江戸期版本を読む

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カテゴリ: 浄瑠璃

近松門左衛門の浄瑠璃 WEB目次

01 出世景清(国民図書 1927)
第一  第二  第三(小野の姫道行) 第四  第五

02 百日曽我(国民図書 1927)
第一   第二 (傾城請状) 第三 下 
第四 (虎少将道行)・(三部経) 第五 (歌仙)

03 吉野都女楠(国民図書 1927)
第一   第二 下 
第三 (内侍狂女)・
第四 ・ (天皇かち路の御幸)・ 第五

04 当流小栗判官(国民図書 1927)
第一  第二(後藤左衛門虫尽くし)(小栗鬼鹿毛曲乗)
第三  第四(照手の姫車) 第五

05 忠兵衛梅川 冥土の飛脚(国民図書 1927)
上巻   中巻 
下巻 (忠兵衛梅川相合駕籠)・下 

06 曽根崎心中(国民図書1927)
一(観音廻り)  二  三  四(徳兵衛おはつ道行)

11 女殺油地獄(国民図書1928)
上巻 上・下  中巻 上・ 下
下巻 上・中・下 

12 父は唐土 母は日本 国姓爺合戦(国民図書1928)
第一 上・中・下
第二 上(はまづたひ)・中(もろこしぶね)・下(千里が竹)
第三 上・中・下
第四 上(栴檀女道行)・中(九仙山 上)・下(同 下)
第五 上・下

13 紙屋治兵衛 きいの国屋小春 心中天の網島(国民図書1928)
上之巻   中之巻 上・ 下
下之巻 上・下(名ごりの橋づくし) 

14  心中宵庚申(国民図書1928)
上之巻 上・下  中之巻 上・ 下
下之巻 上・中・下(道行思ひの短夜) 


校訂 近松門左衛門の浄瑠璃 WEB凡例

  1:底本は『近松門左衛門集 』(1927年刊)『同 』(1928年刊。上下とも国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を忠実にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略しました。
  4:底本の漢字は原則現在(2026年)通用の漢字に改めました。
  5:二字以上の繰り返し記号(踊り字)はテキストにないため、文字表記しました。
  6:底本は適宜改行し、句読点および発話を示す鍵括弧は適宜修正、挿入しました。
  7:「三重」「唄」など、浄瑠璃の曲節を示す語はすべて省略しました。
  8 :目次の上・中・下、一~は、便宜上分割したものです。
  9:底本の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。なお、校訂には『近松全集 第1・3・4・6・7・14巻』(岩波書店 1985~91年刊 国会図書館デジタルコレクション)を使用しました。

近松門左衛門の浄瑠璃 WEB目次

浄瑠璃 総合INDEX

江戸期版本を読む INDEX

出世景清

第一

 さてもその後、妙法蓮華経観世音菩薩、普門品第二十五は、大乗八軸の骨髄。信心の行者、大慈大悲の光明に預かり奉る、観音威力ぞ有難き。
 ここに平家の一族、悪七兵衛景清は、西国四国の戦ひに、討死すべきものなりしが、死は軽くして易し、生は重くして難し。所詮、命を全くして、平氏の怨敵、右大将頼朝を一太刀恨み、平家の恥辱をすすがんと、落人と成り、尾張国熱田の大宮司に、いささかしるべありければ、深く忍びて居たりけり。元より大宮司は、平氏の重恩の人なれば、深くいたはり、一人姫に小野の姫と聞こえしを、景清にめあはせ、子とも婿ともかしづき給ふ、志こそわりなけれ。
 景清、大宮司の御前に出、「まことに某、無二の御懇志に預かり、長々在居仕り、身は埋れ木と朽ち果てん、末頼みなき身ながらも、せめて頼朝を一太刀窺ひ、君父の恨みを散じ、その後は腹切つて、ともかくも罷りならんと、空しき月日を送り候。しかる処に今朝、屈竟の事を聞き出し候。その故は鎌倉殿は、南都東大寺の大仏殿を御再興あるべしとて、秩父の重忠、かの奉行を承り、きのふの暮ほどに、この所をうつて通り候由。たとへば頼朝、七重八重の城郭に取り籠り、天地に黒鉄の網を張つて、用心厳しく候とも、この景清が一念にて、などか狙はで候べき。さりながら重忠、常に頼朝の傍を離れず、神変不思議を兼ねたれば、その身は都にありながら、心はなほ頼朝殿の傍にあり。かう申す景清は、二相を悟り候へども、重忠は四相を悟る。頼朝に出で合ひ、既に討たんとせし事、三十四度に及べども、かの重忠に隔てられ、終に本望遂げ申さず。しかればまづ、重忠をさへ討ち取らば、頼朝を討たん事、踵をめぐらすべからず。重忠この度、東大寺の奉行に上る事、幸ひかな、仕合せかな。天の時来りたり。忍びやかに南都に下り、重忠が首引つ提げて参らんに、早お暇。」と申さるる。
 大宮司聞き給ひ、「げに屈竟の時節ござんなれ。構へて人に悟られ給ふな。せいて事を仕損ずな。片時も早く。」とありければ、北の方も喜びて、宗盛公より賜び給ふ、あざ丸といふ名剣を景清に賜はり、「首尾よく仕おほせ給ひなば、一日も逗留なく、早く御帰りましませ。」と、門出の杯出さるれば、互に千秋万歳と、獅子の勢ひ龍の勢、勇み勇みて行く虎の、尾張国を立ち出て、奈良の都へ上らるる。
 いで、その頃は文治五年。春過ぎて夏来にけらし白旗の、源氏の大将頼朝は、南都東大寺大仏再興の御願にて、畠山の重忠、奉行職を承り、松にも花を春日野や、飛火の野辺に仮屋を打たせ、横目帳付勘定方、大和大工に飛騨匠、杣人木作、事終はり、今日吉日の柱立て。我が身は桟敷に一段高く、村濃の大幕打たせ、続いて見えしは本田の二郎、その外の侍ども。帳場帳場にしるしを立てて、弓槍長刀吹貫に、柳桜をこきまぜて、花やかなりける御普請なり。
 かくて番匠の棟梁、木工頭修理頭、おのが仕馴れる出で立ち。吉方にうち向かひ、まづ屋固めの祭文を唱へつつ、御幣を振つて再拝し、手斧始めのその儀式、厳重にこそ勤めけれ。むべも富みけりさきくさの、三つ葉四つ葉の大伽藍を、手斧始めの寿に、千代を固めて柱立て。春は東に立ちそむる、これ万物の始めなり。夏は南に巡る日の、あやめが軒や薫るらん。秋は又西の空、尽きせぬ契りかたどりて、天の川原に橋柱、白げ立つるや突き鉋、雲をそなたに槍鉋。冬は北にて筒井筒、水こそ家の宝なれ。巡れや廻れ井戸車、竈賑はふへつつひ殿、まづ陰陽の二柱、二本の柱は女神男神を表したり。三本の柱は三世の諸仏、四本の柱に四天王、四海泰平民安全と、祝ひ籠めたる墨壺の、糸のすぐなる国なれば、宝や宿に三つ目錐、鋸屑のかずかずと、浜の真砂と君が代は、数へ尽くさじ、面白や。
 しかるにこの大伽藍と申すは、聖武皇帝の御建立、三国無双の霊場なり。兜率天の内院を、さもありありと移さるる。堂の高さは二十丈、仏の御丈は十六丈、雲に続けばおのづから、月を後光と三笠山。柱の数は天台の、一念三千の機を表して、三千本と定まれり。軒の垂木は法華経の文字の数、六万九千三百八十四本なり。山門には獅子の狛。さて正面より四方四面の扉々の彫物には、松に唐竹、牡丹に獅子。豹と虎とが威勢を争ひ、百千万の獣を、ぼつたてぼつたてくるりくるりと、巌に追ひ上げ追ひ下ろし、風にうそぶく波間より、紫雲を巻いて昇り龍、又下り龍。玉をつかんで虚空に捧げ、鱗を立てたるその勢ひ、手を尽くさせて彫り尽くし、さて棟瓦軒瓦、金銀瑠璃玻璃しやこ瑪瑙、珊瑚琥珀水晶を、葺き立て葺き立て、珊瑚樹の木舞をひつしと打つたる台には、金欄錦に柱を包んで、黄金の鋲を輝かせん。棟木を負ふの柱をして、南畝の農夫よりも多く、梁に架するの垂木は、機上の工女よりも多く、釘頭の磷々たるは、庾にあるの粟よりも多く、旦暮の説法読誦の声は、市人の言語よりも多からしむ。仏法繁昌、四海鎮護の大伽藍、如意満足の柱立て、めでたしめでたし、おおめでたしと、手斧押つ取りちやうちやうちやう、槌押つ取つてはしつていしつてい、鉋取りのべさらさら、えいさらさらさら、さらちやうちやうと、打ち始め取り始め、三三九度の御酒を捧げ、千たび百たび祈念して、重忠に色代し、棟梁、座をぞ下りける。手斧始めも事過ぐれば、数千番匠下々まで、皆々小屋にぞ入りにける。
 遥かの後より、四十ばかりの男なるが、人足と思しくて、昼餉の櫃をになひ、頬かぶりして通りける。秩父の執権、本田の二郎、きつと見て、「やあ、これなる下郎めは、かかる晴れいの庭なるに、頻かぶりは緩怠なり。色代せよ。」と咎むれば、かの男、小声になり、「作法も知らぬ下々なれば、御免。」と言ひて、つつと通る。「どこへ、どこへ。さてさてぞんざい千万なる奴めかな。頬かぶりを取らずんば、誰かある。それ、ぶて、叩け。」と下知すれば、中間ども承り、一度にはらりと取り廻す。
 番匠の棟梁、この由を見るよりも、「いや、これ、本田殿。きやつはその日雇ひの人足にして、差別も知らぬ下郎なれば、さぞ推参も候べし。さりながら、かかるめでたき折なれば、ただ何事も穏便に計らひ給へ。」と申しける。本田、聞きも入れず、「いやさ、彼めは、ちと人に似たるものの候。」と言へば、「さて珍しや、本田殿。人が人に似たるとは、事新しう候。いかに、下郎め。おのれ、大分の銭を取りながら、かだをして働かず、横着ひろぐ故にこそ、人々にも怪しまれ、祝儀に邪魔をなしけるよ。価を損にするまでぞ。罷り帰れ。」と叱りければ、よき幸ひと景清は、になひし櫃を下ろし捨て、迷惑さうに揉み手をして、表にこそは出らるれ。
 重忠、幕の内より御覧じて、「暫く、暫く。いかに、方々。平家の落人、ここかしこに忍び居て、君を狙ふと聞きけるが、只今の人足、まさしく悪七兵衛景清と見しは、僻目か。やあ、あれ、余すな。言うてもこれは、一大事の柱立ての清めの庭。穢らはしてはいかがなり。前なる野辺に追ひ出し、討つて捨てよ。」と宣へば、元よりはやる関東武者、我も我もと駆け向かふ。
 景清、これを見て、になひ棒に仕込みたる、件のあざ丸、するりと抜いてさしかざし、大勢を弓手に受け、頭を叩いてからからと笑ひ、「これ、お侍。某は、尾羽を枯らせし鎌倉の、浪人者にて候が、朝夕に迫り、かかる侘しき営みを仕る。さすが人目の恥づかしく、面を隠してありければ、何ぞや、某を悪七兵衛景清とは、眼がくらみてありけるか。但しは、その景清が恐ろしさに、面影に立ちけるか。よし、何にもせよ、これ程まで雑言せられ、堪忍罷りならず。景清程こそあらずとも、そつと手並を見せんず。」と、例のあざ丸、小脇にかい込み、多勢が中に割つて入り、火水になれとぞ切り合ひける。時刻も移らぬその内に、十四、五人切り伏せ、「重忠に見参せん。」と、ここの詰まり、かしこの隈に、駆け入り駆け入り騒げども、大勢に隔てられ、今は早これまでなり。深入りして雑兵に手負うせられては、景清が末代の名折れなり。またこそ時節あるべけれ。いで、追つ払うて落ち行かんと、番匠箱を押し開き、大鑿小鑿、手斧鋸槍鉋、屈竟一の手裏剣と、押つ取り押つ取り打つ立つれば、さしもに勇む軍兵ども、「わつ。」と言うてはさつと引き、猶も寄せ来る者どもを、小屋の小柱引ん抜いて、八方むぐうに振り廻れば、秋の嵐に散る紅葉、むらむらばつとぞ逃げにける。
 「おお、さも候ず。さもあらん。この度は仕損ずとも、この景清が一念の、剣は岩を徹さんものを。」と、躍り上がり跳び上がり、歯噛みをなして行く雲の、月の都に上りける。「悪七兵衛が力業、早業軽業神通業、ただ飛ぶ鳥の如くなり。」とて、恐れぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 ・さつと引く――底本「さつと引き」。『近松全集 第1巻』により改めた。

第二

 さる程に、まことや、猛きもののふも、恋にやつるる習ひあり。薪を負へる山人も、立ち寄る花の景清も、常に清水寺の観世音を信じ奉り、参詣の道すがら、清水坂の片ほとりに、阿古屋といへる遊君に、仮初臥しの仮枕、いつしか馴れて今は早、二人の若をぞ儲けける。兄の弥石六歳、弟の弥若四歳にて、世におとなしくぞ見えにける。阿古屋は元より遊女なれども、妹背の情けこまやかに、世になき景清をいとほしみ、二人の子供を養育し、兄には小弓小太刀を持たせ、父が家督を継がせんと、習はぬ女の身ながらも、兵法の打ち太刀し、武道を教ふる心ざし、類稀にぞ聞こえける。
 かかる処へ、悪七兵衛景清は、重忠を討ち損じ、やうやうとして清水や、阿古屋が庵に着き給ふ。女房、子供を引き連れ、「こは珍しや。何として御上り候ぞ。まづこなたへ。」と請じける。
 景清、申しけるは、「内々、御身も知る如く、我、平家の御恩を報ぜんため、鎌倉殿を狙へども、その甲斐なく、一両年は、尾張国熱田の大宮司に匿はれ、空しく月日を送りし処に、この度、畠山の重忠、東大寺再興の奉行に上るを良きしほと、まづ重忠を狙はんため、我が身を卑しき下郎にしなし、既に間近く付け寄せしが、運強き重忠にて、我らが智略顕はれ、本意なくも討ち損じ、一向に重忠と刺し違へ、死なんとは思ひしが、思へば御身が懐かしく、子供が顔をも見まほしく、無念ながらも長らへて、さて只今の仕合せなり。まことに久しく会はぬ間に、子供もいたう成人し、御身もずんど、女房をし上げたり。何でも今宵はしつぽりと、積もるつらさを語らん。」と、しとと寄れば、「ええ、栄耀らしい。かく浪人の憂き身と言ひ、殊更、敵を持つたる身が、せめて一年に一度の便りをも、し給はず。おお、それも理よ。この頃聞けば、大宮司の娘、小野の姫とやらんに、深い事と承る。尤もかな。みづからは子持ち筵のうらぶれて、見る目に嫌と思すれども、子にほだされて御出か。悋気するではなけれども、浮世狂ひも年による。しやほんに可笑しいまで。よい機嫌ぢや。」とありければ、景清、打ち笑ひ、「これは迷惑。その大宮司の娘、小野の姫には、しかじか物をも言はばこそ。八幡八幡、さうした事で更になし。そちならで世の中に、いとしい者があるべきか。」と、なほこそもたるる袖枕。阿古屋も心打ち解けて、思ふ余りの恋いさかひ、犬が食ふとやこれならん。銚子杯携へて、弥石に酌取らせ、三年積もりし物語、語らひ明し給ひける、契りの程こそゆかしけれ。
 景清、宣ふやう、「我、久しく尾州に蟄居して、観音参詣怠れり。在京の間は、一まづ日参の志あり。さりながら、これより毎日往来せば、人の咎めもいかがなり。轟の御坊にて、一七夜は通夜申し、やがて帰り対面せん。」と、編笠取つて打ちかづき、表をさして出給へば、弥石、門まで送り出、「さらば、さらば。」の小手招き、しをらしかりける生ひ先なり。
 ここに、阿古屋が一腹の兄、伊庭の十蔵広近は、北野詣をしたりしが、大息ついで我が家に帰り、妹の阿古屋を傍らに招き、「これを見よ。まことに果報は寝て待てとや。悪七兵衛景清を、討つてなりとも搦めてなりとも、参らせたるものならば、勲功は望み次第との、御制札を立てられたり。我らが栄華の瑞相、この時とおぼえたり。兵衛はいづくにありけるぞ。はや六波羅へ訴へて、一かど御恩に預からん。いかに、いかに。」と申しける。
 阿古屋は暫し、返事もせず、涙にくれて居たりしが、「なう、兄上。そもや、御身は本気にて宣ふか。但しは狂気し給ふかや。わらはが夫にて候へば、御身のためには妹婿、この子は甥にて候はずや。平家の御代にて候はば、誰かあらう景清と、飛ぶ鳥までも落ちし身が、今この御代にて候へばこそ、数ならぬ我々を頼みて御入り候ものを。たとへば日本に唐土を添へて賜はるとて、そもや訴人がなるべきか。飛ぶ鳥、懐に入る時は、狩人も助くるとよ。きのふまでも今朝までも、隔てぬ仲を、そもやそも、逃れうものか。さりとては、人は一代、名は末代。思ひ分けても御覧ぜよ。」と、泣いつ口説いつとどめける。
 十蔵、からからと打ち笑ひ、「やれ、名を惜しんで得を取らぬは、昔風の侍とて、当世ははやらぬ古い事。その上御辺が、夫よ、妻よなんどとて、心中立てはしけれども、あの景清はな、大宮司が娘、小野の姫神に最愛し、御身が事は当座の花。後悔するとも叶ふまじ。女さかしくて牛売られぬとは、御分が事ぞ。諸事は兄に任せよ。」と、跳んで出づれば又引きとどめ、「いや、大宮司の娘は、人の言ひなし、悪口ぞや。景清殿に限り、さやうの事は候まじ。よし、人はともかくも、わらはが二世の夫ぞかし。さ程に思ひ据ゑ給はば、子供もわらはも害して後、心のままになし給へ。やあ、生けらん内は叶はじ。」と、すがり付いてぞ泣き給ふ。
 しかる処へ、「熱田の大宮司よりの飛脚なり。景清様の御旅宿所は、これにてや候やらん。」と、やがて文箱を出しける。十蔵、出合ひ、「いかにも、いかにも。これは、景清殿の旅宿にて候が、宿願あつて兵衛殿は、清水参詣致され候。御文を預かり置き、帰られ次第、見せ申さん。明日、御出候へ。」と飛脚を帰し、兄妹、文を開いて見れば、小野の姫の文にてあり。「仮初に御上りましまして、いなせの便りも、し給はぬは、かねがね聞きし、阿古屋といへる遊女に、御親しみ候か。未来をかけし我が契り、いかが忘れ給ふか。」と、細々とぞ書かれける。
 阿古屋は読みも果て給はず、はつとせきたる気色にて、「恨めしや、腹立ちや、口惜しや、妬ましや。恋に隔てはなきものを、遊女とは何事ぞ。子のある仲こそまことの妻よ。かくとは知らではかなくも、大切がりいとしがり、心を尽くせし悔しさは。人に恨みはなきものを、男畜生、いたづら者。ああ恨めしや、無念や。」と、文ずんずんに引き裂きて、かこち恨みて泣き給ふ。理とこそ聞こえけれ。
 十蔵喜び、「それ見たか。この上は、片時も早く訴人せん。もはや思ひ切つたか。」と言へば、「おお、何しに心の残るべき。せめて訴人してなりとも、この恨みを晴らして賜べ。」「げに、よき合点。」と立ち出づれば、又、「暫く。」と引きとどめ、「とは言ひながら、いかに恨みがあればとて、夫の訴人はなるまいか。いや、又思へば腹も立つ。憎いは女め。ええ、是非もなや。」と、或いはとどめ、或いは勧め、身をもだえてぞ嘆かるる。
 十蔵、袂を振り切つて、「ええ、輪廻したる女かな。そこのけ。」と突きのけて、六波羅さして急ぎしは、料簡もなき次第なり。
 かくとは知らで景清は、清水寺に参籠し、轟の御坊に通夜申し、同宿達に双六打たせ、助言してこそ居られけれ。頃は卯月十四日、夜半ばかりの照る月に、ひた兜五百余騎、江間の小四郎大将にて、訴人の十蔵、真先にかけ、轟の御坊、二重三重に取り廻し、鬨の声をぞ作りける。元来こらへぬ荒法師、門外に突つ立つて、「そも、この寺は、田村将軍この方、守護不入の霊地なるに、狼藉は何者ぞ。夜盗なんどとおぼえたり。あれ、討ちとれ、小僧ども。」と声々に呼ばはれば、江間の小四郎、駒駆け寄せ、「さな言はれそ、法師達。御坊に咎はなけれども、平家の落人、悪七兵衛景清、今宵、ここに籠りし由、伊庭の十蔵、訴人によつて、義時、討手に向かうたり。異議に及ばば、寺とも言はせじ、沙門とも言はすまじ。片端切つて、切り散らせ。」と言ひもあへぬに、「悪七兵衛、これにあり。」と切つて出づる。
 常陸の律師永範、この由を見るよりも、「慈悲第一のこの寺にて、信心の行者を空しく討たせて、観世音の誓願はいかならん。防げや、法師ばら。支へよや、下僧ども。」「承り候。」と、衣の袖を絞り上げ、得物得物を引つ提げて、三十余人の荒法師、五百余騎に突つ支へて、命を惜しまず戦ひける。五百余騎が四方に分かつて、隙をあらせず防げども、景清、飛鳥の術を得たれば、左右なく討たれんやうもなし。双方、白みて控へたり。
 景清、縁ばなに突つ立つて、「今宵の訴人は、妻の阿古屋、同じく兄の十蔵とおぼえたり。おのれ、数年の恩愛を振り捨て、大欲に耽る愚人ども。勿体なくも、この御寺に血をあやす奇怪さよ。とても世になき某が、おのれらが身のためならば、何條、命惜しからん。人多く討たせんより、女房兄弟折り合ひて、搦め取れ。」とぞ喚きける。十蔵が下人二三太といふ者、分別もなく跳んでかかる。景清、につこと打ち笑ひ、傍にありける双六盤、片手に取つて投げつくれば、二三太が真向に、響き渡つてはつしと当たれば、首は胴にぞにえ込みける。「おお、でつくともせぬでつちめが、手柄しさうに見えたれども、ぐしぐしと成りけるは、まことにぐにん、夏の虫。」と戯れて立つ処を、十蔵、続いて切つてかかる。景清、長刀押つ取りのべ、「虫同然のこつぱ武者。娑婆の訴人はこれまでぞ。閻魔の庁にて訴人せよ。」と、受けつ流しつ切り結ぶ。江間の軍兵、これを見て、「訴人討たすな。加はれ。」と、どつと連れて押し隔つる。「心得たり。」と景清は、西門を小楯に取り、入れ替へ入れ替へ、大勢を左右に受け、眉間真向鎧の外れ、嫌はず余さず打ち立つる。こは叶はじと軍兵ども、十蔵を引つ包み、六波羅さしてぞ引きにける。
 景清、今はこれまでと、音羽の山の峯を越え、梢を踏み分け巌を起こし、跳び越え跳ね越え、刹那が間に飛ぶが如くに、東路さして落ち行きしは、まことに希代のもののふやと、さて感ぜぬ者こそなかりけれ。

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第三

 かくてその後、悪七兵衛景清、行方知れずなりたれば、最も天下の御大事と、諸国のゆかりを詮議あり。中にも熱田の大宮司は、現在の舅とて、千葉の小太郎搦め取つて、警固厳しく打ち連れさせ、六波羅に引き据うる。梶原源太、大宮司に対面し、「汝は当家の大敵、平氏の落人景清を、婿に取るのみならず、あまつさへ行方もなく落としける。罪科甚だ軽からず。いづ方へ落としけるぞ。まつすぐに申せ。少しも陳ぜば拷問せん。」と、はつたと睨んで怒りける。
 大宮司聞き給ひ、「仰せの如く景清とは、縁を結び候へども、去年の春、国元を立ち出、今に便りも候はず。土も木も、源氏一統の御代なるに、一旦陳じ申すとて、隠し遂げられ申すべきか。婿に取りしを曲事とて、誅せられんは力なく候。行方に於いては存ぜぬ。」と、言葉涼しく申さるる。重忠仰せけるは、「尤も、尤も。たとへ行方を知つたればとて、婿の訴人は致されまじ。たつてはこの方の不調法。いかに、梶原殿。かの景清は、仁義第一の勇士なれば、所詮、大宮司を牢舎させしと伝へ聞かば、舅の難を救はんため、おのれと名乗つて出ん事は、目前に見え候。この儀はいかに。」とありければ、各々、「評定、尤も。」と、六波羅の北の殿に、新造の牢を建て、大宮司を押し籠めさせ、厳しく番をぞせさせける。

小野の姫道行

 人につらくは当たらねど、何の報いや袖の露、枯れも果てなで小野の姫、痛はしや、去年の春、夫は都へ去にしより、阿古屋の松の夕時雨、染め付けられて若紅葉、こひ散らんと明け暮に、人目包みてくいくいと、案じ煩ふ身の上に、父は都の六波羅へ、とりこと成りてあさましや、憂き目に遭はせ給ふとの、その音づれを聞きしより、思ひに思ひ積み重ね、せめては憂きに代はらんと、乳母ばかりを力にて、旅の衣手。
 涙冷たき紅に、紅絹裏濡れて夕されし、空飛ぶ鳥の帰るさに、物忘れせぬ古里の、風も我が身に吹き替へて、今の門出を尾張ぞと、国の名残も慎ましく、身の種蒔きしうぶの神、熱田の宮居伏し拝み、父と夫とを安穏に、悪魔払へと取る弓の、桑名の舟に梶枕、敷き寝の苫の荒筵、はだへに荒れてつらけれど、恋する海人が鴛鴦の、夜の衾とみるめ刈る、かづく刈藻は何々ぞ。歌に詠まれしひじきもや、かだめ甘海苔、春も又、若布交じりの目刺干す、塩屋が軒に竹見えて、をさな鴬音をぞ鳴く、花に紛ひの桜海苔、天を浸せば雲のりに、月を包みてかるとはすれど、手には取られぬ桂男の、ああいぶりさは、いつあを海苔もかだ海苔と、身のさがらめをなのりそや。あら珍しと荒布刈る、二見の浦は遥々と、松の群立ち色の浜、蒔絵によくも似たるよな。あとはしら雲とばかりを、故郷の夢と空さめて、庄野に続く亀山は、誰がため長き万代と、かこつ涙は堰きもせで、何をか関の地蔵堂、せめて未来を頼まばや。上り下りて坂の下、谷の川瀬にからころと、鳴るは河鹿の鳴く声か、小石流れて行く音か、いや水の泡散る玉でないよの。駒の膝節、ちりからからりの鈴鹿山、賤が草鞋の営みに、更けて藁打つつち山や、だての旅路に行くならば、買うてもたもれ水口の、つづら小笠に露漏りて、おのがままなる鬢水は、櫛にたまらぬ乱れ髪、とく疾く行けば洛陽や、六波羅にこそは着かれけれ。

 さて父上のおはします、牢屋はいづこなるらんと、ここかしこにたたずみ給へば、折もこそあれ梶原源太、町廻りして帰るさに、この体をきつと見て、「きやつが有様、只者ならず。何者候。」と咎めける。姫君、聞こし召し上、「さん候。みづからは、尾張の大宮司が娘なるが、故もなきに父を取られ候故、我、命に替はらんため、これまで参り候。」と、言はせも果てず景季、「おお、皆までも言ふな。おのれが親の大宮司に、景清が行方を、言へと言へども知らぬと言ふ。おのれは夫婦の事なれば、よも知らぬ事はあるまじ。既に清水坂の阿古屋は、子のある仲さへ振り捨てて、一度注進申せしぞや。ありのままに白状せよ。」と、小腕取つて怒りける。「なう、恨めしや。命を捨てて、これまで出づる程の心にて、たとへ行方を知つたればとて、申さうか。この上は、水責め火責めに遭ふとても、夫の行方は存ぜぬなり。ただ父上を助けて賜べ。」と、声も惜しまず泣き給ふ。
 「おお、言ふまでもない事さ。おのれ落ちずば、ただ置くべきか。」と、高手小手に縛り付け、六條河原に引き出し、種々に拷問したりしは、なう、情けなくこそ見えにけれ。梶原親子が奉行にて、方一町に垣を結ひ、突く棒刺す又鉄の棒、兵具ひつしと並べしは、さながら修羅の獄卒が、八逆五逆の罪人を、呵責にかくる如くなり。
 痛はしや、小野の姫。荒き風にも当てぬ身を、裸になして縄をかけ、十二の梯子に胴中を縛り付け、哀れも知らぬ雑人ども、湯桶に水をつぎかけつぎかけ、「落ちよ、落ちよ。」と責めけるは、ただ瀧津瀬の如くにて、目も当てられぬ景色なり。無残やな、小野の姫、息も早絶え絶えに、心も乱れ目くるめき、既に最期と見えけれども、いやいや、武士の妻と成り、心弱くて叶はじと、さあらぬ体にもてなし、「いかに、方々。夫の景清、常に清水寺の観世音を信仰し、我にも信じ奉れと、深く教へ給ふ故、今とても尊号を、絶えず唱へ奉れば、この水は観音の、甘露法雨とおぼえたり。今この水にて、死する命は惜しからず。夫の行方は知らぬぞや。千日千夜も責め給へ。南無や大悲観世音。」と、苦しき体を押し隠し、潔くは宣へども、さすが強き拷問に、声も濁りて身も震ひ、弱々と成り給ふは、さても悲しき次第なり。
 「この分にては落ちまじきぞ。やれ、古木責めにせよや。」とて、細首に縄を付け、松の枝に打ちかけて、「えいや、えいや。」と引き上ぐる。下ろせば少し息をつぎ、引き上ぐれば息絶ゆる。哀れと言ふも余りあり。「たとへいかなる鬼神も、これにては落つべし。」と、二、三度、四、五度責めければ、今はかうよと見えけるが、また目を開き、「なう、梶原殿。この木の上に吊り上げられ、世界を一目に見下ろせども、夫の行方は見え申さず。方々も慰みに、ちつと上がつて見給はぬか。これへ、これへ。」とありければ、景時、腹に据ゑかね、「さてさて、しぶとき女かな。この上は引き下ろし、火責めにせよ。」と、炭薪を積み重ね、団扇を以てあふぎ立てあふぎ立て、天をかすめし黒煙、焦熱地獄と言つつべし。
 既に責めんとせし処に、悪七兵衛景清、いづくにてか聞きたりけん、諸見物のその中を、跳び越え跳ね越え、垣の内に躍り入り、「こりや、景清ぞ。見参。」と、辺りをはつたとねめ廻し、二王立ちにぞ立つたりける。姫君、はつと肝潰れ、立ち寄らんとし給へば、人々、取つて引つ据ゑ、「すは、景清を逃すな。」と、一度にはらりと取り廻す。景清、からからと笑ひ、「ええ、仰々し。この景清が隠れんと思はば、天にも昇り、地をもくぐらんずれども、妻や舅が憂き目を見る悲しさに、身を捨てて出たれば、もはや気遣ふ事は無し。さあ、寄つて縄をかけ、六波羅へ連れて行き、妻や舅を助けよ。」と、手向かひしてんず気色なし。
 姫君、涙を流し、「口惜しの有様や。みづからや父上は、生きて甲斐なき憂き身なるに、御身は長らへ、本望遂げんとは思さず、何とてこれへは出給ふ。あさましの御所存や。」と、又さめざめと泣き給ふ。景清も涙を押さへ、「おお、頼もしの心底や。人は素性が恥づかしし。子仲をなせし阿古屋めが、夫の訴人をしたりしに、御身は命に替はらんとは、頼もしや、嬉しやな。さりながら、父大宮司の御事、心もとなうおぼゆれば、御身はこれより疾う疾う帰り、菩提をとうて賜び給へ。」と、鬼をあざむく景清も、不覚の涙を流しける。理せめて哀れなり。
 この事、六波羅に聞こえしかば、重忠、大宮司を同道にて、六條河原に馳せ来り、「さても景清、人の難儀を救ひ、我が身を名乗りて出らるる段、近頃神妙。尤もかうこそあるべけれ。この上は、小野の姫、大宮司、共に御赦免なさるる條、景清に縄をかけ、急ぎ引つ立て申すべし。」畏つて人々、「縄よ、綱よ。」とひしめけば、景清喜び、「それこそ望む処よ。」と、千筋の縄をかかり、先に進めば、小野の姫、「なう、みづからも諸共。」と、駆け出、取り付き泣き給ふを、大勢、中を押し隔て、辺りを払つて引つ立て行く。かの景清の心底、勇あり義あり誠あり、前代未聞の男子なりとて、皆感ぜぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 ・つらけれど――底本「つられければ」。『近松全集 第1巻』により改めた。

第四

 かくてその後、げにや猛将勇士も、運尽きぬれば力なし。不憫やな景清、鎌倉よりの評定にて、六波羅の南おもてに、初めて牢を建てさせらる。櫟白樫、楠の木栂の木、長さ一丈に取らせ、地へは七尺掘り入れ、上三尺の詰牢に、しこの木を以て蜘手格子に切り組んで、一尺二寸の大釘の、裏を返さず打つたれば、剣を植ゑたる如くなり。七尺豊かの景清を、二重に取つて押し入れ、髪を七把に束ねて、七方にこそ吊つたりける。足を牢より引き出し、弓手右手へ取り違へ、山出し七十五人して、曳いたる楠の木にて上げほだしを打たせ、七錠詰金、唐々枢、千引の石、材木を積み重ね、首には根掘りの大筒を、三本までかづかせたり。「諸人に見せて恥かかせよ。」と、番も警固も付けざれども、なかなか五体働かず。
 されば、文王は羑里に捕らはれ、公冶長は刑戮にかかれり。君がため名のため、何ぞかつて憂へんと、観音経の読誦のほか、世間口を閉ぢたれば、声聞、耳にとざせり。動くものは両眼のみ、見る目も悲しく哀れなり。
 いたはしや小野の姫、不思議の命助かり、牢屋近きに宿を取り、酒菓物を調へて、牢の格子に立ちかかり、いたはり給ふぞ哀れなり。やうやうとして景清、心地よげに酒を呑み、「今日は一しほ骨髄に徹つて候。まことに御身の心ざし、いつの世にかは忘るべき。さて、仮初ながら某は、天下の朝敵。定めて最期も遠からじ。今景清が生きたる顔を形見にて、疾う疾う御身は尾張へ下り、後世弔うて賜び給へ。これにつけても、阿古屋めが心底の恨めしさよ。二人の子供も今は早、殺して捨てつらん。思へば思へば景清が、運の尽きこそ口惜しけれ。」と、恨みかこちて泣き給ふ。
 姫君も涙を流し、「御仰せはさる事なれども、とてもみづからは、御最期の先途を見届け、とにもかくにもなり参らせん。一日も一時も御命のあらん内は、往生の御営みを心にかけて、何事も定まる事と思し召し、人をな恨み給ひそよ。いつまでもこれにありたく候へども、人目繁う候へば、明日又参り申さん。」と、泣く泣く帰り給ひける。
 これはさて置き、阿古屋の前、弥石弥若諸共に、山崎山の谷蔭に、深く隠れておはせしが、景清牢舎と聞くよりも、我が身もあるにあらればこそ。六波羅に走り着きて、この体を一目見て、「なう、あさましの御風情やな。やれ、あれこそ父よ、我が夫。」と、牢の格子にすがり付き、泣くより外の事ぞなき。景清、大の眼にかどを立て、「やれ、物知らずめ。人間らしく言葉をかくるも無益ながら、か程の恩愛を振り捨て、夫の訴人をしながら、何の生面下げて、今この所へ来りしぞ。おのれ、指一つかなひなば、掴みひしいで捨てんものを。」と、歯噛みをしてぞ居られける。
 「げに、御恨みは理なれども、わらはが事をも聞き給へ。兄にて候十蔵、訴人せんとせしを、再三とどめて候処に、大宮司の娘、小野の姫とやらんより、親しき御文参りし故、女心のあさましさは、嫉妬の恨みに取り乱れ、後先のふまへもなく、当座の腹立ち遣る方なく、ともかくもと申しつる。後悔、先に立たばこそ。さはさりながら、嫉妬は殿御のいとしさ故。女の習ひ、誰が身の上にも候ぞや。申し訳致す程、皆言ひ落ちにて候へども、今までのよしみには、道理一つを聞き分けて、ただ何事も御免あり、今生にて今一度、言葉をかけて賜び給はば、それを力に自害して、我が身の言ひ訳立て申さん。」と、地にひれ伏してぞ泣き居たる。
 無残やな弥石、父が姿をつくづく見て、「なう、父上ほどの剛の者が、なぜやみやみとは捕らはれ給ふぞ。いで、押し破つて助け奉らん。」と、柱に手をかけ、「えいや、えいや。」と、押せども引けども揺るがばこそ。不憫なりける所存なり。弟の弥若は、ほだしの足に抱き付き、「痛いかや、父上様。なう、痛むかや。」と撫で上げ撫で下げさすり上げ、兄弟、「わつ。」と叫びければ、思ひ切つたる景清も、不覚の涙は堰きあへず。
 ややあつて涙を押さへ、「やれ、子供よ。父がかやうになつたるは、な、皆あの母が悪心にて、縄をも母がかけさせ、牢にも母が入れけるぞ。邪慳の女が胎内より、出たる者と思へば、汝らまでが憎いぞや。父とも思ふな、子とも思はじ。早々帰れ。」と叱るにぞ、子供は母にすがり付き、「なう、父を返しや、父上返しや。」とねだれ嘆きし有様は、目も当てられぬ次第なり。阿古屋は余りたへかねて、「よし、この上は、みづからはともかくも、可愛やな、兄弟に、優しき言葉をただ一言、さりとてはかけて賜べ。なう、子は可愛うは思さぬか。」と、又せき上げてぞ嘆かるる。
 景清、重ねて、「おことがやうなる悪人に、返事もせじとは思へども、な、今の悔みを、など最前には思はざりしぞ。されば天竺に、獅子といふ獣あり。身は畜生にてありながら、智恵、人間に越えたれば、狩人にも捕られず、かへつて人を捕り食らふ。されども腹中に、妬毒といへる虫あつて、この虫、毒を吐く故に、体を破つて自滅すなり。されば、女の嫉妬のあだ、人を恨むと思へども、夫婦は同じ体なれば、皆これ、我が身を責むる理。わ御前がやうなる我慢愚癡の猿智恵を、獅子身中の虫に譬へて、仏も戒め給ふぞや。汝が心一つにて、本望遂げず。あまつさへ、恥辱の上の恥辱を取り、今言ひ訳して、妻子が嘆くを不憫よとて、日本一の景清が、再び心を返すべきか。何ほど言うても、汝が腹より出たる子なれば、景清が敵なり。妻とも子とも思はぬ。」と、思ひ切つてぞ居たりける。「さてはいか程申しても、御承引あるまじきか。」「おお、くどい、くどい。見苦しきに、早々帰れ。思ひ切つたぞ。」
 「なう、もはや長らへて、いづ方へ帰らうぞ。やれ、子供よ。母が誤りたればこそ、かく詫び言致せども、つれなき父御の言葉を聞いたか。親や夫に敵と思はれ、おぬしらとても生き甲斐なし。この上は、父親持つたと思ふな。母ばかりが子なるぞや。みづからも長らへて、非道の憂き名流さん事、未来をかけて情けなや。いざ諸共に、死出の山にて言ひ訳せよ。いかに、景清殿。わらはが心底、これまで。」と、弥石を引き寄せ、守り刀をずはと抜き、「南無阿弥陀仏。」と刺し通せば、弥若驚き、声を立て、「いやいや、我は母様の子ではなし。父上、助け給へや。」と、牢の格子に顔を差し入れ差し入れ、逃げ歩く。
 「ええ、卑怯なり。」と引き寄すれば、「わつ。」と言うて手を合はせ、「許して賜べ、こらへて賜べ。明日からはおとなしう、月代も剃り申さん。やいとをも据ゑませう。さても邪慳の母上様や。助けて賜べ、父上様。」と、息をはかりに泣き喚く。「おお、理よ。さりながら、殺す母は殺さいで、助くる父御の殺さるる。あれ見よ。兄もおとなしう死したれば、お事や母も死なでは、父への言ひ訳なし。いとしい者よ、よう聞け。」と、勧め給へば聞き入つて、「ああ、それならば死にませう。父上、さらば。」と言ひ捨てて、兄が死骸に寄りかかり、打ちあふのきし顔を見て、いづくに刀を立つべきと、阿古屋は目もくれ手もなえて、まろび伏してぞ嘆きしが、「ええ、今は叶ふまじ。必ず前世の約束と思ひ、母をばし怨むるな。おつつけ行くぞ、南無阿弥陀仏。」と胸元を刺し通し、「さあ、今は恨みを晴らし給へ。迎へ給へや、御仏。」と、刀を咽に押し当てて、兄弟が死骸の上にかつぱと伏し、共に空しくなり給ふ。さても是非なき風情なり。
 景清は身を悶え、泣けど叫べど甲斐ぞなき。「神や仏はなき世かの。さりとては、許してくれよ、やれ兄弟よ、我が妻よ。」と、鬼をあざむく景清も、声を上げてぞ泣きゐたり。物の哀れの限りなり。
 かくとは知らで伊庭の十蔵、梶原が取りなしにて、少々勲功に預かり、若党小者あまた連れ、遊山より帰りしが、この体を見て肝を潰し、「これはさて、しなしたり、しなしたり。不憫の事を見るものかな。これ、侍ども。我、この如く御恩賞を受け、栄耀栄華に栄ゆるも、きやつらを世にあらせんため。この頃、方々尋ねしかども、その行方のなかりしが、さては何者ぞ、偏執を起こし、害せしか。但しは大宮司が計らひとおぼえたり。よし、何にもせよ、なほ景清に言ひ分あり。まづまづ死骸を取り置け。」と、傍らに葬らせ、牢屋に向かつて立ちはだかり、「これさ、妹婿殿。いかに怨みあればとて、現在の妻子を殺させ、腕叶はずば、など生き骨でも立てざるぞ。内々は某、御辺が命を申し受け、出家せさせんと思ひしが、もはやほつてもならぬ、ならぬ。侍畜生、大たはけ。」と、厳つはいてぞ申しける。
 景清、くつくつと吹き出し、「こりや、うろたへ者。あの者どもは、おのれが貪欲心を悲しみ、自害したるが知らざるか。それさへあるに、うぬめが口から侍畜生とは、誰が事ぞ。命惜しむ程ならば、かかる大事を巧むべきか。まつた、生きようと思ふ程ならば、へろへろ柱の五十や百、この景清が、物の数と思ふべきや。心静かに観音経読誦する嬉しさに、慰み半分に牢舎してあるものを、緩怠過ぎたるたは言つき。二言と吐かば、掴みひしいで捨てんず。」と、はつたと睨んで申さるれば、十蔵、からからと笑ひ、「その縛めにあひながら、某を掴まんとは、腕なしのふりずんばい、片腹痛し、事可笑し。幸ひ、この頃けんびき痛きに、ちつと掴んでもらひたし。」と、空うそぶいてぞゐたりける。
 景清、腹に据ゑかね、「いで、もの見せん。」と言ひもあへず、「南無千手千眼、生々世々、一聞名号滅重罪、大慈大悲観音力。」と、金剛力を出し、「えいやつ。」と身ぶるひすれば、大釘大縄、はらはらずんど、切れてのいた。閂取つて押しゆがめ、扉をかつぱと踏み倒し、大手を広げて躍り出、八方に追ひ廻すは、荒れたる夜叉の如くなり。群がりかかる若党中間、はらりはらりと蹴倒し、十蔵をかい掴み、取つて押し伏せ、背骨も折れよとどうと踏まへ、「何と、景清を訴人して、御褒美に預かり、栄華と言へるはこの事か。」と、二つ三つ踏み付くれば、「なう、悲しや。骨も砕けて息も絶え入り候。御慈悲に、命を助け下され。」と、声を上げて泣きにける。景清、手を叩きうち笑ひ、「おお、某が褒美には、広い国を取らせん。」と、両足取つて、さかさまに引き上げ、肩を踏まへて、「えいやつ。」と裂きければ、胴中より真二つに、さつと裂けてぞのきにける。
 「ええ、心地よし、気味よし。」と、弓手右手へからりと捨て、「さあ、し済ましたり。この上は、関東へや落ち行かん。いや、西国へや立ちのかん。」と、行きつ帰りつ戻りつ行きつ、一町ばかり走りしが、「いやいや、この度落ち失せなば、また大宮司や小野の姫、憂き目を見んは必定なり。」と、思ひ定めて立ち帰り、元の牢屋に走り入り、内より閂、しとと締め、千筋の縄を身にまとひ、さあらぬ体にて普門品、読誦の声はおのづから、即心菩薩の変化ならんと、皆感ぜぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 ・人をな恨み給ひそよ――底本「人を恨み給ひそよ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・おのれ、指一つ――底本「おれの指一つ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・押せども引けども揺るがばこそ――底本「おせども揺がばこそ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・おぬしらとても――底本「おのしらとても」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・許してくれよ、やれ兄弟よ、我が妻よ――底本「許してくれよ我が妻よ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・出家せさせんと――底本「出家させんと」。『近松全集 第1巻』により改めた。

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