺し立てて、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、寸々に切りて捨てたるを、清き死骸と申すなり。」
 朝長、聞こし召し、やがて心得給ひて、押し手押し、起き直り、腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へやうやう引き廻し、返す刀を取り直し、心もとに刺し立てて、切らん切らんとし給へども、痛手、薄手に腕強り、御身合期ならざれば、自害を半ばにしかけ給ひ、「鎌田はなきか。首を取れ。」正清、この由見参らせ、涙と共に参りつつ、御頸を取らんとしけれども、「三代相恩の主君に、いづくに刀を立つべき。」と、泣くより外の事は無し。朝長は御覧じて、「不覚なり、正清。早、疾く疾く。」と宣へば、いたはしや、御首を、水もたまらず掻き落とし、義朝に参りつつ、御自害の由を申せば、御落涙は暇も無し。
 その後、義朝、鎌田を召され、「これより尾張へは、何として着くべきぞ。」鎌田、承り、「さん候。長者の弟に、鷲野栖の玄光を御頼みあれ。」と申す。やがて、鷲野を頼ませ給へば、「易き程の御事。」とて。柴舟下すに事寄せ、人々を舟に乗せ申し。かせを高く結ひ上げ、上に柴を積みかけ、府津の七郎が七百余騎にて支へたる関所の前を、とかく騙して押し通し、内海の浦へ舟を寄せ、鎌田兵衛を御使にて、長田を頼ませ給ふ。長田、難なく頼まれ申し、新造に御所を建て、君を入れ申し、いつきかしづき奉る。
 この事、都に隠れなし。六波羅にさし集まつて、内議評定、取り取りなり。「時刻移して叶ふまじ。」と、弥平兵衛宗清に、三百余騎を下賜ぶ。小松の内府の御諚には、「愚かなる御計らひかな。かの東国と申すは、源氏に心ある方なり。『討手下る。』と風聞せば、東に残る源氏が、雲霞の如く馳せ集まり、いかやう大事も出来なん。所詮、たばかり状を拵へ、長田を頼ませ給ひ、過分の国、所領を一旦与へ、味方に召され、義朝をたばかり、易々と討つて後、長田も討伐あるべきに、何の子細候べき。」「この儀にしくはあらじ。」とて、やがてたばかり状を拵へ、長田が舘へ着き給ふ。
 長田、難なく頼まれ申し、御教書頂き、披いて拝見申す。その御書に曰く、
  下し状
  源氏左馬頭義朝は、親の首を斬るのみならず、親しむべき兄弟を滅ぼし、六親不和にして、三宝の加護無し。父母不孝にして、天罰を蒙る。その謂はれ、相違はず。去年の罪、近年に感じ、平治の戦に駆け負け、帝都を去つて、遠嶋遠鄙に迷ひ、わづかに露命を石草にかけ、芭蕉の四大を乱風に任す。その頼み少なき事は、槿花一日の栄を待つが如し。草風、春の雨を待つに似たり。とても自滅すべきものをや。この味方に与せん事は、只、深淵に臨んで薄氷を踏むに似たるべし。早、義朝が頭を斬つて、天下に捧げ申すべし。勧賞には、美濃、尾張、三河三ヶ国を宛て行ふ。同じく受領は、望みたるべし。仍つて状、件の如し。
    平治二年正月一日 長田が舘へ
と書かれたり。
 長田、御教書を頂き、夜半に人を廻し、五人の子どもを近付け、「これこれ、拝み申せ。綸旨の旨、至極の道理、ここにあり。げにも義朝は、親の首を斬り給ふ、五逆罪の人なるを、主に頼みて何かせん。いざ、この君を討ち申し、美濃、尾張、三河三ヶ国を賜はり、上見ぬ鷲と思ふは、いかが計らふ。」子ども、承り、「こは、ゆゆしき御大事にて御座候。この人々三人を討たんには、尾張の国が動きても、たやすく討たれ給ふまじ。御思案あれ。」と申す。長田、聞きて、「不覚なり、汝等。勢を揃へて討たばこそ。たばかつて討つべきに、何の子細のあるべきぞ。」と申す。
 かかつし処に、三男先生と申す者、烏帽子の先を地につけ、「仰せの如く、この君は、親の首を斬り給ふ、五逆罪の人。さて又、一代ならず二代ならず、三代相恩の主の頸を斬り給はば、五逆をばさて置きぬ、八虐罪をいかがせん。長々しくは候へども、ここに譬への候を、語つて聞かせ申すべし。昔、天竺せつせんの傍に、めいみやうてうといふ鳥あり。かの鳥、胴一つにて、嘴二つ。一つの嘴が、餌を求めて服せんとせし時、一つの嘴、賢くて、この餌を宙にて奪うて喰ふ。一つの嘴、思ふやう、『いかなれば余の鳥は、胴も一つ、嘴も一つ。我等、いかなる因果にや、胴一つにて、嘴二つ。たまたま求むる餌食をも、奪はる事の口惜しさよ。所詮、一方を退治せばや。』と思ひ、毒の虫を求めて、服する真似をせし時、常の如く心得、この餌を宙にて奪うて喰ふ。嘴は二つと申せども、胴が一つである間、その毒、胴に収まりて、身体が破れつつ、胴体が損じて、己さへに死したると、承りて候ぞ。
 「我も人も、自然は以ては等しかるべし。この君と申すは、政道賢くおはします。鎌田兵衛正清は。並びもなき剛の者。童に渋屋の金王は、弓箭を取つて名人と、名を得たる程の者なり。これ三人を討たむには、尾張八郡動きても、たやすく討たれ給ふまじ。我々が心中には、とても捨つる命ならば、君に頼まれ奉り、内海に城を拵へ、敵向かふと見るならば、軍兵どもをさし遣はして、目覚まし軍せさせ、軍兵尽きば、腹切つて、死出の山の御供こそ、弓矢を取つての面目なれ。昔が今に至るまで、婿と主とを討ち取つて、いや、世に出たる法やある。しかるべくは、この事を只、思ひとどまり給へとよ。」
 長田、聞きて、殊の外に腹を立て、「何と申すぞ、あの冠者め。それ、天地開け始めてより以来、天は父、地は母。親の恩を蒙り、荘司が申し事を、直に背くは奇怪なり。惣じてあの先生めを、見れば中々、腹も立つ。罷り立つ。」と言ふままに、居たる処をづんど立ち、簾中深く入つたるは、とかう申すに及ばれず。あら、無残や。先生は、父に叱られ、常の所に立ち入り、つくづく案じけるやうは、「親の命を背かじとて、主に弓矢を引くならば、八逆罪の咎。主と一所に成り申し、父に弓箭を引くならば、五逆罪の咎たるべし。しかじ、只、元結を切つて様を変へ、浮世を厭はばや。」と思ひ、年十七と申すには。翠の髻を押し切りて、刀と共に西へ投げ、つたのふち笈、肩に懸け、心と衣を墨に染め、遁世修行に出たりし。かの先生を見し人の、褒めぬ人こそなかりけれ。
 その後、長田、残る子どもを近付け、「げに先生めは遁世したるとな。さて汝等は、先生に同ずべきか、父が議に従ふべきか。早々、返事を申せ。」子ども、承り、「ともかくも、御計らひの悪しくは、よも候はじ。」と申す。長田、聞きて、うち笑ひ、「かやうに申すも、汝等を、世にあらせんがためぞかし。まづ、婿の鎌田をば、先生が出居へ請じ、山海の珍物を取り替へ取り替へ、酒を強いよ。酔ひたらん所を見て、酌に立つたる者が、持つたる酒を投げかけ、ひらまん所をむずと組め。一間所によき兵を隠し置き、折り合うて討つべし。童の金王をば、内海の沖に大網を下ろし、網の奉行に事寄せ、内海にて討つべし。主の義朝をば、この庄司めに任せよ。まづ金王を謀りてこそ。」と言ふままに、蔀戸の元の塵取らせ、若き女を使にて、金王を請ずる。
 渋屋、左右なく来る。長田、急ぎ立ち出、三献盃過ぎて後、「いかに、渋屋殿を万事頼み申すべき事の候が、但し、頼まれ給はんならば、申すべし。」金王、聞きて、「何事を仰せ候べき。長田の大事たるべくは、一命をなりとも進ずべし。」長田、聞きて、うち笑ひ、「それまでも候はず。我が君のこれまでの御下向を、一期の面目、優曇花と存じ、蓬莱を絡組み、君を祝ひ申さんため、蓬莱の下組には、魚と鹿が要る事にて候程に、五人の子どもをば、三河の国足助の山へ、鹿狩に越し候ひぬ。又、内海の沖に大網を下ろして候が、奉行にはたと事を欠いて候。若き時の遊びに、猟漁りと申して、苦しからぬ事なれば、奉行に立つて賜べかし。」と、打ち解け顔にぞ諮りける。
 金王、聞きあへず、やがて腹こそ立つたりけれ。たけなる髪を唐輪にきつとわげたるが、ふるふると解いて、大童にぞ成つたりける。ここに譬へあり。樊噲、勇みを成せば、髪、兜の鉢を生ひ抜く。これにはいかでまさるべき。いつも離さず持ちたりし、四尺三寸の角鍔の打ち物、鍔元二、三寸くつろげ、長田をはつたと睨んで、「何と候、長田。君を大事に思ひ申さば、御分なりとも出まじきか。さなくば、りんたん隣郷に、傍輩どももありこそするらめ。など呼び寄せて致さぬぞ。陽明、待賢、郁芳門。泊り泊り、関々にて、合戦に骨折り、物具に肩引かせ、下つて三日も過ぎざるに、『網の奉行に立て。』と候や。鴉の子が白く成つて、駒に角の生ひん程、待ち候へよ、庄司。定めて上へ申さるべし。太刀取、縄取定まつて、汀で切つて捨てらるるとも、全く金王、出づまじい。見れば中々、腹も立つ。罷り立つ。」と言ふままに、銚子土器蹴散らかし、外の出居まで躍り出し、かの金王が勢ひは、いかなる天魔、疫神も、面を向くべきやうぞ無き。
 さる間、長田は、金王に脅され、震ひ震ひ座敷を立ち、頭殿の御前に参り、何と物をば申さずして、只さめざめと泣く。義朝、御覧あつて、「あれは、いかに。長田は何事を歎くぞ。」「さん候。別の子細にて候はず。我が君のこれまでの御下向を、一期の面目、優曇花と存じ、当世はやる蓬莱を絡組み、君を祝ひ申さんため、蓬莱の下組には、魚と鹿が要る事にて候程に、五人の子どもをば、家の子、郎等差し添へ、三河の国足助の山へ、鹿狩に越し候ひぬ。又、内海の沖に、大網を下ろして候が、奉行にはたと事を欠いて候程に、御内の渋屋を頼うで候へば、奉行にこそは立たざらめ。あまつさへ、年寄りたる庄司めを、散々に悪口せられ申す。つれなく命長らへ、これまで参りて候。」とて、はらはらと泣く。義朝、聞こし召されて、「げにげに。それは、さぞあらん。地体、あの金王は、物狂はしき者にて、我が云ふ事をさへ、五度に三度は背く。まして、御分が申さん事を、いかで承引すべきぞ。よしよし。庄司、腹居て帰れ。奉行には致さうずるにてあるぞ。」とて、長田を帰させ給ひて後、金王を召さるる。
 渋屋、承り、「あは、庄司が訴訟申した。こそあらめ。ゆゆしき大事。」と心得、御前に畏る。義朝、御覧あつて、あらけなくは宣はで、「やあ、何とて汝は違うたるぞ。都よりこの国まで、長田を頼み、下る身が、山ならば須弥山、海ならば滄海よりも、猶頼もしう候に、一旦違ふ事ありとも、など承引をせざるべき。その上、猟漁りとやらんは、若き時の遊びにて、苦しからぬ事ぞとよ。奉行に立つて魚を取り、庄司が心を慰めよ。」金王、承り、謹しんで申しけるは、「さん候。某、全く奉行に出まじきにても候はぬが、長田が今の振舞を見候に、君に心変はりを申し、五人の子どもをば、狩倉に事寄せ、催促廻し勢揃へ、我が君を討ち申さんずる、巧みを巡らすと見て候を、御存じなくて、かやうに君は仰せられ候よ、なう。」義朝、聞こし召されて、「よし、それとても、力無し。長田が心、変はるならば、一所にあつても何かせん。もしも忠臣たるべくは、後の恨みをいかがせん。只、出て魚を取り、庄司が心を慰めよ。」
 金王、承り、「飽かぬは君の御諚。」とて、御請けを申して、御前を罷り立つが、「君も聞こし召せ。」と高らかに、「人は運命尽きぬれば、智恵の鏡もかき曇り、才覚の花も散り果つる。郎等がたばかるを、御存じなきぞ口惜しき。」かやうにかき口説き、一間所へつゝと入り、肌には唐紅引つ違へ、滋目結の直垂の、上下四つの括りをゆるゆると寄せさせ、黒糸縅の大鎧、草摺長にさつくと着、惣じて刀は三腰差す。四尺三寸の角鍔の打ち物、三尺五寸の太刀を重ね佩きに佩いて、四尺八寸の長刀を、引き杖について、頭殿の御前に参り、「東岱の前後の夕煙、昨日も昇り、今日も立つ。北邙朝露の幻は、後れ先立つ世の習ひ。もし内海にて討たれずは、参りて御目にかからん。」と、涙と共に立ち出る。義朝は御覧じて、「忌まはしし、金王。門出、祝へ。」と宣ひて、みづから酒をぞ下されける。御暇申して金王は、内海の沖へ出にけり。
 契りはあれど山鳥の、尾を隔つるが如くなり。さても内海には、組手の人数を定むるに、まづ一番に岸岡十郎、野組小栗を先として、宗旨大力三十六人。大船八艘催し、上に歩みの板を渡し、金王を乗せ、沖をさして漕ぎ出し、「ここにも魚はなきぞ。」「かしこにも魚はなきか。」と、かなたこなたと目を見合はせ、金王を討たんとする。渋屋、元より存じの事。ちつとも騒ぐ気色もなく、持つたる長刀にて舟底をとうとうと突き鳴らし、「何とて面々は、夕日、西に傾き給ふに、綱手をば取らずして、ややともすれば某に、目をかくるこそ不審なれ。あう。やがて心得たり。汝等が主の長田、君に心変はりを申し、某をこの沖にて討たんずる、その巧みを巡らすとおぼえたり。思ひ、内にあれば、色、外に顕はるる。天知る、地知る、我知る、人知る。
 「間近く寄つて叶ふまじ。まづ、長刀の切り手には、こむ手、薙ぐ手、開く手、八方さひしき長刀の、手を使ふものならば、あう、算を乱して討たるべし。長刀折れ砕けば、二振りの太刀を以て散々に斬るべし。太刀の柄、折れ砕けば、三腰の刀を抜き替へ抜き替へ、取つて引き寄せ刺し殺して、底の水屑と成すべきなり。運命尽き果てて、太刀も刀も折れ砕けば、汝等髻を取つて、五人も十人も左右の脇に掻い込うで、海底につゝと入り、五日も十日も底にて日を送るならば、汝等が命はとどまるべし。間近く寄つて叶ふまじい。」と、艫舳を駆けり廻れば、内海を出し時には、「金王ならば、我組まん。」「誰組まん。」とは勇みしかど、この勢ひに恐れつつ、舟底、船枻にひれ伏して、震ひわななき居たりけるは、事可笑しうこそ見えにけれ。これは、内海の物語。
 ここに物の哀れをとどめしは、鎌田兵衛正清なり。宵までは御前に伺候申し、宮仕ひ参らせ、小夜更け方に御暇賜はり、廊の屋に立ち帰り、弥陀石、弥陀若とて、二人の若のありけるを、弓手妻手の膝に置き、後れの髪を掻き撫で、涙を流し、申しけるは、「正清、都にて度々の合戦に、すぞろに命の惜しかりつるも、只、汝等がある故なり。いつか汝等成人し、父が供を仕り、はちある矢をも一筋射る、その折柄を見るならば、いかがは嬉しかるべきと、明け暮れこれを願ひしに、思ひの外に引き替へて、君落人と成り給へば、御供申して正清も、討たれん事は治定なり。さあらん時に汝等は、三河の真福寺の院主の御坊に、深く契約申すなり。院主の御坊に参りつつ、小経の一巻をも、良きに学して正清が、なからん跡を弔へや。」とて、包むに余るその泪、よその袂も濡れぬべし。
 廊の御方は御覧じて、「これは、いまだ正月三日も過ぎざるに、御身は何と宣ふぞ。」と、言ひもあへぬに舅の長田、組手あまた用意し、「鎌田殿やまします。物申さん。」とありしかば、正清、舅の声と聞き、「これに候。」とて、太刀押つ取り、出んとする。廊の御方は御覧じて、袂を取つて引つとどめ、「慌てたり、鎌田殿。騒いで見えさせ給ふものかな。今日この頃の習ひにて、親は子をたばかれば、子は親に楯を突く。しかも御身は落人にて、よろづに心を置くべき身が、明けまじき夜にてもなし。今夜を明かし給ひて、夜明かしておいてましませや、鎌田殿。」とぞとどめける。正清、聞いて、いつよりも睦ましげなる風情にて立ち帰り、うち笑ひ、「なう。さのみにとどめ給ひそよ。召さるるは御身の父、正清がために舅なり。居ながら返事を申さんは、不覚の至りと存ずるなり。やがて帰らん。さらば。」とて、名残の袂引きさけて、長田と連れてぞ出にける。かりそめながら別れとは、後にぞ思ひ知られたる。
 その後、先生が出居へ請じ、山海の珍物、国土の菓子を調へ、色を変へては三度盛り、風情を変へては五度七度、盃の数も重なれば、さしもに剛なる正清も、次第次第にひらめいたり。長田、これを見て、「あは、時分は良いぞ。」と思ひ、帳台へつつと入り、かいを一つ取り出し、微塵さつとうち払ひ、につこと笑つて申すやう、「如何に、なう、鎌田殿。この間の御疲れ、思ひ遣られて痛しう候。子どもあまた候ひぬ。庄司もかくて候へば、何かは苦しく候べき。只うち解けて御遊びあれ。かいのみにとつては、山田郷と申して、三百町の処の候を、鎌田殿に奉る。庄司も三度賜はるなり。御身も三度参れ。」とて、婿の鎌田に思ひ差す。さる間、正清、舅の呑うだる盃に、所領を添へて得さする上、いづくに心の置かるべき。差し受け差し受け呑む程に、微塵積もりて山と成り、砂長じて岩と成る。盃の数も重なれば、弓手の座敷が妻手へ廻り、妻手の座敷が弓手へ廻つて、天井の大床がひらりくるりと舞ひければ、後ろの障子に寄り添ひて、とろりとろりと眠りけり。
 酌に立つたる友柳、持つたる酒を投げかけ、押し並べてむずと組む。鎌田、元より剛の者、「察したり。」と言ふままに、友柳が髻を取つて、膝の下に引つ敷いたり。長田、これを見て、居たる所をづんど立つて、鎌田が髻を取つて、後へ「えい。」とおりつくる。鎌田、これを見て、「情けなし、長田。さやうにはせらるまじい。」と、長田を掻い掴んで、取つて引き寄せたりけれども、いかがは以て逃すべき。隠し置きし兵が、隙をあらせず折り合ひて、一刀づつと思へども、十三刀刺されて、樊噲と勇む正清も、弱々と成つて、かつぱと伏す。あら、無残や。
 正清、最後の言葉ぞ哀れなる。「されば、弓取の持つまじきものは、国を隔つる妻女なり。親の起こす謀反を、などかは知らであるべきぞ。たとひ縁こそ尽くるとも、二人の若があるなれば、など最後をば知らせぬぞや。『七の子は成すとも、女に心許すな。』と、申し伝へて候。『妻子珍宝及王位、臨命終時不随者。』げに思へば仇なり。子は三界の首枷とは、今こそ思ひ知られたれ。三界の首枷と、煩悩の絆に引かれつつ、不覚の死をするものかな。南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。」と、これを最後の言葉にて、朝の露と消えにけり。正清の最後の体、推し量られて哀れなり。さすがに長田も不憫に思ひ、「夜明けて頸を取らん。」とて、空しき死骸に衣引き覆ひ、各々、鳴りをぞ静めける。
 ああら、いたはしや。廊の御方、これをば夢にも知らず。「小夜更け、人も静まり、兄弟の人々も、皆々帰らせ給ふが。不思議や、夫の正清は、何とてか遅く見えさせ給ふらん。」と、薄衣取つて髪にかけ、東廊廻り、孫廂を通る時、人に忍うだる声にて、「鎌田殿やまします。正清。」と呼びけれど、宵に討たれたる事なれば、夜更けて呼ぶに、音もせず。四間の出居を見てあれば、灯、少しかき立て、辺りに人一人、衣引きかつぎ、臥してあり。討たれたるとは思ひも寄らず、「酔ひ伏したるぞ。」と思ひ、するすると寄つて、「なう、御身は鎌田殿にてましますか。さやうに酒に酔ひ給ひては、自然、我が君の御前に、何として立たせ給ふべき。起きさせ給へ。」と言ふままに、衣引きのけて見てあれば、紅に身をぞ染めにける。
 余りの事の悲しさに、死骸にがばとうちかかり、暫し消え入り給ひけり。少し心を取り直し、「さこそ最後にみづからを、恨みさせ給ひつらん。夢にもみづから知らぬなり。我をば誰に預け置き、捨ててはいづくへ行くやらん。我をも連れて行けや。」とて、最後に抜かぬ刀を抜き、既に自害と見えけるが、「待て暫し、我が心。明日にも成るならば、無残や、二人の若どもは、父母が行方を知らずして、『父よ、母よ。』と呼ぶならば、邪慳の祖父、伯父にて、鵜鷹の餌を撃つやうに、打たせ給はん無残さよ。同じ道に。」と思ひ切り、又、廊の屋に立ち帰り、二人の若を見給へば、兄が手をば弟にかけ、弟が手をば兄にかけ、余念もなうて臥しにけり。廊の御方は御覧じて、二人の若をかき抱き、父正清の臥したりし、前後にとうど下ろし置き、「いかに、二人の若どもよ。祖父、伯父御の仕業を見よ。情なの事や。」とて、流涕、焦がれ泣き給へば、二人の若も諸共に、伏し沈みてぞ泣きにける。
 さてあるべきにてあらざれば、「いかに聞くか、兄弟よ。かく恨めしき浮世に、長らへてあらんより、父諸共にうち連れて、閻魔の庁にて母を待てよ。」と語りつつ、兄弥陀石を引き寄せて、弓手の肱のかかりを、二刀害して押し臥する。弟がこれを見て、「あら、恐ろしの母上や。我をば許し給へ。」とて、居たる所をづんど立ち、さらばよそへも行かずして、殺すべき母にすがりつく。いとど心は消ゆれども、眼を塞ぎ、思ひ切り、心もとを一刀。「あつ。」とばかりを最後にて、兄弟の若どもを、三刀に害しつつ、我が身は肌の守りより、呪遍の珠数を取り出し、西に向かつて手を合はせ、「いとどだに、『女は五障三従に選まれて、罪の深い。』と承る。弓箭にかかるみづからを、助け給へや、神仏。南無阿弥陀仏。」を最後にて、刀を口にくはへつつ、鎌田の死骸にうちかかり、朝の露と消えにけり。廊の御方の最後の体、哀れと言ふも余りあり。
 あら、いたはしや。母上、これをば夢にも知ろし召されず、「鎌田、討たれぬる。」と聞こし召し、「さこそ廊の御方が歎くらん。弔はばや。」と思し召し、廊の屋に立ち寄り、呼べど、応ふる者も無し。「さては、鎌田討たれぬる所にあるぞ。」と思し召し、四間の出居を見給へば、廊の御方、二人の若。皆々、朱に染み、同じ枕に臥してあり。母、この由を御覧じて、「なう、これは夢かや、うつつかや。さりながら、道理なり、理や。何に命の惜しからん。子よりも孫は愛ほしきに、花のやうなる若どもを先に立て、齢傾くみづからが、一人、後に残りなば、深山隠れの遅桜、梢の花は散り果てて、下枝に一房残りて、嵐を待つに似たるべし。我をも連れて行けや。」とて、母も自害を遂げ給ふ。平治二年正月の、二日の夜の事なるに、鎌田を始め、父子五人、水の泡とぞ消えにける。
 天明けければ、長田、「鎌田が首を取らん。」とて、四間の出居を見てあれば、我が女房を先として、皆々、朱に染み、同じ枕に臥してあり。さしも情けなき長田とは申せども、心弱り、「遁世するか、腹を切るか。いかがはせん。」と思ふが、「いやいや、身より出せる罪なれば、誰を指してか恨みん。」と、心に内に存ずれば、「ああら、果報なの者どもが成りたる有様や。長田が世に出るならば、果報の妻女はいか程もあるべきに。南無三宝、阿弥陀仏。」と、偏執の念仏を申し、鎌田が首を取つたるは、とかう申すに及ばれず。その後、義朝の御前に参り、「今日は、三ヶ日の御嘉例、八幡宮へ御社参あるべく候。田上の湯殿と申して、子細なき所の候へば、御出あつて御行水。」と申す。義朝、聞こし召されて、「先祖の郎等ならずは、誰かかやう振舞ふべき。かまへて長田、弓箭の冥加、七代まで安穏なれや。」と宣ひて、御重代の御剣、御腰の物、長田に預け給ふは、御運の尽くる処なり。かくて義朝、湯殿の内へ入り給ふ。
 宵より定めし事なれば、都合二百余騎にて、湯殿を二重三重に押つ取り巻いて、鬨をどつと上ぐる。義朝、聞こし召されて、「心変はりか、長田。」「さん候。都より討手の参りて候に、御自害あれ。」と申す。義朝、聞こし召されて、「長田が事は、かねてより思ひ設けつる事。情け無し、鎌田。たとひ舅と一所に成り、我に替はるとも、三代相恩の主に、など最後をば知らせぬぞや。いかに、えい、長田。刀参らせよ。自害せん。」「承る。」と申して、刀に鎌田が首を添へ、湯殿の内へ参らせ上ぐる。義朝、鎌田が首を御膝の上にかき載せ給ひて、「ああら、はかなの只今の恨み事や。我より先に立ちけるぞや。死出の山にて待てよ。えい、三途の川で追ひつかん。」
 腰の刀をするりと抜き、弓手の脇にがばと立て、妻手へきりりと引き廻し、返す刀を取り直し、心元に刺し立てて、袴の着際へ押し下ろし、臓を掴んでくり出し、四方の壁に投げつけ、湯船にて御手を濯ぎ、西に向つて手を合はせ、「何とて義朝、死なれぬぞ。さる事ありや、父為義、天台山月輪の御坊に、深く忍びておはせしを、たばかり出し申して、御首を斬り申すその因果、忽ち報うて死なれぬ事は、口惜し。いかに、えい、長田。急ぎ参りて頸を取れ。」長田、左右なく参り得ず、長刀にて刺し参らせ、おづおづ御首賜はり、知多の郡で討たれ給ふ。只、人間の因果は、巡るに速きものであり。かくて長田は、義朝の御首をも易々と賜はりぬ。今は、金王が首を、「遅し。」と待つる。
 さても金王は、内海の沖にありけるが、例ならず胸騒ぎしきりなれば、「何事か君にましますらんと、心元なく存ずれば、舟を寄せよ。」と下知をする。「力及ばぬ次第。」とて、左右なう舟を差し寄する。金王、ゆらりと飛んで下り、「暇申して、面々。」とて、五十町の所なるを、もみにもうでぞ走りける。ここに、鎌田が召し使ひし下女一人、走り向ひ、「なう、御身はいづくへ行きてましますぞ。鎌田殿は夕、討たれ給ひぬ。君は只今、たかみの湯殿にて、御腹召され候ひぬ。今は、御身の頸を、遅しと待たせ給ふに、いづくへも一まづ忍ばせ給へ。」と申す。金王、聞きあへず、涙をはらはらと流し、「さばかり某が申しつる事を御承引なくして、討たれさせ給ひて候や。さては鎌田は、御心変はりをば申さざりけるや。あう、尤もかうこそあるべけれ。定めて長田は、我が舘には、よもあらじ。君の御最後所、田上の湯にぞあるらん。某が討たれん事を、一定と心得、うち解けたらん所へつゝと行き、長田が首を打ち落とし、御孝養に報ぜん。」と、心の内に存ずれば、田上を心がけて、ゆらりゆらり上がりけり。
 長田、これを見て、「すはや。金王が内海にて討ち洩らされ、これまで来つたるは。余すな、洩らすな。」とて、真中に取り籠むる。金王、これを見て、「面白し、長田。そなたは猛勢なり。我は只一人。参り候。」と言ふままに、大勢の中へ割つて入り、散々に切つたりけり。さる間、長田、叶ふべきやうあらざれば、我が舘を指いて、もみにもうで逃げにけり。金王、これを見て、「いづくまで。」と言ふままに、長田を目にかけて走りけり。さる間、長田、我が舘へつゝと入り、堀の橋を引いて、四方の城戸をちやうと打つ。金王、これを見て、「あら、物々し。螻蛄の猛り。」と言ふままに、三重の堀をば、ひらりひらりと跳ね越して、八尺築地のありけるに、手を懸くるこそ遅かりけれ、懸けず、ゆらりと跳ね越へ、中門、面廊、遠侍、長田を追うて走りしは、あら、鷹が、鳥屋をくぐつて雉子を追ふが如くなり。
 さる間、長田、妻戸よりもつつと抜け、行方知らず成りにけり。金王、これを見て、「力及ばぬ次第。」とて、又、取つて返して、大勢の中へ割つて入り、西東、北南、蜘蛛手、角縄、十文字、八花形といふものに、散々に切つたりけり。手元に進む兵を五十三騎切り伏せ、大勢手を負はせ、東西へぱつと追つ散らし、海の渡りを左右無くし、都を指いて上りける。金王が心中をば、貴賤上下押しなべ、感ぜぬ人はなかりけり。

    元和第四暦戊午孟秋吉日

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