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第十首 入鄽垂手 心なき 道晃法親王
【翻字】
入鄽垂手 道晃法親王
心なきをのかこゝろのまことなる市に出るも家にかへるも
心なきをのかこゝろのまことなる市に出るも家にかへるも
【歌】
心なき己が心の真なる 市(いち)に出(いづ)るも家に帰るも
【訳】
(己事究明を果たし、悟りを得たことで、俗人の)心のなくなった自分の心の真実であることよ。(たとえ俗世で人の集まる)市場に出ようと、家に帰ろうと(真実な心のあり方が変わることもない)。
【語釈】
「鄽(てん)」は「廛(てん))」と同じで、「屋敷」「店」の意。
【解説】
この歌の題である十牛図第十図はこれです。

少年はお金を手に載せて差し出し、商人らしい男性から竹籠を受け取ろうとしています。自分の心を象徴する牛を捕まえ、牛と一体になり、牛を忘れ、己をも忘れ、本源としての無に帰り、そこから現世に帰ってきた少年は、本当の意味で自由となり、他者と出会えるのでしょう。己事究明を通じての悟りへの道程を比喩的に描いた十牛図はこうして完結します。
作者は道晃法親王(どうこうほうしんのう)、慶長17年(1612年)-延宝7年(1679年)、聖護院門跡、後陽成天皇の第十一皇子、第八首作者・後西院、第九首作者・道寛法親王の叔父です。
この歌は、表現は平易で、歌意も画題によく沿っています。
第九首 返本還源 さやけしな 道寛法親王
【翻字】
返(通か)本還源 道寛法親王
さやけしな花白妙にみなもとのみずみとりなる山のひかりも
さやけしな花白妙にみなもとのみずみとりなる山のひかりも
【歌】
清けしな花白妙に源の 水碧なる山の光も
【訳】
清らかであるなあ。花は白く、水源の水も碧に輝いて見える、この山の光も(、全てが美しいことだ)。
【語釈】
「さやけし」は「清らかで美しい」意。
【解説】
この歌の題である十牛図第九図はこれです。

渓流に梅か桜の花、岩場に生える低木の枝葉が描かれています。人の手の加わらない自然として描いたものでしょう。
作者は道寛法親王(どうかんほうしんのう)、正保4年(1647年)-延宝4年(1676)、聖護院門跡、後水尾天皇の第十一皇子。第八首作者・後西院の弟、第十首作者・道晃法親王の甥です。
この歌は、表現は平易で、歌意も画題によく沿っています。
第八首 人牛倶忘 玉くしげ 新院御製
【翻字】
人牛倶忘 新院御製
玉くしけふたつのものゝわすられし身はもとの身かそれかあらぬか
玉くしけふたつのものゝわすられし身はもとの身かそれかあらぬか
【歌】
玉櫛笥二つのものの忘られし 身は元の身かそれかあらぬか
【訳】
(人と牛、)二つのものが忘れられてしまった。(一体今のこの)自分自身は以前のままの自分なのか、それともそうではない(新たな自身である)のか。
【語釈】
「玉くしげ」は「ふたつ」等にかかる枕詞。
【解説】
この歌の題である十牛図第八図はこれです。

全くの空白です。何も描かれていません。禅でいう無、あるいは「父母未生以前本来面目」というものを表しているのかもしれません。
作者は「新院」とあるだけですが、十牛歌成立時点の寛文3年から7年に「新院」と称された可能性があるのは、第111代天皇(在位:承応3年(1655年)-寛文3年(1663年)の後西院ただ一人です。後西院は寛永14年(1638年)-貞享2年(1685年)、第108代・後水尾天皇の第八皇子、第九首作者・道寛法親王の兄、第十首作者・道晃法親王の甥です。
この歌は、表現は平易かつ流麗、歌意も画題によく沿っており、十牛歌中でも秀歌の一つと思います。
第七首 忘牛存人 知るや誰 烏丸資慶
【翻字】
忘牛存人 資慶
しるやたれもゝのみやみやの花さかり春のこゝろのうしはなつよを
しるやたれもゝのみやみやの花さかり春のこゝろのうしはなつよを
【歌】
知るや誰百の宮々の花盛り 春の心の牛放つ世を
【訳】
いったい誰が知っているであろうか、多くの宮々の花盛りに、(十牛図の少年が牛を放って忘れてしまったように)春の心の辛さを解き放つ(このような素晴らしい)世の中を。
【語釈】
「牛」は「憂し」を掛けています(掛詞)。
【解説】
この歌の題である十牛図第七図はこれです。

少年が月を見上げて合掌しています。牛の姿はどこにもありません。自分の心を統御し得た修行者には、これまで牛として描かれていた自身と別の心はもはやありません。月は仏法、ありは悟り・解脱の象徴です。修行者はただもう悟道の境地だけを目指しています。
作者の烏丸資慶(からすまるすけよし)は元和8年(1622年)- 寛文9年(1670年)、最高位は権大納言正二位
、姉妹が第一首の作者・飛鳥井雅章の妻、弟が第四首の作者・裏松資清です。
、姉妹が第一首の作者・飛鳥井雅章の妻、弟が第四首の作者・裏松資清です。
この歌は、実は翻字に疑問があります。二句目は「もものみやしに」と読めますが、意味が取れません。そこで「し」を踊り字と考え、上のように読んでいます。また、歌意も定かでありません。「もものみやみや(百の宮々)」とはいったい何のことか、また、「こゝろのうしはなつ(心の牛放つ)」とはどういう意味なのか、よくわかりません。上に示したのは、私の想像し得た一解釈に過ぎません。近世堂上和歌に詳しい人であれば、より妥当な解釈が可能かもしれません。