江戸期版本を読む

江戸期版本・写本の翻字サイトとして始めました。今は、著作権フリーの出版物のテキストサイトとして日々更新しています(一部は書籍として出版)。校訂本文は著作物です。翻字は著作物には該当しません。ご利用下さる場合、コメントでご連絡下さい。

カテゴリ: 浄瑠璃

第五

 かくてその後、右大将頼朝公、南都の大仏御再興ましまし、既に成就と訴ふれば、供養の報謝に、急ぎ大赦を行ふべしと、天が下の科人、京、鎌倉の牢を開き、残らず御免なされける。中にも悪七兵衛景清は、朝敵重罪なれば、助くるに処なく、佐々木の四郎に仰せられ、終に首を刎ねられ、今は四海大平なり。大仏供養、御聴聞あるべしと、諸国の大名御供にて、南都に御下向なされける。路次の行列、華やかなり。
 既に我が君、巨椋堤にさしかさり給ふ時、畠山の重忠、息をはかりに馳せ来り、御馬の前にひざまづき、「さても悪七兵衛景清は、御成敗の由、承り候へども、いまだつつがなく、牢の内に罷りあり候。一大事のめしうどなれば、早々首を刎ねられ、しかるべく候はん。」と、謹んで申し上ぐる。頼朝聞こし召し、「不思議の事を申すものかな。景清は、佐々木の四郎に申し付け、一昨日の暮程に首を打たせ、則ちその首、頼朝が見参して、獄門にかけさせしが、ひが事なるか。」と仰せける。
 重忠、重ねて、「その段は存ぜず候へども、重忠は今朝、景清が生き顔を、確かに見て参り候。」と、言ひも果てぬに、佐々木の四郎、つつと出、「いや、これ、畠山殿。筋なき事な申されそ。その景清は某、仰せを承り、高綱が手にかけ、首を刎ね、我が君の実検に供へ、三條畷に獄門にかけて候ものを。景清が二人あるべきか。近頃、粗忽千万。」と、あざ笑うてこそ申さるる。重忠、聞き給ひ、「尤も、尤も。御分が手にもかけつらめ。又、重忠も確かに見て候は、いかに。」高綱、色を違へ、「はて、埒もない事。一度斬つたる景清が、よみ返るべきやうもなし。それは定めて血迷うて、何がな見られつらん。但しは寝ほれて、夢をばし見給ふか。」「いやさ、御分がうろたへて、由なき者を景清と思ひ、切つたるか。」「夢を見たるか。」「慌てたるか。」「これ、目を覚まして思案せよ。」と、気色変はつて争ひける。
 頼朝、段々聞こし召し、「いかさま、佐々木、畠山、粗忽ある人にてなし。不思議千万、晴れやらず。これより取つて返し、頼朝、ぢきに見分くべし。各々、静まれ、静まれ。」と、御馬の鼻を立て直し、都に帰らせ給ひける。
 さる程に、三條畷に景清の首を切りかけ、平家の一族、謀叛の棟梁、悪七兵衛景清と、高札を添へられたり。頼朝、立ち寄り、御覧あり。高綱、重忠を招き、「これ、見られよ。」と仰せける。重忠、猶も不審晴れず。諸大名立ちかかり、よくよく見れば、今まで景清の首と見えけるが、忽ち光明赫奕として、千手観音の御頭と変じ給ひける。歴劫不思議ぞあり難し。しかつし処へ、清水寺の大衆、我も我もと馳せ参じ、「さても一昨日の夜中に、仏前の蔀、各々開きて候故、もし盗人の業にやと、御戸を開きて候へば、観世音の御頭切れて、失せさせ給ひ、切り口より血流れて、礼盤、長床、朱に染み、勿体なき御風情に拝まれさせ給ひ候故、驚き入つて注進申し上げ候。」と、事の次第を申し上ぐれば、君を始め奉り、畠山も高綱も、供奉の上下押しなべて、あつと感ずるばかりなり。
 君、信心の感涙を流させ給ひ、「まことや景清、年来、清水寺の観世音を信じ奉り、十七の春より三十七の今日まで、毎日三十三巻の普門品を読誦、懶怠なく修行せしと聞きけるが、疑ひもなく観世音、兵衛が命に替はらせ給ふ有難さよ。」と、御手を合はせ給ひければ、僧俗男女、下々まで皆々、礼拝恭敬して、涙を流さぬ者は無し。重ねての御諚には、「かくてはいかが。勿体なし。急ぎ、千人の僧を供養し、一万座の護摩を焚かせ、御頭を継ぎ奉れ。法事の上にて景清にも対面致すべし。いざ、頼朝も参詣せん。」と、御身を清め、仏の御頭を直垂の袖に受け入れて、清水寺への御参詣、ためし稀にぞ聞こえけれ。枯れたる木にも咲く花の、千手の誓ひぞ有難き。
 かくて頼朝、御法事も事終はり、仏の御頭を継ぎ参らせ、宿坊に入らせ給ひける。時に佐々木、畠山、景清夫婦を伴ひ、御前に出らるる。頼朝、御覧じ、「珍しや、景清。我を平家の敵とて、狙ひ討つべき心ざし、神妙、神妙。尤も武士の憤り、げに、さうもあるべけれ。しかれば、頼朝がためには御辺、また敵なれば、打つて捨つべき者なれど、汝が身には観世音、入り替はりまします故、再び害せば、観音の御頭を再び打つ道理。勿体なし、勿体なし。もし又頼朝、運尽きて、御辺に討たるるものならば、観世音の御手にかかると思ふべし。この上は助け置き、日向国宮崎の荘を宛て行ふ。」と、御懇情の御言葉に、御判を添へて賜はりける。
 景清、涙をとどめかね、「まことに身に余りたる御諚の段、生々世々に有難く、魂に徹つておぼえ候。かく情けある我が君と知らで、狙ひ申せし景清が、所存の程こそ悔しけれ。」と、御前をもうち忘れ、声を上げてぞ泣き居たり。さて、御かはらけ賜はり、諸国の大名残りなく、みなみな杯さし給ふ。重忠、仰せけるは、「かかるめでたき折と言ひ、かつは我が君、御慰みのため、わ殿、屋島にて高名の様子、語つて聞かせ給へ。内々、君も御所望ありしぞ。平に、平に。」とありければ、頼朝公を始め参らせ、満座の人々一同に、「早、疾く疾く。」と望まるる。景清、辞するに及ばねば、袴の裾を高く取り、御前に色代し、過ぎし昔を語りける。
 「いで、その頃は寿永三年、三月下旬の事なりしに、平家は舟、源氏は陸、両陣を海岸に分かつて、互に勝負を決せんと欲す。能登守教経、宣ふやう、『去年、播磨の室山、備中の水島、鵯越に至るまで、一度も味方の利なかりし事、ひとへに義経が謀り事、いみじきによつてなり。いかにもして、九郎を討ち取る謀り事こそあらまほしけれ。』と宣へば、景清、心に思ふやう、判官なればとて、鬼神にてもあらばこそ。命を捨てば易かりなんと、教経に最期の暇乞ひ、陸に上がれば源氏の兵、余すまじとて駆け向かふ。景清、これを見て、物々しやと、夕日影に打ち物ひらめかいて、切つて懸かればこらへずして、刃向かひたる兵は、四方へばつとぞ逃げにける。さもしや、方々よ。源平、互に見る目も恥づかし。一人をとめん事は、案のうち物、小脇にかい込んで、某は平家の侍、悪七兵衛景清よと、名乗りかけ名乗りかけ、手取りにせんとて追うて行く。三保の谷が着たりける兜の錏を取り外し取り外し、二、三度逃げ延びたれども、思ふ敵なれば、逃さじと飛びかかり、兜をおつ取り、えいやと引くしほに、錏は切れて、こなたにとまれば、主は先へ逃げ延びぬ。遥かに隔てて立ち返り、『さるにても汝、恐ろしや。腕の強き。』と言ひければ、景清は、『三保の谷が首の骨こそ強けれ。』と、笑つて左右へ退きにける。昔を忘れぬ物語、お恥づかしう候。」と、語り給へば人々は、一度にどつとぞ感じける。
 かくて我が君、御座を立たせ給ひければ、大名小名、続いて座敷を立ち給ふ。景清、君の御後ろ姿をつくづくと見て、腰の刀をするりと抜き、一文字に飛びかかる。各々、「これは。」と気色を変へ、太刀の柄に手をかくれば、景清、すさつて刀を捨て、五体を投げ打ち、涙を流し、「ああ、南無三宝、あさましや。いづれも聞いて賜はれ。かく有難き御恩賞受けながら、凡夫心の悲しさは、昔に返る恨みの一念。御姿を見申せば、主者の敵なるものをと、当座の御恩は早忘れ、尾籠の振舞、面目なや。まつぴら御免を蒙らん。まことに人の習ひにて、心に任せぬ人心。今より後も、我と我が身を諫むるとも、君を拝む度毎に、とてもこの所存は、やみ申さず。かへつてあだとや成り申さん。とかく、この両眼のある故なれば、今より君を見ぬやうに。」と、言ひもあへず、差添抜き、両の眼玉をくり出し、御前にさし上げて、頭をうなだれ居たりけり。
 頼朝、甚だ御感あり。「前代未聞の侍かな。平家の恩を忘れぬ如く、又、頼朝が恩をも忘れず、末世に忠を尽くす事、仁義の勇士、武士の手本は景清。」と、数の御褒美あさからず。鎌倉さして入り給へば、なほ景清は観音に、三万三千三百巻の、普門品を読誦して、日向国を本領し、喜び喜び退出す。「なほなほ源氏の御繁昌、国静謐の始めなるは。」と、皆万歳をぞ唱へける。

出世景清 終

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・重忠、猶も不審晴れず――底本「重忠も不審晴れず」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・生々世々に有難く――底本「生々世々に有り難き」。『近松全集 第1巻』により改めた。

百日曽我(一名団扇曽我)

第一

 文宣王は大野に狩して麒麟を得。韓退之が獲麟の解に曰く、麟は徳を以てして、形を以てせずと云々。麟は仁獣にして、生けるを食らはず、生草を踏まずとも言へり。道ある君が御狩場や、麒麟を得ずといへども、農業を妨げず、民を助けて山田もる。火串の光明々として、斐たる君子の一遊一予、国をなびかす旗棹の、すぐなる掟、楽しめり。
 これ時、建久四年仲夏下旬、征夷将軍頼朝卿、富士の御狩の当日を、待つも程なきみじか夜や、御発向は寅の一点、仮屋の木戸もあけ方に、御出馬の御触れあり。昵近外様の大小名、狩装束に美を尽くし、勢子の人数は所領の高下、面々持ちの場所にまとひを立て、組子には思ひ思ひの笠印、袖印。さて御鷹は、つみ、ゑつさい、さしば、せう、隼、このり、鷲、熊鷹、白鳥捕りの朝鮮鷹、揃へて三千余もとなり。逸物の犬、唐犬、これも同じく三千疋。馬鞍皆具の綺羅飾り、花と紅葉を武蔵野に、一度に眺むる如くにて、御感はなのめならざりけり。
 ここに、信濃国の住人、海野の小太郎行氏、八十ばかりの老入道を、御前に引つ据ゑ申すやう、「只今、御仮屋へ参勤仕る処に、この入道、弓矢携へ、ほの暗きに、御仮屋の辺、忍んで徘徊致す体、さながら山賊強盗とも見えず。必定、平家の余党と存じ、早速召し捕り候。きつと御糾明あるべし。」とぞ申しける。頼朝、聞こし召し、「先年、大仏供養の時、悪七兵衛景清が、頼朝を狙ひしためしもあり。いかさま、おのれ、仔細あるに紛れなし。まつすぐに白状すべし。陳じなば、拷問せん。いかに、いかに。」と仰せければ、この入道、ちつとも臆せず。
 「今は、何をか包み申さん。某は一とせ、奥州衣川にて御腹召されし、九郎判官義経の家臣、武蔵坊弁慶が父、熊野の別当弁真が、生き残りたる身の果て候。忝くも我が君、今、天下の武将と仰がれ給ふは、全く判官殿の戦功なるに、讒人の口によつて、一日も安堵の思ひなく失はれさせ給ひ、子にて候弁慶も、冥途の御供仕りぬ。せめて無念を晴らさんため、討死したる御家人どもが、産み捨てし子にても候はば、幼少なりとも駆り集め、心ばかりの弔ひ軍、仕らんずる血祭に、まづ讒者を一矢と心がけ、忍び寄つたる甲斐もなく、海野とやらんに見付けられ、白状、無念の至りなれども、君故捨つる老いの命、疾く疾く首を召されよ。」と、返答涼しく申しける。頼朝、聞き給ひ、「これ、一応の事ならず。後日に評議あるべき條。まづそれまでは、いたはれ。」とて、和田の義盛に預け置かれけり。
 時に工藤左衛門祐経、進み出、「まことにかの法師、そのまま置かば、何事か仕出し、御遊興の妨げならんに、いしくも仕つたる海野の太郎、御褒美下されしかるべし。」と取りなせば、君、御悦喜の余り、「おお、尤も、尤も。何にても褒美を望め。」と仰せある。海野、面目施し、「御諚、冥加に叶ひ候。しからば御秘蔵の御名馬、陸奥より召されたる、松島月毛を賜はりなば、千町万町の御加増にも、まさりて喜び奉らん。」と、申しも果てぬに祐経、「おお、何しに御意に異変あらん。誰かある、御馬引け。」と取り持つ処へ、新田の四郎忠常、憚らず、つつと出、「暫く、暫く。工藤殿、かの御馬には言ひ分あり。某、先年、富士の人穴へ入り、御褒美望めとありし時、松島月毛拝領を願ひしかど、御出陣の召し料とて、某願ひ、叶はぬ処に、老いぼれの痩せ法師、召し捕つたる御褒美とて、只今海野に賜はつては、忠常が武士道立ち難く、且は上の御依怙に似たり。よし、それとても工藤殿の御取持にて、是非海野に下されなば、某も思案候が、御返答承らん。」と、色を違へて申しける。
 祐経、えせ笑ひ、「緩怠なり、忠常。以前は以前、今は今。御辺が望みあればとて、日本の武将として、誰に恐れて御言葉を違へらるべきぞ。この祐経が取持にて、海野に拝領せさせんが、して御分が思案とは、どうした思案。聞かん。」と言へば、「いや、只思案までもなし。かの御馬を胴中より二つに切り、まづは某、頭の方、海野にはともの方、御前にて半分づつ切り取るなり。」と怒りける。
 海野もせいて、膝立て直し、「某が拝受の御馬、半分づつ切り取るとは。愛宕白山、指もささば堪忍せぬ。」と詰めかくる。忠常も刀に手をかけ、「おお、拝領したくばしても見よ。諏訪八幡も照覧あれ、馬人共に一討ち。」と、三方論議の意地づくは、危ふくも晴れがましく、各々、手に汗握りし時、大将、扇を上げ給ひ、「新田も海野も静まれ、静まれ。これは双方道理にて、頼朝が不念なり。まづ、かの馬を只今は、頼朝が預かりたり。二人共に今までに、一度づつの誉れあり。これより後、両人の内、二度づつの手柄をして、以上三度の高名あらん者に、相違なく取らすべし。この言葉偽らば、氏の神の御罰を得ん。」と、忝くも御大将、御誓言ありければ、二人は「あつ。」と頭を下げ、恐れ入りたる礼儀の体。大将軍の御料簡、各々感ずるばかりなり。
 重ねて仰せ出さるるは、「今、弁真が言葉によつて案ずれば、平家の余類を始め、義経の家人等、錦戸が一族、伊東入道の末葉なんど、頼朝に恨みある者、多かるべし。敵の末は根を絶つて、葉を枯らせと伝へたり。新田、海野に言ひ付くる。父親知れぬ幼き者を、尋ね出して吟味せよ。大磯小磯の遊君は、言ふに及ばず。その父分明ならぬ子は、懐妊たりとも腹を裂き、きつと詮議を加ふべし。」と、仰せ厳しき御狩場の、番手番手の槍印、御馬印の目に高き、富士の裾野に出給ふ。
 新田の四郎忠常は、大事の仰せを承り、「あはれ、しかるべき御敵の末を詮議仕出し、高名三度の数を合はせ、松島月毛を拝領し、海野、工藤に手柄を見せん。」と、駒を早むる大磯の、波ここもとや、並木の蔭より、若き女のつつと出、「これ、申し、新田様。お侍と見受けたり。ちと頼みたき事あり。」と、轡づら、しつかと取る。をなご力も駒なづむ。郎等ども立ち騒げば、新田、元よりさる者にて、「さなせそ、さなせそ。見かけて頼むとあるからは、聞き届けでは通られず。して女郎、仔細によつて頼まれうが、無心とは何事。」とあれば、「まづ以て忝し。そのお言葉は違ふまいな。」「はて、疑はしくは、誓文立てうか。」「いや、それまでも及ばず。さあらば語り申すべし。みづからは、今朝御狩場にて海野殿に捕らはれし、入道が娘、花野と申す者にて候。そも、その入道が、武蔵坊弁慶が父、弁真と名乗りしは偽り。まことは、曽我の兄弟の下人、鬼王、団三郎が父、津蔵の入道と申す者。御主の敵、祐経に一矢と思ひ、忍び入り、思ひの外に召し捕られ候を、御前にて、鬼王、団三郎が親と、ありのままに名乗りなば、御勘気の曽我殿の大事と思ひ、名を隠し、弁慶が父弁真と、あらぬ事を申せしと存ずるなり。それにつけて、鎌倉殿より、父親知れぬ子のあらば、懐妊なりとも腹を裂き、詮議せよとの御諚を、承り給ふとかや。頼み申すはここの事。曽我兄弟の人々は、浪人のつれづれに、折々の色里通ひ。馴染の方もありと聞けば、遊女の腹に情けの胤の、宿るまいものでなし。よし、その事は構はねども、それからそれがどうこけて、御兄弟の御身に、万一お祟りある時は、もとみづからが親入道が、仕損じより事起こる。これを哀れと思し召し、御聞き届け候ひて、もしも曽我殿の子胤など候はば、御料簡頼み奉る。」と、理を尽くし事を分け、手を合はせてぞ嘆きける。
 新田、聞きもあへず、「さては、お事は、聞き及ぶ鬼王が妹。今朝の入道も、弁慶が父とは偽り。鬼王兄弟が親なるとや。さてさて、余儀なき頼み事。心得たりと言ひたいが、ここに一つの難儀あり。海野と某、御前にて、松島月毛といふ名馬を争ひ、三度の手柄ある者に、賜はらんとの御諚を蒙り、両人が我先に、何をがな手柄にと、意地を張る最中。曽我は伊東の末なれば、我が君の御あだ。海野に先を越され、かの御馬を取られては、某、腹を切るばかり。この事に於いては成り難し。外の事は何なりとも、無心あらば聞くべし。」と、言ひ捨てて乗り出す。
 「なう、お情けなし。」と、尾筒を取つて引き戻し、「御理、至極致したり。まことにお侍の、手柄にせんと思し召すを、とどむるは不調法。その返礼に、進ずる宝の候。」と、守り袋より一包み取り出し、「これは、韃靼国より渡りたる、虎の生き爪にて候。死したる虎の爪はあれども、生き爪は稀なる物。まことや、虎は獣の王にして、地を走る獣、おぢ恐るるは必定。わらはが在所、三河国阿部山の狩人、この虎の生き爪を、守りにかけて狩に出づるに、いかなる荒熊、荒猪も、易々手取りに致す事、猫の鼠を取る如し。これを只今参らせん。御身に付けて御狩場にて、猪とも熊とも引つ組んで、人の及ばぬ手柄を遊ばさば、海野が先は、よも越さじ。いでいで、証拠を見せ申さん。随分御馬に鞭打ち給へ。」「心得たり。」と乗り出す。娘は先に立ち塞がり、追ひ戻せば、たぢたぢたぢ、とどろとどろと千鳥足、四足を折つて恐れしは、不思議なりける次第なり。
 忠常も、我を折つて喜び、「希代の重宝、手に入るからは、御狩にて高名し、海野が望みの御馬を、拝領して名を挙げん。この上は曽我兄弟、いかなる狼籍ありとても、子孫までも見逃しなり。弓矢八幡大菩薩、この言葉に偽りなし。お事が父も和田殿と、内通して助くべし。人見付けては、いかがぞ。」と、さらばさらばもよそごとに、聞き捨てて行くほととぎす。五月の空の雨曇りに、紛れてこそは別れ路の、宵の移り香焚きしめて、昼まで寝るを作法にて、よそと門地の揚屋町。くつわの亭主、下々まで、それを習ひに朝寝する、大磯小磯化粧坂、朝顔知らぬ里ぞかし。
 町の番太、慌ただしく、「何事やらん。御詮議とて、新田殿、海野殿、御出なり。」と触れ歩く。町の年寄五人組、寝ほれ髪に袴肩衣、土にひれ伏し居たりける。程なく両人入り来り、「この度、仔細あつて、孕みたる傾城の父親を御詮議ある。少しも偽るに於いては、腹を切り裂き吟味する。懐妊の傾城ども、残らず出せ。」と申しける。町人ども承り、「懐妊と申しても、三、四人ならでは候はず。それ、まづ藤屋の竹取り、出よ。」と言へば、恋には恥ぢぬ傾城も、包む色にや胸高の、帯で隠すもしをらしし。海野、新田、言葉を揃へ、「汝が孕みし子の親は何者ぞ。帳に記し、鎌倉殿、御覧あるぞ。偽るな。」「さればとよ、この子の親は京の衆。たまたまとは言ひながら、勤めで会はねば真実の、人目を包む闇の夜や。烏丸の烏帽子屋、折り様。」と言ひければ、海野、帳にぞとめにける。
 次に出しは、「井筒屋の檜垣と申す新造。」と、傍から言ふも恥づかしく、打掛の褄打ち合はせ、見せじとすれど振袖の、下より洩るるふくよかさ。「その子が父は誰なるぞ。」問はれて顔も赤くなる。「紅葉が谷の客なるが、ひよつと変はるな変はらじの、その言の葉で孕み句や。連歌師の山様。」と、同じく帳にぞ付けにける。その次は眉目悪く、歩きぶりさへ横町の、「青柳と申し候なり。」「さて汝が胎内の子の親は何者ぞ。」「誰と申して我が身には、二人の客も荒磯の、荒井の宿の馬方、本名は六蔵、替へ名は四の二。物思ふ、流れの浮き身を捨ててんあるある、或る人の申されしは、色も顔もお腹も脈も、只ではない。定めて定めてあん青梅、好きやらば、つはりでござろ。面妖な、不思議や。中戸のかね言が、はや七月。」とぞ答へける。
 さてその次は虎御前、おめる色なく二人の前に立ちながら、「お尋ねなれどもみづからは、身持ちにては候はず。勤めの憂さがつかへと成り、かかる病を受け候。よし又、身持ちなればとて、夜な夜な替はる男の数、どれがどれやら何のその、それに覚えのあるものか。」と、言ひ捨て帰れば海野の太郎、「やいやい、ばいため。待ちをらう。やあ、の太い奴め。おのれと曽我の十郎事、知るまいと思ふか。祐成が子に極まつた。さあ、ぬかさぬか。」とぞ脅しける。
 新田、曽我といふ声に、花野が契約思ひ付き、「いや、海野殿。浪人なれども祐成も侍。おし付けて、さうも言はれず。病とあらば病にして、帳面を済まされよ。」と言へば、海野、聞きも入れず。「宥免するも事による。曽我は君の御あだ。不吟味には成り離し。腹を裂かん。」とひしめきける。忠常、ちやくと思案を出し、「ええ、是非もなし。今は何をか包み申さん。あれは拙者が子にてあり。某、虎に通ひしかど、世間を憚り、曽我といふ仮名をして、遣り手、禿、廓中、懐妊するまで隠せしが、手詰めなれば打ち明ける。沙汰なしに頼み申す。」と言へば、虎は嬉しく、「はて、卑怯千万な。たとへ今死ねばとて、それを今言ふ事か。」と、言葉を合はする利発さよ。
 海野、頭を振つて、「お言やるな、おい遣るな。この場をさまし、重ねて曽我がゆかりとて、一人の手柄にせん巧み。当座の出来合ひ。但し、虎と馴染のある証拠は、証拠は。」と、ひどく問はれて、「むむ、して証拠あらば、宥免あらうな。後にいなとは言はせぬが。」と、言葉を詰めても証拠はなく、心を砕き、思ひ付き、花野が与へし猛虎の爪、守りより取り出し、「これ、この書付を見給へ。虎の生き爪と書いてあり。離しくれたる虎が爪、守りにかけたる間夫男。疑ひ召さるは合点、合点。今朝の遺恨に胎内の、倅を殺さうのむさい心底、白癩きかぬ。」とぎしめけば、まこととや思ひけん、勢ひにや恐れけん、「ああ、短し、忠常。証拠あれば疑ひなし。帳面も難かしし。」と、虎は病に片付けける。新田が思案なかりせば、危ふき曽我の運命なり。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・誰かある、御馬引け――底本「誰かある、馬引け」。『近松全集 第3巻』により改めた。
 ・とどむるは不調法――底本「止むる不調法」。『近松全集 第3巻』により改めた。

(第一 下)

 かかる処へ海野が方へ、祐経より早使。「富士野の御狩、真最中。しかるに只今、幾年経るとも知れぬ猪、荒れ出、勢子四、五十人懸け殺し、各々あぐんで見え候。御詮議早く御しまひ、この猪とめて高名し、望みの御馬拝領あれ。事、急なり。」とぞ告げたりける。海野は「あつ。」と言ふよりも、挨拶もなく駆け出す。遅れじものと新田の四郎、一散に駆け出、後になり先になり、足もためず走りしは、さながら競馬の如くなり。
 案の如く狩場には、幾年ふりし猪の、牙は剣の如くなるが、鹿矢三つ四つ負ひながら、近付く者を懸け倒し、落ち合ふ者を踏み散らし、大きに猛つて、巌窟を小楯に構へ、鼻をふき、寄らば懸けんずその勢ひ。人々、馬を立てかねて、勢子も乱れて漂ひける。養由が術、きよりくりうが神変も、かなふべしとは見えざりけり。
 君、団扇を閃かし、「誰かある。あの猪とめ、高名せよ。」と呼ばはり給へば、武蔵国の住人、太楽の平馬の丞、「某、とめて御酒宴の御肴に。」と、夕日に輝く大太刀かざし、出たりける。猪は岩根に身を伏せて、跳び懸からんとする気色、ただ牛鬼とも言つつべし。言葉には似ざりけり、面も振らず逃げて行く。
 平馬が姉婿、愛甲の三郎、熊手引つ提げ駆け向かふ。猪は身を振り、跳び懸かり、弓手の腕を懸け切れば、熊手を捨ててぞ入つてけり。安西の弥七郎、「返せ、返せ。」と声をかけ、長刀構へ、駆け向かふ。猪は怒つて歯をみがき、唸りてかかるその声も、高股を引つかけて、三間ばかり振り上げしは、鞠の曲とも言つつべし。臼杵の八郎景信、続いて懸かれば隙間もなく、眉間を二つに引つ懸けられ、眼くらんで引いたりけり。御所の黒弥五、これを見て、大の尖り矢打ちつがひ、暫し固めて切つて放す。矢よりも早く跳び来り、腰のつがひを横がけに、ざつふと懸けてぞ落としける。岡部の三郎、原小二郎、槍引つ提げて両方より、上段下段の包み突き、はつしはつしと突き懸かる。猪は一期の死に狂ひ、ひらりと跳んではかつしと跳ね、くるりと廻つてちやうど懸け、くるりくるり、はたはたはた、蝶鳥なんどの如くにて、怯む気色の見えざれば、二人もあぐんでさつと引く。
 猪は岩根に身を縮め、花の嵐に猛りをかき、息継ぎしたる有様は、すさまじかりける次第なり。新開の荒四郎、「憎し、きたなし、方々よ。鬼神にてもあらばこそ。あの畜生を恐れては、まことの合戦なるべきか。某が打ち殺し、皮引つ剥いで障泥にせん。」と、突棒取り延べ打つてかかる。猪は睨んで歯を鳴らし、只ひと懸けと唸りけり。この勢ひに恐れをなし、突棒からりと投げ捨てて、鹿垣を押し破り、高這ひして逃げければ、数万の狩人声を上げ、一度にどつとぞ笑ひける。
 海野小太郎行氏、真一文字に駆け来り、「この猪を組みとめなば、高名三度に足らずとも、御馬を拝領致さん。」と、小太刀をかい込み、躍り懸かれば、猪はすかさず一足に、跳ぶとぞ見えしが小太郎が、膝口より踝まで、真下りに懸け通せば、片足立ててちがちがと、勢子の中にぞ逃げ入りける。
 今は折り合ふ者もなく、いたづらに守り居る処へ、新田の四郎忠常、遅ればせに駆け付き、「あら、物々し、仰々し。漢の李広は石虎を射る。明の金氏は女なれども、猛虎を打つて夫を助く。たとへ鉄石を丸めたる猪なりとも、しや何事かあるべき。」と、箙竹笠かなぐり捨て、「ゑいや、おふ。」と声をかけ、二丈余り跳び上がり、向かうざまに乗り移れば、さかさまにこそ乗つたりけれ。猪は乗られて怒りをなし、土を蹴立て、木の根を穿ち、雲と霞に分け入つて、跳び越え跳ね越え、駆け上り駆け下り、虚空を飛んで廻りしは、周の穆王、法のため、八疋の龍馬に乗じ、万里を刹那に至りしも、かくやらんとぞ見えてける。
 新田は馬上の名人にて、楽天が三つ頭、王良が秘密の鞭、尾筒を手綱にしつかと取り、腰も切れよと締め付け締め付け、沓行縢は山おろしに、さらさらさつとちぎれてのけば、大童に乱れなつて、ただ落ちじ、落ちじ落ちまじとぞこらへける。小笹茅原、巌石枯木、打ち付け打ち付け猛りをかき、落ちば懸けんとあがきしが、新田は虎の爪を持つ。その威勢にや恐れけん、とある臥木につまづきて、弱る処を誤たず、差添抜いてあばら骨、四、五枚ばらりと掻き切れば、四足を土に踏み入れて、立ちすくみになる処を、やがてひらりと跳んで下り、数のとどめをさしもの猪、しとめて新田は悠々と、扇を使うて立つたれば、大将軍を始めとし、大名小名、勢子狩人、足軽荒らし子一同に、「乗つたり新田、とめたり四郎。でかいたでかいた、手柄手柄。いや、いや。」どつと喚く声、山も崩るる如くなり。
 頼朝、御感限りなく、「新田が振舞、千度百度の高名にも優りたり。松島月毛を取らするなり。」と宣へば、祐経、進み出、「松島月毛の事は、高名三度ある者に、賜はらんとの仰せなるに、たとへ鳴る雷と組めばとて、三度の都合も合はざるに、忠常に賜はりては、海野の太郎に腹切れよとの仰せかや。まづこの度は御無用。」と、たつて止むれば力なく、「まづまづ休息仕れ。」と、御本陣に入り給へば、大名小名、人数をまき、皆々仮屋に入り給ふ。
 新田の四郎忠常、本意なげに見送り、「ええ、につくい祐経。海野とおのれと縁者ゆゑ、きやつに誉れを付けんため、度々、我に恥辱を与ふ。出頭一の祐経が首取つて、高名三度の都合にせん。」と立ち上がる処へ、若者一人、木蔭より、つつと出、「申し、申し、新田殿。前代未聞の御手柄、目を驚かし候。拙者は曽我の十郎祐成と申す者。先刻、廓にて、虎が難儀を御身に受け、救はせ給ふ御懇切、生々世々の御厚恩、御礼申し上げ候。」と、頭を地に付け礼儀をなす。
 「さては、承り及ぶ十郎殿か。某、猪をとめたるも、御家来、鬼王が妹、虎の爪を与へし故。その契約に虎御前を、助け申し候へば、御礼は為替に仕る。この爪返弁申す間、花野とやらんに返して賜べ。某は祐経めを、討たで叶はぬ意趣あり。」と、跳んで出るを引きとどめ、「これ、申し。重ね重ねの御無心なれども、祐経は我々が、大事の親の敵。御自分に討たれては、曽我兄弟が侍立たず。暫しの無念を休められ、きやつを我等に討たせて賜べ。易々と討ちおほせ、御所近く切り入らん時には、狼藉入りたりと、折り合はんは必定。千騎万騎が防ぐとも、我々兄弟、物の数とは存ぜねども、新田の四郎忠常と、御名乗りを聞くならば、首さし延べて討たれ申さん。しかれば我等も本望遂げ、貴殿は三度の高名なり。聞き分けて賜べ、新田殿。」と、理を尽くしたる言葉の末。
 忠常、うなづき、「おお、出来た出来た、面白し。さあらば祐経討ち給へ。わ殿が首は貰うたぞ。」「いかにも、遣つた。」「忝い。」「それまで随分御堅固に。」「そなたも御無事に。」「お暇申す。」「御ざらうか。」「首を取つたり、遣るまでの、まづこれがお暇乞ひ。」と、互の一礼こまごまと、降る五月雨や袖傘の、竹笠取つて打ちかづき、新田は仮屋、曽我は伏屋に立ち帰る。述べも述べたり、答へも答へたもののふの、言葉の末は神妙、神妙神妙なりとて、後に聞く人、感じけり。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・片足立てて――底本「片足立つて」。『近松全集 第3巻』により改めた。
 ・某、猪をとめたるも――底本「其の猪をとめたるも」。『近松全集 第3巻』により改めた。
 ・虎御前を、助け申し候へば――底本「虎御前を助け候へば」。『近松全集 第3巻』により改めた。

第二

 己が人に及ばざるを恨みず、人の己に優るるを嫉むは、小人の習ひ。されば、海野小太郎行氏、新田と武功の争ひ、蝸牛の角の角目立ち、挑み励むといへども、新田が猪に乗つたりし、手柄に続く手柄もがなと、心は強情に手も立たず、空しく気根を費やしける。元より祐経、縁者と言ひ、仲良しなれば、あの弁慶が父弁真と、名乗りし津蔵の入道を、鬼王が親とは夢にも知らず、和田に預け置かれしを、工藤祐経取り成しにて、暫く申し預かり、この弁真を目印にて、狩場の見物、群衆の中を、東西南北引き通り、もし見知りたる者あらば、それぞ義経の家来筋、鎌倉殿の御敵と、召し捕つて高名し、新田が手柄を踏み付けんと、巧む思案も廻り遠き、野山を引いてぞ巡りける。
 曽我兄弟は聞き及び、「譜代の下人をめしうどと成し、亡からん後まで恥辱なり。人も多きに和田殿の、御預かりこそ仕合はせなれ。ひそかに嘆き申して見ん。さりながら祐成は、人、見知れり。昨日今日の元服にて、五郎は見知る人なし。」と、鬼王兄弟、妹の花野、和田の仮屋へ急ぎける。海手山手を限りにて、大垣乱杭逆茂木引き、東海東山三十三ヶ国の、大小名の仮屋のしるし、所々に木戸を打ち、御家人給人商人見物、行き交ふ人に紛れても、時宗はこの夕、敵討たんと思ひ込み、眼を四方に見配りて、案内窺ひ通りける。所こそあれ、海野が持ちの木戸口にて、てきめんにはたと会ふ。花野、父の入道を見付け、「あれよ。」と言へば、鬼王、団三郎、「これはいかに。」と仰天す。入道、怒つて、「やあ、某は見知らぬ奴等。何者なればうろたふる。この入道に知られては、穿鑿が難しい。早く通れ。」と、つかうどに言ひ放す。
 海野、聡き男なれば、「いや、待て待て。彼等がし方、両方見知つたるに紛れなし。さあ、何者ぞ。まつすぐに言へ。さなくば、いつかな後へも先へも遣らぬ。」と言ふ。鬼王兄弟、つつと出、「御尤も千万。我等は上方の貧者にてござ候。これなるは妹。老いたる親を育みのため、奉公稼ぎに方々、召し連れ廻りし時、いづ方にてやら、あの御坊、見たるやうに候故、さて只今の通り。」と、言ひ捨てて通らんとす。海野、眉をしかめ、「どこへ、どこへ。して、その見たると言ふは、いづくにて見たるぞ。うろんならば、通しはせぬ。勿論、戻しもせぬ。搦め置くが、いかに、いかに。」と、一面に取り廻す。
 鬼王兄弟、大事と思ひ、「これは近頃、不祥なる処へ、参りかかつて候ものかな。妹が奉公稼ぎのため、方々廻りし事なれば、いづ方とはおぼえ候はねども、まづ上方の女の習ひ、大内方を望む故、中宮女院仙院十二の対の、局々の女嬬お末、内侍所への刀自采女、公家に松殿薄殿、近衛関白政所、一條殿や九條殿、久我菊亭に花山の院、頭の中将頭の弁、儀同三司女三の宮、お比丘尼御所まで稼ぎしが、御所の風には合はずとて、両六波羅の屋敷方、武家は行儀難しく、ここもあり付き縁薄き、衣の棚や珠数屋町、巡り巡りて室町の、糸屋組屋ひさぎ女に、御影堂の扇折り、骨身を砕き稼げども、都の奉公口もなく、西国方へ身を絞る。豊後国の染殿や、そこをも既に立ち別れ、因幡丹後の紙漉き奉公。それより紀州熊野には、よき奉公の口ありと、聞くをしるべに立ち越えしに、それは小歌比丘尼とて、尼にする由承り、逗留もせず帰りしが。おお、それよ。今思ひ合はすれば、熊野山のどこやらにて、ちよつと見たる御坊にて候。さあ、御通し候へ。」と、つつと行かんとする処を、「どつこへ、どつこへ。ええ、うぬめらは痴れ者かな。いりもせぬ長口上、紛らかして通らんとや。熊野山にて見たるとて、似つこらしく言ひ廻す。察する処、おのれは義経の家来、熊野の住人、鈴木亀井が一族よな。この弁真めと心を合はせ、鎌倉殿へあだをなす、御敵の張本。搦め取つて高名にせん。それ、逃がすな。」とひしめく処へ、五郎時宗、編笠取つて大手を広げ、「やあ、権柄な御侍。あの者どもは某が、大分の給銀にて、召し抱へたる下人ども。最前より、いづれもの我がまま。腹綿が燃え返り、胸の虫がむかむかと、こらへかねて候へども、無事に済まば済まさんと、歯を食ひしばり控へし処に、理非もろくに聞き届けず、何ぢや、搦め捕らんとは。いかやうの咎がある。さあ、承らん。もし、咎もないに下人を縛り、搦めさせ、主人の身にて堪忍ならず。町人なれば、太刀刀のお相手には叶はずとも、腕や脛の力は、お侍にも負け申さぬ。張りごくら踏みごくらは、この膝骨の砕くるまで。」と、脛打ち叩いてねめ付くる。
 海野、ちつともひるまず、「いや、こりや、若い者。たとへそちが下人にもせよ、これは頼朝公の御敵。判官殿の因縁を、尋ね求むる穿鑿なれば、言うても天下の御大事。誰をか憚る事あらん。こいつは弁慶が親、熊野の別当弁真。それに親しき者なれば、熊野育ちの鈴木亀井が一族ならんと、咎むるが僻事か。きやつを下人と言ふからは、さては汝は義経の、落とし子のありと聞きしが、それなるよな。ここでの論は無益の事。誤りなくば御前にて、速やかに言ひ訳せよ。御所の仮屋へ同道せん。はや歩め。さあ来い。」と、言はれてさすがの時宗も、御前へ出ては悪しかりなんと、返答遅々して見えにける。
 入道、これぞ一大事と思ひ、大声上げて気色を変へ、「さてさて、おのれらは何者なれば、何の用もなき事を、仔細ありげに言ひなす故、咎もなき判官殿、いよいよ御咎深くなる。勿体なくも御屍に、苦患をかくる後生の迷ひ。いかさま、騙りか物取りか。ええ、腹立ちや、につくい奴。暫し御免。」と郎等が、突いたるより棒押つ取つて、続け打ちに時宗を、ちやうちやうと打つたりける。「これは。」と言つて鬼王兄弟、立ち寄る処を、「やあ、おのれらとても、ただ置かうか。」と、払ひ打ちに叩き付け叩き付け、「伝へ聞く。判官殿、御存生の折から、東下りの忍び路や、安宅の関にて我が子の弁慶、判官殿を打つたるとや。それは富樫をたばかりの、智略の棒の歪みなき、この弁真が心底を、海野殿への言ひ訳に、叩き殺して見せ申さん。」と、口には言へど心根は、主君なり、我が子なり。思ひの色を腹立ちの、涙に見せて打つ杖も、外れよかし、反れよかしと、打てばこなたは悟られじと、用捨もなく身に受くる、互の心ぞ哀れなる。
 海野、我を折り、「やれ、さなせそ、弁真。殺してはいかがなり。もうよいわ。」と引きとむる。「いや、叩き殺さん。」と、なほ振り上ぐるを、棒もぎ放せば、「ええ、残念や、口惜しや。草の蔭にて判官殿、さぞや悲しく思されん。」と、義経にかこつけて、胸に保ちし涙をぞ、わつと泣き出すその心。鬼王兄弟、時宗も、思ひ遣りたる忍び音の、嘆きを隠してうつぶけり。
 海野、重ねて、「これ、若者。以前汝は、あの者が主人と言ひしが、いづくの町人。商売は何ぞ。」時宗、聞きもあへず、「さん候。某は、奥州伊達の郡の、傾城屋にて候が、あれなる女を金銀出し、傾城に召し抱へ、只今連れて下り候。」海野、なほも疑ひ、「ええ、しからば定めて請状あらん。それにて読め。聞かん。」と言ふ。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・昨日今日の元服にて――底本「昨今の元服にて」。『近松全集 第3巻』により改めた。

傾城請状

 元より請状あらばこそ。懐中より時宗が、夏書しかけし普門品を取り出し、請状と名付け、高らかにこそ読み上げけれ。
  傾城奉公請状の事。
  一つ、この浪と申す娘、流れの道に身を沈む。建久四年癸の丑、五月十五夜つき出し女郎。いづくの雲も障りなき、影も丸年十年切つて、金子百両確かに手取りの、身は籠の鳥。親は他国の死に目なりとも、年の間は廓の外へ、一足にてもふみも通はぬ、遠国波濤へ売りて、遣り手や姉女郎の掟背かず、勤めさせもが露ほども、奉公に如才なく、客をば振らず、心にかけて、廻る紋日を一日も、怠らせ申すまじ。第一には間夫狂ひ、浮名ほくろに入れ性根する男あつて、勤め粗末に致すに於いては、着のままながらのはしたにおろされ、又はみづしの下女にせられて、竃の火を焚き湯殿の水汲み、門掃き背戸掃き庭の掃除の、塵や芥や紙くずのはの、うらみと存じ候まじ。万一この者、年の内、廓を逃げて走り井の、水に身を投げ刃に伏し、心中して死したりとも、御難はかけじ。いづ方までも、請人出てさばきがみ、油元結紅鼻紙、足駄雪駄に至るまで、仕着せの外は、身の入り立てとの定めなり。もし又深き縁のあり、恋ぞ積もりてみなの川、誘ふ水とて請け出す、あたひ千金万金なりとも、それは主人の得分たるべし。もし誰人ぞ流れの身に、横波かけて妨げの、さしでの磯のもがり舟、押して暇を取るならば、衣装残らずはぎ薄の、奉公構ひ給ふべし。総じて勤めのその間、下戸なりとも酒呑み習ひ、文には嘘を書き習ひ、床にて人をやき習ひ、眠たくとも居眠らず、泣きともなくとも後朝の、別れに泣かせ申すべし。起請誓紙に身の内の、血をば惜しませ申すまじ。指は切り損、髪も切り損、申し分候まじ。その外なにはのよしあしに付き、後日のための傾城奉公、請状の趣、くだんの如し。
と、天も響けと読み上げたり。海野の太郎、疑ひ晴らし、「さては仔細もなき者なり。疾く疾く通れ。」と許しけり。
 時宗、し済ましたりと思ひ、「御聞き分け、有難し。さて最前より承れば、判官殿のゆかり、御尋ね候とや。我らが本国奥州には、その末々の多く候へども、今日まで手を置き、誰構ふ者もなし。あの弁真めが我々を、打擲致せし憎さも憎し。拙者に預け下されかし。搦めて国へ罷り下り、弁慶が親を捕らへしと、国中に風聞せば、義経のゆかりども、堪忍せず集まらん。処を皆々駆り催し、搦め取つて参らせん。一つは旦那の御奉公。」と、まことしやかにささやけば、海野、ほつかりとたらされ、「いや、これは出来た。きやつは某、我が君より、預かり申せし奴なれば、苦しからず。人を添へて汝に預けん。彼を囮に搦め取つて、我に手柄をさせてくれよ。それそれ、角田兵五、兵六。兄弟、彼について行け。随分ぬかるな、沙汰ばしすな。判官の末類を、多くもいらぬ。一両人、生け捕つてくるるなれば、こりや、この海野は手も下ろさず、噛ませて呑んだる大手柄。きつと礼は重ねて、重ねて。急げ、急げ。」と別れしは、愚かにも又あさましし。
 角田兄弟、「これは不思議の同道。いざ参らん。」とぞ申しける。時宗、辺りを見廻し、「海野は遥かに行き過ぎたり。」鬼王に目配せし、二人を左右へばたばたと蹴倒せば、「こは狼籍者。」と起き上がるを、鬼王、団三郎、つつと寄つて、しつかと取る。時宗、からからと笑ひ、「我をまことの町人と思ふか。河津が次男、曽我の五郎時宗といふ者。この入道は、鬼王、団三郎が父、津蔵の入道といふ者。我々をかばひ、弁慶親弁真と偽りしを、鎌倉中の大名小名の、髭口へうまうまと、聞こし召したる可笑しさよ。何とぞ奪ひ返さんため、和田殿へ参る折から、海野殿の運の尽き、よい所で出くはせ、時宗にたらされて、お預かりの大事のめしうど、ふかふかと渡さるるは、猫に鰹、ぶしに似合はぬ甘い事。これ、ここな生ぶし達。うぬらが首より爪先まで、微塵に削つて兄祐成が、手飼ひの虎に喜ばせん。それそれ。」と引き起こし、口に込み藁。「生き骨立たすな。山際にて討つて捨てよ。入道、妹は故郷へ送れ。某は、祐成の狩場の出で立ち、気遣はし。追つ付きて本望遂げん。門出よければ行く先の、仕合はせは手に取つたり。吉左右知らせん。」「待ち奉る。」と、につこと笑ふ顔と顔。主従、この世の見納めとは、後にぞ思ひ知られたる。
 その日の御狩も勢子を上げ、息を休むる午の刻、「御弁当。」と触れければ、狩場も暫し静まりける。ここに富士の根方より、七年物の牡鹿、八股の角振り立て、険岨苔路をのさのさと、北をさして落としける。秩父の家臣、本田の二郎近経、「天の与へ。」と弓と矢つがひ、駒をひた路に歩ませ寄せ、既に矢頃と見えし処へ、工藤左衛門祐経、一さんにあふりかけ、「これこれ、本田。あの鹿は、祐経が見付け、射とむるぞ。粗忽すな。」と声をかくる。「御諚にて候へども、狩場の習ひ。目がけし鹿を、人に渡す法は無し。外れんまでも近経が、射とめて御覧に入れ申さん。」と、なほ引き絞れば、祐経怒つて、「やあ、おのれは緩怠者。秩父が下人、又者の身として、この祐経に慮外をなし、主のためも悪しからん。」と、広言吐いて乗り出す。
 近経、無念に思へども、慮外と言へば力なく、「ええ、おのれ、祐経め。矢印に名乗りなくば、遠矢に射落としくれんもの。」と、拳を握つて控へし処に、曽我の十郎祐成、祐経を遥かに見、竹笠引つ込み、弓を伏せ、繁みを分けて忍び寄る。本田、きつと見、「これ、申し、祐成殿。忍んで御狩の御供の由、主人重忠、聞き及ばれ、御用あらば承れと、申し付けられ候。貴公、数年御狙ひの、鹿こそ見えて候。さりながら、彼は馬上、貴公はかち。幸ひ近経も、当座の遺恨候へば、この馬を貸し奉る。召されて鹿の真只中、恨みの矢壺は外れ申さじ。人目あれば、御暇。」と、下り立ち、馬を与ふれは、祐成、手綱を押し頂き、「とかくは言葉多からず。」と、麓をさして近経は、我が仮屋へぞ帰りける。
 祐経、鹿を見失ひ、谷を隔てし岡の辺の、小松の中を乗り廻る。祐成、「あはや。」と谷越しに、馬引き寄せ打ち乗れば、不思議や、この馬、身の毛を立て、四足を縮めて立ちすくむ。「南無三宝。」と、打てども打てどもあふれども、ちつとも動かず跳ね上がり、前足折つて祐成を、まつさかさまに跳ね落とせば、祐成は枯れ杭に、弓杖突いて下り立つたり。落として馬は軽々と、谷を下りに駆けて行く。折しも時宗、遥かに見付け、走りかかつて馬の口、しつかととめて引き来り、「さて、よき処へ参りたり。鞍心知らぬ馬主を、嫌ふとおぼえたり。鐙を踏みしめ、しつかと召せ。」「心得たり。」とひらりと乗れば、又この馬、高いななきし、躍り上がつて祐成は、屏風返しにどうど落ち、岩角に胸打ち当て、気を失ひたるばかりなり。
 時宗、兄を抱き上げ、「ええ、憎や。この馬は、目前の敵。刺し殺さん。」と跳びかかる。祐成、はつと心付き、「やれ、待て、時宗。全く馬の誤りならず。花野が新田に与へつる、虎の生爪懐中せしが、恐れたるに紛れなし。」と、守りより取り出し、遥かの谷へ投げ捨て、駒引き寄せ、打ち乗つて、引つ立て見れば不思議やな。元の如くに歩み行く。「続けや、時宗。来れや、五郎。」と、谷を乗り越え乗り下ろし、岡の茅原、麓の松原、追ひつ返しつ尋ぬれども、はや祐経は見えざりけり。兄弟、目と目をきつと見合はせ、拳を握り、牙を噛み、「宝の山に入りながら、空しく帰る口惜しさよ。よしよし、今日は助くるとも、明日まで生けては置くまじきぞ。この富士山は死出の山、富士川は三途の川、兄弟瀬踏みの門出の、酒盛りせん。」と、笑ひ戯れ立ち帰る。揃ひに揃ひしもののふの、手本なり、鑑なり、教へなるわと後の世まで、尽きぬは曽我の話なり。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 ・追つ付きて本望遂げん――底本「追付けて本望とげん」。『近松全集 第3巻』により改めた。

↑このページのトップヘ