タグ:その他文学
こぶ弁慶 その十二 サゲ
【翻字】
侍士「無礼
者待て、何奴(なにやつ)なれば狼藉を致す、仔細(しさい)を語れ 弁慶「ムゝ、聞き
たくば云ツて聞かせん、耳を掻(かつ)ぽじツてよツく承(うけたまは)れ、吾(わ)れを
誰(だ)れぞと思ふ、天津児耶根命(あまつこやねのみこと)中関白通隆(みちたか)公の後胤にして、母は
二位大納言の娘、熊野参篭の折柄(をりから)別当弁正(べんしやう)と心を協(あ)はせ、
侍士「無礼
者待て、何奴(なにやつ)なれば狼藉を致す、仔細(しさい)を語れ 弁慶「ムゝ、聞き
たくば云ツて聞かせん、耳を掻(かつ)ぽじツてよツく承(うけたまは)れ、吾(わ)れを
誰(だ)れぞと思ふ、天津児耶根命(あまつこやねのみこと)中関白通隆(みちたか)公の後胤にして、母は
二位大納言の娘、熊野参篭の折柄(をりから)別当弁正(べんしやう)と心を協(あ)はせ、
遂(つひ)に夫婦の契約をなせしが、我母(わがはゝ)妊娠となり、十七月(つき)経ツて
男子(なんし)出生(しゆつしやう)、幼名(えうめい)を鬼若丸と命(なづ)け、播州書写山にて成長なし、
誕生水(すゐ)別当の屋敷に古跡を遺し、頭髪(かみ)を剃(をろ)し、京都比叡山に
登り、観慶阿闍梨の弟子と成りしが、その当時(ころ)武蔵(むさし)といへる
荒法師あり、この者相果(あひは)てし後(のち)、跡を継ぎて武蔵(むさし)となり、父
弁正(べんしやう)の弁の字と観慶阿闍梨の慶の字と、これを合はせて、武
蔵坊弁慶と命(なづ)けたり、山を降(くだ)ツて大原の里に住みしが、五條
の天神へ丑の時詣(まう)での折柄(をりから)、五條の石橋(せつけう)にて牛若丸に出逢ひ
名乗れば源家(げんけ)の御曹司、弁慶二十余年(よねん)栄華(えいぐわ)の夢、あとなく覚(さ)
めて京都を払ひ、屋島、壇の浦の戦ひに、頼朝、義経不和と
なり、腰越(こしご)えより追返(おつかへ)され、吾(わ)れは奥州衣川にて立往生、紀
伊大納言と祭籠(いはいこ)まれるまで、主君(きみ)の御供(おんとも)をなしたるこの弁慶
汝等(なんぢら)如きの下に居(ゐ)やうや、奇怪千万(きつくわいせんばん)、ナゝ何(なに)が小癪な 主君「乗
男子(なんし)出生(しゆつしやう)、幼名(えうめい)を鬼若丸と命(なづ)け、播州書写山にて成長なし、
誕生水(すゐ)別当の屋敷に古跡を遺し、頭髪(かみ)を剃(をろ)し、京都比叡山に
登り、観慶阿闍梨の弟子と成りしが、その当時(ころ)武蔵(むさし)といへる
荒法師あり、この者相果(あひは)てし後(のち)、跡を継ぎて武蔵(むさし)となり、父
弁正(べんしやう)の弁の字と観慶阿闍梨の慶の字と、これを合はせて、武
蔵坊弁慶と命(なづ)けたり、山を降(くだ)ツて大原の里に住みしが、五條
の天神へ丑の時詣(まう)での折柄(をりから)、五條の石橋(せつけう)にて牛若丸に出逢ひ
名乗れば源家(げんけ)の御曹司、弁慶二十余年(よねん)栄華(えいぐわ)の夢、あとなく覚(さ)
めて京都を払ひ、屋島、壇の浦の戦ひに、頼朝、義経不和と
なり、腰越(こしご)えより追返(おつかへ)され、吾(わ)れは奥州衣川にて立往生、紀
伊大納言と祭籠(いはいこ)まれるまで、主君(きみ)の御供(おんとも)をなしたるこの弁慶
汝等(なんぢら)如きの下に居(ゐ)やうや、奇怪千万(きつくわいせんばん)、ナゝ何(なに)が小癪な 主君「乗
物止(た)て 侍士「ハゝーツ」御駕籠(おかご)の引戸(ひきど)をガラリと開けられまし
て、中より麻の上下(じやうげ)に提刀(さげがたな) 主君「コリヤ其方(そのはう)は乱心者と相見(あひみ)え
たり、予がこれにて手討(てうち)に致すから左様に心得よ 似多「アゝ、
モシ暫(しば)らくお待ち下さいまし、決して私(わたく)しは乱心者でも何(なん)で
もございません、御覧なさる通り、この肩の瘤があの様なこ
とを申しましたのでございます、併(しか)し昼間なれば、御乗物(おのりもの)先(さき)
をば無礼を致しましたのでございますから、御手討(おてうち)にしやう
と仰(おつ)しやるのも御有理(ごもつとも)でございますが、夜分の事でございま
すから、何卒(どうぞ)お慈悲に御見遁(おみのが)し下されてお助けをば願ひます
る 主公「イヤ昼間なれば可(よ)いが、夜分のことじやに依(よ)ツて了簡
することは相成(あひな)らぬ 似多「ヘエー、それは又何故(なぜ)でございます
主公「されば夜のこぶ(〇〇)は見遁(みのが)しにならぬのじや」 長々御(ご)退屈で
ございました、エー滑稽大和巡廻(めぐり)は、先(ま)づこれで大尾(しまひ)と致し
て、中より麻の上下(じやうげ)に提刀(さげがたな) 主君「コリヤ其方(そのはう)は乱心者と相見(あひみ)え
たり、予がこれにて手討(てうち)に致すから左様に心得よ 似多「アゝ、
モシ暫(しば)らくお待ち下さいまし、決して私(わたく)しは乱心者でも何(なん)で
もございません、御覧なさる通り、この肩の瘤があの様なこ
とを申しましたのでございます、併(しか)し昼間なれば、御乗物(おのりもの)先(さき)
をば無礼を致しましたのでございますから、御手討(おてうち)にしやう
と仰(おつ)しやるのも御有理(ごもつとも)でございますが、夜分の事でございま
すから、何卒(どうぞ)お慈悲に御見遁(おみのが)し下されてお助けをば願ひます
る 主公「イヤ昼間なれば可(よ)いが、夜分のことじやに依(よ)ツて了簡
することは相成(あひな)らぬ 似多「ヘエー、それは又何故(なぜ)でございます
主公「されば夜のこぶ(〇〇)は見遁(みのが)しにならぬのじや」 長々御(ご)退屈で
ございました、エー滑稽大和巡廻(めぐり)は、先(ま)づこれで大尾(しまひ)と致し
彼(か)の紛郎兵衛、似多八の両人(りやうにん)がこれから播州巡廻(めぐり)をしやうと
いふ滑稽のお話は、何(いづ)れ遠からず近日口演いたしますから、
そのときは相変(あひかは)らず御贔屓(ごひゐき)に御愛読あらんことを今より願ひ置
きまする。
いふ滑稽のお話は、何(いづ)れ遠からず近日口演いたしますから、
そのときは相変(あひかは)らず御贔屓(ごひゐき)に御愛読あらんことを今より願ひ置
きまする。
滑稽大和めぐり 大尾
【語釈】
・掻(かつ)ぽじツて…漢字ルビともに不鮮明。
・石橋(せつけう)…ルビ不鮮明。
・夜のこぶ(〇〇)は見遁(みのが)しにならぬ…「夜(の)こぶ」で「よろこぶ(喜ぶ)」。「喜び事は見逃せないものだ」という意の洒落。
・御贔屓(ぎひゐき)…ルビ不鮮明。
【解説】
弁慶は侍に対して堂々と名乗りますが、駕籠から出て来た殿様は似多八を乱心者として手討ちにしようとするくだりです。
この話のサゲは「夜のこぶは見逃せない」というもので、今日では意味がわかりません。現行版の故・桂米朝「こぶ弁慶」では、マクラでそのことにふれ、意味を説明しています。注釈にはそれを書きました。
本書古形版は現行「こぶ弁慶」に比べ、弁慶の名乗りがかなり詳しく語られています。現行版はかなり端折っているようです。他はほぼ同じです。


こぶ弁慶 その十一 弁慶、大暴れする
【翻字】
此処(こゝ)にて似多八は厄介になツて、毎日々
々蛸薬師へ御参詣を致しまする、頭にはチヨイと手拭(てぬぐひ)を載せ
て歩いて居(を)りますと、此方(こちら)は鬱陶しいものですから、又して
も手拭(てぬぐひ)を取ツて仕舞ひますから 似多「貴郎(あなた)然(さ)う自由にして貰ふ
と大きに困りますから、皆(みな)人が頭が二(ふた)ツあると言ツて居(を)りま
す、伊予の松山に頭二(ふた)ツの子が出来たといふが、その松山か
らこの京都へでも来て居(ゐ)るのじやアないかと、何(ど)うか我慢し
て被(かぶ)ツて居(ゐ)て下さいまし、私(わたし)が困りますから 弁慶「エゝーツ、
此処(こゝ)にて似多八は厄介になツて、毎日々
々蛸薬師へ御参詣を致しまする、頭にはチヨイと手拭(てぬぐひ)を載せ
て歩いて居(を)りますと、此方(こちら)は鬱陶しいものですから、又して
も手拭(てぬぐひ)を取ツて仕舞ひますから 似多「貴郎(あなた)然(さ)う自由にして貰ふ
と大きに困りますから、皆(みな)人が頭が二(ふた)ツあると言ツて居(を)りま
す、伊予の松山に頭二(ふた)ツの子が出来たといふが、その松山か
らこの京都へでも来て居(ゐ)るのじやアないかと、何(ど)うか我慢し
て被(かぶ)ツて居(ゐ)て下さいまし、私(わたし)が困りますから 弁慶「エゝーツ、
捨置(ほつと)け捨置(ほつと)け、鬱陶しいや」 やうやうに寺町へ来ますると、丁度
夕景になりました、寺々の入相(いりあひ)の鐘を撞出(つきいだ)す、弁慶は血相し
て 弁慶「亀井、片岡、伊勢、駿河、主君(きみ)の御供(おんとも)して一の谷へ急
げ急げ 似多「戯言(うだうだ)言ひなさんナ 弁慶「今のは陣鐘(ぢんがね)ではないか 似多「
何(なに)を云うてなさるね、彼(あ)れは貴郎(あなた)お寺の入相(いりあひ)の鐘ですがナ
弁慶「アゝ然(さ)うか」 これから蛸薬師へさして御参詣(おまゐり)を致しまし
て寺町へ参(で)ますると、向(むか)ふの方(かた)から堂上方(だうじやうがた)の御仏参(ごぶつさん)の帰りと
見えて 「下に下に下に居(を)らう、下に下に」と此方(こちら)へ乗物がやツ
て参りまする、侍士(さむらひ)は大手を振ツて 武士「下に居(を)らう、無礼者
めが」 と咎めますると、例の弁慶は 「糞(くそ)でも喰(くら)へ、乃公(おら)ア武
蔵坊弁慶」 だと威張ツて大手を振ツてやツて参りますから、
最早(もはや)御駕籠(おかご)側(わき)近くになりますと、近従(きんじゆう)の衆は 「素破(すは)狼藉者、
ソレツ」 といふので、何(いづ)れも袴の股立(もゝだち)を高く掲(から)げ、背後(うしろ)と左
夕景になりました、寺々の入相(いりあひ)の鐘を撞出(つきいだ)す、弁慶は血相し
て 弁慶「亀井、片岡、伊勢、駿河、主君(きみ)の御供(おんとも)して一の谷へ急
げ急げ 似多「戯言(うだうだ)言ひなさんナ 弁慶「今のは陣鐘(ぢんがね)ではないか 似多「
何(なに)を云うてなさるね、彼(あ)れは貴郎(あなた)お寺の入相(いりあひ)の鐘ですがナ
弁慶「アゝ然(さ)うか」 これから蛸薬師へさして御参詣(おまゐり)を致しまし
て寺町へ参(で)ますると、向(むか)ふの方(かた)から堂上方(だうじやうがた)の御仏参(ごぶつさん)の帰りと
見えて 「下に下に下に居(を)らう、下に下に」と此方(こちら)へ乗物がやツ
て参りまする、侍士(さむらひ)は大手を振ツて 武士「下に居(を)らう、無礼者
めが」 と咎めますると、例の弁慶は 「糞(くそ)でも喰(くら)へ、乃公(おら)ア武
蔵坊弁慶」 だと威張ツて大手を振ツてやツて参りますから、
最早(もはや)御駕籠(おかご)側(わき)近くになりますと、近従(きんじゆう)の衆は 「素破(すは)狼藉者、
ソレツ」 といふので、何(いづ)れも袴の股立(もゝだち)を高く掲(から)げ、背後(うしろ)と左
右から手を提(と)りました、姿は似多八でございますけれども、
何(なに)しろ弁慶といふ豪勇ですから、両人(ふたり)の者をば引外(ひつぱづ)してドン
と投げる、背後(うしろ)から羽翼絞(はがひじ)めに抱(だ)かへる奴をば、これも払う
てドンと投げる、右から来れば左へ投げ、左から来れば右へ
投げる、前からかゝツて来る奴をば、腰帯(こしおび)を持ツてからに上
へドンと投げられた奴は宙天(ちうてん)の雲に行当(いきあた)りまして、下へ落ちて
来る、二度目に投げられた奴は宙天(ちうてん)で行逢(いきあひ)になツて 「貴郎(あなた)お
上(のぼ)りですか 「イヤ貴郎(あなた)はお下(くだ)りですか」 といふ騒ぎ、似多八
はズンズンと進寄(すゝみよ)り、駕籠の棒鼻(ぼうばな)に手をかけました
何(なに)しろ弁慶といふ豪勇ですから、両人(ふたり)の者をば引外(ひつぱづ)してドン
と投げる、背後(うしろ)から羽翼絞(はがひじ)めに抱(だ)かへる奴をば、これも払う
てドンと投げる、右から来れば左へ投げ、左から来れば右へ
投げる、前からかゝツて来る奴をば、腰帯(こしおび)を持ツてからに上
へドンと投げられた奴は宙天(ちうてん)の雲に行当(いきあた)りまして、下へ落ちて
来る、二度目に投げられた奴は宙天(ちうてん)で行逢(いきあひ)になツて 「貴郎(あなた)お
上(のぼ)りですか 「イヤ貴郎(あなた)はお下(くだ)りですか」 といふ騒ぎ、似多八
はズンズンと進寄(すゝみよ)り、駕籠の棒鼻(ぼうばな)に手をかけました
【語釈】
・亀井、片岡、伊勢、駿河…亀井六郎、片岡八郎、 駿河次郎、伊勢三郎。いずれも源義経の家来。
・堂上方(だうじやうがた)…昇殿を許された公卿・殿上人の総称。公家。
・素破(すは)…他人の注意を喚起する語。
・股立(もゝだち)…袴の左右の腰の両側のあきを縫い止めた所。ここをたくし上げると動作がしやすくなる。
・行逢(いきあひ)…であうこと。ゆきあうこと。
・棒鼻(ぼうばな)…棒のはし。棒の先。
【解説】
似多八は肩にできたこぶをとってもらおうと京都の親類の家から蛸薬師に日参しますが、ある日の帰途、日没を告げる寺鐘を戦の陣鐘と聞いたこぶの弁慶は、寺町でたまたま通り合わせた侍の行列の「下に下に」という声に腹を立て、大勢の侍相手に大暴れする、というくだりです。
現行版の故・桂米朝「こぶ弁慶」にある、行列を見回る町役の老人の額の瘤の話は、本書古形版にはありません。弁慶が大暴れする話が、ただシンプルに語られています。

こぶ弁慶 その十 似多八、京都蛸薬師の霊験を頼む
【翻字】
【語釈】
・頭打付(こつ?こ)…ルビ不鮮明。あるいは「ごつんこ」か。
・蛸薬師々々々と…原文「蛸薬師々々々々と」。誤植と思われ、訂正した。
・釜座(かまんざ)…現在の京都市中京区三条町釜座通のあたりか。
・大道(をゝど)…ルビ不鮮明。
【解説】
似多八は肩の弁慶めが無
理言うて困ります、飯(めし)でも喰(く)はさぬといふと、己(をの)れの手でお
理言うて困ります、飯(めし)でも喰(く)はさぬといふと、己(をの)れの手でお
のれが喰(く)はれぬやうになツて、引奪(ひつたく)ツて弁慶が喰ツて仕舞ひ
日に三升(じよう)四升(しよう)の飯(めし)を喰(く)ひ、酒といへば二升(しよう)三升(じよう)は飲まにやア
置かぬといふ、実にその日の活計(たつき)にも差支(さしつか)へるやうな事にな
ツて困ツて居(を)りますると、或日(あるひ)の事またも紛郎兵衛は訪れま
した 紛郎「オイ似多、如何(どう)じやエ、少(ちつ)とは工合(ぐあひ)が好(い)いか 似多「イ
ヤ困ツた事が出来た 紛郎「如何(どう)した 似多「マア乃公(おれ)の一(ひと)ツこの肩
ア見て呉れ 紛郎「何(なん)じや、エゝーツ……… 似多「ソレ、お前と奈良
で小刀屋(こがたなや)に泊(とま)ツたらう 紛郎「違ひない 似多「彼(あ)の時に乃公(おれ)が調子
に乗ツて壁土を喰ツたナ 紛郎「イヤそんな事があツた 似多「その
壁土の中へさして岩佐又兵衛といふ仁(ひと)が、心を籠めて弁慶を
描(か)いたが、その描(か)いた弁慶が壁の中へ塗込(ぬりこ)まれてあツたのを
それを知らぬで乃公(おら)ア喰ツたんだ、ところが弁慶は源氏の世
に翻(ひるがへ)さんといふので、乃公(おれ)の肩へさして出店をして、乃公(おれ)の
日に三升(じよう)四升(しよう)の飯(めし)を喰(く)ひ、酒といへば二升(しよう)三升(じよう)は飲まにやア
置かぬといふ、実にその日の活計(たつき)にも差支(さしつか)へるやうな事にな
ツて困ツて居(を)りますると、或日(あるひ)の事またも紛郎兵衛は訪れま
した 紛郎「オイ似多、如何(どう)じやエ、少(ちつ)とは工合(ぐあひ)が好(い)いか 似多「イ
ヤ困ツた事が出来た 紛郎「如何(どう)した 似多「マア乃公(おれ)の一(ひと)ツこの肩
ア見て呉れ 紛郎「何(なん)じや、エゝーツ……… 似多「ソレ、お前と奈良
で小刀屋(こがたなや)に泊(とま)ツたらう 紛郎「違ひない 似多「彼(あ)の時に乃公(おれ)が調子
に乗ツて壁土を喰ツたナ 紛郎「イヤそんな事があツた 似多「その
壁土の中へさして岩佐又兵衛といふ仁(ひと)が、心を籠めて弁慶を
描(か)いたが、その描(か)いた弁慶が壁の中へ塗込(ぬりこ)まれてあツたのを
それを知らぬで乃公(おら)ア喰ツたんだ、ところが弁慶は源氏の世
に翻(ひるがへ)さんといふので、乃公(おれ)の肩へさして出店をして、乃公(おれ)の
身体(からだ)ア此間中(こなひだぢう)から弁慶になツて居(ゐ)るのじやから、酒は二升(しよう)三
升(じよう)も飲みをるし、飯(めし)やア三升(じよう)も四升(しよう)も喰ひをるので、実に困
ツて居(ゐ)るのじやが、酒や肴をば当てがはんと、頭打付(こつ?こ)をさす
ので、乃公(おら)アマア頭ア痛うて往生して居(ゐ)る、何(ど)うか工夫はあ
るまいかナ 紛郎「そりやア飛んだ事が出来たなア、それじやア
斯(か)うしたら如何(どう)だ、これをば瘤だと云ツてお拝み申したら役
に立たぬが、京都の寺町に蛸薬師といふのがある、彼(そ)れは沢(さは)
からお上(あが)りなすツたお薬師さんで、沢(たく)薬師といふのであるが
何時(いつ)の程にやら彼(あ)れをば蛸薬師々々々と云ふが、このお薬
師様へさして章魚(たこ)を断ツてお拝み申すと、如何(どん)な疣(いぼ)でも取れ
るさうだ、なんと京都の方(はう)にお前の親類もあるし、それへさ
して行ツて、向(むか)ふから毎日日参をして祈ツたら如何(どう)じや 似多「
成程、それは有難い、それじやア乃公(おれ)の叔父貴が京都の釜座(かまんざ)
升(じよう)も飲みをるし、飯(めし)やア三升(じよう)も四升(しよう)も喰ひをるので、実に困
ツて居(ゐ)るのじやが、酒や肴をば当てがはんと、頭打付(こつ?こ)をさす
ので、乃公(おら)アマア頭ア痛うて往生して居(ゐ)る、何(ど)うか工夫はあ
るまいかナ 紛郎「そりやア飛んだ事が出来たなア、それじやア
斯(か)うしたら如何(どう)だ、これをば瘤だと云ツてお拝み申したら役
に立たぬが、京都の寺町に蛸薬師といふのがある、彼(そ)れは沢(さは)
からお上(あが)りなすツたお薬師さんで、沢(たく)薬師といふのであるが
何時(いつ)の程にやら彼(あ)れをば蛸薬師々々々と云ふが、このお薬
師様へさして章魚(たこ)を断ツてお拝み申すと、如何(どん)な疣(いぼ)でも取れ
るさうだ、なんと京都の方(はう)にお前の親類もあるし、それへさ
して行ツて、向(むか)ふから毎日日参をして祈ツたら如何(どう)じや 似多「
成程、それは有難い、それじやア乃公(おれ)の叔父貴が京都の釜座(かまんざ)
といふ所(ところ)に在(あ)る依(よ)ツて、それへ乃公(おら)ア行ツて来やう」 とこれ
から似多八はチヤンと支度をしまして、八軒屋へやツて来ま
した、大道(をゝど)を歩くにも昼間歩くと頭が二(ふた)ツございますので、
人が目を着けますから、夜分に被物(かぶりもの)をさせて、やうやう八軒
屋から三十石に乗ツて伏見に上(あが)り京都の釜座(かまんざ)の親類へさして
やツて参りました、
から似多八はチヤンと支度をしまして、八軒屋へやツて来ま
した、大道(をゝど)を歩くにも昼間歩くと頭が二(ふた)ツございますので、
人が目を着けますから、夜分に被物(かぶりもの)をさせて、やうやう八軒
屋から三十石に乗ツて伏見に上(あが)り京都の釜座(かまんざ)の親類へさして
やツて参りました、
【語釈】
・頭打付(こつ?こ)…ルビ不鮮明。あるいは「ごつんこ」か。
・蛸薬師々々々と…原文「蛸薬師々々々々と」。誤植と思われ、訂正した。
・釜座(かまんざ)…現在の京都市中京区三条町釜座通のあたりか。
・大道(をゝど)…ルビ不鮮明。
【解説】
様子を見に来た紛郎兵衛は、似多八から事情を聞き、京都の蛸薬師へ日参し祈願するよう勧め、似多八は喜び、京都の親類宅を目指す、というくだりです。
現行版「こぶ弁慶」と本書古形版では舞台が違うため、話の細部に異同はありますが、話の展開の大筋はほぼ同じです。

こぶ弁慶 その九 似多八の肩に弁慶が顕れる
【翻字】
その後不図似多八は右の肩へさして小さ
な疣(いぼ)のやうなものが出来ました、そいつを何(なん)ぢやいナと思ツ
て引千切(ひきちぎ)ツて仕舞ふ、またその跡へコロツと出来る、心持(こゝろもち)が
わるいから、遂には寝床(とこ)に就いて居(を)りましたが、或日戸外(おもて)か
ら紛郎兵衛は 「似多、在宅(うち)かエ 似多「オウ紛さん 紛郎「何(なん)ぢや、
何処(どこ)か悪いのか 似多「ムゝ 紛郎「如何(どう)したのや 似多「斯(か)う肩へさし
て疣(いぼ)が出来たんだ、大きに心持(こゝろもち)が悪いので 紛郎「ハゝア疣(いぼ)が如(ど)
何(う)した 似多「千切(ちぎ)ると跡へさして出来、またそいつを千切(ちぎ)ると
跡へさして出来るのぢや 紛郎「ムゝウ、薬を飲んで居(ゐ)てか 似多「
その後不図似多八は右の肩へさして小さ
な疣(いぼ)のやうなものが出来ました、そいつを何(なん)ぢやいナと思ツ
て引千切(ひきちぎ)ツて仕舞ふ、またその跡へコロツと出来る、心持(こゝろもち)が
わるいから、遂には寝床(とこ)に就いて居(を)りましたが、或日戸外(おもて)か
ら紛郎兵衛は 「似多、在宅(うち)かエ 似多「オウ紛さん 紛郎「何(なん)ぢや、
何処(どこ)か悪いのか 似多「ムゝ 紛郎「如何(どう)したのや 似多「斯(か)う肩へさし
て疣(いぼ)が出来たんだ、大きに心持(こゝろもち)が悪いので 紛郎「ハゝア疣(いぼ)が如(ど)
何(う)した 似多「千切(ちぎ)ると跡へさして出来、またそいつを千切(ちぎ)ると
跡へさして出来るのぢや 紛郎「ムゝウ、薬を飲んで居(ゐ)てか 似多「
別に何処(どこ)も悪いといふ事はない、只気味が悪い依(よ)ツて寝てる
のぢやが、別に薬は飲んで居(ゐ)やアせぬ 紛郎「併(しか)し養生しないと
いけないぜ」 と紛郎兵衛は帰ツて仕舞ふ、肩の疣(いぼ)でございま
す、千切(ちぎ)る度(たんび)にチクチクと大きうなりますから、遂には似多
八は根負けをして打捨(うちす)てゝ置きましたが、恁(か)くて半年程経ち
ますと、この瘤(こぶ)は当前(あたりまへ)の人の顔ほどになりまして、目鼻がチ
ヤンと出来ました、そのうちにソロソロと言(くち)を発(き)きかけまし
た 瘤「コリヤ 似多「エゝーツ、お前さん何(なん)ぢやエ 瘤「乃(お)
公(ら)ア西塔(さいたふ)の傍(かたはら)に住んで居(ゐ)た武蔵坊弁慶といふものぢや 似多「ヘ
エー、して弁慶さんが何(なん)で私(わたし)の肩へさして出店をなすツたの
ぢや 弁慶「貴様はこの春南都の小刀屋(こがたなや)善助といふ宿屋へ泊(とま)ツた
事があるだらう 似多「違ひない、泊(とま)ツた事があります、それが
如何(どう)したので 弁慶「その時に貴様は壁土を喫(く)ツたんじやらう
のぢやが、別に薬は飲んで居(ゐ)やアせぬ 紛郎「併(しか)し養生しないと
いけないぜ」 と紛郎兵衛は帰ツて仕舞ふ、肩の疣(いぼ)でございま
す、千切(ちぎ)る度(たんび)にチクチクと大きうなりますから、遂には似多
八は根負けをして打捨(うちす)てゝ置きましたが、恁(か)くて半年程経ち
ますと、この瘤(こぶ)は当前(あたりまへ)の人の顔ほどになりまして、目鼻がチ
ヤンと出来ました、そのうちにソロソロと言(くち)を発(き)きかけまし
た 瘤「コリヤ 似多「エゝーツ、お前さん何(なん)ぢやエ 瘤「乃(お)
公(ら)ア西塔(さいたふ)の傍(かたはら)に住んで居(ゐ)た武蔵坊弁慶といふものぢや 似多「ヘ
エー、して弁慶さんが何(なん)で私(わたし)の肩へさして出店をなすツたの
ぢや 弁慶「貴様はこの春南都の小刀屋(こがたなや)善助といふ宿屋へ泊(とま)ツた
事があるだらう 似多「違ひない、泊(とま)ツた事があります、それが
如何(どう)したので 弁慶「その時に貴様は壁土を喫(く)ツたんじやらう
似多「ヘエ、壁土を喫(く)ひました、それが如何(どう)したんですね 弁慶「
彼(あ)の壁の中へ、岩佐又兵衛といふ画師(ゑし)が、乃公(おれ)の姿をば心を
籠めて描(か)きをツた、それをば何日(いつ)か彼(あ)の壁へ塗込(ぬりこ)めて仕舞ツ
た、何(ど)うかして今一(ひ)ト度(たび)世に顕(あらは)れ、源氏の御世(みよ)に翻(ひるがへ)さんと思
ふ折柄、貴様が壁土をば喫(く)ツたに依(よ)ツて、汝(われ)の肩へさして乃(お)
公(れ)が顕(あらは)れて出て、今日から貴様の身体(からだ)を乃公(おれ)が借りるから、
サアこれから酒も飲むし飯(めし)も喫(く)ふし、女郎買(ぢよろかひ)にも伴(つ)れて行け
似多「冗談(うだうだ)言ひなさんナ、弁慶の一番勝負と云ツて、弁慶とい
ふものは女嫌ひじや、川柳にも言うてありませう、弁慶と小
町は馬鹿だナア嬶(かゝ)ア 弁慶「そんな事は往昔(むかし)の弁慶じや、今斯(か)う
やツて世に顕(あらは)れるからは、女郎買(ひめかひ)にも伴(つ)れて行かぬと乃公(おら)ア
暴れるぞ 似多「こりやア驚いたなア」
彼(あ)の壁の中へ、岩佐又兵衛といふ画師(ゑし)が、乃公(おれ)の姿をば心を
籠めて描(か)きをツた、それをば何日(いつ)か彼(あ)の壁へ塗込(ぬりこ)めて仕舞ツ
た、何(ど)うかして今一(ひ)ト度(たび)世に顕(あらは)れ、源氏の御世(みよ)に翻(ひるがへ)さんと思
ふ折柄、貴様が壁土をば喫(く)ツたに依(よ)ツて、汝(われ)の肩へさして乃(お)
公(れ)が顕(あらは)れて出て、今日から貴様の身体(からだ)を乃公(おれ)が借りるから、
サアこれから酒も飲むし飯(めし)も喫(く)ふし、女郎買(ぢよろかひ)にも伴(つ)れて行け
似多「冗談(うだうだ)言ひなさんナ、弁慶の一番勝負と云ツて、弁慶とい
ふものは女嫌ひじや、川柳にも言うてありませう、弁慶と小
町は馬鹿だナア嬶(かゝ)ア 弁慶「そんな事は往昔(むかし)の弁慶じや、今斯(か)う
やツて世に顕(あらは)れるからは、女郎買(ひめかひ)にも伴(つ)れて行かぬと乃公(おら)ア
暴れるぞ 似多「こりやア驚いたなア」
【語釈】
・小さな疣(いぼ)…漢字ルビともに不鮮明。
・その跡へコロツと出来る…カタカナ不鮮明。
・恁(か)くて…漢字ルビともに不鮮明。
・当前(あたりまへ)の人の顔…漢字ルビともに不鮮明。
・言(くち)を発(き)き…漢字ルビともに不鮮明。
・西塔(さいたふ)の傍(かたはら)…弁慶は比叡山西塔の武蔵坊に居た(『義経記』)。
・小さな疣(いぼ)…漢字ルビともに不鮮明。
・その跡へコロツと出来る…カタカナ不鮮明。
・恁(か)くて…漢字ルビともに不鮮明。
・当前(あたりまへ)の人の顔…漢字ルビともに不鮮明。
・言(くち)を発(き)き…漢字ルビともに不鮮明。
・西塔(さいたふ)の傍(かたはら)…弁慶は比叡山西塔の武蔵坊に居た(『義経記』)。
【解説】
伊勢参りから家に帰った似多八の肩にできた疣は、何度取っても現れ、遂には大きな瘤となり、目鼻口がついてしゃべり出し、弁慶と名乗るというくだりです。
現行の故・桂米朝「こぶ弁慶」では、肩に瘤が出来た者を誰と特定せず、単に京都の者とするだけですが、本書古形版では東の旅の主人公の一人・似多八です。それ以外は現行「こぶ弁慶」と古形版とに大きな相違はありません。
