江戸期版本を読む

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カテゴリ:浄瑠璃 > 古浄瑠璃・古脚本(1933刊)

古浄瑠璃・古脚本 WEB目次

古浄瑠璃 01 たかだち五段(誠文堂1933)

古浄瑠璃  02 小袖そが(誠文堂1933)
一段目  二段目  三段目  四段目  五段目  六段

古浄瑠璃   03 今川了俊(誠文堂1933)
第一  上・ 下   第二 上 ・下   第三  上 ・ 下 
第四  上・ 下  第五  上・下 

古脚本 04 小栗十二段(誠文堂1933)
第一 熊坂  第二 舎利  第三 七夕
第四 舞車  第五 高砂

古浄瑠璃 05 さんせう太夫(誠文堂1933)
初段   二段目  三段目   四段目  五段目  六段目

古浄瑠璃 06 しんとく丸(誠文堂1933)
第一  第二(しんとく乙姫を乞ふ)  第三(御台所最期)
第四(継母邪慳)  第五(乙姫忍び出尋ぬ)
第六(しんとく世に出づ)

古浄瑠璃 07 酒天童子(誠文堂1933)
第一  第二  第三  上 ・ 下(頼光山入道行)
第四  上 ・ 下  第五


校訂 古浄瑠璃・古脚本 WEB凡例

  1:底本は『舞の本及古浄瑠璃集 全』(1933年刊 国会図書館デジタルコレクション)です。
  2:校訂の基本方針は「本文を忠実にテキスト化しつつ、現代の人に読みやすくする」です。
  3:底本のふりがなは全て省略しました。
  4:底本の漢字は原則現在(2026年)通用の漢字に改めました。
  5:二字以上の繰り返し記号(踊り字)はテキストにないため、文字表記しました。
  6:底本は適宜改行し、句読点および発話を示す鍵括弧は、適宜修正、挿入しました。
  7:「三重」「唄」など浄瑠璃の曲節を示す語は、すべて省略しました。
  8 :ト書きなどの割注は、必要と思われるもののみ、一部[ ]で示しました。
  9:目次の上・下は、便宜上分割したものです。
  10:底本の修正のうち、必要と思われるものは校訂者注で示しました。なお、校訂には『幸若舞曲集』(笹野堅編 1943年)、『近松全集 第1巻』(岩波書店 1985年)『徳川文芸類聚 第六』(国書刊行会 1915年)『同 第八』(同 1914年)『新群書類従 第5』(国書刊行会 1906年)を使用しました。

古浄瑠璃・古脚本 WEB目次

浄瑠璃 総合INDEX

江戸期版本を読む INDEX

高館五段

高館一段目

 さてもその後、頼朝には梶原召され、「いかに、梶原。承れ。義経が謀叛に於いて、疑ふ処、更に無し。急ぎ義経を退治し、世を治めん。」との御諚にて、長崎の四郎に三百余騎を下し賜ぶ。長崎、三百余騎を賜はりて、急ぎ奥にも着きしかば、催促廻し、勢揃へ、泰衡達に与力して、かひの太郎を筆取にて、はや着到をぞ付けにけり。まづ惣領なれば泰衡。次に西木戸四郎元吉。樋爪の五郎、玉造、沼倉兄弟。その外の人には、けつその弥七、木原の源五、雲居の小太郎、あつせの刑部、中嶋のようとうじ、松嶋、玉造、小嶋の兵頭を先として、名字の侍七百余騎。その外都合、兵は、七千三百余騎に早、着到を付けにけり。頃はいつなるらん。文治五年閏四月二十七日。「今日は、日柄よからず。明日の辰の刻に向かふべし。」と定めつつ、大多、山口、中村に陣取つて控へたり。
 さて又、高館殿には、敵の向かふ由を聞こし召し、侍達を召さるるに、宵までは侍八人、大将共に九人と聞こえしが、次の日の合戦に、侍九人、大将共に十人の、由来を詳しく尋ぬるに、紀州熊野の住人に、鈴木の三郎重家なり。或る日の事なるに、鈴木の女房に申しけるは、「某、仔細あり、奥州へ下るべし。何事もなく下り着き、君のめでたうましまさば、明年の夏の頃、便りの文を上すべし。夏の頃しも過ぎ行かば、浮世は不定の習ひにて、道の草葉の露霜と、消えぬるよと思し召せ。跡をば頼み奉る。暇申して、さらば。」とて、自体は鈴木殿、熊野育ちの人なれば、山伏姿にさまを変へ、笈取つて肩に掛け、物うき竹の杖を突き、宿を出んとし給へば、女房、この由見るよりも、「待たせ給へや、鈴木殿。負ひも習はぬ笈を負ひ、歩みも習はせ給はぬ長旅を、かちにて下らせ給はん事、思ひ遣られて悲しや。」とて、鈴木が袂にすがり付き、涙に咽ぶばかりなり。夫の鈴木はこれを見て、「げに頼もしき女房かな。我もさやうに存ずれど、思ひ立つたる旅の末、やがて上りて会ふべし。」とて、涙と共に引き別れ、藤代を立ち出て、下らせ給ひける程に、七十五日と申すには、奥州衣川高館の、御所にぞ着かれける。
 鈴木、何とか思ひけん、笈、篠懸をば傍らに隠し置き、笈の中より打ち掛け取り出し着るままに、十二符かけたる編み笠を、深々と着給ひて、高館殿の御所の体を、心静かに見奉るに、「不思議やな。藤代にて聞き及びしは、日番当番訴訟人、さながら御内に満ち満ちて、門外には、駒の立てどもなきやうに、承りて候が、これは何とてかほどまで、もの寂しくはあるらん。」と、唐居敷に腰を掛け、御内の体を聞き居たり。
 又、高館殿には、敵の向かふ由を聞こし召し、侍達を召さるるに、いつも変はらぬ弁慶を先として、以上八人、君の御前に畏まる。判官、この由御覧じて、「義経が運尽き、明日を限りとはや成りぬ。方々が手に掛けて、何がしが首を打ち、関東へ参らせて、勲功勧賞に預からば、奉公の忠には後世を弔へ。いかに、いかに。」と仰せければ、弁慶は、可笑しく思ひ、笑ひける。片岡、亀井の六郎が、「こは口惜しき御諚かな。誰あつて我が君の御首賜はり、鎌倉へ降参を申すべし。今まで落ちぬ人々は、御供とこそは思すらん。さはありながらこの中に、落ちんと思ふ人あらば、暇申して落ち給へ。誰も恨みは残らじ。」と、座敷をきつと見渡せば、吉武、広綱一同に、「涼しく申されたり。誰もかやうに申したき、御返事にて候ぞや。思ふに敵、暁寄すべし。大手搦め手、二手に分けん事あらじ。味方はたとひ無勢なりとも、軍は花を散らすべし。まだほの暗き早朝なれば、声をば聞くとも姿は見じ。我も人も、心静かにある時に、上へ申して御酒賜はり、最後の名残を惜しむべし。」
 「尤も、しかるべし。」とて、種々の大瓶、大筒を、御出居へ申し出しつつ、君も御出ましまして、女房達の御酌にて、上に盃据わりければ、下は以上八人なり。三献の酒過ぐれば、後には互に入り乱れ、思ひ差し思ひ取り、自酌自盛りの楽あそび。舞うつ謡うつ呑む程に、亀井が呑うだる盃を、武蔵殿に思ひ差し、立つて舞をぞ舞はれける。しほり、三頭、鴨の入れ首といふ処を、ひと節さつと舞ひ納め、立ち廻る処にて、門外を見てあれば、太刀脇挟んだ男の、編笠目深に引つこうだるが、唐居敷に腰を掛け、亀井が舞を聞き居たり。
 亀井の六郎も、思ひ寄りなき事なれば、酌に手掛けて居たりしが、門なる男の声として、大の声音をさし上げて、「なうなう、御内へ案内申さん。」と、大音声にて呼ばはりける。鳴りを静めて座敷には、誰なるらんと思ひしに、西塔の武蔵は、この声を聞くよりも、「あれは敵の奴ばらが、案内検見のそのために、偽りまなんで来りけん。いかさま、今日の使をば、余すまじい。」と言ふままに、袴のそばを高く取つて、長刀押つ取り出んとする。亀井の六郎も、続いて座敷をづんど立ち、武蔵が袂を引きとどめ、「静まり給へ、武蔵殿。さても不思議や。この声を、聞いたるやうに思ふ。」とて、武蔵をとどめ、亀井の六郎、走り出て見てあれば、舎兄鈴木の三郎、旅やつれに痩せて、一人ここに立ち給ふ。
 亀井、夢とも弁へず、するすると走り寄り、鈴木が袂に取り付けば、兄も弟に取り付いて、「いかに、いかに。」とばかりなり。遥かにありて鈴木殿、「何事かある、亀井。」とぞ申されければ、亀井、この由聞くよりも、「さん候。君の御運も我等が運も、今この時に尽き果てて、明日を限りと早成りぬ。それをいかにと申すに、秀衡、浮世にある時は、君をも尊み申せしが、有為無常の習ひとて、秀衡、こぞの冬、はかなく成りて候ぞや。その子ども、我が君に心変はりを仕り、鎌倉よりの検見には、長崎の四郎殿を、申し下し賜はりて、さて又、国の大将に、照井、伊達が向かひつつ、大多、山口、中村に、陣取つてあると聞く。などや、か程に御身の思し召し立つならば、二年も三年も、先に御下りましまして、一旦、楽をし給ひて、思ひ出と思し召すべきに、何ぞ詰めたる御運かは。今日下り給ふこそ、喜びの中の嘆きなれ。今生にて見見え申すこそ、何より以て嬉しく候へ。浮世の妄執、晴れてあり。上にも知ろし召さるまじ。咎め怪しむ者あらじ。をちこち人の風情して、はやはや熊野へ御帰りあれや、鈴木殿。」
 鈴木、この由聞くよりも、「不覚なりとよ、亀井殿。龍門原上の土に骨は埋むとも、名をば埋むが不覚さよ。師弟主従、父子夫婦、三世の機縁のなくして、何しに今日参るべき。鈴木が参りて候と、上へ申せ、亀井。」とて、草鞋脱ぎ捨て、上に着たる打ち掛け脱いで、ふはと捨て、おととい連れにて判官の、御前さしてぞ参りける。


校訂者注
 ・着るままに――底本「着りまくに」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・種々の大瓶――底本「しゆぐのたいへい」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・今生にて見見え申すこそ――底本「今生にてみえ申すこそ」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。

高館二段目

 さてもその後、判官、この由御覧じて、「あら珍しの鈴木殿や。因果は車の輪の如く、平家に着せしその罪が、今、義経に巡り来て、明日を限りと早成りぬ。末の露、本の雫と成る風情、異姓他門を敵と受け、かく成りぬると思ひなば、恨みはさらに残るまじ。これにありける人々をも、敵の許すものならば、落としたくは思へども、敵許さねば力なし。御身は人も見知るまじ。咎め怪しむ者あらじ。をちこち人の風情して、早々、熊野に帰られよ。鈴木ありてもこの軍に、勝つべきにてもあらず。」との御諚なり。
 鈴木、この由承り、「こは口惜しの御諚かな。君に犯せる咎なくして、討たれさせ給はんずる、前業をいかがおはしけん。何ぞや鈴木めが、月日こそ多きに、今日参り合ふ事は、三世の機縁の朽ちせぬ故。軍散じて罷り下り、『さもあれ、君の御最期所は、いづくにてかはあるらん。』と、思ひ遣りたるばかりにて、唐居敷に腰を掛け、只一人すごすごと、腹切らんずる事どもは、何ぼう無念に候べきか。具足一領賜はつて、討死せん。」と申して、落ちんず気色は更に無し。
 判官、この由御覧じて、「この上は力及ばず。いでいで、さらば鈴木殿に、具足を一領出さん。」とて、唐櫃の蓋を開け、小桜縅の鎧を取り出させ給ひて、「この鎧と申すは、小栗の佐藤禅門が、子ども設けのためにとて、具足を二領、縅しける。兄嗣信は小桜、弟の忠信は卯の花縅に結構し、相待つる処に、彼等二人は討たれぬる。面目なけれど義経は、佐藤が館へうち越え、子ども最期を語りて聞かせ候なり。母の尼公は嘆かずして、『かかる家の面目候。御供申し、出しより、討たれん事は治定ぞと、思ひ設けて候ぞや。さはありながら、き奴ばらが、御供申して下るならば、取らせんずるが、そのために、具足を二領、縅し立て候なり。これこれ、御覧候へや。待ちて甲斐なきこの形見を、見つる事のはかなさよ。誰に鎧を参らせん。我が君に参らせん。』小桜縅を義経に、卯の花縅を弁慶に、得させたる具足なり。ひとへに彼等が形見と言ひ、又は札よき具足なり。自然の事もあるならば、義経着せんそのために、これまで持たせてありけれども、御身にこれを取らする。」とて、同じ毛の三枚兜に打ち物添へ、鈴木にこそは賜はりける。鈴木、面目施して、「御世が御世の御時に、千町万町賜はりたるより、今、この鎧に如かじ。」とて、かはらけ取り上げ三杯酌んだる、鈴木殿が所存をば、褒めぬ人こそなかりけり。
 弁慶は、少しもしほれぬ眼より、涙をはらはらと流しつつ、「されば、我が君の御内の人のやうに、揃うたる事はあるまじ。謂はれをいかにと申すに、一とせ嗣信、忠信が討死。伊勢と駿河が京、鎌倉にての死にざまと、今又鈴木殿が、御具足一領賜はつて、千町万町の御恩に替へじと、喜びける事のゆゆしさよ。か程までよき郎等を持ち給ふ、我が君の果報の程のうたてさは、せめて大国四、五ヶ国、御知行なきこそ口惜しけれ。大方の奴ばらが、何千騎にて寄せ来ると申すとも、公事武者の駆り兵と思ふに、さこそあるらん。今は夜も更け行くらんに、呑めや、謡へや。」「尤も。」舞うつ謡うつ、酒盛してこそあそびける。
 既にその夜も夜半ばかりの事なるに、鈴木の三郎重家は、居たる所をづんど立ち、中門の廊に出、弟の亀井を近付けて、「いかに、亀井。今度重家、紀州藤代を出し時、先祖重代に伝はる腹巻、一領着て下る。皆、傍輩達も聞こし召せ。この腹巻と申すは、忝くも熊野の権現の、いにしへ摩掲陀国の主とし、武王が中の武王にて、天下を治め給ふなり。しかるに亀井、よく聞け。重高よりも重家までは、十六代とおぼえたり。重高のいにしへ、摩掲陀国より我が朝へ、飛ばせ給ひし折節、御門、兵事のそのために、この腹巻を召されて、飛び来り給ふなり。代々、嫡子に伝はれる家の宝、今、鈴木まで相伝す。重代なれば身を離さず、この度も着て下り、奥方の奴ばらに取られて、終に他門の宝と成さん惜しさよ。それとても力無し。重家は面目に、着背長賜はりぬ。この旅の疲れに、二領重ねん事、難し。御身にこれを取らする。」とて、唐錦縅の、黄金札の腹巻を脱いで、亀井に取らせける。亀井、腹巻引つ立て、「これ、見給へや、面々達。六明経のその中に、人の果報は義によつて、次男に生まれても惣領を継ぐべしと、言はれたるも、これなるべし。この時、家の重代を、亀井の六郎譲り得て、千筋の矢が当たるとも、胸板に受け止めて、死なんず事の嬉しや。」と、躍り上がつて喜うだるを、あつぱれ武士の手本やと、褒めぬ人こそなかりけり。
 既にその夜も明け方になりければ、武蔵坊弁慶は、居たる所をづんど立ち、四間の出居へつつと入り、いつも好む褐の直垂に、水に鴛の脛楯し、三引両の弓籠手さし、いまだ鎧は着ざりけり。二尺ばかりの打ち刀を、十文字に差すままに、梨子打烏帽子押つこうで、白綾畳んで、鉢巻にむんずと締め、四間の出居より中門の廊に出、「人々、御免候へ。」とて、唐櫃に腰を掛け、東向きにぞ居たりける。鈴木の三郎重家も、魚綾嶋摺の直垂に、君より下し賜はつたる、小桜縅の鎧を着、同じ毛の三枚兜の緒を締め、三十六差いたる大中黒の征矢負うて、三人張りの真中握り、四間の出居より中門の廊に出、「人々、御免候へ。」とて、唐櫃に腰を掛け、東向きにぞ居たりけり。鷲の尾、片岡、熊井太郎、源八兵衛広綱、備前の平助、う毛々の鎧、兜の緒を締め、太刀佩き、矢負いて、皆、唐櫃に腰を掛け、めいめいきつと見合はせたる、この人々の有様は、樊噲、張良、安禄山も、面をそばめ、恥ぢぬべし。
 その中に取りても、亀井の六郎重清は、一際すぐれて出で立つたり。肌に取りては唐紅を引つ違へ、緋精好の張つたるに、寄掛目結の直垂の、括りを結つて締めたりけり。楊梅桃李の左右の籠手、白檀磨きの脛当し、熊の皮の揉足袋に、銀にて縁金やつて、開口高に踏んごうだり。獅子に牡丹の脛楯し、唐錦縅の黄金札の腹巻を、二領重ねてばらりと着、躍り上がつて高紐掛け、結つて上帯ちやうど締め、九寸五分の鎧通しを、妻手の脇に差いたりけり。一尺八寸の打ち刀を、十文字に差すままに、三尺八寸候ひし、葵作りの太刀佩いて、四十二差いたる鷹うすべうを、筈高に取つて付け、同じ毛の五枚兜に、鍬形打つて猪首に着、白綾の母衣をきつと掛け、塗籠の弓の四人張りに、締めの関弦掛けさせて、真中握り、横たへ、四間の出居より中門へ、揺るぎ出たるその有様を、物によくよく譬ふれば、めいぼく太子、白駝王。我が朝にては将門、純友。吉野山にて名を上げし、奥州の忠信も、只これ程こそありつらめ。「器量に寄せて出で立つたるや。」と、声を揃へて褒めたりける。

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高館三段目

 さてもその後、既にその夜も明けければ、奥方の軍兵も、うつ立つ由こそ聞こえけれ。まづ大手へは、長崎殿を大将にて三千八百余騎、衣川東の門へ押し寄する。搦め手は伊達、鳥の海、二千五百余騎にて、西の御門へ押し寄する。御所の体、大手は鈴木兄弟、兼房、只三騎にて堅めける。搦め手は鷲の尾、片岡、熊井太郎、源八兵衛広綱、備前の平助、以上五騎にて控へたり。弁慶は浮き武者にて、大手の櫓に上がりつつ、軍の下知をぞしたりける。
 亀井の六郎重清も、同じ櫓に上がりつつ、兜を脱いでどうど置き、弓取り直し、弦食ひ湿し、素引きしてこそ居たりける。兄の鈴木は、弟の亀井が姿を見給ひて、「御身は櫓に上がりたるか。」と宣へば、亀井、この由聞くよりも、「さん候。この城は、平城にては候へども、堀広くて底深し。いかに敵が詰め掛けて、埋め草込むとも、三重の堀をば、ただ一時にはよも埋めじ。重家、重清兄弟と名乗つて、奥方の軍兵に、手並の程を見せん。」とぞ申しける。鈴木、この由聞くよりも、「よく言うたりや、亀井殿。ただ重家は、長旅の事なれば、腹巻に肩引かせ、矢弦も矢壺もおぼえねども、さらば射て見ん、亀井。」とて、同じ櫓に上がりけり。
 かくて寄せ手の人々は、大手搦め手揉み合はせ、鬨をどつと上げにけり。六種震動かくやらん、天地も響きておびただし。城には、以上九人の人々が、軍の法とて優しくも、鬨をどつとぞ合はせける。物によくよく譬ふれば、雷渡る春の野に、古巣を出づる鴬の、初音を告ぐる如くなり。鬨の声も静まりければ、寄せ手の中より武者一騎進み出、大音上げてぞ呼ばはりける。「ようよう御陣へ申したき仔細の候。昨日までは判官殿を、主君と仰ぎ申すといへども、鎌倉殿の御意に背きおはします。さるによつて長崎殿、御教書帯し、御下向。その上、天下に住みながら、違背申すに及ばず。義経の御自害ましまさば、介錯申せとの御諚にて、高信が参りて候。申させ給へ、人々達。」とぞ呼ばはりける。
 弁慶、この由聞くよりも、やくしの歩み板を踏み鳴らし、「何、かう言ふは照井めか。角打つたる兜を着、容儀骨柄ゆゆしくて、よき馬に乗りければ、秀衡が子どもの内は誰なるらんと思ひしに、又郎等の照井めが、この門外まで参り来て、馬の上にて名乗りけるは、狼藉なり。その陣、引いてのけ。」とぞ申しける。照井の太郎はこれを聞き、「かく宣ふは武蔵殿か。事珍しき雑言かな。君を深く尊めば、臣を敬ふ道理あり。鎌倉殿の御教書帯し、今日の大将賜はりて、罷り向かひし高信にては、人どもをば、真実の物の数とは思はぬなり。無用の広言申さんより、侍は渡り者、兜を脱いで降参せよ。」とぞ申しける。
 弁慶、この由聞くよりも、言葉なくして居たりしが、亀井の六郎は、武蔵が辺りへ立ち寄りて、「いかに、武蔵殿。神明を尊まず、武名にも恐れず、法に任せず、傍若無人の奴めには、何を仰せ候とも、けんをへうすに似たるべし。無用の論をとめ給へ。君こそ御腹召さるるとも、我等がかくて候はば、軍は花を散らすべし。かう申す兵をば、いかなる者とか思ふらん。熊野権現の一の臣、かにのうみの大臣重高よりも十六代の後胤、鈴木の庄司が次男、亀井の六郎重清なり。年積もつて二十六。照井殿に矢一筋参らせん。受けて見よや。」と言ふままに、四人張に十四束、取つてがつしとうちつがひ、本弭末弭一つに成れと、きりきりと引き絞り、かなぐり放しにがつきと放す。
 一陣に進みける照井が舎弟に高野の四郎が、駒引つそばめて控へたる、鎧の袖の三の板、妻手の脛楯、緒繰の板、肝の束ねをするりと通し、相引かけて、ぐつと抜けて余る矢が、裏に控へたる照井が馬の太腹に、尾袋せめてづばと立ち、高野は痛手なりければ、受けも合はせず妻手返しに、錣をついて、どうど落つれば、照井が馬は痛手負ひ、屏風返しにひつたと返し、高膝折りて伏しければ、照井は馬より下り立つたり。城には武蔵、鈴木を先として、「射たりや射たり。」と、揺り上げ揺り上げ笑ひけり。寄せ手は射られて音もせず。「異国のきんくわが弓の威も、只これ程こそありつらめ。」と、寄せ手も舌をぞ巻きにけり。
 兄の鈴木は、弟亀井が姿を見給ひて、「射たりや亀井。この五、六年離れつつ、御辺、いか程生ひ立つてあるらんと、心元なく思ひつつ、紀の国よりも遥々下り、見てあれば、容儀骨柄、世にもすぐれたる。長矢束の大弓は、世にも不思議に思ひしに、押し手勝手の定まりて、射たりや亀井。あ、射たりや亀井殿。只今のその気色を、紀の国にとどめ置く、一族どもに見せばやな。君も御出ありて、御見物あれかし。重家も、矢一つ射て見せ申さん。」と言ふままに、十三束三つがけの中差を抜き出し、「いかに、奥方の軍兵。物を語らば確かに聞け。今の亀井が兄、鈴木の庄司とは我が事なり。四国九国の御合戦に御供申し、度々の高名、名を顕はし、御世静まりて、紀州藤代は本領なれば、安堵を賜はり所領に下り、義経の都下着をば、知らで御供申さぬなり。さはありながら、この五、六年、藤代にありといへど、君の御事、亀井が行方、ひとかたならぬにより候て、藤代を立ち出、急ぐとすれどかち路にて、日数を積もり昨日まで、七十五日で昨夜着き、今日の合戦に合うたるは、何ぼう果報の者なるぞ。今の亀井が矢ほど無くとも、受けて見よや。」と申しける。寄せ手の軍兵これを聞き、楯の端を突きかざし、鈴木が射る矢を待ちかけたり。
 鈴木、この由見るよりも、三人張に十三束、取つてからりとうちつがひ、かなぐり放しにがつきと放す。一陣に進みける照井が従弟に、丸太の藤次が、「答の矢一筋。」と、進みかけたる胸板に、立つより速くぐつと抜け、裏に控へたる麦野の四郎が、首の骨にひつしと立つ。二騎の武者が、ためずして、弓手妻手へぞ落ちにけり。続く軍兵、これを見て、「この者どもが矢先には、鉄の楯を突くとも叶ふまじ。この陣引けや。」と言ふままに、むらむらばつとぞ引いたりけり。鈴木兄弟、櫓より下りくだり、拳に毛よき武者をかい選りさし取り、散々に射たりけり。矢種尽くれば、櫓をゆらりと跳んで下り、駒引き寄せてうち乗つて、衣川の水の瀬を、鐙の端にて浪を分け、さんざめかいて渡しけり。奥方の軍兵も、「鈴木兄弟、手取りにせよ。太刀も刀も要るべきか。」と、折り重なりてひしめいたり。
 鈴木兄弟これを見て、玉に馴れたる蓬莱の、鳥の風情もかくやらん、驚く気色はなかりけり。大勢の中へ割つて入り、西から東、北から南、蜘蛛手かくなは十文字、八つ花形といふ物に、割り立て追つ詰め、散々に切る程に、鈴木の三郎重家は、十三騎こそ切り給ふ。弟の亀井が手にかけて、二十七騎薙ぎ伏する。げには敵もたまらばこそ、風に木の葉の散る如く、むらむらばつとぞ引いたりける。この人々は手も負はず、川しづしづと渡し戻し、勢ひかかつて控へたるは、異国の樊噲、張良も、かくやと思ひ知られたり。

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校訂者注
 ・御所の体、大手は鈴木兄弟――底本「御しよのていすゞき兄弟」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・源八兵衛広綱、備前の平助、以上五騎――底本「げん八びやうゑひろつな、以上五騎」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・弦食ひ湿し――底本「つかくひしめし」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・丸太の藤次が――底本「まるたのとりぢが」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。

高館四段目

 さてもその後、櫓の上にて弁慶は、軍のやうを見給ひて、「あら、面白と。鈴木兄弟のしたる合戦や。暫し、人々。それにて御待ちあれ。某も手伝つて来ん。」と言ふままに、櫓をゆらりと取つて下り、四間の出居へつつと入り、白柄の長刀うちかたげ、大手の櫓に走り上がつて、東向きにぞ立ちたりける。頃はいつなるらん、文治五年閏四月二十八日の、いまだ巳の刻ばかりなるに、照りに照つたる朝日に、物の具の金物は、折から色やまさるらん、開いた扇は紅にて、日にさし向かつて立つたりける、武蔵坊が有様は、兜跋毘沙門、四天王の、荒れたる気色もかくやらん。
 「いかに、奥方の軍兵。物を語らば確かに聞け。それ、人間の命は電光朝露。討つも討たるるも夢の戯れ。昨日までは肩を並べし人々の、今日は敵と成る事も、因果歴然なれば、世も人をも恨むまじ。さりながら、汝等が遠国に住み馴れて、印地したには似まじいぞ。今日武蔵がする軍、手本よく見習へ。弁慶が長刀にて、切り残されたる(原本一葉落丁)「高田の太郎。」と名乗つて、武蔵にこそは渡り合ふ。弁慶、この由見るよりも、持つて開いて、横手切りにちやうど切る。兜の弓手の吹き返し、面の幌先、妻手の冠の板をかけ、づんど切つてぞ落としける。
 花崎、この由見るよりも、「さて切つたり、武蔵殿。そこを引くな。」と言ふままに、隙間もなくこそ懸かりける。弁慶、この由見るよりも、持つて開いて、拝み打ちにちやうど打つ。兜真向切り割つて、後ろは錣、母衣付、前はたつぶり、よだれ金、四枚金胴、引敷、草摺、鞍の山形、二つにほつかと切り割りて、左右へさ分けてのきにけり。柴田の四郎がこれを見て、「まづは切つたり、武蔵殿。そこを引くな。」と言ふままに、隙間もなくこそ懸かりける。弁慶、この由見るよりも、「奥方の軍兵も、心は剛にありけるぞや。退く風情を見せざるは。手並の程を見せん。」とて、持つて開いてちやうど打つ。柴田も聞こゆる兵にて、冠の板にて受け流し、さらぬ体にて駆け通す。
 二陣に続いたる亀井の六郎が、「武蔵殿の切り残しを受け取つたりや。」と言ふままに、葵作りの三尺八寸、横手切りにちやうど切る。亀井が腕や強かりけん、太刀の金やよかりけん、四枚胴を押しかけ、二十五差いたる征矢をかけし、や腰のつがひを車切りといふものに、ふつつと切つて落としければ、上は抜けてどうど落つれば、下は鞍にぞ乗りにける。「これおはしや、武蔵殿。」とぞ仰せける。
 弁慶、この由承り、「さん候。今度は某、番に当たりて候。」と、申しもあへず、御出居へつつと入り、鉄を厚さ五分に着込ませたるを、桶側胴と名付けつつ、刀溜りに着たりけり。卯の花縅の鎧に、黒糸の胴丸三領重ねて、はらりと躍り上がつて、高紐かけ揺つて、革帯ちやうど締め、一尺八寸の打ち刀、十文字に差すままに、三尺八寸いかもの造りの太刀佩いて、長刀の小反り刃を、鞍の前輪に締め付けて、弓手に熊手押つ取つて、妻手に長刀うちかたげ、膝にて馬をぞ乗りにけり。弁慶が駆け出づれば、小山の動く如くなり。
 大勢の中へ割つて入り、膝口、高腿、馬の腹、ばらりばらりと引き破れば、将棋倒しの如くなり。この勢ひに恐れて、捨て鞭打つて逃ぐる処へ、弁慶、駒を駆け寄せ、熊手をさし渡し、兜の天辺に引つ掛け、えいと言うて引き寄せて、下げ切りしてこそ捨てたりける。況んや漢王唐土まで、その名を得たる弁慶が、今を最後の合戦に、面を合はする者は無し。怒れる眼は黒雲の、所々の晴れ間より、朝日の映ろふ如くなり。敵を靡けて喚く音、雷電稲妻はたた神、獅子象虎の吼ゆる声も、かくやと思ひ知られたり。
 弁慶が二度の駆けに、奥方の軍兵は、百八十騎ぞ討たれたり。今は早、向かふ敵のあらざれば、高き所に駒駆け上げて、暫く陣をぞ取りにけり。

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校訂者注
 ・「原本一葉落丁」は、底本の割注。この個所の前後、『幸若舞曲集』(1943)「高館」には、以下のようにある。「『いかに、奥方の軍兵。鳴りを静めて、事の心を確かに聞け。それ人間の命は、電光朝露。討つも討たるるも、夢の戯れ。昨日までは肩を並べ、膝を組みし方々が、今日、敵と成る事も、因果歴然の道理によつて、世をも人をも恨むまじい。さりながら、汝等が遠国に住んで、入り取り強盗し、境の牓示論じ、二十騎三十騎ここかしこに、引き分け引き分け空印地して、礫打つたらむには似まじいぞ。今日、武蔵がする軍こそ手本よ、見習へ。弁慶が長刀にて、切り残されたらん輩は、見し者と思ひては、後世をば弔うて得させよ。弁慶、末代の物語に、舞を一手舞はうぞや。早、出賜べや、人々。』鈴木兄弟、かねて用意やしたりけむ、鼓を取り出して、叩き上げてぞ囃しける。自体、武蔵は山徒にても、乱舞延年の上手舞をば、一手習うたり。調子を伺うて立つたりしが、霞に霞んで、大きなる声をはつたと上げて、一声をこそ取つたりけれ。『嬉しや。どうどうと鳴るは瀧の水。日は照るとも、いつも絶えせじ。面白や。筏を下すは大井川。花を流すは吉野川。紅葉を下すは龍田川。都辺りに名河は様々多けれど、遠国ながら名所かな。霧山高嶺の残りの雪消え、谷の氷柱も溶けぬれば、衣川の水嵩増さつて、奥方の軍兵を、弁慶が長刀にて、湊をさして切り流す、切り流す。』と、揉烏帽子といふ曲を、一拍子ばらりと踏んで、開いた扇を櫓より、衣川へさつと投げ入れ、扇の落つるより早く、あう、櫓を跳んで下りたりけり。三戸立ちの白芦毛、七寸八分、明け六歳に、引き寄せゆらりと乗つたりけり。鷲の尾、片岡が、『先に駆けむ。』と進みけり。弁慶がこれを見て、『いでいで、武蔵、荒切りせむ。後をばこなせ、若武者ども。』とて、先駆けしてこそ渡しけれ。向かひは信夫、元吉、竹樋、丸田を先として、奥には我と思しき者、三百騎ばかりで控へたる、陣の中へ武蔵、駒をさつと駆け入れたり。奥方の軍兵、陣を二つに分けたりけり。されどもここに、『高田の太郎。』と名乗つて、武蔵坊に渡り合ふ。弁慶、これを見て、持つて開いて横手切りに、がつしと切る。兜の弓手の吹き返し、面の頬先、妻手の冠の板をかけて、づんど切つてぞ落としける。花崎、この由を見るよりも、『あつ、切つたりや。武蔵殿、そこを引くな。』と言ふままに、隙間もなく懸かりけり。」
 ・前輪に締め付けて――底本「まへ輪にしめつりて」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・膝口、高腿――底本「ひざくちたるもゝ」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・兜の天辺に引つ掛け――底本「かぶとてのへんに引つかけ」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。
 ・下げ切りしてこそ捨てたりける。況んや漢王唐土まで、その名を得たる弁慶が――底本「いはんやかんなうもろごしまで、さげ切りしてこそ捨てたりける。その名を得たるべんけいが」。『幸若舞曲集』(1943)「高館」に従い改めた。

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